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幕間十九 バウマイスター家嫡男の憂鬱。

「クルト様、今年度の徴税報告書でございます」


「ご苦労、そこに置いといてくれ」


「畏まりました」


 今年も、収穫の季節がやって来た。

 領内の畑から収穫された小麦に一定の税がかかり、その量を本村落の名主であるクラウスが計算し、集めて屋敷に隣接する倉庫に納める。


 集まった小麦は、貴重な現金入源でもある。

 山脈を越えてブライヒレーダー辺境伯領から来る商隊に売却され、彼らはそれを苦労して持ち帰る。

 売却価格にしても、少し本来の相場よりも色を付けてあるそうだ。


 こんな田舎の農村なので、日々細かく相場が変動する小麦の最新価格など俺には把握できない。

 領主の跡取りとしては失格なのかもしれないが、物理的にそれを知る方法がないのだ。


『(ヴェンデリン様がいれば、そんな苦労をしないで済むのに……)』


 先ほど、徴税報告書を置いて行ったクラウスが、以前にボソっと漏らした言葉だ。

 果たして、無意識に口に出してしまったのか?

 それとも、わざと俺に聞こえるように言っているのか?


 この男は、本当に油断がならない。

 親父ですら俺に、『クラウスには心を許すな』と言う。


 この徴税報告書だって、正確に計算しているのかすら怪しい。

 クラウスが、本村落の名主の身分と、親父から徴税業務の全てを任されている立場を利用して。

 ちょろまかした分を、ポケットに入れている可能性だってあるのだ。


『残り二つの村落の名主もチェックしている。それはない』


 親父はそう言うのだが、そのクラウスから若い妾を宛がわれて異母弟妹を無意味に増やした親父には言われたくない。


 親父は、いつもそうだ。

 

 先代ブライヒレーダー辺境伯に命じられるままに兵を出し、その大半が戻って来ないで、領内の人口と成人男性率を危機的な情況にまで追い込んだ。


 更に、それに文句すら言わず。

 足元を見て、まるで乞食に与えるかのように商隊をたまに送って寄越す、代替わりしたブライヒレーダー辺境伯のために開墾に大忙しであった。


 こんな田舎の領地に、ブライヒレーダー辺境伯領で売れる産物など。

 小麦くらいしかないからだ。


 貴族なのに、まるで開拓民のように土に塗れ、そうやってコツコツと貯めた金は全て。

 俺の結婚費用に、三男パウル以下の独立準備金として消えた。

 正確には、少しは残ってはいる。

 だが、それは万が一の時のためにとっておくのが貴族という存在であった。

 例え、それがうちのような貧乏貴族でもだ。


 そして、俺の結婚の直後から親父に変化が出た。

 

『俺ももう年だ。お前に任せる部分を増やす』


 今まで、バウマイスター家の当主として絶対権力を握っていた親父。

 その件については、特に文句があるわけでない。

 

 こんな何も無い不自由な田舎の僻地では、生きるために当主に絶対権力が必要だからだ。

 あとは、領民達の団結に。

 長子継承を基本とした、争いが起こらない代替わりであろうか。


 親父が長年、俺にあまり仕事を任せなかったのには理由がある。

 

 まずは、次男ヘルマンの存在。

 こいつは俺よりも腕っ節が強く、たまに訓練で領民達を率いても人気があった。

 見た目は怖いが、話すと面白い男なので領民達に人気があるのだ。


 小領の貴族家において、剣などの武芸や小集団の統率に長けた子供は人気が高くなる。

 ヘルマン程度の能力なら、王国全土には掃いて捨てるほど存在はしているが、それでも俺よりは優れている。


 長子相続の脅威になるわけだ。


『ヘルマン、お前は従士長の家に婿に出す』


『わかった』


 ヘルマンは、何も言わなかった。

 あいつは多少腕っ節に自信があっても、領主としては大した能力を持っていないと自覚していたからだ。


 そして次に問題になったのは、五男エーリッヒの存在であった。

 こいつは弓には優れていたが、貴族の嗜みである剣では俺以下。

 ところが、こいつは頭が良かった。


 十五歳くらいの頃に、奴はある騒ぎを起している。

 いや、起したのは親父とクラウスであろうか。


 クラウスが持参した徴税報告書を見た親父が、何を思ったのか?

