幕間十 桃色カバさん。
「なぜに、この四人で?」
「うむ、今回の魔物は少し厄介なのでな」
「魔物ですか? 俺は、未成年ですよ」
「カテゴリーは魔物ではあるのだが。この『桃色カバさん』は、領域に住んでおらぬのでな」
陛下からの命令で、王都での冒険者見習い修行を開始してから数ヶ月。
今日は、いつもの厳しいアームストロング導師との特訓も無く、このまま休みかと喜んでいたのに。
なぜか、王都郊外にある森にまで付き合わされてしまう。
メンバーは、同じく強制徴集されたブランタークさんとエルで合計四人。
イーナはいつも通りに槍術の修行を、ルイーゼはアームストロング導師から居残り特訓を命じられて残念そうな顔をしていた。
しかし、安心して欲しい。
別に、俺もアームストロング導師も、遊びに来ているわけではない。
また未成年なのに、魔物と関わる仕事に付き合わされていたのだ。
「『桃色カバさん』かよ。俺、帰って良いか?」
ブランタークさんほどの元ベテラン冒険者でも、この『桃色カバさん』の相手はゴメンらしい。
名前からして、ファンシーな感じのカバという印象しか受けないのだが、もしかすると物凄い必殺技でも持っているのであろうか?
というか、なぜに正式名称に『さん』が付いているのであろうか?
激しく、命名者に問い質したい気分であった。
「冒険者ギルドの面々は全て断った由に、我らにお鉢が回って来たのである」
なぜにそんな依頼を、冒険者見習いの俺とエルにやらせるのか?
俺の考えを見透かしたかのように、アームストロング導師は説明を始める。
「討伐依頼ではないのである。これは、保護依頼なのであると」
「保護ですか?」
更に、説明は続く。
この『桃色カバさん』という魔物は、魔物の領域ではなく普通の森の綺麗な泉などに住んでいるそうだ。
大きさはポニー程度で、色はその名の通りに全身ピンク色。
雌しか存在せず、単体で卵を産んで繁殖する。
寿命は竜に匹敵するという記録もあり、要するに物凄く長生きなのだそうだ。
当然それに比例して、滅多に卵は産まない。
生息数も非常に少なく、現在王国では保護動物に指定されているそうだ。
「保護動物ですか? 保護魔物ではなくて?」
「別に、どちらでも構わねえよ。厄介なのには違いねえ」
まさか、この世界で動物保護の概念があるとは思わなかった。
しかも、その保護が厄介な仕事とは。
ブランタークさんほどの人が嫌がるなんて、よほど面倒なのであろう。
「卵の殻が、大変に貴重な薬の材料になるのである!」
「薬ですか?」
「不能治療の特効薬なのである!」
そのため、王侯貴族はこぞって『桃色カバさん』を確保もとい、保護しているのだそうだ。
気持ち良く卵を産んで貰い、孵化後に殻を譲って貰うために。
「今回、我らが保護する予定の個体が、予定よりも早く卵を産んでしまったのである」
「産卵後かよ。大丈夫か?」
「危険なんですか?」
「唯一、危険なタイミングだな」
『桃色カバさん』は、普段はとても大人しい魔物なのだそうだ。
魔物のカテゴリーには入れられているものの、猪なんかよりもよっぽど大人しく。
森にある綺麗な泉で、その近場に生える草のみを食べる。
危害を加えられなければ、向こうから襲って来る事など絶対に無いらしい。
ただ、産卵後には卵を守ろうとして凶暴になるのだそうだ。
そういえば、前世でいたカバも実は意外と凶暴な動物であると聞いた事がある。
「凶暴っても、別に突進とかして来ないんだよ」
「威嚇するくらいですか?」
「そのくらいなら、誰も依頼を断らねえよ」
ヒントは、卵の殻が不能治療薬になるという部分であった。
「『桃色カバさん』は、自分や卵に害を為そうとする敵に特殊な術を使うんだ」
催眠術と幻術を組み合わせたような、精神攻撃を仕掛けて来るらしい。
「精神攻撃ですか?」
「これが、どんな魔法使いにも防げ無くてな……」
その内容も、極めて悲惨な結果を齎すため。
今回、女性陣は参加をご遠慮願ったそうだ。
「男なら、被害に遭っても良いと?」
「そう言うなよ。もしかしたら、坊主は魔法で防げるかもしれないと」
「左様、某も前に魔法防御に失敗し、色々と大変な目に遭ったのである。出来れば、参加したくはなかった! だが、アルフレッドの弟子である少年がいる! 某は、それに賭けたのである!」
「……(物凄く嫌な予感がする……)」
目標の『桃色カバさん』は、その森の奥にある泉の傍にいた。
集めた草で巣を作り、そこで卵を守っていたのだ。
「保護って、別の場所に連れて行くんですか?」
「左様、王国が準備した特別保護区へと連れて行くのである。さあ……」
だがそこで、厳つい筋肉達磨であるアームストロング導師が前に出てしまったのが良くなかった。
卵を奪われると思ったのか?
