第二十五話
俺の目の前に立つ白馬は他の馬よりも一回り大きく、見るからに立派な体躯をしていた。毛並みも手入れが行き届いており、艶やかに輝いている。シミひとつ無い純白の体は、どんな遠くにいても一目で分かりそうだ。これだけ見事な白馬はいままで見たことがなく、競りに出されれば過去最高額が出るのではないだろうかと思うほどいい馬である。
『漸く見つけましたご主人様! 貴方を一目見た時から、貴方を乗せるに相応しい馬は俺しか居ないと思いまして! こうしてお姿を探し駆け付けた次第です! 馬をご所望なら、是非俺に!』
そして、その文句のつけようも無い見事な白馬は俺を見ながらそう早口に捲し立てると、四本の足を折って頭を下げた。そのつぶらな瞳は期待に満ちていて、『さぁさぁさぁ! 俺がどの馬よりも早く駆けてみせますよ!』と言っている。正直、初対面の馬にここまで献身的かつ従順に従僕されて、俺の心はさざ波のように引いている。
しかし、【馬の気持ち】のスキルを持たない四人は違う印象を持ったらしい。
「おぉー! 流石ドイル様!」
「綺麗。あんなに綺麗な馬に選ばれるなんて凄いです、ドイル様」
「ふむ。見た目といい、輝きといい、ドイル様が乗るに相応しい馬ですね」
「見るからに立派な白馬が自ら足を折って乗られるのを待つなど、流石ドイル様! ドイル様の魅力をもってすれば、人間のみならず馬さえも跪かせるのですね! 思い起こせばドイル様は昔から動物にも好かれやすく――――――!」
「跪いたってことは、ドイル様を見初めて追ってきたのか? 忠義にあつい馬だな!」
「王子様の足となり駆ける白馬。物語の定番です」
「あの馬ならばドイル様の足を引っ張ること無く、十二分にそのお役目を果たせましょう」
上から、ジェフ、ソルシエ、ルツェ、バラド、ジェフ、ソルシエ、ルツェの順である。
どいつもこいつも俺が見事な白馬に跪かれているという現実に、いたく感動している。確かに、見る分にはお伽噺の様な光景ではあるが、残念なことに内情は彼らの想像と大幅にかけ離れている。
ジェフの言う忠義にあつい馬でも、ソルシエの言う王子様の足になり駆ける白馬でも、ルツェのいう戦いに適した馬でも無い。いや、確かに能力は高そうだし、忠義もあついのだろう。…………あつすぎる気がするが。
というか、
俺はこの白馬にするなど一言も言って無い!
俺の馬はこの白馬で決まり、みたいな空気が漂い始める中、最後の抵抗として心の中で叫んでみる。
しかし、あれほどいた周囲の馬達でさえも『なんだー、銀のご主人様なのー?』『狙ってたのにー』『ちぇー』といって散っていってしまい、自然と俺の周囲に居る馬は目の前で跪く白馬だけになってしまった。
『さぁ! ずずいーと! 俺に乗っちゃってください! ご主人様!』
馬の癖に尾をパタンパタンと地面に叩きつけつつ、そう嘶いた白馬に俺は持っていた己の馬に対する色んな希望を諦めた。どうやら俺は大人しく従順な馬では無く、自己主張の激しい忠義にあついこの白馬を選ぶしか道は無いようだ。
この白馬が現れた途端、譲るように道を開けて俺を諦めた馬達の様子を見るに、この白馬は馬達のリーダー的存在なのだろう。実際、白馬の体は他の奴よりも一回り大きい。
そして、『貴方を乗せるに相応しい馬は俺しか居ないかと思いまして!』と言っていた白馬の言葉から察するに、この白馬は自分以外の馬に俺が乗るなど許さないだろう。
そんな情熱を、俺を見つめるつぶらな瞳からヒシヒシと感じる。
「ドイル様」
「なんだルツェ」
「僭越ながら。バラド様はお忙しそうですから、鞍をつける手伝いが必要ならば私がお手伝い致しますが?」
「大丈夫だ」
目の前に跪く白馬に鞍をつけようとしない俺に、ルツェがそう言ってくれた。別に馬に鞍をつけるくらい出来るのだが、この白馬に跨る勇気が無かっただけである。一度鞍を乗せたら最後、この白馬は決して他の馬を俺に近づけない気がしたのだ。
きっと、この馬にクーリングオフは効かないだろう。
確かな確信と共にそう悟った俺は、出そうになる溜息をのみ込んで渋々白馬に手綱を付け、鞍を装着していく。