 たまたま傍にいたエーリッヒに、その書類を見せたのだ。


 暫く書類を見ていたエーリッヒは、数箇所の計算ミスなどを指摘する。

 

『これは、私とした事が。お若いのに、エーリッヒ様は優秀なのですな』


 計算ミス自体は、大した物ではなかったらしい。

 少しだけ取り過ぎた税を、数件の家に返しただけだ。


 ミスを指摘されたクラウスは、素直に謝って集め過ぎた税を戻していた。

 この一連の騒ぎの流れが、クラウスの独断による物なのか?

 親父も絡んでいるのか?


 この頃の俺には、判断がつかなかった。


 それでも、次第に領内でこんな噂が立てば予想も可能になる。


『計画的な領内の発展を希望するのであれば、ここはエーリッヒ様が次期当主の方が良いのでは?』


 間違いなく、その噂はクラウスが流しているはずだ。

 だが、それを下手に追求すれば藪を突いて蛇が出かねない。

 それに、噂を流したのがクラウスだと言う決定的な証拠もないのだ。

 親父も俺も、徴税報告書を読んでその不備を見つけるなど出来ない。

 だが、親父は報告書を提出するクラウスの態度を見て何かがおかしいと感じて、計算なども出来るエーリッヒに見せた。

 

 間違い自体は、大した物ではない。

 クラウスも素直に謝って、すぐに取り過ぎた税を戻している。

 なので、あまり強く叱るわけにもいかないわけで。


 最終的には、クラウスがエーリッヒの能力を確認できてほくそ笑んだだけなのであろう。


 本当に、いちいち気に入らない男だ。

 

 それから暫く、俺はエーリッヒを警戒していた。

 親父に取り入って、次期当主になろうとしているのではないかと。

 

 その心配は、エーリッヒ自身が王都で下級官吏の試験を受けると宣言して杞憂に終わったわけだが。


 顔も良くて、領内の女衆にも人気で、弓が上手で、頭も良いエーリッヒという弟。

 正直、気に入らないのも事実であった。


 そして、極めつけの奴が出て来る。

 八男のヴェンデリンだ。


 親父が四十歳近くにもなって、しかも一つ年下の母に産ませた恥かきっ子。

 うちの経済状態で、妾の生んだ弟達を除外するにしても、俺からすれば溜息しか出てこなかった。


 年齢差を考えると、俺の息子でも不思議ではない弟なのだ。

 俺も、他の弟達も、次第に大きくなっていくこの八男とどう接したら良いのか迷ってしまっていた。 

 

 実際には、こちらの心配を他所に。

 三歳を過ぎた頃からのヴェンデリンは、父や母の言い付け通りに、大人達の仕事を邪魔しない大人しい子に育っていたのだが。


 毎日、父の書斎に篭って本を読んでいるようであったが、よく頭が痛くならない物だ。

 書斎の本など、エーリッヒが五歳頃から順番に読んでいた以外は、父ですらほとんど手を付けていないのに。


 書斎など貴族の見栄で設置されているに過ぎなく、何も無理に読む必要などないのだから。

 

 そんなヴェンデリンであったが、奴がもう少しで六歳になる頃から様子が変わってきたような気がする。

 エーリッヒの話によると、『魔法が使いたい』と言って書斎に篭っているようだ。


 確かに、書斎には魔法に関連した本があるし、判定用の水晶玉もある。

 王国が数少ない魔法使いを発掘するために、格安で貴族や教会に配布していたからだ。


 俺も、他の弟達も。

 当然、父から言われて幼い頃に判定を受けている。


 才能があれば俺の人生も変わったのかもしれないが、世の中にそんなに甘い話があるはずもない。


 他にも、領主としての義務で全領民にも子供の頃に判定が受けさせている。

 水晶に手をかざせばわかるので、大した手間でもなかったからだ。


 結果は、本村落に一人だけ存在はしている。

 ただ、その魔力は物凄く少なかったようで。

 農民のアーダムは、一日に数回小さな火種を出せるだけであった。


 家では、すぐに竈に火が付くので重宝はされているようだが、果たして彼を魔法使いと呼んで良いものなのか?


