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第五十一話 竜使いの笛?

「よし、成功だな」


「また新しい調味料の試作か?」


 このバウマイスター領に来てから、三ヶ月と少し。

 今日も同じ時刻に起床した俺は、屋敷のリビングで朝食を取っていた。


 俺が主人席に座り、両脇に護衛のまとめ役であるパウル兄さんと、所用で屋敷に来たヘルマン兄さんが。

 あとは、エルやオットマーさん達も順番に席に座っている。


 メイドのドミニクと、エリーゼ、イーナ、ルイーゼ、ヴィルマの五人で調理や給仕などを担当していて。

 前世の平成日本でこの光景が公になったら、間違いなくフェミニストと呼ばれる方々から苦情が出ていたであろう。


 だが、この世界ではこれが常識なのだ。

 屋敷の主人である男爵の俺と、現在法衣騎士爵であるパウル兄さんに、客であるヘルマン兄さんが上位の席に座り。

 従士長であるエルと、パウル兄さんの従士長になる予定のオットマーさんや他の護衛達がそれに続く。


 良いとか悪いの問題ではなく、これが常識なので疑問に思っているのは俺だけのはずであった。


 身分による席順の差なのだが、思えば前世で会社の忘年会とかでも席順は偉い人が上座だったわけで。

 貴族が偉いか、社会的な身分が高い人が偉いのかの差だけなのかもしれない。


 ただ一つ、毎回お誕生席に座るのにもやっと慣れてきたような気がする。


「ヴェル、それは何だ?」


「新製品ですよ。パウル兄さん」


「お前、ここでも商品開発をしているのか?」


 王都の警備隊にいるパウル兄さんは、俺が王都滞在時に調味料や料理の考案をしていた事実を知っている。

 何回かアルテリオさんが経営する店の優待券をあげた事もあり、たまに部下を連れて食べに行っているそうだ。


「マヨネーズに新しい仲間が!」


「またかよ」


「じゃあ、エルはいらないという事で」


「新製品、美味しそうだなぁ」


 エルからすれば、調味料や料理に集中する貴族という存在に不安を感じているのかもしれないが。

 こればかりは、俺の趣味なので止める事はあり得なかった。


「それで、また売り出すとか?」


「とりあえず、試作だけですね。原価を計算したら、気軽に買えないですし……」


 今回試作しているのは、俺が前世で大好物であった『明太マヨネーズ』であった。

 作り方は簡単なのだが、問題はこの世界にタラコが存在しているかという点にあった。


 イクラは、実は未開地の河川に『ナンポウマス』という温暖な気候なのに遡上してくるマスが居たので、そこから入手は可能であった。


 これは、ちゃんと醤油漬けにして常に魔法の袋に保存している。

 

 そしてタラコであったが、これも北方では食べられている事が判明する。 

 早速、以前に知り合いになった魔導ギルドに勤める女性職員の実家が経営している魚屋から取り寄せる事にしたのだが、タラコも含めて魚卵は現地では珍味扱いで、関税や輸送コストを含めて物凄く値段が高くなってしまったのだ。


 更に、このタラコを辛子明太子にしないといけないわけで。

 それを魚屋に頼んだ結果、値段はカレー粉よりも高くなってしまうという結果になっていた。


「しかし、良く思い付くよな」


「確かに。うちの実家の飯の内容を考えると特にな……」


 パウル兄さんとヘルマン兄さんは不思議そうな表情を崩さなかったが、俺が調味料などの作り方に詳しい理由は、前世での仕事のせいであった。


 一応名の知れた商社ではあったが、業界内では二流扱いであったうちでは、エリート社員が海外の現地政府と交渉して巨額のインフラ受注とか、最先端の工業プラントの建設とか。

