<< 前へ次へ >>  更新
78/206

第五十三話 バウマイスター男爵暗殺未遂事件始末記。

「そうですか……。クルトが……」


 ルックナー男爵に唆され、怨嗟の笛という魔道具で俺達の抹殺を謀ったクルトであったが、その陰謀はギリギリのところで防がれていた。


 何でも、本来の怨嗟の笛の効果では、あんなに大量の怨念を纏ったアンデッド巨人になどならないそうだ。


 高濃度化した黒い煙に触れると死んでしまうので、精々で人間の倍くらいの大きさくらい。

 しかも、目標にした相手を殺すと途端に力が落ちてしまう。


 元々怨念とは、いくら高濃度化して具現化させてもそう長くは保たないのだそうだ。

 導師の言った通りに、『時間が経てば、水のように蒸発してしまう』物なのだから。


 なので、いかにクルトが深い怨念を抱え込み、いくら消費しても未開地中から懸命に怨念を集めて俺達を攻撃したかという事だ。


『その執念を、もっと他の事に使うべきだったのである!』


 戦闘後、導師が漏らした感想に全員が納得してしまったのも頷けるというものだ。


『当然バウマイスター男爵にも来て貰うが、事は貴重な魔法使いにして王国法衣男爵の暗殺未遂事件なのである! まずは父君に某が話を通した方が良かろう』


 普段はアレに見えても、やはり導師は王宮筆頭魔導師なだけの事はあった。

 父にどう報告した物かと悩んでいる俺に、助け舟を出してくれたのだから。


 あと、確かにクルトに狙われた中で一番爵位の高い導師に報告して貰うのが、一番筋が通っているとも言えた。


『あとは、うちのお館様から王都に連絡して貰わないと』


 続いてブランタークさんが、ブライヒレーダー辺境伯経由で王都に魔法通信を送った方が良いと意見していた。

 大した大きさではなかったが、怨念の残りカスが王都方面に向かって逃げていたし、この事件を内密に処分するわけにもいかない。


 なるべく早く、中央の有力者達に連絡しておいた方が良いであろうと。

 俺も、その意見にはすぐに賛同していた。


『ええと、ルックナー財務卿にもですか?』


『止めとけ』


 まさかとは思うが、実はあの兄弟は仲が悪いフリをして裏では繋がってでもいたら。

 彼に通報する事は、事件を闇に葬り去るのと同義になってしまうからだ。


 クルトを唆したのがルックナー男爵である以上、ここは慎重に動いた方が良かった。


『エリーゼの嬢ちゃんの名で、ホーエンハイム枢機卿に。陛下とエドガー軍務卿には、導師の名で送るようにお館様に頼んでおく』


 ブランタークさんは、通信用の魔道具をブライヒレーダー辺境伯から借りている。

 おかげで、この魔力切れの最中にブライヒブルクまで瞬間移動で飛ぶ手間が省けて助かっていた。


 さすがの俺も、今日はもう魔力が限界に近かったからだ。


『それに、あの人は所詮は財務閥で文官だからな』


『左様、もしあんな弟が某の兄やエドガー軍務卿にいたら』


『消されるとか?』


『病死や事故名目にはするはずであるが、とっくにこの世には居ないはずである!』


 導師は、指先で自分の首を切る動作をしながら、俺の質問に答えていた。

 やはり導師も、名門貴族家の出ではあるようだ。

 必要とあらば、暗殺も厭わないと発言するのだから。


『怖っ!』


『少し性質の悪い貴族くらいなら、そんな事はしないのである! アレは、己が十の利益を上げるために他人の利益を三十くらい壊す男故に!』


 人間の内面なので見抜けなかったクルトの深い怨念と、ルックナー弟が裏市場で手に入れたと思われる怨嗟の笛。

 両者の融合によって死にかけた導師やブランタークさんからすると、気分的にルックナー財務卿に通報するのが嫌なのであろう。


『某の兄にも連絡を入れておくのである! 兄は、エドガー軍務卿とも親しい故に』


 両人共、見た目はヤクザも逃げ出すほど厳つい容姿をしている。

 共に軍務閥であるし、タイプも似ているように思うので気が合うのであろう。


『とにかく、まずはバウマイスター卿に報告である!』