 アーダム本人も、『さすがに、それは……』と恐縮していた。


『クルト、どうやらヴェンデリンには魔法の才能があるらしい』


 小さな子供が、魔法使いを目指して懸命に修練に励む。

 才能がなくても、それを目指して健気に練習する姿は、小さな子供ならば微笑ましい光景なのであろう。

 

 そんな風に考えていた俺に、親父は衝撃の事実を伝えていた。


『どの程度なんだ?』


『今のところは、何とも……』


 しかし、次第にその可能性は大きな広がりを見せていた。

 子供なのに、狼や熊や猪も出るうちの裏森で、平気な顔をして狩猟や採集を行い。

 

 貴重なホロホロ鳥を、毎日持って帰って来るのだ。

 他にも、自然薯や野イチゴや山ブドウに、山菜や薬にもなる薬草なども。

 

 更に俺の結婚式の時には、エーリッヒと組んで大量の獲物を狩る事にも成功していた。

 いくら弓に長けたエーリッヒがいたとしても、その成果は尋常ではない。


 親父もそれに気が付いたから、ヴェンデリンとエーリッヒを組ませて誤魔化そうとしたのであろう。


 そして、エーリッヒが家を出てからは、父はヴェンデリンに行動の自由を与えていた。

 奴は、早朝に剣の稽古と朝飯を終えると、汚いマント風のコートを被り、一人でプラプラとどこかに出かけてしまう。


 いや、親父に言わせると魔法の修練に出ているのであろうと。


 一体、奴はどこまで出かけて何をしているのか?


 一度問い質そうとも思ったのだが、それは父に止められていた。


『ヴェンデリンは、魔法の力で十分に独り立ちが可能だ。あの子には、家を出るまで自由にさせておけ』


『そんな勿体無い! どんな魔法が使えるのかは知らないが、領内の開発に使えば良いじゃないか』


 普通の人なら、そう考えるはず。

 そんな俺の意見を、親父は即座に否定していた。

 しかも、俺を哀れんだ目で見ながらだ。


『ヴェンデリンを、お前が使いこなす? 何の冗談だ? それは?』


 親父は、続けて言う。


『例えば、ヴェンデリンがその魔法で領内で貢献したとする。開墾に道や用水路などの整備に。凶暴な害獣の駆除。いっそ、ヴェンデリンに狩猟と採集を全て任せても構わないな。領民達が自由に大量に肉が食えれば、増やした農作業に文句も言わないはずだしな』


 領民達が腹一杯肉を食べられて、商隊に売れば金になる小麦の栽培に労力を集中できる。

 もし、使える魔法がもっとあって土地の整備も出来るのであれば。

 開墾など、基礎はヴェンデリンに任せて、仕上げだけ領民達に任せれば良いのだと。


 聞けば聞くほど、とても良い考えのような気がするのだが。


『領民達はこう思うであろうな。ヴェンデリンが次期当主になれば、この領地も安泰であると。そこにお前の居場所はないわけだが、お前はそれでも構わないのか?』


『っ!』


『それは……』


『この国から戦争が消えて長い。ゆえに、王国は領内の安定を求めて貴族家の長子継承を推奨するわけだ。だが、それは絶対ではないのだぞ』


 長男があまりに無能な時や、次男以降に物凄く優秀な子供がいる時。

 他にも様々な要因が付随するので絶対とは言えないが、長子継承が崩れるケースも存在していた。  


『どうなのだ?』


 俺は、何も答えられなかった。

 自分は跡取りなので、将来が安定していて。

 どこか家を出て行く弟達を哀れみつつ、居残られると迷惑なので安堵もしていた。

 

 ところが、その立場がまるで逆になってしまうのだ。

 

 魔法が使えるヴェンデリンが次期当主になって、俺がここから追い出される。

 残れる可能性もあるが、二十歳近くも下の弟を当主と認めて頭を下げる。

 そんな事が、俺に出来るのであろうかと。


『ヴェンデリンは、真面目に勉強もしている。エーリッヒと同じように、読み・書き・計算と全て出来るしな』


 続けて親父から聞いたエーリッヒという言葉に、俺は内心で危機感を再燃させていた。

 

 そういえば、ヴェデリンに唯一普通に声をかけていたのが、エーリッヒであった。

 今も、定期的に手紙のやり取りや、誕生日にはプレゼントの交換もしているのを確認している。


『エーリッヒならば、ヴェンデリンが次期当主になっても嫉妬などせん。ヴェンデリンは、エーリッヒを優遇する。それに相応しい能力を持っているからな。逆に、エーリッヒが当主でもヴェンデリンは問題にもせん。エーリッヒも、ヴェンデリンを優遇するだろうな』


 その関係に、俺が入る余地などない。

 俺の唯一のアドバンテージは、長男に生まれた事だけだ。


 別に、俺など必要ないのだ。

 むしろ、二十歳も年上で兄の家臣など。

 使い難いので、出て行って欲しいはずであった。


『わかったな、クルトよ。お前は、穏便にヴェンデリンに出て行って貰い、自分は自分で領地を無難に治めていくしかないのだ』


『はい……』

 

