第十二話
「大丈夫かー? これは、何本だ?」
「…………三本です」
「おっし! 大丈夫そうだな。今どういう状況か、わかるか?」
「――――――――俺は、負けたんですね」
「そうだ。――――――記憶も大丈夫そうだから、起き上がっていいぞ。おい、お前ら手伝ってやれ」
定番の意識確認を行ったレオパルド先輩は、ジンの答えに満足そうに頷き体を動かす許可を出した。
そして、先輩の指示に従う先輩方の助けを借りて起き上がったジンは、治療班の先輩達に御礼を述べると、俺と真っ直ぐ目を合わせる。
「俺の答えは満足いただけたか?」
俺がそう問えば、ジンは力なく笑った。
「十分です」
「それは、良かった」
そう言って俺は立ち上がった。
そして、ジンに手を差し出す。
ジンは差し出された俺の手をしばらくジッと見た後、ガシっと握って立ち上がった。
そんな俺達の様子を見ていたレオパルド先輩達も撤収作業に移った。使用した魔法薬の種類と量を細かく紙に記入している。
「ドイル様。最後の一撃を受けて、最初から最後までずっと手加減して下さった事を悟りました。私、ジンはドイル様の武威この身にしかと。同時に、開始前にドイル様のお言葉を疑った事を深くお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした」
そう言って、折角立ち上がったというのに平伏したジンを見下ろす。
手加減していたことは確かである。もっと強力なスキルは幾らでもあるし、そもそも強くは無いがある程度の雷魔法を使うことが出来る。最初の一撃、もしくは他の攻撃の時に、水だけではなく雷も刀に纏わせておけば容易くジンを仕留められただろう。
「顔を上げて下さい、ジン殿。言葉を疑われるような言動を今まで行っていた、私にも非はあります」
「いいえ! ドイル殿に非などありません! ドイル様は俺に誠実でいらした! 完敗です! 私の槍などドイル様の足元にまったく及びませんでした」
「……ジン殿の槍も素晴らしかったですよ。あそこまで炎槍と雷槍の両方を使いこなせる槍使いはいません。父や祖父でさえ一属性しか使えないのです。流石は【槍の申し子】でした」
余裕で勝った俺が言うと、下手したら馬鹿にしていると受け取られかねないが、今日の最終目標である第二のカミングアウトをするには、是非ジンに再戦を申し込んで貰わねばならない。ここは、怒らせるくらいつついておいた方がいい。
実際、俺の言葉を聞いたジンは悔しそうに顔を歪めている。
そうだよな、あっさり下しておいて【槍の申し子】とか嫌味にしか聞こえないだろう。
馬鹿にされたと、殴りかかってこないかなと思ったのだが、俺が思っている以上に、このジンという少年は真っ直ぐで清らかな心を持っていたらしい。
「いいえ。その名はもう俺には相応しくないものだと、この試合で痛感いたしました。つきましては、その名をドイル様に返上すべく、槍を用いての再戦をドイル様にお願いいたします!」
やべぇ、こいつ思った以上の馬鹿だ。
ジンの言葉を聞いてそう思ってしまった俺は悪く無いと思う。
ジンの言い方は一聞すれば俺に【槍の申し子】という名を返すから、自分を使って周囲に証明して欲しいとも取れる。この場にいる大半はそう受け取っている。実際、治療班の先輩達や先生は感心したようにジンを見ている。これは野次馬の大半も同様に受け取ったとみていいだろう。
しかし、こいつの本心は絶対に違う。
現に、俺と同じ結論に至ったであろう殿下は、観覧席で頭を抱えている。
殿下。
いつもそんな顔させるのは俺だったけど、今はこいつなんですね。
ご愁傷様です。
心の中で殿下に手を合わせ、ジンに向き直る。
ジンはヘーゼル色の瞳をキラキラと輝かせ、幻覚の耳をピン! と立て、尾っぽを千切れんばかりに振っている。
そう。ジンは、間違いなく、戦馬鹿だった。
凄い!
強い!
刀でこれなら、槍はもっと凄いの!?
やばい!
超戦いたい!!
