第三十五話 婚約者。
「アームストロング、ブランターク、バウマイスター準男爵の三名。共に、グレードグランドの討伐任務ご苦労であった」
グレードグランドを倒してから十日後、その任務に参加した俺達は再び陛下との面会を果たしていた。
「おかげで、パルケニア草原は有望な穀倉地帯となるであろう」
陛下の表情はご機嫌だ。
長年好条件にも関わらず、老巨竜に邪魔されて開発が不可能であった土地がようやく開発可能になるからだ。
加えて、現在も一部残存している魔物の討伐は進んでいるが、既に大半の場所から魔物は全て駆逐されている。
やはり、パルケニア草原を支配していたグレードグランドの力は偉大であったようだ。
今では全く集団で動けず、兵士や冒険者達に一方的に狩られているらしい。
死傷者が二百名ほど出ているようであったが、これは仕方が無い事なのかもしれない。
「犠牲になった者には、遺族への補償を厚くする予定だ。偽善ではあると思うが、しないよりはマシであろう」
「陛下のご温情に、このアームストロング。感服いたしました」
確かに偽善だが、やはりしないよりはマシであろう。
それに、兵士や冒険者とはそういう仕事なのだ。
特に冒険者は、年に千人を超える犠牲者が出るという。
他に食える仕事が無いわけでもないので、命をチップに金と名誉を求めて失敗したからと言って、後で文句を言うのは筋違いというものであろう。
冒険者でも、己の技量を冷静に判断して今回の作戦に参加していない者も多くいたのだから。
それに、この規模の出兵の割には被害者は少ない方である。
陛下が教会に命じて、治癒魔法の使い手を出来るだけ従軍させたからだ。
聖治癒魔法の使える聖職者に、教会が普段から把握している在野の水治癒魔法の使い手にと。
両系統の治癒魔法の使い手を、教会はその強大なコネを用いて大量に召集して従軍させていた。
それもそのはずで、パルケニア草原の開発が進めばそこに一定の割合で教会が設置される。
設置された教会や教区の分だけポストは増えるわけで、表向きは陛下からの命令だからという事になっているが、実際には揉み手で依頼を受けていたわけだ。
現場の人間は真面目に負傷者の治療をしていたのだが、偉いさんにはそういう思惑もあるというのはどこの世界でも一緒であった。
「褒美を出せないですまないの」
「前回で、大金を貰っていますから」
それもあるが、今回もグレードグランドの売却代金を貰っていた。
凍らせた血に、鱗、皮、肉、内臓、骨など。
殺した直後に魔法の袋に入れて鮮度を保ったので、これがかなり高額で売れていたのだ。
あとは、やはり巨大な魔石を体内に持っていたので、これは王国が白金貨四百枚で購入して行った。
当然、あとの一週間で得た魔物の素材と合わせて、アームストロング導師とブランタークさんで三等分したのだが、それが一人頭白金貨四百五十枚と金貨五十枚。
やはり、竜の素材は全てが高い。
もし前回の古代竜がアンデッドではなくて生きていたら、もっと買い取り額は高騰していたであろう。
「(もう大金過ぎて、良くわからん)」
以上の理由から、別に褒美など必要無いと思う俺であった。
前世で、給料二十五万八千七百四十六円(税込み)な俺からすると、白金貨が複数出て来るともう沢山なのだ。
白金貨など、この国では死ぬまで見ない人間の方が多い。
実家の領地で白金貨を見た事がある人間など、貴族であるはずの父も含めてゼロのはずであった。
「ただ名誉は必要なのでな。三人に、双竜勲章を与えるものとする」
ここ二百年以上も誰も貰っていなかったのに、俺が久しぶりに貰い、またそれから半月もしないでもう一個貰ってしまった。
