婚約破棄に絶対記憶で立ち向かう
一度書いてみたかった、婚約破棄物です。
ブームが終わってから、こっそり投稿。(^^ゞ
「アドリアーネ、お前との婚約は、今、ここで破棄する!」
この国、アルバーニ王国の第二王子であるジルベルト殿下が、タルディア伯爵家三女である私、アドリアーネ・フォン・タルディアに向かって高らかに宣言なされた。勝ち誇ったかのような顔の、ミッシローリ男爵家の長女であるラヴィーナ・フォン・ミッシローリ嬢をその横に侍らせて。
場所は王宮内のダンスホール、ジルベルト殿下御自らの誕生日祝賀パーティーの席上。国内の貴族の大半と、近隣諸国からの多数の来賓が集まったその真っ直中で。
信じられない、という顔の国内貴族の皆様と、面白いものが見られそうだと好奇心いっぱいの諸国来賓の皆様方。
王様は、馬鹿がやりやがった、という感じで頭を抱えておられ、王妃様は無表情です。……怖いですわ、その能面のようなお顔。
王様が動かれる御様子がないのは、最早手遅れであること、そして今口を出すと収拾が付かなくなるので最後まで言わせよう、というお考えなのでしょう。
「言い訳は聞かんぞ! 今更縋ってももう遅い、お前は……」
「承りました。では、婚約は破棄、ということで」
「え………」
泣いて取り縋るとでもお思いだったのか、二つ返事で了承した私に、驚いて目を見開かれるジルベルト殿下。
「え、いや、しかし、お前………」
「婚約者がいるというのに、婚約破棄もしないうちから他の女性を侍らせるような方には興味ございません。
しかも、そういうお話は身内だけで行うもの。わざわざこのような場で一方的に宣言するなど、相手を晒し者にしようという悪意しか感じられませんわ。
大方、私を晒し者にして悪人に仕立て上げ、御自分達の不貞行為を誤魔化すおつもりか何かなんでしょうけど……」
「な、なっ………」
いつも眠そうに半分眼を閉じてぼんやりとしている私が、まさかそんな反撃をしてくるとは思ってもおられなかったのか、いえ、それ以前に、私がそう簡単に婚約破棄を了承するとは思っておられなかったのか、予定が狂ったらしい殿下は焦られた御様子。
このままでは、御自分達が完全に悪者になってしまいますからね。いえ、事実、そうなんですけど。
「では、無駄となりました王妃教育のために費やしました時間と今まで他の殿方との交流の機会を制限されておりました事への慰謝料、そしてこのような場で辱めを受け、今後の縁談に大きな影響を与えられたことに対する賠償金、家名に泥を塗られたことに対する補償、その他諸々の件につきましては、後日、正式に請求致します。それでは……」
そう、ジルベルト殿下は、第二王子なのに王太子なのです。その婚約者であった私は、厳しい王妃教育と、他の殿方との交流禁止という制限を受けておりました。
「ま、待て! ちょっと待て!!」
おや、かなりお焦りの御様子……。
「お、お前がラヴィーナに言いがかりをつけたり嫌がらせをしていた事は明白な…」
「存じませんわ、そのようなことは。それに、もし私がそのような事をしていたとしても、自分の婚約者に横から手を出す泥棒猫に文句を言って、何か問題でも? 恥ずべきことをしているのはどちらでしょうか?」
御自分の言葉を遮って放たれた私の言葉に、ジルベルト殿下はぐっと言葉に詰まられた御様子。
「し、しかし、お前がラヴィーナに危害を加えたことは問題だろう!」
「危害? いったい何のことでしょう?」
「とぼけるな! お前がラヴィーナを学院の階段から突き落としたことだ!
そうだな、ラヴィーナ!」
「は、はい……」
ラヴィーナ嬢は、最初の勝ち誇ったような表情から一転して、何やら顔色が悪い御様子。恐らく、ここでこの話を出す予定は無かったのでしょう。
「証拠はございまして?」
「男爵家令嬢であるラヴィーナがそう言っているんだ、充分な証拠だろうが!」
「おや、では、伯爵家令嬢である私が『そんな事実はない』と証言すれば、それも充分な証拠ですよね?」
「ぐっ………」
まさか、いつもぼんやりとしている私に言い負かされるとは思ってもおられなかったのか、ジルベルト殿下はかなり動揺されている御様子。
しかし、どうやら反撃の糸口を思い付かれたのか、勝ち誇ったようなお顔をなさいました。
「証人だ! 現場を見ていたという証人がいる!
