第二十八話
「――――いい人ぶってんじゃねぇよ」
と、憎々しげな声で告げた犯人は直ぐに見つかった。解散ムードに入り、動き始めていた人々が足を止めて彼を見ていたからだ。
「中等部時代にあれだけ好き勝手やって、宣誓だって公爵家の名前使って俺から奪っといて、今さらいい人ぶってんじゃねぇよドイル。『正道を行きたい』? ふざけんな。今更そんな資格が貴様にあるか! 【槍の勇者】にもなれない、出来そこないの分際で!」
俺にはっきりとそう告げたのはリュート・シュタープ。入学式で栄えある宣誓の役を、俺が身分を笠に奪った相手である。
入学式後、彼にも直接謝罪に行ったのだが、会ってもらえなかった。声をかけようとしても素通りされてしまい、謝るも何も無かったのだ。正に取り付く島もなかった。
「入学式の件は、申し訳なかったとしか言えない。時間を戻すことは出来ないし、もう一度入学式をやることは出来ないからな。リュート殿が聞いてくれるなら、貴方の気が済むまで謝罪させて頂きたいと思っている。それしか、出来ないしな。その他の事も、リュート殿の言う通りだ。私は【槍の勇者】になれない出来そこないだし、正道を行く資格も無いだろう」
「っは! 今さらそんな態度とった所で、許せる訳ねぇだろ! 俺は、お前のような奴が殿下と同じ班だなんて認めないからな!」
ついに来たか。
ビシッ! と俺を指差しながらそう言ったリュートにそう思った。
模擬戦の班分けが発表されてから、一人二人は必ず来ると思っていたのだが、その相手がよりにもよってリュートだとは思わなかった。正直、班分けについては裏工作なしの学園側の正式な決定だ。だから、誰に何を言われても堂々としている予定だった。
しかし、異議を唱えた相手がリュートならば少々訳が違う。大勢の前でジンと戦って得た場所だ。何も後ろめたいことは無いが、リュート本人には少なくない借りがある。
さて、この場をどうするか。
結論は出ているものの、対処に困る相手に俺は頭を悩ませる。
同時に班が決まった後の殿下を思い出した。これ以上、あの人の期待を裏切るような真似も、傷つける事もしたくない。
――――――模擬戦から数日後―――――
模擬戦の後、丁度ルツェ達が【色紙】を持ってくる数日前のことだ。先触れも無く殿下はその日突然、俺に会いにきた。
「――――――あの、ドイル様?」
「何でしょうか? アマンダ殿」
「っはい! あの、教室のお外で王太子殿下がお呼びですわ」
「っ! ありがとうございます。直ぐに参ります」
同じクラスの子爵令嬢にそう告げられた俺はすぐに席を立った。
呼びつけてくれればこちらから伺うというのに、わざわざ殿下自ら会いにきて下さるなど、相変わらずな方である。
思えば昔から殿下はフットワークの軽い方だった。その所為で、襲撃者に襲われることもあったが逆にメイスで撃退するような剛胆な方である。
しかし殿下のそんな武勇伝を知っている者は、意外と少ない。昔から殿下の側に居る者達の間では有名な話だが、対外的には殿下は【穏やかで優しい王子様】で通っている。
まぁ、怒りっぽい所も、フットワークが軽い所も上手く隠していたしなぁ。
他の人には絶対怒らないのに、俺には直ぐに手も口も出していた。一時はそれを不満に思っていたが、王の近衛についている父に諭され、それが信頼の裏返しなのだと知ったのはいつの思い出だったか。
「お待たせして、大変申し訳ありません、殿下」
遠い過去の記憶を思い起こしながら、俺は廊下に居た殿下の前に跪いた。勿論、此処にくるまでにスキルも発動させている。