 そういう○耕作的なお話とは、まず縁が薄かった。


 新人研修を終えて俺が配属されたのは、主に食品関係の仕入れを担当する部署だ。

 しかも、俺は主に国内の食材担当で、たまに国内の生産農家やら漁港やらに直接出向いて食材を吟味し。

 それを必要とするメーカーや店舗などに提案を行う。


 少々世間がイメージする商社員からは離れた存在かもしれなかったが、少なくとも扱っている食材は高級品が多かったと思う。


 取引先も、昔ながらの製法に拘る酒蔵、味噌蔵、醤油蔵だったり。

 国内産の品質の良い材料だけを使って製品を作る、中小の食品メーカーだったりと。


 当然、そういう会社の人達と取り引きをする関係で、基本的な作り方を知りませんとは言えないわけで。

 自然と勉強をして覚えていったのだ。


 何しろ、こういう拘るメーカーの技術担当者や職人さんには気難しい人が多く。

 新人時代に無知を曝して怒りを買ってしまい、そことの取り引きをライバル他社に奪われ、あとで上司から死ぬほど怒られた経験もあったりもした。


 その勉強の過程と趣味で、休みに料理をするようになった経験が今に生きているのだから、人生何が幸いするかわからないものである。


「とにかく、試食を」


 とりあえずは味を試そうと、早速でき上がった『明太マヨネーズ』を御飯の上に乗せてから試食する。

 他のみんなも、それぞれに御飯にパンにと乗せて試食を開始していた。


「美味しいな」


「ああ、段々と舌が贅沢になっていく」


 明太子だけだと御飯にしか合わないが、明太マヨならばパンにも合う。 

 前世でも、普通にパン屋で売られていたので試作してみたのだ。


 ただ、やっぱり御飯に一番合うと思うのは、俺の中身が日本人だからであろう。

 タラコが輸入品のせいで製造コストは高かったが、今の俺ならば何とでもなる。


 御飯食を止める気にもならないし、もうバウマイスター領で食べられているボソボソの黒パンは食べたくない。

 

 きっと、こういうのを舌が贅沢になったと言うのであろう。


「ところで話は変わるが、今日は未開地に視察に行くんだって?」


「はい、開発特区を前進させるので」


 ヘルマン兄さんの問いに、俺は『はい』と答える。

 密約なので誰も口にはしないが、もはやクルトを廃嫡にしてヘルマン兄さんに父の跡を継がせるのは規定路線となっている。

 それに協力する見返りとして、ヘルマン兄さんには男爵になれるくらいの未開地の分与と、その土地の開発を助ける事になっていて。

 一度、俺の領地との境目付近まで、土地の視察をしておこうと思ったからだ。


「そうか。しかし、中央の連中はおっかないな」


「そういう世界で生きていて、それが常識としか言いようがないです」


 またもブランタークさんの姿が見えなかったが、彼はここ最近ずっとクルトの監視に当たっている。

 あと、前にブライヒレーダー辺境伯に報告に行くからと言われ、瞬間移動で送ってあげた事があるのだが。

 その時に、通信用の魔道具を渡されたようであった。


 前世で言うところの、携帯電話や携帯用通信機に当たるこの魔道具は現在では作れる人が少なく、現存する物のかなりの割合が遺跡からの発掘品であった。

 元々製造に大変な手間と時間がかかり、生産品の大半を軍や役所が押さえてしまうので、大物とはいえ地方の貴族にはなかなか回って来ないからだ。


 当然その価値は計り知れず、それをブランタークさんに託すという事は、バウマイスター領の情勢に貴族達の注目が集まっているという事の証明でもあった。


「クルト兄貴は、未開地も含めたこの領のトップでいたい。相続したいんだろうな」


「そんな夢物語」


「ヴェルから搾取すれば、可能だと思ったんだろう。おかげで、あの様だ」


 パウル兄さんの言う通りで、微量の魔力から相手の現在位置などを特定可能なブランタークさんの諜報活動により、クルト側の動きは全て筒抜けであった。


 つい三日ほど前も、本村落の有力者だけを集めて会合を行っていたそうだ。


「あの会合か……」


「ヘルマン兄貴は、知っているのか?」


「パウルも、噂だけは知っていただろう?」


「知ってはいるけど、あんな事前の談合みたいな会合。他の村落の連中からしたら不愉快でしかない」


「まあ、そう言うな。昔は、十分に役に立っていた会合なんだ」


 バウマイスター領の開発が始まったばかりの頃には、本村落を優遇してバウマイスター家の与党にする策は有効であった。

 こんな他所からの支援など期待できない僻地で、領主家が確固たる支配権を維持できなければ、内乱になれば滅亡しかなかったからだ。


「ただ、今の時代にはそぐわなくなっている。俺も、分家の当主になって初めて出席したんだがな。少しでも叶えられれば利益になると。あの連中、無理難題な陳情ばかり垂れ流しやがって」