手綱をつける際、きらきらした目で嬉しそうに嘶いたので鼻筋を撫でてやれば『ご、ご主人様!』と言って感動に打ち震え始めた白馬は、確実にバラドと同じ属性だなと思いながら、手早く鞍も装着した。
「乗るぞ」
『はい! 喜んでー!』
前世の記憶を刺激する微妙な返事を返した馬に無言で跨れば、白馬は俺を乗せたまま軽々と立ち上がった。俺を乗せたまま大した振動もあたえず軽々立つなど、予想以上に素晴らしい脚力をこの白馬は持っている。あの自信過剰は伊達では無いようだ。
グンと一気に高くなった目線に姿勢を崩さないように体勢を整える。同時に、予想を上回る良馬に自然と笑みが浮かんだ。
その後、馬装に不具合は無いか確かめながら数歩白馬を歩かせる。問題が無かったことを確認して振り返ればジェフ達が感動したように俺を見ていた。
「おお! カッコイイです、ドイル様!」
「本当です。まるで絵本のワンシーンみたいですよ」
「白馬の持つ輝きが更にドイル様の輝きを引き立てて、とてもお美しい」
「…………そうか」
ジェフ達の言葉にそう言えば俺って容姿がいいんだよなぁ、と改めて思う。あの二人の遺伝子を継いだ俺が不細工な訳は無いのだが。
あの父上の男前さと母上の美女っぷりを思えば当然と言えば当然だ。【雷槍の勇者】と【聖女セレナ】は若かりし頃、それはもう引く手数多だったという話もよく耳にする。
当然、そんな人気者だった二人から生まれた俺は勿論文句無しにカッコイイ。いや、自意識過剰とかで無く、真面目に容姿が整っているのだ。淡い金髪に、鍛えられた体と父上に似た精悍な顔、更に母上譲りの紫色の瞳。そんな完璧な容姿の俺が白馬に跨れば、それはそれは絵になるだろう。
白馬がこいつで乗っている王子様役も俺では、両方中身が残念極まりないがな。
黙っていれば完璧な白馬と俺に感動しているこいつらが一生【馬の気持ち】を取得しない事を祈る。彼らが白馬の中身を知ったら、確実に夢が壊れるだろう。
部下達が胸を張って誇れるように、自慢の主でいてやるもの貴族の役割の一つである。
「白馬に跨るその凛としたお姿に、バラドの胸は感動に打ち震えております! いとも簡単に私達に良い馬を紹介してくださっただけでなく、ご自身もこんなに素晴らしい白馬を従えられて! ドイル様の隠された才能を知れば知るほどバラドは――――――!」
折角先ほど回避したスイッチが結局入ってしまったバラドを横目に、この後どうするか考える。なんだか最近バラドの称賛が始まると、とても思考に集中出来る様になった気がするのは気の所為だろうか。
ちなみにバラドの更生はとっくに諦めている。俺には真の意味でバラドを使いこなすことは出来ないと確信している。俺には無理だ。この手綱を握れる者が居たら、さぞや名のある調教師になれるに違いない。
それよりも、この後どうするかだったな。
いつか名調教師が現れてくれることを祈りながら、俺は現実を見ることにした。
現在の選択肢は三つ。
一つ目は、このまま馬達にこの辺を走らせて時間ギリギリに戻る。
二つ目は、馬達を連れて先に登録を済ませてしまい、その後、最初に居た辺りで先輩方や先生方が指導しているはずなのでそこに混ぜて貰う。
三つ目は、馬達の登録を済ませ、寮に帰って集合時間まで休むと言うものである。
正直、三つ目が一番魅力的ではあるが、更生中の俺が一番選んではいけない選択肢である。別に怒られる訳では無いが、馬と交流する為にある期間に馬と最低限の交流しかしないのは心証が悪い。この一週間は全ての時間を馬に費やした方が、先生方の心証もいいだろう。
それにこの一週間には馬を得る以外にも、先輩達と交流を深め合宿で組む相手を決めると言う役割があると俺は思っている。
この学園の仕組み上、今度行われる合宿の一年生の班は既に決められているが、二年生は自由。つまり、同伴して貰う先輩は自分達で決めるのである。勿論、組む先輩が決まらなかった者達は余っている先輩達の能力を学園側が考慮し、先生方が各班に振り分けてくれる。
とはいえ、命の危険さえある合宿だ。出来るだけ自分の手で組む相手を決めたい、と言うのは当然の流れである。貴族であっても平民であっても。
