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第五十二話 怨嗟の笛。

「あの中では、何が起きているのでしょうか?」


「さあな? ただ、間違いなく碌でもない事だとは思うぜ」




 あのルックナー弟から何か魔道具を手に入れたクルトを暴発させるため、俺達はわざと未開地に視察に出ていた。


 視察自体は、一応は必要であったのだ。


 現在のバウマイスター領に、パウル兄さんが独立する準男爵領と、俺が大半を分与される予定の伯爵領の三つ。

 

 その境目は今はただの平原であったが、将来に起こる可能性がある領地境を巡る争いを避けるために、ちゃんと分けておく必要があったからだ。


 ただ、別に今日である必要は無く。

 やっぱりクルトの誘発が、最大の目的となっていた。


『問題なく、潜んでいるようだな』


 クルトは、鍛冶屋のエックハルトに僅かに残った支持者達と武装をして、暗い内から視察予定地を目指して領を出ていた。

 

 当然、ブランタークさんの手にかかれば、そんな行動は筒抜けなのであったが。


 視察予定地に到着してからも、少し離れた藪に五人で潜んでこちらを探っているのは丸わかりであった。

 さて、どんな魔道具を使うのかと内心では構えていると。


 突然、俺達の前に姿を見せたクルトは、古いオカリナのような物を吹き始める。

 すると、周辺の地面から何か黒い煙の塊のような物が噴出し、それらが竜巻状になってクルトを包んでしまう。


『いきなり自爆?』


『いや、さすがに竜巻の中は安全だろう。仮にも、魔道具の使用者なんだし』


 どうやら台風の目と同じで、中心地は黒い煙の影響を受けないようだ。

 ただし、クルトだけはという注釈が付くらしい。

 黒い煙の影響なのか?

 すぐに、エックハルト達と思われる悲鳴が聞こえてくる。


『自分だけ無事で、他は駄目とか。えげつな』


『見事なまでに使い捨てだな。さすがは、小物だぜ』


 ブランタークさんの、クルトへの評価は厳しかった。

 ただ、冒険者時代にもこの手の輩は珍しくなかったようで、特に思うところはないようだ。


 それに、クルト自身も永遠に無事であったわけでもないのだから。

 すぐに、彼の断末魔の叫びが聞こえてくる。


『何となく、どういう魔道具か理解できた。やっぱりクルトなんて、使い捨ての道具だったんだな』


 どうやら、あの黒い煙は触ると危険な物らしい。


 こちらは、更に遠方からも大量に湧き始めた黒い煙状の物体から身を守るべく、ブランタークさんと共に魔法障壁を展開していた。

 視察に来ていた全員は、急ぎ魔法障壁の中に入る。


「これ、虫か?」


「いえ、怨念が顕在化した物です」


 エルの疑問に、この分野には詳しいエリーゼが答えていた。


「えっ? 怨念って顕在化するの?」


「そこは、あの笛の力だとしか」


 イーナの疑問に、エリーゼは少し曖昧に答えていた。

 さすがの彼女も、魔道具にはさほど詳しくなかったからだ。


「ねえ、導師様は知っているの?」


「多分、アレは『怨嗟の笛』であろう」


「怨嗟の笛?」


 意外にも、導師はクルトが吹いている魔道具に心当たりがあるようだ。


 怨嗟の笛とは、古代に製造された仇討ち用の魔道具なのだそうだ。

 本人の怨念と、笛で周囲から集めた怨念をもってして自分を強力なアンデッドと化し、その目標を殺す。

 自分の身を犠牲にしてまでも討ちたい相手を確実に殺すための魔道具で、これも『竜使いの笛』ほどではないが、王国では危険な代物であると認定されているそうだ。


「という事は、アレも裏市場で?」


「怨嗟の笛は、竜使いの笛よりは入手が容易い故に。あくまでも、比較論ではあるが……」


 竜使いの笛を使われれば、最悪その都市が壊滅してしまう。

 だが、怨嗟の笛であれば、目標の個人と最悪数名の巻き添えで済む事も多い。

 王国がどちらを危険視するのかは、一目瞭然というわけだ。


「どっちにしても、標的は俺なんですよね?」


「あはは、物凄い怨念の具現化であるな! バウマイスター男爵は、相当に恨まれていたようである!」


「あの……。笑い事じゃないんですけど……」


 まだ周囲から集まって来ている黒い煙は、クルトを中心にして直径五十メートル、高さは百メートルほどの巨大な竜巻を形成していた。


 あまりの凄さに、俺達は慌てて後退をするほどである。


「伯父様。昔に見た本では、もっと竜巻は小さかったと記憶しているのですが……」


「要因は、幾つか考えられるが……」


 まずは、この未開地が広く開けた土地であった事。

 怨念とは、比較的簡単に発生する物らしい。

 

