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第七十話 お前ら、やっと来たのか……。

「基本は出来ていますね。番えた矢から手を離す時に、僅かに揺らしているから狙いがブレる時があるのです」


「なるほど」


 これだけの騒ぎを起こしておいて、未だにブロワ家側からの使者は来なかった。

 仕方が無いので、一部東部側領域の保障占領を続けながら、俺達はバウマイスター伯爵家諸侯軍本陣で暇潰しに没頭していた。


 トーマス達は、占領を宣言した村や町に、条件付きで開放した貴族達の領地に軍政官として出向いて忙しい日々を送っていたし、モーリッツは陣地の守りにブライヒレーダー辺境伯の手伝いが忙しい。


 だが、俺達はかなり暇だ。

 たまに領地から補給物資と共に書類などが回ってくるが、今の時点で俺に過度な負担はかけない方針らしい。

 ローデリヒからは、状況報告くらいしか届いていなかった。


 領地は、未だに人手不足ながら順調に開発が進んでいるらしい。


 その書類を確認してサインをすると、あとは魔法の鍛錬か、既に客人扱いのカルラから弓を習う日々になっている。

 本当は、魔の森にでも狩りに行きたいのだが、さすがに戦時に本陣を抜けるのは駄目なので、暇な時間は全てこれに当てていた。


 俺達の中で一番急がしいのは、臨時司祭になっているエリーゼであろう。

 戦闘は無いが、作業や食料調達のための狩りでたまに怪我人は出るし、病人は言うまでもない。

 

 イーナは、食事の準備などの間に槍の訓練を。

 ルイーゼは、暇になったのか?

 ヴィルマに、初歩的な魔闘流の型などを教えているようだ。


『うわぁ。才能あるなぁ……』


 英雄症候群のせいでパワーファイターに見られやすいヴィルマであったが、実は器用なタイプだったりする。

 魔闘流の覚えも良いし、カルラからナイフの投擲術や弓なども教わって、彼女から才能があるとも言われている。


『その代わりに、兵を指揮する才能はありませんけど』


 実の兄であるモーリッツの評価によると、兵を指揮する指揮官としての才能は皆無らしい。

 とにかくパワーと武芸に優れていて、今の俺やエリーゼの傍で護衛をする状態が一番上手な使い方なのだそうだ。


『そこで、一気に魔力を放出するなよ。糸のように細く、なるべく長く魔力を流すイメージで』


『はい』


 そしてカタリーナは、ブランタークさんから魔法の特訓を受けていた。

 俺と同じく経験が浅いので、苦手な魔力のコントロールを毎日長時間習っていた。

 彼女は『暴風』の二つ名に相応しく、派手な魔法をぶっ放す方が得意なのだそうだ。


「こうですか?」


「段々良くなってきたな」


 カタリーナは目に見えて効果が上がっている実感があるらしく、ブランタークさんからの指導を真面目に受けている。


「大分、的の中心部に纏まるようになったな」


「良い調子ですね」


 俺の方も僅か二~三日の指導で、自分でもわかるほどに弓の腕前が上達していた。


「ですが、意外でした。魔法の他にも、弓がお上手だとは」


「実家は、あのクソ田舎だしね」


 子供の頃は魔法はなるべく隠していたし、魔力が尽きた時の事を考えて懸命に習っていたのだ。

 あとは、実家の空気的に『弓くらいは上手く使えないと』という物もあったと思う。


「獲物が獲れないと、肉が食えない」


「私も同じでした」


 カルラも王都にある母の実家が貧しく、弓で獲物を獲って来ないと肉は食べられなかったそうだ。

 

「そうでなくても、居候状態で肩身は狭いですし」


 ブロワ辺境伯から来る僅かな仕送りを期待している癖に、祖父母、次期当主である伯父、伯母、従兄達と。

 万遍なく、邪魔者扱いされていたそうだ。


「かと言って、ブロワ家でもいない人扱いだったので……」


 急に呼び出されて、好きでも無い父親の世話に、お飾りの総大将まで押し付けられ。

 正直なところ、早く王都に戻って母と二人だけで生活をする算段をつけたいそうだ。


「ええと。何と言いますか……。相談には乗りますので……」


 妻にするつもりはなかったが、美人が憂いているのを見ていたらついそう口にしてしまったのだ。

 やはり、世間的に美人は得なのだと思う。

 

「ありがとうございます」


 暫く練習をするとお昼の時間になり、エリーゼが呼びに来たので昼食を取る事にする。

 相変わらずののどかなお昼であったが、これも頑張って広域エリアスタンに成功したおかげであろう。


「狩りに行きたいわね」


「そうだなぁ……」


 イーナの呟きに、俺だけでなく、エリーゼやカタリーナやカルラですら反応していた。

 カルラに言わせると、こういう時は一刻でも早く狩りに出て獲物を獲りたいのだそうだ。

 

