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第二話

続きます。

「それじゃぁ、お母さんとアランはいくけれども、大人しく寝ているのよ?」

「医者は大丈夫と言ってたけどまだ微熱があるからね。無理するなよ? ドイル」

「分りました。父上、母上」

「愛してるわ、私のドイルちゃん」


 ちゅ、とリップ音を鳴らしながらおでこに口づけた母親に促され、もう一度ベッドに横になる。一方の父親は母の言い付けに大人しく頷いた俺の頭をもう一度撫でると、母親ともども名残惜しそうに俺を見ながら執事に促され部屋を後にした。

 そしてベッドから手が届く位置にサイドボードを準備し、その上に水差しとベルを準備していたメイド長であるメリルが俺の側に来て跪いた。


「それではドイル様。私達は部屋の外に控えておりますので、何かありましたらこちらのベルで御呼び下さい」

「ああ」

「くれぐれも大人しくしていて下さいね? ドイル様に何かありますと奥様や旦那様が悲しまれます。勿論、メリルも大変悲しゅうございます」

「分っている」

「それは宜しゅうございます。では、失礼いたします」


 コロコロと笑いながら、そう言ってメイド達を引き連れて退出していったメリルの後姿にため息がでた。聖女時代から母の側仕えをしていたというメリルが俺は昔から苦手なのだ。何しろメリルは俺をいつまで経っても幼児扱いするのだ。その、母親がもつ己の子への無償の愛に近いものを向けられるのはこそばゆく、歯がゆい。

 まぁ、メリルは結婚しておらず子供も居ないので、俺を実の子のように思っているのだろうが。


 ベッドから起き上がり、水を飲む。

 まだ少し体がだるいが二十一年生きた前世を思い出した俺からすれば、この程度の微熱などあって無いようなものである。

 それでも一応、聖女の回復魔法が効かない原因不明の病だったことを思い出し、ベッドから出ることは思いとどまった。

 そして体勢を整えたのち、俺は今後の身の振り方を思案する。


 これだけ恵まれた環境にありながら、何故今後の身の振り方を考えねばならないかというと、このまま今まで通り過ごした場合、この俺には近い将来かならず事故死か追放というフラグが建っているからだ。

 今までの過去を振り返る限り、俺は王道ファンタジーではありがちな悪役街道を突っ走ってきた。

 身分を笠に着た暴虐な振る舞いは勿論、気に入らない人間に取り巻き達をけしかけいじめたりもした。優秀と言ってもそこまで大した実力も無いのに、自身の実力を過信した問題行動ばかりとり、その尻拭いを下級貴族や実力ある平民達にさせてきた。

 その結果、元炎槍の勇者であるゼノ・フォン・アギニス前公爵が、俺が公爵家継嗣となることを反対しているのだ。

 幾ら俺が公爵家の一人息子であり、勇者と元聖女である父親と母親が俺を溺愛していようとも、軍部の統括する大元帥の地位を持つ元勇者な祖父の発言権は国内で絶大である。

 しかも、俺が今まで行ってきた問題行動もあって一部の貴族達が祖父の意見に賛同している。

 そして母や父だって、俺が公爵家継嗣におおよそ相応しくない言動を取っていることは知っている。

 それでも今まで処分が先送りにされていたのは単に両親の愛情と、俺の婚約者である第三王女の擁護があるからこそである。特に、王女の擁護のお蔭で王と王太子が表立って対立しようとしないことが大きい。

 王制であるこの国で、王と王太子の言葉があれば俺はとっくにこの世にいないだろう。


 正直、両親も王女様もこんな思春期と反抗期真っ盛りな愚か者などとっくに見限ってもいいと思うが、流石寛大な勇者と慈愛深い心を持つ聖女である。それに二人は深く愛し合っている分、息子の俺もとても深く愛してくれているのだ。

 また、第三王女に関しては王太子同様、幼馴染という間柄であり、恋は盲目とだけ言っておこう。

 ………………こんな見てくれだけの男に惚れるなど彼女も見る目が無いと思うが、幼馴染としても、男としても彼女には幸せになって欲しいとは思っている。

 一方、王太子であるグレイが俺の事をどう思っているかは分からない。将来は彼の側近になるのだと言われていたが、俺が問題行動を取るようになるつれ徐々に距離が開いていった。それこそ学園に入学する前、七・八歳の頃は親しかった気がする。ただ今は第三王女のこともあり、あまりいい感情を抱いていない事だけは確かである。


 そんな感じで、もうすぐ成人の儀を迎え学園の高等部に進学予定の俺の立ち位置は大変微妙なものだ。そしてこれから先、まだ問題行動を起こすようならば、間違いなく事故死か病死させられる羽目になることは目に見えている。