 そんな話の後に、なけなしの魔力でバウマイスター家の本屋敷にまで飛んだ俺達は、すぐに父と面会をする。

 こちらは、俺、ブランタークさん、導師、パウル兄さん、エリーゼの五名で。

 父側は、クラウスとヘルマン兄さんも父側の人間という事で参加している。


 人数を絞ったのは、事が事だけに念のためにエル達を周囲の警戒に当たらせたからだ。


 無いとは思うが、盗聴でもされて外部に情報を漏らされると困るからだ。


 会見は、まず最初に導師が未開地視察の際にクルト以下五名に襲撃されてそれを返り討ちに。

 つまり、クルト達五名はもうこの世には居ない事と、暗殺に使われた魔道具の説明や、それがどこからクルトにもたらされたかなどを三十分ほどかけて説明していた。


 父は何も言わず、神妙な顔で聞いているだけであった。


「あのバカ者が……」


 クルトが、俺を殺した後にどのような展開を持っていたのかは本人が死亡しているので不明であったが、間違いなく最悪な選択をしたわけである。


 父からすれば、御家断絶の危機でもあったわけだ。

 あと、間違いなく父は強制引退させられる物と思われる。


 何しろ、クルトは現時点で公式な後継者であったのだから。


「引退間近の、老いぼれのクビで済むのかね?」


「王国側としては、そこまでは望んでいないのである!」


 父は、この場で一番爵位と地位の高い導師に自分の処遇を聞いていた。

 普通に考えれば、爵位と領地没収で連座で死罪も十分にあり得たからだ。


 王国の法では、罪を犯した者の家族には連座責任を問わない事になっている。

 なので、クルトの罪で父が裁かれる心配はないはずなのだが、ここまで事件が大掛かりだと王国側から共犯を疑われる事態にまでなっていたからだ。


 父としては、最悪自分の首一つで済ませたいのであろう。


「主犯のクルトに、共犯の取り巻き四人。バウマイスター領内における罪人は、この五名のみである!」


 やはり導師は、こういう事態になった際の陛下の意向という物を事前に伝えられていたらしい。

 澱みなく、父からの問いに答えていた。


「(それに、暴走したクルトの処分は出来レースだからな)」


 クルトを暴走させ、それを名目に処分を行うというのは中央にいる偉い人達の秘密の決定事項でもあった。

 その暴走ぶりが予想外に大きかったにしても、あまり連座で他人に罪を被せても意味が無いわけで。


 加えて、多少の罪悪感もあったのであろう。


 事前の談合通りに父は引退し、バウマイスター領と騎士爵位はヘルマン兄さんへ。


 領地は、未開地の大半を王国からの強制命令で俺へと分与。 表向きの理由は、跡継ぎがあれほどの事件を起したので領地の大半を没収し、バウマイスター家の本家と分家も交代したのだという。


 あくまでも正式な処罰であると、周囲に認知させるための物であった。


「そうですか……。あのバカは、在地貴族とは例え王宮にでも、時には逆らうべきだと妙なプライドを捨てられなかった……」


 危険な考えではあったが、俺がこの領を出るまでのバウマイスター領ではそれが通用していた。

 ブライヒレーダー辺境伯家も、先代当主の愚行のせいで罪悪感があり。

 この僻地が混乱しても制圧と維持にコストがかかり過ぎるので、多少の傲慢は無視していたからだ。


 だが、俺の帰郷で完全に情勢は変わり。

 それに気が付かないで、以前と同じように振舞ったクルトが自滅した。


 父の教育のせいと言えなくもなかったが、クルトは俺が生まれた時にはもう二十歳をとっくに超えている。

 親が成人した子にあれこれ言うのも、それはおかしいと思ったのかもしれない。


「開発可能な領地の糊代は残し、徐々にバウマイスター男爵からの援助で開発を進める予定である! あの開発特区と同じであるな! 陞爵については、事件の影響もあってすぐには不可能である! 十年以上先になる予定であるが、ヘルマン殿は準男爵で、次代の跡継ぎで男爵に。このくらいが妥当であろうと、陛下も仰っていたのである!」