 とても大貴族の娘とは思えないが、今までの生活が俺達と大差なかったので、総大将代理の職などは苦痛でしかない事の証拠でもあった。


「ならば、カルラ様も冒険者になって魔の森に狩りに行くとか」


「それはいいですね」


 エルの、本気なのか冗談なのか良くわからない誘いに、カルラは笑顔で答えていた。


「俺達と行けば、かなりのリスクは避けられますし。あっそうだ。実は俺も弓を教えて欲しいんですよ」


「はい。大丈夫ですよ」


 続けて、エルはカルラに弓を教えて欲しいとお願いをし、それは特に問題もなく受け入れられる。

 昼食終了後、エルは楽しそうにカルラから指導を受けながら矢を的に放っていた。


「エルヴィンさんもお上手ですね」


「カルラ様には勝てませんから。しかし、指導もお上手とは素晴らしい」


 カルラに弓の腕前を褒められたエルは、締まらない笑みを浮かべながら彼女と楽しそうに話を続ける。


「あのバカ……」


「物凄くわかりやすいわね……」


 俺と一緒に遠方からその様子を探っていたイーナは、やはり気が付いたようだ。

 エルが、カルラに惚れているという事実を。


「どれどれ……」


 追加でルイーゼも二人の様子を探るが、それなりに付き合いも長くなってきたのでこちらもすぐに気が付いたようだ。


「エル。完全にお熱だね」


 ルイーゼは、美人なカルラに夢中のエルを見て心の底から駄目出しをしていた。

 まず、エルには俺の護衛という仕事があるからだ。

 別にしなくても、陣内ではモーリッツが部下を配置しているので何の問題もないのだが、サボるのは良くないであろう。


「教えるのもお上手とは。ルイーゼとは大違いだ」


「そうなのですか?」


「はい。カルラさんとあいつを比べると、まさに『月とスッポン』」


「あの野郎……」


 確かに、カルラは自分が上手なだけでなく、人に教えるのも上手い弓の天才であった。

 エルから教えるのは下手だと言われたルイーゼは、声を低くして鋭い視線を送り始める。


 だが、色でボケているエルには全く届いていなかった。


「まあまあ。ルイーゼは、強くて可愛いから(エルのドアホが!)」


 このままだとルイーゼがエルに一撃加えかねなかったので、俺は慌てて彼女を後ろからそっと抱き締めて宥め始める。


「魔闘流と弓術は違うしさ。俺は、ルイーゼが可愛いと思うから奥さんにするんだ。外野の意見なんて無視無視」


「そうかな?」


 歯の浮くような褒め言葉であったが、ルイーゼのご機嫌が直ってくれたようなので、俺は心の中で安堵していた。


「おバカさんにも程がありますわ」


「そうよね。まず、あり得ないし」


 カタリーナとイーナも、辛辣であった。

 形式上は捕虜にしている貴族の令嬢に、陪臣が恋に落ちてしまう。

 物語なら許せるが、現実ではただの迷惑でしかないからだ。


「脈はあるのかね?」


 傍から見ると誰にでもわかるくらい、エルはカルラへの気持ちで顔がにやけている。

 可哀想に、俺よりも良い顔に生まれたのに、あまりに締まらない表情なので若干ブサイクに見えるほどだ。


 元からエルには距離を置いているカタリーナは気味が悪い物を見ているかのようであったし、イーナは身分違いの恋をしているエルを冷静に非難している。


 そして俺であったが、何よりも気になったのはカルラがどのように思っているかであった。

 この状態で、いくらエルでも告白をするとか妙な事はしないであろうと思っていたからだ。


「カルラ様は大人だと思う。別に、エルを意識してはいないはず」


 極めて冷静に答えたのは、俺達の中で最年少であるヴィルマであった。

 彼女は、恋仲になった男女の行為の知識には疎いようだが、男女の機微には意外と敏感なようだ。


「カルラ様は、今の自分の待遇が恵まれていると理解している。だから、エルのスケベ顔にも笑顔で答えている」


 珍しく言葉が長かったヴィルマであったが、その内容は辛辣の一言であった。

 要するに、カルラは社交辞令的な態度でエルと接しているのだと。


「そうかな? 彼女も満更でもないような?」


「ヴェル様は、まだ女性を見る目が甘いと思う」


「厳しいっすね。ヴィルマさん」


 ヴィルマの指摘に、俺は若干心の中でへこんでしまう。


「ヴィルマさんの辛辣ぶりは相変わらずとして、どうせ実らない恋ですわ」


 カタリーナの言う通りで、いくらいらない娘扱いされていたとはいえ、カルラはブロワ辺境伯の娘である。

 陪臣であるエルの妻になど、なれるはずはなかった。


「ヴェンデリンさん、少し目を醒まさせたらいかがです?」


「どうせ、すぐに醒める事になるだろうしなぁ。個人的には、応援したい気もあるだけど……」


 こうなると、貴族としての立場が重荷になってしまうのだ。


「エリーゼはどう思う?」


「私ですか!」


 まさか、真面目なエリーゼが覗きなどしていないと思っていたようで、俺を除く全員が彼女の気配に気が付いていなかったようだ。

 

 俺がコッソリと覗いているエリーゼに声をかけると、彼女は自分が俺に見付かるとは思っていなかったらしい。

 声を上ずらせながら答えていた。


「エリーゼも、結構こういうのが好き?」


「ルイーゼさん。私だって多少は興味がありますから」


 ルイーゼの質問に、顔を赤らめながら答えるエリーゼはかなり可愛かった。

 