 植物や昆虫が、走る鹿に踏み潰される。

 ウサギが狼に狩られる。

 熊が川で溺れ死んだり、子供が育たなくて死んでしまうなど。


 人間社会においても、上司から叱られるとか。

 日常生活で、少し知人が気に入らなかった出来事があったとか。


 僅かではあるが怨念が発生し、それはその土地周辺に染み込むそうだ。


「ただ、時間が経てば蒸発する水のように消えてしまうのである」


 普通の場所ならばそうなのだが、所謂『良くない土地』などと言われるような場所だと。

 蓄積した怨念が、その土地を利用する者に害をもたらしたり。

 王都の瑕疵物件のように、殺されて恨みが強い悪霊などが発生すると、その場にある怨念が増幅されて悪霊のエネルギー源となってしまうそうだ。


「つまり、あの男の怨念が予想以上に強く。それを基点に、未開地中から大量の怨念が集まっているのである!」


 未開地には、無念にも惨殺された人などおらず。

 一箇所から集められる怨念など僅かな量でしかないが、未開地は広大なので塵も積もればという事らしい。


「という事は、ヴェルの兄貴が笛を吹くのを止めさせないと駄目って事ですか?」


「止めさせるというよりは、魔道具か使用者を破壊するしかないのである!」


「えっ、それはどういう?」


 エルは、導師のクルトを殺すではなく、破壊するという発言に違和感を覚えたようだ。


「エル少年、バウマイスター男爵やブランターク殿が、なぜすぐに魔法障壁を張ったと思う? あれほど濃度の濃い怨念を普通の人間が体に受ければ、死は間逃れない故に!」


 導師はエルの質問に答えながら、もうクルトが生きているはずはないと説明していた。

 怨念とはマイナスの要素であり、少量ならば大した影響もないが、大量ならば生物を病気にしたり最悪死に至らしめるのだそうだ。


「常人ならば、一瞬で発狂するはずです。あとは、短時間で体の機能が停止してしまうのですが……」


 エリーゼが、俺を見ながら申し訳無さそうに説明をする。 

 要するに、クルトとその取り巻き達は既に死んでいる可能性が高いらしい。


「エリーゼが気にする事なんてないさ。こう言うと悪いかもしれないが、自業自得だ」


 その死を心から望まれ。

 今まで散々に嫌がらせを受け。

 挙句に、人の暗殺まで試みたのだ。

 それに、どうせここで生き残っても碌な結末が待っていないはず。

 後顧の憂いを断つべく、ブライヒレーダー辺境伯や中央の貴族達がクルトを生かすはずなどないのだから。

 