というジンの心の声が聞こえてくる。
想像して興奮したのか、若干顔が赤らんでいる。
その期待に満ちた目に、俺はため息をつきたくなった。
きっとジンにとって【槍の勇者】といった名などどうでもいいものなのだろう。
強くなりたい。
もっと、強い敵と戦いたい。
それは、脳筋にありがちな純粋無垢な願い。
ただその一心で、ジンはここまできたのだろう。
込み上げる怒りに近い嫉妬心を必死に押し込める。
俺だって、こいつみたいにひたすらに強さのみを追えていたのなら、道を誤ることは無かっただろう。
ジンは槍の適性が無いなら剣を、剣も駄目なら弓をと武器を変えただろう。
そして、その道を無心に極めようとしたはずだ。
強くなる。
その一点のみ考えていられるジンは、何て幸せな男だろうか。ただそれだけのことが出来ず、悩んで、苦しんで、道を踏み外した俺は、なんだというのか。
ジンには一生、俺の苦悩を知ることは出来ない。
それが、今はっきりとわかった。
同時に、俺は此奴が嫌いだと強く思う。
俺が一番欲しくて、一生懸命追い、求め続けて、でも手に入れられなくて諦めたもの全てを持っている此奴が俺は死ぬほど嫌いだ。
「お断りします」
「えぇっ!? やりましょうよ!」
「無理です」
「何でですか!? はっ!? 俺が弱いからですか? ならば、さらなる研鑽を積んできますので! それも頼み方の問題ですか? 確かに負けた分際で、タダでお相手願うのも――――」
「黙れ!」
大きな声を上げた俺にジンはビクっと体を跳ねさせ固まった。
そして、その目は驚愕に見開かれ、俺を見ている。
周囲も同様で、俺とジンのやり取りを面白そうに見ていたレオパルド先輩も、興味深そうに窺っていた先生も驚いた表情で俺を見ていた。
勿論、観覧席にいる殿下や団長や祖父も。
ああ、もっと穏便にカミングアウトしようと思っていたのに、どうしてこうなってしまったのか。
頭の隅でそう思ったが、それでも俺は言葉を飲み込むことが出来なかった。
「お前が強かろうか、弱かろうが関係無いんだよ! 土下座されようと、金を積まれようがお前と槍を使って戦うことは一生無い!」
「ド、ドイルさ」
「俺にはなぁ! 槍の適性も無ければ、棒術の適性も無いんだよ!」
声を上げる俺にジンは果敢にも声をかけようとしたが、遮るように叫んだ俺の台詞に、完璧に動きを止めた。
そして、俺はそんなジンの胸ぐらを掴みあげ、なおも続ける。
「俺の気持ちが分るか? 祖父と父が槍の勇者だというのに、槍も棒術も適性が皆無だと知った時の俺の気持ちが! 適性が低いとかスキルが少ないとかじゃなくて、皆無なんだよ!! 皆無!! 十年だぞ? 十年!! 十年間、ひたすら槍を振り続けても結局、一つもスキルを取得出来なかった俺の気持ちが、貴様などに分かるか!!!」
ジンは無抵抗だった。
俺に胸倉を掴まれたまま、ただ唖然と俺を見ている。
「槍と棒術だけじゃない。炎と雷の魔法適性だって、低いんだよ! どれだけ練習したって、どちらも精々中級の初歩止まり! 高位魔法は勿論、精霊魔法だって俺には使えない!!」
そこまで言い切って、俺はジンを投げ捨てる。
ズシャッと地面を擦る音が聞こえたが、そんなことはどうでもいい。
しかし、何の非も無く胸ぐらを掴まれた挙句、無造作に投げ捨てられたというのに、ジンは抵抗は愚か、言葉一つ発することなく、ただ唖然と俺を見上げていた。
「…………水と風魔法は全てのスキルがほぼ取得可能で、高位魔法の氷魔法のスキルもほぼ取得できる。剣、中でも刀とレイピアの既存スキルはほぼ取得できた。他の武器も槍と棒術以外は大半のスキルが取得できる。けどな。けど、どれだけ槍を振ろうが、どれだけ研鑽を積もうが、どれだけ時間を費やそうが、俺は一生、【槍の勇者】にはなれない! たったそれだけの事実を認めることが、今まで出来なかった。どうしても出来なかったんだよ! 許容できなくて、忘れたくて! そうやって、逃げて周りに散々迷惑かけて! 心配かけてるのが分かってても! 誰にも知られたくなかったし、どうしても認めたくなかったんだ!!」
ポロリと涙が零れたのが分かった。
こんなはずでは無かったのに、と思いながら袖で涙を拭う。
こんな大勢の前でこれ以上の醜態を晒したくはない。
ああ、もう。
これでは計画もくそも無い。
ただの子供の癇癪になってしまったじゃないか。
これも全部、目の前の、戦馬鹿の所為だ。
「………………それでもいい加減認めようと、認めなければいけないと思ったんだ。俺を信じて付いてきてくれた奴らの為にも、散々迷惑かけたのに守ろうとしてくれた両親の為にも、いつまでも待っていてくれる子の為にも、こんな、こんな俺でも愛してくれる人達の為に、彼らに胸張って生きる為にも、全部認めようと思ったんだ! ――――――だから、ジン殿が幾ら望もうとも槍での戦いはしない。俺は、俺には、槍を使って戦うことが出来ないから。だから、すまないが諦めてくれ。戦うまでもなく【槍の申し子】の名も、【次期勇者】の名も、どうせ俺には継げない」