「カルラさん。王都に居た頃は、男の方達に人気がありましたから」


 エリーゼやカタリーナとは違って、一言で言うと透明感のある美人であるカルラは、俺から見てもかなり好みのタイプではある。

 顔の系統が少しあっさりしているので、元日本人である俺からすると少し懐かしい感じのする美人なのだ。


「美人で、スタイルが良くて、料理とかも上手だしな」


「カルラさんの場合、ブロワ家に戻るまでは真面目に教会で家事とかも習っていましたし」


 居候をしている実家が経済的な理由でお手伝いさんなど雇えないという事情もあって、エリーゼ達に混じって食事の支度などもテキパキとこなしていたそうだ。


 当然、多くの男性の目に留まるわけだが、彼女の素性を知るとみんな尻込みしてしまう。

 そんな事が続いたせいで、彼女の傍に男性の影はあまり無かったらしい。


「身分違いの恋が理由で、辺境伯を敵には回したくないか」


「はい」


「それはわかったけど、エルに芽はあるのかな?」


「いえ。それも……」


 エリーゼは、ここ最近カルラと料理などしながら良く話をしていたそうだが、彼女が男性に求める物は誠実さであると聞いていた。


「お父様のブロワ辺境伯様のような方が、男性としては一番嫌だそうです」


 自分の母親への待遇を見て、ブロワ辺境伯に好意を抱くというのも難しいであろう。


「エルは……」


 ブランタークさんに女遊びを教わってしまったエルは、少し誠実さが足りないと思われているのかもしれない。

 うちの陣地には女性が多いのでモーリッツ達もそういう話は控えているようだが、全くしないわけでもないし、女性はそういうコソコソ話には敏感ではある。


 エルは立場が特殊なので、早く他の家臣達に馴染もうと一緒に酒を飲んだり下世話な話にも興じたりするので、カルラにも気が付かれてしまっているようだ。


『モーリッツ兄さんは、俗物』


『男は多かれ少なかれ、みんなそうなんだよ!』


 少し前に、とある兄妹の悲しい会話を聞いてしまったので、エルも同類だと思われてしまったかもしれない。

 とある兄は妹に汚物扱いされて、半泣きの状態であったのを思い出す。


「何だあいつ? 締まらない顔をしているな」


 加えてそこにブランタークさんも姿を見せ、エルの駄目っぷりを呆れながら監察していた。


「彼は、恋に悩んでいるのですよ」


「可哀想に。エルの坊主はお熱でも、カルラ様は軽く受け流してるな」


 人生経験が豊富なブランタークさんが見れば、エルの失恋は秒読み段階にしか見えないようだ。


「さすがに、弁えるとは思うが……。ああ、そうだ」


「何かあったのですか?」


「明日ブロワ家から、裁定交渉のための交渉団が来るそうだから」


「えっ? それって、大事件じゃないですか」


 一度開始した裁定交渉を駄目にした挙句にあれだけの事件を起こし、どういう顔をして来るのかは不明であったが、これでようやくこの長い紛争も終わりの糸口が見えたというわけだ。


「そんなに上手く行くかな?」


「でも、まずは交渉を開始しないと意味が無いわけで」


「それはそうなんだがな……」


 ブランタークさんの懸念は、翌日に現実の物となって俺達に圧し掛かってくるのであった。





「さすがに、軍勢は連れて来ませんでしたか」


「集めるにも、お金がかかりますしね」


 翌日の朝、ブランタークさんの報告通りにブロワ辺境伯家は裁定交渉を行う使節団を送り込んでいた。


 占領地が増えたので、味方が駐留している最前線の草原に交渉用の大型テントを建てて待っていると、そこに百名ほどの護衛と共に使節団が到着する。


 だが、いきなり交渉は大きく躓く事となる。

 躓くというか、その入り口にも入れなかったのだ。


「フィリップ・フォン・ブロワである!」


「クリストフ・フォン・ブロワです」


 ある程度予想はしていたのだが、ブロワ家側のトップが二名存在しているせいで、ブライヒレーダー辺境伯がどちらと交渉すれば良いのか聞いたところ、双方が言い争いを始めてしまったのだ。


「長男である俺が交渉する!」


「何を言っているのですか! あなたの失態が、この状況を招いたのでしょう。私が交渉します!」


 二人だけでなく、双方が連れて来た家臣達も言い争いを始めてしまう。

 

「バカな戦争など企てたお前らに、交渉に出る資格などないわ! その前に、みんな捕虜になって随伴が小物ばかり。そんな面子では、ブライヒレーダー辺境伯様に失礼だろうが!」


「お前達こそ、最初は碌に反対もせずに予算や物資の準備をしたではないか! それが、戦況が不利になった途端に掌を返しやがって! 文弱の徒は黙っていろ!」


「剣を振るうしか脳の無いアホに交渉? 寝言は寝てから言え!」


「インテリぶるだけの低脳が! お前らの頭の良さは、見せ掛けだけだろうが!」


 色々と問題はあったのであろうが、ブロワ辺境伯が健在ならばこんな醜態は見せなかったのかもしれない。

 もう一つ問題もあって、交渉に参加できるのはどちらも二十名までである。

 ところが、フィリップもクリストフも両方が二十名の随伴を連れて来たので、互いに譲らずに争いになってしまったのだ。


「半々にしたら如何です?」


 さすがに見かねたブライヒレーダー辺境伯が助け船を出したのだが、それすら新たな争いの原因にしかならなかった。


「諸侯軍幹部の多くが捕虜になっているフィリップ様には、十名も使節団はいらないでしょう」


「事は軍事行動に関する裁定なんだぞ! 諸侯軍を纏めるフィリップ様の随伴を減らしてどうする! お前達こそ、書類にサインするしか能が無いんだ! 十名も随伴はいらないだろうが!」


