第六十六話 推定勝利ながらも、グダグダは続く。
「しかし、来ませんねぇ……」
「何がです?」
「裁定を始めようという使者がです」
ブロワ辺境伯家や、その統括下にある境界線を接する貴族達との紛争が始まって一ヶ月。
戦況はこちらが圧倒的に有利であったが、本軍同士の睨み合いは相変わらず続いていた。
特にこの一週間ほどは、まるで戦況が動いていない。
一騎討ちをする若手騎士、魔法比べをするお抱えの魔法使い。
これらもネタ切れとなり、仕官のために騎士達と同じ事をしている陣借り者達の姿もない。
予想外の長対陣でアピールタイムも終了し、俺がブロワ家側を動揺させるために始めた採用試験に落ちてしまったので、これ以上は居ても意味が無いと戦場から去ってしまったのだ。
彼らの夢は、どこかの貴族家に仕官する事である。
ここが駄目なら、すぐに次の場所へと移動してしまうのだ。
その結果、両軍は合わせて五百人ほど人数を減らしている。
飯と寝床さえ与えれば彼らはアピールに来るので、貴族側も安く数を揃えるために陣借り者達を利用している。
だが逆に陣借り者達も、そこが駄目ならすぐに姿を消してしまうのだ。
「圧倒的に不利な裁定案を呑まされるから嫌なんでしょうね」
「そうは言いましても、もう限界ですよ」
この戦争が無い時代に、数千人もの軍勢を一ヶ月も貼り付けているのだ。
それに、一騎討ちなどで勝った騎士への褒美などもある。
その経費は決して少なくなく、過去に一ヶ月を超えた対陣などほとんど無かったそうだ。
「経費は仕方が無いにしても、そろそろ王家が焦れてきますし」
ヘルムート王国の安定した統治を望む王家からすると、利権争いのために短期間対陣するくらいなら目を瞑るが、あまり長引くと本当の戦争になりかねないので介入して来る可能性があるそうだ。
当然介入されれば、それは地方の独自性を薄められる大事態という事になる。
ブロワ辺境伯家もブライヒレーダー辺境伯家も、相応にダメージを受けてしまうであろう。
「ですから、そろそろ顔を出して欲しいものですね」
「病気ですけどね。ブロワ辺境伯」
「ええ」
ブロワ辺境伯が病床にあり、今回の紛争では軍を率いていない事は既に周知の事実となっていた。
なぜなら、 その情報を掴んだのは俺達であったからだ。
それは、一騎討ち合戦が始まってから数日後の事であった。
『捕虜を交換するんだな』
『はい。大物ならいざ知らず、陣借り者や小物などはお金になりませんし』
両軍の間で行われている、模擬戦形式の一騎討ちは五日目。
結果は、ほぼ五分五分であった。
お互いに捕虜を溜め込んでいても金がかかるので、一日が終わると両軍による捕虜の交換が行われる。
得られる身代金を計算し、金にならなそうな者から順次交換されて戻って行くのだ。
あのトーマスの兄も、すぐにブロワ家側に戻されていた。
一応騎士ではあるが、零細陪臣家の次期当主なのですぐに戻されたのだ。
王国が叙任した騎士ではない、貴族が任じた陪臣騎士なので扱いが低いというわけだ。
『陪臣でも大物でしたら、当主や跡取りが一騎討ちになどには参戦しません。家格や経済状況に関してはお察しかと』
『クラウス殿の言う通りです。昔のお館様の実家が富豪に見えるほどの貧乏陪臣家ですから』
捕虜交換で戻しているのは、俺達が捕らえた貴族やその家臣ではなく、一騎討ちで発生した陣借り者や小身の陪臣のみである。
陣借り者からは身代金など取れないし、陪臣の身代金は主家の負担になるのだが、トーマスの兄くらいだと金貨五枚くらいで大した事は無い。
捕らえた捕虜などは面倒を見る必要があり、当然拷問や虐待などは禁止である。
