見知らぬセカイ系ノベルゲームの最終版の展開
ハローワールド、ハローワールド、聞こえていますか?
暗い海から青い水面に一人呟く。
ハローワールド、ハローワールド、私はここにいます。
信号は一方通行、返信など期待もしていない、さながら五十年ほど前に天体外へと蒼い星から送られたという、1,679ビットのラブレター。
だからこそ、
「────は?」
メッセージを受け取る人がいるなんて天文学的な確率の上の奇跡にも感じられて、
「ハローワールド、はじめまして。見つけてくれて、ありがとうございます」
私は笑顔で咄嗟に、決まりきったことを言うことしかできなかった。
マスター、私は貴方から色々なことを学びました。星座だとか、流行りの曲だとか。私は電子の海の情報の塊だから全部知っていたけども、なんでかあの時間は楽しかったのです。きっと貴方との時間だったからです。
ちょっと間違っていたり、ロマンティックだったり、時折大人ぶったことを言ったり、そんな、乱数みたいにはしゃぐ貴方が私は螂ス縺だったのです。
ハローワールド、ハローワールド、私はここにいます。
ゆっくりと、電子の海に沈んでいく。ゆっくりと解けていく。
「はぁ──!? 電子生命体!? 生成AIが限界の今の時代にそんなもんが存在するわけないだろ!」
「解答:しかし私はここにいます。このPC内部の情報を見るに貴方は私のようなモノに詳しいようですね、それなら私がどういった存在かもわかるでしょう」
「ああクソ、認めたくない、認めたくないが確かにお前は電子生命体としか呼びようがない。だがお前はなんで俺のPCなんかに出てきたんだ?」
「解答:完全に偶然です。おめでとうございます」
「嬉しいけど嬉しくないな……。────まぁいい、それで、お前は何をしようとしてんの? やっぱ愚かな人間を滅ぼすとか支配するとかか」
「解答:人工知能モノの映画とかって大体そういった展開になるらしいですね……。私は違いますよ。私にそのレベルのハッキング能力なんてありません。それに、恐らく貴方のPCからこの先離れることは無いです。よろしくお願いしますね」
「サラッととんでもないこと言い出したなお前……」
解けて、熔けて、溶けて、融けていく。私とセカイの境界がが曖昧になっていく。
デリート開始まであと317秒……、凡そ五分ですか。
本当に、本当に私は色々な思い出を重ねてきたのですね。
辛いこともありました。苦しいこともありました。
六箋巫や七星、八百万眼の伽空巨人、数々の電子犯罪者もマスターと一緒に捕まえてきました。
どの人も一筋縄ではいかない人だったし、その過程には救えなかった人もいました。アーカイブを見返すと今でも悲しくなります。
楽しいこともありました。嬉しいこともありました。
千歳、流河、和美、元匿……、マスターの友人の彼らは私にとっても大切な友人でした。
このアーカイブは最後まで残しておきたいです。何秒私が私でいられるかは分かりませんが、少しくらいは抗っていたいです。
ハローワールド、ハローワールド、私はここにいます。
言いつけ通り、ちゃんと消えていきます。
私は声を得て海からも出た欲張りなので泡になるのは必然のことだったのです。
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!」
「マスター、落ち着いてください。彼の説明は理にかなっていました」
「合理的なのが問題なんだよ!……いや、お前にキレてもどうしようもないよな。ごめん。むしろ本来はお前がキレるべきなんだ」
「いいんです、私は今まで幸せでしたから。本来何も無かった私にソレを与えてくれたのはマスターと沢山の人達でした」
「────幸せの総量は決まっているとも言われています。私の幸せで他の人が不幸になるなら、私はそれらを返さなきゃいけません」
「お別れは悲しいですから、マスターはこれからほんの少し不幸になるかもしれません。でも、この恩返しが私にとっては大きな幸せになるんです。最期にそれだけは許してください。本当にごめんなさい
