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第三十六話 婚約者のあだ名は聖女。

「……、酒は無いよな?」


「ここは、喫茶店ですよ。ブランタークさん」


「知ってるけどな」


 せっかくの王都での夏休みの大半が魔物退治で潰れ、残り三日でようやく自分の時間が出来た俺であったが、またまた人生の転機を迎えていた。

 このヘルムート王国どころか、リンガイア大陸に影響が大きい宗教の総本山に本洗礼を受けに行ったところ、なぜかそこの偉いさんの孫娘と婚約をする羽目になったのだ。


 しかも、そのお偉いさんであるホーエンハイム枢機卿は、王宮に出入りできる身分を利用して、既に陛下から了承を得ていた。


 ここでこの婚姻を断るという事は、俺のヘルムート王国での人生が終わるという事だ。

 隣国であるアーカート神聖帝国に亡命でもすれば第二の人生が始まる可能性が高かったが、生憎と隣国アーカート神聖帝国に関する情報は少ない。

 

 なので、見切り亡命などは不可能であった。


 結局、俺はこの婚約を了承する事となる。

 相手のエリーゼは、十人が見れば十二人くらい振り返りそうな美少女であったし、俺と同じ年とは思えないほどの巨乳でもある。

 この世で、巨胸が嫌いな男は少ないであろう。

 かく言う俺も、物凄く大好きだ。


 それに、今は婚約をしただけなのだ。

 貴族の子弟は、親の意志で婚姻相手を決められる。

 なので、その決め手となる情勢によっては、先の婚姻が解消されてしまう事など珍しくも無い。

 確実に、俺とエリーゼが結婚をするという保障もないのだ。


『そんなバカな話があるか。陛下が許可を出した結婚なんだぞ』


『その陛下が、予想し得ない事情によりその婚姻許可を破棄せよと命じるとか』


『そんなアクシデントはまず起きん! というか、坊主はその娘が嫌なのか?』


『いえ! 見た目はストライクです!』


 特に、あの胸が良かったと思う。

 俺は今でも胸の大小に貴賎は無いと思っているのだが、現物を目の当たりにすると転向も止む無しと考えてしまうのだ。

 

『(ふっ、裏切り者と呼ぶが良い……)』


 誰に対しての裏切りなのか良くわからないので、こんな事を思っている俺はただのバカだと思う。


『あの枢機卿め! 良い孫娘を持ってやがるな! さすがは、ホーエンハイム家の聖女』


『ホーエンハイム家の聖女?』


『あの娘のあだ名だよ。王都では有名なんだぞ』


『知りませんでした』 


 えらく神々しいあだ名のような気もするが、そんな若い年齢で少し可哀想な気もしてしまう。

 俺だって、突然『竜殺しの英雄』とか言われて困惑しているが、中身がおっさんなので何とかなっているのだし。

 とにかく今は、実際に話などをしてみて相性などを確認する方が先であろう。

 実は、とても性格が悪いという可能性もあるのだから。


 そんなわけで、本洗礼どころか婚約者まで決まってしまった俺は、ブラント邸への帰宅後にそこに居たブランタークさんをとエーリッヒ兄さんを屋敷近くの喫茶店へと呼び出し、これまでの経緯を説明していた。