身分に応じて待遇を上げる必要もあり、金にならない者は同じレベルの捕虜とさっさと交換してしまうのだ。
ちなみに、戻った者はもう今回の紛争では一騎討ちに参加できない。
討ち死に判定なので主家からも評価されず、人は死なない戦争ではあるが、滅多に無い紛争で己の力を見せる機会を逸したという点では、負けた者は死んだに等しい状態であった。
『トーマスの兄さん、しょんぼりしてたな』
トーマスの兄も、この世の終わりのような表情でブロワ家側へと戻って行った。
『私の身柄を売った功も、これで帳消しですか』
『トーマス殿が気にする必要はありません。他の家の方の事です』
『そうでしたね。もう他の家の事です』
とは言いつつも、トーマスは捕虜交換で戻って行く兄を複雑な表情で見送っていた。
『あの方から、トーマス殿達がお館様に雇われているとブロワ家側に情報が流れます。どんな顔をするでしょうね?』
それを交渉のネタにするつもりはないが、向こうは勝手に怯えているはずだ。
何しろ、俺自身がバウマイスター騎士爵領における反乱の真相を知っているのだから。
しかしながら、それを楽しそうに笑みを浮かべながら言うクラウスは、やはり悪辣な男だと思う。
『もう一押し、情報収集も兼ねて行いましょう』
クラウスが続けて提案するが、その案の悪辣さに俺は顔を引き攣らせていた。
『それは、拙くないか? 殺されないか?』
『なぜです? 新規仕官組の方々は、ブロワ辺境伯家とは何の縁も所縁も無いではないですか』
ブロワ側の様子を探るために、新規組の一人をわざと一騎討ちで敗北させ、捕虜としてブロワ辺境伯に引見させると言うのだ。
『一人だけ証拠隠滅で殺したところで、まだ二十名以上もこちら側に残っています。しかも、捕虜になった本人が別の家名とお館様の家臣である事を主張しているのです。殺しなどしたら、大問題になりますよ』
この時代における、戦場のルールを破る事になるからだそうだ。
更に言えば、ブロワ辺境伯は大物だ。
その手の外聞は、一番気にする存在であると。
『万が一の事もありますから、ちゃんとリスクも説明して志願者を募ります。ですから、成功した際には……』
『褒美を出すんだろう?』
『はい。危険手当も含めてですが』
公式には一騎討ちに負けたので感状は出せないが、危険な任務に成功しているので多目の褒美を出せば良いとクラウスは進言する。
『では、早速に行います』
クラウスは、新規組に自分の作戦を説明していた。
これは、ブロワ家側に対する揺さぶりと、他の捕虜では知り得ない情報を収集するための任務なのだと。
『公式には、一騎討ちに負けて捕虜になったという事になります。感状は出ませんが、お館様が多目の褒美を確約してくださいました』
新規組はクラウスの説明を静かに聞き、その中から若い小柄な男が志願をする。
『ニコラウス・フラーケです。以前の家名はブリーゲルでした』
『クラウスから詳細は聞いていると思うが』
『大変に効率の良いお仕事を紹介していただき感謝いたします』
面白い物の言い方をする男であった。
トーマスが言うには、剣や槍などの貴族の嗜みはあまり得意ではないが、根が明るいのでムードメーカー的な存在らしい。
あとは、何気に新規組の物資管理や会計などでも手腕を発揮している男だそうだ。
『私は剣が苦手でして、単純に武功だけだと出世に必要な功績を挙げるのが難しいのです』
『殺される危険もあるが』
『まず無いでしょう。向こうが驚く様を観察してきますよ』
