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第三話

ここから主人公の更正生活が本格的に始まります。

「――――それでは、新入生代表の宣誓。ドイル・フォン・アギニス!」

「はい」


 俺を呼ぶ声に落ち着いた、しかし、はっきりした発音で力強く返事を返す。そして、背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見据えながら、心持ゆったりと歩き出す。同時に、ざわめきと囁き声が聞こえてくる。その内容はどれも俺に対して好意的な物では無かったが、全て自分の所業の所為であるので、俯いたりせず真っ直ぐ歩く。

 こんな事で俯く訳にはいかないし、己の命がかかっているのだと思えば大したことはない。むしろこれだけ悪意に満ちた空気の中の方が、俺が行う予定の宣誓には丁度いい。

 王や高位貴族達用に用意された席の真正面にあるステージに向かう。特別席には心配そうに俺を見つめる父上と母上、苦い顔をした祖父が見えた。

 視線を振り切るように歩き切り、ステージの中央で俺は足を止めた。そこで練習した母に似た穏やかな笑顔を心掛けて笑む。そして、俺はアギニス家の執事長に絶賛された、形式通りの拝礼を行なった。


――――――――――――ざわざわざわ――


 頭を下げているので周囲の状況は見えないが観客を一瞬黙らせることに成功した俺は、人々に見えないようにほくそ笑む。


「(第一段階は成功だな)」


 ろくでなしのドイルが、見惚れるほど美しい拝礼をしてみせたことに周囲は困惑し、動揺しているのが空気を伝い、手に取るようにわかる。

 思った通りでなによりだ。


 目が覚めてから微熱が下がるまでの三日間で俺が立てた計画は、宣誓の際に今までの所業を反省、見逃して貰っていたことを感謝し、これからは真面目になります! と宣言するという実にシンプルなものだ。

 前世の経験上、何かやらかした場合に下手な言い訳や責任転換はご法度なのだ。ドイルのように非が己にあると分かっている場合に、最も効果的なのは素直な謝罪と目に見えて分かる改められた態度である。

 言うなれば、茶髪で制服を着崩していた奴が髪を黒く短くし、制服をキッチリ着こなして謝罪に行くのと同じである。これは、問題児であればあるほど反省を伝えることが出来る上、とても効果的なのだ。

 またよほどの事でもない限り、正々堂々真正面から謝罪されて許さないと言える人間は少ないというのもある。

 そんなこんなで人生の起死回生にシンプルな謝罪を選んだ俺は、貴族としての礼儀作法を家令に頼み込んで再度教えて貰った。俺の突然の頼みに訝しげだった家令だったが、これからは期待に応え生きていきたいという目的を話し、両親や祖父には入学式まで内緒にして欲しいと言えば、祖父の代からアギニス家に仕えるセバスはそれはもう、泣いて喜んだ。そして俺が望む通り、厳しくも優しく完璧な礼儀作法を教え導き、周囲へのアリバイ工作までやってくれた。

 セバスの教えの中で、元来高いスペックを持つ俺の体はあっという間に礼儀作法を習得し、更に【上流貴族の気品】というスキルを得た。

 ちなみ【上流貴族の気品】は発動中に貴族らしい言動を取ると、高貴な空気と印象を他者に与えることが出来るという魅了の一種らしい。

 勿論、名前を呼ばれてからずっと発動中である。

 スキルを加えたセバスお墨付きの拝礼は、思っていた通り中々の成果を上げている。中々収まらないざわめきと、未だに声を発しない国王陛下がいい証拠である。


 そろそろ首が疲れてきたなぁと思い始めた頃、ようやくざわめきが収まった。そして、静まり返った会場に低い声が響く。


「面を上げよ」

「はっ」


 動揺からか若干震えていた国王陛下の声にすぐさま答え、一拍置いてからゆっくり顔を上げる。


「宣誓を」

「はっ。光栄なお役目、ありがたき幸せであります」


 宣誓を促されたので、俺は礼を言って軽く頭を下げる。謝罪の基本は下手に出ることなのでお礼を言ってみたのだが、たったそれだけの動作で再び周囲にざわめきが広がった。「あのドイルが――」と言った声が聞こえ、思った以上に低い己の評価に笑いそうになった。しかし、謝罪をする立場で笑いだすなどあってはならないので気合で堪え、真面目な表情を浮かべ、口を開く。


「――この光栄なお役目を果たす前に、リュート・シュタープ殿に心からの謝罪を。私の様な非才な者が、身分に甘んじてお役目を奪った事を深く詫びたく思います。―――― 本当に、すまなかった」


 そう言いながら新入生の集団に頭を下げる。先ほどよりも強くなったざわめきに、小さく笑み顔を上げる。そして特別席に向き直り、こちらにも謝罪する。


「慣例を知りながら身分に甘んじ、本来このお役目を賜るべき者からこの場を奪い、貴族の名に泥を塗るような行為をしたことを皆様に深く謝罪します」


 心持先ほどよりも深くゆっくりと頭を下げる。そして返事を待たずに頭を上げ、再び口を開く。王が許すというまで頭を下げ続けるという案もあったが、この場合は王だけでなく全ての人に謝罪をする場なので待たずに宣誓を始めるという手段を取らせて貰う。


「――――許されざる行為であると知りながら奪ったこの場で、宣誓したいことがあります。どうか、最後まで聞いて欲しく思います」


 ここで一端区切り、大きく息を吸う。今にも泣きそうな表情で心配そうに俺を見つめる母と、同じように不安そうな表情を浮かべながら母の肩を抱く父の姿が見える。

 ここからが、正念場である。


「私、ドイル・フォン・アギニスは今日をもちまして、成人することが出来ました。これもひとえに私の我儘をその深い愛情で許し、見守ってくれた父上と母上のお蔭です。今日、この日を迎えられたことを嬉しく思うと共に深く感謝しております。今日まで、育てていただき、ありがとうございました」


