幕間二十 魔導ギルド。
「魔導ギルドから招待状ですか?」
あの地獄の地下迷宮を何とか攻略し、ようやく褒賞などの件が片付いた頃。
俺はなぜかブランタークさんから、魔導ギルド本部から送られた招待状を受け取っていた。
「王都ブライヒレーダー辺境伯屋敷に、俺宛で送られて来てな」
「ブランタークさんって、魔導ギルドの会員なんですね」
「別に、好きでなったわけじゃねえぞ」
ブランタークさんは、俺に渡すはずの手紙を団扇のようにヒラヒラさせながら答える。
魔導ギルドとは、文字通りに魔法が使える魔法使いが所属するギルドである。
会員数は、約二千人ほど。
魔法使いの全数から考えると少ないようだが、地方の農民で火種を出せる程度の人は会員にはならないからで。
もう一つ、魔道具が作れる人は魔道具ギルドに所属してしまうので、その分も人数は少なくなっていた。
「あれ? 二つに所属は出来ないんですか?」
他のギルドだと、例えば俺は子供の頃に商業ギルドの会員証を発行して貰っていたし、今は冒険者ギルドの会員証も持っている。
他にも複数のギルドを掛け持ちしている人は多く、ギルド側も会員数が多い方が色々と有利なので、何も言わないのが普通になっていた。
それが、魔導ギルドと魔道具ギルドだけは兼任できない。
不思議な話ではあった。
「出来ないわけでもないんだが……」
昔はそれほど仲も悪くなかったそうだが、今はある理由で両者の仲は険悪になっているらしい。
「予算の配分でな……」
「金の問題は深刻ですね」
「そうだな」
ヘルムート王国が成立してから暫くして後、余裕が出来た王国政府は、古代魔法文明時代の優れた魔法技術を復活させるため、魔法技術の研究に予算をつけるようになる。
ところが、魔法使いは数が不足している。
いくら公の機関でも、そう簡単に人は集まらなかった。
そこで、魔道具ギルドと魔導ギルドの双方に予算を渡し、魔法技術研究を依頼するようになっていったのだ。
この瞬間から、両ギルドは半公的機関として世間に認知されるようになっていく。
「どちらが成果を挙げたかとか、予算配分とかで揉めてな。あとは、ごらんの有様さ」
微妙に情けない話ではあったが、珍しい話でもない。
どこの世界でもある、人間の性という奴であろう。
「魔導ギルドは魔道具ギルドに対抗すべく、会員数の増加を図ったわけだ」
もう一方の魔道具ギルドであるが、ここは魔道具が作れない人には用事のない組織である。
それも、少なくとも汎用の魔道具が作れないと会員になれないのだ。
よって会員数は少ないが、魔道具は世間から引っ張り凧なのでギルドの存在感は揺らぎもしない。
魔導ギルドとしては、高名な魔法使いを無理矢理会員にしてでも、魔道具ギルドに張り合う必要があるのだそうだ。
「心の底から、どうでも良いですね」
「俺も心底、そう思う」
魔法とは、基本的には個人で習得していくものである。
師匠がいる人も多いが、別に魔導ギルドなんか無くても生きていけるわけで。
黙っていると、誰も会員登録に来ないらしい。
そういう俺も、魔導ギルドの存在など記憶の片隅にも存在していなかったほどだ。
「師匠は、会員だったのでしょうか?」
「勝手に登録されたと言っていたな。俺も同じだけど」
「良くそんな組織が、半公的機関扱いされますね」
「共用魔法陣の研究を委託されているからな。少数だが、優れた魔法使いもいるんだよ」
共用魔法陣とは、魔法使い個人の思考・想像能力に頼っている魔法を、魔力があれば誰にでも使えるようにするための物である。
先日の、強制移転魔法陣と同じ物と言えば分かり易いであろう。
あのような魔法陣を他の魔法でも作り出し、最終的には魔力を篭めるだけで様々な魔法が発動する魔法陣集を作り出す事が目的なのだそうだ。
「なるほど、魔法陣の本を捲って使いたい魔法をのページを探し、それに魔力を篭めて発動と」
「そんな感じだな。少ない魔力は、魔晶石で補填するわけだ」