 それは、自分でも理解はしている。

 だが、親父の話には、俺への哀れみの感情が誰にでもわかるほど滲み出ていたのだ。

 

 これ以上の屈辱などない。

 心の中で、親父への感謝以上に怒りの感情が沸き上がってくる。


『(親父、あなたの意見は正しい。物凄く正論だともさ)』


 だが、感情面では別だ。

 俺にも、欠片ほどでもプライドという物があるのだ。


『(従士長の家に婿入りしたヘルマンに。元から相続権すらない妾の産んだ弟達。こいつらを除いて、男子は全て家を出た。だからこその、実権の委譲か……)』


 親父は、年のせいだと言っている。

 これは事実なのであろうが、これから徐々に俺に領主としての実権を移し。

 時間をかけて、俺が次期当主になる事を既成事実化するのであろう。


 在地領主なので、多分親父が死なないと正式な継承は行われないはず。

 それでも、それまでには俺が事実上の領主になっている。


 そういう計画のようだ。


『わかりました、父上』


『お前はお前。弟達は弟達だ』


『はい(弟達か……)』


 正確には、エーリッヒとヴェンデリンだけなのであろうが、親父はそれを敢えて弟達と言い換えていた。

 親父は、俺に配慮したつもりなのであろう。

 だが、それすら俺には怒りの原因にしかならなかった。


『(親父の言う通りに、俺が早めに領内の実権を握るとするか。親父、あんたは衰えた。このまま耄碌して、年寄り特有の情でも沸くと厄介だ)』


 やっはり領民達のために、エーリッヒやヴェンデリンに跡を継がせるなどと言われたら堪らない。

 中年になった廃嫡貴族の子に、その家族と。

 世間に出て、まともにやっていけるわけがないからだ。


『バウマイスター本家の次期当主として、努力します』


 そんな経緯で、俺は親父から徐々に領主としての仕事を引き継いでいた。

 だが、問題は色々と多い。

 

 まずは、先年の出兵で家族を失った領民達のバウマイスター家に対する根強い不信感。

 彼らは、表面上は不満を漏らさずに開墾にも参加している。


 というか、親父は何を考えているのであろうか?

 その開墾の原資は、出兵で戦死した領民達にブライヒレーダー辺境伯が出したお見舞い金をピンハネした物である。


 普通ならば、働き手が減ったわけなのだから免除するのが当然だからだ。


 『今の我が領は、結果を出さねば意味が無い』と、親父は一切の減免処置を取っていなかった。

 そのおかげか、開墾は予定よりも少し早く進んでいる。

 だが、後でピンハネしたお金を返すつもりはないようだ。


 俺が返そうかと言うと、親父は顔を真っ赤にして激怒していた。


『バカ者! その返したお金が無くて、我が家が窮地に立ったらどうするのだ! ここは僻地なのだぞ! 中央も寄り親も当てにならん! 頼りになるのは、金だけなのだ!』


 あまりの剣幕に、俺は何も言えなかった。

 それに、俺自身もその発言に納得もしている。


 こんな僻地の貴族が頼れるのは、確かに金だけなのだ。


 次に、本村落と他の二つの村落の対立。

 この問題は、昔からの物であった。


 『うちこそ生え抜き!』と自称する本村落に、『偉そうに。お前らの先祖は、元はスラムの住民じゃないか。いらない農家の五男とかだった俺達と何の差がある?』と反発する残り二つの村落。


 加えて、普段から何を考えているのかわからない本村落の名主クラウスの存在と。

 こいつは、俺の前では隙を見せない優秀な名主である。


 だが、裏では何を企んでいるのか?


 こんな連中ばかり相手にしているので、ストレスは溜まりがちであった。


 更に……。


『ヴェンデリン様からよぉ。大豆とホロホロ鳥を交換して欲しいと頼まれたんだ』


『なんでぇ、えらく有利な交換レートじゃねえか』


 親父の命令で、お互いに不干渉を決めた弟ヴェンデリンであったが。

 こいつは、昼間に何をしているのかまるでわからない。


 一度、後を付けようかと思った事もあるが、そんな事を次期当主がするものではないと止めていた。


 親父に言うと、『魔法の修行なんだろう。ヴェンデリンの自立の邪魔をするな』と言われてしまう。

 

 正論ではあるのだが、こいつはたまに俺を苛立たせる行動をしてくる。

 

