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第二十七話

「それでは、まずは常歩から! ――――そうしましたら、次は速歩! ――――――そうそう、いい感じですわ。そのまま駈歩!」


 先輩の号令に合わせて馬を走らせる。四本の足が交互に着地する四拍子の常歩から始まり、小走り位の速度で人間同様に交互に足を動かせる速歩、三拍子感覚で走らせる駈歩と、先輩の声に合わせて馬を走らせていく。


「ラストは襲歩!」


 そして馬を全力で走らせる襲歩。

 『待ってました!』といった様子で一気に駆けだした馬達はお世辞抜きに速い。中でもブランは別格だった。同じタイミングで走り出したにも係わらず、既に先輩方やバラド、ルツェ達が走らせる馬より、胴体一つ分抜きんでている。


「―――――――はい! そこまで! 一度此処に集合!」


 先輩の声にブランを止める。手綱は引かない。腰をすっと張るだけでブランは足を止めた。折角の全力疾走が思いの他早く終わってしまい不満そうなブランの首筋を撫でてやれば、それだけでこの白馬は機嫌を良くした。

 単純で何よりである。


「アギニス様の白馬は速いですね。ローブ殿の月毛やルツェ達のクルース、プルス、フルウムも皆いい馬です。全員もう本登録は済ませたんでしたっけ?」

「はい。ブランと名付けました」

「私はアマロと」


 俺が単純なブランを愛でていると、そう言いがらクリス先輩が近づいてきた。本名をクリス・ヴァンカートといい、腰の両側に立派な片手剣を二本提げた双剣を得意とする先輩だ。


「いい名前ですね。それに五人とも馬との相性もいい。馬が友好的ですし、よく言うことを聞いている」

「はい。私もブランを気に入っています」

「私もです」

 

 俺やバラドが気に入っていると言ったのが嬉しかったのか、嬉しそうに嘶いた二頭に笑みが零れる。


 昨日ヘングスト先生が仰った通り、ブランは素晴らしい良馬だった。乗り手の事を考え走ってくれるので揺れは少ないし、俺の指示に忠実だ。足は速いし、激しい自己主張もスキルさえ使わなければただの嘶き声なので気にならない。なによりブランは自己アピールこそ凄いが、非常に扱い易く単純な馬だった。多少アピールをしたがる面があるのでこうやって不満そうな態度を見せることも多いが、撫でたり褒めてやればご機嫌である。

 出会った当初とは違い、ブランとの出会いを今は感謝している。目立つ体躯も気にならない程、魅力的な馬なのだ、ブランは。



「昨日ルツェ達にも言ったんですが、本登録を済ませてしまったのは大正解ですよ」

「私もそう思います」


 ブランやアマロを見て感心したように頷いているクリス先輩に、俺も素直にそう返した。


「ドイル様ー! クリス先輩ー!」

「行きましょうか」

「はい」


 しみじみとブランの良馬っぷりをクリス先輩と話していたら、ジェフからお呼びがかかった。良く響くジェフの声に苦笑いを浮かべながら、クリス先輩とバラドと共にルツェ達の元へ向かう。途中、大きな声に驚いた初心者用の馬達が、馬牧場の職員や先生方に宥められているのが見えた。

 初心者用に用意された馬達は総じて気性が大人しい。元々繊細な馬の中でも大人しい馬達にジェフの大声は刺激が強かったのだろう。

 幸い此処は初心者達を指導しているスペースから少し離れているので、落馬事故は起こらなかったがジェフには厳重な注意が必要だ。怪我人を出してからでは遅い。

 戻ったら厳しく言い含めなくてはと、考えながらジェフ達を見据えているとその後ろから見慣れた金髪の先輩を先頭に数人の先輩達が、ジェフ達に近づいてきているのが見えた。


「ドイル様。あの方達は」

「レオ先輩達だな…………」

「あっ! ジェフが殴られた!?」


 会話の内容は分らないが、レオ先輩がジェフに鉄拳を下し、何事か言っている。ジェフは頭を押さえつつレオ先輩に謝っているが、突然現れたレオ先輩達に対して、ルツェ達の側に居た先輩がくってかかっている。