 会合に出るメンバーの大半が年寄りなのも、会合が陳腐化する原因にもなっているそうだ。

 年寄りは、あとは死ぬまで今の本村落優遇の生活が続けば良いと思っている。


 なので、ヘルマン兄さんが提案した三つの村落の待遇に差を付けないという提案は、鼻で笑われてしまったようだ。


 あと、クルトが領主の仕事をかなり代行するようになると、そこに同年代の職人達も加わるようになった。

 ヘルマン兄さんは、新しい世代による改革を期待したらしいが、結果は年寄り連中と大差の無い既得権益への執着と、本村落優遇を垂れ流すだけであったそうだ。


「クルトの兄貴からも、『青臭い理想論』だと笑われてな。ヴェルはどう思う?」


「短期的には、現状維持には有効。長期的には、緩やかな衰退への第一歩ですか?」


「だよな。俺もそう思ったんだよ」


 独自に未開地の開発が出来ない以上、将来的にはこの領の人口を増やすのは自殺行為になる。

 となれば、自然と若い人から領を出て行く事になるのだが、もしここで本村落の連中を優遇すると。


「他村落で娘しかいないような家に、本村落の領民が扱いに困る次男・三男を強制的に押し込めるとかな」


「それはさすがに断るのでは?」


「バウマイスター家が、強制的に命令する可能性がある」


 他にも、新規の開墾地を取り上げたりと。

 本村落を優遇するために、他村落に犠牲を強いるようになる可能性もあるそうだ。


「さすがに、そこまでは……」


「開墾の費用は、バウマイスター家で出しているからな」


「いや、労力は領民が出していますけど……」


 というか、そんな事をして他村落の領民達に愛想を尽かされて出て行かれたら。

 今度は、未開地の開発はどうするつもりなのであろうか?


「だからさ。『未開地を開発して、何代か後には伯爵くらいには』という夢は持っているのさ。具体的な計画については、良くは知らないけど」


「あって、ヴェルから金を搾り取って資金を貯めておくくらいじゃないかな?」


 ヘルマン兄さんも、パウル兄さんも。

 『俺が当主になって、支配権を強固に』、『将来は必ず未開地の開発を行って大領主に』という漠然とした方針しか言わないクルトに呆れているようであった。


 そんな事ならば、その辺の子供にでも言えるのだから。


「それで、良く領民達が付いてきますね」


「いや、だから付いて来なくなったようだな」


 とそこに、ブランタークさんが姿を見せる。

 どうやらクルトの監視は一休みで、ここに食事を取りに戻って来たようだ。


「坊主に、相当支持層を剥ぎ取られたようだな」


 ブランタークさんほどのベテラン魔法使いになると、気配を魔法で消しながら対象を監視する事など造作も無いようだ。

 相手が手練ならバレる可能性も高かったが、クルトは武芸では俺と良い勝負かそれ以下。

 その取り巻きにも、その分野で優れた者など一人もいないので、簡単にその動向を探れるようであった。


「その三日前の会合だけどよ……」


 職人組は事前に引き抜きが成功して、会合には以前に俺と揉めた鍛冶屋しか出席せず。

 豪農組も、出席は半数ほどになってしまったそうだ。


「いきなり坊主に媚びるのも何だろうからな。連中にも、後ろめたさがあるだろうし」


「えっ! それって?」


「俺は、ちょっと囁いただけだぞ。『現状において、誰が当主になるのかなんて神にもわからないよな? だが、それは所詮は御上の問題だろう? ここは、中立を表明した方が結局は得をすると思うんだけどな』という風にな」


 このまま劣勢なクルトを無理に応援しても何も良い事は無いのは、本村落の連中でも気が付いている。

 しかし、ここでいきなり裏切るのもどうかと思うわけで。


 中立だと言って双方どちらにも味方をしなければ、それはこちらに付いたと判断する。

 もしクルトが廃嫡されれば、本村落の区画整理なども始まるだろうなと。

 