「でも、ならどうして笛の音が鳴り続けているのかしら?」


「単純明快で、魔道具だからである!」


 イーナの疑問に、導師が素早く答えていた。

 オカリナの形をしていたが、あの笛は魔道具であり。

 一度息を吐いて稼動させると、あとは稼動させた者が標的にしている人間を殺すまで笛の音は止まらない。


 実際に、どこかで聞いた事があるような気がしないでもない曲が、オカリナの音で周囲に流れ続けていた。


「あれ? 稼動者が標的にした者を殺すまで? でも、あのお兄さんはもう死んでいるんだよね?」


 ルイーゼが疑問に感じた事は、俺も感じていた。

 クルトはもう死んでいるのに、なぜ笛や集まった怨念が俺を標的だと認識するのであろうかと。


「答えは、怨念の集合体を操る存在として笛の稼動者をアンデッドにするからだ。坊主、これは浄化するのは結構な手間だぞ」


 魔法障壁の展開に集中していたブランタークさんから、例の巨大な黒い竜巻に変化が発生したという報告が入る。

 視線を向けると、そこには全高さ五十メートルほどの黒い煙で構成された巨人が立っていた。


「怨念の集合体……」


「あと、胸の部分を見てみな」


 ブランタークさんに言われて視線を向けると、そこには肌が焦げ茶色に変色し、ゾンビと化したクルトが埋め込まれていた。


 クルトは相変わらずあのオカリナを口に咥えていて、そこからは例のメロディーが流れ続けている。

 更に良く見ると、首筋や手足の一部が食い千切られたように欠損していて、その傷口がドス黒く変色していた。


「あの取り巻き達が先にゾンビ化して、食われて死んだようだな。そして、死後にゾンビにされてあの黒い巨人のコアにされる。えげつねえ魔道具だ」 


 確かに、俺ならばどんなに追い詰められても使いたくない魔道具であった。

 それとその取り巻き達であったが、やはりゾンビ化して黒い巨人の胴体や手足などに、まるで飾りのように埋め込まれていた。


「何というか、初めて見るアンデッド?」


 核はクルトのゾンビのようだが、他にも四体のゾンビも取り込んでいるし、大半の構成要素は黒い煙状の怨念で構成された謎の巨人。


 果たして、これはどういう種類のアンデッドに分類されるのであろうか?


「気持ち悪い。倒しても、肉は取れない。早く倒すべき」


 もっとも、ヴィルマに言わせるとそんな事はどうでも良いようだ。

 食える野生動物や魔物なら倒す楽しみがあるが、こんな食えもしないアンデッドは早く倒すべきだと。

 

 俺のローブの裾を引っ張りながら、早く倒そうと意見していた。


「でも、強そうじゃないか?」


 ルックナー弟如きが渡す魔道具なので、大した事も出来ないはず。

 丁度良い機会だから、クルトの暴発を誘発させてしまえば良い。


 などと言った割には、ブランタークさんも黒い煙の巨人インゾンビ五体の禍々しさに絶句しているようであった。


「ブランタークさん!」


「ああ……。坊主って、物凄くクルトに恨まれていたんだな」


「そこは、今更でしょう」


 完全に向こうの思い込みであったが、それでも鬱屈した怨念が物凄い事になっていたらしい。

 向こうにしてみれば、まず俺が生まれた事からして悪なのであろう。

 

