文末表現についてのちょっとした気づき

作者: へんさ34

 小説を書き始めて最初に引っかかったのは文末表現だ、という人は多いと思う。「~た」や「~だった」が連続し、文章が単調に感じられてしまうアレだ。

 かく言う僕は現在進行形で悪戦苦闘中だ。ついつい同じような表現を使い回してしまい、頭の悪そうな文章になってしまう。


 そこで、僕はお気に入りのネット小説・一般文芸・ラノベ・文学作品を改めて読み直してみた。そこで、あることに気がついた。



 文学作品ほど、文末表現の「~た」が連続している事が多いのである。


 例えば、夏目漱石の「こころ」より。

「先生の返事が来た時、私はちょっと驚ろかされた。ことにその内容が特別の用件を含んでいなかった時、驚ろかされた。先生はただ親切ずくでら返事を書いてくれたんだと私は思った。そう思うと、その簡単な一本の手紙が私には大層な喜びになった。(もっと)もこれは私が先生から受け取った第一の手紙には相違なかったが。」


 意識しないと読み流してしまうが、4連続「~た」だ。ちなみに『驚ろかされた』はタイプミスではなく原文ママ。



次に幸田露伴の「幻談」より

「さあ出て釣り始めると、時々雨がきましたが、前の時と違って釣れるわ釣れるわ、むやみに調子の好い釣になりました。とうとうあまりに釣れるために(おそ)くなって終いまして、昨日と同じような暮方(くれがた)になりました。それで、もう釣もお終いにしようなあというので、蛇口から糸を外して、そうしてそれを(しま)って、竿は苫裏(とまうら)に上げました(以下略)」

 こんな調子で、7連続「~た」が続いていた。

 ここで、勘のいい人は気付くと思う。「あれ?一文がメチャクチャ長くね?」と。


 そう、「~た」が何連続しようが、一文が長ければ違和感は中和されてしまうのである。


 以上のことを踏まえると、この文末表現問題には二つの解決策があることがわかる。


 一つ目は、文章の長さをそのままに文末表現を工夫するやり方だ。

 二つ目は、文章力を上げて読みやすい長文を書けるようにするやり方。


 ただ、ぶっちゃけ流行的に二つ目は採用しづらい。特になろうで書くことを考える場合、二つ目はかなり難しいだろう。


 まず、長文は見てくれが悪い。文字がバーっと並んでいる文章は読まれる前に諦められてしまう事が多い。

 なにより、なろうの読者は「サッと手軽に小説読みたい」という人が大部分だろう。


 と、ここまで考えて僕はバカなことを思った。

「長文を読ませる文章力とか、持ってたらカッコよくね?」



 こうして、おバカな男子高校生の一日は終わっていくのである。