幕間二十二 追い詰められたクルト。
『このままだと、バウマイスター領はヴェンデリンに乗っ取られるぞ!』
あの忌々しいヴェンデリンが、我がバウマイスター領内に生活の拠点を移してから三ヶ月の月日が流れた。
最初は、例の魔の森でアンデッド化している遠征の犠牲者達の浄化と、その遺品収拾のためにだけ来たと言っていた癖に、すぐに発言を翻して領内に居候を始めやがった。
しかも、次期当主である俺を無視して。
親父とだけ交渉して、好き勝手にやっていやがる。
まだ開発していない未開地の使用許可を親父から取り、そこに勝手に自分の屋敷を移築しやがった。
その屋敷は、うちの本屋敷と比べるだけ虚しくなるほどの豪華な物で、その時点で領主であるうちを虚仮にしている。
どこの世界に、領主屋敷よりも豪華な屋敷を移築するバカがいるというのだ。
さすがに問題なので親父に抗議したのだが、その反応は芳しいものではなかった。
『期間限定だと聞いている。暫くは、我慢しろ』
ところが、親父の返事はつれないものであった。
竜をも殺す魔法の使い手とやらである、優秀な息子様の圧力に屈したらしい。
ここまで老いると、既に老害の類としか思えなかった。
『領内の開発は、順調に進んでいるではないか。ここで文句を言って、何の得がある?』
確かに、領内の開発は進んでいる。
だが、そこに俺達は一切関われていない。
現在のヴェンデリンは、時間の半分を例の魔の森の探索にあて、残りを未開地の開墾に費やしているようだ。
とんでもない威力の魔法で土地を平らにし、時には小山ほどもある岩などの障害物を排除してから。
綺麗な真四角の形をした田んぼや、道や用水路などを整備していく。
加えて、その田んぼの土も、魔法で稲作に適した物に変化させているのだそうだ。
『あいつに! ヴェンデリンに領地を乗っ取られるぞ!』
普通、一から畑や田んぼを開墾すると時間がかかるのだ。
まず、開墾自体に時間がかかる。
次に、そこに作物を植えても土がそれに適した物になるまで、数年から下手をすれば十年単位で時間がかかる。
それが、初年度からある程度の収入を得られるなど。
ヴェンデリンは、真面目に開墾している俺達をバカにしているとしか思えなかった。
この三ヶ月で、我が領と接した未開地には広大な水田と用水路網が広がり。
水が湛えられた水田では、先日に植えられた稲が順調に育っている。
ヴェンデリンが使用人だと言って集めた移民希望者達は、同じく雇われた老農夫達から稲の世話の仕方を習ったり、あぜ道や用水路の補強工事などに余念がなかった。
『じきに、あの開発特区はうちの領地になるのだがな』
『そんな約束! あのヴェンデリンが守ると思っているのか!』
ヴェンデリンは、開墾地に『開発特区』という名称をつけていた。
現在では、戸数は約百戸、人口は三百五十人を超えているはずだ。
『本村落よりも、大きくなってしまったんだぞ!』
『それも、時代の流れであろう。本村落と言うが、領地の規模が発展していけば領の中心など変わる物だ』
親父は、ただ領内の耕作地と人口が増えれば満足なようだ。
しかし、そんなただ膨らんだだけの領地など。
領主のコントロールから外れた、ただの人が集まっている場所でしかない。
領の安全のためには、俺達が適切に支配しなければいけないのだ。
そのために、嫌がられてまで税を集めているのだから。
『しかも、あの連中は税を払っていない!』
『払っているではないか。お前は、あの契約の中身をちゃんと見たのか?』
契約の時には人を除け者にしておいて、随分な言いようである。
ヴェンデリンとの契約によると、奴の冒険者としての稼ぎと、未開地開発の収支は連動しているのだそうだ。
つまり、魔の森での狩猟・採集で得た利益と、未開地開発で使った経費を合計して。
全体の収支から、利益の二割を税として納める。
わざと複雑な契約にして、俺に詳細を解らせないようにしているのだ。
間違いなく、奴は税を誤魔化してやがる。
なのに、親父もクラウスも何も言いやがらない。
ただ、腹が立つだけであった。
『親父、絶対に誤魔化しているぞ!』
『それはない。クラウスが、ちゃんと確認している』
確かにクラウスは、卑しい金の計算などでは有能な男だ。