陽気な若者ニコラウスは、こちらの指示通りにブロワ辺境伯配下の騎士と一騎討ちを行い、わざと負けて向こうの捕虜となった。
ブロワ辺境伯本軍には、他にも数家男爵家だの子爵家の軍勢も混じっていて、そちらの騎士に負けるとブロワ辺境伯の前に引き出されないので、わざとそちらを狙って負けるようにクラウスが仕込んだのだそうだ。
『ただいま戻りました』
朝一番に一騎討ちで負けたニコラウスは、夕方には捕虜交換で戻って来ていた。
やはりブロワ家側は、今さらニコラウスだけを殺しても何の意味も無いと思ったようで、小物扱いの彼は無事に戻って来ていた。
『大丈夫だったか?』
『ええ、良い食事が出ましたね。ここで出る食事には劣りますけど』
『うちは、エリーゼ達が作っているからな』
『それは大変に大きいと思います』
幸いにして、ニコラウスと一騎討ちをした騎士とは面識が無かったらしい。
勝利して自慢気にニコラウスを連れてブロワ軍の本陣に戻ると、本陣内は騒然とした空気になったそうだ。
『私がバウマイスター領で反乱を起こすための捨て駒になった件は、実家とブロワ家の家臣でも上の方しか知りませんからね』
下のニコラウス達を知る者達には、素行不良なので勘当して追い出したと説明していたらしい。
少し考えればおかしな事には気が付くであろうが、彼らとてそう余裕がある身でもない。
上におかしいなどと言って不興を買う勇気もないので、ただ遠巻きにニコラウスを見てヒソヒソと話していたようだ。
『彼らは、私が陣借りでもしているのかと思ったのでしょうが、生憎と剣や鎧には……』
参軍するので、急遽うちの紋章を付けていたのだ。
陣借り者ならば、武器や防具に紋章は付いていない。
勘当されて追い出されたはずのニコラウスが、なぜかバウマイスター伯爵家の正式な家臣になっていた。
彼らからすれば、いくらでもヒソヒソ話をするネタに事欠かないという物だ。
『ブロワ家中に、良い種が撒けましたな』
確かに、ブロワ家の家臣達はああでもないこうでもないと勝手に予想して騒ぐはずだ。
更に言えば、戦況は俺の参軍によってブロワ家側の圧倒的な不利になっている。
加えて、その俺の家臣になっている、勘当されたはずのニコラウスと。
上層部への不信と合わせて、士気の下降に大きく貢献としたと言えよう。
ただ、笑顔で種が撒けましたなどと言えるクラウスに、俺は多少引き気味であったが。
『それで、ブロワ辺境伯は?』
『それが変なのです』
普通、配下の騎士が一騎討ちに勝って捕虜を連れて来ると、貴族自らが引見するのが決まりだ。
捕虜に自身と主君の名前を聞き、大体の身分を確定させてからその場で感状を書き、褒美なども渡すからだ。
ところが、ニコラウスの時は諸侯軍の幹部が応対したらしい。
『確かに変ですな』
クラウスも、首を傾げてた。
『私のような小物にですら、先々代のブライヒレーダー辺境伯様は直接お会いになり、お褒めのお言葉と褒美を渡してくれました』
給金ではなく功績を挙げての褒美なので、これはどんなに忙しくても貴族本人がやるのが決まりだったからだ。
『ブロワ辺境伯が来なかった理由は?』
『忙しいからと』
その席では、平然と別の家名と俺の家臣であると名乗ったニコラウスに、諸侯軍の幹部達は目まぐるしく表情と顔色を変えていたらしい。
俺に反乱の証拠を押さえられたが、かと言ってニコラウスを今殺したところで何の解決にもならない。
なぜなら、その前にトーマスがやはり別の家名を名乗って兄を一騎討ちで捕らえているのだから。
『白々しく、私がバウマイスター伯爵家でどのくらいのポジションかとか聞いてきましたけど』
