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第四十八話 依頼達成と、バウマイスター家の混乱。  

「坊主の兄貴、開き直ったら暴言の嵐だな」


「まあ、引き篭もっているので、それが強みでもありますし……」


「それにしても、酷過ぎだ!」


 翌日の早朝、色々な事があってお腹一杯のバウマイスター領から、俺達は瞬間移動魔法で未開地にある魔の森へと飛んでいた。

 

 俺は幼少の頃から、広大な未開地の探索を魔法の訓練と平行して行っている。

 おかげで、未開地のほぼ全ての場所に、瞬間移動で移動可能になっていた。

 

 当時はまだ未成年だったのと、一人で魔の森に入って万が一の事があったら大変なので森の中には入っていなかったが、その周囲のポイントは全て把握済みとなっている。


 例の遠征軍の侵入ルートも、大分前から把握はしていた。

 

 さすがに、当時遠征軍が切り開いた木々や下草などは、その旺盛な繁殖力によって既に回復している。

 だがその地点は、大軍でも何とか侵入可能にはなっていた。

 侵入後の生命の保証は、遠征軍の最後を見ればわかると思うが、全く出来なかったのだが。


「元々、社交界に出る気すらない。寄り親はいるけど、付き合いに顔すら出さない」


 十二歳になり、ブライヒブルクの冒険者予備校に通い始めた俺がその代理をしていたのだから、よほどの引き篭もり体質だと世間からは思われているようだ。


 まさか、ブライヒレーダー辺境伯家の園遊会に初めて出席したバウマイスター家の人間が俺だとは。

 うちの実家だからこそ出来る快挙とも言えたのだ。


 ただ、何かパーティーがあると言われても、会場に到着するのに山脈越えで一ヶ月以上もかかるので、それはある意味仕方が無いとも言えた。


 俺のように、瞬間移動の魔法が使える者は貴重なのだ。

 多分、その点も含めて名主のクラウスなどは、俺に当主になって貰いたいのであろう。


「もう頭に来た! あのバカを次期当主にしたくねえ! お館様に言って、坊主に挿げ替えてやる!」


「そんな、ブランタークさん。俺は、嫌ですからね」


 俺は、侵入予定地点から内部を探知魔法で探索しながら、ブランタークさんの暴言に反論する。

 そんな事をしたら、クラウスは大喜びであろうが、クルトが暴発しかねない。


 彼には、超保守主義である本村落優位主義者達という支持基盤もあるので、最悪武器を取って抵抗しかねないからだ。

 立て篭もるくらいならまだマシであろうが、クラウスや他の村落の人達と衝突でもされたら、死人が出てしまう可能性がある。

 

 そんな犠牲はゴメンであり、俺はあんな領地は継ぎたくないと断言する。

 というか、いくら魔法が使えても、領地の経営には色々なノウハウが必要なのだ。

 更には、多くの人材も必要となる。


 全て、新興法衣貴族で小所帯の俺が持っていないものであった。


「しかしだな。下手をすると、もう事態は動いている可能性があるんだぞ」


 おかげで、二千体ものアンデッド浄化という大仕事なのに、実家の情勢の方が気になってしまうのだ。


 しかも、それは俺だけではない。

 全員が、全く同じ気持ちなのだから。


「分家に被害が出ないで欲しいよな。ハチミツ酒的に」


「どれだけ、気に入ったんですか……」


 酒好き過ぎるブランタークさんの発言にエルは呆れていたが、確かにアレは美味しい物であった。

 この世界では十五歳でほぼ成人なので、昨晩俺達も味見させて貰ったのだが。

 甘みと酸味のバランスが良く、つい飲み過ぎてしまうほどなのだ。


「あの領地は、ヘルマン殿に任せれば良いんだよ」


「そんな、暴論を……」


 ブランタークさんに言わせると、バウマイスター騎士爵領は強制隠居で父やクルトを押し込め。

 ヘルマン兄さんに任せた方が、よっぽど建設的に話が進むのだそうだ。


「建前上は、坊主の親父と長男の体制を崩すのは良くないよな」


 何しろ、ここ二百年以上戦争が無いのだ。

 出来れば、順繰りに長男に継がせた方が安定はするはず。


「クルトのアンポンタンは、まだ完全に破綻はしていないからな。だから、性質が悪い」


 俺達やブライヒレーダー辺境伯とは揉めたが、内部でまだ決定的な騒動が発生したわけではない。

 中央からすれば、何か起こった方が介入はし易いという事のようだ。


「介入ですか?」


 というか、やっぱり介入する気は満々のようだ。

 未開地とセットで開発するために、クルトは邪魔だと思われているのであろう。

 開発資金にしても、俺が十分に持っているわけだし。


 いきなり王家から、父の強制隠居とクルトの廃嫡を命じるのは、他の小領主達への動揺が大きくなる。

 出来れば、介入の理由となる何かが起こって欲しいのであろう。


 それも、出来るだけ早くにだ。


「あり得るのは……」


 まずは、父やクルトに悲観した領民達が決起する事。

 本村落以外の領民有志という可能性は低いが、クラウス達かもしれないし、分家かもしれない。


 いや、そのどれが蜂起しても、他の二つが呼応する可能性があった。

 

 死人が出るような展開は無いようにと願いたいので、せめて大多数で決起して、父達に強制隠居を迫るという流れになって欲しい物だとブランタークさんは語る。


 次にありそうなのは、その可能性を考慮したクルト達が反対派の弾圧に走る事。

 これは、下手をすると多数の犠牲者が出る可能性がある。


「嫌な話だが、後者の方が王国には都合が良いんだよ。うちのお館様もそうだな」


 理由は、クルトと父に責任を取らせて、最低でも爵位と領地を剥奪できるからだ。

 未開地を含めた領地を俺に任せるにしても、前任者の臭いを出来るだけ取り払った方が後々楽であると。


 王都で中央に居るような貴族達は、そのように考えるらしい。


「二人を悪党にした方が、坊主への期待度で後々やり易いわけだ」


「あの連中、軽く考えやがって」


 と言うよりも、距離感の問題なのかもしれない。

 王都の貴族達からすれば、バウマイスター領は人口が千人以下の小さな領地でしかない。

 内乱になっても、書類上は大した死傷者など出ないわけで。

 

 ならば、さっさとクルトには消えて欲しいのだと。

 

 ところが俺達は、クラウスの誘導で実際に領民達と接してしまっている。

 こうなると、彼らが死傷するような事態は避けたいと願ってしまうのだ。


「ヘルマン兄さんに継がせて、領地もある程度余裕を残す」


 開発の糊代をある程度残し、そこの開発を援助する。

 上手く開発すれば、男爵くらいにはなれるようにだ。


「そんな所だな。それで、残りの未開地は坊主の担当だ」


「こうなるのは、避けたかったんだけどなぁ……」


 あれだけの土地を開発するとなれば、下手をすると一生かかっても終わらない。

 領主としての仕事で、縛られてしまう可能性があるのだ。


 そう考えると、憂鬱ではある。


「あの、ヴェンデリン様」


「何だい? エリーゼ」


「何も今から、無理に領主の仕事に没頭する必要もないのでは?」


「それは、どういう?」


 エリーゼに言わせると、いくら俺が強力な魔法使いでも、成人直後の十五歳の若造が陣頭に立って、領地を一から開発する必要は無いと言うのだ。


「領地と資金は、100%ヴェンデリン様の物です。人手に関しては、御爺様達が勝手に集めてくれると思いますよ」


「こう言うとエリーゼに悪いかもしれないけど、利権争いで開発進まずという事にならないか?」


 あの莫大で実感の無い金を預けて、完全に委任してしまっても構わないのだが。

 そのせいで、汚職に走ってでも利益を得ようとするバカな貴族やその係累が出ると、後に面倒な事になりそうであった。


 妙な争いばかり増えて、未開地の開発は進まずでは、俺が領主になったり金を出す意味が無いばかりか。

 最悪、戦犯扱いされかねなかった。


「ゼロとは言いませんけど、酷い方はすぐに排除されるので大丈夫です」


 軸になる代理人に能力があれば、それはほぼ防げるそうだ。


「となると、ローデリヒか」


「はい、あの方を家宰にして任せれば良いかと」


 他の人材にしても、送り出す貴族連中もあまりおかしなのは出して来ないはずであるとエリーゼは言う。


「皆さんは、新領地開発で合法的に利益と利権を得たいわけです」


 この貴族が余り気味の王国で、せっかく能力があるのに無駄飯喰らいに甘んじている縁戚や係累を新領地開発に送り出し、バウマイスター男爵家と縁を結び、開発特需や貿易などで利権を増やす。