 しかも、大人しく慎ましやかに生活していれば良いのに、竜を退治して貴族になるなど。

 クルトからすれば、まず許されない事なのだ。

 何しろ、自分は跡取りで長男様なのだから。


 そして、ならば持っている金を出して、自分の奴隷のように働けと。


 全てクルトだけの都合であり、その都合通りにならない俺は邪魔な存在なので殺した方が良い。


 そこまで考えている人間を、ただ血の繋がった兄だからと言って容認できるほど。

 俺は、聖人君子ではなかったのだ。


「それで、どうします?」


「どうって……」


 怨嗟の笛の範囲内の未開地から全ての怨念を吸収した黒い煙の巨人は、早速に標的である俺目掛けてその拳で連続してパンチを繰り出していた。


 だが、ブランタークさんと共同で展開した魔法障壁に阻まれ、まるで効果を発揮していない。

 それでも、連続して両手を振り下ろして、その衝撃で魔法障壁がバンバンと大きな音を立てるので、精神的には少し怖いと感じてしまうのだが。


 それはそうであろう。

 全長五十メートルほどの巨人から、魔法障壁で守られているとはいえその巨大な拳を向けられているのだから。


「それならば、某の出番であろう! バウマイウスター男爵の身に何かがあれば、陛下も悲しむという物! まずは、某に任せるが良い!」


 導師は俺の警備のために来たので、理論的には間違っていない。

 だが、導師の魔法の特性を考えると、この黒い煙の巨人にはあまり効果は無いような気もするのだ。


「某が普段は使わない魔法で、始末するのである!」


 そう言うのと同時に、導師は魔力を同調させて俺とブランタークさんが展開している魔法障壁をすり抜け、同時に身体強化の魔法をかける。


 黒い煙の巨人は、先に邪魔な障壁から出た導師を先に始末すべく、その頭上に拳を落す。

 普通の人ならばペシャンコになるほどの威力であったが、導師はそれを単体用の魔法障壁で防いでいた。


「導師って、魔法障壁を使えたんだな」


「いやいや、あの人は王宮筆頭魔導師だから!」


 エルからすると、導師が魔法障壁を使えること自体が初耳であったようだ。

 だが、導師の名誉のために言っていくと、導師は魔法障壁が使えないわけではない。

 俺やブランタークさんのように、複数人数をカバーする半円形の魔法障壁が使えなかっただけだ。


「ある意味、完全に単体戦闘専用なんだな」


「そういう事になるかな……」


 だからこそ、昔に導師よりも師匠を王宮筆頭魔導師にという声が上がったのだから。

 だが、導師の魔道具への知識などを見るに、別に導師の王宮筆頭魔導師就任は間違っていないとも言えた。


 むしろ戦争にでもなれば、敵軍を容赦なく惨殺する恐ろしいまでの攻撃力の持ち主なので適任とも言える。


「他の魔法は魔力を大量に消費する故に! 紅蓮の火柱にて、完全に焼き尽くしてくれようそ!」


 そう言いながら、導師が指先を黒い煙の巨人に向けると、突然黒い煙の巨人の足元から強大な火柱が上がり、その体を完全に包み込んでしまう。


「会心の出来であったわ! バースト・グレート・ライジング!」


 バースト・グレート・ライジングとは、見ての通りに高温の巨大な火柱を標的の足元から発生させる魔法である。

 威力は、普通の人間ならば骨も残らずに焼き尽くしてしまうほど。


 オリジナル魔法かと聞かれれば、そうとも言えるし、言えないとも言える。

 標的を火柱で包み込む魔法を使える魔法使いは複数いるが、バースト・グレート・ライジングと名付けているのは導師だけであったし、高さ百メートルにも及ぶ火柱を魔法であげられるのも導師だけであったからだ。


「凄い魔法だね」


「さすがは、伯父様」


 ルイーゼとエリーゼは、巨大な火柱に包まれて焼かれる黒い煙の巨人を見て導師の実力に感心していたが、ブランタークさんは訝し気な表情をしながら首を横に振っていた。


 俺も実はそうだ。

 バースト・グレート・ライジングの魔法自体は、物凄いと思うのだが……。


 そして、イーナも俺達と同じ事に気が付いたようだ。


「ねえ、ヴェル」


「ええと、何かな?」


「私は魔法なんて使えないのだけど、あの黒い巨人はアンデッドなのよね? なら、聖魔法で浄化しないと駄目なんじゃないの?」


「そういう事になるかな?」


 ゾンビのように腐っていても体があるのならともかく、あの大半が黒い煙状の怨念で出来ている巨人に、火系統の魔法が通用するはずがないのだ。


「伯父様は、黒い巨人を操っているあの人のゾンビを標的にしたのでは?」


 エリーゼは、大半のアンデッドは聖魔法でなければ倒せないという事実を失念していたわけではないようだ。

 あれほどの巨体なので、導師は先にコントロールをしているクルトのゾンビを倒そうとしているのではないかと。


 なるほど、確かにそれならば効率が良いとも言える。


 ただ、火柱が収まった地点には先ほどのままで黒い煙の巨人が立っており。

 加えて、胸の部分には目が血走ったままのクルトが絶叫していた。


 ゾンビではなく、レイスと化した状態で。


「おおっ! 業火で焼かれてもバウマイスター男爵への怒りで成仏できないとは!」


 導師も、クルトの執念に驚いているようだ。

 何しろ、他の四人が埋め込まれていた巨人の手足には、もうその姿が見えなくなっていたのだから。


 多分、もうクルトには付き合い切れないと、先にあの世に行ってしまったのであろう。


「ヴェンデリン! コロス!」


「うわぁ、マジで恨まれてるな」


「半分以上、向こうの勝手な思い込みだ!」


「俺も、兄貴達を差し置いて跡を継いだりしていたら、このくらい恨まれていたのかもな。そんな事は、まずあり得ないけど」


 家や領地を継げるか、継げないか。

 この差のせいで、時には殺人や暗殺事件まで発生する事があるそうなので、兄達に疎まれたエルからすれば他人事ではないようだ。


 ただ、クルトの場合は黙っていれば領主になれたので、完全に逆恨みだと思うのだが。


「あーーー、早く浄化してしまえ」


 コントロール部分がクルトのレイスに変化した黒い煙の巨人は、余計に恨みが増大したようで、無茶苦茶に腕を振り回しながら俺達に攻撃を続けていた。

 

 攻撃自体は、ブランタークさんの魔法障壁によって完全に防がれていたが、巨人が自分に腕を振り下ろすシーンは見ていて心臓に良くないのであろう。


 ブランタークさんから、早く浄化してしまえと言われてしまう。


「わかりました。エリーゼ」


「はい」


 俺とエリーゼは、同時に聖魔法の準備を開始する。

 魔の森で使った広範囲浄化魔法の範囲を狭め、その濃度を上げた物を。


 同じ系統の魔法で、二重に捕らえて完璧に浄化してしまう事にしたのだ。

 万が一失敗でもすると面倒なので、ここは容赦なくやってしまう事にする。


「ヴェンデリン! シネェーーー!」


 もはや理性すら無さそうな、俺達に向かって両手を振り下ろし続けている巨人なので、他所で暴れられでもしたら面倒になりそうであったからだ。


 何かの間違いでバウマイスター領にでも行かれたら、下手をすると領民達が皆殺しにされる可能性もあった。


「まあ、他所に逃げる心配は無さそうだけどな」


 ブランタークさんの魔法障壁で防がれているのに、黒い煙の巨人は他の方法を考えるでもなく、まるで機械のように両手を振り下ろし続けていたからだ。

 