「完全に、ホーエンハイム枢機卿に手玉に取られた!」


 ブランタークさんは、ただ絶叫していた。

 それもそのはずで、本来であれば、寄り親競争に勝ったブライヒレーダー辺境伯が、俺の正妻を紹介しなければいけなかったからだ。

 それが、俺の正妻は今のところは中央の法衣貴族の縁戚に決まってしまっている。

 しかも、ただの中央の無役の法衣貴族ではない。

 国教である正教徒カソリック教会のお偉いさんの孫で、陛下の信頼が厚い筆頭王宮魔導師の姪だと言うのだから性質が悪い。


 完全に出し抜かれたブランタークさんは、主人であるブライヒレーダー辺境伯に後で何を言われるかと頭を抱えている状態であった。

 俺の保護と監視というのも、彼の仕事なのだから。


「本洗礼のついでに、婚約の話なんてするか! 普通!」


 普通はしないはずだ。

 不謹慎だと、普通の人は思ってしまうからだ。

 別に、戒律に違反しているわけではないそうだが。


「あの人は、してしまうんですよ。しかも、事前に陛下の言質まで取って。陛下のお墨付きがあれば、ブライヒレーダー辺境伯様には事後承諾だけで済みますし」


 本当ならば事前に話くらいは通すのであろうが、それをするとブライヒレーダー辺境伯が先に手を打ってしまう可能性があった。

 だからこそ、事前に何も言わなくてもブライヒレーダー辺境伯が文句を言えないように陛下の言質を取っているのであろう。

 ブライヒレーダー辺境伯は南部の実力者であるが、中央との距離で政治的に法衣貴族に手玉に取られてしまう事が多かったのだ。


 逆に言うと、手玉に取られている間は地方反乱も無く、王国も平和という事なのであろうが。


「俺、このまま王都で隠棲しようかな?」


 まだ五十歳前なのに、ブランタークさんは隠居手前の老人のような事を言っていた。

 そういえば、前世で大規模取り引きをポシャらせた部長が、その直後にこんな表情をしていたのを思い出す。


「今回の件は、ブライヒレーダー辺境伯様にも甘い部分があったのは事実ですから、何も言えないと思いますけど」


「エーリッヒ殿は、そうは言うがな。お館様はあまり怒鳴ったりはしないよ。だがな……」


 何か腹が立つ事があると、物凄く不気味な笑顔で家臣に接するので、背筋が寒くなってしまうのだそうだ。


「坊主に文句を言ってもしょうがないがなぁ……」


「ヴェルがいくら魔法の天才でも、十二歳で王都の複雑な政治闘争を理解して流されないようにするのは無理ですよ。大人でも無理なんですから」


 そう、中身が所詮は二流商社マンになれる程度の頭なので、複雑怪奇な政治の世界なんて良くわからないのだ。


「だよなぁ。ああ、もっとアルテリオを利用すれば良かった」


 そうは言っても、もう後の祭だと言う結論に達し、三人は出されたコーヒーを啜っていた。

 コーヒーは南方の特産品で、南方からの輸入品なので高かったが、王都では庶民も良く飲む飲み物である。

 逆に、ブライヒブルクなどではかなり安く飲める飲み物なのだが。


「なあ、あの少年は……」


「竜殺しの英雄だよな?」


「まだ小さいのね。可愛い子じゃない」


「怒らせると、魔法で吹き飛ばされたりな」


 この喫茶店は常連に貴族も多い評判の店で、紅茶もコーヒーもデザートも美味しいお店なのだが、あまりこのような話をコッソリとするのには向いていなかったようだ。

 家族連れに、若いカップルに、貴族とそのお付の人などが、たまに俺達の方を覗き込んでコソコソと話をしていた。

 

「季節のフルーツタルトを注文されたお客様は?」


「はいっ!」


 そんなヒソヒソ話も気にせず、俺は注文したデザートを持って来たウェイトレスのお姉さんに元気良く返事をする。


「坊主、のん気にデザートとか食ってる場合じゃねえぞ」


 実は、この喫茶店は王都名店ガイドに載っていて、イーナとルイーゼがケーキが美味しかったと言っていたので、俺も食べてみたいと思っていたのだ。


「いやあ、もう決まってしまった事ですしね。というか、俺は全然王都観光とか出来てませんし」


 所詮は俺如きなので、多少魔法に才能があっても、陛下から爵位を与えられてもそれを突っ返す度胸など無い。

 というか、そんな事が出来るのはどんな人なのかと思ってしまう。

 前世で見た漫画だったか、小説だったか?