 それが目的なのに、明らかに駄目な人は送り出さないであろうと。


「そんな人が居て悪さをしますと、御爺様なら喜んで攻撃するはずです」


『○○の出した連中は仕事でも使えないし、金や物資をちょろまかして懐に入れておるようだ。神の前で悪さとは困った物だの。思うに○○は、陛下も注視しているこの開発事業に人を出す資格などないのでは?』


 他の貴族と組んで攻撃し、新領地開発から追い出してしまう可能性が高いそうだ。

 そして、その空いた枠を他の貴族達と奪い合う。

 

 悲しいかな。

 貴族とは、そういう生き物らしい。


「ですから。ヴェンデリン様は、一番上でドッシリと構えていれば良いかと」


「そういう物かね?」


「はい。ヴェンデリン様は魔法使いなので、特に」


 確かに、あれほどの大金。

 何に使って良いのかもわからないし、余所者が大半になる家臣団が悪さをしないように、いちいち細かいチェックをするとか、面倒であり得なかった。


 元々、有って無いようなお金だし。

 どうせ死蔵していると、文句も出て来るお金なのだ。


 精々派手にばら撒いて、この国の貴族が使い物になるのか高みの見学というのも悪くないであろう。

 金はまた魔法で稼げば良いし、最悪面倒なら海外旅行感覚でアーカート神聖帝国に亡命してしまえば良い。


「私はヴェンデリン様の妻なので、ずっとお供させて頂きます。私が居なくなっても、ホーエンハイム家が断絶するわけでもありませんし」


「俺、何も言っていないけどね」


「あくまでも、独り言です」


「ふーーーん、独り言ね」


「はい」


 どうやら、思った以上にエリーゼは貴族の血が濃いようだ。

 しかも、なかなかにおっかない女でもある。

 もしかすると、こういう女を重たい女と言うのかもしれなかった。


「うわぁ、我が主君の正妻殿はおっかないな」


「そういう従士長はどうするんだ?」


「冒険者で稼げるし、貯えは十分過ぎるし。外国暮らしでも全然大丈夫。あの腐れ兄貴と腹黒名主次第じゃねえ?」


「一応、まだ父が当主なんだけど」


「ヴェルの親父の悪癖が事実かは知らないけど。あの人って、半分傍観者みたいなんだよね。だから、あの腐れ兄貴に呆れても罰したりしないわけで」


 エルの言う通りかもしれないが、クルトが健在だと次からのバザーは引き受け難いような気もするのだ。

 これがヘルマン兄さんなら、月に一度くらいならまるで苦にはならないのだが。


 それと、この現状に一番責任がある父であるが、不思議と何か積極的に手を打っているようには見えなかった。

 顔には出さないが、内心では迷っているのかもしれない。


 クルトを、次期当主のままにするのか?

 それとも、変化を決断するのか?


 その迷いが、クルトの暴言を許しているという可能性もあるのだ。


「このパーティーなら、どこでも通用するしね。と言う、私が一番戦力になってないか」


「イーナちゃんがいないと。このメンバーって、ちょっと常識の枠から外れてしまうから」


「ルイーゼ。俺も、常識枠なんだけど……」


「エルは、たまに怒りの沸点が低いから」


「それだけじゃないか」


 色々と強力で便利な魔法は使えるが、どこか前世の常識に引き摺られてこの世界では浮いている感のある俺。


 浄化と治癒魔法の名手で、美人で巨乳で聖女とまで呼ばれ、家事などの女性の嗜みも完璧なのに。

 たまに、大物貴族の娘として怖い面も見せるエリーゼ。


 その外見のせいで一見無邪気に見えるものの、どこか計算高い腕っ節の権化でもあるルイーゼと。


 確かにイーナとエルが混じらないと、周囲の普通の人達は『近寄り難い』と思ってしまうかもしれなかった。


「色々とあったから、色々と先の事も考えてしまうけど。結局、実際に何かあってからじゃないと対応できないしね。まずは、お仕事でしょう」


「ルイーゼの言う通りだな。考え過ぎて、不覚でも取ると大変だし」


 結局、成るようにしか成らないという結論に至った俺達は、暫し探知を続けてから魔の森へと侵入を果たすのであった。

 




「うわっ! 物凄い数の気配……」


 ようやく魔の森へと入った俺達は、すぐに背筋がゾクっとする感覚に襲われる。

 特に魔闘流の使い手で、こういう気配に敏感なルイーゼは、その感覚に警戒感を露にしていた。


 十五年以上も前に、ほぼ同じ位置から遠征軍も入って行ったはずだが、彼らのそのほとんどが、この地で人生を終えていている。


 当然その未練は、彼らの死体をアンデッドにしてしまう。

 最初はゾンビになり、そこからまるで借金の利息のように怨念を募らせた個体からグール、リッチ、スケルトンなどへとジョブチェンジしていくのだ。

 

 ルイーゼの感じた大量の魔物の気配は、間違いなく彼らアンデッドの物であろう。


「では、作戦を開始する」


 一番の年長者であるブランタークさんの合図で作戦は始まるが、実はそんなに複雑な物でもない。

 

 まずは最初に、エリーゼが下草を刈った地面に一枚の一辺が二メートルほどの布を広げて敷く。

 これには、教会で祈りを受けながら高司祭が書いた浄化の補助魔法陣が描かれていた。


 エリーゼの唱える聖の浄化魔法の効きが良くなるので、一種の魔法具とも言える。

 これを手に入れる時に少し高いお布施を包んだので、効き目がある事を祈ろうと思う。


 次に、エリーゼが魔法陣の真ん中に立ったのを確認すると、今度は残り全員が俺から渡された拡声器を口に当てる。


 そして、一斉に決められた言葉を叫び始めていた。


「やーーーい! ブライヒレーダー辺境伯の戦下手!」


「お前なら、十分の一の戦力でも余裕で勝てるわ!」


「軍事的才能が、ゼロどころかマイナスなブライヒレーダー辺境伯!」


 別に、冗談でやっているわけではない。

 戦に破れた軍勢の戦死者達がアンデットになる場合、当然その知能などは低下するわけなのだが。

 生前からの本能なのか?

 こちらからの悪口などを、ある程度理解する事が多いのだ。


 バカにされている事に気が付く、という程度の物らしいが。


 それと、もう一つ。

 集団化したアンデッドには、なぜか統率者が現れる。

 これも半ば本能なのであろうが、なぜかその統率者が決まる基準は生前準拠な事が多い。


 という事は、当然先代のブライヒレーダー辺境伯が統率者になっている可能性が高かった。

 

 なので、それを狙った悪口作戦はかなり有効なはずであった。


「うわっ! 本当に来た!」


 拡声器で悪口を言い始めてから数分後、遂に前方の藪から数体のゾンビの姿が見え始める。

 

「先行偵察部隊かね?」


「嫌な偵察部隊だね」


 魔法で燃やせる俺とは違って、もしエリーゼの身に危険が迫れば、ルイーゼはゾンビを素手で殴らないといけない。

 精神衛生上、なるべくお断りしたい心境なのであろう。


「エリーゼ、詠唱準備」


「はいっ!」


 俺の合図で、魔方陣の真ん中で立っていたエリーゼは、静かに祈りを始めてから浄化の魔法を発動させる。

 その範囲は直径100メートルほど。

 

 悪口で呼び寄せてから、浄化魔法の範囲内に入れて浄化させる。

 まるで、ゴキブリホイホイのような作戦ではあった。


「うわっ、気持ち悪っ!」

 

 さすがは、十五年以上も前に死んだ死体である。 

 アンデットになると腐敗は遅延化するのだが、全く腐敗しないわけではない。

 魔物に体を食い千切られ、切り裂かれた部分から腐った内臓や骨が露出し、肌もドス黒いゾンビが、見た目からして良い印象を得られるはずもなかった。

 

 更に、着ている鎧なども錆だらけで再利用は不可能なようだ。

 剣も錆びたていたり、死んだ時の魔物との戦闘で刃がボロボロだったり、先が折れていたりと。

 その大半が、遺品として遺族に渡すか、クズ鉄として再利用するしかないようであった。


「当然、気の利いたお宝なんて持ってないだろうし」


「ブライヒレーダー辺境伯か、その幹部なら」


 見栄えのために、剣や鎧に金や宝石などで装飾をしていれば、剥がせばお金にはなるはずだ。

 その前に遺品なので、高価なお礼が出るはずであったが。


「持ち物とかで、売れる物はあるのかな?」 


 もうゾンビになってから、十五年以上も経っているのだ。

 当時所持していた食料は非常食でも腐っているはずで、その前にゾンビは知性を無くし本能でしか動いていない。


 グルメでもないので、集めていた魔物の素材ですら貪り食ってしまっているはずだ。

 アンデッドが、生前の本能に従って何かを齧っていても、それが栄養になるわけでもない。

 ただ噛み砕かれた物が、胃腸などを通って肛門から地面に落ちていく。

 