「ドイル様」

「分っている。行くぞ、ブラン」

「待て待て、俺も行く!」


 バラドの呼びかけに、俺達は険悪な雰囲気になりつつある彼らの元に急いで戻った。






「其処の馬鹿が大声出して、馬を驚かすから注意しただけだ!」

「それでも、急に殴るなど常識外れです! ジェフだって悪気があった訳じゃないんですから、ちゃんと注意すれば分ります!」

「エレオノーラ先輩。俺は大丈夫ですから」

「いいえ! 大丈夫ではありません! 貴方は、この男に理不尽に殴られたのですよ!? 断固抗議すべきです!」

「相変わらずうるせぇ女だな! 本人がいいつってんだから、てめぇには関係ねぇだろ!」

「いいえ! 関係あります! 私達はこの子達と班を組む予定なのです! 当然、彼らは私が守るべき同じ班の後輩ですわ!」

「だから! ――――」

「何をなさっているんですか。先輩方」


 言い争っているのはレオ先輩と、魔術科のエレオノーラ・フォン・メッサー先輩だった。そんな二人の間に【上流貴族の気品】を発動させブランに跨ったまま声をかける。乗馬中ということで発動したスキルの空気に二人はぴたりと口を噤んだ。

 そんな彼らにルツェ達や薬学科の先輩方、それからもう一人ルツェ達と組んで下さることになっているイザーク・シュミットという両手剣を背負った先輩がほっとした表情で俺を見た。


 先輩方の注目を集める中、俺は優雅に見えるようゆっくりとブランから降りると、追いついたバラドにブランの手綱を託し二人の元に歩みよる。

 スキルの影響か俺の怒りを感じ取ったからなのかは分からないが、跪いた二人に俺は心持ち穏やかに微笑む。


「それで? お二人の言い分は?」

「いや、ドイル様。此処には初心者ばっかしだしよ、馬も大人しいのばっかりだからあんな大声出しちゃ、落馬とかして危ないだろ? 俺は、一応救護班の代表だし注意しなきゃいけねぇだろ?」

「そう仰るレオ先輩のお声も結構な声量でしたようですが?」

「あ、いや、それは、この女がつっかかってくるから!」

「ちょ、男の癖に、私の所為にする気ですの!? そもそも口で注意すれば済むことを貴方が、殴ったりなさるから!」

「お二人とも、お静かに」

「「はい!」」


 取敢えず喧嘩の仲裁の基本として二人の言い分を聞こうと思い尋ねたのだが、聞いている途中でレオ先輩とエレオノーラ先輩が再び言い合いを始めたので無理やり黙らす。そんな俺達のやり取りを、またやっているよと言った感じで二年生の先輩方が見ていた。

 

 そうか、この二人は常習犯なのか。

 

 周囲の先輩方の表情を見て的確に二人の関係性を見抜いた俺は、その場で二人の根本的な和解を諦めた。この言い合いが日常茶飯事だと言うのならきっと二人は根本的に合わないのか、何か深い因縁があるのだろう。

 徐々に騒ぎを聞きつけた野次馬達が集まるこの場で、二人に付き合って敢えて見世物になる気は無い。取敢えず、この場は強制的に全員に謝らせて無理やり収めて、後でどんな関係なのかを調べてこの二人の対策を決めよう。今後、エレオノーラ先輩はルツェ達と居ることが増えるだろうし、レオ先輩が俺の部下である以上、必然的に二人の接点も増える。今後もこの調子で顔を合わせる度に繰り返されてはたまらないからな。


 二人の対策を早急に立てることを心に決め、取りあえず今はこの場を収める為に動くことにする。その為に丁度目があったジェフを呼び寄せる。本人は嫌がっていたようだが、ソルシエとルツェに押し出される形でジェフは俺の元にやってきた。

 そんなに怯えなくても大丈夫だ。別にとって食いやしない。


「まず、ジェフはお二人に謝れ。お前も、自分の行動が良くないものだったことくらい分かるだろ?」

「………………はい」

「なら、謝罪しておけ。レオ先輩の言う通り、怪我人をだしてからでは遅いのだから」

「はい」


 呼び寄せて諭せばジェフは素直に頷いたので、ジェフを連れて二人の元に行く。天真爛漫という言葉が似合うジェフは時々考えなしな行動をとることがあるが、こういった素直な所は美徳だと思う。


「レオ先輩」

「…………なんだ」

「この度は、私の部下が事故の原因をつくるような真似をして、申し訳ありませんでした。本人もこの通り、深く反省しておりますので、今回はお許し願えませんでしょうか?」


 俺がそう言って頭を下げれば、どこかから息をのんだ音が聞こえた。


「なっ!?」

「ほら、ジェフも一緒に謝るんだ」

「っは、はい! 申し訳ありませんでした!」


 そう言って謝ったジェフと共に再び頭を下げる。後輩の罪は先輩の責任。俺の部下が不祥事を起こしたなら、上司の俺がまず最初に頭を下げるべきだろう。管理職は何かあった時に責任を取るのが仕事だ。