「それで会合に行かなくなったら、中立じゃなくて裏切ったと思うでしょう。あの人は」


「それは、あの男がどう考えるかで、俺には関与できないなぁ」


「えげつな」


「そうは言うがよ。もう三ヶ月も経っているからな。うちのお館様も、中央のお歴々も焦れてきているんだよ」


 向こうからすれば、一日でも早く開発を始めたいらしい。

 だが、実際に現場で苦労しているのは俺達なので、そんな事は知りませんというのが本音であったのだが。


「だが、今日でもうケリだろうな」


「あの……。それは、どういう?」


「会合の後に、クルトが外部と人間と接触していた」


「外部のですか?」


 ブランタークさんの話によると、夜に本屋敷裏の森で明らかに外部の人間と接触していたらしい。

 なぜわかるのかと言えば、探知した奴の動きを探ると、明らかにプロの冒険者の動きであったからだそうだ。


「それに、瞬間移動が使えないのにここまで来る外部の人間ってのは、プロの冒険者しかあり得ないからな」


「何のために、あの人と接触したんでしょうかね?」


「決まっている。何か良からぬ事を吹き込みにだろう。その証拠は、現在険しい山道なわけだが」


 ブランタークさんが、三日前にその冒険者の身柄を押さえなかったのは、俺の安全が第一なのと。

 既に、ブライヒレーダー辺境伯に通報されているからのようだ。


「一月以上も険しい山道で疲労したところを、出口で捕らえる算段になっている。誰の差し金で動いているのかは、想像しやすいしな」


 一度でもクルトとの接触を試みた中央の貴族といえば、間違いなくあの人の弟しかいないわけで。

 もし尻尾を掴めれば、ブライヒレーダー辺境伯はルックナー財務卿に対して大きな貸しを作る事が出来るというわけだ。


「面倒な話ですね」


「いや何、地方貴族の主体性の確立の一環だから」


「それで、あの人は今日に何か仕掛けてくると?」


「その冒険者が暗殺に手でも貸すのかと思えば、そのまま戻ったからな。可能性があるとすれば……」


 依頼主であろう人が準備した、魔道具などを渡したのかもしれないとブランタークさんが言う。

 あの人が追い込まれている以上、一発逆転を狙うとなると、そういう物を使うしか手段が無いのだそうだ。


「じゃあ、視察に行くのは危険じゃないですか?」


「かもしれんが、その可能性は限りなく低いからな」


 非合法な手段で手に入れた魔道具だからと言って、そう簡単に目的を達せる物を入手できるとは限らないからだ。


「入手先は、犯罪者ギルドが運営している裏市場だと思うが。あそこは、ツテのあるそれなりの幹部に大金を積まないと、坊主を暗殺できるような魔道具なんて手に入らないから」


 大半は、『もしかしたら物凄い威力のある魔道具の可能性もあるけど、その確率は十分の一くらいかな?』などと言って、本来の相場の十分の一くらいで安く売り付けるような連中が多いそうだ。


 あとは、説明した事とはまるで違う効果が発生したり、相手を呪うつもりが自分が呪われたり。

 

 購入者が苦情を言おうにも相手は犯罪者ギルドであるし、警備隊に訴えても、まずは自分が違法な物品を購入した事実を話さないといけないわけで。


「要するに、素人は手を出さない。少し齧ってもうわかったとか言っている奴は大火傷をすると」


 その代わりに、ちゃんとしたツテを使って正統な代価を支払えば、表のルートではまず手に入らない品物が入手できる。

 勿論、大金を払う必要はあるが。


 それが、裏市場という場所なのだそうだ。


「ルックナー弟は、その裏市場にツテがあると?」


「あるような。無いような。役職付きでも、法衣男爵程度だとなぁ……」


 それに、支払う代金の問題もある。

 それなりの物を入手するとなると、最低でも五百万セントは必要なのだそうだ。

 ブランタークさんがなぜそんな事を知っているのかという疑問は、とりあえずは無視する事にする。


「ルックナー弟にでも揃えられる程度の魔道具で、坊主を殺せる可能性は低いわけだ」


「つまり、視察は餌と言うわけで?」


「そういう事になるかな。視察には俺も付いて行くし、助っ人もちょうど……」


 ブランタークさんがそう言うのと同時に、屋敷の外から何か隕石でも落下して来たような音が聞こえる。

 慌てて全員で外の様子を見に行くと、屋敷の前の空き地にはあの人物が涼しい顔で立っていた。


「導師?」


「導師様はともかく、その横! 横!」


 パウル兄さんが、驚愕するのも無理は無い。

 何しろ、着地した導師の脇には、哀れにも首を一撃でへし折られた飛竜の姿があったのだから。

 