見た目も金とエメラルドで出来ていて綺麗なのだが、あまりありがたみが無いような気がするのは、俺の感覚が麻痺しているのであろう。
実際、アームストロング導師とブランタークさんは、珍しく緊張した面持ちで陛下から勲章を付けて貰っていたのだから。
「あとは、爵位であるかの。アームストロングは子爵に、バウマイスター卿は、男爵に陞爵させるものとする」
アームストロング導師は、伯爵家の次男である。
次男なので爵位は継げないのだが、筆頭王宮魔導師なので独自に男爵の爵位を陛下から受けていたのだ。
俺と同じく領地は無くて年金だけなのだが、その爵位が子爵に上がり、俺も準男爵から男爵に上がっていた。
法衣子爵の年金は白金貨二枚で、法衣男爵は白金貨一枚。
なかなかの高収入である。
やはり、準男爵と男爵の間には大きな壁が存在しているようだ。
その分、なんっちゃって貴族である俺とは違い。
通常の王都在住の法衣貴族は、その家格に合う屋敷の維持に防犯なども兼ねた相応の私兵や使用人を雇い、他にも様々な付き合いがある。
寄り親であると寄り子への支援なども時には必要であるし、エーリッヒ兄さんの結婚式の時のように、冠婚葬祭で家格に相応しいご祝儀を出す必要もあった。
出て行くお金も、相応に増えると言う事なのだ。
なるほど、大物貴族でも普段は意外とケチだと言うエーリッヒ兄さんの発言にも納得してしまう。
あと、普通は名誉だけの勲章の類であったが、実は双竜勲章だけは別らしい。
ここ二百年以上も貰った人が居なかったので、担当の役人が説明するのを忘れてしまうほどであったが、双竜勲章には生涯名誉年金が付与されているのだそうだ。
その額は、年に白金貨三枚。
俺は二つ持っているので、年に白金貨六枚だそうだ。
「(褒美は出ているよな?)光栄の極みです」
「竜の素材に比べれば、ささやかな物だがの」
二回の竜討伐による素材の販売益に比べると微々たる金額に見えるが、そもそも竜など五十年に一度討伐されれば早い方だと思われるほどだ。
滅多に、あのような大金が動く事などないのが普通であった。
「ブランタークは本人の希望もあり、別の褒美をブライヒレーダー辺境伯に預ける物とする」
ブランタークさんはブライヒレーダー辺境伯の家臣で、今回の従軍も陛下がブライヒレーダー辺境伯に命令した形になっている。
なので、いくら陛下でも勝手に爵位を与えるわけにはいかならしい。
本人もそんな物はいらないと言ったので、その代わりに宝石や財宝などをブライヒレーダー辺境伯経由で貰うようであった。
さすがにそれすら無しでは、陛下が碌に功績すら認めないと噂になってしまうからであろう。
あと双竜勲章であったが、さすがに勲章の類を陪臣だからと言って与えられないという事も無いようだ。
ブランタークさんも、普通に貰っている。
このように、直臣と陪臣の違いとは色々と面倒なようだ。
「此度は、若き才能が見出せて余は満足である。これからも精進して王国に尽くしてくれると嬉しい。期待しておるぞ、バウマイスター男爵」
「はっ」
そんな期待よりも、早く平穏な夏休みを過ごさせて欲しい。
俺は陛下に対して頭を下げながら、切にそう願うのであった。
「お替り!」
「えらく沢山食べるね」
「お腹が減っていたし、ここ半月ほど碌な物を食べていなかったんだよ」
王城での謁見を終えた俺は、すぐにブラント家に戻りそこで遅めの昼食を食べていた。
メイドが作ったシチューやパスタやサラダなどを、俺はお代りをしながら食べていく。
その横で、ルイーゼが呆れたような顔をしながら話しかけてくる。
「郊外の駐屯地で、軍の進発準備に一週間。グレードグランドが鎮座するパルケニア草原の中心地まで他の魔物に見付からないように行くのに三日間。最後に、残った魔物の中で強そうなのを間引くのに一週間。帰還に三日間。ああっ……、せっかくの夏休みが……」