引見が終わり、捕虜交換で戻るまでの時間を待っていると、そこで更に奇妙な事がわかったそうだ。
『他の、お味方で捕虜になった人達から聞いたのですが……』
彼らには、ちゃんとブロワ辺境伯本人が引見したのだそうだ。
『なるほど、もしかすると』
『ブロワ辺境伯は、あの軍勢の中にいない』
俺、クラウス、ニコラウスの意見が一致する。
なぜかは知らないが、あのブロワ辺境伯本軍にはブロワ辺境伯がいない。
その理由は簡単で、ニコラウスの引見に出て来なかったからだ。
『ニコラウス殿がいくら下っ端だったとしても、元の主君の顔くらいは知っているでしょうからね』
影武者というほど似てはいないと思うが、ブロワ辺境伯の家臣達は似た背格好や年齢の人物にブロワ辺境伯の装備を付けて、彼が本陣にいると思わせている。
元々、一騎討ちをするような味方の騎士達は功名稼ぎの下っ端が多い。
そんな彼らは、東部の大物貴族であるブロワ辺境伯の顔など知らないはずだと。
年や背格好が似た高価な武具を付けた人が、捕虜になった自分達に家名などを聞き、捕らえたブロワ家の騎士達に感状や褒美を渡している。
当然ブロワ家の家臣達は、そのブロワ辺境伯が偽者だという事には気が付いているはずだ。
いや、言い含められているのであろう。
これも、敵を欺くためだと。
『これは、ブライヒーレーダー辺境伯様にご報告した方が』
『そうだな』
トーマス達がうちで雇われている事をアピールして敵首脳陣に揺さぶりをかける作戦のはずが、とんでもな情報が出て来たものである。
俺は、それを成したクラウスの手腕に驚きつつも、彼とニコラウスと連れてブライヒレーダー辺境伯に報告に行く。
『すると、あの噂は本物ですか』
『噂ですか?』
ブライヒレーダー辺境伯は、俺達からもたらされた情報を聞くと納得のいくような顔をしていた。
『はい。大規模な紛争ですので、私もブロワ家側も情報収集は行っておりまして……』
互いの領内や館周辺に人を放ち、補給状況や何か有用な情報がないかと探っているそうだ。
『そこで、ブロワ辺境伯が病床に伏せっているという噂が出ましてね。一年ほど前から、体調不良の噂は出ていましたけど』
東部を統括する大貴族の健康情報なので重視はされていたが、こちら側を混乱させる偽の情報という可能性もあり、信憑性の確認に時間がかかっていたそうだ。
『そうですか。良い事を教えてくれました。まだ詳細な確認に時間がかかりますが、かなり信憑性が大ですね』
顔を知る元家臣が捕虜であった引見で、代理人を出して来た。
戦乱時とは違い、コストがかかるので影武者など今では王家でも用意していない以上、この紛争で用いるにしてもあまり高度な事はできないはず。
だからこそ、顔を知らない捕虜の前には出し、ニコラウスの時は代理人で誤魔化した。
と、推論も可能な状況になって来たようだ。
『この情報で裁定が早まるかはわかりませんが、当主不在の本軍に大した事も出来ませんか』
『揺さぶるのも楽ですしね』
『そういう事です』
もうこれでほぼ負けは無いと確信したブライヒレーダー辺境伯は、ニコラウスに褒美の入った袋を渡していた。
続けて、バウマイスター伯爵家軍の陣地に戻ると、俺もニコラウスに褒美を渡す。
『任務の内容的に感状は与えられないが、その分褒美は弾んだから』
『ありがたき幸せ』
感状とは武功に対する物なので、今回のような特殊な任務には出せない事になっている。
だが、こういう時には褒美を弾んでバランスを取るのが普通であった。
俺が袋に入れて渡した褒美に、ニコラウスは目を輝かせていた。
『お見合い会への参加権利も与える』