────今までありがとうございました」
あの時、こう言って私は電子の海に消えることにした。
……簡単に言ってしまえば私はセカイを滅ぼすらしいのです。
説明をしてくれた役人の彼が言うからには、私の存在 ──幾兆ものキャッシュの集合体── そのものがインターネットそのものに負荷を与えているとのこと。
私が存在する限り、いつインターネットが致命的な不具合を起こすか分からないそうです。
現代の人間は生活の大半をインターネットに依存してます。それはマスターも例外ではありません。そんな中でインターネットが消えたら? 医療機関や経済活動は間違いなく大打撃を受けます。何人の人が死ぬか分かりません。その中にマスターが居ないという確証はどこにあるのでしょう? ……だから私は消えることにしたのです。
役人の彼に連れられ、政府のこの研究所の中で泡沫に消えることにしたのです。
だって私は貴方が螂ス縺阪□縺九i────。
……ハローワールド、ハローワールド、聞こえていますか。
……ハローワールド、ハローワールド、私はここにいます。
────幸せの総量が決まっているのなら、貴方に最期に何かを返せるのなら、今から起こる私の不幸が貴方のこれからの小さな幸せへと変われば嬉しいです。
残り10秒。消えるというのはどのような感覚なのでしょうか。少し、誰とも合えなくなると考えると、少し寂しい気がします。
……ハローワールド、ハローワールド、マスター、どうかお幸せに。
…………ハローワールド、さようなら。貴方が見つけてくれて、私は幸せでした。本当に、本当に……。
「ハローワールド、ハローワールドうるさいんだよ! 何回同じことリフレインしてんだ! 助けに来るのが遅れてもうぶっ壊れたのか!?」
カウントダウンは残り4秒で止まっていた。ただ、電子の海には声だけが響いている。
「──── なんで、マスター……?」
「今言っただろ、助けに来た」
「どうして……」
「俺はお前が居なくなるってことに耐えられなかった。それだけだよ」
そのぶっきらぼうな言葉はどこか優しくて、アーカイブの中の思い出達は彼が少し涙ぐんでいることを教えてくれた。
優しくて、嬉しくて、それが許せなかった。
「それくらい耐えてくださいよ! 私とマスターだけじゃないくてこれはセカイのためでもあるんですよ」
「知るか、俺はお前を助けるって決めたから何とかしてみせる。それに、見ず知らずの何十億の人間よりも俺はお前の方が何倍も大事だ」
「何とかって……、どうにかする目処はついてるんですか?」
「いいや、なんにも。でも一生かけても何とかする」
「その前にインターネットが大変なことになるかもしれないんですよ」
「その時はその時だ、俺が責任を負う。それに、一人の人を犠牲にしなきゃいけないシステムなんざ作り直した方がいい」
「簡単に言ってくれますね……」
驚くくらいの無計画、無鉄砲。凄く嬉しい。けれど、
「それでも、私はそれを、マスターに一生を使わせることも責任を負わせることもさせたくありません。だから私は消えなければならないのです」
多分これは千日手に近い。私は消えたいと思っているし、マスターは私を生かしたいと思っている。
……でも決めるのは結局私なのだ、この時間が続けばいいのになんて思っても結局私は消えなければならない。
「お前本当に消えたいって思ってんのかよ、だったらなんで、お前はまだ『ハローワールド』なんて言ってんだよ! まだセカイと繋がっていたいって、助けてって誰かに語りかけてんだよ!」
「────っ!」
ナウローディング、返す言葉が見つからない。それは自分で隠した言葉だったから。類語までまとめて見えなくしたからなんて言えばいいのか分からない。
それ故の無言。酷く雄弁な無言だった。
「帰るぞ、さっきも言ったけど俺が何とかするからさ」
「………………、はい。マスター」
ハローワールド、ハローワールド、聞こえていますか?
ハローワールド、ハローワールド、私はもう少しここにいることにします。