王都に到着してからの俺は、ほとんど自分の意思で動けていなかった。
せっかく王都観光を楽しもうと思ったのに、王都での印象の大半は、堅苦しい王宮での謁見に、郊外の男臭い汗と埃塗れの駐屯地と、そこで出される量だけはある不味い飯。
続けて、特撮物の怪獣のような竜との死闘。
挙句にその戦いでは、某有名漫画も真っ青な、とても魔法使いとは思えない白熱バトルを、ガチムチのおっさんが行っていた。
まさか鎧越しとはいえ、竜を素手で殴り付けたり、蹴りを入れたり、尻尾を掴んでぶん投げる魔法使いがいるとは思わなかったのだ。
あとは、本当ならば成人後にしか行えない魔物討伐を貴族なのでという理由で行っている。
正直に言うと、竜に比べればこれらの魔物達は弱かった。
ただ数が多いのと、なるべく掃討戦に出ている軍や冒険者達に犠牲が出ないようにと、アームストロング導師の命令で強い個体を間引き続けていたからだ。
掃討戦の一週間、遊撃部隊扱いの俺達はムサい男三人で魔物を殺し、食事も自炊で、睡眠も交代で行っていた。
冒険者になった時の事を考慮すると良い経験になったと思うが、しかしながらこの三人で一番まともに飯を作れるのが俺と言う時点で終わっている。
軍の駐屯地で出された、量だけは多い飯がまともに見えるのだから。
というか、アームストロング導師もブランタークさんも、現役の冒険者時代はどうしていたのだろうか?
などと考えていると、ブランタークさんはその理由を教えてくれていた。
『飯の支度とかはよ。全部、アルテリオに任せていたからな。俺は、酒が飲めれば問題ないし』
なるほど、アルテリオさんはパーティーの縁の下の力持ちであったらしい。
引退後に、商人として大成できたわけだ。
それよりもブランタークさんは、塩辛いジャーキーなどに酒だけという晩酌は止めた方が良いと思う。
良く肝臓が悪くなったり、成人病にならない物だと思ってしまうほどだ。
そして、もう一人のアームストロング導師はもっと酷かった。
彼の当番になると、ただ血抜きされて切り分けられた魔物の肉を、直火で焼いて食べるだけであったからだ。
初日くらいはワイルドで面白いくらいで済まされるが、毎回だとウンザリしてしまう。
というか、アームストロング導師は貴族のはずなのに、普段の食事はどうなっているのであろうか?
『血抜きをして塩を振って焼いた魔物の肉は、物凄く栄養があるのである』
正直、とても貴族とは思えない人であった。
魔物討伐で風呂にも入らずに薄汚れているので、下手すると山賊に見えてしまう時もあったほどだ。
多分、夜の山道で遭ったら死すら覚悟してしまうであろう。
『坊主、料理なんて出来たんだな』
『うむ、良い味である。明日からは、少年に食事を任せる事にする』
何とか工夫して、スープや米を使った雑炊などを作っていた俺がまだマシであったのだ。
しかも何気に、後半の食事当番を二人に押し付けられてもいる。
一番年下の俺は、ただ素直に頷くしかなかった。
「汗と土煙と血に塗れた夏休みか……」
「イーナ、それは言わないで……」
実際、その通りなのだから余計に腹が立つ。
しかも、俺達が王都に居られる時間は今日を含めてもあと三日間しかなかった。
夏休みはまだあるのだが、夏休み中ずっと王都に居るというのもエーリッヒ兄さんの迷惑になるし、正直五月蝿いのが増えたような気がする。
今もブラント邸の前で、『我が必殺の、槍術大車輪!』とか言う掛け声か聞こえていた。
少し風が出ているようだが、俺はこの大車輪な人を雇わないといけないのであろうか?