 偉い人の提案や褒美を断る主人公がいたのだが、その主人公は良く断れた物だと思う。

 少なくとも、俺には不可能であったからだ。


 更に、婚約者を勝手に決められてしまっても。

 これも、偉い人が決めた婚約者ではなく、自分の本当に好きな人と結ばれたいなどと言えるのは、ドラマとかに出て来る主人公だけであろう。


 それによくよく考えると、今の俺には身分差などの障害がある将来を誓った恋人とかいなかった。

 十二歳までほぼボッチの俺に、恋愛などあるはずもない。

 元々恋愛偏差値が低いので、これも仕方のない事であったが。


 なら、今は婚約を受け入れて、残り少ない王都滞在を楽しむべきであろう。


「お前、そういう所がアルフレッドに良く似てる。あいつも、見かけによらずマイペースで面の皮が厚かった」


「褒め言葉として受け取っておきましょう。でも、婚約はあくまでも婚約じゃないですか」


 先ほども話したが、貴族の婚約ほどあてにならない物もない。

 貴族家の当主同士で勝手に決めて、やっぱりこっちの貴族と縁を結んだ方が良いなと片方が思うと、すぐ勝手に解消されてしまうものだからだ。


 それにどうせ、エリーゼは成人するまでは王都で生活するので、ブライヒブルクにいる俺とは録に顔を合わす機会もないはず。

 なので、そこまで騒いでもと思ってしまう俺であった。


「桃の甘みと、初物の梨の酸味と歯ごたえも」


 さすがは、王都でも有名な喫茶店で出るデザートである。 

 甘さも抑え目で大変に美味しい。

 うちの実家では、こんな物は永遠に食べられないであろう。


「ヴェル、そのタルトは美味しいのかな?」


「ええ、絶品です」


「ブランタークさん、もう諦めましょうよ。私も、そのタルトを一つ」


「俺も……」


 場所が喫茶店だったので秘密なのかは怪しい物であったが、結局三人は突然沸ってわいた婚約者への対応策も決められず、そのままお店の名物であるケーキを食べてからブラント邸へと戻るのであった。




「ヴェンデリン様は、王都の滞在期間が残り少ないとか。その間に、二度も竜の討伐に出られていてあまり観光などもしていないと伺っております。今日は、私が王都をご案内いたしますわ」


「あはは……。王都生まれのエリーゼさんの案内なら、安心して任せられますね」


「私は、ヴェンデリン様の妻となる女です。エリーゼと呼び捨てにしてください」


「そうですか。では、俺の事も様付けなんて必要ないので」


「いえ、そういうわけにはいきませんわ」


「……」


 翌日、王都滞在まであと二日。

 今日はどこに出かけようかとエル達と相談していると、そこに昨日婚約したエリーゼがブラント邸に姿を見せていた。

 俺は、思わずイーナとルイーゼの方に視線を送ってしまう。

 二人は特に表情を変えていなかったが、そういえば俺はなぜ二人に視線を送ったのであろう?