即応性には劣るが、複数が同じ魔法を同時に使える。
軍などでは、重宝されるかもしれない。
「ただ、古代魔法文明時代の魔法陣はなぁ……」
移転か強制移転が大半で、他の攻撃魔法などは、トラップ発動後にかなりの部分が消えて効果が無くなっている物くらいしか回収されていないそうだ。
「魔法陣に書く文字や記号に、意味不明な模様や絵に似た物と。パターンが複雑過ぎて、あまり成果は出ていないそうだ」
もう一方の魔道具ギルドの方は、徐々にではあるが成果を挙げている。
世間にそれなりの種類の魔道具が普及しているので、これは誰にでもわかる成果であった。
なるほど、魔導キルドが焦るはずだ。
「そこでだ。先日の地下迷宮攻略の際に新しい魔法陣を獲得し、それを売却してくれた坊主への感謝の気持ちと共に」
「会員にしてやると?」
「正解だ」
そんな理由で、俺とブランタークさんは王都の中心地にある魔導ギルドの本部を訪ねていた。
本部の建物は、事前の説明から想像した物に比べると立派なようだ。
そして、その対面に同じくらい豪勢な建物も建っている。
「それは、魔道具ギルドの本部な」
「嫌い合っているのなら、なぜ向かい合って……」
「先に引っ越すと、世間様に逃げた印象を与えるからだと」
「はあ……」
あまりにバカバカしい理由に呆れつつ、俺達は一階の受付で来訪目的を告げてから会長が待つ部屋へと移動する。
さすがに魔導ギルドは、トップが総帥などと言う大仰しい肩書きではないようだ。
「初めまして、ベルント・カールハインツ・ヴァラハです」
魔導ギルドの会長は、どこにでも居そうな普通の白髪の老人であった。
魔法使いなのでローブ姿ではあるが、あまり大した魔法使いにも見えない。
良くて、初級と中級の間くらいの魔力であろうか?
とりあえず、こちらも自己紹介をしておく。
「本日は、よくお越しいただきました。早速ですが……」
俺が最初にここで行ったのは、魔導ギルドへの会員登録であった。
会長が呼び鈴を鳴らすと、すぐに二十歳前くらいの若い女性職員が入って来て俺に会員証を渡す。
「あの、何か記入しなくても?」
「はい、バウマイスター男爵様の身元は確実ですので」
「そうなんですか」
ただ若い女性職員から会員証のみ渡され、手続きは終了となる。
どうやら、本当に入会して欲しいと思われると、必要事項の記入すら向こうで勝手にしてくれるようだ。
更に渡された会員証を良く見ると、そこには名誉役員という表記も見える。
いきなり、名誉付きとはいえ役員にされてしまったらしい。
「あの、名誉役員って?」
「はい、バウマイスター男爵様は優れた魔法使いですから」
要するに、魔導ギルドの宣伝のために名前を貸せという事らしい。
だが、その名誉役員とやらの仕事で時間を取られるのも嫌なので、これは断ろうとする。
だが敵も然るもの、すぐにこちらの意図を予想して反論してくる。
「名誉会員は本当に名前だけですので。お隣に居る、ブランターク殿を見ればわかると思いますが」
「俺も名誉役員だけどな。仕事なんて何もないぜ」
その代わりに、報酬なども無いらしいが。
更に、他のギルドのように会員費用なども一切無いそうだ。
あまり用事の無いギルドなので、年会費を徴収すると脱会する会員が増えるらしい。
しかし、話を聞けば聞くほど、何のためにあるのかわからない組織のように感じる。
「研究部門では、現在大車輪で魔法陣研究が進んでおりますです。はい」
俺達が見付けた、あの新しい様式の強制移転魔方陣の解析もそこで行っているらしい。
研究のために王国から出る補助金と、極一部の奇特な方からの寄付で魔導ギルドは運営されているそうだ。
「早速に、案内させましょう」
別に見たいとも思わないが、向こうがそう言うので。
先ほどの若い女性職員の案内で、研究部門がある地下階へと移動を開始する。
「ブランタークさん、あの会長なんですけど……」