イーナは、『放置しておけば良い』と冷たく返事をしていたのだが。
「もうお土産とかも買いに行かないと」
「俺は、お土産なんて買わないからな。残り三日間で、出来る限り王都を満喫してやるんだ」
「必死ね……」
お土産というのは、親しい友人や家族が王都の外にいる人に必要なのだ。
エルは、俺達以外にも予備校に親しい友人がいるのでそれを選びに行く予定であったし、イーナとルイーゼはまだ実家に住んでいて、別に家族との関係が悪いわけではない。
俺はもう実家の家族とは顔を合わせるつもりはないし、友人はみんな一緒に王都に来ているので、わざわざお土産を買う必要もなかった。
精々で、礼儀として予備校の講師や校長にくらいであろうか?
そういう人への土産は、もうルートガーさんが準備しているので必要無かったのだ。
「とにかく、外に出るんだ! 王都観光を!」
「必死だな。ヴェルは……。というか、瞬間移動の魔法で来れば良いじゃないか」
なぜかエルが俺を見ながら呆れているようであったが、そんな事を気にしている場合ではない。
とにかく今は、王都を満喫する方が先であろう。
それに、確かに魔法を使えばいつでも王都には来れる。
だが今重要なのは、今この時をいかに楽しむべきかであった。
もう王様とか、貴族とかは必要ないのだ。
「お待ちください。ヴェンデリン殿」
急いでブラント邸をを出ようとした俺を、ルートガーさんが呼び止めていた。
「大変に申し訳ないのですが、聖教会本部から本洗礼の準備が出来ていると」
「しまった!」
聖教会本部で箔付けのために本洗礼を受ける件は、最初に陛下に謁見した際にホーエンハイム枢機卿と約束してしまっている。
しかも最初の予定も、急遽決まったグレードグランドの討伐任務で潰れているので、これを無視するわけにはいかなかった。
この世界で、教会を敵に回すわけにはいかないからだ。
「本洗礼ねえ……。エル達も来る?」
「遠慮しておくわ」
エルは、速攻で断っていた。
堅苦しいのは、嫌なのであろう。
俺も、嫌なのだが。
「エルは、私達の荷物持ち」
「残りの、銀貨一枚が返せないなんてね」
「新しい剣に。土産物を考えると、どう計算しても借金の返済が……」
エルの俺への借金は、ルイーゼが肩代わりをしている状態であった。
今回の従軍で十分に褒賞が出たはずなのだが、女性陣二人ほど節約に考慮しなかったのであろう。
全額返せずに、利子代わりに荷物持ちの刑を科されていた。
「焼き菓子なら、日持ちするよね」
「そうね。他にも、沢山名物とかもあるし。重ければ、エルに持たせるし」
「荷物の重さよりも、何店舗回らされるのかが不安だ……」
エル達は、下町にある観光客向けの土産物屋が立ち並ぶ通りで買い物をする予定らしい。
そして一方の俺は、教会で面白くも無い本洗礼を受けに聖教会本部へと出かけるのであった。
「ようこそ、おいでくださいました。バウマイスター準男爵。いや、男爵になられたのでしたな」
「これもひとえに、神のお導きかと」
「神は、バウマイスター男爵に良き加護を与えたようですな」
王都のほぼ中心部にある聖教会本部に到着した俺は、入り口で待ち構えていたホーエンハイム枢機卿以下、十数名の高司祭や司教達の出迎えを受けていた。
しかし、さすがはヘルムート王国のみならずアーカート神聖帝国でも唯一信仰されている宗教の総本山である。
ただ、アーカート神聖帝国では新教派プロテスタントを国教としているので、まるで別宗教のように聖教会本部同士の仲は悪いそうだが。
聖教会本部の敷地も広大で、建物も相当に金をかけて作っているのが誰にでもわかるほどであった。
