第三十話
ガッガッガッと力強く地面を蹴りあげるブランに跨り、障害物の間を駆け抜け、指定された順に10個の障害を飛び越えていく。
先ずは1つ目、2つ目、3つ目と人の胸くらいの高さがある垂直障害を飛び越える。続いて4、5とオクサー障害という高さと飛距離が必要になる障害を飛ぶ。
複雑な順番に並べられた障害の中から脇目もふらず次の障害だけを見据えれば、俺の視線の先を察したブランが視線に合わせ障害を飛び越えていく。そして6、7と最初の3つよりも高さを上げた垂直障害を飛び越えて、ラスト3つはオクサーのコンビネーション。8、9とオクサー障害を飛び越え、ラストのオクサー障害に向かう。
ラストのオクサー障害はそれまでのものと違い幅は狭く高さと飛距離が上がる為、馬の速さと騎乗者の集中力と度胸が試される。
馬は騎乗者の僅かな異変に敏感だ。だから一瞬でも体スレスレしかない幅や、己の身長以上ある高さに躊躇し、恐怖するとその心を感じ取った馬は躊躇する。
そして、その結果、
ガッ! ガランガランガラン! ズシャー!
「ドイル様!」
ラストの障害で一瞬躊躇した俺の所為で、ブランはオクサー障害を飛び越える瞬間、バーを足にひっかけてしまった。障害を足に引っかけた反動で体勢を崩したブランに俺は振り落とされ落馬する。
ブランに頭を踏まれないように手綱は握りしめていたが、その所為で地面の上を引きずられる。馬の足で踏み潰されるよりはましだが、これが地味に痛い。
そうやってもう何度目になるか分からない落馬をした俺に、バラドが慌ててレオ先輩に用意して貰った治療薬達をもって駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!? ドイル様!」
「――ゲホッ。だ、いじょうぶ、だ」
背中から落ちた衝撃で一瞬息が止まった。が、打ち身とすり傷で今の所済んでいる。ちょっとやそっとでは大事にはならない丈夫な体に感謝である。
「ドイル様。取敢えず土を洗い流しますね」
「頼む」
何度目か分からない落馬の手当てに慣れてきたバラドが、テキパキと傷口を洗い治療薬をかけてくれる。
傷口を流れる液体の感触とともに、徐々に引いていく痛みにほっと息をついた。
もう数えきれないほどの治療薬を使っているのだが、これらは全てレオ先輩達のお手製だ。レオ先輩達が作っただけあって効果は既製品と大差無い。しかし、学生が作ったものだからとほぼ材料費と同じ値段で提供して貰っている。本来の治療薬の値段だったら今頃恐ろしい金額になっている所なので、寛大な部下と優しい先輩達に感謝である。
殿下を怒らせてリュートの勝負を受けたのが一昨日。
あの日はヘングスト先生に案内されたこの場所に、障害飛越の準備をするだけで終わってしまった。
そして次の日から練習を始めたが、二日目の今日、未だに満足の行く結果は出ていない。
勝負は明日だと言うのに、何度やってもこうやってラストのオクサー障害で落馬を繰り返している。
焦る気持ちばかりで、恐怖心を克服できない己の心に嫌気がさす。俺のスペックとブランの能力ならば楽々飛べると頭では分っていても、いざ猛スピードで障害に突っ込むのは勇気がいる。
飛べなかったオクサー障害を見ると自然とため息がこぼれた。
この学園で障害飛越と言えば、垂直障害とオクサー障害をそれぞれ五個ずつ、先ほど俺が飛んでいた順番で並べた物を指す。
ルールも簡単でより短い時間で全ての障害を飛び終えた方の勝ち。速い者だと80秒前半くらいで終了する。その際、障害1つ飛び損ねると5秒、バーを落とすと1本につき1秒が加算され、飛ぶ順番を間違えると1回につき3秒、落馬は1回につき10秒加算される。ちなみに、現在の学園最速記録は80秒12である。
このコースの最大の難関は、ラストにある馬一頭がギリギリ通れる幅しかないオクサー障害だ。このオクサー障害が曲者で、幅が狭いだけでなく高さも飛距離も長い。馬がトップスピードで駆け抜け、その勢いを殺さずに飛ばねば越えられないのだが、その狭さが恐怖心を煽る。
その恐怖心を克服するのは容易では無く、このラストのオクサー障害はあえて失敗させ落馬時の対処法を身に付ける為にこんなにギリギリの設定がなされている、というのは生徒達の間での暗黙の了解である。
しかしリュートに完璧に勝つには、このラストの障害もミスなく飛べなければいけない。
恐らく、リュートはこのオクサー障害を飛ぶ。
バーを引っかけたりはするかもしれないが、最低でも落馬せずにゴール出来るはずだ。何故そんなことが分かるかというと、リュートの実家であるシュタープ家が馬の育成を生業にしている家だからである。
当然その息子であるリュートは馬術が得意中の得意だろう。このオクサー障害を飛ぶ自信があるから、この勝負方法を指定したのだ。当然、馬に関するスキルも幾つか持っていると思われる。
別にリュートが己の得意分野で挑んできたことに異論はない。より己に有利な舞台で戦いたいと思うのは普通の感覚である。
それに、武力じゃどうやってもリュートは俺に敵わない。かといって勉学の有能さを証明した所で合宿の班分けに関係ない。だからリュートが勝負を挑んできた時から、やるなら馬の勝負であることは予想していた。挑んできた時期も時期だったしな。
それにどんな勝負内容だろうと、引けない理由が俺にはある。