「――――面を上げろ、ドイル」
「はい」
顔を上げて正面から捉えた殿下の表情は明るかった。
そこに模擬戦の日の最後に見た陰りは無く、ほっとする。
殿下にメイスで殴られた後、こうして直接顔を合わせたのは初めてだ。たまたま鍛錬場近くで会ったジンが、殿下が殴ったことを気にしていたと言っていたのを聞いたくらい。
ちなみに俺はその時、十中八九ジンの言葉は嘘だろうと思った。俺の知る殿下なら、「あのくらい平気だろう」と仰るに違いないからな。
「やはり、大丈夫そうだな。相変わらず丈夫な奴だ」
「父上や御爺様で慣れておりますので」
「だよな。お前なら大丈夫だと言っているのにジンが謝りにいけと五月蠅い」
「グレイ殿下!」
そう俺に告げて、呆れた様に背後に控えるジンを殿下は見た。そしてそんな主人の態度にジンが慌てて制止するように名を呼ぶ。
俺をちらちら気にしながら必死に殿下を制止しようとする、ジンの慌てっぷりを見てやっぱりなと思う。殿下はきっと俺をメイスで殴っても心配なんかしないし、そうでいてくれないと俺が困る。
実際まともに殿下のメイスをくらったのは初めてだったが、俺なら瘤一つで済むのだ。その程度で殿下の気が晴れるなら、何の問題も無い。
「謝罪は必要かドイル?」
「いいえ。あの程度の事で謝罪など不要です」
「お前ならそう言うと思った。――――聞いたか、ジン。謝罪は要らんそうだ」
「グレイ殿下! そういう問題では――」
「本人が大丈夫だと言っているだろう? お前は心配し過ぎだ」
「しかし――」
突然始まった二人の掛け合いに、おや、と思う。殿下が珍しく上機嫌なのだ。
近しい相手に限るが【穏やかで優しい王子様】がこういったからかうような物言いをして相手の反応を見る時は、機嫌がいい時である。
「何か言いたげだな、ドイル。やはり、俺に謝って欲しいのか?」
そう楽しそうに笑いながら俺に告げる殿下は、本当に珍しいくらい上機嫌だ。
「――いえ。謝罪は不要です。殿下がとても楽しそうでしたので、珍しいと思いまして。何か良い事でもございましたか?」
「えっ!?」
素直に殿下に上機嫌の理由を尋ねれば、ジンが驚いたように殿下を見る。一方、殿下は気分の高揚を見抜かれて恥ずかしかったのか、ジンをからかうのを止めて俺に視線を移した。その頬はうっすらと赤く染まっており、どうやら照れているらしい殿下の姿に内心で驚く。照れた殿下など片手で数えられるくらいしか見たことがない。
「………………そんなに、判り易かったか?」
「ええ、まぁ。殿下が人をからかわれたりする時は、大抵上機嫌な時ですので」
「そうだったか?」
「そうでしたよ?」
滅多に見ない殿下の姿に驚きつつ、昔からの癖を教えてやれば殿下は照れくさそうに笑った。その笑みによほどいいことがあったのだと推測される。離れているとはいえ人目がある廊下だからかもしれないが、昔の殿下なら照れ隠しに手か言葉が出る場面だ。だと言うのに、手や言葉が出る所か嬉しそうに笑ったと言うことは、怒るのも忘れるほどいいことがあったのだろう。
一体何が殿下の気分をこれほどまで高揚させているのか、最近クレアに何かあったかなとか殿下が喜びそうな事柄を考えつつ、じっと殿下を見つめながら言葉を待った。
「――――さっき合宿の班分けが発表された。俺と、お前と、ジンとバラドだ!」
どうだ凄いだろう! といった口調で班分けを告げ、「だから、先輩をどうするか聞きに来たんだ」と嬉しそうに言った殿下に俺は言葉が声にならなかった。
ほんっとうに、この人は!