 このまま放置しているといつまで経っても交渉が始まらないので、見かねたクナップシュタイン子爵が半分ずつの随伴を連れてテントに入るようにと勧告していた。


 彼はどちらの人数にもカウントされない、王国から送られた中立の立場に立つ人物である。 

 彼を怒らせると交渉が不利になると感じた二人は、素直に十名ずつの随伴を連れてテントに入っていた。


「交渉の前に、調停書のサインですが……」


「父は、五日前に亡くなりました。両者で連署すれば有効かと」


「そうですね」


 クリストフの返答に、クナップシュタイン子爵は納得したような表情を浮かべていた。

 しかし、ようやくここに顔を出した理由が父親であるブロワ辺境伯が死んだからとか。

 顔も知らない人物であったが、どこか可哀想な人ではあったと思う。


「それで、交渉の続きですが……」


 当然、前に出した裁定案などは全て無効である。

 何しろ、前提条件がまるで変わってしまったのだから。


「実は、今回ブロワ辺境伯家側で参軍した貴族達ですが……」


 ブロワ辺境伯家のあまりの無責任ぶりに、寄り親をブライヒレーダー辺境伯に変える旨を宣言していた。

 紛争案件の和解金や身代金の交渉は終わっていないが、このまま紛争が長引くと領内の経済が破綻するので、先に解放して貰って領地に戻っていたのだ。


 それと、紛争案件の状態も戦前に戻しているし、占領扱いなのでブロワ家側からの商隊などを入れるわけにもいかないので、通商なども南部から受け入れている。


「もはや、条件が変わっているのです。その辺をご理解ください」


 戦前にはブロワ家の寄り子達であった彼らは、今ではブライヒレーダー辺境伯の寄り子になっている。

 紛争案件も全て戦前に戻しているし、捕虜になっていた貴族や兵士達も全て解放されている。


 つまり、東部の統括領域が大分北上してしまった事を意味していた。

 そして、更に残酷な現実を突きつけられる。


「とはいえ、侵略されたうちの寄り子達は、和解金の権利を放棄したわけではありません。うちが、請求を一括して行う形にしたのです」


「一括してですか?」


「だってそうでしょう。この書類があるのですから」


 ブライヒレーダー辺境伯の手には、元ブロワ側の貴族に渡していた、紛争で発生した損害は全てブロワ家で負担するという契約書が四十枚以上も握られていた。


「彼らは紛争相手に、利権を戦前の状態に戻すために和解金を支払わないといけない。ですが、それはこの契約書によるとブロワ家が負担してくれると書いてあります。交渉の効率上、私が纏めて請求する方が宜しいでしょう」


 その前に、既にブライヒレーダー辺境伯が和解金を貴族達に前払いしているので、取り立てないと赤字になってしまうのだ。


「うちの寄り子達が……」


 更にブロワ家側が救われない部分は、この和解金を支払っても四十家を超える貴族家が二度と寄り子として機能しない点だ。

 金だけ損をして、自らの支配領域を減らしてしまう。

 ブロワ家は、間違いなく戦争に負けたという事になる。

 

「あとは、主にバウマイスター伯爵が得た捕虜に対する身代金もです」

 

 こちらも既に解放してるし、預かっていた味方の貴族達には先に捕虜の管理費用を先払いしている。

 当然この分も合わせて、俺はブロワ辺境伯家に請求する事になっていた。


「加えて、ブロワ辺境伯軍の捕虜が一万とんで五百六十七名。かなりの東部領域と村や町なども占領状態です。これの返還にも和解金が必要ですね」


 最初の裁定交渉時には、クナップシュタイン子爵が四億セントと算定していた。

 だが、今の状態で同じ金額のはずがない。

 大幅な金額増となっているはずであった。


「いくらなのだ?」


 ようやく口を開いたフィリップがブライヒレーダー辺境伯に尋ねてくる。


「計算によりますと、十億セントですね」


「バカな!」


 あまりの金額に、二人の後継者候補達は絶句してしまう。

 だが、あの無謀な夜襲の前でも五億セントだったのだ。

 この程度の増額は仕方が無いであろう。


「いくら何でも高過ぎる!」


「ですが、あれだけの大失態です。増額はやむを得ないでしょう」


「特使殿は、ブライヒレーダー辺境伯の肩を持つのか!」


 クナップシュタイン子爵の意見にフィリップが噛み付いて来るが、彼は顔色一つ変えずに静かに反論していた。


「肩を持つですか? あなたの仰っている事の意味がわかりません。王国が黙認している『紛争』を無意味に長引かせ、最初の裁定が不利になると、実戦用の武器を装備して夜襲を目論む。ハッキリと言わせて貰えば、王国はブロワ家への不信感を募らせています。後継者争いも結構ですが、せめて他の貴族に迷惑にならないようにしてください。それと、もしここで和解金無しで戦前の状態に戻せとか言うつもりなら、それはブロワ家側への一方的な肩入れになるので承知しかねます」


 淡々とした口調であったが、クナップシュタイン子爵の容赦ない反論に二人の後継者候補達は黙ってしまう。

 彼は、俺達が夜襲を防げなければ戦死していた可能性もあったので、余計に頭にきていたのであろう。


「多少の値引きは可能かと思いますが、他の案件では交渉しても無駄かと思います。寄り子達の離脱も同じです。ブロワ家はあの契約書に従って彼らの損失を支払う義務がありますが、彼らがブロワ家の寄り子に戻る事はありません」