言っては悪いが、どう見ても大した魔法使いには見えなかった。
なので、その理由をブランタークさんに聞いてみたのだ。
「そりゃあ、優秀な魔法使いなら現場に出るか、これから行く研究部門行きだからな」
結果、魔法使いとしては微妙だが、事務能力があったりする人が組織運営を行うそうだ。
なので、会長だからと言って、必ずしも優れた魔法使いなどと言う事もないらしい。
「あと、貴族の子弟の就職先な」
税金が投入されている組織なので、辛うじて魔力はあるけど現場で活躍するのは厳しい。
そういう人も、組織運営の方に入るそうだ。
「教育は受けているから、事務仕事とかは大丈夫なわけだな。あとは……」
ブランタークさんは、俺達の前を案内のために歩く若い女性職員を顎で指す。
王都に住む、辛うじて魔法使い扱いされる女性が、結婚するまで腰掛けで働くか、人によっては結婚後も職員として残るケースも多いそうだ。
「事務や管理部門なんて、基本お役所仕事だからな。魔法はあまり関係ないのさ」
「魔導ギルドって、つまり……」
優秀な人は、現場か研究部門へ。
そうでない人は、ギルド組織を運営する部門へと。
確かに、合理的ではあった。
「こちらになります」
お姉さんの案内で地下にある研究室に入ると、そこではいかにもな魔法使いの男女が、新しい魔法陣の試作や、解析などで忙しく働いていた。
魔力の方も、見た感じでは中級クラスも複数存在するようだ。
「ここが、魔導ギルドの心臓部なのさ」
言っては悪いが、今この上の階が吹き飛んで会長以下の職員達が全滅しても、全く魔導ギルドの運営に支障を来たさない。
彼ら研究部門こそが、この魔導ギルドの肝であると。
ブランタークさんは、小声で俺に説明をする。
「おおっ! 新しい魔法陣を売ってくれたバウマイスター男爵殿か!」
俺達の到着に気が付いた、一人の初老の男性が声をかけてくる。
白髪混じりのボサボサの髪を無造作にオールバックにしている、如何にも研究者と言った感じのその人は、研究部門のトップであるルーカス・ゲッツ・ベッケンバウアーだと名乗っていた。
「ブランターク。アルフレッドの弟子は、素晴らしい魔力の持ち主だな」
「だろう」
どうやら、この二人は知り合いのようだ。
お互いに気安く会話をしていた。
「よし、これほど魔力があれば。バウマイスター男爵殿、こちらに」
ベッケンバウアー氏は、形式通りに研究部門の案内などするつもりもないようだ。
俺の手を引き、自分が研究しているスペースへと強引に引っ張っていく。
「ブランタークさん?」
「こういう男なんだよ。所謂、研究バカ?」
俺の見立てでは、ベッケンバウアー氏の魔力は中級でも上の方だ。
普通に冒険者でもした方がよっぽど稼げるのに、魔導ギルドで研究に時間を費やしている。
ここに居る人達は、大半がそんな感じのようだが。
「これが先日、バウマイスター男爵殿から購入した魔法陣を改良した物だ」
「ブランタークさん、わかります?」
「いや、間違い探しみたいだな……」
集中して見ると眩暈が起こりそうな魔法陣の文様に、俺とブランタークさんは、自分達には魔法陣の研究など不可能だと感じてしまう。
「それで、これはどこに移動を?」
「いや、たまたまの成果なのだが、これは逆の効果が出る魔法陣の試作品でな」
「逆ですか?」
「うむ、逆にどこかからこちらに移動させる魔法陣なのだよ」
ベッケンバウアー氏の説明によると、この魔法陣は人や物をこの魔法陣の上に引き寄せる効果があるらしい。
「効果はわかりますが、どこの物を引き寄せるんですか?」
「その部分が、この魔法陣が試作品なわけでな」
普通の魔法と同じく、魔法陣を使う魔法使いの想像力にかかっているそうだ。
「ゴタゴタ説明しても意味が無いか。試しにやってみる事にしよう。このように……」
ベッケンバウアー氏が魔法陣の前に立ち、十秒ほど目を閉じながら集中する。
