幕間三 そんな貧乏領地いらんわ!
「拙い! 拙いぞ!」
もう何年かで家を出る予定だったのに、突然領内の名主から領地を継いで欲しい。
そのために、協力は惜しまないと言われたで御座る。
などと、ふざけている場合ではない。
下手をすると、兄と殺し合う最悪の結末に至る可能性もあるのだ。
ところが、俺にはどうして良いのかわからない。
前世の経験など、まるで役に立たないからだ。
平凡なサラリーマン家庭に生まれ、自分の他に兄弟は弟一人しかいない家で、お家騒動など起こるはずもない。
というか、御家騒動の相談に乗ってくれる人というのも逆に怖いような気もするのだが。
とにかく俺は、なるべくクラウスとの接触を避けるようにしていた。
いや、もう探知の魔法をフルに使って家族以外との接触を避けたのだ。
さすがにクラウスも、『次期当主をヴェンデリン様に交代する
相談をするので、出て来てください!』と、家の前では叫ばないであろうし。
朝、誰よりも早く起き、夜も大分遅くに戻って家で寝るだけという生活になっていた。
もう食事すら家で取らずに、自分で自炊したりブライヒブルクの店で食べたりしていたのだ。
既に半分家を出ているような感覚に襲われるが、まだ法律的にはバウマイスター家の庇護下にある未成年で、継承順位五位を持つ子供の一人であった。
そのせいで、余計に面倒な事になっているのだが。
家族が食事すら取りに来ない俺に何も言わないのが、唯一の救いかもしれなかった。
「ヴェル君、エーリッヒさんからお手紙が来ているわよ」
「すいません。義姉さん」
夜、遅くなってから家に戻ると、部屋の前にクルト兄さんのお嫁さんであるアマーリエさんが居て、俺に手紙を渡してくれる。
思うに、今の俺が一番バウマイスター家で会話があるのが、この人であった。
「丁寧な字ね。漢字も使ってあるし」
アマーリエ義姉さんが、エーリッヒ兄さん直筆の手紙のあて先などを見て感心している。
同じ田舎の騎士爵家の出にも関わらず、実は彼女は漢字も混じった字の読み書きが可能であった。
次女なので、もし商家などに降嫁する事になったらと、両親から勉強させられたそうなのだ。
「エーリッヒ兄さんは、お役人ですからね」
前に、ひらがなとカタカナだけの文が庶民向けで、漢字とローマ字と英単語などが混じると、貴族向けや公の効力がある文章だと説明した。
他にも、こうやって個人同士の私信でも漢字交じりの文章が混じると、周囲から知性的だと思われるという利点もあったのだ。
簡単な、印象操作とでも言うのであろうか?
一種の見栄というか、アピールという面も強い。
手紙の封筒なので、『速達』とか、『南部』とかしか漢字は使われていないが。
あとはもっと単純に、もし手紙が開封されてもこの家では俺以外に読めないという利点もある。
ただ、ここ数年はアマーリエ義姉さんという例外が一人生まれていたのだが。
「手紙なんて、この家だとヴェル君と私くらいにしか来ないものね」
アマーリエ義姉さんにも、たまに実家から手紙が来ているようだが、返事は手紙が来る頻度よりも書けないのが普通だ。
この世界にも、郵便システムは存在している。
ある規模以上の町の商業ギルドに専用の受付があり、料金は距離に応じて先払いをする。
最低でも、銅板五枚なので五千円程度。
相手さえちゃんとしていれば、隣国のアーカート神聖帝国にも送れるが、国が違うと銀貨五枚、五万円は余裕で超えてしまう。
届く時間も、数ヶ月先などザラというのが普通だ。
速達で早くする事も可能であったが、それを使うと余計に金がかかる仕組みになっている。
ちなみに、我が領に郵便の受付など存在しない。
ブライヒブルクの商業ギルドに届いている手紙を、年に三回来る商隊が運んで来るだけがツテであった。
逆に手紙を出す時には、バウマイスター領に来た商隊に料金と共に渡すだけだ。
当然、手紙を運ぶ商隊への手間賃も発生するので、余計に割高になってしまう。
どうせ手紙を出したり貰ったりするのは、俺とアマーリエ義姉さんだけなので大して不便でもなかったのだが。
ちなみに、アマーリエ義姉さんが実家に手紙を出すと、商隊への手間賃込で銀貨二枚かかる。
嫁の立場としては、年に一回出すのが限界なのだそうだ。
俺の場合は、子供の頃から小遣いすら貰っていないので、現金は持っていない事になっている。
なので、父に立て替えて貰って、後で魔法で獲った獲物を代金として渡していた。
あと父に、『どうせ、商隊なんて年に三回しか来ませんし。アマーリエ義姉さんが、年に三回手紙を出しても良いと思うのですが』と言って、多めに獲物を渡している。
父は何も返事はしなかったが、次からは商隊が来る度にアマーリエ義姉さんが手紙を預けていたので、こちらの頼みは聞いて貰えたようだ。
それからであろうか?