だが、現状で奴など信用できるはずもない。
あの男からすれば、このバウマイスター領主がヴェンデリンでも一向に構わないのだから。
いや、むしろその方が望ましいと思っているのであろう。
『信用できるものか!』
『なら、自分で確認しろ』
『……』
出来るはずがない。
そんな教育は受けていないし、そんな物は青い血には必要ないと言ったのはあんただろうが。
『他の村落の名主達に任せるか?』
それも出来るわけがない。
あの連中は、領の発展のために遺品から鉄を徴収するという俺の苦渋の決断を。
ヴェンデリンにチクって、邪魔をしやがったのだから。
『あの連中は、裏切り者だろうが!』
例の親父との契約の中には、ヴェンデリンが領内で雑用を引き受けるという物もあった。
嫌な予感はしたのだが、それは現実の物となっている。
『エリーゼ様、最近は体の調子も良いんですよ』
『それは良かったですね』
我が領の司祭が腰を痛めて動けなくなった時に、ヴェンデリンは自分の婚約者を代理として派遣していた。
中央の生臭坊主の孫娘で、いかにも聖女面した女だ。
年の割に胸がデカく、それでヴェンデリンを誑し込んだ淫売で。
得意の治癒魔法で領民達を治して、懸命に媚を売っている最中であった。
邪魔なので排除しようかと思ったのだが、治癒魔法のせいで領民達の反発も大きいであろうからここは自重するしかない。
全く、忌々しい話ではある。
『では、我らは開発特区の方に居を移すので』
『向こうは稲作が出来るのか。その内、こちらでも出来ると良いんだが……』
教会乗っ取りの次は、領内の再開発に手を出して来た件もあった。
さすがに本村落には手を出していないようであったが、他の村落ではこれに積極的に手を貸している。
巨石や森林、丘陵地帯で分断・変形している畑を区画整理し、用水路の支路を新たに整備して。
領民達の家を、自分の畑に近い場所に移築する。
これまで約百年間、我が領は畑の開墾に力を注いできた。
ところが労力の関係により、障害物や地形の困難さが原因で耕作地が歪になってしまったり、近場は無理なので遠隔地に新規の畑を与えられてしまった領民達など。
色々と問題が多かったのだ。
一日で、自分の家の前の畑を手入れした後、歩いて一時間ほどの場所にある新しい畑で世話をする。
そんな不便さを解決したのが、あのヴェンデリンであった。
ちゃんと、自分の農地が自分の家の周囲に。
しかも、農耕用の牛馬や農機具が入れ易いように、畑は真四角になるように魔法で区画整理をしやがったのだ。
『あのバカが!』
せっかく麦が育っている最中に、そこの区画整理など。
収穫を無しにする気かと現場に乗り込むと、そこでは奇妙な光景が展開されていた。
『この畑の麦は、こちらに土ごと移しますよ』
『すいませんねぇ。ヴェンデリン様』
『仕事なので』
奴は、育成中の麦に全く影響が無いように。
周囲を少しずつ魔法で畑にしていくか、他の畑に土ごと麦を宙に浮かせて移動させていたのだ。
『ありゃま。これは、神の仕業かねぇ』
『隣の新しい畑に移動させた麦の苗は、大丈夫ですよね?』
『土ごとの移動なので、問題ねえです。冬植えの麦では、広がった畑と新しい畑にも麦が植えられて万々歳ですわ』
『土壌もある程度は改良してありますけど、二~三年は念入りに面倒を見ないと』
『経験があるから大丈夫でさぁ。一から開墾したら数年はかかるところを、魔法って便利ですなぁ』
ヴェンデリンは、この仕事を村落の名主達から受けたのだと言って、二つの村落の新規開墾と区画整理を一週間ほどで終えていた。
その結果、彼ら二つの村落の住民達が持つ畑の広さは、本村落の住民の平均を超えてしまう事になる。
他にも、開墾を邪魔していた巨石や巨木が消え、平らにするのに何年かかるかわからない丘が一瞬で平らな畑になり、移動に便利なように農道が整備され、水やりが楽なように用水路も延長される。
『親父!』
『領民達の畑が増え、農作業も楽になり、税収も上がる。何か文句でもあるのか?』
親父に文句を言いに行ったのだが、相変わらず何も手を下さない。
奴がこの領の分断を謀っているのに、なぜ親父は気が付かないのだ。
『ヴェンデリンは、本村落と残り二つの村落の分断を!』