 あと、同じく未開地から一部の領地がパウル兄さんに分与される予定であった。

 こちらは、最初から準男爵領として開発を進める予定になっている。


 パウル兄さんの陞爵の理由は、クルトの暗殺計画を防ぐのに多大な貢献があったからとなっていた。


「俺、ブランターク殿の魔法障壁に隠れていただけだけど」


「あの場合、死ななければ功績なのである! パウル殿は一から準男爵領の開発なので、色々と大変になるのである!」


「それでも、新しい領地と家が残りますからね。産みの苦しみというやつでしょう」


 最後に、未開地の大半が俺に与えられる事になる。

 だが、まるで開発されていない人口ゼロの場所なので、開発には相当な困難が予想された。

 幸いにして資金はあるので、それをローデリヒを代官にして管理させ、ブライヒレーダー辺境伯やルックナー財務卿が色々と手配をして完全に委任してしまう。


 俺は、冒険者を引退するまでに少しずつ領主に必要な教育などを受け、三十代半ばくらいにある程度開発が進んだ領地に戻る予定になっていた。


「バウマイスター男爵であるが、これも陞爵して伯爵になる予定である!」


「二階級陞爵ですか?」


「バウマイスター男爵には、功績が貯まっているので何の問題も無いのである!」


 王都の瑕疵物件の浄化に、決闘でいらない公爵家を一つ潰せたし、例の地下遺跡で発掘された物の評価も高く。

 むしろ、今まで陞爵していなかったのがおかしいくらいなのだそうだ。


「この機会を待っていたとも言えるのである!」


 父との話し合いは、これで終了していた。

 随分とアッサリとしている気もするが、父とてクルトの狂気の沙汰の詳細などもう聞きたくないであろう。

 こちらとしても、多少の罪悪感があるのでこれ以上話をしてもと思ってしまうのだ。


 ただ、俺は一つだけ確認したい事があった。


「クラウス、満足したか?」


 果たして、死んだ息子と娘の婚約者の仇討ちなのか?

 それとも、純粋に次期領主となるクルトに危機感を覚えての行動なのか?


 クラウスが、何らかの働きかけを行った事もクルトが暴発した原因の一つとも言えた。

 だが、所詮はただの働きかけ。

 それに、クラウスとクルトではクルトの方が偉かった。


 自領の名主が、次期領主に何かを囁いたところで、それは外部からは助言や忠告にしか見えない。

 更に、それを受け入れるも入れないも、それはクルトの判断一つなわけで。


 それでクラウスを罪に問えるはずもなかった。

 裁く証拠もないのだ。


「そうですね。満足とは違うと思います」


 まともな返答は期待していなかったのだが、意外にもクラウスは俺からの質問に普通に答えていた。

 そして、それはすなわち、自分がクルト暴発の原因でもあると認めていたのだから。


「ただ、誤解の無きように言っておきます。私はただ単純に、次期領主がクルト様では駄目だと思っていた。だから、他のご子息様の誰かに継いで貰いたかった。それだけなのです」


 このまま商隊としか外部との接触がない、人口八百人程度の閉鎖的な農村ならばクルトにでも何とか統治可能であろう。


 だが、現実には外部との接触や未開地の開発も始まっている。

 未開地の開発はまだ俺しか行っていないが、それとて背後には王国側の意図が透けて見えるわけで。

 もし隣接領地が出来て交流や交易が始まると、領主は様々な交渉事なども仕事となっていく。


 果たして、それがクルトに出来るのであろうか?