アマーリエ義姉さんが、良く話しかけて来るようになったのは。
「エーリッヒ兄さんからの手紙は、漢字が多いですからね」
「職業病かしら?」
一応職業病だという理由にしているそうだが、実はわざと漢字の比率を半分以上にまで上げているのだ。
父や兄は漢字が読めないので、もし手紙を読まれても内容がわからない、一種の暗号として機能していた。
幸か不幸か。
今まで、一度も開封されて読まれた事はないのだが。
「王都かぁ。華やかなんでしょうね」
アマーリエ義姉さんの実家も、うち程ではないが田舎なのだそうだ。
なので、王都は憧れの大都市と言った感覚らしい。
「大人になったら、絶対に行ってみたいですね」
「死ぬまでに、一回は行ってみたいわね」
それから暫く二人で世間話をしてから、俺は自分の部屋に戻る。
昔は兄弟四人で使っていて狭い部屋だったが、今は寝る以外に使わないせいもあって、えらく殺風景で広く感じてしまう。
俺はベッドの上に座り、早速手紙を開封してみる。
実は、エーリッヒ兄さんにクラウスの件を相談したのだ。
『大変な目に遭ったようだね。実は、僕も過去に同じ目に遭っているんだけど……』
「(あの野郎……)」
エーリッヒ兄さんからの手紙によると、彼も実家を出る前に同じ事を言われたらしい。
何でも、『漢字も書けないクルト殿よりも、あなたが次期領主になった方が、計画的に領地を富ませる事が出来るはずだ』と説得されたらしい。
『でも、それがあの人の常套手段。見た目の腰の低さと言葉に騙されないで』
エーリッヒ兄さんによると、あのクラウスという名主は要注意人物なのだそうだ。
『従軍経験もあるし、名主としての職務は完璧にこなす。有能なんだけどね……』
同時に、欲深いという面も持ち合わせているそうだ。
『バウマイスター領には、他にも名主が居るけど。彼は、その中から一歩抜きに出るために、父に娘を妾として差し出した』
その結果、屋敷に出入りして領内全ての税収の計算や帳簿などを任されるようになったらしい。
当然、他の名主からは良くは思われていないようだ。
『ここからは僕の予想だけど、バウマイスター家の次期当主を僕やヴェルにして何の得があるのか。手紙には、クラウスは腹違いの弟や妹達も連れて来たと書いてあったね』
もし兄達を差し置いて、俺が次期領主になったとする。
当然、同腹の兄達との関係は最悪になるので、統治面での協力が貰えるかどうか難しい所だ。
次男のヘルマンに関しては、『もう自分は、他の家の人間になったのだから』と割り切っているのであろう。
『自然と、腹違いの弟や妹が嫁ぐ家を当てにするだろうね。クラウスには、大きな利益があるわけだ』
エーリッヒ兄さんは、あくまでも予想だと言っていたが。
クラウスが、彼にまで同じ誘いをかけていたとなればクロであろう。
『彼の言う事は、間違ってはいないからね』
せっかく、広大な未開地があるのだから。
長子継承に拘らずに優秀な領主の下で開発を行い、バウマイスター家を準男爵、男爵、子爵と発展させるべきだと。
その計画の中には、父の血を継いだ自分の孫達が相応の待遇を受けるという未来もあるのであろうが。
なるほど、領地の発展とクラウス一家の発展はセットと言う事のようだ。
『対策としては、とにかくクラウスと顔を合わせない事だね』
本当に、もうこれしか対策がないとも言える。
『利口ぶって父に話したとして、父が何にも気が付いていなかったら大惨事になるから』
父からすれば、クラウスは裏切り者に等しい存在なわけだ。
当然、相応の罰を受ける事となる。
ところが、我が領はクラウスがいないと税金の計算さえ正確には出来ない。
こんな家が将来爵位を上げるという未来など、俺から言わせればギャグにしか聞こえなかった。
『父や兄からすれば、もし事が露見すればクラウスは切るしかない。ところが、そうなれば領は混乱する。その混乱で出た恨みの一部は、ヴェルにも行くから』
俺のせいではないが、『お前がいなければ!』という事になるからであろう。
何とも理不尽な、将来の可能性ではあったが。
『かと言って、その被害を防ぐためにもっと家族や領民とのコミュニケーションをとか考えているかい? それも、駄目だから』
俺が魔法を使える事は、とうに漏れているのだ。
ここで急に領民と接したとしたら、彼らは余計に新領主ヴェンデリンを期待してしまうであろう。
もしそうなれば、逆に家族からは疎まれる事になるはずだ。
そこで、腹違いの兄弟姉妹が手を貸しますよとクラウスが近付いて来る。
考えるだけで、嫌になってくる話だ。
『ヴェルはこのまま、変わり者で領の仕事なんて手伝いもしない怠け者の八男として家を出るのが一番良いと思う』
クラウスとは絶対に会わない、顔も合わせない。
このまま今の生活を続行しつつ、なるべく早くに家を出る算段をつける。
エーリッヒ兄さんからの助言に、俺は従う事にする。
こんな俺の相談に乗ってくれる本当に良い兄さんで、間違いなく今世で唯一肉親だと本能で認識している人物であろう。
俺はお礼の手紙を認め、速達代金の替わりに未開地で採取した宝石の原石をそっと中に入れておく。
そして肝心の早くに家を出る算段であったが、答えは意外と近い場所に存在していた。
なぜ気が付かなかったのであろうかと思うほど、とても簡単な手であったのだが、俺は十二歳になる少し前にようやく家を出る事に成功するのであった。