「なるほど、仇討ち用の魔導具か……。俺が標的じゃなくて良かった……」


「俺も……」


「しかし、あまりにも理不尽な恨みというか……」


「何もしなければ、普通にバウマイスター領を継げたのにな」


 ヘルマン兄さんとパウル兄さんは、クルトの悲惨な死に様などよりも、狂ったように両手を振り下ろしてくる黒い巨人に恐怖している。


 なぜなら、こんな巨人に狙われたら、魔法障壁を張りでもしないとまず生き残れないであろうからだ。

 多少武芸に優れていたとしても、巨人の理不尽な暴力からは逃げられるはずもない。

 

 まさしく、己の身を犠牲にする価値のある仇討ち用の魔道具なのかもしれなかったが、唯一魔法使いへの対処には隙があったようだ。


「ただ、聖魔法がないと詰むけど」


「だな。攻撃は防げても、聖魔法が使えないと黒い巨人を倒す術が無い。魔法障壁の展開だって、魔力が尽きれば結果は同じなんだから」


 大抵の人間ならば確実に殺してしまういう点において、怨嗟の笛はお上に取り締まられるのに相応しい魔道具でもあったのだ。


「それで、導師は時間稼ぎなのか?」


「多分……。ただ、本当に自力で倒そうとしている線も……」


「いや、聖魔法が無いと無理だから!」


 俺とエリーゼが聖魔法のタメを行い、ブランタークさんが魔法障壁を展開して全員を守る。

 その中で、唯一の例外が導師の存在であった。


 自分一人なら魔法障壁を展開可能なので、それと身体能力を魔法で強化し、高速飛翔で黒い煙の巨人の周囲を飛び回りながら火系統の高集束弾を放ち続けていたのだ。


 ただ、命中して一時的にその部分に穴を開けても、元が黒い煙なのですぐに塞がってしまう。

 やはり、聖魔法でないと効果が無いようであった。


「導師って、聖魔法は……」


「ボクは見た事が無いけどね」


 王都での修行時にも、俺もルイーゼも見た記憶がなかった。

 ただ、前に使える事には使えるけど、威力がアレなので使えない方がマシだという話は聞いていたのだが。


「実は、嘘をついていて高威力の物が使えるとか?」


「別に、隠す意味が無いよね?」


「確かに……」


 ルイーゼに正論で突っ込まれている間に、高出力の聖魔法を使うためのタメが完了し。

 まずエリーゼが、黒い煙の巨人が立っている場所とその僅かな周囲に効果を限定した浄化魔法を発動する。


 浄化の青白い光によって、巨人はその構成要素である黒い煙が徐々に溶けるように消えていき、次第にその身を小さくさせていく。

 更に、胸に埋め込まれたクルトのレイスが、まるで硫酸でもかけられたかのように悲鳴をあげ続けていた。


「行けるぞ! 坊主!」


「はい!」


 続けて、俺も同じ魔法を同じエリアに重ねがけする。

 更に威力を増した青白い光に、黒い煙が浄化されていく速度が増し、もう数分で完全に消えるであろうと予想したその時。


 悲鳴だけをあげていたクルトのレイスが、最後の抵抗を開始する。


「ヴェンデリィーーーン!」


 再び怨嗟の笛の音を強くし、また周囲から徐々に黒い煙が集まって来たのだ。


「またかよ!」


「怨念なんて、どこにでもあるからな」


 極少量とはいえ、どんな土地にも存在する物を広範囲から集めているせいで、巨人の体が小さくなる速度が完全に止まってしまう。


 こうなると、あとは俺達の魔力が尽きるか。

 クルトのレイスが、怨念を集め切れなくなるか。


 完全な、根競べになってしまったのだ。 


「坊主、大丈夫か?」


「俺は大丈夫なんですけど……」


 エリーゼの魔力は中級の上くらいなので、もう何分かで限界が来てしまうのだ。

 例の指輪に、前の反省を生かして所持している予備の魔晶石も合わせてもう十分ほどがプラスされるにしても。

 エリーゼが脱落すると、今度は黒い巨人が再び元の大きさに戻ってしまう可能性があった。


「あれ? これって、結構拙い?」


「拙いな」


 もし俺の魔力が尽きるまでに巨人が消えないと、もう残りは魔法障壁を展開するブランタークさんだけになってしまう。

