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第三十二話

―――――― 子供時代 ――――――――


「――――次は、負けないからなドイル!」

「次も一緒だと思いますよ?」

「五月蠅い! 今度こそお前の脳天にメイスを叩き込んでやる!!」

「頑張ってください、グレイ様」

「~~~~っ! 首洗って待ってろドイル!」

「分りましたって。ほら、グレイ様。お迎えの人がお待ちですよ?」

「わかっている!」


 プリプリと怒りながら悔しそうにメイスについた汚れを拭い、亜空間に片づける殿下を見守りながら俺も同様に槍をしまう。

 今日も今日とて、俺に会いに来たクレアと話していたら習い事を終えた殿下が合流してきた。そして合流したグレイ様にクレアを任せ、槍を振っていたらグレイ様にメイスで襲撃された。


 その後はいつも通り。

 グレイ様に怒られながら、振るわれるメイスを槍でいなした。こちらから攻撃を仕掛ける訳にはいかないし、怪我もさせられない。

 グレイ様のメイスは確かに威力があるが当たればの話である。普段、父上や御爺様に稽古して頂いているのだ。未だに槍や棒術のスキルは取得出来ていないが、メイスの重さ故かまだまだ速度も遅く、動きが大ぶりなグレイ様のメイスをいなすぐらいは簡単である。


「グレイ王太子殿下。そろそろ、礼儀作法のお時間でございます。お戻りを」

「待たせて悪かったな。さぁ、行こう」

「はい。それではドイル様、失礼いたします」


 呼びに来たメイドに穏やかな笑顔で待たせたことを詫び、立ち去って行くグレイ様はいつみても別人だ。あれで顔を赤く染め暴言を吐きながら俺にメイスを振り下ろしていた人と同一人物だというのは詐欺だと思う。


 俺以外の人間に対する態度が違い過ぎるグレイ様を釈然としない気持ちで見送り、俺はこの時間は近衛兵達の訓練を見ているだろう父上の元に向った。






「父上」

「ドイル! よく来たなぁ。お前も練習に混ざっていくか?」

「いいえ。先ほどグレイ様と追いかけっこしたばかりなので」

「なんだ。ドイルはまた殿下を怒らせてしまったのかい?」

「グレイ様が怒りっぽいんですよ。直ぐにメイス振りかぶってくるし」

「はははは! 殿下もお元気だからなぁ!」


 クレアやグレイ様と別れた後、近衛兵の鍛錬場で稽古をつけていた父上に声をかける。練習に誘われたが、グレイ様と追いかけっこという名の戦いをした後なので丁重にお断りした。


「グレイ様は俺と他の者と態度が違いすぎます。俺には恐ろしい形相でメイスを振り下ろす癖に、メイドや兵士達には穏やかに笑いかける」

「…………………………ドイルは殿下に優しくされたいのかい?」


 態度の違い過ぎるグレイ様の不満を父上に溢せば父上は少し考えた後、俺にそう問いかけた。


 俺に優しいグレイ様?

 ……………………………………あれ? 

 まったく想像できないぞ? 

 むしろ俺に優しく微笑みかけるグレイ様とかちょっと、というかかなり気持ちが悪い。


 父上の問いかけに優しいグレイ様を想像しようとして失敗した俺は、とても微妙な気分になった。俺だけに厳しいグレイ様に不満はあるものの、優しくされるのはちょっと気持ち悪いというか薄気味悪いと感じる自分がいることに気が付いたのだ。穏やかなグレイ様などグレイ様で無い気さえする。

 俺が知るグレイ様は短気で怒りっぽくて、言葉よりも先にメイスが出て、滅茶苦茶口が悪くて、クレアが大好きで何よりも大事にしている人だ。

 返答をじっと待つ父上に、俺はそのなんとも言えない微妙な気持ちを素直に伝える。


「……………………微妙です。俺に優しいグレイ様なんてグレイ様じゃないです」

「はははははは! そっか! 微妙か!」


 「ドイルはいい子だな~」と俺の答えに嬉しそうに笑った父上は、俺の頭を撫でて何故か褒めてくれた。

 そして、俺に目線を合わせて再び問いかける。


「なぁドイル。お前は殿下の隣に立つには何が大事か分かるか?」


 俺は突然の父上からの問いに目を瞬かせた。


 グレイ様の隣に居るのに大事なもの?