しかし個人で勧誘となると、家柄や将来の人脈として貴族出身の者達に大きなアドバンテージがある。その為、俺達貴族は今、自由行動を名目に先生方や先輩方から引き離されたのだ。
つまりこの時間は平民出身の者達の為に、学園側がよりよい先輩をゲットする為に用意してあげたボーナスタイムなのだと俺は考えている。
それらの事象を考えるに、二つ目の案が最良だろう。俺やバラドは組む先輩が決まっているが、ルツェ達はどうか怪しい。他の貴族やその縁者や部下達が戻ってくる前に戻って、いち早く先輩達と面繋ぎしておくべきである。
こういった類の選考基準には将来を見据えた損得勘定もあるが、最終的にはその先輩にとって可愛い後輩であるかが最後の判断材料として重要だと、俺個人は思っている。
三人は一応俺の部下という括りで見られているので、組む相手が居ないということは無い。俺の評価を差し引いても、アギニス公爵家と係わりを持ちたい者の方が多い。そうでなくても、三人の実家はとても魅力的だ。しかし、そんな損得勘定ですり寄ってくる者達に、三人の命を預けさせるのは不安が残る。
どうせなら、ルツェ達には可愛い後輩の為にひと肌脱いでやろうという気概ある先輩方と組んで欲しい。そう思ってくれる先輩達なら最悪の事態に陥っても、後輩を置いて逃げると言った真似はしないだろうからな。
最終手段として、レオ先輩に人柄を考慮して紹介して貰うという手があるが、三人が組むなら薬学科よりも剣や槍と言った前衛職を生業にしようとしている先輩達の方が能力的に好ましい。ルツェは、知略は得意だが実践の方は心元ないし、ソルシエは魔道具を主に戦うので時間が掛かる。ジェフはハンマーを使う為、威力はあるが命中率は低いからな。三人が組むなら、時間稼ぎや足止めをしてくれる前衛職の先輩がベストだ。
そして今なら、同様に先輩を口説こうとする邪魔な他の貴族達は居ないのだ。こんな好都合なことはそうそう無いだろう。
他の貴族が気にかけていると言うだけで、興味を持つ貴族は沢山いる。彼らは人が欲しがるものには何らかの価値があることを知っている。そしてその価値が理解できずとも、手に入れてから考えればいいという考えを持っている者も少なからずいる。
となれば、学園側がご丁寧に邪魔者を排除してくれている今こそが好機。一刻も早く戻った方がいいだろう。こうしている間にも平民出身の同級生達は先輩達と交流を深めている。
短期間といえ、一生懸命努力する様子を間近で見ながら教えてやった初々しい後輩は、先輩方の目にはさぞ可愛く映るに違いない。先輩の人柄がいいなら尚更。打算的な思考では無く、人情や優しさで組む後輩を選ぶような善良な先輩達は、誰だって欲しい。いざという時、頼りになるのはそう言った芯の強い人間だ。
何より俺が、大切な部下を任せるならそういった先輩方がいい。
「いい加減戻ってこい、バラド! 戻るぞ!」
「――――! はっ!? 何かご用でしょうか、ドイル様!」
「急ぎ戻って、馬の登録を済ませる。その後は、馬術の指導をしている組に混ぜて貰いにいくぞ!」
「えー? 折角馬を捕まえたんですから、その辺走って行かないんですか? 先生も俺達は好きにしていいって言ってましたよー?」
「だから戻るんだ、ジェフ。――――それに今戻った方がお前達の為だ」
「私達の為ですか?」
結論の出た俺は至急バラドを現実に連れ戻し、帰還を告げた。しかし、それにジェフが不満の声を上げたので諭せば、ソルシエが不思議そうに尋ねてくる。
「ドイル様。何やら熟考されていたようですか、矮小な光しか待たない私達には、ドイル様の様に光り輝く方々の思考は測りかねます。つきましては、その深いお考えを私達にも判るよう教えていただけませんか?」
そして、珍しくルツェも俺の意図が分らなかったのか、すまなそうな顔で尋ねて来た。商品だけでなく人材も扱うヘンドラ商会のルツェがこういった意図に気が付か無いとは珍しい。こういったことに関しては鼻が利くのがルツェなのだが。
優秀なルツェでも流石に、馬を己で捕まえると言うのは不安だったのだろうか?