『クルト……、お前……』
『いえ……』
続けて、思わず禁句を口にしてしまうところであった。
この領では、本村落と他の二つの村落との対立が存在する。
だが、代々の領主からの申し送り事項で、それを表立って口にしてはいけないのだ。
『とにかく! ヴェンデリンは危険だ!』
二つの村落の再開発のみならず、奴は例の開発特区に、以前に領地を出た元領民達で希望した者達をUターンさせていた。
他にも、領民達の子供で三男や四男なども引っ越して稲作を始めていたのだから。
『二つの村落の人口が減ったんだぞ! 人頭税の税収が減る!』
微々たる物であったが、それでも減収になるはず。
しかも、引っ越し先の開発特区は、かかった経費を利益から引いて計算できるので。
ヴェンデリンの脱税を手助けしていたのだから。
『親父は甘い! ヴェンデリンなどあれだけ稼いでいるのだから、搾りに搾り取ればいいんだ!』
この機会を逃す事は無い。
ここで金を貯め、それで独自に未開地の開発を行うのだ。
もう既に余所者のヴェンデリンになど、これ以上の開発を許してはいけないのだ。
『なぜ、ヴェンデリンから搾取などする必要がある?』
『ある所から搾って、何が悪い?』
『今、ヴェンデリンが開発している特区だが、うちでやると経費がいくらかかるか計算した事があるのか?』
『ヴェンデリンの魔法で無料だろうが!』
『クルト、お前はバカか?』
『バカとは何だ!』
人をコケにしやがって、俺は親父を睨みつける。
『確かに、開墾の費用はヴェンデリンの食事代くらいであろうよ。だが、他にも経費がかかっているのだぞ』
親父は、小難しい説明を始めやがった。
『中古とはいえ、王都から大量の家を持って来て移築専門の魔法使いに仕事をさせている。あの方は、法衣男爵でもある高名な移築魔法の名人だそうだ』
当然、その依頼費用はヴェンデリンが出しているのだと。
他にも、ブライヒレーダー辺境伯領からスカウトした老農夫達の給金に、稲作を始めるために必要な農機具などの購入費に。
移民希望者にも、初年度は給金が出ているとの話であった。
『わかったか? クルト。今は少しの減収になっても、あの特区は何年かすればうちの物になるし、住民達もうちの領民になるのだ。そもそも、減収などしておらんぞ。お前は、ちゃんと報告書を見ているのか?』
また人をバカにしやがって。
税収に関する報告書くらい、俺だって目通している。
開発特区の費用を差し引いても、我が領初の商店の売り上げ益と、魔の森探索で得た成果をブライヒブルクで販売した利益もあって。
ここ三ヶ月ほどで、六十万セントほどを納めている事実もだ。
だが、それだけでは足りないのだ。
というか、ヴェンデリンはあれほどの金持ちなのだ。
ここで親父は領主の権限により、奴が持っている総資産の半分ほどを税金として徴収すれば良い。
それだけあれば、俺達にだって未開地の開発が可能なのだから。
『とにかくだ! もっと、ヴェンデリンから搾り取れば良い。このバウマイスター領におけるトップは親父で、この領の中では陛下とて口出しなど出来ぬのだから!』
『お前は、少しは頭を冷やせ』
人が懸命にバウマイスター領の将来について心配しているのに、肝心の親父はこの有様であった。
いや、親父からすればこの領が存続すれば良いわけであって、次期領主が俺でもヴェンデリンでも構わないのだろう。
『俺は、俺の道を行く!』
『好きにするが良い』
もう親父は当てにならない。
逆に、俺の潜在的な敵でもある。
ならば、もう親父の意見などに耳を貸す必要はない。
『クルト、どこに行くのだ?』
『今日は、会合の日だ』
バウマイスター領では、たまに領民達から意見を聞く会合のような物が行われている。
これには、三つの村落から数名ずつの代表が出るのだが。
それとは別に、本村落の有力者だけが出席可能な会合も存在していた。
建て前では、三つの村落は平等という事になっている。
だが本音では、親父も祖父もその先代も。
別の会合を開いて、支持基盤である彼らの意見を余計に聞く事を決して止めなかった。
何しろ彼らは、バウマイスター家の支配を強く容認する存在なのだから。