 クラウスとしては、クルトを次期領主として仰ぐのに不安しか感じられなかったそうだ。


「あの方は、昔からそうです。領地発展のために、せっかく優秀な弟様達が居るのだから。家臣にするなり、分家を創設して開発を命じるなりすれば良い」


 ところが、クルトは基本的に小心者であった。

 人を使う事が出来ず、自分よりも優秀な家臣や弟に領地支配の実権を奪われるではないかと疑心暗鬼に陥っていたそうだ。


「その癖、具体的な方針もない『未開地を何代かかけて開発し、バウマイスター家を伯爵家くらいには』です。まあ、少領の頃ならば、それでも良いのですが……」


 金を貯めて、領地に篭る。

 そういう少領の主は、地方では珍しくない。

 領民達も、一番偉い事になっている王都の王様など見た事もないので実感がわかず、近くにいる領主様を一番偉い人だと思ってそれに従うので。

 ある意味、小国の主とも言えたからだ。


「ですから、まあそういう事です」


 詳しくは言わなかったが、まずは名主としてクルトに助言などをしたのであろう。


 『他の兄弟を上手く使え』と。


 だが、クルトが額面通りに受け取れなかった。

 逆に、クラウスが弟達と結託して、自分を追い出すのではないかと。


 それに呆れたクラウスは、エーリッヒ兄さんや俺に密かに次期領主になって欲しいと要請するようになる。


 その気があって、次期領主を目指すのであれば領内の発展に繋がるし。

 その気が無くても、その噂がクルトの耳に入れば危機感を抱いて、開発に邁進するようになるかもしれない。


 だが、結果は逆の物となってしまう。

 クルトは俺達を嫌い、それを見た父は爵位と領地継承の秩序を守るために兄弟達を外に出してしまった。


 当然、そんな事を囁いたクラウスを父は信用できなかったのであろう。

 名主としては優秀であったので切るという選択肢が取れず、過去の因縁もあり二人の間に奇妙な距離感が広がったわけだ。


「(ただ、その結果になってもな……)」


 クラウスからすれば、バウマイスター領の将来的な衰退はある種の仇討ちでもあったからだ。


 名主としては、バウマイスター領は発展して欲しいが。

 息子の仇を狙う身としては、衰退して父やクルト達が困ればそれはそれで目的を達しているとも言える。


 クラウスは以前に、自分を喋る荷駄馬以下の存在だと言っていた。

 優秀な名主としての立場と、陰湿に息子の仇を狙う親の立場と。


 完全に矛盾した、二つの目標のためのチグハグとした行動。

 これが、クラウスという人間の正体だと俺は考えていた。


 あくまでも、俺の勝手な想像かもしれなかったが。


「クラウス。貴様は、まだあの時の事を……」


「まだ? 私には、まだ昨日の事のように思えますが」


 父とクラウスは、ほぼ無表情のままで見つめ合っていた。

 だが、他の人達からすればまるで殴り合っているかのような光景に見えていたのだ。


「父上」


「ヴェンデリン、お前はクラウスから話を聞いていたのか?」


「はい」


 今まで、俺をバウマイスター男爵として扱っていた父が、急に父親として俺に質問をしてくる。


「そうか。それで、どう思う?」


「わかりません。事実は一つでも、見る人や方向によって見え方が違う。そういう物でしょう?」


「そうだな。クラウスは、本当に真相を知りたいのか?」


「親としては当たり前だと思いますが。アルトゥル様」


 二人の間に緊張が走る。

 父は突然、クラウスに息子達が死んだ事件の真相を話すのだと言うのだから。


「アルトゥル様が、真実を話しているという証拠は?」


「そんな物はない。ワシとしては事実を話すつもりだが、クラウスがどう判断するかまでは責任が持てない」


「そうですか。お願いします……」


 父は、なぜ事件の真相を隠していたのか?

 当時から美人で有名であったレイラさんを、妾として手に入れるためであったから?

 領内の統治体制を強化するために、本村落の名主の家に自分の血を入れたかったから?


 どちらにしても、あまり良い話ではない。


 などと思っていると、父は予想外の話をし始めていた。


「クラウス、お前は優秀な男だ。ワシなどよりも遙かにな。バウマイスター家に生まれていれば、もう少しこの領内も発展していたであろうな」


「それは……」


 父が言う、クラウスが信用ならない理由。

 それは、自分よりも優秀なクラウスに領内統治の実権を奪われないようにという恐怖から来ているようであった。


 名主が、貴族から領内統治の実権を奪う。


 所謂、バカ殿様と専横を進める奸臣という構図であったが。 大貴族家では不可能でも、騎士爵家くらいだと名主でも領内の実権を奪う事も不可能ではなかった。


 レイラさんを妾にしたのは、そういう事態を避ける理由もあったようだ。


「だが、それでも人の親なのだな。お前の息子であるゴードンとレイラの婚約者であったハインの仲が、もう修復不可能な状態にまでなっていた事を知らなかったのか? あの二人、表面は仲の良い幼馴染同士を繕っていたが、実際には殺し合い寸前だったのだぞ。クラウス、お前ほどの男が本当に気が付いていなかったのか?」