すると、一瞬だけ魔法陣が青白く光り、次の瞬間には何か白い布のような物が置かれていた。
「何、コレ?」
「パンツ……」
魔法陣の上には、白い女性用のパンツが置かれていた。
しかも新品ではなく、直前まで誰かが履いていたようにしか見えない物がだ。
「あの、ベッケンバウアーさん?」
「あの女性職員の履いていたであろう、パンツを移動させたのだ」
ベッケンバウアー氏からの衝撃の発言に、研究室内にいる人達の視線が全て、俺達をここに案内してくれた女性職員へと向かう。
突然、しょうもない理由で注目された彼女は、顔を真っ赤にさせながら怒りで体を震わせていた。
「このように、この魔法陣は引き寄せる対象物の大きさ、重さ、距離で必要魔力量が変わるわけだ。理論上は時間や次元も超える事が可能なのだが、魔力の消費量が桁違いに……」
「いきなり何をするんですか!」
真面目な顔で説明をするベッケンバウアー氏の頬を件の女性職員がビンタして、引っ手繰るように魔法陣の上のパンツを持ち去って行く。
あとには、頬にビンタの跡がついたベッケンバウアー氏が残されていた。
「ワシ、研究部門のトップ……」
「さすがに、あれはお前が悪いだろう」
ブランタークさんの正論に、俺達ばかりか他の職員達も同時に首を縦に振るのであった。
「面白そうな物ではありますか」
「偶然の産物という点において、研究者から見れば失敗作なのだが」
強制移転魔法陣を改良中に偶然誕生した、別の場所から物を引き寄せる魔法陣。
その威力を、俺とブランタークさんはまざまざと見せ付けられていた。
実験で履いていたパンツを取られ、その復讐でベッケンバウアー氏をビンタした女性職員を見送ってから、俺はその魔法陣に視線を送る。
しかし、いくら見ても前の魔法陣との差がわからない。
多分、俺では永遠に理解不能だと思われる。
「実際に、使ってみるかね?」
「良いんですか?」
「正直、そんなに成功率は良くないのでね。危険も少ない」
引き寄せる物とその位置を正確にイメージ出来ないと、ただの魔力の無駄遣いになってしまうそうだ。
ベッケンバウアー氏が、視界にある女性職員が履いていたパンツを標的にしたのにも、一応の理由があったのだ。
「男のパンツなど引き寄せても、何も楽しくないからな」
「納得は出来るけど……」
『なぜパンツに拘るのか?』という疑問だけが、俺に残ってしまう。
「そういえば、理論上は次元と時間も超越可能であると?」
「理論上はね」
次元とは、この世界にも他の良く似た世界パラレルワールドの概念が存在している。
何でも、古代魔法文明時代に異世界の産物を魔法で引き寄せたという伝承が残っているのだそうだ。
それが事実なのか、物語なのかは不明であったが。
「(ここに、その異世界から来た人間がいるんだけどね……)」
正確には転生なのか憑依なのかは不明であったが、確かに異世界は存在していると俺は断言できる。
信じて貰えるかは不明であったが。
「では、早速に」
そんなわけで、俺も試しに魔法陣を使ってみる事にする。
ただこの魔法陣の魔力消費量は、物の重さに距離を掛けた分なのだそうだ。
遠距離にある重たい物を引き寄せると膨大な魔力を必要とする。
しかも、イメージに失敗すると魔力だけ無駄に失ってしまう。
「という事は、時間や次元が違うと?」
「消費魔力は桁違いであろうな。ワシなら、目的を達せられずに魔力だけ消費して気絶する」
中級の上の魔力を持つベッケンバウアー氏でもそうなのだから、異世界から物を引き寄せるには相当な魔力が必要なのであろう。
第一、その対象物のイメージが出来ないと魔力だけ無駄にしてしまうのだ。
まずは、安全策で近場の物をイメージする事にする。
「何にしようかな?」
「バウマイスター男爵殿、ちゃんとイメージを固めてからにしないと……」
具体的に何にするのかを良く考えないで、魔法陣の前に立ち集中してしまったのが良くなかったのであろうか?