 何しろ、高等部の入学と同日に同時進行で行われる成人式とによって、俺はドイルという名からドイル・フォン・アギニスと名を改めることになるのだから。


 この時代の子供は直ぐ死ぬ。

 これは貴族平民関係なくこの世界共通の認識である。

 魔獣や魔王の存在の所為で常に死が身近にある世界であるにも係わらず、回復魔法の使い手が本当に少ないのだ。


 故に回復魔法の使い手達は聖女や聖人と呼ばれる。

 そして、大抵聖女や聖人は国や宗教団体に手厚く保護されている為、その恩恵に預かれる者は少ない。

だからこの世界では十五歳に成人式を迎えるまではどのような血筋であれ、子供は家名や爵位に応じた敬称を名乗ることは許されない。


 その為、厳密に言えば今の俺は貴族でもなんでもなく、何の権限も持たないセレナやアランの息子でしか無いのだ。そしてそれは同時に成人前の子供が行ったことに対し、国から家や一族単位での処罰は与えられないという恩恵がある。つまり、俺がしでかしたことはドイルという子供が行った事であり、勇者アランや聖女セレナ、アギニス公爵家には何ら関係無い事として扱われてきたのだ。


 とは言っても現実問題として、完全に親の血筋を無視することなど出来る訳が無く、暗黙の了解としてしかるべき血筋の子供にはそれなりに権力や権限がある。

 だからこそこの王国では貴族の子供が馬鹿な事をしないように、ある一定以上の生まれの子供達には十歳から学園に入学し、学ぶ事が義務付けられている。勿論、平民でもお金や子供に才能があれば入学する事も出来る。

 簡単に言えば学園は貴族にとっては躾の場であり、平民にとってはエリートコースに乗る為の場である。

 そして貴族や貴族に近しい権力者、本当に実力のある平民は成人後高等部への進学が許されるのだ。高等部に入学が決まった平民はエリートコースに乗ったも同然であり、貴族は今まで培った人脈を強固なものにし、優秀な学生を青田買いしていく。貴族世界の予習の場の様なものである。その為、正式に家の名を名乗れるようになる成人式を終えたと同時に、高等部の入学式が行われるのだ。


 要するに高等部ともなれば例え学生の身分であれど、俺はれっきとしたアギニス公爵家の貴族であり、一人息子である俺はアギニス公爵家継嗣と扱われ、俺が何かしでかせば俺だけでなくアギニス公爵家、ひいては勇者アランや聖女セレナ、祖父であるゼノまで一族として責任を問われることになる。だからこそ、祖父は俺にアギニスの名を名乗らせることに反対しているのだ。

 祖父からしてみれば息子のアラン同様国の為に生きることを期待し、王女と婚約させ、王太子の幼馴染という地位まで与えたのに道を踏み外した俺など許せないだろう。たった一人の孫として、期待していた分なおさら落胆が激しかったに違いない。幼い頃は俺に期待して手ずから槍術を教えてくれていた人である。

 しかしそんな祖父でさえも、俺の継嗣就任に反対しだしたのはここ一・二年の話であり、更に言えば立場上強行しようと出来るにも係わらず、言葉だけで済ましている点に孫である俺への愛情を感じる。


 簡単にまとめれば、俺は周囲の環境に大変恵まれており、不相応にも多くの人々に愛されている。その事は痛いほどに理解している。

 実際、前世を思い出す前もドイルは自身の命が愛してくれる人々の温情と愛情によって繋がっており、それに己が甘えている自覚があった。しかし同時に、己の行動が間違ったものであり、自分の首を絞めると知っていてなお問題行動を止められない難儀な少年でもあった。

 そう。

 俺という人間は周囲の優しさを理解してなお、【元炎槍の勇者の孫】、【雷槍の勇者の息子】、【聖女の息子】、【アギニス公爵家継嗣】の名を背負って生きていく覚悟が持てず逃げ続けている、愚かな臆病者なのだ。

 俺はかけられる愛情や期待が嬉しい半面、その愛が重く、期待に応えられず失望されることが耐え難い程痛かった。


 だから逃げた。

 期待されないように、愛されないように、反抗し、我儘や暴虐を尽くした。俺がそんな行動を取った原因は間違いなく己の心の弱さ故だろう。

 それは、否定しない。

 しかし、周囲にもその原因はあったといえよう。


 まず前提として言えばこのドイル、元のスペックはチートと言っても過言ではない程いい。勇者と聖女の子供だけあり淡い金髪に紫の瞳を持つ顔は造りが大変良く、体に眠る魔力はとても高い。ドイル自身二人に憧れそれなりに努力していた甲斐もあり、勉強は常に上位であり、体もこの歳にしては鍛えられている。通っている学園内でも槍の腕前は良い方である。