 彼らが断れないのを利用して強硬占拠を行わせ、自分達は後継者争いに夢中で前線に顔すら出さなかったのだ。

 まさに、自業自得としか言いようがない。


「今日は顔見せと条件の提示が目的でしたので、これで終わりにしましょうか?」


 和解金の減額交渉にしても、ブロワ家側での話し合いも必要であろう。

 ブライヒレーダー辺境伯が今日の交渉の打ち切りを宣言し、そのまま両者は解散するのであった。





「バウマイスター伯爵様を夕食に招待いたしたいと思いまして」


「はあ……。招待ですか……」




 初日の裁定交渉は一時間ほどで終了して俺達も自分の陣地へと戻ったのだが、その帰りにブライヒレーダー辺境伯から一つ忠告のような物を貰っていた。


『バウマイスター伯爵は気を付けた方が良いですよ』


『若造なので、搦め手でいけると?』


『そんなところです』


 交渉でブロワ家側が支払う和解金のかなりの部分は、俺が捕らえた貴族や兵士達の身代金である。

 あの無謀な夜襲によって、ブロワ辺境伯本軍の精鋭と多くの幹部が捕らえられている。

 これも合わせるとその金額は莫大であり、二人の後継者候補達はまだ若い俺を単独で狙って和解金の額を減らそうとするであろうと。


『うちに支払う和解金の減額はかなり難しい。あなたなら、上手く誑かせば可能だと思っているかもしれません』


『成人直後の若造ですからね。ですが、あの後方かく乱の件を忘れていませんか?』


『だからですよ。それを非公式ながら謝罪して、代わりにある条件を出すのです』


『カルラさんか……』


 年齢も近い、ブロワ家の末の娘を俺の妻に差し出す。

 ブロワ家内には『例の工作への謝罪を込めて』と言えば済むし、もしカルラが俺の妻になると都合の良い点も浮かんでくる。


『未開地開発利権に加われます。妻の実家に融通しないのは変でしょう?』


『俺は、彼女を妻にするつもりなんてありませんよ』


 悪い娘ではないのだが、その親族が悪過ぎた。

 そうでなくとも成立したばかりの領地なので、そういう輩の介入は防ぎたいのが本音であった。


『彼女も、困惑するでしょう』


 弓を教えてくれるし、エリーゼ達と一緒に食事の準備なども手伝ってくれていてカルラ自身は良い娘だと思うのだが、それと結婚とはまるで別であった。


 話すと人に気遣いなども出来る良い娘なのだが、逆に言うとそれがエルのような勘違い君を生む土壌になっている。

 どういうわけか、エルは勝手に熱を上げているようであったが、あいつに惚れているわけではなく、大人の対応をしているようにも見えてしまうのだ。

 ただもしかすると本当に好意を抱いている可能性もあり、その辺の判断は恋愛偏差値の低い俺には難しい話である。


『引っかからないでくださいね』


『勿論です』


 ブライヒレーダー辺境伯と別れて、俺は自軍の陣地へと移動する。

 合計で百五十名ほどのブロワ辺境伯家交渉団は、ブライヒレーダー辺境伯本軍に近くに陣地を張っていた。

 これから毎日交渉なので近場を選んだのと、ここまで状況が悪化すると逆に自分達を襲撃や暗殺などしないであろうと読んでいると思われる。


 良い度胸だとは思うが、その判断力をもっと早く発揮して欲しかったものだ。

 そんな事を考えているとモーリッツが姿を見せ、ブロワ家から晩餐に招待したい旨の報告を持ってきたのだ。


 暫く待つとブロワ家側から正式に使者が訪れて、招待状を俺に手渡していた。


「わかりました。お伺います」


「ありがとうございます」


 使者である初老の男性は、ホっとした表情を浮かべながらブロワ家の陣地へと戻って行く。


「危険ではありませんか?」


「まさかな」


 ここで俺を殺せば、確実にブロワ家は改易されるであろう。

 まさか、そこまで頭が回らないとは思いたくなかった。


「護衛は連れていくさ」


「エルヴィン。わかっているな?」


「はい」


 モーリッツは、エルに確実に護衛を行うようにと念を押していた。

 今はカルラにお熱で普段はボケボケのエルであったが、仕事を忘れるほどまでは行っていなかったようだ。


「ところで、この招待状なのですが……」


 俺から受け取った招待状を眺めていたモーリッツは、ある重要な点に気が付いていた。


「差出人が、フィリップ殿になっています」


「えーーーと。つまり……」


「明日には、クリストフ殿から招待状が来るのでは?」


「だよなぁ……。二日連続はキツいわ……」


 せめて一緒に招待してくれよと、俺は心の中で二人の後継者候補達を呪うのであった。




「ようこそおいでくださいました」


「遠慮なくご馳走になりましょう」


 その日の夕方、俺はブロワ家主催の晩餐会に出席すべく出かけていた。

 ブライヒレーダー辺境伯にその旨を伝え、敵陣へと乗り込むのは俺とエルの他に、モーリッツが指名した四名の護衛達。

 あとは、女性もいた方が良いであろうと、同じく護衛役も兼ねてルイーゼも参加している。


 彼女なら、もし何かがあっても多少の敵なら余裕で打ち倒すであろうからだ。


『それにさ。エリーゼは、危険だと思う』


 俺への毒殺は無いはずだが、エリーゼには一服盛る可能性があったからだ。

 毒殺が目的ではなく、未来の正妻であるエリーゼが子供を産めないように毒を密かに盛る。


 滅多な事では手に入らないのだが、そういう毒薬は実際に存在するらしい。

 万が一の可能性も考えて、今回はルイーゼが参加していたのだ。


『ボクなら、ある程度の毒薬は感知できるし』


『何その能力』


 まるで、某世紀末救世主のようだ。


『武芸をある程度極めると、感覚が鋭くなるんだよ』


 全てではないが、かなりの確率で食事などに含まれる毒は感知可能らしい。

 