洗礼などの神事を行う大聖堂などは、天井一面が巨大なステンドグラスで覆われ、なるほど宗教ほど儲かる商売は無いなと俺を実感させていた。
更に、このような会話となるわけであったが、これは定例の挨拶とでも言うべきであろうか。
俺は正統派カソリックの敬虔な信徒であり、『神様のおかげで、無事に竜を二匹も倒せました。ありがとう』とお礼を述べ、ホーエンハイム枢機卿達が『あなたに神の加護があって良かった』とお祝いを述べる。
別に俺は、神のおかげで竜が倒せたなんてこれっぽっちも思っていない。
向こうも、俺が真剣に神に感謝しているなんて思ってもいないであろう。
俺はまだ子供だが、大人同士で仲良くやりましょう。
お互いにギブアンドテイクでというのが、ぶっちゃけると今日の目的なのであった。
「あれほどの聖光が使えるバウマイスター男爵は、さぞや神に愛されているのでしょうな」
「ただ神の愛に感謝するのみです」
前世では無宗教で、今も実家時代は洗礼以外で教会に行った事は数回だけ。
それ以外で、碌に神に祈った事など無い俺に神の加護があるとは思えなかった。
どうやら、この聖の魔法は信仰心とはまるで関係ないらしい。
もし信仰心が使用条件なら、もっと聖職者に聖魔法を使える人間がいてもおかしくないであろう。
まあ、それを言わぬが華でもあり、教会はその有り余る金で聖魔法を使える人材を確保もしている。
聖魔法は、数少ない例外である人間の領域に顔を出すレイスなどのアンデット退治に便利な物であるし、聖の治癒魔法には威力が高い物が多い。
高位の聖治療魔法の使い手だと、千切れた腕くらいなら簡単に繋げるし、癌などの病気も治せ、心臓が止まっても数時間以内くらいなら生き返らせる事も可能らしい。
俺の聖魔法は高威力の聖光のみなので、治癒は水系統の魔法しか使えないのだが。
厄介な事に、治癒魔法は水系統にもほぼ同じ物が揃っている。
聖の治癒が使えると水の治癒が使えず、その逆もまた同じなので俺は水系統の治癒しか使えない。
威力は、師匠からは腕が千切れたくらいなら治せると太鼓判を押されていたが、実はそこまで大怪我をした事がないし、そんな人も今まで居なかったので碌に使った経験もなかった。
それに、エル達も碌に怪我などした事が無かった。
精々で少々のスリ傷くらいなので、それを治す程度にしか実際に使う機会が無かったのだ。
実は、パルケニア草原に出兵していた時に練習しようかと思ったのだが、ブランタークさんはともかくアームストロング導師が怪我などするはずもなく。
何しろ、本人が今までの人生で風邪すら引いた事がないと自慢しているほどなのだから。
『(何とかは、風邪引かねぇだな)』
『(ブランタークさん、聞こえるから)』
なお、治療応援の名目で味方部隊への合流を試みたのだが、主にアームストロング導師のせいで常に最前線であった事を記しておく。
『教会から派遣された部隊に任せるのである! 彼らで十分に対応可能であるし、我らが前線で危険な魔物を狩る事こそが、犠牲を減らす最良の手段なのである!』
正論ではあったが、俺はただ一度くらいは後方で休みたかっただけだ。
『空気読めよ、筋肉導師!』と、心の中で叫んでしまうほどであった。
「では、早速に本洗礼を始めましょう」
最初の予想では、長々と時間がかかるのかと思われた本洗礼であったが、実際には三十分をかからずに終了していた。
普通の洗礼と違う点は、司祭役がホーエンハイム枢機卿で、その他の高司祭達などがその雑用に回ったくらいであろうか?
