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第二十九話

 地に頭をつけて、俺はリュートの返事を待った。これで諦めて貰えなかったらどうしようかと考えていると、蹄が地を蹴る音が徐々に近づいてきているのが聞こえてくる。同時に周囲にいる野次馬達の一部から驚きの声が上がっているのが聞こえた。周囲で何が起こっているのか確認したかったが、リュートの返事を聞く前に頭を上げる訳にはいかないので、ぐっと我慢する。

 そうこうするうちに一層野次馬達が騒いだかと思えば、ガッと蹄が地面を抉る音が聞こえた後、聞きなれた声が響いた。



「っそこまでだ!」

「グレイ殿下! お待ちください!」

「いつまでそうしているつもりだ、ドイル! さっさと顔を上げろ!」

「殿下!」


 聞こえた殿下の声に俺はそっと顔を上げる。いくらなんでもこの場で殿下の言葉を無視する訳にはいかないからな。

 そう思い顔を上げる。そして音の聞こえた後方を振り返れば、漆黒の馬に跨った殿下と鹿毛の馬に跨ったジンがそこにいた。よほど慌ててきたのか、肩で息をしながら興奮した馬を宥めている。


「殿下」

「これは一体、何の騒ぎだ!」

「いえ、これは「リュート殿に班の辞退を賭けた勝負を申し込まれたので、お断りしておりました」なっ!?」


 この場を誤魔化そうとしたリュートの言葉を遮り、俺はありのままを殿下に話した。正直に告げた俺をリュートが睨みつけるが、こいつは何も解っていない。


 馬鹿め。殿下に言い訳はご法度だ。


 殿下に隠し事などそうそうできやしないのだ。これだけ人目につく所でやっていたのだから遅かれ早かれ殿下の耳に届く。そうでなくても、殿下が求めれば周囲の野次馬達は俺達の事など簡単に売る。

 むしろ下手に誤魔化そうとすると、さらに殿下を怒らせるだけである。ここはまず一旦全てを正直に殿下に話して、その上で俺とリュート二人の問題だからといって、殿下に引いて貰うのが正しい対処方だ。


「…………合宿の班分けは学園の決定だ。不服があるならドイルでは無く、学園に抗議すべきだ」


 先ほどの荒々しい口調から一転して、冷静にリュートに告げた殿下を見て、やはり正直に話して正解だったと思った。落ち着いた様子でリュートにそう告げた殿下を見て、ジンもほっとしている。

 激昂した殿下に言い訳や嘘、黙り込むのは逆効果だから覚えておくといいぞ、ジン。

 多分、この国で一番殿下に怒られているのは俺である。その俺が過去の経験から学んだ対処法だ。効果は保証する。


「しかし、殿下! あの時、俺が宣誓していたら俺が殿下と同じ班だったかもしれません!」

「それはない」

「何故です!? 俺は中等部ではトップだったんです! 可能性は十分あります!」

「それはぁ、関係ないぞぉ?」


 リュートは殿下に食い下がっている。勇気あるなお前。まぁ、殿下はリュートが何を言った所で俺にするように怒鳴ったり、手をあげることはないだろうが、あんまりしつこくすると心証が悪くなるだけだぞ。


 そんな事を考えながら、どうやって殿下に退場願おうか考えていると、ヘングスト先生が殿下とリュートの間に割って入った。


「宣誓をやるのは中等部の総合トップだぁ。んで、合宿の班分けはぁ、模擬戦で各生徒が見せた純粋な武力で決まるからなぁ。殿下の班は一年全体で見た武力の強い奴から選ばれたんだぞぉ? 現に、アギニスに負けたシュピーツも選ばれてるだろぉ?」

「っ! しかし、ジン様は殿下の側仕えです! 主従が一緒に組むのは暗黙の了解ではないですか!?」

「それはそうだがぁ、能力によっては離れるぞぉ? 中には、一杯部下抱えている奴もいるしなぁ」

「しかし、殿下の班にはドイルの部下のバラドもいるじゃないですか! 彼は、戦闘はからっきしのはずです!」

「ローブはそれを補える情報収集力があるだろぉ? 戦地での情報は大事だぞぉ? それに、殿下とアギニスとシュピーツだけでも過剰戦力だからぁ、他の班との均一化を図る為のローブだぁ。それにシュピーツは正式に殿下の側仕えになっただけあって、中等部の武力ではトップだぞぉ? そのシュピーツを軽々下したアギニスが選ばれない訳ないだろぉ? これはアギニスを班に入れるのに反対していた先生方も賛成派の先生方に言われていた言葉だがぁ、お前はシュピーツと戦って勝てるのかぁ?」


 ヘングスト先生の少し訛りの入った話し方で「無理だろぉ?」と駄目押しされてリュートは完全に押し黙った。

 そして、悔しそうに俯くと周囲に聞こえないような小声で言った。


「くそっ。これじゃ、殿下に叙爵して貰う予定がっ」


 はっ?


 未だ地面に座り込んだ体勢でリュートの側に居た所為で、その微かな呟きは俺の耳にしっかり届いた。聞こえたとんでもない言葉に俺は真横にいるリュートの顔をマジマジと見る。


 こいつ、今何言いやがった?