『報告の魔法みたいな物か』


『二人で気を付ければ、毒を食べさせられる事もないでしょう。ねえ、カルラ』


『フィリップ兄様がそこまでしない事を祈ります』


 若干顔を引き攣らせているカルラを置いて、俺達はフィリップ主催の晩餐の席に参加する。

 ブロワ家が設営した小規模な陣地は、対立する二人のために二つの大型テントが張られていた。

 俺達が入らなかった方の大型テントには、次男のクリストフがいるのであろう。


「陣地なので、大した物は出せませんが」


 状況が状況なので、フィリップは二十歳も年下の俺に丁寧な口調で対応していた。


「普段は冒険者もしておりますので、お気になさらずに」


「貴殿の実力は、良く理解しているつもりだ」


 ブロワ家の長男フィリップは、身長が百八十五センチほどの良く鍛えられた引き締まった体の持ち主であった。

 軍事的才能に長けるらしいが、俺達はブロワ軍の失態を目の前で見ているので、その話を鵜呑みにするわけにもいかない。


 見た感じは、サッパリとした人であった。

 今回の失態が無ければ、普通に付き合えたかもしれない。

 エドガー軍務卿や、導師を含むアームストロング一族と比べると『濃い』人ではないからだ。


『フィリップか? あいつは、優れた将軍候補だぞ』


 晩餐の前にエドガー軍務卿から魔導携帯通信機経由で情報を仕入れたのだが、彼の口からフィリップの悪口はあまり出てこなかった。


『ただ、領主となるとなぁ……』

 

 軍系の法衣貴族としてなら彼はとても上手くやれるそうだが、領地を統治するのは難しい。

 

 本人もそれは重々承知しているのだが、自分を次期領主にと望む外戚や家臣達の前で言うわけにはいかないので、表面上は異母弟と争っている風に見せるしかない。


 それが真相なのではないかと、エドガー軍務卿は推察していた。


『それで、あの大事件ですか?』


『アレは、コドウィンが焦ってバカやらかしたんだろうな』


 コドウィンとは、最初の裁定の時に責任者になっていた初老の重臣の事であった。

 従士長で、娘がフィリップの正妻なのだそうだ。


『外戚として、ブロワ辺境伯家で権勢を振るうですか?』


『大貴族家の重臣にはありがちな夢だよな。それどころか、今の職を失いかねない大失敗を犯して、それを何とか誤魔化そうとしたんだろうな』


 それで、百名近い死者を出していれば意味が無い。

 いくら外戚でも、あの大失態では彼のキャリアはここで終了なわけだし、今は捕虜になっている。

 ブロワ家に戻れば処分されるであろうが、こちらがそれをどうこう言うつもりはなかった。


『王都にいると、俺が積極的に仲介に入れとか無理を言うバカがいて困るよな。ここで、俺がフィリップを手助けなんてしたら総スカンだっての』


 領主になれなくて領地を出たとかなら再就職先の世話などで力を貸すが、この状況で下手に介入などしたら、自分にまで火の粉が降りかかってしまうからだ。


『デカい和解金になると思うが、払うしかないだろう。最悪、資産整理命令もあり得るだろうな。どうせ潰せないんだから、素直に受け入れるしかない』


 『資産整理命令』とは、簡単に言えば一度破産してしまう事である。

 負債が著しいが、王国としても潰すわけにはいかない貴族家に第三者の管財人、この場合は王国から派遣される財務系の法衣貴族を入れ、ある程度借金が消えるまでは予算の執行などに大きな制限がかかるのだ。


 この制度がある理由は、いきなり大物貴族が消えると現地が混乱するからである。

 甘いような気もするが、『資産整理命令』を受けたその地方の大物貴族など、ただの王国の飼い犬でしかなくなる。


 それに、これが適用されるという事は、『お前は、領主として無能だ』と言われたに等しいのだから。


『次期領主の座は、クリストフに譲るしかないだろう。勝手に自爆したんだから。義父である家臣の暴走にしても、それを抑えられなかった時点で同罪だ。俺が引き受けて、面倒見るのが一番良い手なんだがなぁ……』


 ただ、その手だとフィリップは良いのだが、他の彼を支持してきた家臣達は最悪失業の危機に見舞われるわけで、それを口にしようものなら明日にはフィリップの息子を『摘孫なので』と後継者に立てて騒がない保障はないとエドガー軍務卿は思っているようだ。


『みんな、頭を抱えているんだよ』


 ブロワ辺境伯家を潰して、そこを直轄地にするなり、他の貴族を転封するにしても暫くは混乱が避けられない。

 利益どころか持ち出しの方が多いはずなので、中央の大物法衣貴族ほど実は取り潰しが嫌だったりする。

 