学園側の意図に全く気が付いていない様子のルツェを見て思う。ルツェでこれなら、他に気が付いている貴族はほぼいないと見ていいだろう。
「馬はもう捕まえたからな。今度は先輩を捕まえに行くんだ。馬と一緒でいい先輩は早い者勝ちだからな」
「……………………? はっ!? まさかこれは、そういうことですか!? ドイル様!」
「でなきゃ、貴族と一緒に貴族の関係者達まで隔離する意味が無いからな」
そう言いながら頷いてやれば、俺の言葉を理解したらしいルツェが衝撃を受けたような表情を浮かべた。これだけのヒントで察するとは、このルツェもつくづく優秀な男である。
「なぁ、どういう事だよ? ルツェ」
「説明して下さい、ルツェ」
表情を変えたルツェに不安になったのか、ジェフとソルシエがルツェに答えを求めた。その表情には僅かに不安が滲んでおり、それを敏感に感じ取った馬達もそれぞれの主人を不安そうに見やっている。
「つまり、これは『馬を得る』と言うことを名目とした、学園側の隔離策だと言うことです。今、こうしている間にも馬に乗れない平民出身の同級生達は馬の扱いを教わりながら、先輩達とも交流しているのです。人材の青田買いに熱心な貴族を差し置いて、かつそれを貴族関係者にも悟らせること無く。今、貴族やその関係者達は私達のように主人にあたる貴族の方に連れられて、より良い馬を選ぶことに熱中しています。そして、お気に入りの馬を見つけるのは早くとも数日かかるでしょう。これだけ良馬を揃えられては馬を見る目がある者達ほど目移りして、決めかねてしまいますからね。ドイル様は貴族やその関係者といった邪魔者が居ない今のうちに、私達が合宿で組む先輩方を選んで捕まえてこいと言ってくださっているんです! ――――ですよね! ドイル様」
「その通り。今なら邪魔者はいないからな。お前達が組むのに良さそうな先輩方を好きなだけ捕まえてこい。俺にはレオ先輩達がいるからな」
そう言って笑いかけてやれば、ルツェは眩しそうに、ジェフとソルシエは驚いたように俺を見た。…………バラドは、もういい。半分くらいこっちに意識をやっていてくれれば、幾ら小声で馬に俺への称賛を聞かせていようとも構わないさ。もう、好きにしてくれ。
「「……ドイル様」」
感激したように俺の名を呼ぶ二人に、ちょっと照れくさくなる。
ルツェはともかく、この二人にこういった目で見られるのは慣れない。しかし二人の本心が何であれ、今まで俺についてきてくれた此奴等を俺は大切に思っている。肯定してくれなくとも、批判する事もしないでいてくれた大事な部下達なのだ。
「…………時間が勿体無いから、行くぞ。その、なんだ。合宿中、お前達の命を預けるんだ。損得勘定とかで無く、この人ならと思える信頼出来る先輩を探せよ」
「「「っはい!!!」」」
声を揃えて嬉しそうに返事をした三人に笑いかけ、馬を歩かせる。そんな俺の後をバラドを先頭に三人も付き従うようについてくる。
道中、三人が興奮気味に何事かをしきりに話し合っていたので【風の囁き】を使って盗聴しようかと思ったが、止めた。
何故なら後方の三人よりも、斜め直ぐ後ろにいるバラドの方が気がかりだったからだ。
「良いですか? 今見たようにドイル様は部下にもお優しく、頭の回転も速く、些細な謀略などその慧眼の前には無いに等しくてですね――――!」
バラドは今必死に、己の馬となった月毛の馬に俺が如何に素晴らしい主人であるかを聞かせている。己の上で急に他人を称賛し始めたバラドに馬は最初戸惑っていたようだが、バラドの声に耳を傾けているうちにチラチラと俺に視線を寄越し始めている。
すまない、バラドの馬よ。
そいつはいい奴だが、ちょっと変わっているんだ。
バラドを気に入ったようだからと選んだ馬だったのだが、安易に俺が決めない方が良かったのかもしれない。まるで洗脳するかのように、俺への称賛を馬に聞かせるバラドを見て少し後悔した。
だからそんな徐々に目を輝かせながら、俺を見ないでくれ!
無条件で贈られる尊敬の眼差しと言うのは、とても罪悪感に苛まれるんだ!
バラドの言葉を鵜呑みにして動物特有の純真無垢な眼差しを向けるバラドの馬に、俺は小さく唸る。
『あの金髪の人がこの人の主人なのかな? なんか凄い褒めてるから凄い人なんだ!』
というバラドの馬の感想を聞きながら、頼むからお前はバラドに染まらないでくれという多分無駄になるであろう祈りを俺は道中ずっと心の中で繰り返した。
ここまでお読み頂きありがとうございました。