「エリーゼ殿ですか。これは、わざわざ」


「伯父様からご高名は伺っております。リングスタット様」


「まあ俺は、アームストロング導師に比べれば二流の魔法使いですが」


「いえ、そんな事は。伯父様は、練達の魔法使いであると仰ってしました」


 続いて、そこにブランタークさんが現れて、エリーゼに挨拶をする。

 ブランタークさんからすれば、エリーゼの存在自体が面白くないはず。

 なぜなら、多分あとで、ブライヒレーダー辺境伯が寄り親として俺に婚約者を宛がう予定だったのに、それを台無しにしてしまったからだ。


 しかし俺がエリーゼを昨日から観察した結果、彼女自身にその恨みを向けるのは酷であろうという結論に至っている。

 この婚約の仕掛け人であるホーエンハイム枢機卿にこそ、文句を言うべきなのであろうから。


 まあ、あの老人が何を言われた所で、そんな事を気にするとも思えないのだが。




 それと、俺は昨日の夜に出来る限りでエリーゼに関する情報を集めていた。

 知っているのはブラント家の人々とエーリッヒ兄さんくらいであったが、実は彼女巷では『ホーエンハイム家の聖女』と呼ばれているらしい。


 嫁入り修行のためとはいえ、修道女見習いとして教会で働き。

 教会の実力者の孫なので傲慢に振舞うかと思えば、誰にでも分け隔てなく接し、会得している治癒魔法で多くの人々を無料で時間の許す限り治療しているそうだ。


 他にも、教会が運営している孤児院で子供達に服を縫ってあげたり、食事やお菓子を作ってあげたり、勉強を教えてあげたり。

 定期的に行われる、貧しい人達への炊き出しに参加したりと。


 なぜ俺などの嫁になるのかわからない、聖女のあだ名に相応しい少女であった。

 まさに、完璧超人だと思うのだ。


『聖女に相応しく、この魔王たる俺に身を差し出すか』


『魔王というほど、ヴェルは悪人じゃないでしょう。魔法以外の面で、抜けているだけだし』


『お前な……』


 俺は、ルイーゼの指摘に心の中で涙を流していた。


『でも、そこまで完璧だと、逆に何か疑わしいような……。言っている自分で、性格が悪いと思うけど』


『イーナの言う事にも、一理あるかも』


 


 俺は、ルートガーさんやエーリッヒ兄さんに、『かなり上手く装っているのでは?』と聞いてみたのだが、それはまずないそうだ。


 貴族の箱入り娘が建て前だけの教育を純粋に受けた結果、このように未来の夫に尽くそうと懸命に努力をしている美少女という絵面になっているらしい。


 あと、俺は良く知らなかったのだが、立て続けに二匹の竜を倒し、陛下から双竜勲章二つと男爵位を得た俺は、王都の女性に大人気になっているそうなのだ。

 なので、エリーゼも純粋に俺に憧れているのかもしれないと。


 そしてエリーゼであったが、彼女は自分と同じく魔法が使える伯父アームストロング導師を物凄く尊敬しているらしい。

 当然、その伯父がベタ褒めをしている俺の事を、少なくとも嫌いという事は無いはず。

 

 エリーゼの笑顔を見ていると、さすがの俺にでもそれは一目瞭然であった。


「(可哀想に、俺はそんなに高潔な人じゃないし)」


「エリーゼお嬢様、そろそろ参りましょうか」


「はい」


 それと、エリーゼには一人のお供が付いていた。

 初老でロマンスグレーの髪をオールバックで纏めている、『ザ・執事』とも呼ぶべきその男性は、その名をセバスチャンと自己紹介していた。


「セバスチャンは、私が生まれる前からホーエンハイム家に仕えている執事なのです」


「この度は、旦那様からエリーゼ様とヴェンデリン様のお供をせよと仰せつかりました」


 その外見から言動まで、どこから見ても執事の鑑のように見えるセバスチャン氏(推定五十二歳)に、俺は自分の置かれた情況すら忘れて感動すら覚えていた。


「(まるで、執事喫茶の人みたいだ)せっかく王都に来たのに、ほとんど王都観光もしていなくてさ」


「ヴェンデリン様は、あれほどの功績を残されたのです。お忙しかったのは当たり前でございます。では、参りましょうか」


 俺はセバスチャンの執事ぶりに感動しながら、エリーゼと彼と共にブラント邸をあとにする。

 何か大切な事を忘れていたような気もするが、今はせっかく案内してくれるのだから王都観光に集中すべきであろう。


 まだ婚約が決まって一日なので、エリーゼとも相互理解を深めた方が良いであろうし。


 だが、俺達が外に出たあとのブラント邸ではひと悶着発生していたようだ。





「あの娘が、ヴェルの婚約者か。でも、あいつも大変だよなぁ。あの胸は羨ましいとして」


「エルも、普通に男なのね」


「悪いかっての。しかし、俺もヴェルと同じような境遇なのにな。婚約者の話なんて出た試しもない」


 エルヴィンは、正直にヴェンデリンを羨ましいと思っていた。

 特に、あの胸がだ。

 と同時に、イーナとルイーゼの胸に視線を送ってから溜息をつき、二人からビンタを喰らって両頬にモミジを付ける羽目にもなっていた。


「エルも、竜を倒せれば婚約者くらい出来ると思うわよ(私は、標準なのに……)」


「無理を言ってくれるなよ、イーナ。俺は、地道に一旗挙げる事にするよ」


「冒険者として? それとも、ヴェルの家臣として?」


「うーーーん、臨機応変で」


 現状で、色々な事があり過ぎて将来の予定が組めないため、そう答えるしか無いエルヴィンであった。

 