 要するに、垂れ流しだ。

 当然、噛み砕かれた時点で、魔物の素材などは無価値に成り果てる。

 薬草などは、言うまでもないであろう。


 次第に集まって来るゾンビ達の中には、尻から何かを垂れ流しながら向かって来る個体もあった。

 中には、腹が切り裂かれているのでそこから何かが流れ出ている個体もあり、あまり見ていて気分の良い物ではない。


 王都で瑕疵物件を浄化した時よりも、胃の中の物を吐き出したくなるようなアンデッドが多かったのだ。


 前世でゲーセンで遊んだゾンビを銃で撃つゲームよりも、ビジュアル面では最悪であった。


 更に彼らからすると、生きている人間ですら餌でしかない。

 視界に入れば喰らおうとするので、退治は必須とも言えた。


「でも、弱いな」


 剣を構えて準備していたエルであったが、ゾンビは次々とエリーゼの展開した聖魔法に触れると体ごと消滅していく。

 残ったのは、錆びて薄汚れた装備品のみであった。


「ゾンビは個々では弱いが、数が揃うと脅威だ。気を抜くな」


 元ベテラン冒険者であるブランタークさんの助言により、全員が再び気を引き締め直す。

 だが、やはりゾンビは、エリーゼが展開を続ける聖魔法に触れると溶けるように消えてしまう。


 普通の浄化聖魔法の使い手ぐらいではこうは行かないが、それだけエリーゼが優れているという事だ。


「坊主」


「わかってます」


 俺は予備の魔法の袋を取り出すと、その中に次々と持ち主であるゾンビが装備していた品や、持っていた袋などを仕舞い込んでいく。


 錆びたり腐っている鎧や盾などの防具に、同じく錆びたり折れたりしている剣や槍などの武器。

 持っていた袋には、薄汚れた銅貨や銀貨などが入っている。


 これらの物品は、集められる限り集めて持ち主の判断が付いた物は遺族に返す事になっていた。


「駄目なら、教会で浄化して貰ってから、金属製の物は鋳熔かして再利用だけど」


「(何とも、物騒なエコもあった物で)」


 この世界の人にエコを説明しても理解できないはずなので、これは俺の心の中に留めておく事にするが。


「しかし、ワラワラ来るな」


 どこか緊張感が無いように見える俺達であったが、この一時間ほどが、全く戦闘もせずに遺品集めだったので仕方が無いのかもしれない。

 加えてゾンビは、目の前で同胞がエリーゼの浄化魔法障壁に触れて崩れ去っても、自分が退くという事をしない。

 強い統率者が攻撃を命令しているのと、目の前にある人間という餌に近付くという、本能のみで動いているからだ。


「ブランタークさん、何人分くらい集めました?」


「ええと……。八百人分ほどだな」


 確か、この魔の森で骸になった兵士達は約二千人のはず。

 なので、約半分を成仏させた事になる。


「しかし、早く出て来ないかな?」


「そうすれば、俺が範囲を広げて一気に成仏させるんですけどね」


 ブランタークさんが早く出て欲しいと思っているのは、これらゾンビの群れを統率していると思われる、先代ブライヒレーダー辺境伯であった。


 しかし、ゾンビになってまで生前の人間関係を引き摺るとは。

 その話を聞いた時、俺は人間という動物の業の深さを感じてしまったのだが。


「エモノッ! クウッ!」


「あーーーあ。元大貴族様も、ああなると惨めだな」


 更に十分ほどゾンビ退治を続けていると、ようやく元は豪華であったと思われる宝石付きの錆びた鎧を着た、初老と思しき男性のゾンビが現れた。


 装備している物から見て、間違いなく彼は先代のブライヒレーダー辺境伯なのであろう。

 非常に稀なケースであったが、ゾンビの癖に言葉を話していて、さすがは元は大物貴族とでも言うべきなのであろうか?

 

 本能に従って、『エモノッ! クウッ!』を繰り返しているだけにしてもだ。


「ブランターク様、随分と失礼な発言ですね」


「先代なんて、俺は直接顔も見た事がねえしな。俺の忠誠心は、今のお館様に向いているわけだし。イーナの嬢ちゃんは違うのか?」


「子供の頃にお菓子とかくれて、優しい人だったんですよ……。と、兄さん達が言っていました」


 遠征の時期を考えると、イーナもルイーゼも生まれる前か赤ん坊だったはずで、先代とは面識がないはず。

 なので、そのフォローが微妙な物になっていた。


「優しいのと、貴族としての能力は違うだろうに」


「それを言われると、困るんですけど……」


 俺は、身も蓋もない会話を続けているブランタークさんとイーナを尻目に、急ぎ探知の魔法の範囲を広げる。

 すると、半径二百メートル以内に、残り約千体のゾンビと思しき反応を察知していた。


「漏れは無いよな。じゃあ、一気にやるか」


 そう言うと俺はエリーゼの肩に手を置き、続けて魔法範囲拡大の魔法を使う。

 念のために半径五百メートルまで広げた浄化聖魔法は、容赦なくゾンビ達を溶かしながら成仏させていく。


 一番重要な先代ブライヒレーダー辺境伯のゾンビも、やはり基本はゾンビなので簡単に崩れ去ってしまう。

 残された宝石付きの装備品が、彼の存在を証明する唯一の証拠となっていた。


「よーーーし、もう魔法を止めても良いぞ」


 そして数分後、ブランタークさんも探知魔法で周囲に魔物の反応がない事を確認し、これでようやくゾンビ退治が終了するのであった。


 だが、ここで落ち着いてなどはいられないのであったが。


「周辺の遺品捜索を急げ!」


 俺達は駆け足で、周辺の遺品探索と回収を再開する。

 今までは二千体のゾンビがいたので、このエリアには他の魔物が一切存在していなかった。

 それが一気に消えてしまったので、この空白エリアに魔物が大挙して押し掛ける可能性があったのだ。


「何一つ漏らさずなんて言わん。粗方回収したら撤退だ!」


 それから三十分ほどで、聖魔法で消滅したゾンビの装備品に、彼らの最後の地であったと思われる野戦陣地跡地などで遺品を回収する。


 ところが、ここで一つの疑問にぶち当たっていた。


「元バウマイスター家諸侯軍らしき連中がいないな」


「そう言われると、そうだな」


 エルの指摘通りに、統一されたブライヒレーダー家諸侯軍の装備に身を包んだ兵士達に、高価な装備を着けた幹部らしき連中に、数名の元は魔法使いであると思われる連中のソンビは確認していた。

 