 これが小物なら、躊躇無く取り潰しなのであろうが。

 日本で言うと、○京電力や○イエーは簡単に潰せないのと同じ理屈であろう。


『エドガー軍務卿は、領地貴族になりたいとか?』


『ないよ。統治できない』


 侯爵と辺境伯。

 呼び方は違うが、同じ階位を持つはずなのに法衣貴族しかいない侯爵の方が、財力も抱えている家臣の数でも負けている。

 なので転封を命じられても、統治できるはずがないのだ。


 むしろ、土着化した元家臣や兵士達に反抗されでもしたら、余計に混乱が広がる可能性があった。


『(物語みたいに、主人公がいきなり大きな領地とか下賜されても無理だよな)』


 うちだって広大な未開地の開発なので、常に人材不足で困っているのだから。


『和解金が高くて嫌とか言うのなら、鉱山とか、税収とか差し押さえてしまえ』


『強硬な意見ですね』


『向こうが完全に悪いからな。俺達はある程度の規模のブロワ辺境伯家が残って、東部を統括してくれれば良いわけだ。多少の縮小と負債には文句は言わないよ』


 こんな話をしたのだが、実はエドガー軍務卿からフィリップ本人に言わないで欲しいと言われていた。

 彼一人だけの問題ならとっとと継承権を放棄して終了だが、家臣達が絡んでいるので、下手な外部からの誘導は命取りになってしまうからだ。


「さあ。こちらの席にどうぞ」


 フィリップに勧められるまま、俺は準備されていたテーブル席の上座に座り、その隣に妻役としてルイーゼが座る。

 エルは、俺のすぐ斜め後ろに立って刺客などに警戒していたし、他の護衛達も同じであった。


 このくらいの警戒は、まだ俺達は裁定案すら結んでいない敵同士なので当然とも言えた。


「まずは、乾杯といきましょう」


 軍系な人なので、ノリが体育系なのかもしれない。

 早速ワインで乾杯してから、コース料理のオードブルからスタートする。

 料理の質などは、野営をしている割には素晴らしい物が出ていた。


 さすがは、東方を統括する『地方の雄』と言った感じであろうか。


「東部でも噂は聞いていましたよ。竜を二匹も倒した素晴らしい魔法使いであったと」


 交友目的の晩餐会なので今回の戦争の話をするわけにもいかず、話は俺の竜退治の話などに移行していた。

 それと、あの貴族なら一度は出ないといけない武芸大会などの話もだ。


「私は、予選五回戦で負けました。貴族の息子にしてはマシというべきですか」


 ワインを飲み、次々と出て来るコース料理を食べながら適当に話を続けていく。

 だが、やはり今回の戦争の話はしてはいけないので、俺は何のためにこの場に居るのかと疑問に思ってしまう。


 ルイーゼは警戒をしながらも、その小柄な体に似合わず良く食べているし、エル達も周囲の警戒を続けたままだ。

 ほぼ100%毒殺や暗殺の可能性は無かったが、仕事なのでこれは仕方がない。


 晩餐はデザートまで終了し、食後にお茶などを飲みながら話をしていると、やはりあの話題が出てくる。

 

「バウマイスター伯爵殿は、うちのカルラを妻にするつもりはないのかな?」


 やはり、カルラを俺の妻に押し込もうとしているようだ。


「この状況ではブライヒレーダー辺境伯側からの反発が強いでしょうし、まず不可能だと……」


 未開地開発の利権の分け前などで、また戦争になりかねない。

 下手をすると、ブライヒレーダー辺境伯からの妨害もあり得る。

 今は俺との関係は良好だが、彼にだって退けない部分があるのだから。


「考えてみてくれないかな?」


 強引に押し込もうとすれば問題になるが、ちょうど今カルラはバウマイスター伯爵家の捕虜となっている。

 扱いはお客さん準拠であったが、どうにか俺に見初められてとか考えているのかもしれない。


「(まさか、それが目的で交渉を伸ばしていないよな?)」


 晩餐は終わり、俺達は自分の陣地へと戻る。

 そして翌日、やはり今度はクリストフ主催の晩餐に招待されていた。


「本当に仲が悪いんだな。普通は一回で済ますだろうに……」


 昨日に続き俺の護衛を担当するエルが、他の護衛達と一緒に溜息をついていた。

 

「今日は、誰が行く?」


「勿論、ボクはパスね」


 まだ結婚はしていないが、婚約はしているのでまた婚約者を同伴しないといけないのだが、ルイーゼは昨日出席したので一番先に断っていた。


「じゃあ、イーナか?」


「いいけど。あまり料理の味がわからないでしょうね……」


 ルイーゼはある意味天才なので、大物貴族家の晩餐に呼ばれても、警戒を続けながらデザートのお替りをするような図太さがある。

 ところがイーナは真面目なので、こういう席では極端に緊張してしまうのだ。


「何か、嫌そうだな」


「正直ね……」


「俺も面倒なんだよなぁ……。礼儀的に出ないと駄目だから、仕方なく出ているけど」


 美味しい食事ならいつでも食べられるし、どうせまたカルラを妻にして欲しいと頼まれるだけなので、俺だって食傷気味なのだ。


「ヴィルマは?」


「うちのご飯の方が美味しいからいい」


「さいですか……」


 ブロワ家も大貴族なので良い食事は出るのだが、俺達と交流がないので醤油、味噌、マヨネーズ、チョコレートなどの新食材や、新しい調理法などに無縁だったりする。


 なので、食事の内容が王都で出席した貴族主催のパーティーメニューと大差なくて、物凄く食べたいとか思わないのだ。


「エリーゼは?」


「私は、今回は遠慮いたします」


 普段から未来の正妻であるエリーゼは、俺と同伴することが多い。

 だから遠慮するのと、実はもう一つ理由がある。


「エリーゼを連れて行くと、エリーゼが説得されるしね」


 カルラを俺と結婚させるため、エリーゼの方に説得や工作が及ぶ可能性が高いのだ。

 将来は、彼女がバイマイスター家の奥を管理するのだから。


「私が行くと、余計に面倒な事になる可能性が……」


「さて、どうしたものか……」


 勿論もう一人候補はいて、しかも彼女の様子を伺うと物凄く出席したそうな表情を向けてくる。

 何が楽しくてあんな晩餐に出たいのかは知らないが、きっと彼女なりの楽しみがあるのであろう。


「あとは……」


「仕方がありませんわね。ここは、私が……」


「ルイーゼ、二日連続で悪いけど」


「どうして私を見て、またルイーゼさんなのですか!」


 理由は簡単で、カタリーナがあまりに行きたそうなので、ついからかってしまったのだ。


「冗談だよ。でも、そんなに出たいのか?」


「私、そういうパーティーや晩餐とは無縁で……」


 知らないがゆえに、物凄く憧れているらしい。

 