『本村落の住民には、ヴェンデリンが気に入らない連中も多い。彼らの賛成を得られれば、奴にもっと税を支払わせる事も可能なはず』
そう思いながら、俺は急ぎ会合が行われる予定のエックハルトの家へと向かうのであった。
「人数が少ないな」
「みんな、仕事が忙しいと……」
何を言っても無駄な親父を放置して、俺はエックハルトの家で行われる予定の集会に顔を出す。
この集会は、他の村落の連中には秘密という事になってる。
なぜなら、平等が建て前なはずの三つの村落の扱いで。
俺達バウマイスター家の人間が、本村落の連中にだけ事前に意見を言う機会を与えているのが公になれば。
それは、他二つの村落の反発を呼んでしまうからだ。
ただ、この会合の存在など、とっくに外部には知られているのだが。
「だからと言って、少な過ぎるではないか」
本来、この会合に出席できる本村落の人間は二十人ほど。
広い農地を持つ豪農に、今まではバウマイスター領内で市場と利益を独占してきた職人達に。
遺憾ではあるが、あの裏切り者であるヘルマンが当主の従士長家と、数名の従士も出席が認められている。
ところが、今日の会合に来た領民達は合計で八名。
半分以下になってしまっていた。
「皮革職人のディルクは? 服飾職人のインゴは? 木工職人のルーカスは?」
「それが……」
参加者を見ると、今まで俺の次期当主就任を強く支持していた職人組で出席しているのは、鍛冶屋のエックハルトだけになっていた。
理由を聞くと、エックハルトが渋々とその理由を説明し始める。
「暫くは休業するそうです……」
「はあ? 休業?」
「はい……」
エックハルトの説明によると、彼らはヴェンデリンが開店させた商店に客を奪われて開店休業状態であったところを。
奴の誘いに乗って、職人を辞める事を決意したらしい。
確かに俺の目から見ても、この領内の職人達の腕はお世辞にも良いとは言えない。
だが、素人が作るよりはマシだし、別に使えないわけでもない。
第一、彼らは俺の有力な支持者でもあった。
利権のために打算的な関係ではあったが、逆に利権さえ与えていれば支持してくれるので楽な存在。
この考えは、俺ばかりでなく親父や祖父の代から全く同じであったのだ。
それが、この大切な会合を欠席して。
今度は休業するというのだから、ただ驚くしかなかった。
「そんなバカな話があるか!」
「私もそうですが、彼らはここ三ヶ月。ほぼ開店休業状態でして……」
ヴェンデリンが、ブライヒブルクや王都から仕入れた品を売るようになり、すっかり客足が途絶えてしまったらしい。
質が良くて値段も少し安いのだから当然とも言えるが、さすがにこれを看過するわけにはいかなかった。
うちの産業を空洞化させたヴェンデリンの罪は、大変に重いのだから。
「挙句に、税収のダウン! ヴェンデリンこそ、このバウマイスター領を衰退に追い込む不貞の輩である!」
「それが、お館様……」
産業の空洞化についてだが、これにヴェンデリンは手を差し伸べたというのだ。
「どういう事だ?」
「はい。実は……」
客と売り上げがほぼゼロになって困っているところに、ヴェンデリンは『ご子息を、外に修行に出したら如何です?』と提案して来たらしい。
「このまま競争しても勝ち目が無い以上。外部の産品に対抗できる物を作れる職人が、領内で新規に工房を立ち上げるべきであろうという話です」
ヴェンデリンはそのコネを使い、職人達の子弟を王都やブライヒブルクの工房に見習いとして送り込んだのだそうだ。
そして、将来修行先から独立を認められた子弟達が、親達が維持していた工房で新規に仕事を始める。
そういう計画を持ち込んだらしい。
「今、現役の職人達はどうするんだ?」
「稲作をして生活するそうです」
年齢的に考えて、彼ら自身が今から修行をしても無意味とは言わないが難しい側面がある。
だが、まだ若い子弟なら修行の成果も出易いはず。
そこで彼らは、休業した工房の設備を維持しながら、開墾地で稲作をして生活の糧を得るそうだ。
「エックハルト。お前は……」
「私は……」
職人達をただ追い込むのではなく、逃げ道を用意してそこに誘導する。
王都で中央の腐れ貴族達に毒されたヴェンデリンらしい、反吐が出る策略であった。
