第十七話 海には、夢が詰まっていると思う。
「しかし、そこで諦めては○西先生も駄目だと言っていたな」
数日後、俺は海岸で新たな取り組みを開始していた。
別に海岸でわざわざ行う必要はないのだが、ここだと人目は皆無であったし、何より自由に海の幸が食べられるのが良い。
「ここでは、塩も大量にあるからな」
俺が今挑戦しているのは、土系統魔法の応用オリジナル魔術であった。
まずは、いくらでも好きに使える大量の海水を材料に、魔法で塩を作る実験を行うのだ。
ただ、この魔法は師匠が残した本にも書かれている。
冒険者が塩を切らした時に、土や岩塊、動植物に果ては魔物の死骸まで。
そこに僅かに含まれる塩を、魔法で精製して得る事は良くあるらしい。
人間とは不思議な物で、まだ食料が十分にあっても、それに塩味が付いていないだけで食欲を亡くして死んでしまう事があるそうだ。
人間にとって、塩はそれほど重要な物なのだ。
話を戻すが、師匠からの本に書かれていた魔法のコツによって、俺は無事に素早く大量の高純度の塩を得る事に成功していた。
塩化ナトリウム99.9%とまではいかなくても、白くてサラサラした塩は、屋敷にある少し黄色がかった塩や岩塩とは一線を画すものだ。
「というか、塩の販売で生きていけるかも」
などと考えてしまう俺であったが、ここで満足をしてはいけない。
この塩を材料に、あの調味料の復活を企んでいたのだから。
「まずは、味噌からだ」
うちの領内どころか、この世界でも大豆はポピュラーな作物だ。
家畜の餌にしたり、スープに入れて煮込んだり、雑穀として麦粥に入れたりして食べられている。
値段も安いので、俺はここに来る前に屋敷の近くで畑を耕している領民から麻袋一袋分をゲットする事に成功していた。
代金は、自分で獲ったウサギの毛皮と肉である。
さて、あとはこの大豆と塩を材料に味噌を作るだけだ。
この世界には味噌がないので完全に手探りとなるのだが、幸いにして参考になる魔法が存在する。
魔法使いの一部には、自分で準備したブドウを材料に一瞬にしてワインを造ってしまう猛者が存在するらしい。
他にも、麦を材料にエール、砂糖を材料にラム、ハチミツでハチミツ酒などもあるそうだ。
この世界でも糖質がアルコールに変化する仕組みは知られているようで、色々な物を材料に酒を造る魔法使いは存在していた。
普通なら長期間かかる醸造の行程を、魔法で一瞬にして行うのだと言う。
真面目に酒を作っている醸造元からすれば噴飯物なのかと思えば、実はそうでもないらしい。
なぜなら、味はやはりプロの酒蔵の方が上であったし、たまにプロ顔負けの酒を造る魔法使いもいるようだが、今度は量が伴わない。
大半が、趣味で作って自分や家族で楽しんでいるレベルなのだそうだ。
とはいえ、普通に飲める酒の醸造が僅かな時間で出来るのだ。
ならば、味噌の醸造だって可能なはずだ。
「まずは味噌だ。そこから、味噌溜りに進み、最後に醤油の醸造も魔法で。夢が膨らむなぁ」
俺は、早速味噌の作成を始めるのであった。
「はははっ……。まさか、こんなに苦戦するとは……」
俺は、ようやく完成した味噌と醤油を前に、この一年間ほどにも及ぶ苦労を思い出していた。
魔法なら気軽に作れるはず。
そんなに量も必要ではないし、俺の分だけあれば良いんだからと。
もし過去に戻れるのなら、そんなお気軽な発言をした俺に注意したくなるほどであった。
味噌の造り方は、昔に田舎の祖母が自分で作っていたので行程くらいは知っていた。
何回か、実際に手伝った事もあったからだ。
実際に大豆を煮るとかは、これは魔法に任せるのが普通なのでしない。
しなくても、豆を煮た状態に魔法で変化させる事は簡単だったからだ。
それと次の材料の混ぜ合わせまでは良かったのだが、次の発酵で大きく躓く事となる。
材料が、何回魔法をかけても腐ってしまうのだ。
昔に、高校時代の生物の教師が、授業中に雑談をしながら質問して来た事があった。
『発酵と腐敗の差とは何だと思う?』と。
みんな色々な答えを出したが、正解はこうであった。
発酵も腐敗も、同じ現象でしかない。
人間にとって有用なのが発酵で、害なのが腐敗なのだと。
こうして俺は、山ほどの大豆を無駄に腐敗させながら、狩ったウサギと大豆を毎日のように交換し、領民達から変な目で見られ続ける事となる。
それでも、何千回もの失敗の後に、何とか味噌の製造に成功していた。
そして、それと同じくらい醤油でも失敗を繰り返す事となる。
というか、上級の師匠の本ではかなり難しいとされる魔法でも数回で一応は成功させてしまう俺なのに、他にも色々とオリジナル魔法の開発を成功させているのに。
まさか、味噌と醤油の製造で失敗を繰り返すとは思わなかった。
ただ醤油の場合は、なかなか味噌溜りから進歩が無かったという種類の失敗だったので、これは大豆を無駄にはしていない。
やはり毎日大豆を交換していたので、領民達からは変な目では見られていたが。
あまりに毎日大豆を交換するので、領民達は食事に大豆を使わなくなったらしい。
それよりも、俺とウサギや猪の肉と交換した方が毎日肉が食べられる事実に気が付いたのであろう。
何に使っているのであろうと疑問には思うのであろうが、そこは一応は領主の息子。
対等な交換で搾取されているわけでもないので、心に棚を作って普通に交換に応じているのだと思う。
うちの家族が、何も言って来なかったのが幸いとも言えた。