『それが一番の褒美ですね』
本当は独身者を全員参加させたいのだが、向こうは一応は貴族や大物陪臣の娘ばかりなので、どうしてもある程度人員を選ぶ必要があったからだ。
なので、その基準は若手の幹部候補という事にしていた。
『ニコラウス。褒美は、どのくらい貰えたんだ?』
『金板三枚でした』
有用な情報だったので、ブライヒレーダー辺境伯が金板一枚、俺が金板二枚を危険手当込みで出していた。
『すげえ! 元実家の給金十二年分とか!』
『うちなんて、十五年分だぞ!』
『ニコラウスは、殺される可能性もあった任務に成功したからな。俺も、志願すれば良かったかな?』
褒美を貰って仲間達の元に戻ったニコラウスは、その褒美の額を驚かれていた。
『なあ、クラウス』
『小身の陪臣騎士家の懐事情はそんな物です』
当然それだけでは生活できないので、普段は農業・漁業・狩猟などで生計を立てているそうだ。
女性も、布を織ったり内職などで家に貢献する必要がある。
そして、そうやって貯めたお金で表向きは騎士に相応しい振る舞いをする。
なるほど、前にヴィルマがカタリーナを称して『水鳥』と言っていたが、そんな陪臣は珍しくも無いようだ。
『うちは、主家自体がそんな感じだったな……』
『以前のバウマイスター騎士爵家は、他家の陪臣にもバカにされるほど貧しかったので……』
以前は、ブライヒレーダー辺境伯家の陪臣達から『水呑み騎士』とバカにされていたくらいなのだから。
今ではそんな事を言ったのがバレるとブライヒレーダー辺境伯にクビにされかねないので、誰も言わなくなったらしい。
『しかしながら、最低でも出陣できないほどの病状ですか。お館様の初陣が勝利となって、これは幸先が宜しいかと』
『それも、裁定開始の使者が来ないとな』
『そのためには、もう少し相手の動揺を誘う必要があります。お館様のアイデアには期待しておりますれば』
『アイデアねぇ……』
それ以降も出来る限りの事はしたのだが、ブロワ家側はいくら追い込まれても裁定の使者を送って来ない。
ブロワ辺境伯本人が病床の身とはいえ、ベッドの上で指示が出せているのであれば、さすがにそろそろ裁定の準備を始めるはずだとブライヒレーダー辺境伯は思っているようだ。
「このままだと、ブロワ家側の方がどんどんジリ貧になりますし」
お互いに無用な戦費を消耗しているが、未開地開発特需のあるブライヒレーダー辺境伯家と、それからハブられているブロワ辺境伯家とでは基礎体力に大きな差があるというわけだ。
「ブロワ辺境伯も、そこまでバカだとは思わないのですが……」
それどころか、ブライヒレーダー辺境伯家に嫌がらせをしてくるタイミングや、今回の秘密裏に兵を準備する部分など。
病床でも、やはり侮れない人だとブライヒレーダー辺境伯は思っているようだ。
「まあ、個人的には大嫌いですけどね」
「あまり良い人には見えませんよね」
ただ、個人的な感情と公人としての考えは別である。
軍事衝突やブロワ辺境伯家を攻め滅ぼす事が不可能な以上は、ここで裁定を結ぶしかないのだ。
「この状況で裁定を結んでも不利なままだから、譲歩を引き出そうと粘っているのでは?」
「大方そんな所でしょうが、私は譲歩するつもりはありませんので」
戦況は圧倒的に優位であったし、長対陣は費用がかかるがブロワ家よりも経済的にも優位なので自分から裁定を申し入れる事もしない。
自分がブライヒレーダー辺境伯家を継いだばかりの頃の数々の嫌がらせを考えると、ここで徹底的に叩いて二度とそんな事をしないようにする必要がある。
あとは、今回の紛争では四十家を超える貴族家が兵を出しているのだ。