唯一、鍛冶屋のエックハルトだけは参加していないようだが、前に奴はヴェンデリンと直に顔を合わせて揉めている。
なので、自分は許されないと思っているのであろう。
そういう経緯があるので、こちらとしても裏切る心配が無くて使い易い男なのだが。
「それで、豪農達の参加が少ないのもそれが理由なのか?」
「はい……」
と言うよりも、欠席をしている豪農の連中は、既に豪農と呼べるような存在でなくなっている。
本村落以外で農地の拡大と再配分が進み、むしろ規模が小さい農家に転落してしまったのだから。
「(連中の意図はわかっているさ……)」
ヴェンデリンに鞍替えをし、彼に本村落の開墾やら区画整理をして欲しいのであろう。
あと子沢山の農家などでは、土地を相続できない子供達の存在も問題になっていた。
遠征で成人男性の戦死者が大量に出たので、それを補うために生めよ増やせよと親父が奨励したのは良かったのだが。
子供が多過ぎて、もう十年もすると農地が足りなくなってしまうからだ。
遠征後、ヴェンデリンが三歳になったくらいの頃から、親父は自ら陣頭に立って農地を開墾した。
働き手が減っている状態での開墾で評判は最悪であったが、それでも農地の拡大には成功している。
麦の収穫量も増えて、商隊から得られる金や物資も増えていた。
ところが、そこでまた一つ問題が発生する。
未開地を除く領内で、もう開墾できる土地が無くなってしまったのだ。
残っていても、ヴェンデリンが魔法で何とかしたくらいの。
障害物だらけの土地や、平坦にするのが困難な土地ばかり。
挙句に、無理矢理開墾しているせいで、畑は歪で農作業が面倒になっていて。
配分の不手際で、新しい畑の農作業に行くのに徒歩一時間かかる領民もいるなどという、笑えない現実も発生している。
各村落周辺の土地は、もうこれ以上開墾は出来ない。
未開地の開墾し易い平原は狼や猪や熊が出没するので、護衛を付けないと、開墾はともかく畑の維持が困難なはず。
だからこそ手を出さないでいたのに、ヴェンデリンは三ヶ月ほどでこれらの事案を解決してしまった。
魔法で、全てを解決してしまったのだ。
「さて、このバウマイスター領に危機が訪れているのだが……」
来ている参加者達も、内心ではもうヴェンデリンに鞍替えをしようかと迷っているのは明白で、俺の話を興味無さ気に聞いていた。
こいつらからすれば、むしろヴェンデリンにバウマイスター領が乗っ取られた方が都合が良いのだから。
「(ヘルマンも来ないか……)」
以前は、会合には必ず顔を出していたヘルマンも欠席している。
来られても、今ではヴェンデリンの手先として動いているので、参加を認めるわけにはいかなかったのだが。
それに以前から、ヘルマンは三つの村落の扱いに差を付ける事に反対していた。
このバウマイスター領の現実が見えない青臭い意見でしかなかったが、本村落の若い世代にも賛同者がいてえらく難儀したのを記憶している。
「あのう……、クルト様」
「何だ?」
「今回は、我々からは特には……」
今までは散々に本村落への優遇を求めてきた癖に、今となってはそれがヴェンデリンにでもバレると困るのであろう。
ヴェンデリンは、今までの我々の方針とは逆に本村落以外を優先している。
というか、明らかに俺の支持基盤への揺さぶりを狙っての事であろう。
そして俺が引き摺り降ろされた後には、本村落も平等に扱うはず。
そうすれば、本村落の連中は同じ扱いでもヴェンデリンに恩を感じるという寸法だ。
「(あのクソガキめ!)」
それから十分ほどで、本村落の有志を集めた会合は終了する。
安定した統治のためにある程度優遇して意見を聞いてやっているのに、ヴェンデリンの魔法を見た途端にもう裏切りの準備を始めている。
やはり、元は卑しいスラムの住民であったという事なのであろう。
ムシャクシャするので、頭を冷やしに本屋敷裏の森へと歩いていく。
思えば、ここからヴェンデリンの出しゃばりは始まっていて。
まだ七歳くらいの頃から森に入り、そこで子供とは思えない成果を挙げていた。
毎日、ホロホロ鳥やら猪などを狩り、山ブドウ、自然薯、山菜、薪などを持ち帰って来る。
親父やお袋は大喜びであったが、俺からすればやはり出しゃばりとしか感じられなかった。