 まずは、自分で狩った獲物を領民達と交換し始めたのだ。


 一体何に使うのかは知らなかったが、大豆とホロホロ鳥とか、大豆と猪や野ウサギとか。

 ホロホロ鳥はなかなか取れないので貴重だし、猪や野ウサギは一頭丸々なので、毛皮も付いていて領民には好評なようだ。


 なので、今度は誰が交換をするかで、領民達が順番をちゃんと決めているらしい。

 

 家を出る分際で領民に媚を売るなど、小賢しいガキだと俺は思っていた。


『親父、ヴェンデリンに言って止めさせるからな』


『止めた方が良いと思うがな』


 もうなるべく俺に命令したくない親父は、かなり消極的に反対意見を述べていた。


『ヴェンデリンが、無料で獲物を配っているのならば問題だ。だが、交換では文句も言えん。それに、ヴェンデリンが出て行けば終了する取り引きだぞ』


 親父に言わせると、交換レートにおかしな点も存在していないそうだ。

 多少の細かい変動はあるものの、ブライヒブルクの交換相場よりも少し安いくらい。

 それに、畑の間などに植える大豆は、税の対象にもならない家畜の餌でしかない。


 俺が文句を言って止めさせれば、当然領民達から不満が出てしまう。

 

『領民達には、じきにヴェンデリンは領地を出ると言ってある。取り引きが、期限付きである事も理解している』


 それに、この取り引きは娯楽の一種でもあるのだと。

 年に三回しか来ない商隊からしか物を買えない領民達が、物々交換とはいえ買い物を楽しめる数少ない機会を、次期領主である俺が止めるのは拙い。

 

 そのくらいの事は、目を瞑って放置する度量も時には必要なのだと。

 確かに、後にヴェンデリンが領地を出たら騒ぎは収まっていた。


 いや、元々騒ぎにもなっていない。


 領民達が、ホロホロ鳥と大豆を交換できなくなって残念がった程度だったのだ。


 他にも、俺の嫁の件もあった。

 他領から嫁いでいる俺の嫁は、実家に年に一度手紙を出している。

 商隊に、ブライヒブルクのギルドに出して欲しいと手数料込みで依頼するのだ。


 年に一度なのは、こんな僻地からの郵便なので代金が高いからであった。

 いくら次期領主の妻でも、万が一に備えて普段は質素に暮らしていかなければならない。


 可哀想だとは思うのだが、これもこんな領地に嫁いだ宿命でもあると俺は思っていたのだ。

 

 ところが、またヴェンデンリンが余計な事をしたようだ。


『父上。義姉さんの手紙くらい、年に三回出しても構わないのでは?』


 エーリッヒという理解者を無くしたヴェンデリンは、今では俺の嫁と良く話をしているようだ。

 別に俺とて、二人が只ならぬ関係とか疑っているわけではない。

 ヴェンデリンなど、まだ子供なのだから。


 外部の生まれで、うちよりは教育水準の高い嫁と。

 何が楽しいのか?

 子供の頃から、難しい本を読んでいたヴェンデリンの話が合ったというのが真相なのであろう。


 そんな話の中で、嫁が手紙を年に一度しか出せない事を知り、親父に意見を言ったようだ。


 費用の問題があるから、俺も仕方なしに一回にしていたのだ。

 しかも、それを俺ではなくて親父に言う点が小賢しい。

 更に、親父はヴェンデリンの意見を受け入れた。

 

『こんな僻地まで嫁に来ていて、娯楽など碌にないのだ。手紙くらい、定期的に出させても構うまい』


 実権は徐々に俺に譲りつつあったが、今でも親父が領主なのだ。

 そう言われると、俺に断る術は無い。

 

 嫁も控えめではあるが喜んでいるので、賛成せざるを得なかった。

 その控えめな喜びも、俺に気を使ってなのであろう。


 一番肝心な費用であったが、それもなぜか親父が出す事になっていた。

 親父は領主なので、普段は全く使わないが自分で自由に使えるお金をキープしている。

 

 そこから出したのかと最初は思ったのだが、後にヴェンデリンが出している事を知って余計に腹が立った。

 商隊が換金してくれる、嵩張らない稀少な薬草などをそっと親父に渡していたそうだ。


『俺は、ブライヒブルクの冒険者予備校に行きます』


 年数は経ち、ようやくヴェンデリンは家を出て行く事となった。

 予定では成人後だったのに、奴は都合良く十二歳で入れるブライヒブルクの学校に入学するそうだ。


 これで、ようやく一番の邪魔者が消える。

 俺は、心の中で大喜びしていた。

 