 父からの問いに、クラウスは沈黙したままであった。

 もしかすると、色々と思い当たる節はあったのであろう。


 というか、その事実は俺ばかりかヘルマン兄さんやパウル兄さんも初耳であった。


「クラウスも、義理とはいえ兄弟になる予定の息子達同士で殺し合うほど憎み合っていた。ワシも、クルトが暴発して死んだ。まさか、こんな事で似た者同士になるとはな……」


「いえ、ゴードンとハインはいつかはまた仲直りをして……」


「無い! そんな夢みたいな未来など無いのだ! それに、もう二人共死んでいる!」


「あの……、父上?」


 俺からの問いで、父は事件の真相を話し始める。

 簡単に要約すると、昔は家が隣同士であったクラウスの息子ゴードンと豪農の長男ハインは、まるで本当の兄弟のように仲が良かった。


 クラウスは、ハインならば次の名主になるゴードンを十分に補佐してくれるはずだと、レイラさんの婚約者に指名する。


 ところが、それが悲劇の始まりであった。


「ハインは、欲をかいた。もしかしたら、レイラの婿として次の名主の座を狙えるのではないかと」


 当然、幼馴染の心境の変化にゴードンは敏感に気が付いた。

 最初は上手く宥めてその野心を押さえ込もうとしたようだが、次第にハインが自分の命を狙って来る可能性があると知って、徐々に対立するようになる。


 だが、それを周囲に悟られるわけにはいかない。 

 なぜなら、それは名主であるクラウスの疵となってしまうからだ。


 両者は、表面上は今まで通りの関係を繕いつつ、内心ではお互いに激しい憎悪を募らせるようになったそうだ。


「あの、その事実は……」


「レイラですら気が付かなかった。ワシが知ったのも、偶然であろうな」


 たまたまではあるが、森の中で二人が激しく言い争っているのを聞いてしまったそうだ。

 初めは、いくら仲が良くてもたまには喧嘩くらいと思ったそうだが。

 次第に、激しい言い争いの内容が普通の喧嘩ではない事に気が付いてしまう。


「クラウスが薄々気が付いたかどうかの事実だ。ワシが普通に気が付けるものか。事件の日の事を知りたいか? 誰にでも予想できる事だ」


 父が二人を狩猟に誘ったのは、自分なりに二人の関係修復を願っての事。 

 岩茸取りに来ていた本村落の若者達は、本当に偶然その日に崖に来ていただけ。


 しかも、あの事件の瞬間には現場に居なかった。

 二人が滑落死した直後、父の呼び声で駆け付けたに過ぎなかったそうだ。


 最後に、事件の真相は……。


「ワシも、直接は見ていない。大きな猪を三人で追っていて、それがあの崖っ淵に逃げた。ハインは、『俺とゴードンの二人で上手く追い込んで崖から落とします。お館様は、危険ですので暫く待機を』と言って、二人で崖っ淵まで向かった」