「あのクソガキが! あの時に、死んでいれば良かったのに!」
あの時とは、数ヶ月前に古代遺跡を探索して、一週間ほど連絡不能になった時の事である。
その時、中央からルックナーとか言う貴族の使いが来て。
如何にも思わせぶりな報告をするので、無駄にぬか喜びしてしまったのを思い出す。
今でも、たまに思い出すと怒りが沸いてくるのだ。
「ふんっ! あんな中央の貴族など当てにはならん!」
「そうでもないですよ」
「誰だ!」
突然、後ろから声が聞こえたので振り返ると、そこには以前ルックナー男爵の命とやらで手紙を持参した男が立っていた。
何でも、ルックナー男爵から良く依頼を受ける冒険者との話であったが、顔色が悪くて陰気さを感じる不気味な男であったのだ。
「お久しぶりです」
「前は、偽情報をすまなかったな」
どんな反応をするのかと思い、まずは嫌味を返してみる事にする。
「申し訳ございません。ですが、私は依頼者の命令で手紙を届けただけですので」
「本当だかどうだか、怪しい物だがな」
どこまでルックナー男爵と親しいのかは不明であったが、わざわざこんな僻地まで来たのだから、相当に信頼されているはず。
もしかすると、冒険者だと嘘をついて子飼いの家臣という可能性もあった。
「私はフリーの冒険者ですよ。多少力量に自信があるのと、口が堅いのでこういう仕事で稼いでいる身なのですが」
王都から、こんな山脈超えの僻地まで一人で来るのだから、腕っ節と体力に相当自信があるという事なのであろう。
「それで、用事とは?」
「そうですね。お互いに時間は貴重ですからね」
そう言うと、この陰気臭い冒険者は古ぼけた小さな木の箱を俺に差し出す。
「これは?」
「はい、バウマイスター男爵暗殺で役に立つ道具です」
「……」
「時間が惜しいと言ったと思いますが。簡単に言うと、ルックナー男爵はあなたにこれを売って恩を売り。あなたは、コレでバウマイスター男爵を暗殺して今ある危機を突破するわけです」
俺に今ある危機など、今さら言うまでもない。
ヴェンデリンに領内を侵食され、今では俺を支持する領民達は極小数になっている。
みんな、ヴェンデリンの魔法と財力で切り崩されてしまったのだ。
挙句に、親父までもがヴェンデリンの肩を持っている。
親父に言わせれば領内発展のためなのであろうが、俺にはわかっている。
もう俺に、次期当主を任せないつもりなのであろう。
理由は簡単で、親父はバウマイスター家当主として領内の繁栄に責任のある立場であり。
そのためには、長男である俺を切り捨てる覚悟もあると。
まさしく『断腸の思い』なのであろうが、それでもただ切り捨てられる俺よりはダメージが少ないはず。
トカゲだって尻尾を切り落せば痛いが、そんな痛みはすぐに忘れてしまう。
だが、切り落された尻尾の方は堪らないわけで。
だからこそ、俺は起死回生の策を得てヴェンデリンを排除しないといけないのだ。
「お疑いですか?」
「ああ、お前らは胡散臭い」
「でしょうけど、ここはお互いに追い込まれている仲間同士として協力しませんと」
「お互いに追い込まれている?」
「はい。ルックナー男爵も大ピンチなのです」
陰気臭い冒険者は、俺にルックナー男爵の危機とやらを説明する。
「未開地の開発が、バウマイスター男爵主導で行われると拙いのです」
もう既に王都では、早く俺を排除して未開地の開発に入りたいと貴族達の間で噂になっているそうだ。
「俺の立場は?」
「怒らないで聞いてくださいね。今まで中央との接触が無かった田舎領の跡取りなど、新規開発の利権に比べれば埃以下の扱いなのですよ」
「言ってくれるな……」
広大な未開地に、ヴェンデリンが持つ莫大な額の資産。
これが合わされば未開地は一気に開発が進むし、何よりヴェンデリンには子飼いの家臣が少ない。
そこに、余っている親族や家臣の子供達などを陪臣として送り込み。
開発工事なども最初は外部に発注するので、各貴族達も懇意にしている商会や業者などに受注させたいし。
開発に必要な資材などの売買に、工事で出稼ぎに来る人間の選定に。
貿易の利権も、莫大な物になるはずであった。
「貴族のみなさんは、とにかく必死なわけです」
そんな貴族連中からすると、俺はもう完全に死んだ人間扱いのようだ。