 周囲には、年下過ぎて話すらしない交流の無い弟というイメージで通っている。

 しかし実際には、俺の立場を奪う可能性がある敵でしかないのだから。


 多分、親父は俺の本心に気が付いているのであろう。

 これで将来の揉め事を防げたと、安堵しながらヴェンデリンを送り出していた。


 そして、これでようやく俺が次期領主としての地位を確立できるのだ。

 クラウスが何を目論もうと、担ぎ上げる神輿が無ければ意味が無いのだから。


 だが、数ヵ月もすると、再び奴は俺の心を掻き乱すようになる。

 

 あの良い子ちゃんのエーリッヒが、王都で認められてとある騎士爵家に婿入りすると、本人から手紙が来ていた。

 ここで普通ならば、婿入りする家に祝儀を送る必要があった。

 家を貰うので、相当な額を出す必要があるのだ。


『親父、まるで足りないぞ』


 ここが王都から近ければ、何とかなるのだ。

 祝儀は、全てが現金や宝石である必要はない。

 領内の特産品である小麦に、狩りで得た獲物の毛皮などでも構わないからだ。


 ところが、王都との距離を考えるとそれは不可能だ。

 そんな嵩張る物を輸送などしたら、運賃で余計に出費が増えてしまう。

 ならば、現金と宝石だけを持参した方がマシだ。


『仕方がない。ブライヒレーダー辺境伯から借りて……』


『はあ? 正気か? 親父』


 そもそも、我が領が困窮する原因を作ったのは、そのブライヒレーダー辺境伯なのだ。

 それなのに、また借金をして利息まで搾取される?


 いくら相手が大身の貴族でも、なぜそんな横暴になぜ耐えなければならないのだ。


『しかしだな。それが貴族の……』


『常識か。親戚からの援助金を返さないで無視したうちが、貴族の常識?』


 困窮具合も極まると、逆に笑えてくるものらしい。

 元から貴族の常識など無いうちが、ここでまた貴族の常識に立ち戻ってどうすると言うのか?

 王都の貴族で、うちを知っている連中が何人存在しているのか?  

 

 悪評なんて物は、相手がある程度有名だから周囲に拡散するもので。

 うちが祝儀を払わないくらいで、果たして誰が困るというのであろう。

 

『ブライヒレーダー辺境伯が困る』


『なら、余計に好都合だろう』


 文句があるのなら、貴族に相応しく攻め込んで来れば良い。

 数千人の軍勢で山を越えてうちに攻め込んでも、ブライヒレーダー辺境伯はお荷物を抱え込んで損しかしないので、絶対に攻めてなど来ない。


 これは、俺の確信でもあった。


『それに、エーリッヒの祝儀も黙って出すだろう』


 寄り子の恥は、寄り親の恥でもある。

 精々、あの若き知性派辺境伯様に出させてやれば良いのだ。

 あの辺境伯は、噂に聞けば自分と似ているエーリッヒを気に入っていたらしい。


 きっと、喜んで出すはずだ。


『クルト……』


『親父、ハッキリと言わせて貰う。うちは、王国でも最下位に近い貴族なんだぞ。これ以上評判など落ちないし、這い上がるには人と違う事をしないとな』


 そのためには、金だ。

 何を言われても金を貯めておき、余計な出費などはしない。


 金さえあれば、王都のクソみたいな貴族にも取り巻きが付いて賞賛されもする。

 これが、この世の真理であったからだ。


『パウルとヘルムートに手紙を……』


 可哀想に、あの二人にそんな金など出せるはずもない。

 親父、あんたは老いたな。

 これからは、俺の好きにやらせて貰う。


 その後、エーリッヒやブライヒレーダー辺境伯がどうするのか見物ではあったのだが、生憎とここは僻地で情報が遅い。

 それに、余計な出費は間逃れたのだ。


 それだけで良しとしよう。

 

 そう思っていた俺に、またとんでもない情報が飛び込んでくる。


 あのヴェンデリンが、エーリッヒの結婚式に参加するために王都へと向かう途中。

 なぜか出現した、アンデッド古代竜を退治したというのだ。

 しかも、その功績で物凄く名誉な勲章を貰い、準男爵に任じられたそうだ。


 これも商隊が情報を持ち込んだのだが、この知らせに領民達は大喜びしていた。

 だが、その喜びは無意味である。

 

 ヴェンデリンは、貴族として新しい一家を立ち上げてしまったからだ。 

 当然、もううちの相続に関われる立場にない。

 