カティア・フォン・バルビエ子爵令嬢、アガット・フォン・ヴェルレ伯爵令嬢、ルミア・フォン・ソリエ男爵令嬢、前へ!」
年頃の貴族家令嬢であり、私やジルベルト殿下の同級である御令嬢方は、勿論このパーティーに出席されています。
「は、はい……」
おずおずと前に出て来られた、何やら怯えた御様子の御令嬢達。
それは、まさかこんなところで証言させられることになるとは思ってもおられなかったでしょうから、無理もない話ですわね。
「さぁ、証言してくれ! まずはカティア・フォン・バルビエ子爵令嬢、君が見たことを!」
「は、はい……。あれは5日前の夕方、授業が終わった後、図書館で…」
「ちょっと待って戴いてよろしいかしら?」
「は、はぁ……」
私の制止に、言葉を止めるカティア嬢。
「5日前の夕方、授業のあと、図書館。その日の最後の授業は王宮作法で、バレーヌ先生の授業でしたわね。その日に絶対間違いありませんね?」
「は、はい…」
「分かりました。では、お話をお続け下さい」
「は、はい、その日、私が図書館に行くと、階段の上にラヴィーナ様と、」
「はい、そこで止めて下さいませ!」
「往生際が悪いぞ、アドリアーネ!」
ジルベルト殿下の罵声は無視して話を続けます。
「カティアさん。あなたは確か、水の曜日には……」
私は、くわっと眼を見開き、記憶の蓋を開きました。
「ダンスのレッスンを受けておられますよね。バイヨル先生というとても厳しい先生で、遅刻すると大変なことになるとか…。あの日も確か、授業が終わると同時に急いで帰宅されましたよね?」
「「「え……」」」
「そして私は、授業のあとしばらくアリア様、ロジーヌ様達とお話ししまして、その後サンドラ様達と一緒に帰宅、その後は屋敷で王宮から派遣されているペリシエ先生とずっとお勉強をしておりました」
呆気にとられた人達を放置して、私は話を続けました。
「分かっていらっしゃいますか、子爵家の者が、偽証で伯爵家の者を陥れたとなったら、どのような結果を招くか……。
あなたひとりで済むとは思わないで下さいね。これは、バルビエ子爵家からの、我がタルディア伯爵家に対する悪質な攻撃なのですから、全面闘争になりましてよ? 勿論、国王からも原因となった方への相応の処分が下されるでしょう。良くて男爵家への降爵、最悪でお取り潰しか処刑、とか…。
それと、御存知かしら? あなたの2番目のお姉様が嫁がれた子爵家の一番の小麦の取引先が、私の兄の婚約者のお宅だということ……」
もはや蒼白で、今にも倒れそうなカティア嬢。
「さ、続きをどうぞ」
促す私の言葉に、震える声で話を続けるカティア嬢。
「……階段の上にラヴィーナ様がいらっしゃるのを見た時、ダンスのレッスンがあるのを思い出して、慌てて家へと戻りました……」
やっとのことでそう言い終えると、急いで来客の群れの中へと紛れ込むカティア嬢。
「さて、アガット・フォン・ヴェルレ伯爵令嬢、ルミア・フォン・ソリエ男爵令嬢、お二方は、いつ、何をご覧になられたのでしょうか?
一番上のお兄様が第三騎士団にはいられたばかりのアガットさん、投資していた商人が破産して財政が苦しくなっているソリエ男爵家のルミアさん、おうちの存亡を賭けて、よく考えてお答え下さいね」
「わ、私は何も知りませんわ! ジルベルト殿下が名指しでお呼びになられたから出て来ただけですもの!」
「わ、私もそうですわ! 御用がないようでしたら、下がらせて戴きますわ!」
そう叫んで、さっさと客の集団に紛れるおふたり。
そして、呆然とするジルベルト殿下。
「ア、アドリアーネ、その顔は……」
あら、そちらの方ですか。
「ど、どうして5日も前の事をそんなに詳しく覚えているのよ! それに、あの娘の姉のこととか! 最初から全部仕組んでいたのね! 罠だったのね!!」
「いったい何のためにあなたを罠に嵌めなければならないのですか? そんな意味のないことをしても時間の無駄でしょう?」
「じ、時間の無駄……」
呆然とするラヴィーナ嬢。
そして、叫ぶジルベルト殿下。
「じゃあ、なぜ5日も前のことをそんなに克明に覚えている! それに、なぜ眼をちゃんと開けている! きりっと引き締まったその顔は何だ!!」
え……。殿下もそれを御存知ない? 嘘でしょう?