 皆、経済力に余裕があるブライヒレーダー辺境伯家でないと揃えられない物だ。


 バウマイスター家諸侯軍は、兵士は粗末な統一されていない部分鎧を着けた農民で、幹部とは言っても先代従士長やその息子達が多少はマシな鎧を着けているくらい。


 魔法使いなど、初級レベルでも雇える財力などなかったからだ。

 言っては悪いが、ギリギリ軍隊と呼べるかどうかという集団であった。


「どうして、姿を見せないんだ?」


 俺は再び探知の魔法で周囲を探るが、五百メートル以内にアンデッドを含む魔物の反応はない。

 こちらが元ブライヒレーダー諸侯軍を全滅させた直後なので、まだその外縁部で様子を伺っているのだ。


 通常の魔物は、アンデッドを避ける傾向にある。

 魔物とて、アンデッドに殺されて仲間入りはゴメンであろうからだ。


「ブライヒレーダー家諸侯軍と別れたって事?」


「可能性はあるな」


 ブランタークさんは、冒険者として多くの経験を積んでいる。

 なので、それを実際に経験した事があるのであろう。

 俺の意見を否定しなかった。


「ゾンビは、生前の本能に引き摺られるからな」


 寄り親な上に、ブライヒレーダー家諸侯軍は当主直々の出陣で、バウマイスター家諸侯軍は従士長が主将になっていた。

 なので、ブライヒレーダー辺境伯から家臣扱いされ、扱き使われていたのかもしれない。


 いくら小規模の軍勢とはいえ、バウマイスター家諸侯軍は指揮系統が別の軍隊なのにだ。

 当主である父に主将を押し付けられ、長い行軍の後に魔物と戦わされる。


 大叔父である従士長は、色々と鬱憤が溜まっていたのであろうと。


「その嫌悪感で、あの集団から離れた可能性があるな」


「そんな事があるんですね」


「元は、人間って事だ」


「それで、他の可能性は?」


 王都での浄霊経験で悪霊系には詳しくなったのだが、生憎とゾンビには詳しくない俺は、更にブランタークさんに知識を求める。


「その小集団なんだが、規模が大きくなっている可能性があるな」


 基本的に理性など無いゾンビなので、集団が分割しても時間が経つと、共食いで吸収合併されてしまうケースが多く、滅多に長期間二つの集団が残っている事はないそうだ。


「悪霊系は、肉体が無いからフットワークが軽いんだよ。逆にゾンビ系は、自分達が死んだ地点から離れるケースは少ない」


「でも、いませんよ」


「離れないとは言っても、数キロ圏内は移動するさ。探知魔法の外なんだろう」


 試しに探知魔法の範囲を広げてみると、外縁部には多数の魔物の反応がある事にはある。

 数千体ほどは反応があるのだが、彼らが一斉に襲い掛かってくる事は無い。

 こちらが少数なのと、アンデッドに支配されていた空間に慎重を期しながら戻るので、あまり長時間居残らなければそう危険でもないそうだ。


「それとな。向こうだって、バカじゃないんだ。二千体近いアンデッドを、この少人数で浄化した俺達に慎重になるのさ」


 だが、それはあくまでも、その魔物達が普通の魔物であった場合のはす。

 もし、その数千の反応がアンデッドであったら?

 そんな疑問が、沸いてくるのだ。


「その中に、バウマイスター家諸侯軍のアンデッドもいる可能性がありませんか?」


「無いとは言えんが、数が合わないな」


 バウマイスター家諸侯軍は百人以下で、外縁の魔物達は数千にも及ぶ。

 確かに数は合わないが、どこか腑に落ちないのだ。


「じゃあ、数が増えたとか?」


「数が増えた? ブランタークさん。本当に、そんな事があるんですか?」


「無い事もない」


 エルの疑問に、ブランタークさんが即答する。


 その小集団のボスが優れていて、アンデッドの仲間を増やすケースがあるらしい。

 その場合、アンデッドは彼らが死ぬ時に倒された魔物や、その後アンデッドの犠牲になった魔物が材料なのだそうだ。


「嫌な、増え方だな……」


 確かに、ホラー映画みたいで嫌な増え方ではある。


「ただなぁ……。そのボスに力が無いとな……」


 生前の能力が、大きく左右されるらしい。

 つまり、軍人で言うなら数千人を率いれる大隊長から将軍クラスの実力を持つという事だ。

 同時に、魔物相手なので冒険者としての技量。

 つまり、強かったのかなども基準になるそうだ。


「バウマイスター家の従士長だもんな……」


 大叔父の能力を否定するのも失礼な気がするが、あのバウマイスター家なので、そんな能力があったとは思えないのだ。

 

 人口から考えても、百人の諸侯軍ですら苦労して揃えたであろうに。

 大叔父に、数千人もの軍を率いる機会があったとは思えなかった。


「でもさ、才能があったのかもしれない」


「と言うと?」


「あの領地だから、半農民な従士長で止まっていたかもしれないけど。ブライヒレーダー辺境伯家なら、大幹部になれる才能があったのかもって事」


 才能はあっても、それが生かされる環境や機会がなかった。

 エルは、こんな世の中なのでそんな人もいるだろうと、自分の意見を述べていた。


「なるほどね。でも、だとすると?」


「それはね、イーナちゃん。この探知エリアの端に居る連中はヴェルの大叔父さんのアンデッドに率いられている連中で、ボク達を虎視眈々と狙っているって事だよ」


「ねえ、それってヤバいのでは?」


「物凄くヤバいかも……」


 イーナとルイーゼのやり取りを聞いた全員に緊張が走る。

 そして……。


「全員! 戦闘準備!」


 ブランタークさんが叫ぶのと同時に、中心部に居る俺達に向かって外部の反応が一斉に移動を開始する。

 俺達を殺そうと、攻撃を仕掛けてきたのであった。




「一体、何匹いるんだよ?」


「知るか!」


 それからまた数時間後。

 俺達は、またエリーゼが展開した浄化魔法の中で次々と迫り来るゾンビ達と対峙していた。

 やはり、その大半が魔物がアンデッド化した物であり。

 たまにそれに混じって、粗末な鎧に錆びた槍などを持つ人間のゾンビも存在している。

 彼らはその姿格好からして、間違いなく旧バウマイスター家諸侯軍の連中であろう。


「エリーゼがいなかったら、大苦戦だった」


 魔法展開で一歩も動けず、集中のために一言も発していないエリーゼのおかげで、旧ブライヒレーダー諸侯軍の時には直接戦闘はゼロ。


 今も、浄化の光に当たっても消え失せない、ワイバーンなどのアンデッドと戦うだけで済んでいる。

 エル、イーナ、ルイーゼが直接攻撃で、俺とブランタークさんが高集束の火矢魔法でワイバーンアンデッドの頭部を破壊していく。


 活動が停止したワイバーンアンデッドは、浄化魔法によって消毒され、魔石と骨を残す。


 他の魔物は魔石だけだが、さすがは小型でも竜というべきであろう。

 素材となる骨が残されていたのだ。


 アンデッドの時にはドス黒かった骨が、浄化されると綺麗な白色になる。

 見ていると、実に不思議な光景であった。


「ちっ! 飛竜のアンデッドって!」


「そういえば、アルが居たんだ!」


 大叔父に、統率力はあったのかもしれない。

 だが、普通の人間や魔物のアンデッド如きが、ワイバーンや飛竜相手に何とか出来るはずもない。

 

 ならばなぜ、彼らが一定数混じっているのか?


 答えは、この数千もの魔物アンデッド軍団は、師匠が死ぬまでに殺した魔物達という事になる。


「ヴェルの師匠って、化け物かよ!」


 力尽きるかまでに、数千にも魔物を次々と殺していく。

 俺がやれと言われたら、出来なくも無いが迷惑な魔法で周辺の森ごと消滅させるしかない。


 だが当時の師匠には、先代ブライヒレーダー辺境伯以下、守るべき存在が二千人も存在していた。


 その条件で同じ事をやれと言われても、相当に難しいはずでだ。

 少なくとも、今の俺ではそんな器用な真似は不可能であった。


「時間差を付けて、一瞬で自分と守備目標に脅威になり得る個体や少集団を順番に撃破していく。だから、アームストロングなどはアルを認めていたんだ」


 魔力量では勝てていても、まるで油断ならない超技巧派の魔法使い。

 それが、師匠であったようだ。


「でも、その師匠さんのせいでボク達が大変……」


 ブランタークさんの集束火矢魔法で動きが鈍ったアンデッド飛竜の頭部に、ルイーゼが愚痴りながら、魔力の篭った拳で一撃を加えて粉々にする。


 頭部を失ったアンデッド飛竜は、すぐにその動きを止めていた。


「いや、これは試練なんだ! 師匠が俺達に課した!」


「うわっ! ヴェルが、忠実なお弟子さんモードになっている!」


「先日のゴーレム軍団に比べれば、何ほどの事か!」


「今は、浄化の依頼よりも実家の情勢だものね」


「うわぁ! それもあった!」


 前回の反省を生かし、魔力補充用の魔晶石の数を増やした事もあって、第二陣のアンデッド軍団も数時間ほどで全滅させる事に成功していた。


 いや、最後に残った個体があった。


 錆びたフルプレートに、同じく赤茶けたロングソードを構えた初老の男性が俺達の目の前に立っていたのだ。

 普通のゾンビであれば、エリーゼの浄化障壁を突破して何とも無い事などあり得ない。


 つまり、その上位種なのであろう。


「相当に、恨みが深いんだな」


「それはそうでしょう」


「間違いなく、先代従士長だろうな」


「ええ」


 ブランタークさんと俺は、そのアンデッドがバウマイスター家の先代従士長である事を確認する。


 主命とはいえ、無謀な遠征で自分のみならず全ての息子と大半の領民達を犠牲にしたのだ。

 分家では、この先代従士長の孫娘以外でも、婿を迎え入れている女性が多かった。

 