魔法陣が青白く発光した後、その上には先ほどと似たような物が置かれていた。
良く見ると、やはり女性用のパンツであった。
この世界にも、地球と同じような下着が普及している。
俺の実家のような田舎だと自作のカボチャパンツだったりするが、王都や都市部では専門の服飾店によって洗練されたデザインの下着も置かれているのだ。
これも、王侯貴族御用達とまではいかないが、それなりの値段がする下着のようだ。
「色は黄色で、女性用」
「パックに、ウサギ柄の刺繍ねえ……」
この下着の持ち主は、かなり可愛い物が好きなようだ。
「誰のなんだ? 坊主」
「さあ? 実は、屋敷の中の物をイメージしただけなので」
俺の屋敷の中にある物を何かとイメージしたので、これは誰かのタンスの中から引き寄せられた可能性が高かった。
「それだけのイメージで成功とは。さすがは、バウマイスター男爵殿。そして、このパンツは……」
ベッケンバウアー氏はそのパンツを手に取り、その温かさを確認していた。
本人は研究者としての目線で引き寄せられた物の確認をしているのだが、傍から見れば下着に執着するただの変態ジジイにしか見えなかった。
「ふむ、先ほどのワシのイメージも重なったのであろう。このパンツは、誰かが履いていた物で間違いない」
「えっ、そうなの?」
だとしたら、とんでもない事をしてしまった事になる。
なとと考えていると、いきなり研究室の扉が勢い良く開き。
室内に、一人の女性が乱入してくる。
その女性とは、今日は屋敷で休んでいるはずのイーナその人であった。
「ヴェル! 私のパンツ!」
「良くわかったな」
「いきなり履いているパンツが消えるなんて、魔法しかあり得ないわ」
更に、今日の俺が魔導ギルドを尋ねるという予定は知っている。
パンツを取り戻すために急ぎ魔導ギルドまで行くと、親切な女性職員がこの地下研究室に案内してくれたそうだ。
間違いなく、先ほどベッケンバウアー氏にパンツを取られた女性職員であろう。
「おおっ! いきなり初回で、上級貴族屋敷に住んでいる女性のパンツを召喚か。素晴らしい才能であるな。しかし、見た目はクールビューティー系なのに、パンツは可愛い系であるか。これは、ある種のギャップであるかと……」
「そんな事よりも! パンツを返せ!」
まだガッチリとパンツを握っていたために、ベッケンバウアー氏はイーナから強烈なビンタを貰ってしまう。
というか、この人はなぜこんなに無駄口が多いのであろうか?
まさに、『雉も鳴かねば撃たれまい』という奴だ。
「あの、イーナ」
「何? ヴェル」
「今度、下着を買うのなら付き合うから」
「……、まあ良いわ」
「坊主、惚れられてて良かったな」
イーナからの制裁を免れ、俺は心から安堵するのであった。
「ヴェル、今度はパンツ以外にしなさいよ」
「そういうコントロールには慣れていないんだよ。まだ二回目だし」
「慣れてなくても、パンツしか召喚できないなんて情けないじゃないの」
「改めて言われると、確かに情けない……」
ようやくパンツが戻って来たイーナも加わり、俺は次の召喚実験を開始する。
というか、いつの間にか実験になっているし。
召喚と呼ぶには、その成果は微妙とも言えた。
精々で、お取り寄せレベルであろうと。
「とにかく、パンツ以外で」
「わかったよ……」
イーナから強く言われながら、俺は再び自分の屋敷から何かを取り寄せるイメージを頭に思い浮かべる。
すると三度魔法陣が青白く光り、今度は黒い何かがその上に取り残される。
「ええと……」
その黒い物体は、俗に言うブラジャーと呼ばれる物であった。
「黒のブラジャー……」
「ヴェル……」
「いや、パンツじゃないし……」
「だからって、ブラジャーはないでしょうが!」
確かにイーナの言う通りなのだが、どこか思考がドツボに嵌っているらしい。
