第二十二話 クレア・フォン・マジェスタ
前話の続きです。
思いがけずかけられたドイル様からの愛の言葉に、さぞかし私の顔は緩んでいるのでしょう。父上が困ったように、それでも少し安心したお声で「よかったな」と仰って下さりました。
父上の言葉に「はい!」と返事を返し、この素敵な贈り物を届けてくれたお礼を言う為に、ヘンドラ様に再び向き直ります。
そんな私を見たヘンドラ様は優しい笑顔で笑ってくださりました。
「ヘンドラ様。とても素敵な贈り物を届けて下さり、ありがとうございました」
「いえいえ、私は運んできただけなので、そのお言葉はどうぞドイル様に。――――――それでですね。クレア様、宜しければですが、その中央の薔薇を真似させて頂いても構いませんでしょうか?」
「え?」
「先ほど申し上げました通り、その薔薇の作り方も息子がドイル様直々に教えていただきましてね。それで、この技術も我がヘンドラ商会の好きにしていいとのことでしたので、今後、レターセットや包装以外にもこういった商品を売っていく予定なんですよ」
そう言ったヘンドラ様が私に差し出したのは、花束と同じ構造をした薔薇の花飾りでした。ドイル様が下さった物と違う所を上げるなら、花が少々光沢を帯びているような気がします。
「これは、お手元の薔薇と同じように【色紙】で作ったものを、装飾品にしても問題無いように、耐水・耐久性を上げて髪に付けられるよう加工したものです。特殊加工のお蔭で壊れにくく、原材料が紙なので軽く安価に提供できます。それに金属では決して出せない花びら一枚一枚の細かな動き。勿論、髪飾りの他にも、ドレスの装飾にネックレスや指輪などの装飾品、置物や小物としても使えます! ですから此処は是非、ドイル様が作られたその花と同じ物を髪飾りにして、クレア様にお贈りしたいのです」
「よいのですか?」
「勿論です。全てはドイル様の功績ですから、その婚約者様であるクレア様にプレゼントをお贈りするくらい訳ありません。我がヘンドラ商会からのお二人へのお祝いの品として、是非お納めさせていただきたく」
「……………………では、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「お任せください! 最高の出来の物をお持ちいたします!」
嬉しそうなお顔でそう言って下さるヘンドラ様のお言葉に、甘えてもいいものか迷いましたがお任せすることにしました。
ドイル様が下さったこの薔薇とお揃いの装飾品にとても心惹かれてしまったのです。
「お気にされる必要はございません。むしろ、私達がお礼を言いたいくらいですから。【色紙】という素晴らしい素材の権利と紙薔薇の技術を無償で譲渡して下さったドイル様には、我が商会一同足を向けて眠れませんよ! 入学式のお姿といい、この柔軟な閃きと高い技術! そしてそれを簡単に人に譲渡される度量! 流石、アギニス公爵家のご子息です。優秀な継嗣様で羨ましいですよ。本当に。彼の方を婚約者にと望まれたクレア様は素晴らしいご慧眼をお持ちですね!」
これでもかというほどドイル様をお褒め下さるヘンドラ様に、私も嬉しくなり満面の笑みでお返事申し上げました。
「当然です! ドイル様は誰よりも素晴らしい、私の運命の方ですから!」
その後のサロンはドイル様のお話と、ドイル様が贈って下さった花束が話題の中心でした。母上やご婦人方も何かしらの紙薔薇製品を注文されていたようです。色も豊富ですから、どんなドレスにも合うように作れますし、安価なので皆様十種類以上は購入されていました。私もヘンドラ様のご厚意でいただける分以外にも色々買ってしまいましたわ。
そんなこんなで今日はとても幸せな一日だったのです。
ここ数年のドイル様の行動は悪評が立つようなものばかりで、私はとても歯がゆい思いをしておりました。そして同時に何の力にもなって差し上げられない自身が、一番歯がゆかったのです。
大切な方がお辛い時に、お側に居る事さえ出来なかった私は婚約者失格です。
しかし、ドイル様は私の事など必要とせずに、お一人でその悲しみを乗り越えられてしまいました。その事を嬉しく思いながらも、心の何処かで悔しく思う私は、嫌な女です。
それに、最近はもっと別の不安も出来てしまいました。
最近のドイル様の評判は入学式を境に良くなる一方なのです。その周囲の変化はドイル様ご自身の事を思えば、婚約者として私は喜ぶべきなのでしょう。
しかし、嫉妬に染まったこの心は、ドイル様のご活躍を素直に喜ぶことが出来ません。
優雅で物腰柔らかな方とか、
穏やかで誰にでもお優しいとか、
授業中は真面目でなんでも聞けば快く教えて下さるとか、
誰に対しても礼儀正しいとか、
薬科で引く手数多で交渉さえしていただけない先輩に交渉の権利を頂いたとか、
ジン様を下されたとか、
格好良い素敵な方とか、
色々な噂がありますが、どれも好意的なものばかりです。
それは大変喜ばしい事なのですが、そう噂している方々の中に少なくない数の女性がいらっしゃると知ってから、私の心はざわめくばかりなのです。
ドイル様がお辛い時になんのお役にも立てなかった私に、ドイル様のお心を縛る権利も力もありません。ですが、ドイル様のお隣を他の女性に譲るなど絶対に嫌なのです。役立たずでも、嫌な女だと思われようともドイル様のお隣だけは、どこのどなたにもお譲りできません。
あの方の隣は、ずっと昔から私とグレイお兄様のものなのです!