彼らの面子や今後の統括などを考えると、下手な妥協で彼らの不興を買うのは避けたいのが本音なのであろう。
「うちは家臣達が私の不在を補っていますし、バウマイスター伯爵も同様でしょう?」
「ええ」
大まかな部分は押さえる必要があるが、ブライヒレーダー辺境伯もうちも、今諸侯軍に混じっている家臣達が居なくても問題なく開発は進むようになっている。
うちの人材不足は相変わらずであったが、それを補うために両軍の間で陣借り者達の採用試験までして人を増やしたのだ。
「もうこうなったら、ブロワ家の陪臣の次男・三男大歓迎で採用試験でもしますかね?」
「さすがに、それは拙いでしょう」
「冗談ですよ」
ブロワ辺境伯家側へのダメージは大きいかもしれないが、スパイが大量流入する可能性もある。
ここは、自重すべきであろう。
「ただ、ブロワ家側の情報があまり掴めないのが辛いですね」
ブライヒレーダー辺境伯は今もブロワ辺境伯家の情報を懸命に探っていたが、当主が病気で屋敷の寝室に伏せっているのと、その周囲を物々しい数の警備兵で守備しているという情報しか追加では得ていなかった。
どの程度の病状なのかは、密偵を屋敷の中に入れないと確認できないのだが、それはさすがに不可能であろう。
「想像はつきます。あそこは、御家騒動がありますから」
「そうなのですか?」
「はい」
ブライヒレーダー辺境伯によると、ブロワ辺境伯家には長男と次男による家督争いがあるそうだ。
「そのせいで、未だにブロワ辺境伯は次の当主を定めていません」
「普通に聞くと、長男で無難にケリなのでは?」
「いえ、長男のフィリップ様はお母様の身分が低いのです……」
意外にもというか、やはりというか。
エリーゼは、この手の情報に詳しかった。
ホーエンハイム枢機卿からの情報なのであろう。
「フィリップ様のお母様は、家格が低い陪臣の娘だそうです」
エリーゼの話によると、ブロワ辺境伯は先に側室であるフィリップの母親を妻にし、次に中央の大貴族家から正妻を迎え入れたそうだ。
「次男のクリストフ様は、お母様が正妻ですから」
母親の身分が低い長男に、母親が正妻な次男。
年齢もさほど離れておらず、確かに家督相続では揉めそうであった。
「更に加えますと……」
ブロワ辺境伯の長男フィリップは、今年で三十五歳。
軍才に恵まれ、風貌もそれに類している。
要するに、エドガー軍務卿と同類なわけだ。
「エドガー軍務卿のお気に入りだとか」
加えて、彼の正妻はブロワ家の従士長の娘だそうだ。
言い換えるのなら、諸侯軍を押さえていると言っても過言ではない。
実際に、諸侯軍幹部の多くはフィリップを支持していた。
「次に、次男のクリストフ殿ですが……」
今年で三十四歳で、タイプとしてはブライヒレーダー辺境伯に似ているそうだ。
軍才はサッパリだが、内政能力に長けている。
正妻は内政を担当している重臣の娘で、当然文官達の支持が厚い。
両者が対立するのは、当然の結果とも言えた。
「何と言うか、良く聞くような話と言うか……」
「ええ、おかげで困っています」
まずは、ブロワ辺境伯の病状だ。
果たして、本当に病床でもちゃんと指揮を執れているのか?
先ほど病床でも侮りがたいとブライヒレーダー辺境伯が言っていたが、諸侯軍の幹部達でも同じ仕事が可能である。
今回の出兵が、本当に東部の閉塞感の打破や、開発地利権にあぶれた貴族達の不満を解消するためにだけ行われたのか?
それとも、ブロワ辺境伯はもう指揮すら執れない状態で、軍を押さえているフィリップ側が相続を有利にするために勝手にやったのか?