 一部の山道を除いて、山脈は飛竜やワイバーンの住みかになっている。

 多分導師は、王宮にいる瞬間移動が可能な魔導師からブライヒブルクまで送って貰い、そこから山脈上空を高速飛翔で突破して来たのでろう。


 横の哀れな飛竜は、導師の飛行経路を妨害して討たれてしまったものだと推察される。


「久々の長距離高速飛翔で心地良かったのであるが、視界をその飛竜に邪魔されたので撃破したのみ! 暫し厄介になるので、お土産代わりに受け取けとるが良いのである!」


 首だけへし折られた飛竜なので、導師の宿泊費には多過ぎるほどの成果であった。


「なあ、ヴェル……」


「王宮筆頭魔導師である、アームストロング子爵殿です」


「王宮の魔導師って、こんなに強いんだ……」


 ヘルマン兄さんが驚くのも無理は無い。 

 山脈に多数生息する飛竜やワイバーンは、かの地の生態系のトップに君臨する存在である。

 当然、バウマイスター領の領民達は竜に対して無力な存在であり、山脈に近付く事すらしなかった。


 例外は、商隊が通る山道のみである。


 初代バウマイスター家当主がこの地に移民して数年後、『討伐して素材を売れば、領の懐が潤うのではないか?』と、領内の男手十名ほどと山脈に入ったそうだが。

 

 結果は言うまでもなく、初代を含めて三名しか戻って来なかったらしい。

 以後、誰も飛竜を狩って金を稼ごうなどという輩は現れなかったそうだ。


「おおっ、バウマイスター男爵の兄君殿であるか! 某もそれなりに強いとは自負しておるが。この程度の飛竜であれば、ここには複数名倒せる者がおる故に!」


「えっと……。それって……」


 俺、ブランタークさん、ルイーゼと。

 ヴィルマだって、単独の飛竜やワイバーンなら普通に倒せるし。

 エルやイーナも、二人で戦えばワイバーンの一匹くらいは倒せるはずであった。


「クルトの兄貴、どうやって一発逆転を狙うんだ?」


「さあ? その魔道具とやらが、物凄い物かもしれませんし」


「いや、クルトの兄貴のコネと財力じゃ絶対に手に入らないから!」

 

 何にせよ、このままだと情況に変化もなく。

 視察の名目で、俺達は未開地にクルトを誘う作戦を実行する事になる。

 