 彼は聖魔法を使えないので、あとは守るだけになってしまうのだ。


「拙いな……。導師!」


「何事であるか? ブランターク殿」


 巨人の周囲を飛びながら牽制を続ける導師に、ブランタークさんが事情を説明する。


「なるほど、この開けた未開地が逆に仇となるとは!」


「開けていても、怨念ってそんなに早く飛んで来るんですか?」


「普通の物ではない故に、怨念の凄さは集める人間の恨みの深さに比例するのである!」


 少量の怨念は、普段は透明で人間にも動物にも見えない。

 怨嗟の笛で呼ばれて近くに来た時に、初めて黒い煙状になって人間に影響を及ぼすようになるのだそうだ。


「怨念が深ければ……。そう、この未開地で縁起の悪い土地や、魔の森からも集まって来るであろう!」


 そういえば、昔に未開地を探索した時に、野生動物の墓場になっている場所や、水もあって日当たりも良いのに、なぜか植物が一切生えない場所などがあった。


 多分、そういう場所には大量の怨念が溜まっていたのであろう。


「恨みは恨みを、利息付きで呼ぶのである!」


「絶妙な例えですね」


 完全な言いがかりだとしても、クルトの俺への恨みは相当な物があるようだ。

 

「それで、どうしましょうか?」


「某は、魔力を他人に補充するのは苦手なのである!」


 やはり、魔力補充には特別な才能が必要なようだ。

 導師は、自分には使えないと断言していた。


「じゃあ、どうしましょうか?」


「簡単な事である! 某が、聖魔法を使えば良いのである!」


「えっ? 導師って、ちゃんとした聖魔法を使えたんですか?」


 衝撃の事実であった。

 究極の戦闘マシーンで、強力ながらもほぼ対単体用の魔法しか使えない導師が、以前に自ら苦手だと明言していた聖魔法を使うというのだから。


「いや、我が四十年と少々の人生において、僅かな期間しか聖魔法を試みた経験が無いのである!」


 その時に、あまりにショボい聖光しか出なかったので、それ以上の訓練を諦めてしまったそうだ。


「あのようぉ……。導師」


 俺を含めて全員が脱力してしまい、ブランタークさんが代表して抗議の言葉を述べる。


「前に全然駄目で、今も普通に使えるかどうかが不明なうえに。聖魔法ってのは、使えても慣れるのに時間がかかるんだからよ」


 元から習得度が低いのに、もし使えてもいきなり黒い巨人に通用するような聖魔法など出るはずもなく。

 導師の作戦は、無謀以外の何物でもなかった。


「最悪、一時撤退が妥当だろうな」


「いや、それは駄目ですよ」


「とはいえ、ヘルマン殿よ」


 犠牲者は出るかもしれないが、ここは一時撤退して再び魔力を回復させ、リベンジに臨む。 

 確かに、一番現実的な作戦かもしれない。


 だが、バウマイスター領に出る犠牲を考えると、ヘルマン兄さんとしては反対意見を述べるしかなかった。


「某が、聖魔法を成功させれば良いのである! バウマイスター男爵よ。アルフレッドの本を!」


「そこからなんですね……」


 俺がイーナに向かって頷くと、彼女は俺の魔法の袋から師匠から貰った本を取り出し、導師に向かって放り投げる。

 それを受け取った導師は、上空に浮きながら聖魔法の項目を読み始めていた。


「なるほど、さすがはアルフレッド。実にわかり易いのである!」


「マジかよ……」


 エルの突っ込みを聞かなかった事にしつつ、再び導師に視線を向けると。

 彼は、上空で何か踏ん張るような動作を行っていた。


「頭の血管が切れるんじゃないか?」


 エルがまた酷い事を言っていたが、俺から見ても血圧を上げているようにしか見えなかった。


「駄目そうだな」


 約三十秒後、ブランタークさんが匙を投げたのと同時に、導師の状態に変化があった。

 突然、導師が前に突き出していた両腕から青白い光が湧き上がり、続けて手の平から聖光で出来た矢が飛び出したのだ。


「一応、本当に聖魔法だな」


 ブランタークさんは、導師が一応は聖光を放出可能な事を認めていたが、その表情には呆れに近い物が浮かんでいた。

 

