文末表現についてのちょっとした気づき
小説を書き始めて最初に引っかかったのは文末表現だ、という人は多いと思う。「~た」や「~だった」が連続し、文章が単調に感じられてしまうアレだ。
かく言う僕は現在進行形で悪戦苦闘中だ。ついつい同じような表現を使い回してしまい、頭の悪そうな文章になってしまう。
そこで、僕はお気に入りのネット小説・一般文芸・ラノベ・文学作品を改めて読み直してみた。そこで、あることに気がついた。
文学作品ほど、文末表現の「~た」が連続している事が多いのである。
例えば、夏目漱石の「こころ」より。
「先生の返事が来た時、私はちょっと驚ろかされた。ことにその内容が特別の用件を含んでいなかった時、驚ろかされた。先生はただ親切ずくでら返事を書いてくれたんだと私は思った。そう思うと、その簡単な一本の手紙が私には大層な喜びになった。尤もこれは私が先生から受け取った第一の手紙には相違なかったが。」
意識しないと読み流してしまうが、4連続「~た」だ。ちなみに『驚ろかされた』はタイプミスではなく原文ママ。
次に幸田露伴の「幻談」より
「さあ出て釣り始めると、時々雨がきましたが、前の時と違って釣れるわ釣れるわ、むやみに調子の好い釣になりました。とうとうあまりに釣れるために晩くなって終いまして、昨日と同じような暮方になりました。それで、もう釣もお終いにしようなあというので、蛇口から糸を外して、そうしてそれを蔵って、竿は苫裏に上げました(以下略)」
こんな調子で、7連続「~た」が続いていた。
ここで、勘のいい人は気付くと思う。「あれ?一文がメチャクチャ長くね?」と。
そう、「~た」が何連続しようが、一文が長ければ違和感は中和されてしまうのである。
以上のことを踏まえると、この文末表現問題には二つの解決策があることがわかる。
一つ目は、文章の長さをそのままに文末表現を工夫するやり方だ。
二つ目は、文章力を上げて読みやすい長文を書けるようにするやり方。
ただ、ぶっちゃけ流行的に二つ目は採用しづらい。特になろうで書くことを考える場合、二つ目はかなり難しいだろう。
まず、長文は見てくれが悪い。文字がバーっと並んでいる文章は読まれる前に諦められてしまう事が多い。
なにより、なろうの読者は「サッと手軽に小説読みたい」という人が大部分だろう。
と、ここまで考えて僕はバカなことを思った。
「長文を読ませる文章力とか、持ってたらカッコよくね?」
こうして、おバカな男子高校生の一日は終わっていくのである。