扱いが、腫れ物に触れるの類だからなのだろうが。
なお、なぜか酒の製造魔法の方は一発で上手くいっていた。
またも屋敷近くで畑を耕す領民と、狩ったホロホロ鳥と麦を交換し、それで麦焼酎やエールを。
他にも、未開地で採集した山ブドウや野イチゴなどの自然の果物を材料に、ワインのようなお酒も製造に成功していたからだ。
まだ体が子供なので試飲は味見程度しか出来なかったが、なかなかに美味だったのでこれは魔法で土から頑丈な甕を作り、そこに酒を入れて密封して魔法の袋に仕舞っておく事にする。
土から魔法で焼き物の原料として最適な二酸化珪素、酸化アルミニウム、水を取り出して粘土状にし、甕の形に整形して、高温の釜で焼成を行った後の状態を目指して材質を変化させたのだ。
火の魔法で焼くという考えも一瞬浮かんだのだが、さすがに高温の火の魔法を一週間出し続けるのは不可能であったので、これはすぐに却下した。
最初は、脆くてすぐに崩れたり、水漏れが酷い甕ばかりが完成して粘土を相当に無駄にしたが、数百回の試行錯誤の後に、酒や味噌や醤油の保存に相応しい甕が完成している。
甕の造形美に関しては、これは俺の芸術センスの欠如によってまず売り物にはならないであろう。
要は、作った発酵食品の保存に使えれば良いのだ。
漏れなければ、魔法の袋に入れておけば品質は劣化しないのだから。
そんなわけで、この一年間は甕と味噌と醤油の製造に全力を傾けていたような気がする。
他にも、魔法で塩を精製したり、ふと南方に島を発見し、そこで自生していたサトウキビから砂糖の精製を魔法で試みていたりと。
砂糖は、リンガイア大陸の南端地域や南方海上に浮かぶ島嶼などで栽培されているらしい。
当然、王都や北方地域、果ては輸出品としてアーカート神聖帝国にも輸出されているようであったが、俺はバウマイスター騎士領内では一度も見た事がなかった。
何でも、需要に比べて極端に生産量が少ないので、価格が塩よりも圧倒的に高いからなのだそうだ。
財政的に厳しい我がバウマイスター家ならば、贅沢品の砂糖などよりもその何十倍もの量が買える塩なのであろう。
あとは、森で獲れるハチミツや果物とか、汁を煮ると軽く甘い蜜が出来る蔓などで甘味を補っているのが普通であった。
話は長くなったが、何にせよこれでサバの味噌煮を作ったり、サザエのツボ焼きに醤油を垂らす事が可能になったわけだ。
海と繋がっている河川では、南方なのになぜか鮭に似た魚も遡上するので、これでチャンャン焼きやイクラの醤油漬けなども作れるはずである。
「だがこうなると、余計にアレが必要となるな」
日本人には欠かせない主食、米の存在であった。
ここは南方なので栽培しているのかと思ったのだが、少なくとも我が領では栽培されていないらしい。
だが、無いはずはないと本で調べた結果、他の南方では作られているという記述を発見していた。
この事実を知った時に、俺は自分の新しい父親がバカなのではないかと思ってしまう。
水が不足しているわけでもないのに、麦よりも収穫効率の良い米を作らないとは。
水田を作るのには最初は苦労するはずだが、水田ならば連作障害も起きない。
どうせ開墾で苦労するのであれば、水田を作るべきだと俺は思っていた。
まあ、これは碌に家の手伝いもない放蕩息子の口先だけ発言でもあったのだが。
俺が進言してもまず聞き入れては貰えないとは思うし、南方で栽培しているとなれば、これは自前で手に入れるしかないであろう。
普通に市場で買えば良いわけだが、それにはまず外部に瞬間移動が可能なように瞬間移動のポイントを領外に作る必要がある。
つまり、一度はそのポイントに自力で移動しなければいけないのだ。
「第一の目標は、ブライヒレーダー辺境伯の館がある南部最大の商業都市ブライヒブルクだな」
ブライヒブルクは、先代が大きな失敗をしてその損害の回復で苦労はしていたが、その程度では揺るがない大身ブライヒレーダー辺境伯領の本拠地で、南部辺境地域における最大の商業都市であった。
南部に領地を持つ貴族達は、かならず贔屓の商人に商会の支店を作らせて常駐させていたし、近隣からも多くの人達が観光や買い物に訪れる。
そして何より、ここには南部辺境地域を統括する冒険者のみならず、各種ギルドの南方本部が設立されていたのだ。
「次の目標は、ブライヒブルクに瞬間移動で移動可能になる事だな」
米の購入に関しては、魔法の袋の中に入っている物でいくらでも購入可能であった。
師匠の財産や、ブライヒレーダー辺境伯軍の軍需物資に、壊滅するまでに得ていた魔物の素材なども大量にある。
更に、この一年ほどで大量の発酵食品や塩や砂糖なども大量に生産していたのだから。
保存する甕と合わせて、毎日必死に努力した甲斐もあり、魔法の袋には既に数万個に及ぶ甕が収納されていた。
数が異常に多いような気もしたが、これも魔力量の増大を兼ねた訓練のためでもあったからだ。
慣れるとどうしても魔力の使用量が効率化されて減るので、魔力量上昇のために限界まで魔法を使う訓練をする時に、次第に出来上がる物が増えてしまっていた。
別に攻撃魔法でも良いのだが、いくら無人の平原とはいえ火炎や竜巻の魔法を連発させると環境に悪いので、魔力量を上昇させる訓練では土系統の生活魔法を使う事が多かったのだ。
「明日からは、山道を走らないといけないからな。早く帰って寝よう」
俺は、瞬間移動の魔法を唱えて急ぎ家へと帰還するのであった。