 ただ悲しいことに俺の槍の実力は、良い方止まりでしかなかった。

 よく見積もって上の下であり、実際は中の上にギリギリ食い込んでいる程度である。【炎槍の勇者の孫】であり、【雷槍の勇者の息子】としては、はっきり言って期待外れな実力である。実際陰でそう囁かれているし、そう言われていることを俺は知っている。

 ただ反論するならば、槍の才能が皆無であるにもかかわらず槍の成績が中の上であるのは、両親から受け継いだ高いスペックと俺の努力の賜物だ。

 何しろ俺には、二代続いた槍の勇者の三代目であるにも係わらず槍の才能が皆無なのだ。その事に気が付いた切っ掛けは、一人の冒険者が関係するのだが長くなるので今はおいておく。


 勇者、聖女、魔王とくれば薄々分かっているとは思うが、俺が今生を過ごすこの世界は剣と魔法が存在し、勇者や魔王と、魔獣、亜人と呼ばれるエルフやドワーフや獣人、精霊にドラゴン、神様が跋扈するレベルと魔力と加護とスキルが物を言うファンタジー溢れる世界である。

 そして、ファンタジー溢れる世界であると同時に生と死が溢れる世界でもある。ただ、王道と違う所を上げるならば、勇者や聖女というのは国や宗教の数だけ存在し、魔王というのは何十年かに一度現れる魔獣が魔力や瘴気を吸ったり、共食いや戦いを経てレベル100を超えランクアップした存在であり、勇者や聖女といった特別な存在でなくともそれなりに人数と準備さえしていれば倒せるという点であろうか。


 また、スキルと魔法には適性というものが存在する。

 この適性というものが案外曲者で、本人がどれだけ鍛錬を積もうと、適性のない分野のスキル取得は絶望的であり、スキル持ちと持っていない者の間にはレベルや素質では越えられない壁がある。だから貴族や王族はスキルを見抜くスキルを持つ者を見つけると、とんでもない大金を積んでも取得可能なスキルを教えて貰うのだ。早いうちに、己の適性が分かるのはそれだけで大きなアドバンテージになるからだ。

 偶々とは言え、幼少期に適性スキルを見抜くスキルを持つ者と出逢えたことは俺の人生にとって僥倖のはずだったのだが、彼の冒険者から告げられた自身の適性に俺は絶望した。


 槍や槍の派生である棒術に適性は皆無だという現実に。

 実際、槍の修行を始めて十年以上経つが一つもスキルが取得できなかった。これで母のように回復魔法の適性があればまだ救われたのだが、生憎回復魔法にも適性が無かった。


 冒険者の言葉によれば俺の適性は剣、その中でもレイピアや刀といった素早さを活かせる剣のスキルに関しては天才的で、ほとんどのスキルを取得できるほどの適性があるらしい。この件に関しては、前世に剣道の才能が有ったのが影響しているのだろう。

 そして魔法適性も炎や雷の適性もほぼ無く、代わりに水や風に関する適性は天才的らしい。先天的に魔力量も多いこともあって、その分野でなら歴史に名を残す魔術師になれるかもしれないと言われた。


 この時、冒険者の言葉に素直に従って武器を刀などに換え、水や風の魔法を学べば良かったのだが、【炎槍の勇者の孫】であり、【雷槍の勇者の息子】である俺はその現実を受けいれられなかった。

 そして親切な冒険者に金を渡し口止めし、槍を振るい、炎と雷の魔法を十年間練習し続けるという愚行を犯した。


 その結果は判り切ったもので、高いスペックを持ちながら一般人に毛が生えた程度の槍の腕前と、これまた一般人よりは威力のある炎と雷魔法が使えるようになっただけであり、血筋だけで言えばサラブレッドである俺に期待した多くの人間に失望され、その現実に耐え切れず、俺はぐれたのだ。


「…………馬鹿すぎるだろ、俺」


 思い出した前世の影響か、改めて自身の置かれた身の上と自身の能力を省みて見れば、ため息しかでてこない馬鹿っぷりである。

 奇跡的に己の適性を知る好機を得ておきながら、つまらないプライドに拘り十年間を棒に振った過去の自身が愚か過ぎる。まぁ、このように考えられるのは前世を思い出し精神的に大人に成れたからなのは分っている。分かってはいるが、幼少期の十年。