「わざわざ触れて廻っているわけではありませんから、下級貴族の方や平民の方々が御存知ないのは当然ですが、殿下がそれを御存知ないはずが……。
あの、私の祖母が王宮の相談役だということは御存知ですよね?」
「ああ、全ての会議に陪席し、時々意見を求められると聞いているが…。その祖母の存在があるからこそ、お前との婚約が成されたのであろう」
「はい。そしてその祖母が伯爵家の…、いえ、実際にはタルディア家に嫁入りする前は騎士爵家の出ですから、その、下級貴族出の女性でありながらなぜそのような立場にいるかと申しますと、それは祖母の持つ『絶対記憶』のためなのです」
「絶対記憶?」
ジルベルト殿下の問いに、私は話を続ける。
「はい、『絶対記憶』。一度見聞きしたことは絶対に忘れない、という能力です。だから祖母の頭の中には、この国の歴史、全ての貴族家の方々について、過去の会議の内容や誰がどのような発言をしたか、そして王国のあらゆる法や規則も、全てが記憶されています。会議に陪席させておくと、とても便利でしょう?」
「ま、まさか……」
私は、にっこりと微笑んで答えました。
「はい、私も受け継ぎました。その『絶対記憶』の能力を…。
国王様は、私を王族に取り入れること、そして王家の本流にこの力が伝わることを期待して、王子様との婚約を望まれました。
しかし第一王子様は生涯を共にしたいという女性を見つけられ、かと言って私を側室にしてその子供に王位を継がせるということも問題があり、やむなく第二王子を王太子として私をその正妃にすることとされたのです。
しかし、婚約破棄となった今、事情が変わったので、恐らく王太子は第一王子様に戻るだろうと思いますけれど……」
「なっ………」
私の話に、絶句されるジルベルト殿下。
この話は、当然御存知だと思っていたのですが……。
「で、では、その顔は……」
「ああ、これは別に大きな意味はありませんわ。見聞きしたことを全て記憶してしまい忘れられない、というのは、結構辛いこともありまして…。なるべく余計なことは記憶しなくて済むよう、いつもは眼を半分閉じて、大半のことは聞き流して、ぼんやりしているのです。そのせいで、いつも抜けたような、だらしない顔になってしまっていますよね……」
「な、なっ……。婚約破棄は取り止めだ! 私はこの女に騙されただけで、婚約破棄をするつもりはない!」
「いえ、御本人から破棄の申し出があり、私がそれを受諾致しました時点で、婚約は破棄されました。あとは、手続きを進めるだけです。身内だけの場でならばともかく、これだけ大勢の方々の前で宣言なさったのですから、無かったことには出来ないでしょう……」
「では、もう一度婚約すれば! それならば問題ないだろう!」
「いえ、それもできません」
「なぜだ!」
「私が、絶対に嫌だからです」
「え………」
王太子である自分が望めば、靡かぬ女はいない。
そう思っておられたらしいジルベルト殿下は、信じられない、というお顔をなさっておられます。
まぁ、王太子、というのは私と婚約していたからであり、恐らくこれからはただの『第二王子』で、後には『王弟殿下』になられるのでしょうが。
「一度裏切った人は、また裏切るかも知れませんからね。そのような方と結婚するくらいなら、私が3歳と2カ月12日目の昼過ぎに、転んで泣いている私の擦り剥いた肘を舐めて慰めて下さったあの方とか、5歳と5カ月21日目の夕方に額にキスして下さったあの方とかの方が、ずっと………」
その方々のことを思い出して少し頬を赤らめながら、私は言葉を続けました。
「それに、殿下はラヴィーナ嬢と御結婚なさるのでしょう? 彼女が最後に武術の授業を休まれてから、そろそろ2カ月になりますから…」
「な、何? 私は3日前に初めて……」
「え? あ、その、今のは聞かなかったことに……」
「出来るかあぁ~~!!」
ラヴィーナ嬢は真っ青な顔をしてへたり込んでしまわれました。
悪いことを言ってしまいました……。
そして私は、愕然とするジルベルト殿下に、最後のひと言を贈りました。
「忘れない、ということは、良い思い出もですけれど、怒りや不愉快な思い、そして『裏切られたという思い』もなのですよ。
私が殿下に靡くことは、金輪際、絶対に、永久にあり得ません。それが、『絶対記憶を持つ』ということなのです……」