『桃色カバさん』は、卵を俺達から隠すように前に出てから、こちらをその小さな目で見つめ始める。
「あれ? 威嚇も無し?」
だがそれは、俺の認識不足であった。
その間にも、『桃色カバさん』の視線は動かないままであり、次第にこちらの方が無意識に、その小さな目に視線を合わせようとしてしまう。
「拙い……。これは……」
どうやら、俺達は罠に填まってしまったらしい。
次第にどうやっても、『桃色カバさん』から視線を逸らす事が出来ず、頭がボンヤリとして来て、最後には視界の端から桃色の霧のような物が確認されるまでになっていた。
「やっぱり、坊主でも駄目か!」
事前に、睡眠魔法などを防ぐ防御魔法を発動させていたにも関わらず、それらは全く効果が無いようだ。
次第に、俺達の体の自由が奪われていく。
「くっ、体が動かない!」
「仕方が無いのである。ここは覚悟を決め、後の結果に皆と神の寛容を祈るのである」
「そんな言い方があるか!」
ブランタークさんが、導師に文句を言っている間に。
次第に視界を染める桃色の量が増えていき、そのまま俺達は意識を失ってしまうのであった。
「起きて、信吾君」
「あれ? ここは?」
俺が目を醒ますと、そこは森の中ではなかった。
もう二度と見るはずがない、平成日本の夕方の教室。
更に、自分の姿を確認すると高校生時代の制服姿で、顔などの見た目もそれに準じた仕様になっていた。
黒髪・真ん中分けで、中肉中背で普通の顔をした眼鏡モブ生徒。
これが、俺の高校時代であった。
「どうかしちゃったの? 信吾君」
続けて、俺を起した同じ制服姿の女性を見ると、彼女には物凄く見覚えがあった。
高校時代において、俺が好きになった女性。
県立桜ヶ丘高校のアイドルである、伊集院静香さんであったからだ。
生徒会長にして、文武両道。
それでいて性格も良く、同級生や後輩からも慕われ。
多くの男性がラブレターを送ったり告白して、見事にフラれている。
俺はと言うと、それすら出来ないで彼女を見ていただけだ。
当然、ほとんど会話などした事もないはずで、それなのに彼女の方から声をかけてきたのだ。
「いや、何でも。ええと、そろそろ帰ろうか? 伊集院さん」
「信吾君、静香って呼んで」
「えっ? マジで」
今の俺はヴェンデリンではなく、一宮信吾として行動する事に全く違和感を覚えていなかった。
エル、ブランタークさん、筋肉導師と共に魔物の保護に森に出かけているはずなのに、今のこの情況をおかしいとは思わないのだ。
「ええと……。静香」
「はい、信吾君」
高校時代には、碌に会話すらした事が無い憧れのアイドルであった彼女。
その彼女を、呼び捨てで呼んでいる自分。
次第に、顔が熱くなって来るのが自覚できるほどであった。
「信吾君」
「はい」
「もうみんな、帰っちゃったね」
時間は夕方の六時半で、残ってるのは部活でグラウンドに居る連中くらいである。
もう教室には、二人しか残っていなかった。
「だからね」
そう言うと、彼女は俺に顔を向けてそのまま目を閉じる。
「(これは! これは、ひょっとすると!)」
彼女は、俺にキスをして欲しいのだと。
もしかすると、目にゴミが入った可能性もと考えてしまうのは、俺がやはり非モテであったからであろう。
放課後の教室でキスなど、物語以外では都市伝説だと思っていたからだ。
「(しかし、ここで慌てては思わぬ失敗が! 一旦深呼吸をしつつ……)」