連続で下着を召喚とは、俺の品性が疑われてしまう話だ。
元から無いと言われれば、それまでなのだが。
「誰のなんだ?」
「ふむ、サイズは小さいな」
またベッケンバウアー氏が、黒いブラジャーを取ってマジマジと観察を始める。
重ねて言うが、これは研究者として真面目に召還物を観察しているだけである。
見た目は、ただの変態ジジイであってもだ。
「ヴェルぅーーー!」
そして、数分ほど後。
今度は、ルイーゼが研究室に乱入してくる。
やはり、とある女性職員が親切に案内してくれたそうだ。
「えっ! ルイーゼなのか?」
まさか、あのルイーゼが黒い下着を着けているとは。
少し言いたい事もあるが、それを口にすると大変な事になりそうなので言わないようにする。
ただ、またベッケンバウアー氏は空気が読めていなかったが。
「その幼い容姿で、黒の下着はまだ早かろう。それに、ブラジャーが必要な胸とも思えないが……」
「ふんっ!」
「あべし!」
ベッケンバウアー氏はルイーゼから往復ビンタを喰らい、頬のモミジの色を濃くしてしまう。
「あの、今度下着を買うなら付き合うから」
「ふーーーん、まあ良いか」
「坊主、惚れられてて良かったな」
再びルイーゼの制裁から免れ、俺は心から安堵するのであった。
「どうして、下着ばかりなんだよ」
「知るか。イメージの調整が難しいんだよ」
「ヴェルもいい加減にしないと、あのジジイみたいに変態扱いされるから」
「魔導ギルドの研究部長を、変態ジジイ呼ばわり……」
「状況的に、否定は難しいわな」
今度はルイーゼも加わり、やはり実験は続行のようだ。
二重のモミジを両頬に付けたベッケンバウアー氏は、俺に次の物を召喚するようにと言う。
「屋敷外にすれば良いじゃないの」
「でも、それだと迷惑がかかるだろう」
「屋敷内でも、私はパンツを取られたけど」
「ボクは、ブラを」
イーナとルイーゼに非難めいた視線を向けられたので、俺はこんな下らない実験は早く終了させようと決意する。
「(となると、なるべく遠距離の物がいいな)」
別に、無理に成功させる必要は無い。
遠距離から召喚しようとして、魔力だけ消費して終わっちゃった。
となるのが、この場合において最良の結果なのだと。
ちなみに、地球からの召喚は今の時点では危険なので止めておく。
俺は、常に安全策を模索する、そのために情況に流される事も多い男なのだから。
「ええと……。目標は、アーカート神聖帝国領で」
「なるほど、外国だから文句は出ないわけね」
イーナが感心した風に言うが、さすがに人が住んでいそうな場所からの召喚は厳しいはず。
そこで、先日見せて貰った地図を参考に、誰かの所有物ではない自然物の召喚を試してみる事にする。
「(アーカート神聖帝国領北方の海域……)」
アーカート神聖帝国は、リンガイア大陸の北半分を領有している。
そしてその北端には、南端部と同じく広大な海洋と島々が広がっているそうで。
そして、冬は極寒となるその海で獲れる海産物は、帝国中で大人気なのだそうだ。
以前に読んだ本によると、その産物は地球の北海道で採れる産物に酷似していると書かれていた。
あとは……。
「(実は、この魔法陣は便利とか? まあ、成功したらだけど……)」
などと思いながら魔法陣の前に立つと、また青白く発光してその上に何かが現れる。
「下着?」
「なわけあるか!」
俺はイーナに突っ込みを入れながら、魔法陣の上に現れた物体から急ぎ距離を置いていた。
「成功はした。だが……」
魔法陣の上に現れた物。
それは、地球で言うところのクロマグロという魚であった。
しかもご丁寧に、海の中で泳いでいた重さ二百キロ近い個体を召還してしまったらしい。
まだ生きているクロマグロは、元気に魔法陣の上を跳ね回っていた。
「イーナ」
「しょうがないわね……」