 彼女達は、分家に仕える従士を勤める家の娘達だ。


 皆、父を兄弟を親戚を失い、家を保つために他所から婿を迎え入れ、男性と同じく苦しい仕事に耐えてきた。

 従士の家とはいえ、田舎領地なので普段は普通の農家でしかない。


 増えた開墾などで、大変に苦労をしたのであろう。

 それも加えての、彼女達の反本家でもあったのだ。


 そして、この目の前の先代従士長には、それが理解できているのかもしれない。

 剣を構えながらも、こちらを攻撃して来なかった。


「リッチにまでなっているのか! こんな短い期間で!」

  

 ゾンビがここまで理性的なはずがなく、良くて先ほどの先代ブライヒレーダ辺境伯くらいで、それすら滅多にいないのだから。


「ミンナ、シンダ……」


「十五年以上も前にな。今は、浄化しているだけだ」


「マゴ……」


「旦那を尻に敷いて、元気にしているよ」


 リッチともなれば危険なので、普段の俺であればすぐに聖光魔法などで浄化してしまうはず。

 だが、この先代従士長である大叔父は、とても悲しそうな目をしていた。


 そして、俺に視線を合わせてくるのだ。

 そのあまりに悲しい目に、『なら、あの集団をけしかけるなよ!』などとは言えなくなってしまう。

 

「わかっているんですかね?」


「さあな。実力差を本能で理解して、体が動かないというケースもあるし」


 本能が前に出るので、獣と同じく敵が強過ぎると動きを止めてしまう事があるらしい。

 ゾンビやグールでは無理な、リッチレベルでしか見られない現象のようだが。


 ブランタークさんからすれば、先に数千ものアンデッドをけしかけているので、大叔父のリッチに隙を見せたくないのであろう。


 あくまでも、リッチが萎縮しているだけだと攻撃態勢を緩めなかった。


「ヒマゴ……」


「跡取りと、妹が生まれてたよ。元気だった。あんたに似ている」


「ソウカ……。オナジチ……」


 やはり、理解しているらしい。 

 更に、俺が血縁者である事も理解しているようだ。


「タノム……」


 最後にそう言うと、先代従士長のリッチは剣を地面に下ろし、そのまま動かなくなってしまう。

 攻撃はしないので、そのまま浄化しろという事のようだ。


「怒りが凄くてこの短期間にリッチにまでなったけど、親族から家族の話が聞けて満足したのかな?」


「かもしれないし、坊主に勝てないと思ったのかもしれない」


「では、聖光を」


 俺の聖光魔法により、先代従士長のリッチも完全に浄化され、あとにはその装備品だけが残される。


「マルレーネ義姉さん達の元に、返してあげないとな……」


 同時に、分家の事もだ。

 

 もしリッチにまでなった大叔父と戦闘をしていれば、勝てなくは無いがかなりの労力を要したはず。

 だが、大叔父は俺達と戦わなかった。


 湧き上がる恨みが原因の殺戮衝動に耐えながら、残された家族の事を聞き。

 無事だと知ると、俺に『タノム』とまで言った。


「まさか、リッチがあそこまで殺戮衝動を抑えるとは思わなかった」


 大叔父を攻撃するために強力な火炎魔法の詠唱を準備していたブランタークさんも、初めての経験に驚いているようだ。


「『タノム』か……」

 

 彼の頼むは、家族を頼むという事であろう。

 というか、他にはあり得ない。


「仕事も終わったし、バウマイスター領に戻るか……」


 大叔父の装備品を全て回収した俺達は、なるべく早くにバウマイスター領に戻ろうとする。

 朝から魔の森に侵入し、食事も取らずに二つのアンデッド集団と戦闘をしていたせいでお腹も減っている。


 木々の間から見える空の色は、時刻がもう夕方前である事を示していた。


「そうだな。早く森を出て戻ろう」


 このエリアを占領していた数千ものアンデッドが消えたので、その空白を埋めるように普通の魔物達が押し寄せるのも時間の問題であったからだ。


「いや、その前に寄る所がある」


「寄る所? ああ、エーリッヒ兄さんか!」


 バウマイスター領の問題に関しては、俺達では知らない事が多過ぎる。

 もしかすると、エーリッヒ兄さん達が何かを知っている可能性もあり、ブランタークさんはそれを確認してから戻っても遅くはないと意見したのだ。


「困った時の、エーリッヒ兄さんか。年齢の関係で、パウル兄さんやヘルムート兄さんも何か知っている可能性がある」


 ブランタークさんの案を受け入れた俺は、その場で全員を呼び寄せると、一気に王都のブラント邸まで瞬間移動で飛ぶのであった。






「えっ! そんな事があったのか!」


「クルト兄貴……」


 魔の森での依頼を終えた俺達は、その足で王都にあるブラント邸まで移動していた。

 突然庭に現れた俺達に、ルートガーさんや屋敷の使用人達は驚いていたが。

 すぐに只ならぬ情況である事を察し、エーリッヒ兄さんが仕事から戻って来るまで、食事でもと屋敷の中に案内してくれた。


 そして、使用人達を、パウル兄さんとヘルムート兄さんの元にも差し向けてくれたようだ。


 それから約二時間後、三人の兄さん達は俺から領地での出来事を聞き、深刻そうな表情を浮かべていた。


「エーリッヒ兄さん?」


「ある程度、予想はしていたけど……。しかし、ここでクラウスか……」


 エーリッヒ兄さんに言わせると、クルトの言動はある程度想定の範囲内であったらしい。

 予想よりも愚物度は上がっていたが、それでも父が抑えれば何とかなると思っていたようだ。


 あくまでも、暫くはという条件付きではあったが。


「ところで、クラウスの話は本当なんですか?」


「跡取り息子と、レイラさんの婚約者の件かい? 事実だよ。ねえ、パウル兄さん?」


「ああ。俺も当時四歳だから、後で聞いたんだけどな」


 やはり、人の口に扉は立てられないらしい。

 父が緘口令を敷いたせいで、余計に領内に広がってしまったようだ。

 あんな碌に娯楽もない領地なので、真相を推理して楽しんだのかもしれない。


「ただ、二人が同時に崖から落ちて死んだのは事実でも、それに父が絡んでいた証拠は無い。噂は、本村落以外なら100%有罪判定だったね」


 被害者が、本村落の名主であるクラウスの息子達なので、あまり同情はしないが、領内の体制を強化するために領主様ならやりかねない。

 二の舞はゴメンなので、あまり表立っては言えないけど。


 と、思っている領民達は多いそうだ。


「ヴェルも知っているだろう? あの崖では、岩茸が採れるのを」


 パウル兄さんの言う通りに、その崖では確かに岩茸という茸が採れるのだ。

 あの薄い塩スープに入れると良い出汁が取れるので、みんな競って採集していたはず。


 なかなか成長しないので貴重なのと。

 崖の斜面に生えるので、採るには危険も存在していたのだが。


「はい、知ってます。ですが……」


 父と二人はあくまでも狩猟をしていたのであって、岩茸を目的にしていたわけではない。

 ところがその日に、父に忠実な本村落の村人数名が、岩茸採りでその岩場に行っていたらしいのだ。


 クラウスが言っていた連中とは、彼らの事なのであろう。


「状況的に言うと、父がその村人達に指示してという可能性がある。でも、彼らはクラウスの支持者でもあるんだよね」


「もう一つ、噂があったな」


 ヘルムート兄さんは、もう一つ嫌な噂を聞いた事があるそうだ。


「レイラさんは、美人で男性に人気があった。自分の嫁に欲しいと願う村人達も多かったそうだ」


 つまり、岩茸採りの連中は、レイラさんの婚約者だけを亡き者にしようとしていて、何かのミスでクラウスの息子も殺してしまったのではないかという物だ。


「それだと、父は無関係の可能性が」


「高いな」


「でも、真相は不明なんだ。父を拷問して吐かせるわけにもいかないしね」


 拷問は極端な意見だと思うが、結局証拠が無いので父から真相を聞くしかないのも事実であった。

 聞いたところで、父が事実を話す保障も無いわけなのだが。

 

「知っていたんですね」


「あくまでも、あらましだけだよ。真相は、クラウスでもわからないだろうし」


 真相は不明だが、奇妙な事件で自分の愛する息子と娘の婚約者を失ったのだ。

 彼からすれば、父を恨む事で精神の均衡を保っている可能性があった。


「父の悪癖と、レイラさんの件ですけど……」


「それもなぁ。本村落以外の連中は、有罪判定していると思う。でも、他の可能性もあってね」


 エーリッヒ兄さんは、あくまでも自分の考えであると前置きしてから、その考えを述べる。

 

