第二十一話 クレア・フォン・マジェスタ
クレア視点です。
ピンクと白の紙で作られた薔薇の中に、鮮やかな赤い薔薇がアクセントに飾られた世にも珍しい、紙で出来た枯れる事の無い薔薇の花束を眺める。色々な濃さのピンクの薔薇の中、一番のお気に入りは中心に一輪だけ咲いている外側が赤で次いでピンク、中心に白が入ったグラデーションの紙薔薇です。
綺麗な配色で作られた紙薔薇は美しく、とっても可愛らしい。
しかも、これを考案して作られたのがドイル様であり、私の年の数だけ作られた薔薇達は一本一本全てドイル様の手作りだなんて。
素敵な言付までいただいて、クレアは幸せです。
ほぅ、と吐息を溢しながら、花瓶に飾られた紙の薔薇達を眺めては昼間の事を思い出す。
入学式の時はお目通り叶わず、もしや嫌われているのではと思いましたが違ったようで安心しました。
お兄様が手紙を書くように言って下さっても、書いて下さらない癖に、不意打ちのように素敵な物をくださるから、クレアの想いは募るばかりなのですよ、ドイル様。
決して届くことの無い愚痴を溢しながら、夢のように素敵な昼間の出来事を思い出した。
「――――それでですね。こちらが、今回お持ちしたヘンドラ商会の新商品! 【色紙】でございます!」
まぁ、素敵。
なんて綺麗な色なの。
集まった貴族の方々が口々に、その色の多さと鮮やかさを褒めていました。実際、ヘンドラ商会の新製品だという【色紙】は近くで見なければ紙だと分からない程、綺麗な色をしています。
「ほぉ。確かにこうしてみると綺麗だな。紙は白い物とばかり思っていたが、実際に見てみると悪く無い」
「陛下の言う通りですわ。それにこの淡いピンクの紙で恋文でも頂いたら、とても素敵だわ」
「お褒めいただき光栄です」
父上と母上が差し出された紙を手に取り、思い思いの感想を仰っています。周囲にいる貴族達も口々に【色紙】を称賛し、ヘンドラ商会を褒めていました。
そして私も、母上が仰った恋文という言葉に胸をときめかせている所です。
こんな素敵な紙で、ドイル様が恋文を書いて下さったら…………。
そんな甘い夢を想像し、お兄様が書かせると約束して下さったドイル様からのお手紙が未だに届かない事を思い出し、落ち込みました。
お兄様はドイル様は私を大切にして下さっていると仰ったけど、本当は……。
そこまで考えて、慌てて暗い考えを振り払う。
ここは王城のサロンであり、父上や母上以外にも沢山の貴族の方がいらっしゃいます。このような場所で、暗い顔をしてはなりません。
私は、この国の第三王女なのですから。
浮かんできた暗い気持ちを押し込んで、話しかけてきてくれた方々に微笑む。
「紙は白い物という概念を打ち破り、色を付けるという閃き! 流石は世界をまたにかけるヘンドラ商会でありますな」
「本当ですわぁ。綺麗な色ばかりで、お部屋に置いておくだけでもお部屋が明るくなりそうですもの」
「有難きお言葉です。ですが実のところ、紙に色つけるという革新的な閃きを思いつかれたのは、別の方でして。本来の用途もレターセットや包み紙では無いんですよ」
「まぁ!」
貴族の方々の称賛のお言葉に順番に答えられていたヘンドラ様は、そう仰って何故かはっきりと私の方を見られました。
「今、クレア王女を見られませんでした?」
「ええ、確かに。私にもそう見えましたわ」
「まさか、これはクレア様が……?」
その意味ありげな態度に周囲の方々がざわめき、事実無根な想像をし始めてしまいました。
とんでもない誤解です。私には、このような美しい物を思いつくような閃きはございません。
しかし、そんな私の意志に反して徐々に大きくなるざわめきをどうしようかと、おろおろしていると父上と目が合いました。
その目が、「本当にお前が考えたのか?」と仰られていたので、全力で首をふります。
違います、決して私ではありません!