イーナは、俺が魔法の袋から取り出した槍を渡すと、素早くマグロに止めを刺す。
すぐにマグロは、魔法陣の上で動かなくなった。
「なるほど、今回は役に立ちそうな物を召喚したんだな」
「いや、ベッケンバウアーさんがそれを言いますか?」
正直なところ、最初にパンツを召喚した人には言われたくなかったのだ。
「まあ、良いではないか。早速に、食べよう」
「食べるのかよ!」
実は、リンガイア大陸において魚の生食は普通に行われている。
魔法の袋に入れると鮮度が落ちないので、内陸部にある王都や都市部などでは、高級食材として金持ちや王侯貴族に良く食べられているのだ。
ただ、ワサビは西洋ワサビに似た物で、醤油ではなく塩を付けて食べるのが普通であったが。
「やはり、新鮮な生の魚は美味いな」
食べるとは言っても、あれだけの大きさのマグロである。
解体などプロでないと出来ないので困っていたのだが、それを解決したのは、先にベッケンバウアー氏からパンツを奪われた女性職員であった。
何でも彼女は、実家が魚屋なのだそうだ。
実家から道具を借りると、手慣れた手付きでマグロを解体していく。
そして、上手く刺身に切り分けて皿に盛っていた。
「北方産のクロマグロで、重さは二百十三キロ。相場は、二十万セントほどですね」
突然の高級食材に、魔導ギルドに居た全員が集まって刺身を食べていた。
「えっ、そんなにするの?」
「はい、ヘルムート王国沿岸の海でも獲れますが、味は北方産の方が良いので」
北方産のクロマグロは、日本で言うところの大間のマグロに匹敵するブランドらしい。
更に、輸入品になるので値段が高くなるそうだ。
「なるほど。しかし、本当に美味い」
前世でも、これほど高級なマグロなど食べた事がないので、俺はその美味さに感動していた。
それと、刺身を食べるために提供した自作の醤油も好評なようだ。
「塩で食べるよりも、こちらの方が美味しいですね」
「こうなると、次の獲物が欲しくなるか」
今まではパンツのみ召喚していた魔法陣が、初めて人のお役に立てたのだ。
ここは魔力が続く限り、全力で召喚を続けるべきであろう。
「北方の海の幸を」
「だと思った……」
呆れるイーナを宥めつつ、俺は次々と北方産の魚介類を召喚していく。
地球のよりも大きいホタテに、バフンウニに似たウニ。
イカやタコですら高級食材なので、喜んでみんな食べている。
どうやら、悪魔の使いだとかそういう扱いはされていないようだ。
リンガイア大陸に住む人達にとっては、普段食べている動物の肉よりも海で獲れる海産物の方が高級品でご馳走というイメージが強い。
なので、突然始まった試食会は大人気となっていた。
「続けて!」
今度は、タイ、ヒラメ、カレイ、カンパチなど。
正式名称は違うそうだが、見た目はソレだし魚屋の女性職員も高級品で美味しいと言っているので問題は無いはず。
彼女は、次々と召喚される海産物を締めてから刺身に切り分け、それを魔導ギルド職員達が口に入れていく。
俺も、久々の海の幸に舌鼓を打っていた。
「さて。そろそろ皆がお腹一杯になったので」
「いや、それは関係ないので。というか、実験!」
「それは、わかっておるよ」
さすがに俺の魔力量でも、あと一回の召喚が限界になっていた。
周囲を見ると、刺身を食い尽くして満足そうな職員達の姿が見えるが、気にしないで最後の召喚を行う事にする。
ただ、残存魔力の関係で、あまり重たい物は召喚できそうになかった。
「距離を重点に置いて欲しい」
「わかりました」
ベッケンバウアー氏にそう言われ、俺はまた北方の海域から何か軽い物をとイメージする。
結局成功率は100%なようで、魔法陣の上には発光と共に何か小さな物が置かれていた。
「紫色の……」
「下着ですね」
「ヴェル!」
「何でまた下着なのよ!」
「知るか!」
北海の海にある海産物を標的にしたはずなのに、俺はまた下着を召喚してしまった。