「本村落の名主であるクラウスは、跡取り息子と娘の婚約者を同時に失ったわけだ」


 そうなると、クラウスの跡を継ぐ次の本村落の名主は、レイラさんの新しい婿という事になる。


「残り二つの村落の名主達が、自分達の次男以下の息子を押し込もうとしたという噂があってね」


 もしそれが実現すれば、本村落優位の領内の体制に楔を打ち込める可能性が高い。

 皮肉にも、他の本村落の婿候補者達は、あの岩茸採集に出ていた連中なのだそうだ。


「レイラさんからすれば、彼らは嫌だと思うよ」


 自分の婚約者を殺した疑惑のある男達と結婚するなど、確かに誰でも嫌なはずだ。


「かと言って、他の村落出身者の婿だと。当然、本村落の連中から不満が出るよね。だから、父がそういう事にしたんじゃないのかな?」


 領主の庶子に継がせるのなら、他の村落の名主達も文句は言えないはず。

 だが、父が露骨に前に出ると、彼らの不満が高まってしまう。


 だから、クラウスから話しを切り出した事にして、徴税業務の独占が褒美であったと。

 父からすれば、将来的に自分の子供が徴税業務に関われるのは得になるわけだ。


 情況的に仕方が無いとはいえ、息子達の喪も明けない内からの提案なので、クラウスは内心では気に入らなかったはずだ。


 あまり話を先延ばしにすると、本村落以外の連中が五月蝿くなってしまうので仕方がなかったのだが。


「そう言う事なら、納得はいくかな?」


「でも、これも推論。結局、真実は父とクラウスしか知らないんだよね」


 かと言って、探偵みたいに調査などしても領内が騒ぎになるだけであろう。

 クルトからすれば、領内を掻き乱す迷惑者として、また嫌味でも言われるのは確実であった。


 二時間物の推理ドラマでもないので、俺達が調査したところで真相に辿り着ける可能性は低いのだし。

 

 もし調査を始めると、『冒険者男爵の事件簿。バウマイスター領殺人事件~名主の息子達はなぜ死んだのか? その影に領主の陰謀と美女の涙を見た~』とかなるのかもしれない。


「それで、父の悪癖なんですけど……」


 俺は、実家時代はあの生活だったので、真相など知る由もない。 

 だが、兄さん達は何か知っている可能性があった。


「俺達以外に兄弟姉妹がいる? 絶対に無いとは言えないなぁ……」


 正妻である母に男ばかり六人、妾であるレイラさんに男二人と女二人。

 この世界では、平成日本よりも出生率が遙かに高いのを考慮しても、平均よりは多い。


 確かに、子供がいなくて家が絶えるのも問題であったが、うちのような零細貴族で子供が多過ぎるのも問題だ。

 あまりに相続・財産争いが酷くなると、これも醜聞として噂になってしまう。

 

 ルックナー兄弟を見れば、それは良くわかるはずだ。

 あの家は、兄弟の数はあまり関係ないようだが。


 そんな事情もあり、その辺のコントロールも優秀な貴族の必須条件であったからだ。


「ヴェルと揉めているルックナー会計監査長だって。相続で揉める要因になるから、ローデリヒさんを認知しなかったでしょう?」


 決して褒められたやり方ではないが、相続で揉めるよりはマシだと非情に徹する。

 これも貴族なのだと、エーリッヒ兄さんは言う。


「普通なら、愛人を囲ってとか。貴族御用達のお店もあるしね」


 値段は高いが避妊薬もあるし、早ければ子供を下ろすという方法もある。

 だがそれが出来るのは、都市部の貴族や、地方では大物貴族だけだそうだ。


「地方の零細貴族が、あまり家族計画とか考えないよね」


 田舎暮らしで自分にヘイコラする領民達しかおらず、狩猟くらいしか娯楽もない。 

 となると、領内の綺麗な女に走る者も多いらしい。


 なので、絶対に無いとは言えないと兄さん達は言うのだ。

 まさか父とて本屋敷に女など連れ込まないであろうし、兄さん達に直接見られるようなドジもしないであろう。


「あと。うちは、他所から移民した連中の寄り合い所帯だろう?」


 パウル兄さんの話によると、王都周辺や北方などは違うそうだが、南部寄りの田舎の農村とかだと住民が性にルーズだったりするそうだ。


 江戸時代の農村と、似たような感じらしい。

 

「本村落以外の連中で、南部や西部寄りの農村部から来た連中だな」


 婚姻前の娘に手を出すのはご法度らしいが、結婚して跡取りが生まれると、男も女も結構自由に浮気をする風習があるらしい。


「跡取りはいるから、それで浮気相手の子供が生まれても、『まあ、いいか』くらいの感覚なんだと。バウマイスター領は他の地域の出身者も多いから、もうほとんど無い風習だけどな。ヘルマンの兄貴や俺が子供の頃には、ギリギリ残っていたかも」


 ちょうどその頃にようやく教会ができ、王都から一度引退した年寄りとはいえ司祭が赴任するようになると、そういう風習は鳴りを潜めたそうだ。


「教会は、不義密通を嫌うからな」


 そんな事をするなら、正式に奥さんと認めて囲えという教義なので、地球のキリスト教とは差異が存在しているのだが。 


 移民初期には、それが当たり前の住民とそんな風習が無い住民とで良くトラブルになったらしい。

 それは、自分の奥さんに誘いをかける妻子ある間男の存在など容認できないであろう。


「その仲裁で、クラウスは若い頃に苦労したんじゃないかな?」


「それで、父は?」


「若気の至り? 母が妊娠している時とかに?」


 名主のクラウスからすれば、本村落や、他の村落でもそんな風習など無い人達に配慮しないといけないが。

 父は、そういう風習のある人達に配慮したのかもしれない。


「特に、女性から誘われたら断るのはご法度だったそうだ」


「いいなぁ。その風習」


「あの、ルイーゼさん……」


 一人危ない女がいるが気にしない事にして、もし老婆に誘われても断れないのであれば、それは拷問なのではないかと思ってしまう。

 

 そういう特殊な趣味の人を除くとしてだ。

 少なくとも、俺には一切存在しなかった。


「父は、そういう女性達からの誘いを断らなかった。領主として、出来る限り陳情を受け入れるという趣旨と。実は、誘惑に抗えなかったと?」


 あとは、その後に相手の女性が妊娠した時にトラブルがあったのかもしれない。

 風習からすれば、その子はその女の家の子供。

 つまり、法的な旦那の子供という事になる。


 だが、領主の子供という事になれば、風習を無視して権利を主張する女性が居たのかもしれない。

 

「ここで問題なのは、浮気したからって100%父の子という保障もないからね」


 単純に、本来の旦那の子供という可能性もあるのだ。


「旦那の方も、その子が父の子として優遇されるとなると良い思いが出来るかもと、一緒に権利を主張したのかもしれない。それで、その後始末だけど……」


 そんな風習は、領内の秩序を乱すと考えて嫌っているクラウスの仕事だったのであろう。

 結局、その生まれた子供は、継承争いの元になりかねないので領外に出す羽目になった。

 

 人口的にも、生産力的にも。

 クラウスからすれば、苦労ばかりさせられて『ふざけるな!』と思ったのであろう。


「ただ、これも推論なんだよね」


 どのみち、真相など調べようがないのだ。

 個人的には、『息子と娘の婚約者を失ったクラウスには同情するけれど……』という物になってしまう。

 父に関しては、『もっと、怪しまれないように行動しろよ!』としか言えなかった。


「もうヴェルが行ってみるしかないよ。何しろ、ヴェルはあの領地の情勢を左右する大物になっているわけだし。クラウスの言う父への恨みとか、父の悪癖が事実かなんて。もう本当に瑣末な問題になっているんだと思う。本人達には悪いけど」


 今までならどうにか現状維持でいけたバウマイスター領であったが、俺が再びあの領地に足を踏み入れた時点で、その箍が外れつつあるとエーリッヒ兄さんは言うのだ。


「領民達だってバカじゃないんだ。ヴェルが、もう別家の当主だなんてとっくに理解している。でも、ヴェルが領主になれば滅多に来ない商隊を待ちわびる日々も終わる。未開地の開発が進んで、他の土地との交流も始まるかもしれない。そのためなら、混乱が起こる可能性も、それで死ぬ人が出る可能性があってもね。だから……」


「だから?」


「ヴェルが収めるしかない。これも、青い血に生まれた宿命だと思って」


「はい……」

 