「ところで、朝飯がまだなのである!」


「早速準備しますね」


 導師も加わり、まずクルトの一発逆転の策が成功する事はないはず。

 安心して視察に行けるという物であったが、ここで一つ大きな問題が発生していた。


「『メンタイマヨ』であるか! これも、是非に大量に欲しいのである!」


 朝に試作した、高価な『明太マヨ』を全て食べられてしまい。  


「導師様、良く食べる」


「うむっ! ライバル出現であるか!」


 給仕のために朝食が遅かったヴィルマが大量に食べるのを見て、なぜかライバル心を燃やしてしまい。


「お代わりである!」


「お代わり」


 二人によって、とんでもない量の御飯やらパンやら肉や野菜が一気に無くなってしまう。


「勝ち」


「ふぬぉあーーー! 次こそは!」


「(あんたは、子供か……)」


 そして、いつの間にか始まっていた導師とヴィルマとの大食い競争であったが。

 結果はヴィルマの勝ちであり、その事で導師が子供のように悔しがるのであった。


 というか、普通の人が英雄症候群の人に食事量で対抗すること自体が無謀でしかないのであったが。






「あのう……、クルト様」


「何だ? エックハルト」


 何とか情報を入手した、本日のヴェンデリン一行による未開地への視察。

 場所は大分奥のようで、ここならば例の『竜使いの笛』とやらを使っても問題ないはずだ。


 今回、俺に同行している連中は五名。

 俺と同じく後が無いエックハルトに、比較的老齢の豪農が四名と。

 みな、ヴェンデリンが来る前のバウマイスター領を支持している連中であり。

 皆、戦時招集される時に着る槍や剣や鎧を装備して、俺の計画に参加していた。


 最初は、密かに計画を実行するために単独での行動も考えたのだが。

 このくらいの人数で、このくらいの準備をしないと未開地の野生動物は俺達にとって脅威であったからだ。


「本当に、暗殺など成功するのですか?」


「するさ。この『竜使いの笛』ならな」


 確かに、ヴェンデリンの魔法は恐ろしい威力を持っている。

 だが、いくら奴でも数の暴力には勝てないはず。

 『竜使いの笛』は、周辺の飛竜やワイバーンを呼び寄せる。


 あの山脈に住む竜を大量に呼び寄せれば、いくらヴェンデリンとて生き残れないはずだ。


「そんなに大量の竜を、魔物の領域から引き剥がしても大丈夫なのでしょうか?」


「大丈夫だ。俺達はな」


「ええと……。それは、つまり……」


 相変わらず、察しの悪いバカな男である。

 鍛冶屋としても二流で、家臣にするにしても二流とは。

 まあ、無能な方が俺に捨てられないように頑張るかもしれないからな。


「それなりに被害は出るだろうな」


「そんな!」


「おいおい。何か特別な事を成すのに、何もリスクを取らないつもりなのか?」


 確かに、今ここでヴェンデリンに向けて『竜使いの笛』を吹けば、山脈から大量の竜が飛来してヴェンデリン一行はおろか、大量の領民達を殺すであろう。


「だが、俺達が生き残れば勝ちなのさ」


 ヴェンデリンの遺産を継ぎ、あのクソガキに媚を売るようになった領民達も、親父も、生意気なヘルマンや分家の人間も抹殺し。

 一から、新しいバウマイスター領が始まるのだ。


 いや、生まれ変わるのだと。


「しかし、家族が……」


「そんな物は、また作れば良いだろう?」


 年老いた魅力の無い女房など、新しいバウマイスター領に相応しく無いのだ。


「俺とエックハルトは、まだ三十代半ば。残りの連中も、まだ五十歳にはなっていない」

 

 俺も、エックハルトも、他の連中も。

 新しい統治体制に合わせて、若い嫁を貰えば済む話だ。

 子供など、また作れば良い。


「エックハルト。新しい従士長には、新しい妻が必要だと思うがな。他のみんなも、それぞれに家臣として働いて貰う。何か異存はあるか?」


「いえ、我らはクルト様の命に従うのみです」


 そうだ、それで良いんだ。

 とはいえ、『竜使いの笛』の笛を吹いた後に守られるのは俺だけなのだがな。

 運良く生き残ったら、家臣にしてやる約束は守る事にするが。


「クルト様」


「来たか……」


 無理をして、早めにこの場所に伏せていた甲斐があったという物だ。 

 視界の先では、ヴェンデリン達が何かを話ながら土地の状態などを確認しているようだ。

 

 随伴は、いつものメンバーに。

 何を貰う約束をしたのか?

 意地汚い乞食のように護衛しているパウル達と、想定外ではあったがヘルマンも数名の従士と共に周囲を固めていた。


「ヘルマン様がいますね」


「丁度良い。弟に媚びるバカは一緒に死ね!」

  

 もう憂いは無い。

 ヴェンデリンも、それに媚びるパウルもヘルマンも。

 クソな親父も、バカな領民達も。

 全て、この『竜使いの笛』を使って浄化する時が来たのだ。


「では、いくぞ」


 『竜使いの笛』の口に咥えて息を吐くと、すぐに聞きなれないメロディーのような物が流れ始める。

 音の質は、普通のオカリナを吹いたのと同じような感じであった。

 俺には、楽器の素養などなかったが。

 三日前に森で遭遇した陰気な冒険者が言う通りで、魔道具なので口に咥えて少し息を送り込めば、メロディーが出る仕組みになっているそうだ。


 あと、このメロディーは、笛から音が出ているのかを人間が判別するために出ているらしい。

 竜を怒らせる音とは、人間の耳には本来聞こえない物なのだそうだ。


 だが、そんな事はどうでも良いのだ。

 あの小生意気なヴェンデリンさえ死んでくれれば。

 ただそれで十分なのだから。


「一体何を?」


 さすがに、一流の魔法使いや冒険者が揃っているだけのことはある。

 オカリナの音から、ヴェンデリン達は俺達の存在を見付けていた。


 だが、もう手遅れなのだ。

 もう既に、竜はこちらに向かっているはずなのだから。


「うーーーん、何かを呼び寄せる笛か?」


 ブライヒレーダー辺境伯の飼い犬が、俺が吹く『竜使いの笛』を見て呟いていた。

 