 頭を下げて、真っ直ぐに両親を見つめる。涙を流しているのか、メリルにハンカチを手渡され、必死に涙を拭いながら食い入るように俺を見る母親の姿があった。


「わがままばかり、甘えてばかりの私に呆れることなく、いつも誰よりも私を想い愛して下さった母上の愛情を、その強さで包み守って下さった父上を、幼い私の手を握り引っ張って下さったお二人の温もりを私は一生忘れないでしょう。そしてあの日、御爺様が叱ってくださった意味も、今ならば少しは推し量れるようになったと思います。――――今まで沢山ご迷惑をおかけしました。同時に、沢山の温情と愛情をかけて下さった事を心より感謝いたしております。――――本音を言えばいつまでも甘えていたく思いますが、今日、この日より、不肖ドイルは己の足で、お二人や御爺様の背を追って行きたいと思っております。――――――生まれた日から今日この日まで、大変お世話になりました」


 一息に感謝の言葉を紡ぎ、精一杯の感謝を込めて俺は深く、深く頭を下げた。

 そして静まり返える中、再び頭を上げ微笑む。


「――――――その涙は私が共に生きる人を連れ帰るその日まで取って置いて下さい、母上。祝いの席なのですから。どうか、笑って下さい」


 俺が微笑みながらそう願えば、母上ははっとした表情を浮かべ涙を拭うと、綺麗に笑った。そんな母上を見て、父上も笑ったのを確認し、俺は再び口を開く。


「――――――私は、今日、この日を迎えるにあたり、考えました。入学式が成人式と共に行われる意味を、アギニスの姓を名乗る意味を、そして、今までの人生とこれからの人生を。そして、ようやく、覚悟ができました。その名の重さに散々逃げ回った私には、もう遅いかもしれませんが、ようやく背負って生きていく覚悟が持てたのです。【炎槍の勇者の孫】、【雷槍の勇者の息子】、【聖女の息子】、【アギニス公爵家継嗣】の名を背負って生きていく覚悟が、ようやく、私にもできました」


 そう言い切って特別席を見据えれば、何人かが息をのんだのが分かった。そして、渋い顔を驚きに染めた祖父と目が合った気がした。


「――――父上、母上、いえ、アギニス公爵、アギニス公爵夫人。不肖の身でありますが、次にまみえる時にはアギニスの名に恥じぬ男になります。そして、いつの日か。己の足で御爺様やお二人の名声や偉業に追いつき、越えていきたく思います。――――今まで、ずっと、ありがとうございました」


 万感の思いを込めて頭を下げる。今までの日々を想いながら。沢山のぬくもりと愛情を貰った。喜びも悲しみも幸福も絶望もこの人達に教えられてきた。

 あの日、前世を思い出した意味があるのなら、きっとこれだと思うから。


「どうか、お元気で。今日のこの誓いを胸に頑張りますから、待っていてください。このドイル、必ずやアギニス公爵家の名に恥じぬ男になり、帰ります。お二人の元に。――――――ですから、どうか、今日は笑って下さい」


 肩を寄せ合いながら泣く二人に笑いかける。二人は、とめどなく溢れる涙を拭うことなく、必死に笑顔を作ろうとして失敗していた。それでも一生懸命に頷きながら、ぎこちない笑顔を浮かべて俺を見る二人に、心からの笑顔を贈った。


「――――――以上を、入学式の宣誓とさせていただきます。拙い誓いを最後までご清聴いたただき、ありがとうございました」


 最後に終わりの言葉を紡ぎながら、細心の注意を払い王に拝礼する。

 何事も、締めは大事だからな。

 俺はそのまま頭を下げた状態で、王の言葉を待つ。

 静まり返った入学式の会場には僅かにすすり泣く音が聞こえていた。


「面を上げよ」

「はっ」

「――――――民を守る立場である貴族が、身分を甘んじることは決して許される事では無い。罪を犯した貴族には私は王として、それ相応の罰を与えたく思う。しかし同様に、成人前の子供の過ちを正すことなく断罪するのは王としても、一人の父親としても間違っていると思う」


 ひたりと合わされた目を真っ直ぐに見返す。高貴な方と目を合わすのは不敬になるのだが、この視線は受け止めなければならない気がした。


「過去の偉人達もそう思ったからこそ、成人前の過ちは殺人罪や反逆罪以外、不問にすると国法に定められているのだ。――――――とてもよい、宣誓であった。ドイル・フォン・アギニスよ。大儀である!」


 王のその言葉と同時に、パチパチパチと所々から拍手する音が聞こえくる。


「光栄至極にございます」

「うむ。これから、励むとよい」

「はっ。御前、失礼いたします」


 王の言葉を頂きステージから降りようと歩きだせば、今度はわぁと歓声とともに割れんばかりの拍手が会場に響いた。

 最初とは随分違う周囲の態度に惑うことなく、真っ直ぐ背筋を伸ばしてゆったり歩く。そして、ステージから降りて新入生の中に用意された席に戻る。

 いまだ式の最中だというのに周囲から様々な種類の視線を感じたが、全てを無視して、俺は席に着いた。途中、王太子殿下と目が合ったが、不自然にならないように目を逸らした。すぐ側では、セバスの孫であるバラドが若干目を潤ませて熱い視線を送ってきている。これは、後で五月蠅そうだなぁと思いながら、俺は粛々と進められる入学式に意識を集中させた。

 あー、疲れた!


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