そんな私の想いが通じたのか、父上は力強く頷かれると、手で周囲のざわめきを制止されました。王の静止に気が付いた貴族達は口を噤んでいきます。そして、
「して、ヘンドラよ。実際の所、この【色紙】を考案したのは誰だ?」
「ドイル・フォン・アギニス様でございます」
「ドイルが!?――――あっ! 大変申し訳ありませんでした」
「よい。気にするな、アラン」
「はっ」
ヘンドラ様からのお答えに、私は息をのみました。
それは周囲の方々も同じだったようで、皆様大変驚いた表情をしておられました。
ただ、誰よりも先にアラン様が驚きの声をあげ、父上がそれを制されたので、皆様声を上げたいのを必死に我慢しておられます。
私もその一人で、つい手に持っていた【色紙】を見つめてします。
これをドイル様が…………。
胸にじんわり広がる想いに、口元が緩みます。
こんな素敵な物を思いついてしまわれるなんて、流石ドイル様です。
ドイル・フォン・アギニス様は、私とお兄様の幼馴染であり、お兄様の側近予定の方であり、私クレアの愛しい愛しい婚約者様です。
誰よりも美しくて、誰よりも格好よくて、誰よりも聡明で、誰よりも強くて、誰よりも優しい、この世で最も素敵なクレアの運命の方。
初めて会った日、ドイル様と目が合った瞬間、クレアには愛の女神様の囁きが聞こえました。そして、同時に確信したのです。
この方は、私の運命の方だと。
ドイル様に出会う為に私はこの世に生を受けたのだと。
後々、ドイル様が私の婚約者だと知った私は、大変喜びました。そしてその後の日々は、幸福の一言でした。
お兄様の隣にドイル様がいて、そのお側にクレアがいる日々はとてもとても幸せな日々だったのです。
しかし悲しいことに、それは遠い過去のお話です。現在、兄上のお隣に居るのはジン様で、私はドイル様と言葉を交わすどころか、そのお姿を拝見する事さえままなりません。
でももうすぐ、そんな悲しい日々も終わるでしょう。あの幸せな日々が帰ってくるのです。
王座に就いたお兄様の隣にドイル様とジン様が。
そして、ドイル様のお側にはクレアが居るのです。
昔とはちょっと違う。けれどもあの頃と同じくらい幸せになれそうな未来を思い浮かべます。
あぁっ!
この一年の年の差が恨めしいです。
今頃、お兄様が私を差し置いてドイル様と昔のような関係を取り戻しつつあるかもしれないと思うと、嬉しさ半分、恨めしさ半分ですわ、グレイお兄様!
「それでですね。クレア様にドイル様からお預かりしてきた物があるのですが、この場で確認していただいても宜しいですか?」
「えっ?」
ドイル様のお側に居るかもしれないお兄様とジン様を考えていると、ヘンドラ様に話しかけられました。
しかも、今ドイル様からクレアに何かしらの贈り物があると聞こえました!
私がヘンドラ様に問い直そうとするよりも早く、そう言ってヘンドラ様は商品の山の中から、両手で持てるくらいの箱をその腕に乗せ私に差し出して下さいました。
本当にドイル様から、私に贈り物?
信じられなくて、両親を見れば開けて見ろと言われました。
ドイル様が誕生日以外で私に贈り物を下さるなど、初めてです。
期待と興奮と僅かな不安で、胸が震えます。
「中身はドイル様が自らの御手で作られ、ご用意されたものですよ」
ヘンドラ様にそう告げられ、私は意を決して木箱の蓋に手を伸ばします。ドイル様が考案された【色紙】を使って、私の為に自らの御手で作られた物。
中の品を壊さないように、慎重に慎重にそっと蓋を持ち上げました。
そして、傍に居た商会の方に蓋を渡します。
箱の中に見える白い紙に包まれたソレを、そっと取り出します。
震える手で、そっと優しく。
そうやって慎重に取り出した贈り物を見た瞬間、頬が熱くなりました。
「まぁ。なんて綺麗な薔薇の花」
そう、それは、とても綺麗で可愛らしい薔薇の花束でした。
「いかがでしょう?」
「…………とても綺麗です。それに、とっても軽いわ」
「【色紙】で作られた、紙の薔薇ですからね」
「【色紙】で」
とても軽いその花束は、様々な濃淡のピンクと白い薔薇を中心に、アクセントに鮮やかな赤い薔薇がいくつか。そして、中心には一輪だけ、外側が赤く中にいくにつれ白くグラデーションのかかった薔薇がありました。
「これをドイル様がお作りになって、私に?」
「はい。ドイル様がクレア様を想って作られた花束です。ちゃんと、クレア様のお歳の分の薔薇が御座いますでしょう?」
一、二、三…………十三、十四本。
本当です。ちゃんと私の年の数だけの薔薇があります。
「もともとこの【色紙】は息子のルツェがドイル様に頼まれて、紙工房に依頼を出した物でしてね。出来上がりを見て、これならレターセットや贈り物用の紙袋などで人気が出るだろうと思い増産させたのです。その後、息子がドイル様に【色紙】をお届けに上がった所、ドイル様は迷うことなくこの薔薇の花を作られたそうです。しかも、『無理を言って作らせたから』といって【色紙】の利権を無償で譲渡くださった上に、この紙薔薇の技術提供までしていただきました。そしてその代わりに、クレア様への花束と言付を預けられたという訳でございます」
ヘンドラ様のお言葉にざわめきが広がります。今も昔もドイル様は色々な意味で有名な方ですから、皆様も思う所が多々おありのようです。
ただ私にはそんな事よりも、ヘンドラ様が仰った言葉の方が大切です。
今確かに、ヘンドラ様は私にドイル様からの言付があると仰いました!