 あとイーナからすれば、エルヴィンが男性としてヴェンデリンよりも劣っているとは思っていない。

 むしろ背は高いし、顔もヴェンデリンとそうレベルは変わらなかったのだから。


 単純に隣の比較対象が凄すぎるので、それで損をしているだけなのであろうと。


「じゃあ、イーナが俺の婚約者になってくれ」


「無理ね。というか、本気?」


「言ってみただけ」


 ルイーゼもそうだが、あの園遊会でヴェンデリンがブライヒレーダー辺境伯に気に入られた時点で、自分は彼の未来の妾として周辺では認知されてしまっていた。


 将来手を出されるかは不明であったが、イーナはそれでも良いと考えている。

 優しい人ではあるし、魔法使いとしても優れ、財力も凄かったからだ。


 現金な話ではあったが、妾とはいえ男女の関係を結ぶ相手なので、安全に子供を生める相手であるに越した事はない。

 そういう条件で言えば、ヴェンデリンは最高の相手であった。


「ルイーゼの嬢ちゃんよ。もう少し頑張って欲しかったな」


 そして、ブランタークはルイーゼに愚痴を溢していた。

 予備校入学以来約四ヶ月、ヴェンデリンの屋敷にまで入り浸っているのだから、エリーゼの色気くらい簡単に排除して欲しいと思っていたからだ。


「ブランターク様は無茶を言うな。ボク達がもし今の時点でヴェルと相思相愛だったとしても、この情況で婚約も今日もデートも阻止できません」


 陪臣の娘が、法衣子爵で教会有力者の孫娘と正妻の座を巡って争う。

 そんな無謀な勝負をするほど、ルイーゼも無謀ではなかった。

 そんな事をするなら、結婚後に寵愛を受けるように努力する方が効率が良かったからだ。


「(この娘っ子は、見た目によらず世間を知っているな)すまねえな。おっさんの愚痴だよ。ただ、わかっているよな?」


 ブランタークが言いたい事は、ここまで王都でヴェンデリンが名を挙げた以上は、その身近にいるイーナとルイーゼは余計に周囲から彼の女扱いされてしまうのだと。

 そう言う事を、言いたかったのだ。


「実家は、明らかに期待しているだろうね」


「もう、実家からのお見合いの話はないわね。あっても、受けないけど」


 イーナとルイーゼの実家からすれば、自分の娘がブライヒレーダー辺境伯のお気に入りで竜殺しの英雄の妾になれれば都合が良い。

 元々家格の問題で、正妻になれる期待もなどヒトカケラも持っていないからだ。


 嫁ぎ先のバウマイスター男爵家が将来領地でも貰えば、そこで自分の娘が生んだ子を師範とした槍術と魔闘流の道場新設も可能となる。

 弟子を道場の運営人員として送り出したり、バウマイスター家で働けるように融通が出来たり。


 基本は武術のみを教える流派道場でも、後の就職先の選択肢が多いと弟子が集まり易いという利点があるのは当然であった。

 ただ武術だけ極めても、飯は食えない。


 これは、イーナの亡くなった祖父の言葉であった。

 これでなかなかに、道場運営も大変なのだ。


「お前らも、色々と大変だな」


「目指せ! ヴェルの妾にして魔闘流道場バウマイスター男爵領支部の創設と、初代師範の母!」


「ええと。同じく槍術道場バウマイスター男爵領支部の創設と、初代師範の母?」


「イーナちゃん、ここは淫靡に愛人とか妾とか言わないと」


「恥ずかしいじゃない……」


 普段の冷静な表情とは違って、顔を赤くさせるイーナを見てブランタークは『そんな顔も出来るんだな』と感心していた。


「しかし、あのエリーゼは脅威だな」


 もう今さら、ブランタークはエリーゼに隔意を抱いているわけでもない。