「後者の場合、絶対に不利になる裁定への参加表明は言い難いですよね?」
「確かに……」
「ヤケになって、本当に戦争になるとか?」
「それは無いはずですが……」
もし戦争にでもなったら、未開地の開発が中断してしまうからだ。
あと、ブロワ家が崩壊するのは拙い。
ここ一千年以上も東部の統括を行っていた大貴族家が潰れるとなると、その後釜となる存在が必要になるし、戦争後の混乱を抑えて復興をするとなると莫大な費用と手間と時間がかかる。
「バウマイスター伯爵がいれば勝てる可能性は高いですけど、褒美と称してとんでもない負担を押し付けられますよ」
下手に東部の飛び地など貰っても、今の俺には統治など不可能である。
ブライヒレーダー辺境伯もいらないであろう。
「ブロワ色に千年以上も染まった外の領地なんていりませんよ。統治する手間を考えると、何十年も赤字でしょうね」
そんな事になるのであれば、さっさとこちらが有利な裁定案を結び、未開地の南部の開発に邁進した方がよっぽど建設的だ。
戦略シミュレーションゲームでもあるまいし、いきなり占領した土地から収益など上がるはずがないのだ。
「向こうがそこまで読んで、こちらが折れるのを待っているとか?」
「無いとは言い切れませんが、向こうも滅亡はゴメンでしょう」
もしそこまで行けば、王国としてはブロワ家を許せなくなる。
一族処刑でも文句は言えず、戦争の原因となった家臣達やその家族も同様であろう。
「あの、一ついいですか?」
「何です? エルヴィン君」
「あのブロワ家本軍は、誰が率いているのですか?」
「多分、諸侯軍の幹部の誰かだと……」
現在のブロワ辺境伯の病状を考えると、二人の跡取り候補は彼の傍にいたいはずだ。
もし彼が急死してもそこにいないと、残って傍にいる方が『跡取りに指名された』などと宣言して家督を奪取する可能性もあるのだから。
「ですが、ブロワ家の人間が一人もいないブロワ家諸侯軍ですか?」
「そう言われると変ですね……」
あとは三男以下という事になるが、他の息子達は分家や陪臣の家に養子に入り、娘達も全て嫁いでいるそうだ。
もはや他家の人間になってしまった以上、そう簡単に代理でも総大将は務まらないであろう。
「あの……。もしかすると……」
「エリーゼさん。何か知っているのですか?」
「はい。ブロワ辺境伯様には末の娘さんが……」
「未婚のですか?」
「はい。あまり大っぴらには公表されていないのですが……」
母親が王都で無役の騎士の娘で、つい数年前まで王都で暮らしていた末娘がいたそうだ。
エリーゼが知っているのは、教会への奉仕活動などで縁があったからだそうだ。
「私も知りませんでした」
ブライヒレーダー辺境伯も、知らなかったようだ。
「お母様は、ブロワ辺境伯様が王都に滞在していた時にお手付きになったそうで……」
東部の大物貴族と、王都で無役の貧乏騎士の娘なのだ。
ブロワ辺境伯からすれば平民の娘に遊びで手を出した感覚なのであろうし、相手側もそれに文句を言えなかった。
勝手に側室を増やすと家族から文句を言われる可能性もあったし、子供が増えると他の子供達からも文句が出る可能性がある。
なので、密かに認知だけして王都に母娘を住まわせていたのであろうと。
これはエリーゼの推察であった。
いくら知り合いでも、その娘が腹を割ってエリーゼに全てを話すはずなどないし、それでも推論は可能というわけだ。
「ブロワ辺境伯の他の子供達は、全てブロワ領内に居ますからね」
一人だけ王都で生活していたとなると、やはりいらない娘扱いされていたのであろう。
「それで、その方のお名前は?」
「失礼します!」
そこに、一人の陪臣が息を切らせながら駆け込んでくる。
「どうかしましたか?」
「ブロワ家側が、裁定の申し込みをして来ました!」
突然使者が来て、裁定を始めたいという旨の手紙を置いて行ったそうだ。
実際に彼の手にはその手紙が握られていて、ブライヒレーダー辺境伯は急ぎその手紙を封を切って中身を確認していた。
「封印は本物ですね。中身も、決まり通りの内容で……」
貴族がこういう手紙を送る際に、溶けた蝋で封印をして家紋の判子を押し当てるのを前世で見た記憶があった。
海外ドラマか映画かは忘れたが、この世界でも同じような慣習があったのだ。
「ただ、差出人の名は初めて聞きますね。総大将代理カルラ・フォン・ブロワ?」
「その女性が、先ほどお話した末の娘さんです」
「その娘さんと交渉するのでしょうか?」
「彼女は看板で、他の重臣達とでしょうね」
紛争の裁定が行われる事となり、ブライヒレーダー辺境伯やみんなの間に安堵の表情が浮かぶが、それでもまだ道は半ばといった感じにしか俺は思っていなかった。
性格の悪そうな連中なので、交渉の席で思いっきりゴネる可能性もあったからだ。
それでも、早く終えてまた狩りに行きたいなどと思いながら、一応は安堵のためいきをつくのであった。