 こちらをチラチラと気にしながら剣や槍といった様々な武器を振り訓練に勤しむ、屈強な体を持った近衛兵達を見て、俺は父上の問いかけに答える。


「強い事でしょう?」

「違う」

「気が利くことですか?」

「違う」

「賢い事?」

「違う」

「わかった! 王様の為に命を賭ける!」

「残念ながら違うよ」

「ええ? じゃぁ尊敬される人!」

「残念」

「…………誠実な人、とか?」

「不正解だ」

「えー?」


 頑張って答えた答え全て違うと言われてしまい、俺は頭を抱える。


 他にグレイ様の隣に居るのに大事な物ってなんだ? 

 『隣に立つ』って、所謂父上みたいな近衛の話だろ? 

 近衛は王様を守る人達だろ? 

 強さでも気配りでも賢さでも命を賭ける覚悟でも尊敬される人柄でも誠実さでも無い大事なもの? 


 難し過ぎる父上の問いかけに俺は早々に匙を投げた。


「わかりません! 父上、正解はなんですか!?」

「正解はな、」

「正解は?」

「王に頼らない事だ」

「はっ?」

「っぶ! ふ、ふふっ、はははははは!」


 父上の言葉の意味が分からず思わず父上を見上げる。見上げた瞬間、真面目な顔をしていた父上の顔が一瞬歪んだかと思うと、一拍置いて父上が声を上げて笑い出した。訓練所で突然笑い出した父上に他の兵士達が何事かとこちらを振り返る。


「ち、父上!」

「ははははは! ポカンとしちゃって、可愛いなぁドイルは!」

「父上! 他の方々が見ています!」


 一斉に集まった視線に俺は慌てて父上に声をかけたが、父上は何故か俺を抱き上げてご満悦である。しかも、可愛いとか言われても嬉しくない!


「父上! いい加減、降ろして下さい!」

「うん? 照れているのかい?」

「照れてません!」

「はははは! 顔が真っ赤だぞー?」

「父上!」


 父上から受けた指摘に俺はさらに恥ずかしくなり、声を荒げた。


「ははは! ごめんよドイル。嫌わないでおくれ」


 そう言ってようやく俺を下すと。今度はその大きな手で頭をぐしゃぐしゃにされた。


「ごめんよ、ドイル」


 俺の頭をぐしゃぐしゃにしたのは自分のくせして、「ぐちゃぐちゃだな」と言いながら優しく髪を手で梳いて整える父上に俺はそれ以上強く出ることが出来ず、黙り込んだ。






 いらんことまで思い出してしまった。

 あの頃はクレアや殿下とよく一緒に居たし、父上の仕事場にも顔を出していた。思えばあの頃が一番幸せだったかもしれない。確かあの時は、まだ自身の適性何て知らなかった頃だ。槍のスキルが中々取得出来ない事に若干焦りを抱き始めていたが、成長すればその内使えるようになるだろうと言われ、俺もその言葉を素直に信じていた時代だ。

 あの時は殿下の事をグレイ様と呼んでいた。クレアも側にいたし、殿下とも毎日のように追いかけっこをしていた。

 常にメイスを持った殿下が鬼だったけどな。


 そんな遠く温かな思い出を思い返しながら俺はジンを見つめる。何とか俺の言った言葉を噛み砕こうとして、噛み砕き切れないジンは何処かすっきりしない顔をしていた。

 だよな。『王に頼らない事だ』とか言われても、意味が分かんないよな。殿下の側仕えや近衛兵は王を守る王の為の臣下だ。元々王を頼る必要なんてどこにもない。

 そう噛みついた俺に、父上はこう答えたのだ。


「『部下や臣下の責任を取るのはその上司や主人の仕事だ。勿論、近衛も。近衛兵達に何かあったら最終的に責任を取るのは王の仕事だ。だから、王達は近衛を危険にさらさないように、言動全てを管理されることを享受する。彼らが勝手な行動ばかりしては、守る方も大変だからね。この国に住まう者全て王が守るべき民であり、伝説と謳われる四英傑さえ王からすれば己に仕える臣下であり、守るべき民の一人だ。王にはこの国とこの国に住まう者全てを守る責任と義務がある』」


 俺の言葉を静かに聞くジンの顔に表情は無い。こいつが今何を思い、考えているのかは分からないが、多分こいつは俺と同じ答えを出すだろう。


「『だからこそ王の隣に立ちたいと望むのならば、王に守られないように気を付けなさい。肉体的には勿論、精神的にも。近衛兵の様にただ王を守り、跪いて仕えるのでは、隣に立つことにはならないんだよ。何があっても、どんなに苦しくても王に助けてられてはいけないよ。その時は王以外を頼るんだ。王に助けを求めた瞬間、王が背を預け寄りかかれる隣人は、王が守るべき民となる』――――――――昔、私が父上に言われた言葉です。そして、父上は私に聞きました。お前はどちらの道を選ぶのか? と」