何の音もしなかった。
辺りはしんと静まり返り、不気味なほど静かだ。
こりゃ、やらかし過ぎたな。
言いたいこと言って、ジンに八つ当たりしつくした俺は一気に熱が冷めた。
そして、改めて周囲を観察する。
俺のカミングアウトが衝撃的過ぎたのか、微動だにしない周囲に苦笑いしか浮かばない。
本音を言えば、今すぐ逃げたかった。
これだけの人の前で、癇癪を起すなどとんでもない醜態である。
穴があったら入りたいとはこのことだ。
いくら前世を思い出し精神的に成長しても、所詮餓鬼は餓鬼だったのだ。
しかし、この状況をつくった責任は取らねばならないだろう。
全てを認めて生きると決めたから。
「投げて悪かったな。大丈夫か?」
取敢えず手近な所からと、ジンに手を差し出し安否を問う。幾ら治療薬で治療済みとはいえ、意識を失うほどの大怪我した人間を胸ぐら掴んだ挙句、投げ捨てるとは非人道的であった。反省しなければ。
「ドイルさま、ぼくは――」
「すまない。ただの、八つ当たりだ。お前は俺の欲しかったもの全部、持っているからな」
「ぼくが、その、ぼくは、」
「なんだ?」
俺が八つ当たりした所為で、一人称が僕になってしまったジンに罪悪感を感じつつ謝罪する。何か言いたそうに、それでも言葉に出来ない程狼狽えてしまっているジンに、差し出した手を引っ込めた。そして地面に座り込んだままのジンと目線が合うように、しゃがみ込んで母のような慈愛の籠った笑みを心掛けて優しく問いかける。
すると、何かを堪えるようにぐっと唇を噛んでいたジンの目に見る見るうちに涙が溜まっていく。
って、おい、待て。
何故、零れんばかりの涙を浮かべているんだ!?
「ぼ、ぼく、そんなつもりじゃ……、ご、ごめんなさっ、う、うわぁぁぁぁぁん!!!」
泣・い・た!?
ボロボロと涙を零しながら、声を上げて泣きじゃくるジンに、俺は、それはもう盛大に慌てた。逆切れされたり、呆れられる可能性は想像していたが、大号泣されるなど誰が想像するのか。
「ジン!? お・落ち着け。落ち着くんだ、ジン! 深呼吸! 深呼吸しろ、ジン! あぁ、悪かった、俺が悪かったから泣かないでくれ!」
「ど、い、る、さまは、わ、わるくないです! ぼ、ぼくが、わかんなかった、から! ど、どいる、さまを、きずつけて、ゔうぅぅぅぅぅー」
「大丈夫だ! 俺は大丈夫だからな!? ほら、これで涙拭け!」
お前何歳だよ!
と突っ込みたくなるような泣き方をするジンを、何とか泣きやまそうと思って慰めれば、更に泣き出した。どうしたらいいか分からず、取りあえず亜空間に仕舞っていたタオルを取り出してジンの顔に当ててやる。
「どいるざまぁ、そんな、ぼ、くに、や、やさじく、しない、でぐだ、わあぁぁぁぁぁん!」
何故、更に泣く!?
ああ、もう!
子供って、どうやって泣き止ますんだっけ!?
だ、誰かに助けを!!
泣き止むどころか、更に泣き出してしまったジンに俺は途方に暮れていた。そして、自力であやすことを諦めて、誰か自分を助けてくれる人物を探すべく、近くの人達に目をやる。
だが、しかし、
「アギニス、お前、辛かったんだな!」
「アギニス! 先生は、先生はお前の味方だからな!!」
「「ぐすん!!」」
レオパルド先輩は辛そうに顔を歪め俺の肩に手を置いた。
そして、先生は袖で涙を拭いながら、拳を握りよく分からない宣言をしている。
あと二人いた治療班の先輩方は、ハンカチを噛みしめていた。
や、役にたたねぇ!!
ジンのように泣きじゃくることは無いが、それでもそれぞれ、己の内に迸った何かを処理するのに忙しそうな先生と治療班の先輩達はどう見ても役に立たなそうだった。
むしろ俺は今、ジンを泣き止ますのを手伝って欲しいんだよ! と言いたかったが無理そうなので、他を探す。
そして周囲に目を走らせる中、殿下の存在を思い出した。藁にも縋る気持ちでようやく思い出せたジンの飼い主を求め、観覧席に目をやる。
「あれ?」
が、そこにいるはずの殿下の姿が見当たらなかった。
そんな!? と絶望にも似た気持ちを感じながら、俺は観覧席周辺をくまなく探す。
だが、しかし、俺が求める姿は何処にも無かった。
「あ……、どいるさま、うしろ――――」
目を皿にしながら、野次馬達の中から殿下の姿を探していたその時。
泣きながら呟いたジンの言葉に反射的に後ろを向いた瞬間、俺の頭上に黒い影がかかった。
そして、
ゴンッ!!!!!
鈍い音とともに頭部に走った鈍痛に、俺は呆気なく意識を飛ばした。
そして、俺が意識を飛ばす瞬間。
最後に目に映ったのは、唇を噛みしめ、顔を真っ赤に染めながら、ポロリと一筋の涙を零した殿下が、愛用のメイスを持って立っている姿だった。
ここまで読んでいただき有難うございました。