 思えば思うほど俺はつくづく無駄な時間を過ごしたものである。


「まぁ、今思い出せて良かったと思うべきだよなぁ」


 後悔は数知れず。

 これからの日々を思えば出てくるのはため息ばかりである。

 しかし、不幸中の幸いというか、今の俺は前世を思い出した所為か、今までの行いを振り返って反省し、己のある意味がっかりな適性を受け入れられる度量はある。

 そして更に幸運なことに、入学式と成人式は二週間後であり、倒れたこともあって処分は先延ばしにされたらしい。

 過去の俺を振り返りつつ、常用している【風の囁き】という盗聴紛いのスキルで屋敷内の音を拾った結果、生死を彷徨ったばかりの俺にそんな残酷なことは出来ないと言い張った母上と父上の主張に祖父が折れたのが聞こえたのだ。

 祖父の声は通信魔具を通してであったが、それでも最後は両親と共に俺の生存を喜んでくれたのも聞こえた。


「愛されてるよなぁ、俺」


 冷静に考えれば二人ともまだ若々しいし、俺を殺して次をつくった方がよほどいいと思うのだが、いやはや祖父といい両親といい、肉親の情とはどちらにとっても重たいものである。


「王道小説的に俺が前世を思い出したことに理由づけるなら、『愛してくれた人達に恩返しを』ってところか?」


 というか風の精霊の善意で音を拾って貰っているので己の魔力を探知されずに盗み聞きが出来るというこの【風の囁き】は些か便利すぎるスキルである。他にも風や水系の魔法や刀に関するスキルは結構持っている。中には【初撃の一閃】とかいう居合切りを必ず命中させられる反則的なスキルのもある。冒険者の言葉を否定したくて試しに使ってみた刀と、風と水の魔法ではいとも簡単に高位スキルを取得出来、更に絶望したのはいい思い出である。

 これだけ便利なスキルを持ちながら、スキルの無い槍と、たいして役に立たない炎と雷の魔法だけで中の上の成績を維持できたドイルは、馬鹿だったのと反抗期さえなければ勇者をやっている父親より強い気がする。

 流石、【炎槍の勇者の孫】であり【雷槍の勇者の息子】であり【聖女の息子】だ。


「取りあえずアギニス家は継げなくてもいいけど、死亡フラグは折っときたいな」


 取り敢えず、不遇の事故に遭って死んだ前世を思い出した所為か俺は死にたくない。家は継げたら面白そうだけれど、継げなくてもいいと思う。前世でもそうだったが、俺はリーダーシップを取ったり、物事の中心になりたいという欲は薄いのだ。

 俺は両親や俺を信じてついてきてくれる人達の側に居られればいい。

 そして叶うなら、愛してくれている人々に胸を張れる人間になりたい。

 これは幼い頃からずっと思っていたことである。前世を思い出す前の今までは、皆の望む形である次代の槍の勇者になることに固執していたが、別に恩に報いるだけなら槍の勇者になる必要など無いのだと今の俺なら思える。

 幸い、今までの振る舞いの所為か、周囲のドイルに対するハードルはとても下がっている。これなら恐らく、真面目に生きるだけで周囲は喜んでくれるだろうし、死亡フラグも折れるだろう。


「…………時間が無いが、入学式で一発やっといた方がいいな」


 ドイルの最後の我儘となるであろう、入学式の宣誓。

 成人式の宣誓は王太子が行う予定であり、本来ならば中等部トップだったリュート・シュタープと呼ばれる平民出の青年がやる予定だったのを権力に物を謂わせて奪ったお役目である。

 近い未来、国の中枢を担うことになる人間達の代表となる宣誓は、成人式、入学式共にとても栄誉ある役目である。大した努力もせず、問題行動ばかりをとっていた俺がやるなど恥知らずもいい所であるが、取り巻き達に煽られ引っ込みがつかなくなりリュートから奪ったのは記憶に新しい。

とても栄誉あるお役目だ。

 本来ならしかるべき努力をした人間にやらせてあげたいが、同時に人生の転換点にするにはこれ以上ない場でもある。此処は、今後の俺の人生の為にリュートには涙を呑んで貰おう。


「いつかこの恩は返すからな、リュート」


 聞こえるはずの無い決意を口にした所で眠気が襲ってきた。俺はその眠気に抗うことなく、立てていた枕を戻し横になる。そして徐々に強くなる眠気に身を任せる。段々霞がかってくる思考の中、二週間後の入学式でどれだけの人間に本気で反省していると思って貰い、感動してもらえるかが見せ場だなと考えながら、俺は眠りに落ちた。


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