 もうこうなったら、俺が何とかするしかないとエーリッヒ兄さんに言われてしまう。

 とはいえ、まだ何か実際に起きているわけでもないので、今はとにかくバウマイスター領に戻ってみるしかない。

 

 ただ、戻れば何かが起きる可能性があるのだと。


「今日は、もう泊って行くと良い。あと、パウル兄さん」


「やっぱり、何か起こる可能性があるのか。エーリッヒに言われて公休届けを出したけど、上司が文句一つ言わないどころか、『頑張れよ』だってさ」


 その上司には、多分エドガー軍務卿から私的に通達が来ているのであろう。

 ついでにとばかり、警備隊の同僚や部下で腕の良いのを数名押し付けられたそうだ。


「俺だけだと、心許無いからな。ヴェルの今の立場を考えるに、俺も含めて肉の盾だな。万が一にも死なれると、みんな物凄く困るわけだし」


 うちのパーティーの戦力を考えると、そう不覚は取らないはずであったが、不意を突かれないために護衛も必要であろうと。

 というか、うちの領地でクルトがバカをほざいている情況など知らないはずなのに、エドガー軍務卿もご苦労な事であった。

 ただの軍人バカではない、という事なのであろう。


「王都の警備隊は、俺がいなくても回るからな。追加の助っ人数名くらい、余裕で出せもする。そんなわけで、明日の朝に一緒に連れて行ってくれ」


「わかりました」


 予定では、パウル兄さんと五名の助っ人が同伴するらしい。

 指揮能力よりも、個人的な武芸に優れたメンバーを選んだそうだが、一人警備隊に所属していない人がいるらしい。


「うちの上司から連れて行くようにって言われたんだけど、間違いなくエドガー軍務卿の推薦らしい。戦斧の達人らしいぜ」


 人数的に、こっそりと本屋敷裏の占有森に、二往復して移動する必要がありそうだ。

 

「では、明日の早朝にブラント邸の庭で」


「わかった。助っ人達には伝えておく」


「出来れば、何も起きないと良いんですけどね」


「頭が悪い俺でも、望み薄だとわかるけど」


 一通り打ち合わせを終えた俺達は、明日に備えて早めに就寝してしまう。

 そして、その翌日の早朝。


「おはよう、ヴェル。護衛達を紹介するよ」


 時間通りに、パウル兄さんは五名の護衛を連れてくる。

 彼らはエドガー軍務卿の命により、最悪盾になっても俺を守るのが仕事なのだそうだ。


「少し、大げさな気もするけど」


「大げさじゃないから。ヴェルが死んだら、ホーエンハイム枢機卿とか、ルックナー財務卿とか、エドガー軍務卿とか。卒倒するから。もし何も起きなくても、護衛は絶対条件だから」


 事情を聞いたエーリッヒ兄さんの中では、既にバウマイスター領は半分内乱状態にあると認識しているらしい。

 そんな場所に、パーティーメンバーだけで行くとかあり得ないそうだ。


「そういう事なら。宜しくお願いします」


「紹介するよ」


 合計十二名にまで膨らんだバウマイスター領ツアー御一行は、お互いに自己紹介を始める。


「ジークハルト・フォン・ヴィクトール・ルンマーです。ルンマー騎士爵家の三男です」


 まずは、年齢は十八歳くらいであろうか?

 俺と同くらいの背丈で、金髪碧眼でイケメンな少年が自己紹介をする。

 彼は、武芸大会で本選二回戦にまで進んだ経験がある剣の達人なのだそうだ。


「後輩だけど。職階は俺と同じ小隊長で、数十名の部下持ちなんだよ」


「武芸大会本選二回戦……。予選一回戦の俺とは、住む世界が違うぜ……」


「私からすると、魔法が使えるバウマイスター男爵の方が羨ましいですけどね」


 次は、身長170センチほどで、ポッチャリ体型とノッペリとした黒髪が特徴の、二十代半ばほどの男性であった。


「オットマー・フォン・ブライプトロイです。ブライプトロイ準男爵家の四男です」


 彼は、貴族では珍しい大木槌の使い手なのだそうだ。

 それと、剣もある程度は使えるらしい。

 やはり、パウル兄さんと同じ警備隊小隊長の職にある人物であった。


「パウル兄さん」


「言うな。警備隊って、俺も含めてこんな境遇の奴が多いんだ。ちなみに、俺と同期でもある」


 貴族の次男以下で食い詰めると、まずは軍関係へ。

 どこの世界でも、それは同じようであった。


「持つべき者は同期の友人。パウルが、あの竜殺しの英雄の兄とはな。同じ家名の別人かと思ってた」


「煩いわ」


「まあ、そう邪険にするな。貧乏法衣準男爵家の四男に巡ってきた人生最大のチャンス。ここは殉職しても、バウマイスター男爵殿を守るべし」


「いや! 殉職とかしないで!」


 目の前で死なれると心が折れそうなので、それは止めて欲しかった。


「ゴットハルト・テオドリヒ・フィリップス」


 三人目は、身長百八十センチほど。

 白に近い銀髪を腰まで伸ばしている、細身のぶっきらぼうな口調が特徴の、二十歳ほどの男性であった。


 彼は、父親がフィリップス子爵家の三男で八位の階位を持っているそうだ。

 父親は死ぬまでは貴族扱いだが、陞爵は難しそうなので自分は逆立ちしても貴族にはなれない身分らしい。


 というか、父親の生死を問わずに自分は平民なのだそうだ。


 それでも警備隊に職があるだけマシだと、やはりぶっきらぼうに説明していて、細身の突きが主体の剣と、ナイフの扱いも得意だと語っていた。


「ルーディ・ウルバーン・ライスターです。宜しくお願いします」


 三十代半ばほどであろうか。

 くすんだブラウンの髪をした、どこにでも居そうな普通のオジさんに見える。

 実家は小さな食料品店で、自分は次男で跡を継げないから警備隊に入ったそうだ。


 平民なのに苗字があるのは、祖先が貴族の子供であったからだそうだ。

 『少しでも、商売の役に立つのかな?』と思って名乗っているらしい。


 実際に役に立っているのかは、不明なのだそうだが。


「入隊以来、従兵一筋二十年ですわ。あまり腕っ節に期待せんでください」


「じゃあ、何で?」


「パウル様は、地方巡検視扱いでのバウマイスター領行きですからね。形式上、従兵も必要であろうと。そういうわけなのです」


 警備隊を公休扱いとはいえ、パウル兄さんがバウマイスター領に入るには名目が必要となるらしい。

 一人で私的に里帰りならともかく、彼ら護衛を連れているからだ。


 そこで、地方巡検視制度を利用するそうだ。

 

「でも、半分形骸化した制度じゃないか」


「エルが知っているとは驚きだ!」


「ルイーゼ、何気に失礼」


 地方巡検視とは、王国政府が領地を任せている貴族がちゃんと領内の治安を維持しているのかを確認するため。

 定期的に人を送る制度であった。


 戦乱期にはある程度作用していた制度なのだが、今では完全に形骸化している。

 貴族達も、余所者に入り込まれて治安がどうのこうのと言われるのが嫌であったし、彼らは万が一その貴族が離反した時のために情報収集も行っていた。


 地方巡検視の滞在費用が、査察される側の貴族の負担であった事も要因となり、反対多数で次第に形骸化されていったという歴史があったのだ。


「うちの実家にも来た事があるしな」


 今では、十年に一度来るかも怪しくなっているらしい。

 視察自体も、領主が準備した場所だけを形式的に見て終わるそうだ。


 あとは、食事と宿泊費用くらいは出して貰う。

 ブライヒレーダー辺境伯くらいの大物だと毎年視察あるが、地方の零細領主だとエルの実家のようになるわけだ。


「お館様は、制度に名を借りたタカリだと溢しているけど……」


 この制度が無くならないのは、金が足りない貴族の子弟達の臨時アルバイトになっているからだ。

 遠方に行く事も多いので王国からの報酬は悪くないし、移動中も、視察先に滞在中にも、無料で生活が出来る。

 

「貧乏な貴族の子弟達専用の、臨時アルバイトというわけだな。視察なんて形式だけで、昔ほどじゃないけど時間と金を使うわけだ」


 ブランタークさんは、『お金はともかく、時間が勿体無い』と溢しているブライヒレーダー辺境伯を見た事があるそうだ。

 形式だけでも視察なので、ブライヒレーダー辺境伯自身が時間を割いて彼らを案内する必要があるからだ。


「それでも、来るだけマシだろう」


「マシなんですか?」


「うちの実家に、そんな物は来た事が無いぞ」


 パウル兄さんが言うには、バウマイスター領にそんな物が来た試しはないそうだ。


「治安もクソも無い領地だし、誰も行きたくないからな」


 確かに、そこまでして視察に訪れる甲斐のある領地でもなかった。

 反乱の可能性も、ほぼゼロなわけだし。

 