お得意さんなので、高位の聖職者をケチらなかったようだ。
「本洗礼も無事に終わりました」
「ありがとうございます。これは、心付けですが」
必要ないとは言われたのだが、寄付を貰って喜ばない坊主はいなかったので、俺はホーエンハイム枢機卿に綺麗な絹の袋に寄付金を入れて渡していた。
中身は、白金貨十枚。
大金ではあったが、ここでインパクトを与えておけば教会の坊主達は俺の味方となってくれるはずだ。
どうせ、まだ白金貨は千枚以上も持っていて、使い道など無かったのだから。
「これは、ご丁寧にすいません」
ホーエンハイム枢機卿は袋に入った貨幣を金貨だと思ったらしく、すぐにその袋を横にいた高司祭に普通に渡していた。
さすがに、この場で中身を見るような真似はしないようだ。
あとで、ビックリするかもしれなかったが。
いや、貴族からの寄付の相場などわからないので、実は普通なのかもしれない。
「さて、本洗礼も終わった事ですし、お茶でもいかがですかな?」
ホーエンハイム枢機卿にお茶に誘われたので、俺はそれを受ける事にする。
荘厳な聖堂を出て少し歩くと、その先にホーエンハイム枢機卿の執務室があると言う建物が見える。
建物の中に入ると、ソファーと机のある応接室ような部屋に案内されていた。
「奥が私の執務室です。面白みも無い普通の書斎ですが」
奥に見えるドアがその入り口らしい。
数秒後、別の方向にあるドアがノックされ、ホーエンハイム枢機卿の返事と共に一人の修道女姿の女性がお茶を持ってあらわれる。
いや、女性は女性なのだが、身長は百五十センチほどしかなく、確認できた顔も、俺とさして年齢に違いがあるようには見えなかった。
その少女は、まさに神秘的と言っても良いほど顔が整った美少女で、ベールから僅かに零れる長い金髪がキラキラと輝き、その神秘的なアメジスト色の瞳と相まって、俺は暫く彼女の顔に見惚れてしまっていた。
続けて気になったのは、その年齢に相応しくないほどの、ある部分の膨らみであろう。
あまり視線を送ると失礼になるのだが、同年代であろうイーナなど勝負にもならない二つの双丘が、本来体型が目立たないはずの修道服の、胸の部分を押し上げていた。
前世では十一歳のFカップグラビアアイドルとかが存在していたし、この世界の人間は欧米人に近い姿格好の人が多い。
なので、十二歳くらいのFカップ以上美少女がいても不思議ではないのであろう。
そう考えると、イーナとルイーズは色々と大変なのかもしれなかったが。
そして俺は、もう一つの事実にも気が付いていた。
「魔力持ちですか?」
「やはりわかりますか。今日はお茶汲みをさせていますが、実は私の孫娘でして」
「エリーゼ・カタリーナ・フォン・ホーエンハイムと申します」
何とこの美少女は、ホーエンハイム枢機卿の孫娘であった。
顔付きとかはあまり似ていないようが気がしたが、孫なので子供ほど似なかったのであろう。
そして、やはりホーエンハイム枢機卿は貴族であった。
実は、法衣で無役の貴族は、聖職者として身を立てるケースが多い。
一応、実家が平民でも貴族でも商人でも、出世に差は無いとされているのだが、やはり偉くなるためにはどれだけ寄付金を集められたのかという生臭い現実があり、教会の上層部は貴族と商人出身者で占められていた。
あとは、戒律がかなり緩く。
結婚も自由で、肉や魚が駄目という事もなく、精々人前で酒や煙草を飲むなという程度らしい。
要するに、あまり聖職者として世間から白眼視されなければ自由という事になっていたのだ。
とはいえ、ここ最近は生臭坊主の数が増えているらしい。
金があるので高利貸しなどで蓄財をしたり、公式に妾を持つのはさすがに駄目なのにコッソリと愛人を囲ったり、酒の飲み過ぎでアルコール依存症になったりと。
ここ数百年はそんな感じらしいが、そのせいで新教徒プロテスタントが生まれ、双方が対立しているという事情も発生していた。
ただ、その肝心の新教徒プロテスタントですら、数百年の歴史で正教徒カソリックと大差が無くなっていて、またそれを正すために懐古派が生まれるという歴史が繰り返されて来たのだが。