「ドイル様からの言付ですか!?」
「はい。しかし、ドイル様から『王の許可が得られなければ伝えないように』と固く言い含められておりまして。ドイル様は今、正道を目指されておりますから…………」
「お父様!」
とても残念そうなお顔でそう仰るヘンドラ様のお言葉に、私はつい大きな声を上げてしまいました。王女にあるまじき行為でしたが、今は構っておられません。
窺うように父上を見るヘンドラ様と私の縋るような目に根負けした父上は、大きく息を吐いた後、私が求めた通りのお言葉を仰って下さいました。
「……許可する」
「ヘンドラ様!」
「畏まりました」
父上からの許可に、私は喜び勇んでヘンドラ様に向き合います。佇まいを直されたヘンドラ様に、私も緊張した面持ちで佇まいを直しました。
周囲の貴族の方々も固唾を飲んで私達を見守ります。
そしてそんな中、ヘンドラ様が厳かに口を開かれました。
「では。『この花が枯れるまでには必ず迎えに行くから、待っていてくれ』――――以上です!」
しん。と辺りは静まり返りました。身じろぎする者さえいません。
「それだけか?」
「はい。――――しかし、これは個人的な解釈ですが、ドイル様のお言葉はとてもロマンチックだと、私は感心致しました!」
「ロマンチック、ですか?」
ドイル様のあまりに短い言付が不満だったのか、父上が本当に終わりかヘンドラ様に尋ねます。しかし、父上のお言葉に堂々とお答えになるヘンドラ様に、今度は戸惑ったように母上がお声をかけました。
そんな父上と母上の視線を受けて、ヘンドラ様は力強く頷かれます。
「はい、とても! 失礼を承知でお伺いしますが、御噂ではクレア様はグレイ殿下に言付を頼まれていますよね? 『いつまでも待っています』と。息子の話では高等部で結構な噂になっているらしいのですが」
「…………確かに頼みましたが」
何故、噂に!? とか、兄上はどんな伝え方をなさったのかとか、思うことは沢山あったのですが、私は勇気を出してヘンドラ様の質問にお答えしました。
私には分からない、ドイル様のお言葉の真意が知りたかったのです。
でもでも、顔が凄く熱いです!
「ドイル様の言付を聞いた時、私はすぐにその噂を思い出しましたよ。きっとこれは、クレア様のお言葉への返答だと」
「…………」
「いいですか、クレア様。この薔薇はとても綺麗な上に紙で出来ている為、枯れません」
「はい」
「この薔薇は永遠に枯れないのです、クレア様」
噛み砕いて説明して下さったヘンドラ様のお言葉にハッとしました。
そして今度は顔だけでなく、体中が熱くなっていきます。
「つまり、ドイル様はこう仰ったのです! 『必ずクレア様を迎えに行くから、永遠に俺を待っていてくれ』と。枯れない花に例えて、一生かけても迎えに行くという宣言をするのと同時に、不変の愛を求めるドイル様に私も、父も感心しましたよ! いやー、憎い演出をなさる方だ!」
ヘンドラ様のお言葉に、ご婦人方から感嘆の声が上がります。
父上も母上もヘンドラ様のお言葉に納得したのか感心したように、「なるほど」「まぁ、とっても素敵ですわ!」といって、私の持つ花束を見ています。
沢山の注目を集める中、私は手の中にある花束を壊さないようにそっと抱きしめました。きっと今の私は耳どころか首まで赤くなっていると思います。
恥ずかしい。けれども、とても嬉しい。
今まで、私がお慕いしていると何度告げても明確なお答えを下さらなかったドイル様が、初めて告げて下さった愛の言葉を胸に刻みます。
叶うなら、直接その言葉を聞かせて欲しかった。
そう思う気持ちもありますが、それでも今は。ドイル様の精一杯の愛の籠ったこの花束で我慢いたします。だから、いつか直接、そのお声で私に愛を囁いて。
それまではこの薔薇を支えに。
いつまでも、それこそ永遠にクレアはお待ちいたします!
ここまでお読み頂きありがとうございました。
クレア視点はもう一話続きます。