 というか、もし反乱されても今までなら、『ふーーーん、そう』で終わってしまいそうなのが怖かった。


「故に、俺が初めてバウマイスター領の地方巡検視に命じられたわけだ。本命は、ヴェルの護衛だとしてもな」


「形骸化したとはいえ、地方巡検視は貴族様の大切なお仕事なわけでして。こうして、私が従兵としてパウル様のお世話をさせていただくわけです。はい」


「本当、形式だけなわけ」


 パウル兄さんは、うちの次男以下の扱いを見ればわかるが、自分の事くらいは自分で出来る。

 それでも、立場が以前とは違うので、こうして従兵も付けられるわけだ。


「ねえ、お腹空いた」


「今、紹介してからな」


 そして最後に、第五の護衛の紹介なわけだが、その存在は異質ともいえた。

 警備隊などの軍に所属はしていないが、エドガー軍務卿の推薦で戦斧の達人だと聞いていたので、物凄く屈強な男性が来ると俺達は思っていた。


 なのに目の前には、パウル兄さんの服の袖を引きながら、『お腹減った』を連呼する少女の姿があったのだ。


「あの……。この娘は、誰か護衛さんの見送りとかでは?」


「それが、第五の護衛って、この娘なんだわ」


「お腹減った。ヴィルマ・エトル・フォン・アスガハン」


 自己紹介の前に『お腹減った』を入れるほど、お腹が減っているらしい。 

 パウル兄さんに食べ物を強請る様子は、体の大きさがルイーゼとあまり違わない事もあって、まるで彼の娘のように見えてしまう。


「懐かれましたね」


「そうなのか? とにかく良く食べるんだよ。この娘」


 昨晩、エドガー軍務卿の家臣が、その娘を銀板と共にパウル兄さんの家に置いていったそうだ。


「銀板は食費だって事だな。さすがは、エドガー軍務卿って思ったんだけど……」


 エドガー軍務卿が寄越したお客さんなので、パウル兄さんの奥さんは夕食を豪華にしたそうだ。

 ところが……。


「追加で、何回か作り直す羽目になってな。あの銀板が無ければ、今月のうちの家計は詰んでた……」


 それと、今もお腹が減ったと言っているが、朝食は五人前を平らげているそうだ。


「そうなんですか……」


 一見、とても戦斧の達人には見えないのだが、パウル兄さんの服の袖を引いている反対側の手で、彼女の身長を超える長さとの柄と、巨大な両刃に、先端にも鋭い穂先の付いた特製の戦斧を持っている。


 あんな重たそうな戦斧など、少なくとも俺には持つ事すら不可能だ。


「良く、そんな重たい戦斧が持てるよな……」


 見た目よりも、遙かに力があるようだ。

 

「ヴィルマさんは……」


「ヴィルマでいい」


「ヴィルマは、幾つなんだ?」


「十三歳。お腹空いた」


「了解!」

 

 とにかく、お腹が減ったらしい。

 俺が魔法の袋からバザーで売れ残ったお菓子などを渡すと、それをボリボリと食べ始める。

 その様子は、まるで子リスのようであった。


 髪の色がピンクで。

 その髪をお団子状に纏めているので、桃色お団子リスというわけだ。

 前世とは違い、この世界には変わった色の髪をした人が多いので面白い。


「甘さ控えめで、美味しい」


「そうか、良かったな」


「お代わり」


「はい……」


 良く食べるようだが、味音痴というわけでもないようだ。

 お菓子は王都でも有名な店の品であったが、ヴィルマは遠慮なしに食べ続けていた。


「あの、パウル兄さん……」


「言うなよ……」


 内乱が起きるかもしれない場所に、十三歳の未成年を連れて行く。

 良くない事ではあるが、エドガー軍務卿の推薦なのでパウル兄さんにはどうにも出来なかったようだ。


「でも、この娘が今回の護衛で一番強いから」


「えっ! そうなんですか?」


「パウルさんの言う通りですね。この娘、ワーレン様でも勝つのに苦労する実力の持ち主ですから」


 腕自慢な他の護衛達から文句でも出るのかと思ったのだが、ジークハルトさんなどは、すぐにその事実を認めているほどであった。


「その娘、英雄症候群なんですよ」


「初めて会ったな」


 英雄症候群とは、一種の遺伝病とも言えるかもしれない。

 前世で似ている症状を探すと、ヘラクレス症候群であろうか?

 あくまでも、似ているだけであったが。

 体の筋肉密度が過剰な上に、その筋肉繊維に極小の魔力粒が効率良く絡み付く体質なのだそうだ。 

  

「導師ほどパワーは無いけど、極小の魔力で常人など圧倒するパワーを長時間発揮できる。燃費に限って言えば、導師など比べ物にならん」


 さすがに、ブランタークさんは知っているようだ。

 しかしヴィルマは、見た目には筋肉ムキムキに見えない。

 どこにでも居る、小さ目の普通の少女だ。


「(あっ、ルイーゼよりも胸が大きい)」


 というか、イーナともあまり変わらないかもしれない。

 言うと二人に殴られそうなので、何も言わなかったが。


 筋肉の密度に魔力が絡んでの体質の問題なので、英雄症候群は見た目では判別が付かないのだそうだ。


「だから、初級に毛が生えた程度の魔力でもその娘は強いのさ。対人戦闘能力に限って言えば、最強クラスだろうな」


 今回の件で戦闘があるとすれば、それは対人戦闘になる可能性が高い。

 だからこその、ヴィルマ嬢なのであろうと。


「英雄症候群は、一千万人に一人出るか出ないかだ。魔法使いよりも稀少なわけだな」

 

 魔法使い相手を除き、対人戦闘ではほぼ最強なわけだが、その代償として、過剰なカロリーを摂取しないとすぐに飢えて死んでしまう。


 生まれによっては、その才能を生かす前に飢え死にしてしまうそうだ。


「それで、お腹が減ったなのか」


「ご馳走様。これで落ち着けた。エドガー様から言われた。バウマイスター男爵様を守れと」


 この娘は、エドガー軍務卿の隠し札というわけだ。

 軍は女性への門戸が狭いし、彼女自身もまだ未成年でしかない。

 普通の仕事には使い難いが、俺の護衛としてなら使える。

 そういう事のようだ。


「なあ、エリーゼ」


「はい。アスガハン準男爵家は、代々軍人を輩出するエドガー軍務卿とも縁戚関係にある法衣貴族家ですね」


 ここで俺に死なれると困るのと、実家での事態解決後に手を貸して恩を売り、未開地開発の利権に食い込みたい。

 一見、軍人軍人しているように見えて、やはりエドガー軍務卿も大貴族であるようだ。


「もう一つ、エドガー様からお仕事を頼まれている」


「お仕事?」


「向こうは娯楽もない田舎だから、私がバウマイスター男爵の伽の相手をする」


「……。意味わかって言っているか?」


「何となく……。退屈させなければ良いと」


 貴族の娘だし、十三歳にもなれば理解しているはずだが、見た目と喋り方で理解していないようにも見え。

 というか、エリーゼ達の前でそんな事を堂々と言わないで欲しい。


 三人とも、冗談だと思って笑っている風に見えて、実は激怒しているかもしれなかったからだ。


「バウマイスター領は、お店すらないと聞いた。娯楽は、必要」


「どうせ、クルトのせいで退屈はしねえよ」


 これから実家で起こる可能性が高い混乱を解決すべく、ようやく決意を固めた俺なのに。

 まさか、こんな爆弾を寄越すとはエドガー軍務卿も相当なタマであるようだ。


 そして、この事態にエリーゼ達は……。





「可愛らしい娘ですね。保護欲を誘いますし」

 

 エリーゼは水筒に入ったマテ茶をヴィルマに渡しているが、先ほどの発言から、早速飼い慣らそうとしているようにしか見えなかった。


「エリーゼが、ちょっと怖い……」


「ううっ! ボクと同じような背丈。でも、胸がっ! 胸が圧倒的に!」


 イーナは新しい側室候補に溜息をつき、ルイーゼは良く見ると自分よりも胸が大きい年下のヴィルマに危機感を募らせているようであった。

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