懐古派は、数千年前は当たり前であった聖職者の妻帯、肉・魚食、お茶、酒、煙草などの嗜好品禁止に。
昔の厳しかった教義を守り、信仰の原点に立ち戻るという目的の元で誕生している。
なので、信徒にも結婚禁止を除く厳しい教義を課している。
だが、そのせいで逆に信徒が増えないという矛盾も発生していた。
世間の人達の大半は、聖職者の堕落には眉を顰めている。
ところが、自分で厳しい戒律を守ろうとする意志があるのかと問われると、それは嫌な人が大半であった。
この辺の知識は全てエーリッヒ兄さんからであったが、話を聞くだけで気が滅入ってくるような話ではある。
前世も今世も、宗教にそう違いが無かったからだ。
『ホーエンハイム枢機卿は、マシな部類に入る人だという評判だね。無役の法衣だけど子爵だし、聖職者にしては寄付金に五月蝿くないし』
下手に平民出で高司祭などになっていると、何をするにも寄付金を寄越せと五月蝿いらしい。
上に上がるために、寄付金という営業ノルマに苦しんでいた頃の癖が抜け切らないのだ。
逆に貴族や商人出身者は、さほど苦労しなくても寄付金が集まって出世できるので、意外とその辺は鷹揚な人が多いそうだ。
『平民出の高司祭には、気を付けろ』
これが、世間の常識らしい。
「私の自慢の孫でしてな。聖の治癒術が使えるので、このように修道女として修行に出しているのです」
この世界の聖職者は男性も女性も結婚が自由だし、聖職者籍の出入りも自由なので。
彼女のような聖魔法の使い手でなくても、子供を教会に預ける人が多い。
貴族が多いので空いている時間に勉強などを教えて貰えるし、女の子には嫁入り修行の場としても提供されていたからだ。
「聖の治癒術が使えるのですか。俺は、聖の魔法は聖光しか使えないのです」
「使えるだけで大した物ですよ。それに、水の治癒魔法を使えるとかで?」
「ええ(良く知ってるな……)」
さすがは、教会幹部であるホーエンハイム枢機卿とでも言うべきであろうか?
今まで碌に水系統の治癒魔法など使った事もないのに、それが使える事が知られているのだから。
冒険者予備校ルートからであろうか?
数回、実習授業で披露した事があるので、その線で漏れたのであろう。
教会の諜報網が、とにかく広くて深い証拠でもあった。
「良くご存知で」
その時に、軽傷者を数名治している。
本当は、師匠が言うにはかなりの重傷者も普通に治せるそうなのだが、だからと言って急に重病人など現れるはずもなく。
俺の治癒魔法は、まだ未確定な部分があった。
「まあ、教会の目と耳は良いですからな」
所詮、俺程度の人間が下手に能力を隠しても隠し切れる物ではないので、ここは大人しくしている事にする。
『さすがは、アルフレッドの弟子である! 魔法の器用さは、師匠譲りなのである!』
一人、こう言って物凄く感心しそうな導師様がいたが。
「エリーゼは、あくまでも嫁入り前の手習いでここに置いています」
「あれ? ですが、治癒術が使えるのですよね?」
「ええ、それもかなりの才能です」
魔力量は、中級から上級の間。
聖属性の魔法しか使えないという欠点があったが、先日のパルケニア草原開放作戦でも、応急処置をして運び込んだ重傷者を数百人レベルで治療したとのホーエンハイム枢機卿からの話であった。
「この娘の祖父としては、普通に嫁いで欲しいのですよ。治癒術に関しては、結婚生活に支障が無い程度に指名を受けて働けば宜しいかと」
ホーエンハイム枢機卿は、少なくともこの孫娘を聖職者にするつもりはないようだ。
どうせ治癒術が使えるので、地元の教会や冒険者ギルドなどから治療の依頼は入るらしく、結局あまり変わらないのだとか。
嫁入りするまでは教会で見習い修道女として治癒を行い、結婚後は依頼で治療を行い、貰った代金の一部を教会に寄付する。
こういう、治癒術持ちの既婚女性は結構多いらしい。
「この子は器量も良いし、心根も優しい娘です。なので、最高の婿を探したいのです」
それに、エリーゼはホーエンハイム枢機卿の嫡男の娘なのだそうで、当然それなりに家格の釣り合う婿でないと駄目なようだ。