「まさか、『竜使いの笛』では?」


「そんな物、滅多な事では手に入らんよ。何か、他の物を呼び寄せる魔道具だと思う」


 この魔道具の正体に気が付いたのは、紫色のローブを着た大男であった。

 だがそれを、バカなブライヒレーダー辺境伯の飼い犬が否定してしまう。


 本当に、賢いつもりのバカには笑うしかなかった。

 判断を誤って、そのまま竜の大群に食い千切られれば良いのだ。


「ねえ、あれは?」


 ヴェンデリンの側室候補とやらのチビが何かを見付けたらしく、空を指差していた。

 多分、山脈に住む竜達がこの笛に呼ばれて集まって来たのだ。


「(お前らの命は、今日までだったようだな!)」


 竜の大群に襲われ、多勢に無勢で喰われるヴェンデリン達に、壊滅するバカな領民や家族達。

 だが、そこからバウマイスター領を復興させる中興の祖となる俺。


 最低でも伯爵になり、広大な領地に多数の新しい領民達。

 側室も多数含めて多くの若い妻達に囲まれ、毎日貴族に相応しい贅沢な生活を送る。

 

 そしてそんな俺に、ブライヒレーダー辺境伯や中央の貴族達も一目置くのだ。


「(俺のために、みんな死ね!)」


「あのクルト様……」


「(何だ?)」


 人がせっかく気分良く笛を吹いているのに、邪魔をしてくるバカがいる。

 相変わらず使えない、愚か者のエックハルトであった。


「あれは、竜ではないのでは……」


「(はあ?)」


 竜を呼ぶ笛なのに、竜ではない物が来ているとエックハルトも他の連中も騒ぎ始めていた。

 そんなわけがあるかと空を見ると、全方位の空から何か黒い煙のような物がこちらに迫って来ているのが見える。


「(何だ? あの黒い煙は?)」


「クルト様?」


 その黒い煙のような物は、笛の音によってかなりの広範囲から引き寄せられているらしい。

 大きさは、小さい物は小石程度で大きくても拳大くらいであろうか?

 ただ数が尋常ではなく、それが雲霞のように群れでこちらに迫っていたのだ。


「笛を吹くのは、止めた方が宜しいかと……」


 何をバカな事を。

 竜ではないかもしれないが、あの禍々しさならばヴェンデリンを確実に殺せるはず。

 何より、俺はあの黒い煙の被害を受けないのだから。


「(それに、見てみろ! ヴェンデリンの慌てようと言ったら無い!)」

    

 次第に集まって来る黒い煙の塊に、ヴェンデリン達は慌てて魔法で防御を開始していた。

 つまりは、それほど危険な物という事だ。


「クルト様! もうこれ以上は!」


「何だ? これは!」


 笛を吹いている間、俺を守るようにと命じていたエックハルト達であったが、所詮は卑しい平民。

 黒い煙の群れに恐怖して、その場から逃げ出そうとする。


 だが、こちらに向かって来る途中の黒い煙の群れに捕まってしまい、その体を覆い隠されてしまう。


「クルト様ぁーーー!」


「助けてぇーーー!」


 エックハルト達から断末魔のような叫びが聞こえ、俺はこの笛がヴェンデリンにも使えると確信する。

 せっかく家臣にしてやると言ったのに恐怖で逃げ出した愚か者達であったが、あの黒い煙の効果をその身で示してくれた点だけは使えたようだ。

 

 俺が伯爵にでもなったら、良い墓を建ててやるとしよう。


「(この黒い煙が、ヴェンデリン達の魔力が尽きるまで攻撃を続ければ……)」


 いくらヴェンデリンとて、数の暴力には抗えまい。

 竜を呼ぶ笛ではなかったが、使える魔道具だったので良しとしよう。


「(このまま、ヴェンデリン達を攻撃するんだ!)」


 俺は、更に息を篭めて笛の音を大きくする。

 空を見ると、まだ周囲からは黒い煙の群れが集まっているようで、それはまるで蝗の群れがこちらに向かって来るかのような感覚に似ていた。


「(エックハルト達は、死んだか?)」


 エックハルト達を襲っていた黒い煙は既に標的から離れ、新しく集まって来た黒い煙と合流して、俺の周囲にまるで竜巻のように集まっていた。


 俺はちょうど黒い煙の竜巻の中心地にいるようで、全くその影響を受けていない。

 一方、ヴェンデリン達は懸命に魔法で黒い煙を防ぎ続けているようだ。


「(死んだようだな)」

 