他の女性に奪われるくらいならいっそ!
そう思ってしまうこの激情に、なんて名前を付ければよいのでしょうか?
私にはまだ分りません。愛と呼ぶには些か身勝手過ぎる感情な気がします。しかし、嫉妬と言えるほど可愛いものではありません。
叶うなら一生ドイル様には知られることなく、胸に秘めたままでいられたらと思います。
本当に、罪深い方です。ドイル様は。
せめてもの救いは、ドイル様も私達を求めて下さっていることでしょう。
お兄様に必ず戻ると約束されたとお聞きしました。
私には永遠に枯れぬ花束を、初めての愛の言葉と共にくださいました。
それはドイル様が私やお兄様を必要とし、側にいたいと望まれている証に違いありません。だから私は愛に狂うことなく、待っていたいと思います。
愛しい人が必ず迎えに来ると仰って下さったのです。
どんなに不安にかられようとも、信じて待つのがいい女だと乳母のミリアが言っていましたもの。
貴方に相応しい女性になる為に、この愛試練、クレアは耐え忍んで見せますわ!
昼間の事を思い出しながら、改めてドイル様を待ち続ける決意を固めていると、コンコンコンと控えめなノックが聞こえてきます。
返事を返せば、私の乳母姉妹であるセレジェイラが入ってきました。
真っ直ぐでサラサラこぼれる黒髪を持つセレジェイラは、私にいい女とは何かを説いて下さった乳母ミリアの娘です。乳母姉妹として育った私達は、主従というよりも姉妹や親友といった関係が近い気が致します。
そんな姉妹兼親友のセレジェイラは、夕刻からずっと花を見続ける私に呆れた表情を浮かべていました。
「姫様。ご入浴の準備が整いましたよ。――――――まぁ。またその薔薇をご覧になられていたんですか?」
「だって、ドイル様が私の為に作って下さったのよ? この薔薇なんて外側からグラデーションになっていて、とても綺麗だわ!」
「ええ、本当に。同じデザインで髪飾りもいただけるんでしょう? 楽しみですね。―――――それにドイル様は、先日の模擬戦ではあのジン様をあっさり下されたとか。私はクレア様からのお話と噂話、入学式の時でしかドイル様を知りませんでしたから驚きましたわ。こんなに女性を喜ばせることが出来る方だとは思いもしませんでした。少しは女心に理解があるようで安心しましたわ」
「…………セレジェイラ。その言い方はドイル様に失礼だわドイル様は――」
「はいはい。『格好良くて、強くて、優しくて、素敵な王子様』なんですよね?」
「そうよ! とっても素敵な方なのよ? 滅多にその御心を教えて下さらないけど、こうやって行動で示して下さる方なの! それにお手紙は下さらなかったけど、素敵なお言葉まで下さって。あのような方を婚約者に持って、とても幸せだわ」
「隣国の王太子様からの求婚も、最後までお聞きになられる前に断っておいででしたものねクレア様は」
「当然よ! ドイル様以外に嫁ぐ気は微塵も無いもの! 愛しているの。この世の誰よりも」
そう言い切った私に、セレジェイラは僅かに目を見開いた後、呆れたような少し寂しそうな表情で私に笑う。
「本当に、クレア様はドイル様がお好きですよね。しかもそれを公言されていて、…………少し、羨ましいですわ」
「あら? セレジェイラにも居るじゃない。確かドイル様と同い年の――――」
「ク、クレア様! この御話はこの辺で! 早く行きませんと湯殿が冷めてしまいますわ!」
寂しそうに呟いたセレジェイラに、去年彼女が親しくしていた殿方の存在をちらつかせれば、彼女は耳まで赤く染めながら私の背を押した。
去年の秋頃。
とても幸せそうな顔であるお方の手をとったセレジェイラを偶然見てしまいました。初めて見る乳母姉妹の女性らしい顔に、彼女も運命の方を見つけたのだと思ったのは記憶に新しく。
愛しい殿方の話となると、すぐに逃げようとするセレジェイラは大変可愛らしい。
彼女とあの方の間には大きな障害がありますが、そんな障害など運命の二人なら乗り越えられます。
だって、愛の女神様は運命の恋人を引き裂くようなことはなさいませんもの。
勿論、私とドイル様のことも。
そうでないならば、あの日、ドイル様が運命の方だと告げた女神様のお言葉は一体なんだというのです。クレアはドイル様の隣に、私以外の女性が立つことを決して許しませんわ! 私からドイル様を奪う方とは、断固として戦わせて頂く所存です!
という訳で、ドイル様。
クレアはいつまでもお待ちしておりますわ。
この薔薇達を眺めながら、貴方が迎えに来て下さるその時まで。
ですからどうか、早く迎えに来てくださいね?
ここまでお読み頂きありがとうございました。
次話からは主人公視点に戻りますので、続きも楽しんでお読み頂ければ幸いです。