 ハインは、良い機会なのでゴードンを事故に見せかけて殺そうとしたのであろう。

 だが、そこでゴードンに強く抵抗され、誤って両方とも崖から落ちてしまった。


 蓋を開ければあまり複雑な事情や陰謀など存在しない、単純な憎み合いから起こった事件とも言えるが、どこか釈然としない部分もある。


 他のみんなもそうであったが、何か裏に父の恐ろしい陰謀があった方が、関係者ではない者は納得できるのかもしれない。


「事実とは、案外単純なのかもしれないな」


「どうして、父上は事実を隠したのですか? 緘口令まで敷いて」


「話せるはずがないからだ」


 本村落の名主の跡取り息子と、その妹の婚約者が殺し合いの果てに崖から落ちて双方が死んだ。

 確かに、あまり派手に事実を公表するのは躊躇われる話であった。


「レイラの件は、エーリッヒ辺りならわかっているはず。他の村落の名主達が、レイラの婿に自分の息子を押し込もうと画策を始めたからだ」


 隣の家同士で仲良く育った二人でも、本村落の名主を巡って殺し合いまでしたのだ。

 他からの婿など、クラウスとの対立や本村落と他村落の争いを煽るだけであろうと。


 だからこそ、好色の悪評を被ってまでレイラさんを妾にした。

 自分の血を引いた子が次期名主になれば、暫くは本村落の状態が安定するからだ。


「信じるも信じないも、ヴェンデリン達やクラウスの自由だ。それにどうせ、ワシは引退するからな」


 在地領主としては少し早い引退ではあったが、これだけの事件があったので仕方が無いとも言える。


「ヘルマン。未開地の開発が本格的に始まれば、他所との交渉が増える。クルトのようなヘマはするなよ」


「わかりました」


 多分、過去の事件の真相は父の言う通りなのであろう。

 クラウスも薄々とは気が付いていたが、やはり人の親なのでそうではないと信じたかったのだと。


 あと無責任な外野とは、事実が派手な方を喜ぶ。

 巷に、おかしな陰謀論などが広まる原因でもあった。


「さて。ここで、ヨハンナとアマーリエを呼ぶ許可を欲しいのだが」


 クルトの件を、母とアマーリエ義姉さんに伝える義務があったからだ。

 数分後、呼び出された二人の前で、今度は俺が事情を説明する。


 二人は泣いたり狼狽するでもなく、淡々とした表情で俺からの話を聞いていた。

 多分、ある程度は覚悟していたのであろう。


「そうですか……。外の貴族が……」


 母は、自分が腹を痛めて生んだ子供達が殺し合った事実にショックを受けていて、その原因の一つを作ったルックナー男爵に激しい怒りを覚えたようだ。


 今さらだが、彼が怨嗟の笛など持ち込まなければ、クルトを殺す必要などなかったのだから。

 本人が、教会送りを是とするかは別にしてもだ。


「ヴェンデリン、その貴族は当然処分されるのでしょうね?」


「何とも言えません……」


 既に報告は送っているが、俺に言わせると中央の貴族連中は魔窟の住民でもあった。

 何か手を用いて、その罪を逃れる可能性を否定できなかったからだ。


「クルト自身の罪も重いとはいえ……。わかりました、私も旦那様と共に引退します」


 母は俺に言いたい恨み言もあったと思うが、それを腹の奥に呑み込んでこれ以上何も言わなかった。

 正直なところ、非難でもしてくれた方がよっぽど気が楽という物だ。


 そして、アマーリエ義姉さんであったが……。


「覚悟はしていました」


 アマーリエ義姉さんの方も、その態度は毅然としたものであった。

 俺は、罵られるくらいの覚悟はしていたのだが。


「ここ最近、ヴェンデリン様への不満ばかり漏らしていて。私も子供達も、怖くて近寄れなかったのです」


 昔は優しい夫だったのに、父から統治の実権を徐々に渡されると次第に傲慢になってきていた。

 止めで、俺が領内で活動するようになると、俺が領地を奪いに来た敵だと言うようになったのだそうだ。


「とても表には漏らせない内容でした。子供達も、怖がってしまって」


 挙句に、俺からなるべく多額の税金をかけ。

 それで得た金で未開地を大々的に開発するのだと、半ば妄想のような事を突然口走ったりするようになる。


「とても付いて行けないと思いました。お義父様に言うわけにもいかず……」


「言って貰っても良かったのだがな。ワシにも、そんな感じであったからな」


 あくまでも次期領主としての公式的な発言ではなく、夫婦の部屋で言ったオフレコに近い発言だと思い、アマーリエ義姉さんはそれを漏らさなかったようだ。


 だが、その努力は完全に無駄になってしまったのだが。


「私はともかく、子供達の将来についてはただお願いするしか……」


「その辺は、最大限に考慮しますので」


「ヴェンデリン、私からもお願いします」


 母からも、アマーリエ義姉さんとその子供達の処遇について頼まれてしまう。