 なぜなら……。


「小さい! 挙句に遅い!」


 導師の気合の入れようは相当な物であったが、その割には聖光の矢の大きさはキュウリ程度で、その速度も人が歩く速さと大差はなかった。


 導師の両手の平から放出された聖光の矢は、ゆっくりとした速度のまま黒い巨人に当たり、僅かな黒い煙を浄化して消える。

 正直、本当に黒い煙が消えたのかは、遠くにいる俺達には確認できなかった。

 一応発動はしているので、全く効果が無いないはずは無いのだが。


「導師……」


「二十年ぶりに試してみたが、以前よりは威力が上がっているのである! 好機!」


「おい……」


 再び全員が脱力し、ブランタークさんが冷静に突っ込みを入れている中、導師は気にもせずに気合を入れて聖光の矢を連続して発射していた。


 ところが、何発撃っても黒い巨人は気にもせずに己の回復に集中している。

 導師をまるで脅威と感じていないのであろう。

 完全に無視されていた。


「あの人、物凄くポジティブだよなぁ……」


 エルの言う通りで、ブランタークさんからの冷たい視線など気にもせず、導師はキュウリ大の聖光を連続で発射していた。

 当然命中しても、黒い巨人に目立った変化は無い。


 相手の大きさに対して、導師の聖光の矢の威力が低過ぎるのだ。


「導師、魔力が勿体ねえよ」


 ブランタークさんからすれば、最悪撤退するにしても導師には魔力を温存しておいて欲しいのであろう。

 これ以上無駄な事はするなと、軽く釘を刺していた。


「いやしかし……。ここで、あの黒い巨人を食い止めねば……」


 導師も、ヘルマン兄さんと同じ意見らしい。

 ここで黒い巨人を始末しないと、バウマイスター領に被害が出ると思っているようだ。


「ヴェル、何か策はないの?」


「策ねえ……」


 ルイーゼは簡単に言ってくれるが、魔法使いが魔法を習得する時には、己の想像力やセンスに大きく影響される。

 ここで俺が使う方法を知らせたとて、導師に効果があるとは思えないのだ。


「ルイーゼ、魔法は個性その物だと教えただろう?」


「個性か。じゃあ、導師の個性って?」


 導師の戦法を見るに、己の戦闘能力を極限まで魔法で強化して単体で戦う、究極の魔法闘士と言える。

 とにかく相手を直接ぶん殴り、放出系の魔法は苦手なようで、蛇の形をした高集束弾は牽制が主目的になっている。


 苦手とはいえ、あの魔力量なので威力はそこいらの中級魔法使いなど相手にもならない威力ではあったが。


 それを踏まえると。

 俺は次第に、そんな導師が聖光を矢にして飛ばすこと自体が間違っているような気がしてきた。


「無理に矢にして飛ばすから駄目なのか?」


「おおっ! 我が弟子ながら素晴らしい意見である! では、早速に!」


「あの……。導師?」


 遠方からボソっと呟いただけなのに、それを聞いた導師は早速に再び気合を入れ始める。

 己の魔力を燃やして発生させた聖光を、その身に纏って循環させる。

 