むしろ、生きていると邪魔なのであろう。
「依頼主も、利権確保に忙しいだろうな」
「それは無理ですから」
ルックナー男爵がいくら足掻いても、彼とその派閥は未開地開発の利権に加われないそうだ。
この未開地開発で主導的立場にあるのは、ブライヒレーダー辺境伯と、ルックナー男爵の兄にあたるルックナー財務卿で。
兄と仲が悪いルックナー男爵には、一セントとして金は入って来ない仕組みになっていると陰気臭い冒険者は説明していた。
「元々は、兄であるルックナー財務卿と対立していた関係で、バウマイスター男爵とも疎遠だったのですが……」
ヴェンデリンが、遺跡探索で一週間ほど連絡が途絶えた際に死亡したという噂を流し。
それが原因で、ヴェンデリン本人からもその寄り親であるブライヒレーダー辺境伯からも嫌われてしまったそうだ。
「こう言っては何だが、自業自得であろうよ」
ルックナー男爵は、中央で会計監査長をしているそうだ。
さぞかし、自分の頭脳に自信があるのであろう。
結果は、俺と同じくヴェンデリンの魔法と財力に押し流されそうになっているようだが。
「俺を引き摺り降ろした後の未開地開発の利権であぶれて、派閥の維持も不可能になるとはな。ご愁傷様だな」
俺自身、明日にはどうなるのかも不明であったが、ルックナー男爵も人に思わせぶりな手紙を送って翻弄した罰というやつであろう。
この絶望的な状況下でも、少しだけ溜飲が下がる思いであった。
「お気持ちはわかりますが、ここでお互いに相手が下に落ちるのをバカにしても未来に変化はありませんよ」
「そんな事は、わかっているがな」
お前などに言われなくても、それはわかっている。
このままだと、間違いなく俺は廃嫡の後に教会送りであろう。
前にヴェンデリンと決闘をした公爵のように、死ぬまで軟禁されて有りもしない信仰の日々を送る事となるはず。
そんな生活は、死んでも御免であったが。
「つまりだ。起死回生の一手で、俺がその箱の中の物を使ってヴェンデリンを暗殺。その財産と未開地開発の権利を継ぐ。というわけだな?」
「はい、その通りです」
「しかし、こんな小さな箱の中身で大丈夫か?」
「これは、古代遺跡から出土した魔道具ですので」
成りは小さいが、その効果は絶大なのだそうだ。
俺はこの手の物に詳しくないので知らないのだが、このまま座して滅ぶよりかは、これに賭けた方が良いのかもしれない。
「やってみるさ」
このままだと、来月の本村落の会合に誰も来なかったなどという笑えない未来すらあり得る。
ならば、その元凶であるヴェンデリンを殺す魔道具とやらに賭けてみても良いであろう。
「それで、これは幾らなのだ?」
季節の贈り物でもあるまいし、この手の物を貴族が貴族に無料で送るなどあり得ない。
むしろ、無料などと言われると逆に怪しくなってしまうのだ。
「料金は、将来の利権で優遇していただければとの依頼主からのお話です」
「なるほど。一時的な金よりも、永続する利権が欲しいのか」
それに、その方が派閥に参加している貴族達に分配しやすいという理由もあるようだ。
「承知した。それで、この魔道具の使い方は?」
それから暫く、俺は陰気臭い冒険者からこの古い箱に入った魔道具の使い方について説明を受ける。
確かに、これならヴェンデリンを暗殺可能かもしれない。
「見た目は、ただのオカリナにしか見えないけどな」
「ですが、強力な魔道具です。これが呼び寄せる物によって、バウマイスター男爵の命日も近いでしょう」
俺の頭の中で、哀れに殺されるヴェンデリンの姿が浮かぶ。
奴が死ねば、その財産を使って未開地の開発が主導でき。
中央のプライドと企みだけは一人前の貴族達が、俺に利権を請うために頭を下げにくる。
まるで、乞食のようにだ。
実に、楽しみな未来とも言える。
「物が物なので、あまり人気の無い場所で使ってください」
「三日後に、ヴェンデリンが未開地のかなり奥まで視察に行く。その時に使うさ」
「わかりました。依頼主には、そのように伝えます」
最後にそう言い残すと、陰気臭い冒険者は森の奥へと消えて行く。
そして残された俺は、懸命に込み上げてくる笑いを押し殺しながら、手の中にある古ぼけたオカリナを見つめ続けるのであった。