 エーリッヒも、ブラント家という法衣騎士爵家を継ぐのでうちの相続に関われない。


 全く関係の無い貴族の話なのに、領民達は大喜びしている。

 

『(お前達には、一セントの利益も無いんだぞ)』


 そう言ってやりたくなる。

 それよりも、うちの領民達を煽るヴェンデリンである。


 こいつは、本当に祟ってくれる。

 俺の邪魔ばかりしてくれる。

 

 精々、中央の欲深い貴族達に利用されて死ねば良いのだ。

 そう、死ねばよいのだ。


 なるほど、これが俺の本心であったようだ。

 判明すると、意外とスッキリとするものだと思っていた。


『クルト。うちはうち。ヴェンデリンはヴェンデリンだぞ』


 親父がそう言うが、あんたはもう黙って孫の面倒でも見ていれば良いのだ。

 

 とっくに、あんたの時代は終わったのだから。


 しかし、それから二年半。

 あの憎たらしい、ヴェンデリンの快進撃は続く。


 王宮筆頭魔導師と共に、パルケニア草原という魔物の領域でグレードグランドという老属性竜を倒し、その領域を開放。

 物凄く名誉な二個目の勲章を貰い、男爵へと陞爵して、教会有力者の孫娘と婚約した。


 他にも、公爵と決闘をしたり、悪霊だらけの屋敷を幾つも浄化したり、共に竜を倒した王宮筆頭魔導師の弟子になったり。


 こいつは、とにかく話題が尽きない。

 間違いなく、寄り親になったブライヒレーダー辺境伯も絡んでいるのであろう。

 商隊が来る度に、連中はその事が面白おかしく書いてある、ブライヒブルクで配られた号外を持って来るのだ。


 娯楽に飢えた領民達はそれに飛び付き、そこでヴェンデリンの活躍を知る事となる。

 中には、武芸大会で一回戦負けという記事もあったが、それでヴェンデリンの評判が落ちるはずもない。


 何でも出来る完全無欠の人間よりも、どこか駄目な部分があると人は逆に共感したりするからだ。

 

 他にも、ヴェンデリンの婚約者であるエリーゼとか言う小娘や、側室になる予定のブライヒレーダー辺境伯の陪臣の娘達の姿絵とか。


 領民達は、ブライヒレーダー辺境伯の思惑通りに、ヴェンデリンの情報を貪り読み、その将来に期待するようになるのだ。


 嫌な事をする辺境伯だが、こいつは多分俺の排除を狙っているのであろう。

 自分で排除するのは手間だし気が引けるが、多数の領民が父に直訴する可能性もある。


 その数があまりに多い時、果たして父は長子継承に固執するであろうか?