 多分、そんなイメージを続けているのであろう。

 導師の体の周囲に、徐々に青白い炎が纏わり付き始めていた。


「何か急に凄くなったけど、物凄く変!」


 ルイーゼの言う通りで、青白く光る炎は聖魔法で間違いなかったが。

 炎の形で具現化させる人は、間違いなく導師だけであろう。


「うむ。どうやら、聖光を放出はしない方が威力が上がるのである! ならば!」


 己の聖魔法の特性に気が付いた導師は、体に纏わせている聖光の出力を更に上げ、そのまま巨人の体に抱き付くという無茶な攻撃を開始する。


「おい、具現化した怨念に直接触れると死ぬんだけどな……」


「というか、普通に殴れば良いのに……」


「それでも、拳に怨念が直接触れると死ぬけどな」


「……」


 聖光をバリアーにしつつ、同時に体から放出する聖光で黒い巨人の体を直接焼いていく。

 一番効率の良い手ではあるのだが、下手に出力が落ちて体が黒い煙に触れると即死するので、あまりお勧めはできない戦法であった。


 というか、いきなり本番でやるの危険だと思うのだ。


「しかし、何であんなに攻撃的なんだろうな」


「俺は、アンデッドに抱き付く時点であり得ません」


「だよなぁ……」


「私も、さすがにそれは……」


 ブランタークさんの言っている事は、俺やエリーゼには良く理解できた。

 聖魔法とは、基本的にアンデッドを相手にする系統魔法である。

 なので、直接ゾンビやレイスを殴ったり、果ては直接抱き付くなど考えにも入れないわけで。


 だから、聖光を飛ばしたり、エリア浄化などが発達しているのだ。


 そのせいで導師はその習得に苦戦し、一時は諦めてしまったようであったが。


「三人同時の聖魔法にて、地獄に落ちるが良い!」


「あの伯父様……。『悪事を悔いて天に昇り、次に生まれる時には』です……」


 エリーゼからすると、導師は魔法では尊敬できる伯父なのだが。

 神への信心で言うと、実はあまり褒められた存在ではないようだ。


 そもそも、あの年齢で二十年以上も聖魔法を試みていない点からして、明らかに教会と関わりたくないと思っている可能性があった。

 聖系統をちゃんと使える魔法使いには、教会からのアプローチが煩いからだ。


 その辺も、二十年以上も習得を放置していた理由かもしれない。


「ヴェンデリン!」


「某が死んだ時に、こんなのが先輩面していると鬱陶しいのである! 地獄に落ちるのである!」


「導師って、天国に行く気があるんだ……」


「ヴェンデリィーーーン!」


 また聞こえてきた、エルの突っ込みを聞かなかった事にして。

 導師が、その体の周囲に放出する聖光の威力をあげると、まず抱き付いた黒い胴体の部分から、急激に黒い煙が浄化されて消えていく。


 続けて、俺とエリーゼで一気に浄化魔法の出力を上げると、黒い巨人は足元から徐々に消えていってしまう。

 そして、その消滅が胸部に埋め込まれたクルトのレイスにまで及んだ時、今までに聞いた事が無いような断末魔の叫び声が聞こえていた。


「ヴェンデリィーーーン!」


「ふむ。悪は、滅ぶのである!」


 最後に巨人の頭部も完全に消えてしまい、これでようやく黒い煙の巨人は完全消滅したようだ。


「だが、我らの魔力も限界ではあるか……」


 予想以上の苦戦に、魔法障壁を展開していたブランタークさんも含め、ルイーゼを除く魔法使い全員が魔力不足で疲労困憊の状態になっていた。


 だからなのであろう。

 油断もあったと思うのだが、思わぬ失敗をしてしまう事になる。


「バウマイスター男爵。あの魔道具が落ちていたのである!」


 導師が、黒い巨人が立っていた場所でクルトが吹いていた魔法具のオカリナを発見していた。

 見た目は完全に黒焦げであり、一度しか使えない魔道具なので、今はただの焦げたオカリナになっていたのだが。


 それでも証拠にはなるはずとそれを取ろうとした瞬間、オカリナの内部に潜んでいた僅かな黒い煙の塊が突然飛び出し。

 恐ろしい速度で、山脈上空に向けて飛んで行ってしまう。


 方角は間違いなく王都方面であったが、今の俺達では魔力不足で追う事も侭生らない状態であった。


「導師、どうしましょうか?」


「あのような残りカスでは、出来る事などたかが知れてるのである! 教会に任せてしまえば良いのである!」


「それもそうですね」


 誰のせいで俺がこんなに苦労しているのかを考えると、怨念の残りカスくらい教会に任せても構うまいと思う事にする。

 

 そして何より、俺にはもっと大変な仕事が残されていた。


「父やアマーリエ義姉さんに、報告しないとな」


 クルトが、俺の暗殺を試みて失敗して死んだ。

 クルト本人には罪悪感など感じなかったが、父や特にアマーリエ姉さんや甥達には、報告するのを他人に任せたいほどの罪悪感を感じていた。


「それは、ヴェルが言わないとな。エックハルト達の家族には、俺から説明しておく」


「ヘルマン兄さん……」


「クルトに協力して、使い捨てにされて殺された。正直に言うのは、気が引けるなぁ……」


「とはいえ、暗殺未遂事件の共犯だ。無罪放免とは言えないぞ」


 パウル兄さんは警備隊勤務らしく、誤魔化して無罪にするのは不可能だと断言する。


「わかってはいるんだがな」


 まだ大仕事が残っていたが、とりあえずはクルトに関するアクシデントの最大の山場は、これでようやく終了となるのであった。

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