同じ班になったことをここまで喜んで伝えにきてくれた殿下に、俺はなんと返事を返していいか分からなかった。『待っている』と言ってくれた時も思ったが、この人はちょっと優し過ぎる。
そんな殿下をジンも何処か嬉しそうに見ている。「楽しみですね! ドイル様」というジンに揃いも揃って人が良過ぎると言ってやりたい。
ただ、今、口を開いたら震えた声しか出ない気がする。
「それで、お前は合宿で組む先輩に充てはあるのか? 居ないなら俺が探してもいいが、どうする?」
何処か浮ついた雰囲気で俺に問いかける殿下に、返事を返す前に大きく息を吸い込む。
落ち着け、俺。
今はまだ、殿下の隣に手をかけただけだ。
初回の班分けなんて合宿で何かあればすぐに替えられる。
この場所を確かな物にするには一年間はこの場所を守り切らなければ意味がない。
喜ぶのは、まだ早い。
自己暗示をかけるように己に言い聞かせる。
ここまで喜んでくれる殿下の期待を裏切らないように、俺はこの場所を守り切らなければいけない。
「……殿下」
「なんだ?」
「先輩の件ですが、お誘いしたい先輩が居るんです。薬学科の――」
「レオパルド・デスフェクタか」
「ご存じで?」
「王宮にも噂は届いていたからな。パルマ・ルメディの再来かと貴族達が話していたのを聞いたことがある」
「近い内に口説きに行く予定ですので、上手く行ったらレオパルド先輩に薬科の先輩を紹介していただこうかと」
「ふむ。近距離は俺とお前、中距離はジン、情報収集はバラド、そこに治療師ならバランスは悪く無いな。遠距離は、俺もお前もジンも多少魔法が使えるから専門家が居なくてもそう困らない。ジン。お前はどう思う?」
「いいと思います。殿下とドイル様がいらっしゃればそうそう後れを取ることは無いでしょうし、あの治療師の先輩が居て下されば大丈夫だと思います。腕も凄く良かったです」
「そうだな。では、その先輩にお願いしよう。一人で大丈夫かドイル?」
「ええ。秘策もあるので、大丈夫です」
「では、頼んだぞ?」
「お任せください。必ずや、レオパルド先輩を口説いて連れてまいりますので」
「任せた!」
そう言って嬉しそうに頷いた殿下は、とても満足そうな表情をしていた。
あの日の殿下を思えば、此処でリュートに認めないと言われたところで「はい、すみません」と言って班を辞退する気は無い。ここ数年側に居なかったから、確かではないが、俺が覚えている限り、あんなに上機嫌な殿下は初めて見たのだ。
人目を省みず、先触れや呼びつけるのも忘れて、同じ班であることを喜んで伝えにきてくれた殿下以上に守りたいものは無い。
あの人の期待に応えたい。
例え、リュートに恨まれたままであろうとも。
借りは返すと言ったが、それは別の形でだ。あんなに喜んでくれた殿下の隣は譲れない。それに、クレア王女に迎えに行くとも言った。
たった二人の幼馴染の期待くらい応えてみせたい。
「俺と勝負しろ! ドイル・フォン・アギニス! 勿論、負けたら班は辞退して貰う! 勝負方法は――――「お断りします」」
「はぁっ!?」
「お断りしますと申し上げている」
ポカンといった表情のまま固まった、リュートには悪いが、この勝負は断る。誰になんと言われようとも断る。それこそ、殿下にやってやれとでも言われればやるが、そうじゃなきゃ何が何でも断る。
「なっ! 逃げるのか!? 卑怯者」
「何と言われようとも、結構です。お断りします」
あんなに喜んでくれた殿下を裏切ることに比べたら、リュートに恨まれようと卑怯者と罵られようとも構わない。殿下にもリュートにも納得して貰える方法を取れればよいのだが、未熟な俺にはどちらかしか選ぶことが出来ない。それならならば俺は殿下を選ぶ。
…………父上やお爺様を越えてみせるといったくせに、なんて不甲斐無い。
しかし、それが今の俺の実力だ。この国の全てを守る【英雄】達にはまだまだ遠い。
「何故、逃げる!」
「逃げてる訳じゃありませんが…………。そもそも、班分けは模擬戦の結果を見た学園の決定です。私はジン殿と正々堂々と戦ったし、勝ちました。その結果、学園側が俺を殿下と同じ班に選んで下さったんです」
「宣誓を俺がやってれば選ばれたのは俺だ!」
「宣誓と模擬戦は別物でしょう? 確かに宣誓をすれば王侯貴族に顔を覚えて貰えますが、模擬戦の結果とは関係ありません。私が宣誓をリュート殿から奪ったのは周知の事実ですから、貴方が中等部のトップであることは周知されています。宣誓の件で貴方が得ることの出来なかった面繋ぎは、お望みならば私がどうにか致します。平伏して謝れと言うのならそう致します。それでも、気が済まないと言うのなら、気が済むまでこの身を痛めつけて下さっても結構です。私に出来ることなら何でもやりましょう」
そう言って、リュートの正面に立つ。
そして俺は、そのまま地面に正座した。
「――――――しかし、班を辞退する事だけは出来ません。学園側からの変更ならば素直に受け入れます。しかし、決して私は、自分からは辞退、致しません。身勝手な事も、相応しくない事も、重々承知しております。―――――しかしそれでも私は、叶うなら殿下の隣で、その背を守りたい。ですから大変申し訳ありませんが、班の辞退を賭けての勝負は御請けできません」
そう告げて、俺は両手を地面に付けて平伏した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。