 そこまで言い切り、大きく息を吸い込む。

 あの日、俺に同じことを尋ねた父上は確かにこの国の王の隣に立つ【雷槍の勇者】という【英雄】なのだと思ったのだ。


「ジンは王に並び立つ【英雄】と、足元に跪く臣下のどちらを選びますか?」



 俺は、今、殿下の隣に居るこの男に、あの日の父上と同じように尋ねた。





『ドイルは、グレイ殿下の隣に立つのと仕えるのどっちがいい?』

『隣に居ます! だって、あんな怒りっぽい人に守ってもらうのは不安です!』

『ははははは! そうか、不安か!』

『はい! それに殿下は俺より弱いから守ってあげなくちゃ!』

『そうだな! ドイルが守ってやらなきゃな!』

『はい!』


 そう尋ねた父上に俺は隣に居ると答えたのだ。正直、あの時は俺を優しく守ってくれる殿下が想像できなかっただけなのだが、殿下の側に居れば居るほど父上の言葉の意味が分かってきた。


 嫌な思いをしても、直接口にしてしまえばその者が処罰される。

 嫌な事でもやらなければ、やらせようとした者が無理強いしたのだと非難される。

 己の感じた不快感一つで、人は簡単に破滅するのだと殿下は誰よりも良く知っている。


 だからこそ、優しく、穏やかに。

 己の負の感情を表に出さないよう、我慢を強いられる殿下は酷く息苦しそうだった。それでも、殿下はこの国をとても大事に思っているし、そこに生きる者達を守りたいと思っているから【穏やかで優しい王子様】になったのだ。

 本当は、激情家で誰よりも感情豊かな癖に。


「私は父上にそう聞かれた日からずっと、殿下の隣がいいと、隣に立ちたいと思っています。だからどんなに殿下が私を助けたいと思ってくれても、その手を取ることはしない。私は王に仕え跪くのではなく、父上のような王の隣に並び立つ【英雄】になりたいと思うから」


 殿下が俺にだけ厳しいのは、殿下とって俺は気を遣い守ってやるべき民でなく、ただの幼馴染だからなのだと気付いた時から、殿下の手にだけは縋らないと決めている。俺はいつだって殿下が気兼ねなく感情をぶつけられる存在でありたいのだ。

 だから『待っている』という言葉だけで十分だ。俺は殿下に仕えたい訳でも、跪きたい訳でも無い。俺は幼馴染の、グレイ様の隣に立ちたい。

 そして王が【雷槍の勇者】を頼る様に、グレイ様が頼れる【英雄】になりたい。


 だから、正直言って未だに【勇者】の称号は何よりも欲しい。どんな物語や英雄譚だって勇者は【英雄】であり、国や王に頼られる存在であって決して誰かに守られる立場では無いから。

 それが、今も昔も俺が憧れ、肩を並べようと必死に背を追う人達のあり方であり、俺がそうなりたいと願う姿だ。




 目の前で黙り込むジンを見る。

 俺の問いに答えようと真剣に考え込むこいつの態度は嫌いじゃない。単純で強い奴を見ると見境が無くなる点さえなければ、殿下を守るに相応しい男だと思う。


 …………何より、こいつなら【槍の勇者】になれるからな。


「その点、【勇者】はぴったりですから。私は貴方が羨ましくて仕方がないんですよ。ジン」

「っ! …………それで、ドイル様は槍にこだわられていたんですか?」

「父上や御爺様が【槍の勇者】だったので自分も当然なれる、なるのが当然だと思っていたというのもありますけどね。――――王は、何かあると父上を頼られるだろう? 私も父上のようにありたかった。誰もが安心して、背を預けられる【勇者】という【英雄】になりたかった。…………………今は無いものねだりするよりも、【勇者】の称号など無くとも殿下にそう思われるように努力する方が建設的だと思っています。――――――――殿下には内緒ですよ?」


 素直に羨ましいと告げれば、ジンは何やら衝撃を受けたような表情をしていた。そんなジンに俺は今の気持ちを正直に告げる。ついでに口止めも。こんな事を思っているなんて知られたら「ドイルの分際で生意気だ!」とか言われそうだしな。

 あの人はクレアにするように、俺を守ろうとしている節がある。俺はクレアの様にか弱い女の子でも可愛い妹でもないのだ。俺は戦える。【槍の勇者】にこそなれないが、この国の誰にも負けない武人になる自信はある。それだけのモノを両親はくれたから。


