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オマケ二話 筋肉な臨時司祭様。

「大丈夫か? テオ?」


「ああ、大丈夫……じゃないな」




 俺の名前は、テオ。

 バウマイスター領に住む、今年で二十一歳になる農民だ。

 長男なので実家を継ぐ予定であり、三年前に結婚して去年には長男も生まれている。


 ここ最近、領内ではクルト様とヴェンデリン様のどちらが次の領主に相応しいか議論が活発になっているけど。

 俺から言わせて貰えば、そんな事は偉い人が決めるからなるようにしかならないと思っている。


 ただ、ヴェンデリン様が未開地を開拓して田んぼを広げていたし、この前はうちの畑を広げて農作業がし易いように区画整理までしてくれた。


 それを考慮すると、まあ勝負はあったんだろうなと。


 俺はただの農民だから、どちらが新しい領主様でも日々の生活で忙しいだけなんだけど。


 と言っておくのが、庶民の知恵だと思うんだ。


 そんなわけで、俺は今日も農作業に忙しい。

 あと、俺はさほど体格に恵まれているわけではないが、逆に体が細くて軽いので、森で木になった果物などを取るのが得意であった。


 農作業終了後に、近所の人達と森にアケビを取りに行ったんだけど、木登りが得意なはずの俺が思わぬミスをしてしまう。

 気が抜けていたのか?

 手を滑らせて木から落ちてしまったんだ。


「テオ、右手が折れてないか?」


「ポッキリと折れているな」


 すぐに、隣に住むクラウドの爺さんが添え木をして布を巻いてくれる。

 骨が折れたら、なるべく真っ直ぐにしてから添え木で固定して布を巻く。


 昔から、そういう事になっているそうだ。


 本当は、治療院に行くか、治癒魔法が使える神官様の所に行くべきなんだろうけど。

 生憎とここには、そんな便利な物や人は存在していない。


 司祭のマイスター様は良い人なんだけど、治癒魔法は使えないんだよな。

 ただ、薬草学には長けているとかで、病気とかなら薬を処方してくれるんだけど。


「骨折は痛いなぁ。嫁に迷惑をかけるし」


「大丈夫だ。今は、エリーゼ様がいるから」


「そう言えばそうだったな」


 クラウドの爺さんは、ここ最近腰痛に悩まされていた。

 だが、同じく腰を痛めて休養中のマイスター様の代理で司祭をしているエリーゼ様が治癒魔法で治してくれたそうだ。


『腰痛は治るし、エリーゼ様は綺麗だし、治癒魔法をかけてくれる時に良い匂いがするんだよなぁ』


 クラウドの爺さんは、エリーゼ様から治療を受けた時に様子を煌々とした表情で語り、後で奥さんにシバかれていた。

 

『あと、あの胸がなぁ。一回で良いから触ってみたい』


 多分、付け加えたその一言が致命傷であったのだと思う。

 というか、そういう邪な発言や感情のせいでエリーゼ様が治療をしてくれなくなったら、間違い無くクラウドの爺さんは村八分だと思うんだけど。


「とにかく、その手では何も出来まい。エリーゼ様に治して貰って来い」


「わかった」


 俺は極めて冷静に、このままだと明日からの農作業に支障を来たすからという大義の元。

 内心では、心ウキウキで教会へと急いでいた。


 それは、エリーゼ様はヴェンデリン様の婚約者なので、そういう邪な気持ちや態度は絶対に表に出してはいけない。

 だが、あれほどの美人に治療して貰えるのだ。


 男なら、喜ばずにはいられないであろう。


「(しかし、ヴェンデリン様の奥様達は……)」


 エリーゼ様は、もう言うまでもない。

 あれほどの美人、バウマイスター領ではそうお目にかかれるものではなかった。

 側室候補だというルイーゼ様も、容姿は幼かったが可愛らしいし。

 イーナ様も、ああいう女性に怒られるとゾクゾクするかもしれないなどと思ったりもしたのだ。


 ただ、クラウドの爺さんみたいに余計な事を口にして、嫁にシバかれるようなヘマはしていなかったけど。


「(しかし、治療が楽しみだなんて。おかしな感覚ではあるな)」


 教会の入り口近くまで来ると、今日は珍しく誰も先客が並んでいなかった。

 ここ暫く、エリーゼ様が懸命に治療をしていたので、患者が減ったのであろう。


「(とにかく、まずはエリーゼ様のご尊顔を……)すいません!」


 内心のワクワク感を抑えながら、教会の扉を開ける俺であったが、ここで予想外の出来事が発生する。


 なぜなら、そこにはまるで女神のように美しいシスター姿のエリーゼ様ではなく。

 いかにも急に誂えたかのような、いや司祭服が小さくて筋肉の塊なのが丸わかりの。

 厳つく、大きい中年男性が待ち構えていたのだから。


 しかし、この人は本当に司祭なのであろうか?