ホーエンハイム枢機卿は子爵なので、爵位が上下一個くらいの当主か跡継ぎに。
これくらいが相場だと思われる。
「エリーゼさんはお美しい方なので、競争になっているのでは?」
『人を茶に呼んで、孫娘自慢かよ!』とも思ったが、ここで教会の偉いさんを怒らせてもメリットなど無い。
俺は、ひたすらにエリーゼという娘を褒めていた。
前世における、二流商社サラリーマン時代の癖が出たのだ。
実際、褒めるのに値するほど美しい少女でもあったので、ヨイショする分には楽であったが。
もし○ャイ子のような女だったら、さすがの俺も何も言えなかったであろうし。
「正直な話、是非にという家は多いですな」
数家の伯爵家から、当主や跡継ぎの正妻として打診を受けているそうだ。
「でしょうな。これほどにお美しい方だと。俺も、立候補してみようかな?」
後になって、なぜこんな事を口走ったのかを冷静に分析してみたのだが、それは俺が前世の記憶を引き摺っていたのようだ。
前世での俺は、簡単に言えば女にモテなかった。
本当に誇張無しでモテなかったので、イーナやルイーゼのような相当の美少女と知り合っても、自分が恋愛・婚姻対象になるとは思っていなかったのだ。
友人になれただけでもラッキーだと思うほど、まず縁の無いレベルの美少女だと思っていた。
そこに、リアルが無かったのであろう。
「おおっ! エリーゼを、妻として受け入れてくださると?」
「まだ俺は未成年ですから、今だとまだ婚約でしょうかね?」
普段なら絶対に言えないセリフと口の軽さであったが、これはまずあり得ないと心の中で思っていたからであった。
一種の社交辞令、冗談の類だと思っていたのだ。
「そうですな。エリーゼもバウマイスター男爵と同じく十二歳なので、今は婚約だけにして成人後に正式に婚姻となるでしょうか?」
「そういう事になるでしょうね」
「では、そういう事で」
「えっ?」
突然、ホーエンハイム枢機卿が真顔になったので、俺は笑顔のまま凍り付いてしまう。
「陛下にお尋ねしたところ。『年も同じであるし、似合いの夫婦となるであろうな』とのお言葉を頂きまして」
「えっ? これって、本当に?」
まさか、本当にこのエリーゼという娘と婚約する事になるとは思わず、俺は頭の中が完全に混乱したままであった。
「この娘の母親ですが、実はアームストロング導師の妹に当たりまして。導師も、この婚約には大賛成であると」
更に、とんでもない情報が飛び込んで来る。
陛下のお墨付きな上に、この娘はあの筋肉魔法使いアームストロング導師の姪にあたる人物であるらしい。
なので、俺は彼とも親戚になってしまうようだ。
『ようだ』などと言うと、もう確定しているように聞こえるが、実際もう確定したような物であろう。
この情況で、この婚姻を断る勇気のある貴族など。
それは勇気があるのではなく、ただのバカか無謀なだけでしかない。
それと、結婚の意志をエリーゼの方に聞くのは酷だ。
彼女は貴族の生まれであり、親に俺と婚約しろと言われて断れるはずがないからだ。
貴族の結婚は、半分責務で仕事でもある。
だからこそ、恋愛結婚をした貴族が後世に語り継がれるほど珍しがられるのだから。
「エリーゼも良いな? 夫君となるバウマイスター男爵殿だ。挨拶をしなさい」
「はい、お祖父様。バウマイスター男爵様のご活躍は、王都中の話題になっていたのでお伺いしておりました。そのような方の妻となれて嬉しゅうございます」
「……」
「バウマイスター男爵殿?」
「ええと……。ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターです。正式な婚姻は成人後ですが、宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
いくら前世の記憶があっても、強力な魔法が使えても。
やはり、俺は所詮俺。
老練なホーエンハイム枢機卿に乗せられて、僅か十二歳にして婚約者まで決められてしまうのであった。