 殿下に叙爵して貰う?

 その為に、殿下と同じ班になりたかったのか?

 俺が気に食わないとか、相応しくないとかじゃなくて?


 信じられないその言葉に、しばし思考が停止した。


「そうです! 武力に自信がおありなら私がお相手致します!」


 ヘングスト先生の言葉を聞いて、ジンがリュートに挑戦を受け付けると言い出した。普段ならお前は関係無いと言ってやるところだが、今の俺にそんな余裕は無かった。

 なぜなら俺は、思考が再開すると共にリュートに激しい憤りを感じていたからだ。


 此奴、俺が気に食わないとか、殿下の側に相応しくないとかじゃなくて、自分が殿下に叙爵して貰って、貴族になる為に俺に文句を言いに来たって事か? 

 中等部の総合トップって言ったって、座学や礼儀作法を含めた総合じゃないか。リュート自身の武力は中の上だ。そんな奴に殿下の命を守らせろとリュートはいっているのか?

 次々に湧き上がってくる怒りに手が震える。


 殿下の隣は出世の道具でも貴族になる近道じゃねぇんだぞ!?


「ジン。お前はだまっていろ! ドイル! お前も黙ってないで何か言え!」


 今にも馬から降りて槍を取り出しそうなジンを殿下が慌てて制止する。そして殿下のその言葉に、やっと俺の存在を思い出したリュートは俺を見た。そして目が合った瞬間、リュートはぎょっとした表情をする。


「な、なんだよ」

「リュート」


 一歩後ずさり、俺に問うたリュートは少し怯えた顔をしていた。多分、今の俺の顔は凄いことになっているのだろう。物凄く目つきが悪くなっている自覚がある。

 しかしそんなリュートに構うことなく、俺は周囲に聞こえないよう小声で問いかけた。


「お前、貴族になりたいのか?」

「なっ!」


 俺の問いかけに驚きの声を上げたリュートに、先ほどの呟きが聞き間違いではなかったことを確信した。


 こいつ自分の出世の為に、殿下の命を危険にさらそうとしてやがる!


 リュートが貴族になりたいと思うのは自由だ。現にこの学園を卒業して、功績をあげて準男爵や男爵位を授かった人達はいる。過去にはもっと上の爵位を授かった人も居る。

 ここはその為の学園だ。平民達は高級官僚や貴族になることを夢見てやってくる。だから、此奴が貴族を目指そうがどうでもいい。どうでもいいが、その為に、場合によっては命の危険もある合宿で同じ班になって、媚を売る気だったと言うのは許せない。

 殿下に媚び売りたきゃ他の時にやればいい。それこそ、頭は飛びぬけていいのだからそっち方面で己の能力を買って貰えばいい。何故、大した武力がある訳でも、戦地で役立つ能力も無いのに、合宿をその場に選んだんだ? 

 確かに合宿で活躍すれば殿下の側近に抜擢されるだろうが、此奴では無理だ。それこそ、卒業してから官僚として功績をあげた方がよほど叙爵して貰える可能性があると言うのに。


 合宿中に、万が一があった場合一体どうする気なんだこいつは!


 ふつふつと湧き上がってくる怒りに、だんだん冷静になってきた。人間怒りが突き抜けると冷静になると言うのは本当だったらしい。初めて知った。


「ドイル?」


 俺の異変を感じ取ったのか馬上から殿下が俺の名を呼んだ。申し訳ありません殿下。折角、あんなに喜んでくれたのに俺はきっと貴方を傷つける。


 でも、どうしても。

 どうしても、リュートにだけは殿下の隣を譲れない。


「――――ってやる」

「な、なんだよ」

「受けてやると言ったんだ」

「はっ?」

「お前の言う勝負を! 受けてやると言っている!」

「ドイル!」


 俺の言葉に殿下が叫んだ。しかし、そんな殿下を無視して俺はリュートと話をつける。


「此処で何の勝負をしたいんだ?」

「っははは! 勝負を、受けるんだな?」

「そう言っているだろ」

「おい! ドイル!」

「三日後の正午! この場所で、障害飛越で勝負だ!」

「承知した」

「ドイル! お前――「その代り、条件がある」」

「……条件?」


 馬上の為、声を荒げることしか出来ない殿下の言葉を遮り、俺はリュートと言葉を交わす。そして勝負を受ける代わりに、一つ条件を提示する。


「ああ。――――俺が勝ったら、二度と殿下に近づくな」

「なっ!」

「その条件が飲めないなら、勝負は無しだ」


 この条件を受けないなら勿論勝負は受けない。受ける意味がないからな。

 そう言った俺にリュートは一瞬怯んだ。貴族になることを夢見ているなら、二度と殿下に近づけないのは痛いからな。しかしリュートはきっとこの勝負を受けるだろう。ここまで騒ぎを大きくしてしまったのだ。もう引くことなど出来ない。