 散々、回り道してしまったが俺はもう一度あの場所に立ちたい。その為にも、こんな所で立ち止まっている訳にはいかない。

 もう一度、あの人達の背を追うと、自分で決めたのだから。




「…………そろそろバラドが帰ってくる頃ですからお話はこのくらいで宜しいですか? それともまだ他に聞かれたいことはありますか?」


 ジンにそう尋ねる。時間的にも、そろそろバラドが戻ってくる頃合いだ。いい加減、あのオクサー障害を乗り越えないといけないからな。


「ドイル様!」

「なんだ!?」


 バラドはまだかなと思いながら、ペキペキと背筋を鳴らしていたらジンが急に俺の名を叫んだ。その声の大きさに、ブランやジンの馬が驚いている。俺もうっかり素で返事するくらい驚いた。


「ドイル様! ジンは必ずや【槍の勇者】になって見せます! そして私もドイル様のように、殿下のお隣に在りたいと思います!」

「…………そうですか」


 予想通りの答えを出したジンに安心半分、やっぱりこいつは好きになれないと思う。『必ずや【槍の勇者】になる』とは、簡単に言ってくれる。いや、ジンなりに真剣に考え決意したのはその表情を見れば分るし、こいつの性格上一度口に出して宣言した以上、叶えて見せるだろう。それだけの実力があるのも分かる。分るが、目の前で堂々と宣言されるとムカつく。だから、ついついキツイ物言いになってしまうのだ。


「納得したなら、殿下の側に戻って下さい。幾ら学内は警備がしっかりしているとはいえ、側仕えが殿下の側から離れるのは感心しません」

「はい! 申し訳ありません! ドイル様がお戻りになるまでは、このジンが殿下をお守りします故、安心してご練習ください!」


 バッと頭を下げると、ジンは己の馬に走り寄りそのまま馬に跨った。俺が大人げないのは分っているが、上から目線で失礼なもの言いをした俺を非難することなく、素直に頷くジンは器がデカいのか、ただ単に単純な性格なのか判断に困る所である。




 そんな事を思いながら、馬に跨るジンを見て、ふとこいつは最後のオクサー障害を飛べるのか気になった。


「ジン」

「はい?」

「ジンは最後の障害飛べますか?」

「飛べますよ?」


 簡単に返された答えに息をのむ。飛べるならコツを聞きたいと思って尋ねたが、あっさり飛べると言われると悔しい。ジンには【槍の勇者】の一件以外では負けたくないと思っている。だから馬術も勝ちたいのだが、俺が何度やっても飛べないラストの障害を軽々と飛べると言われると、焦る。

 むくむくと俺の負けず嫌いな所が湧き上がり、こいつにコツを聞きたくない気持ちが溢れてくる。しかしここでつまらないプライドに拘り、リュートに負けてはそれこそ殿下に顔向けできないだろう。


「…………飛ぶ瞬間、怖くありませんか?」


 だから俺はなけなしの勇気をもって、ジンに尋ねた。


「大丈夫です! 見ていると怖いんで、9個目の障害を飛び終えたらいつも目を瞑っちゃいますから!」

「え!」


 そして返ってきた答えは衝撃であった。怖いなら見なければいい! とはとんでもなくシンプルな解決法である。単純なジンらしい答えだ。


 確かに、最後の一つなのだから目を瞑ってしまっても問題は無い。ラストのオクサー障害を飛び終えて数歩行けばゴールなのだから、馬に指示を出さなくても大丈夫だ。

 単純な解決策だけあって俺でも直ぐに実践できるだろう。むしろ今まで思いつかなったことの方が驚きである。


「何か変な事いったでしょうか?」

「…………いいえ。とても有意義なお答えでした」

「? よく分かりませんが、ドイル様のお役に立てたなら幸いです!」

「ええ。とても助かりました」

「はい!」


 俺の返答に安心したように息をついたジンは、一呼吸置いた後「では、私は殿下の元に戻ります!」と言って馬の方向を変えた。馬を走らそうとしたジンに、俺は再度お礼を言う。


「とても有意義な時間でした。ありがとうございます」

「いいえこちらこそ! ドイル様のお心を知ることができ、私の方こそ勉強になりました! ――――――それでは御前失礼します! 行くぞ、マホン!」


 ――――――ヒヒーン!――――


 というマホンという名の馬の嘶きと共にジンは去って行く。中々の良馬を得たらしいジンの背は見る見る内に遠ざかり、あっと言う間に見えなくなった。


『お話は終わりましたかー?』


 ジンの背を見送った後、今まで大人しくしていたブランが寄ってきたので撫でてやる。


「お前なら、どの馬よりも速くあの障害を抜けられるよな?」

『お任せください!』


 俺の言葉に力強く嘶いたブランを再度撫で、俺は鞍をつけ直す準備を始めた。



ここまでお読みいただきありがとうございました。

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