 話すと素直で可愛い娘であったし、元々イーナとルイーゼに正妻の芽は無かったからだ。


 それに、人が申し訳無さそうに高い通信魔法費用まで払って報告しているのに、肝心のブライヒレーダー辺境伯の方がちゃんと婚約者候補を準備していなかったというのだから。


 一体誰が、あの嫁き遅れの大年増を嫁に勧められて機嫌を損ねないと言うのであろうか?


『えっ! アニータ様をヴェルの婚約者に?』


『さすがのヴェルも、絶対に怒ると思いますけど……』


 後で、ルイーゼとイーナにそっと教えたら、彼女達も絶句していたほどだ。

 あの年齢で、ブライヒレーダー家本屋敷で碌に仕事もしないで遊んでいるせいもあって、家臣の間でもあまり評判が良くなかったからだ。

 本人に面と向かって言えないので、その評判は表向きは無い事になっている。

 しかも、定期的に何とかお片付けをと狙う家臣達が、無理な縁談を持ち込んで来るのだ。


 大抵が、六十歳過ぎの連れ合いを亡くした老人貴族の後添えとか。

 そんな話ばかりであり、本人はすぐに断ってしまう。


 ブライヒレーダー辺境伯も、妹とかならともかく叔母なので強く言い難い。

 よって、なるべく普段は触れないように心掛けられている人であった。


「エリーゼさんと比べるまでもないね」


「比較するだけ無駄。全く、お館様は何を考えて……。二人は、何とか坊主に気に入られてくれよ」


「任せて! ボクのお色気でヴェルを見事に誑かすから」


「お色気ねぇ……」


 どう高めに見ても、今は十歳くらいにしか見えないルイーゼであったが、後に化けるという可能性も否定できない。

 それに、ヴェンデリンが実は小さな女の娘が好きだという可能性もあった。


「(そういう貴族も、実は一定数居るからな……)」


 愛妾などで、小さい娘を望む貴族も多いと聞いているし。

 実際に、ブランタークなどは目撃もしている。

 あとは、どうせヴェンデリンはある程度は妻妾を増やす必要があるのだ。

 

 色々なタイプが居た方が良いと、ブランタークは考えていた。

 無理矢理色々なタイプを押し付けた時に、罪悪感が沸かないように心の棚を作ったとも言える。


「本妻を出し抜く妾って話も珍しくないから」


「それは、そうだな。で? イーナのお嬢ちゃんは?」


「努力してみます……」


 イーナは、また顔を真っ赤に染めながらブランタークの問いに答えていた。

 普段の冷静な表情よりも、その恥ずかしそうな顔をヴェンデリンに見せれば一発なのにと。

 それなりに経験のあるブランタークなどは、思ってしまうのだが。


「どうせ、もう数日でブライヒブルクに帰還だものな。向こうでゆっくり、坊主を誑かせや」


 そもそも、僅か十二歳で色々な事が起こり過ぎなのだ。

 今大陸全土で、一番忙しくスリリングな夏休みを過ごした十二歳。

 それが、ヴェンデリンであった。


「しかし、婚約者とのデートに執事が同伴とは。お嬢様だねぇ」


「いきなり、出会い休憩所に直行とかでも困るから良いんじゃない」


「ルイーゼの嬢ちゃんは、発言が過激だなぁ」


 ヴェンデリンと同い年でも、女性は凄いなと思うブランタークであった。

 

「今度、ヴェルに連れて行って貰おうかと」


「いや、入り口で止められるし。坊主も怒られるから」

 

 未成年者は侵入禁止の場所なので、そこは釘を刺すと共に。

 僅か十二歳なのに三人の婚約者を相手にしないといけないヴェンデリンに心から同情する、独身貴族と言う別の貴族であるブランタークであった。

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