さすがは、非モテな俺。
既に心の中は、世界大戦勃発直前並の大喧騒に包まれていた。
だが、女性にここまでされたら、後は自分からキスをするのみである。
「(生きてて良かった!)」
そう思いつつ、俺も目を閉じて彼女と唇を重ね。
続けて、二人はお互いに背中に手を回して抱きあう。
初めてでは無いが、そう経験も無いキスはやはり素晴らしかった。
女子高生特有の良い匂いに、柔らかい唇の感触。
他にも、彼女の柔らかい体の感触などが俺の心を高揚させていく。
このまま永遠に、こうしていたい気分だ。
「(最高の気分だぁ)」
しかし、そんな幸福の絶頂にいる俺の肩を揺さぶって来る、とても無粋な奴がいる。
こんなに素晴らしい時間を邪魔するとは、さすがに温和な俺でもブチ切れても良いであろう。
さあ、上級魔法の餌食となるが良い。
俺は、怒りに震えながら目をあける。
すると、目の前には地獄の光景が展開されていた。
夕方の教室で、憧れのアイドル静香ちゃんとキスをしていたはずなのに。
なぜか目の前には、長方形で巌のような顔に、なぜかパイナップルカトで、鼻の下には立派なカイゼル髭を生やしている筋肉導師の顔がアップで映っていたからだ。
「ようやく、目が醒めたようである!」
「ええと、導師?」
俺は、高校時代の片思いの相手とキスをしていたはずで、それが目が醒めると目の前には筋肉導師の顔が。
更に、俺は筋肉導師の背中に手を回していて、導師も俺の背中に手を回して抱き合っている状態であった。
「認めたくない!」
最高の気分だったのに、嘘はバレなければ嘘じゃないのだ。
筋肉導師の抱き付く力で、次第に背中とか肩がミシミシ言っていても、その力が体の骨に皹が入りそうなほど強くても。
このまま目が醒めなければ、幸せでいられたのに。
「気持ちはわかるけど、現実を直視しようよ」
俺の肩を揺さぶっていたのは、後ろにいたエルであったらしい。
しかも彼は、なぜかブランタークさんと視線を合わせないようにしていた。
理由は、口にするまでもないようだ。
「このように、『桃色カバさん』は人を色の欲に誘う幻術のような物を使うのである! 今回、女性陣を連れて来なかった理由はわかるであろう?」
確かに、エルや導師やブランタークさんが、エリーゼやイーナやルイーゼとキスをしていたのでは風聞が悪い。
下手をすると他の貴族が、『そんなふしだらな娘達は、バイマイスター男爵の婚約者に相応しく無いのでは? 代わりに私の娘を……』とか言う事にもなりかねない。
だから導師は、ブランタークさんにすら事情を説明しないで、俺達をここまで連れて来たのであろう。
「はい……。ところで、導師」
「何かな?」
「失礼します!」
俺は、いまだに抱きついたままの筋肉導師を強引に振りほどくと、そのまま近場の草むらへと移動する。
そして……。
「うぇーーー! 一生物のトラウマだぁーーー!」
「某とて、普通に女性が好きなのであるが……」
あの筋肉導師とキスをしてしまったトラウマで、俺は暫く草むらの影でゲーゲー言い続けるのであった。
「しかし、このカバ。自分が保護動物だからって、調子に乗っているような……」
「あのな、ヴェル。カバが調子に乗るとか無いから……」
結局、あれから俺達は数度カバの保護を試みたが、その結果は全て失敗。
合計で三つほどのトラウマを、俺の脳裏に植え付ける事に成功する。