 二人は、同じく外部から僻地のバウマイスター領に嫁いで苦労しているので、仲がとても良かったのだ。


「もう数日で、王国側から何か言ってくるはずですから。それまでは普通に生活をして貰って構いません。ただ、外には出ないでください」


 暗殺未遂事件を起したクルトの係累なので、いらぬトラブルが発生する危険があったからだ。

 あと、共犯者四人の家族は、可哀想であったが本村落を出て貰う事になっていた。


 俺が新しく開発する未開地に移住するか、パウル兄さんの新領地に移住するか。

 こんな田舎なので、そうでもしないと犯罪者の遺族への風当たりも強く。

 仕方の無い処置とも言えた。


「さて、王国側はどう判断するかだな」


 結局は、ブランタークさんのこの一言に尽きた。

 大規模な犯罪行為はあったが、犯人は全員死亡しているので拘束なども必要なく。


 父との話を終えた俺達は、またすぐに普通の生活に戻っていた。

 さすがに、翌日は休みを取っていて。 

 代理司祭の仕事があるエリーゼですら、休みを取っていたほどであったが。


「聖魔法は纏えるようになったが、暫しの実践が必要である! 治癒魔法については、某に任せるが良い!」


 休暇を取るエリーゼの代わりに、なぜか導師が司祭の代理を買って出ていた。

 マイスター司祭から借りた司祭服が今にも筋肉ではち切れそうであったが、治癒魔法だけかければ良いのだから問題はないであろう。


 エリーゼから治療して貰えると思って教会に出向き、そこで導師を目撃する領民達の冥福を祈るのみであったが。


 一日の休みを終えた後は、普通に領地開発と冒険者としての仕事を日毎に交代して行っていた。

 更に、開発特区の整地や区画割りに、大まかな土木工事などを終わらせ。

 新規の移民が来ても、なるべく早く農作業が行えるように準備しておく。


 冒険者としては、魔の森に入って狩猟や採集を集中して行っていた。


「食品の試作と、そのための狩猟・採集をしている今が一番幸せ。貴族なのに、物凄い貴族嫌いになりそう」


 周囲を魔法で警戒しながら、俺はカカオの群生地で乱獲しないようにカカオの実を一心不乱に採集していた。

 しかしその心配は無用なようで、一度実を取っても三日もするとまた元通りなのはある意味恐怖でもあった。


「俺のような立場だと。みんな、『貴族になりたい!』で必死なんだけどな。なっても、ヴェルの兄貴みたいな人もいるけど」


「人間、上を見るとキリがないからねぇ……」


「結局、私にはあの人が目指していた物が理解できなかったわ」


「問題ない。俺も、良く理解できなかったから」


 エル、ルイーゼ、イーナの三人は、カカオの実を採集しながらクルトの事などで世間話を続けていた。


「ヴェル様、この実は美味しいの?」


「加工すれば、極上の美味になる」


「頑張って集める」


 ヴィルマも、カカオの実の採取に全力を挙げていた。

 後でチョコレートやココアを試作するつもりであったが、工程が多くて面倒なので今は後回しにする事にする。

 今は、暇な時にそれが出来るように、大量に魔法の袋に備蓄する事にしたのだ。


 他にも多くの果物などを採取し、時折りこちらを襲撃してくる魔物も倒していく。

 夕方まで仕事をした後に瞬間移動で開発特区にある自分の屋敷に戻ると、そこにはブランタークさんとエリーゼと導師が待ち構えていた。


「坊主、少々ヤバい事になったぞ」


「ヤバい事?」


「王都で、大惨殺事件が発生した」


 ブランタークさんも、先ほどブライヒレーダー辺境伯から通信用の魔道具を介して連絡を貰ったばかりだそうだ。


「あの怨念の残りカスが、しでかしたらしい」


 王都まで僅か二日で辿り着き、そこで新しい怨念を元に成長して。 

 あのルックナー弟やその家族に、十人ほどの貴族やその妻。

 家臣や使用人達などを、ゾンビにして殺してしまったのだそうだ。

 人数が多いのは、その日に屋敷で自分の派閥に属する貴族達を呼んでパーティーをしていたからだそうだ。


「犠牲者は、五十名を越えるそうだ」


「ですが、なぜ怨念は顔も見た事が無いルックナー男爵を?」


 更に言うと、怨嗟の笛自体ももうこちらで導師が回収しているのだ。

 それに、その怨嗟の笛は導師の魔法のせいで黒焦げであり、元々一回しか使えないので効果も切れていて、今では焦げたただのオカリナにしか過ぎなかった。


「匂いを覚えていたのでは?」


「匂いをか?」


 アンデッドなどに詳しいエリーゼが、自分の考えを語る。

 実は全てのアンデッドは、人間であった頃よりも視力が落ちてしまうらしい。

 その代わりに、他の聴覚や嗅覚などが増すのだそうだ。


「あとは、魔力を感知する能力とかもですね」


「死んで、動物に近付くって事?」


「ゾンビの貪欲な食欲などは、それが原因だと言われています」