 それをリュートも感じ取ったのだろう。僅かに焦りを滲ませながらも、覚悟を決めた表情で頷いた。


「わかった! その条件を飲んでやる! だから、逃げるなよ!」

「お前こそな」

「お前達、何を勝手な事を!」

「約束したからなドイル! 三日後逃げるなよ!」


 俺の条件を飲んだリュートは俺の了承を聞くや否や、これ幸いと捨て台詞を吐いて野次馬達の中に走って行った。


「待て! リュート・シュタープ!」


 突然走り去ったリュートに周囲は唖然としていたが、いち早く返ってきた殿下が慌ててリュートを呼ぶ。しかし時すでに遅く、リュートは野次馬の中に姿を消してしまった後だった。


 そして、残された俺達の間に沈黙が落ちる。

 野次馬達もジンやヘングスト先生、バラドやルツェ達も皆一様に口を噤んで俺と殿下を見ていた。






「…………………………なんで、受けたんだ」


 沈黙を破ったのは殿下だった。その声はとても低く、半端ない怒りを感じる声だ。


「申し訳ございません」

「今すぐ! 断ってこい!」

「申し訳ございません」

「いいから行って来い!」

「申し訳ございません」

「行けと言っている!」


 断りに行けという殿下の言葉にただひたすら謝りの言葉を告げる。今にも泣きだしそうな声で俺に「行け!」と命じた殿下と目を合わせる。今日、初めて真っ直ぐ見た殿下の顔は悔しそうに歪められていた。

 そんな殿下の顔を見ながら、俺は静かに告げる。


「申し訳ございません、殿下」

「何故だ!?」


 真っ直ぐに殿下を見つめながら謝りの言葉を紡いだ俺に、殿下が叫んだ。ぐっと唇を噛みしめて堪えるように俺を睨みつける殿下に、胸が痛む。

 けれども俺は、どうしてもリュートが許せないのだ。殿下に幾ら言われようとも、泣かれようとも、この勝負は引けない。


 これでは最初にリュートに声をかけられた時と真逆だ。

 最初は殿下を裏切らないように何が何でも断ろうと思っていたのに、今は殿下を傷つけようとも、絶対に勝負をする気でいるなんて。


「申し訳ございません、殿下」


 そう言って俺は頭を下げた。辺りに布ずれ一つ聞こえない静寂が広がる。

 重く沈んだ空気の中で、言葉を発する者は誰一人おらず、長い静寂が続いた。




 そして長く続いた静寂を破ったのは、やはり殿下だった。


「っ勝手にしろ! もうお前など知らん!!」

「グレイ殿下!?」

「行くぞジン!」

「殿下、で、ですが――」

「そこの馬鹿は放って置け!」

「殿下!?」


 まるで子供の様な捨て台詞を吐いて、殿下は馬を走らせ立ち去った。ジンはそんな殿下の様子にどうするか躊躇していたようだが、すぐに殿下の後を追って行く。


 二頭分の蹄の音が遠ざかって行くのを俺は頭を下げたまま聞いていた。

 そして蹄の音が完璧にしなくなった後、俺はゆっくり頭を上げる。


 顔を上げた先に殿下は勿論、ジンとリュートも居ない。

 ただ野次馬達の間に、殿下とジンが馬で駆けただろう道がぽっかり空いていた。


 誰もいなくなった道を焼きつけるように見つめ、俺はゆっくりと立ち上がる。

 砂で汚れた服を軽く叩き、辺りを見回す。

 そして見つけた目当ての人に近づきながら、俺は尋ねた。


「ヘングスト先生」

「…………なんだぁ?」

「人目につかない場所と、障害飛越の道具を貸していただけますか?」

「……いいぞぉ」

「バラド」

「はい、ドイル様」


 道具の貸し出しを了承して貰った俺は、バラドを呼ぶ。心得た様にバラドは俺にブランの手綱を渡し「お手伝いします」と言ってアマロに跨った。

 同様に俺もブランに跨る。心配そうにヒヒンと嘶いたブランの首筋をポンポンと叩いて安心するように伝える。

 そして、ブラン同様不安そうに俺を見上げるルツェ達にも声をかける。


「ルツェ。お前達はここでこのままエレオノーラ先輩に指導して貰っておけ」

「しかし、」

「いいから。エレオノーラ先輩、ルツェ達をよろしくお願いします」

「………………承りましたわ。ドイル様」

「レオ先輩達もどうぞ仕事に」

「わぁったよ。治療薬用意しておくから、後でバラドにでも取りに来させろ」

「ありがとうございます」


 ルツェ達をエレオノーラ先輩にお願いし、レオ先輩にも仕事に戻る様に頼む。レオ先輩は難しそうな顔をしていたが、文句を言うことなく治療薬の準備をしておいてくれるらしい。気の利くいい部下で何よりである。


 そして、俺達の話がまとまったのを確認したヘングスト先生は、「ついてこいよぉ」と言って歩き出す。ヘングスト先生の後を追うためにブランの手綱を持てば、何も話す気がないことが分かったのか心配そうな表情をしているものの「お気をつけて」と言って引き下がったルツェ達に軽く手を振り、俺はバラドと共にヘングスト先生の後を追った。




ここまでお読みいただきありがとうございました。

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