 父とて、小なりとはいえいち領地の領主で、一家の当主なのだ。

 時に、非情な決断をする可能性もあった。


 そしてその際には、切られるのは間違いなく俺のはずだ。


『親父』


『いや、わざわざ人の家の継承順位に寄り親と言えど、そう簡単には首を突っ込むはずがない』


 親父は、ブライヒレーダー辺境伯が俺の排除は狙わないと予想していた。

 それよりも、他にもっと有効な手があると。


『あの手付かずの、広大な未開地がある』


 我が家も含めて、誰も開発できないで放置されていたあの膨大な未開地。

 先祖が欲を張って王国に申請し、王都の役人が面倒なのでうちの領地で問題ないと放置していたあの土地が、ヴェンデリンに分与される可能性があると。


『申請から百年以上、何も開発していないから取り上げられても文句は言えまい』


 幸いにして、ヴェンデリンには金がある。

 寄り親である、ブライヒレーダー辺境伯の援助も期待できる。  

 中央の欲深貴族達に、教会も手を貸すであろう。


 うちのように、手を出す余力が無いわけではないのだ。


『もしそうなっても、うちは現状維持だ。仕方あるまい』


 親父はそうは言うが、あの未開地はうちの物だ。

 開発をしなかった怠慢など、百年以上も放置していて今さらであろう。

 そんな物は、うちから未開地を取り上げる口実にしか聞こえない。


『俺が無理でも、子供達か孫達かひ孫達が!』


 時間はかかっても、開発が進んでバウマイスター家が大貴族家になれる希望を奪う王国に、魔法しか能の無いヴェンデリン。


 しかも奴は、その功績を利用してエーリッヒのみならず、パウルとヘルムートまで従えているそうだ。


『あいつらは四人で、俺の居場所と未来への希望を奪うつもりか!』


 その怒りは、日が経つにつれて激しくなっていく。

 だが、うちの嫁のようにヴェンデリンの事を良い義弟だと思っている者も多い。

 子供達も嫁から話を聞いて、『竜殺しの英雄に会いたい』と無邪気に言っているそうだ。


『(だがな。そのヴェンデリンは、お前達の将来を奪うかもしれないのだぞ)』


 俺の鬱屈は、ヴェンデリンが成人してからも続く。

 いや、もっと酷くなっていったのだ。


 そしてそんな時に、予想外の客が来訪する。

 商隊以外に人が来た事が無い山脈を越えて、一人の冒険者が手紙を持って現れたのだ。


 その冒険者は、王都で会計監査長をしているルックナー男爵の使者だと自己紹介していた。


「この手紙を届けるようにと。いやはや、噂には聞いてしましたが」


「そうだな。噂通りの田舎なのさ」


 手紙の封を開けると、そこには成人して冒険者になったヴェンデリンが、攻略困難な地下遺跡からもう一週間も出て来ない。

 前に派遣した二組の合同パーティーも全滅しているので、死んでいる可能性があると書かれていた。


「死んだ? ヴェンデリンがか?」


「可能性は高いですね。それで……」


 手紙には、続けてこうも書かれていた。

 死んだバウマイスター男爵の爵位と遺産を、果たして誰が相続するのか?


「貴殿には、この騎士爵領がありますね。なので、貴殿のお子のどちらかがという可能性も」


「それは、本当なのか?」


「ええ、バウマイスター男爵はまだ未婚です。婚約者はいますが、結婚もしていないし子もいない。同じ候補として兄達もいるのでしょうが、彼らは爵位があるか、貰える予定にありますから」


 エーリッヒはともかく、パウルやヘルムートはヴェンデリンに媚びて爵位を貰ったクズだ。

 あとは、三人の子供が候補として上がるが、継承順位で考えると俺の子の方が順位は上になる。

 

 もし爵位と遺産が継げれば、未開地の開発に手が出せる。

 うちは将来、男爵にでも子爵にでも。

 伯爵にだって、辺境伯だって、夢ではないのだ。


「(俺にも運が向いて来たな。さてと……)」


 今までの俺であったら、すぐに親父に相談でもするのであろう。

 だが、今の俺は違う。


 それに、多分あの親父の事だ。

 王都とここのタイムラグとか、情報元が信用ならないとか言って自制しろとか言うのは想像の範囲であった。


「(そんな事は、わかっているさ……)」


 ヴェンデリンが実際に死んでいるなど、確率で言えば半々かそれ以下のはず。

 それよりも重要なのは、魔法に優れて王都で大活躍。

 王都で時の人であるヴェンデリンに、明確に敵が存在するという事だ。

 

 それも、王都で会計監査長という正式な役職に就ている男爵が最低でも一人。

 他にも、もっと存在するかもしれない。


「(ヴェンデリンの遺産、未開地の利権。少なくとも、ルックナー男爵には食い付いて貰わないと……)あのヴェンデリンが、まさか! 急ぎ真偽を確認しませんと!」


「確かに。ですが、クルト様も領内の統治でお忙しいでしょう。そこで、我が主にお任せいただけたらと」


「おおっ! 男爵様が、お手を貸してくださるとは光栄な」


 そこまで言うのなら、任せてやる。

 着飾って、口ばかりで、地方の領主など普段は田舎者と見下している中央の法衣貴族に、何が出来るのか?


 そして、それと同時にある考えが脳裏を占めるようになる。


「(ヴェンデリンが死んで、その遺産で未開地の開発に着手できれば……)」


 俺の、次期領主としての権力は増大する。

 親父だって、俺を哀れんだ目で見なくなるはずだ。


「(問題は、こいつの主人がどう考えているはずだが……)」


「これからも、定期的に王都やバウマイスター男爵の情報をお伝えしますので……」


 定期的にとは言うが、この距離では情報が一ヶ月以上も遅れてしまう。

 そこが、この辺境領地の悲しい部分でもあったが、そんな事は今更であるし、今までずっと我慢してきた事だ。


「(ルックナー男爵が、ヴェンデリンの暗殺でも引き受けてくれれば良いんだがな。そんな虫の良い話は無いにしても、何とかヴェデリンから金を毟り取る方法でも無いものか……)」


 可能性の問題はともかく。

 そんな事を考えていると、普段のストレスばかりが溜まる領内統治よりも圧倒的に心が躍る自分が存在するのであった。

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