 それに俺が先に謝る方が、いくら言葉を重ねて説得するよりもレオ先輩には効くだろう。


「~~わかったよ! 俺も殴ったりして悪かった! まず、手を出す前に口頭で注意すべきだった! すまない! だから、いい加減頭を上げろ! ――――――ああ。畜生! 主人に頭下げさせた上に、年下に先に謝らせるなんて、これじゃ、俺が悪者みてぇじゃねぇか!!」


 頭を下げて謝った俺とジェフに、慌てて駆け寄りそう告げるレオ先輩はとても悔しそうな顔をしている。だろうな。兄貴肌のレオ先輩が、後輩にムキになって怒って先に謝られるなんて、許せないよな。

 取敢えず、レオ先輩はこれで解決と見ていいだろう。大人げない態度を取ってしまったことに悶えるレオ先輩はもう大丈夫。そう結論づけて今度はエレオノーラ先輩に向き直る。

 俺に倣ってジェフもエレオノーラ先輩に向き直れば、少し不安そうにエレオノーラ先輩が俺達を見たので安心してもらえるように柔らかく微笑みかける。こういった時、母上の笑みを真似ながら微笑むのがコツである。


「エレオノーラ先輩」

「な、なんでしょう!?」

「この度はジェフを庇っていただきありがとうございました。先輩のような後輩想いの方と合宿の班を共にできるルツェ達は運がいい。私も先輩のような方になら、安心して三人を任せられます。今後も、三人をよろしくお願い致します」

「お願いします!」


 そう言って、レオ先輩にしたようにエレオノーラ先輩にも頭を下げてお礼を言う。ここでレオ先輩の非を謝るのは違う気がした結果だ。

 それにどんな因縁があるにしろ、ジェフの為にレオ先輩のような怖い見た目の人間に貴族令嬢があそこまで食い下がってくれた心意気は素晴らしかった。元々二人の関係があんな関係なのかもしれないが、後輩の為にあそこまで怒ってくれる人ならば、三人を預けるに十分な人柄である。

 ついでに言えば、これで三人とエレオノーラ先輩達の班を決定したいという下心もある。先ほどレオ先輩と言い合う中で、エレオノーラ先輩自らルツェ達と班を組むと言っていたが、俺からもお願いすることで駄目押ししたかったのだ。エレオノーラ先輩達にも、周囲の人々にも。


「頭をお上げ下さい! ドイル様! そのようにドイル様が頭を下げられなくとも、三人は私にとって可愛い後輩です!」

「でも、昨日出会われたばかりでしょう? 私などは社交界以外では今日が初対面ですし」

「時間など関係ありませんわ! ルツェ達は私が合宿で組む可愛い後輩です! ドイル様にお願いされるまでもなく、三人の命はエレオノーラ・フォン・メッサーの名に懸けて、しっかりと守って差し上げる所存です!」


 胸を張ってそう言い切ったエレオノーラ先輩はとても綺麗だった。その姿を見て、この人なら大丈夫だと思う。それに、仮にも貴族令嬢が己の名に誓ったのだ。裏切るような真似はしないだろう。

 貴族にとって家の名がどれだけ重いかを、俺は身を持って知っている。


「関係ねぇつって悪かったな。今回は、俺も言い過ぎた。すまなかった」

「…………私も謝罪致しますわ。貴方が注意する前に、私が後輩を窘めるべきでしたのに怠りましたわ。申し訳ありませんでした」


 レオ先輩も許してくれたし、エレオノーラ先輩も力強く宣言してくれた。それに、二人も今回はこれにて終戦してくれるようだ。


 辺りを見回せば結構な野次馬が集まっていた。その中にはヘングスト先生の姿まであって、なんだか気恥ずかしい。ああいった温かく見守ってくれる目は苦手なのだ。


 そして、その中でルツェとソルシエはクリス先輩とイザーク先輩に改めて頭を下げているようだった。こちらも上手く纏まったようでよかった。これで、ルツェ達は心配ない。


 そして、バラドは…………うん。

 彼奴はいつも通り、恍惚とした表情でこちらを見ていた。何時もと違う点があるとしたら、そのバラドの両サイドに居るアマロとブランも一緒になってこっちを見ている事だろうか。ブランは元々だからまだしもアマロまで目を輝かせているのは勘弁して欲しい。

 着々とバラドに染まりつつある月毛の馬に戦慄を覚えた俺は、そっと彼らから目を逸らした。








「――――いい人ぶってんじゃねぇよ」


 上手く纏まり、周囲の野次馬達も解散ムードに入り始めた瞬間。

 憎々しげな声でそう言った声がハッキリとその場に響いた。




ここまでお読み頂きありがとうございました。


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