その為に殿下に呆れられるという代償をまで払ったのだ。どうせなら彼奴の得意分野で完封なきまでに叩きのめして、二度とリュートを殿下の前にでられないようにしたい。
乗馬なら俺も得意だし、ブランは一級品だ。
まず、負けることは無い。
………………俺が恐怖心さえ克服出来れば、の話ではあるが。
『ごしゅじんさま~』
「大丈夫だブラン。迷惑かけて悪いな」
『迷惑だなんて!』
ヒヒン! と心配そうに嘶くブランに大丈夫だと笑いかける。折角ブランの能力が一級品でも乗っている俺が恐怖していては意味がない。何度も同じ練習させ、同じ失敗を繰り返す俺に呆れることなくつき合ってくれるブランはとてもいい馬だと思う。
「ドイル様。すり傷は終わりましたので、今度は打ち身の方を」
「ああ」
体の右側全面にあったすり傷の治療が終わり、次は言われた通り背中を差し出す。バラドは何も言わずに治療していってくれる。本当は治療するのではなく、練習自体止めさせたいといった表情で俺の練習を見守るバラドには大変申し訳なく思う。
「ドイル様。全て終わりました」
「ああ。ありがとう」
衣類を整えながら黙々と治療薬達を片づけていくバラドに心の中で謝る。内心どう思っていようとも、黙って俺のすることに協力してくれるバラドは俺には勿体無い側仕えである。
「ドイル様、そろそろご休憩を取られてはいかがですか? 丁度、今の落馬で頂いた治療薬が無くなりましたので、お茶を入れるついでに追加分をいただいてきます」
「ん? ああ。わかった」
「ドイル様、くれぐれもお一人で練習されないよう、お願い致します」
「…………分っている。ちゃんと、お前が戻ってくるのを待っている」
「くれぐれもお願い申し上げます、ドイル様。お側に居ない間に御身に何かあっては、悔やんでも悔やみきれませんので」
「承知した」
「よろしくお願い致します」
強く念を押され、俺は苦笑いを浮かべながら頷く。頷いた俺になおも念を押し、ご丁寧にブランの鞍を外してから、バラドは空の瓶を抱えてアマロに跨った。
その念の入りように苦笑いしか浮かばない。
俺の身を案じながらも、俺のやることに口を出さないバラドには深く感謝している。
だから、背を伸ばしアマロに跨って去って行くバラドの背に「ありがとな」と呟いた。今はまだ直接言えないがこの勝負が終わったら皆に謝ろうと思う。バラドは勿論、俺の言葉通りこちらには顔を出さないルツェ達やレオ先輩にエレオノーラ先輩達。それから、殿下にも。
きっと深く傷つけてしまった人を想い、目を閉じる。
思い浮かぶのは、満足そうに『任せた!』といった時の笑顔と『何故だ!?』と叫んだ時の顔だ。
『ご主人様ぁ~?』
ブランの声に目を開ける。目の前に寄せられた顔を摺り寄せるブランは、俺を元気づけようとしてくれているようだ。すりすりと顔を寄せるブランの鼻筋を撫で、その手綱を引く。
「お前も俺も休憩だ。水でも飲んでお前も休んでくれ。バラドが戻って来たらまたお願いするからな」
『喜んでー!』
元気よく返事を返したブランの手綱を引いて、水飲み場まで移動させる。何処までも練習に付き合ってくれる気でいる優しい愛馬の首筋を、お礼代わりにポンポンと撫でた。
ヒヒーン! と嬉しそうに嘶いたブランの体を軽く拭ってやって、俺もすぐ側の柵に背を預け座りこむ。
そして並べられた障害を眺めた。
ブランなら絶対に飛べる。
それもどの馬よりも速く。
あの初対面の時の自己アピールは伊達じゃない。
他の障害を走らせた感触は今まで乗ったどの馬よりも速くて上手い。
となれば、後は猛スピードで障害に突っ込むブランを俺が信用するだけだ。
俺が恐れなければブランは飛べる。
自己暗示をかけるように、己に言い聞かせる。しかしいくら頭で考えようとも本能的な恐怖は拭えない。
確か前世の記憶では馬の最高は時速75キロ。多分、この世界の動物達は前世の記憶の中にある動物達よりも体も頑丈で能力も高い。ブランなど時速80以上は出ているのではないだろうか?
これが半端なく怖い。
生身で、時速80以上のスピードで扉一枚分ほどの隙間を2メートルの高さまで飛ぶのだ。いくら障害が木製だろうと狭い分さらにスピード感を感じるし、飛んでいる間ブランの体は45度くらいまで傾く。正直、生身な分ジェットコースターなんかよりもよほど怖い。
もう何十回とラストのオクサー障害に突っ込んだが、何回飛んでも寸前で手や体に僅かな力が入る。俺の体なら大した怪我にならないのも分かってはいるが、恐怖心は無くならない。
立ち上がり、ブランの横で俺も頭から水をかぶる。
堂々巡りの今の状況を打破するいい方法は無いものかと、煮詰まった頭を冷ますように何度も何度も水をかぶる。
槍とは違って、馬術はやればやっただけスキルを得られるから繰り返すことに辛さは無い。既に持っていたスキルに加え、スピードに補正のかかる【拍車】や【天駆ける馬】という跳躍の飛距離を補正してくれるスキルも習得出来た。馬術はやればやった分、身につくものがあり、俺が恐怖心さえ捨て去ればブランはどの馬よりも速く駆けられると知っている。
無駄な努力にはならない。
それだけ分かっていればどんなに怖かろうと、痛かろうと俺は何度でも挑戦出来る。成果など無いと知りながら、無意味に槍を振り続けた十年間に比べれば、こんなものなんてことはないのだから。
ここまでお読みいただきありがとうございました。