「じゃあ、カタリーナに頼もうかな」


「任せてくださいな。私の優雅さで、晩餐会を成功させましょう」


 何か物凄く勘違いをしているかもしれないが、ただ飯を食って来るだけなので俺はあまり気にしない事にする。

 そして、その日の夕方。


 そろそろ時間なので、ブロワ家の陣地へと出かける事にする。

 

「ヴェンデリンさん。お待たせしました」


「おい……」


 何となく嫌な予感はしたのだが、カタリーナは恐ろしく気合を入れてめかし込んでいた。

 シルクを惜しげもなく使用したフリフリが一杯ついた真っ赤なドレスに、普段の魔晶石ではなく本物の宝石が沢山ついたカチューシャ、指輪などのアクセサリー類も宝石の物に、ヒールも踵の高い物に変えていた。


「完璧な正装……」


 今は戦時で、しかも野外なので略装でも十分なのに、王家主催のパーティーにも行けそうな格好をしていたのだ。


「私、止めたのよ。ルイーゼも、昨日は略装だったからと言って……」


 カタリーナの着付けを手伝ったイーナが、一人溜息をついていた。

 ルイーゼ、カタリーナ、ヴィルマと。

 三人三様でフリーダムなので、真面目な彼女に被害が及ぶ事がたまにあるのだ。


「別に、間違っているわけじゃないからいいか……」


「では、参りましょう」


 カタリーナも嫌々行くのではなく、楽しみにしているのでそれは唯一の救いであろうか?

 案の定、踵の高いヒールなので草原を歩くのは難しく、『飛翔』で地面から僅かに浮いて優雅に歩いているフリをしている。

 俺から言わせれば魔力の無駄遣いだが、カタリーナにとっては大切な事のようだ。


「お招きに預かりありがとうございます」


 今日はクリストフ主催の晩餐なので出迎えの執事も別人で、どうやら二人は陣地すら二つに割って寝泊りしているようだ。

 非効率だが、仲が拗れているので仕方がないとも言える。


「婚約者です」


「カタリーナ・リンダ・フォン・ヴァイゲル名誉準男爵と申します。本日は、お招きに預かりありがとうございます」


 野外なので全員略装なのに、一人だけヒラヒラの高価なドレスに身を包んだカタリーナ。

 それだけで完全に彼女は浮いていたが、本人は全く気にしていないようだ。


「彼女が……」


 出迎えた家臣達からは、ざわめきの声があがる。

 彼女が、ブロワ家のお抱え魔法使い達を捕らえた凄腕だと気がついたからだ。


 一部にガッカリしたような表情を浮かべている人もいたが、彼からすると『苦労して揃えた魔法使い達が、こんな派手な女に……』という気持ちがあるのかもしれない。


「初めまして。クリストフ・フォン・ブロワです」


 初めて見る次男クリストフは、少し線の細い文系肌に見える人物であった。

 あとは、他には特にないと言うか……。

 普通の中年一歩前の人にしか見えない。


「今日はご招待に預かり、感謝したします」


 早く裁定案に合意して欲しいと思うし、どうせカルラを妻にして欲しいと言うに決まっているので、正直対応が面倒である。

 口に出して言うわけにはいかなかったが。


「さあ、席にどうぞ」


 クリストフが、丁重に俺達を席に案内する。

 座るとすぐに料理が運ばれてくるが、そのメニューはほぼ同じであった。


『同じような物が出ると思うよ。だって、大貴族家って、大体上客をもてなす食事のメニューは決まっているし』

 

 季節によってや、普段はいくつかのパターンも準備しているのだが、ここは生憎野外の陣地である。

 そこでフルコースのメニューを出せるブロワ家は、さすがは大物貴族という感想であったが、二日連続で同じ飯を食わされる身としては堪らないものがある。


「(せめて、何を出したのか兄貴に聞きに行けよ!)」


 それが出来れば、ここまで兄弟で揉めてはいないかもしれないが。


「さすがは、ブロワ辺境伯家のディナーですわね」


「お褒めに預かり、光栄です。奥様」


「まだ婚約者ですのよ……」


 俺は二日連続でもカタリーナは初めて食べる料理で、更に彼女はこういう席は初めてだ。

 初めて観光地に行ったお上りさんのように、料理に会話にと楽しんでいた。


 奥様と呼ばれて恥ずかしそうにするカタリーナは可愛かったが、少々浮かれ過ぎな彼女に若干クリストフは引いている。

 だが、今日の席では俺にとって都合が良かった。


「(カタリーナ。大いに楽しんでくれ。クリストフが、アレを言い出ださないように)」


 俺の願いは珍しく天に通じ、クリストフは結局カルラの件を口に出来なかった。

 彼が高名な魔法使いであるカタリーナに話題を振ったために、彼女の大独演会が始まってしまったからだ。


「私が初めて狩りに出た時に、巨大な熊の魔物が襲ってきまして。慌てて竜巻の魔法で上空に巻き上げてから倒しましたの。続けて、周囲の他の魔物達も風の魔法で吹き飛んでしまいまして。そうしたら、みなさんが私を『暴風』だと」


「ははは……。そうですか」


 結局、晩餐会終了まで彼女の独演会は続き、クリストフは肝心の要件を告げられなくて顔を引き攣らせていた。

 間違いなく、俺がこれを予想してカタリーナを連れて来たと思っているのであろう。

 さすがにそれは、俺を過大評価し過ぎという物であったが。


「楽しかったですわね」


「そうだな。今日は、カタリーナに感謝だな」


「へ?」


 なぜ感謝なのかと首を傾げるカタリーナは、やはり少し可愛かった。

 そして、何の意味があったのか理解できない二日連続の晩餐も無事に終了するのであった。

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