 多分、マフィアのボスだと言われても納得するほどの威圧感を持つ人物であった。

 いや、そのマフィアのボスすら裸足で逃げ出すかもしれない。


「おおっ、迷える子羊よ! 某に何の用事かな?」


 迷える子羊というか、どう見ても今の俺は迷える獲物にしか見えなかった。

 

 というか、あの綺麗で美しいエリーゼ様は何処に行ったのであろうか?


 なぜ、今にも殺されそうな印象しか受けない、筋肉の巨人が俺に声をかけているのであろうか?


 どうやら、この世の中には神にでもどうにもならない出来事が多数存在しているようだ。


「あの……」


 つい言葉を詰らせてしまう。

 だが、確かに俺は腕を骨折したが、別に今日急いで治療をする必要も無いはず。

 明日の朝一番に来れば、またエリーゼ様が女神のような微笑を見せてくれる可能性もあったのだから。


 いや、絶対にそうなのだから。


「おおっ! 腕を骨折したのであるな! 某の出番である!」


「あの司祭様は、治癒の魔法を使えますので?」


 本当ならば、そんな事を聞くのは失礼に当たる。

 だが、今の俺はこの筋肉巨人に治療されないように懸命であったのだ。


「然り! 昨日、突然覚えたのである! それと、某は司祭ではないので緊張する事は無いぞ!」


 昨日、ヴェンデリン様が未開地に視察に出かけて、そこで何かがあったらしいのだが。

 後で正式に発表するとヘルマン様が仰られて、今は情況が不明であった。

 

 もしかすると、エリーゼ様がいないのはそれが原因かもしれない。


「本来であれば、助司祭の資格を持つ我が姪エリーゼが治療をするべきなのであろうが。彼女は働き詰めであったので、某が交代したのである!」


 自称ではあったが、この筋肉巨人はエリーゼ様の伯父であるらしい。

 何というか、親子じゃないから似ていないのか?

 似ていない事を神に感謝すべきなのか?


 加えて、俺はもう彼の治療対象にされていた。

 もしここで逃げると、間違いなく村に何か大変な事が起こるであろう。


「司祭様、腕を骨折しまして……」


「おおっ! それは大変であろう! すぐに治療を開始するのである!」


 そう言うなり、筋肉巨人の体からまるで炎のように青白い光が湧き上がってくる。

 多分、治癒魔法の光なんだと思うけど、以前に話に聞いたエリーゼ様の物とは全然違うように感じるのだ。


「某、まだ聖治癒魔法の経験が薄いのでな! 多少の不慣れは勘弁して欲しいのである!」


「いえ、治癒魔法で治していただけるだけでも」


「そう言って貰えると、大変に助かるのである! では……」


 筋肉巨人は両手を思いっきり広げると、そのまま俺を抱き絞め始める。

 そう、抱き締めるではない。

 本当の意味で、抱き絞めると言った感じだ。


 互いに体が触れた部分から治癒魔法が流れ、徐々に骨折部分が治っていくのがわかるが、他の部分はあまりの力に骨が軋むような感覚に襲われる。


「あの……。司祭様?」


「昨日、色々と試してみたのであるが。この方法でないと、治癒魔法が使えなかった故に。では、仕上げといこう」


「(腕は治りそうだけど、他の部分が折れるぅーーー!)」


 結局、他に骨折箇所が増える前に腕の骨折は完治していた。

 一箇所の骨折を治すのに、また複数箇所骨折としたら意味が無いので、力加減はしたのだと思われる。


 というか、なぜそんなに強く抱き絞めるのだと思ってしまう。

 普通に抱え込めば良いのではないかと。


「治って良かったな」


 腕の骨折を治すのに、筋肉巨人に抱き絞められた。

 最終的に怪我が治ったので良しとする事にするが、気分的にはどこか納得いかない部分があった。


 あと、この筋肉巨人はエリーゼ様の伯父にして、王宮筆頭魔導師様なのだそうだ。

 とてもそうは見えないし、他のみんなは俺がそんな偉い人から治療を受けられて羨ましいとも言っている。


 だが、やはりどこか納得できない部分があった。

 俺はやはり、エリーゼ様に優しく治療された方が良かったのだから。





「伯父様、今日はお休みをいただいてありがとうございました」


「何の、習得したばかりの聖魔法の訓練に最適であったのである! 治癒魔法も、大分上手くなった故に!」


「あの、それは抱き絞めないでも発動するのでしょうか?」


「いや、何回も試したのだが、不可能であったわ! まあ、使えるので良しとするのである!」


 そしてその日の夕方、エリーゼが代理司祭役を交代して貰った導師にお礼を述べていた。

 だが、相変わらず聖魔法は相手に密着しないと効果が出ないそうで、俺は筋肉導師に抱き締められながら治療された領民達に心から同情するのであった。

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