イーナとルイーゼから非難されてしまうが、別に俺だって好きで下着など召喚していないのだから。
「なぜに?」
「海で船に乗っていた誰かという可能性があるな。しかし、この下着は……」
三度、ベッケンバウアー氏は下着を手に取って調べ始めるが、イーナに、ルイーゼに、件の女性職員のみならず。
魔導ギルドの会長ですら、ベッケンバウアー氏を怪訝な表情で見ていた。
「色は紫で、材質は絹か。なかなかのサイズのブラと、レースやスケスケがふんだんに使われている。縫製も、素晴らしいの一言だ」
「変態……」
イーナの言う通りで、本来魔法の研究家であるベッケンバウアー氏が下着に詳しいのは妙な気もする。
だが、ベッケンバウアー氏に言わせると、それはおかしくないのだそうだ。
「ワシの実家は、貴族御用達の下着専門の服飾店でな。自然と、下着の知識が」
「そんな知識が、自然に身に付くんだ?」
「実家に居る間は、半ば強引に家業を手伝わされたのでな」
魔法使いの才能は、遺伝しない。
故に、様々な階級や商売をしている家から突然現れるわけで、そのための悲劇とも言えた。
そして、そんなベッケンバウアー氏の微妙な過去すら地平の彼方へと吹き飛ばす、衝撃の事実が判明してしまう。
「この家紋は……」
「えっ? 下着に家紋ですか?」
ベッケンバウアー氏が、その下着に家紋が付いているのを確認する。
「王国でもそうだが、王族や皇族ともなれば、指定された御用達の品しか身に付けないのが普通。店側も、他の品と区別するために家紋を刺繍するのが普通なわけだ」
さすがは、もう魔法の研究家よりも、下着のプロフェッショナルのイメージが強いベッケンバウアー氏。
適切な解説を入れてくる。
「ちなみに、その家紋ですけど」
「ふむ、フィリップ公爵家の物だな。選帝侯にもなっている、アーカート神聖帝国では一二を争う大貴族家である」
世の中、知らない方が幸せな事もある。
というか、そんな大貴族家の女性の下着を奪ってしまうなど、下手をすれば外交問題にも発展してしまうであろう。
俺を含めて、全員の顔が一斉に青ざめる。
「あの、ブランタークさん」
「俺に聞くなよ」
「ベッケンバウアーさん?」
ブランタークさんからすれば、確かに知らないとしか言えないはず。
なので、この実験の責任者であるベッケンバウアー氏に尋ねると、彼は反射神経的に素早くこう答えていた。
「北方の海の幸を召喚する実験は無事に成功。下着? そんな物は知りません。そうですよね? バウマイスター男爵殿」
「はい、知りません!」
俺は、素早く下着を魔法の袋に仕舞う。
これで、完全に証拠は隠滅した。
今頃、とあるフィリップ公爵家の女性が北の海でノーパン・ノーブラになっていたとしても、それは俺達には関与できない事であった。
「本当に、良いの?」
「良くはないが、正直に陛下に言うのか?」
「言えないわね……」
俺の疑問に、イーナも口を閉ざす事を決めたようだ。
会長以下、他のギルド職員達にも緘口令が敷かれ、公式にはただ北方の海産物の召還に成功したという記録のみが残される事となる。
だが、後にその下着の持ち主と大きく関わる事になってしまうとは、さすがの俺でも想像できなかったのであるが。
そして翌日……。
「ただいま、お父さん」
「お帰り、デリア。ところで、一つ聞きたい事があるんだが」
例の白いパンツの持ち主にして、魚屋の令嬢兼魔導ギルドの職員であるデリアは、今日も仕事を終えて家に戻ると、父親である魚屋店主から質問を受けていた。
「なあに? お父さん」
「今日、バウマイスター男爵邸から大量注文が来たんだけど。お前、理由は知っているか?」
「お父さん直伝の腕前が認められたからよ」
「はあ?」
後年、デリア嬢は、バウマイスター領に魚屋を本店からの暖簾分けで出店する事になる。