 エックハルトを含めた五人は、もう死んでしまったようだ。

 ピクリとも動かず、肌も土気色になっていた。


「(この黒い煙は何なのだろうな? まあ、使えるから良いか)」


 さて、このまま次はヴェンデリン達をと思ったその時。

 ふとエックハルトの死体を見ると、手足がピクピクと動き始めているのを俺は確認する。


「(実は、生きていたとか?)」


 エックハルト達は始めは手足を動かしていただけであったが、今度はノロノロとであったが、立ち上がって顔をこちらに向けていた。

 

「(生きていたか。まあ、家臣にはしてやるっ!)」


 だが、起き上がったエックハルト達の顔を見て、俺は明らかに何かがおかしいと感じる。

 彼らの目の焦点はまるで合っておらず、口からは涎を、鼻からは鼻水を。

 加えて糞尿すら漏らしているようで、次第にその嫌な臭いが周囲に漂い始める。


「クイモノ!」


「ニクゥーーー!」


「(はあ? お前達、一体どうなって!)」


 五人は、よたよたとした足取りで俺に向かって歩いて来る。

 更に、人を食い物扱いとは。

 暫し混乱した後に、俺はある事を思い出していた。


『バウマイスター諸侯軍の戦死者は、ほとんどゾンビと化していたそうだ』


 最初に、ヴェンデリンが冒険者としてここに来た理由。

 それは、遠征軍の戦死者が魔の森でアンデッド化しているので、それを浄化するためであったはず。


『ゾンビは、人間が持つ欲望の。特に、食欲に特化してしまうらしい。早めに討伐して良かったな』


 親父は俺に、ヴェンデリンが報告した内容を後になってから語っていた。

 その中で、ゾンビの生態についての話があったのだが。

 奴等は、食べても栄養にもならないのにひたすら食べ物を求め、時には共食いまでするそうだ。


「(もしかして……)」


 もう死んだと思ったエックハルト達が突然起き上がり、『クイモノ』と言いながら、俺に向かってくる。

 つまりは、こいつらは黒い煙で殺されてゾンビとなり、俺を喰らおうとしているのではないかと。


「(バカな! 止めろ!)」


 慌てて奴等に止めるようにと声をかけるが、そういえば俺は笛を吹いているのであった。

 一旦止めようと笛を口から外そうとするのだが、更にとんでもない事実が判明する。

 

 笛が、口から外れないのだ。

 笛を吹くために添えた両手も同じで離れず、まずは音を止めようと息を止めても笛の音は止まらない。


「(魔道具だからか!)」


 一旦口を付けて息を送ると、目的を達するまで笛の音は止まらない可能性が。

 そう考えた次の瞬間、俺は体中に激痛を感じていた。


「ニクゥーーー!」


 ゾンビと化したエックハルト達が、俺の腕や足や首筋に喰らい付いていたのだ。


「(こら! 離れろ! 次期領主に傷など付けて死刑だぞ!)」


 ところが、ゾンビ達は俺の体を貪るのを止めなかった。

 容赦なく体中の肉を食い千切り、俺はあまりの激痛に倒れこんでしまう。 


「(とにかく、逃げないと……)」


 だが、もう体に力が入らなかった。

 逃げようにも、周囲は竜巻状になった黒い煙で覆われている。

 なるほど、この笛は目標を殺す代わりに俺の命をも奪うようだ。


「(だから、中央の貴族など当てにならんのだ! ちくしょう! 俺の夢が! 希望が!)」


 ヴェデリンの遺産を使って、バウマイスター領中興の祖となる。

 夢が音を立てて崩れ落ちるのを、俺は感じていた。


「(こうなったら! 犠牲は一人でも多くだ! 死ね、ヴェンデリン! 死ね、ヘルマン! 死ね、パウル!)」


 俺が人生の最後に見たのは、首筋の急所に喰らい付こうとするゾンビ化したエックハルトの大きな口であった。 

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