次は、通っていた中学校の野球部の部室で。
万年補欠選手であった俺が好きだった、可愛い同級生マネージャーとキスをしたはずなのに、仏頂面のブランタークさんが俺を睨んでいたのだ。
「情熱的なキスをありがとうよ」
「ブランタークさんこそ、経験で何とかあのカバの術を防いでくださいよ!」
「無理だから、俺は嫌だったんだよ!」
なるほど、誰も依頼を受けないわけだ。
ブランタークさんでも、どうにもならないのだから。
「もう一回試みる」
「失敗って、わかっているのに……。こんなの、本来のブランタークさんじゃない」
「そういう契約だから仕方が無いんだよ!」
予想通りに、三回目も駄目であった。
舞台は、小学生の頃に参加していたサッカー倶楽部の控え室へと移り、そこで俺が惚れていた女子で可愛いのにサッカーが上手だった同級生がそっと目を瞑り。
というか、俺はなぜにこう無理目の娘ばかり好きになったのであろうか?
現実を直視するという選択肢が無かったからこそ、非モテであったとしか言い様が無いのだが。
「エル……」
「ヴェルか……」
「あのさ……」
「皆まで言うな……」
一回目の筋肉導師とのキスは、最高級のトラウマとして。
二回目の、どこか酒臭いような気がする、その前に加齢臭がしそうなブランタークさんに比べると、まだエルはマシな部類に入るのではないか?
こいつは、顔も悪くないし。
だが、そう考えた時点で何か負けたような気分になってしまうのだ。
エルも同じ事を考えて、俺に何も言うなと言ったのであろうが。
「それで、四回目はどうしますか?」
「最低限、挑戦はしたんだ。もう帰るぞ」
ブランタークさんは、もう義理は果たしたとばかりに帰り支度を始めていた。
「でも、このままカバを放置ですか?」
「つうか、アレに害を成そうと考えても無理だろうが」
というか、どうしてわざわざカバを保護区に移動させる必要があるのかわからなかったのだ。
あの幻術の前には、どんな密猟者でも手が出せないであろう。
「実際、朝に監視員が様子を見に行くと……」
密猟者が一人だと木に抱きついてキスをしていたり、二人以上だともっと凄い事をしていた事も少なくないそうだ。
相手が男であろうと、女であろうとだ。
「保護任務においても、冒険者が悲劇に巻き込まれる案件も多くあったのである」
気が付いたら、そういう関係になっていて責任を取って結婚する羽目になった男女の冒険者に。
そのまま、同性愛に目覚めてしまった者も多いらしい。
「エリーゼは、連れて来れませんね」
「左様」
教会関係者にとって、同性愛は異端にも等しい罪である。
非生産的で、道義にも劣ると。
見付かると、厳罰に処されるのが普通であった。
「ヴェルと導師のキスなんて見たら、気絶するだろうな」
「エルとブランタークさんもな」
結局臨時の任務は失敗に終ったのだが、他の冒険者が全て断った任務なのでペナルティーは課せられなかった。
なお、問題の『桃色カバさん』であったが、卵が孵ると自主的に親子で保護区に移動したそうである。
完全に、働き損な一日であった。
「家に帰って、エリーゼ、ルイーゼ、イーナに口直しをして貰って人数的には差し引きゼロか」
「いや、導師のインパクトを一人前で考えると……」
それでも、エリーゼ達で口直しはさせて貰う俺であり。
それと、『もう一宮信吾に戻らなくても良いや』と思えるようになった一日でもあった。