 つまり、クルトの人格や意識が混在した怨念が、王都で別の怨念を貪って成長し。

 俺の次に恨んでいるであろう、ルックナー男爵の匂いを感知して復讐に走ったのであろうと。


「匂いの元は、怨嗟の笛に僅かに付いていた物かと」


 裏市場から購入直後に、ルックナー男爵は怨嗟の笛を触ったのであろう。

 一応大金で購入しているので、確認くらいはしたかったのかもしれない。


「そんな、ちょっと触れたくらいの匂いをか……」


 俺は、クルトの怨念の強さに恐怖してしまう。


「当然、常人では感知は不可能である! ルックナー男爵から渡された魔道具で、殺されてアンデッドにまでされた。間違いなく、クルトはルックナー男爵を憎んだであろう」


 俺の殺害に失敗して逃走する羽目になったので、今度は次の標的を狙う。

 あながち、間違っているとも言えなかった。


「ただ、本当にあの程度の残りカスならば、普通は一日と保たずに消えてしまうのである! あの男の執念の成果であろうな」


「成果と言っても、大事件じゃないですか」


 法衣貴族ばかりであるが、役職には就いている男爵一人、準男爵三人、騎士爵九名の合計十三名。

 その他に、ルックナー男爵は妻と跡取り息子に娘と。 

 使用人やメイド達すら全滅で、家族皆殺しという最悪の結末を迎えている。

 他の貴族達もパーティーの途中だったとかで、奥さんや子供や主だった家臣などを連れて来ている人がいて、現在王都は混乱の極地にあるそうだ。


「ルックナー財務卿は、頭を抱えているそうだぜ」


 懸案の弟が、その家族や派閥ごと消滅した。

 普通なら喜びそうな気もするのだが、降りかかる様々な雑事に疲労の極地にあるそうだ。


「まあ、想像はつきますけどね……」


 反主流派とはいえ、財務系の役職就きが十三名も消えたのだ。

 別に反主流派だからといって、ルックナー財務卿に逆らって仕事をサボっているわけでもなく。

 その穴埋めに奔走しているのであろう。


「あとは、大勢の陳情への対処であろうな」


 痛ましい事件ではあるが、役職が無い者にとってはチャンスでもある。

 『後釜にうちを!』とか、ある程度の大物貴族などからも、『私の息子を頼む』とか、『○○は、親戚だから頼む』とか屋敷に押し掛けられている可能性があると導師は説明していた。


「大物貴族の陳情だと無碍にも出来ず、話くらいは真摯に聞かないと後で面倒になるのである!」


「あとは、相続関連だろう?」


 ルックナー男爵は、跡取り息子ごと家族が全滅した。

 親戚筋からすれば、法衣男爵家を相続できるチャンスなのだ。

 当然、王都の貴族籍の管理や相続の手続きをする役所には、大勢の人達が押し掛けているはずであった。


 ブランタークさんは、それに気が付いたようだ。


「他にも、相続が確定するまでは対象貴族家の財産保護とかもある」


 当主が死んでゴタゴタしている間に、親族や自称親族の泥棒などが屋敷から財産を持ち去るケースがあり。

 役所が管理人と警備員を派遣して、相続人が確定するまで屋敷などを保護するのだそうだ。


「普通に、貴族家の当主が病死したとかじゃないからな。暫くはゴタゴタするだろうな」


 そして、それがある程度落ち着くと、当然責められる人間が出てくるわけだ。


「ルックナー財務卿でしょうね。あとは、うちかな」


 ルックナー財務卿の場合は、弟がおかしな事をした結果なのだから、他の当主を殺された貴族家の遺族から責め立てられるはず。

 うちも、怨念の元がクルトなので責められるはずだ。


「散々に責め立ててから。『じゃあ未開地の利権で許してやるよ』というのが、貴族の手法でもある!」


「また面倒な……」


 それはヤクザの手法でもあるような気がするが、実はもう一つ困った事がある。

 アマーリエ義姉さんと甥達の処遇であったが、甥達が成人するまで王都で生活して貰い。

 成人後に、法衣騎士爵位を手に入れて継がせようと思っていたのが不可能になってしまったからだ。


「(バウマイスター姓じゃなく、アマーリエ義姉さんの実家であるマインバッハ姓でも名乗らせようかと思ったんだけど……)」


 クルトの怨念の残りカスが、いくら暗殺事件の共犯とはいえルックナー男爵を家族ごと殺してしまったのは最悪であった。

 しかも、そんな事情を知らない貴族を十家以上も巻き添えにしてだ。


 いくら姓を変えても、アマーリエ義姉さんや甥達が王都を生活の拠点にするのは難しいであろう。

 噂がすぐに広まって、嫌がらせや中傷が始めるのは目に見えていたからだ。


「その辺の交渉も含めて、坊主が王都に行かないと話にならんな」


「でしょうねぇ……」 


 ただこちらにも都合という物があり、実際に王都まで瞬間移動の魔法で飛んだのは、それから三日後の事であった。

<< 前へ次へ >>目次  更新