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幕間二十四 とある貴族の慣習について。

「どうも初めまして。アルトゥル・フォン・ベンノ・バウマイスターです」


「こちらこそ初めまして。アマデウス・フライターク・フォン・ブライヒレーダーです」


 思えば、妙な挨拶である。

 今は隠居の身だが、バウマイスター騎士爵家の当主を三十年以上も務めたのに、寄り親であるブライヒレーダー辺境伯との初めての顔合わせ。


 普通ならばあり得ないが、以前のバウマイスター騎士爵領とブライヒレーダー辺境伯領との間にあるリーグ大山脈がそれを現実の物としていた。


 思い起こせば、父の急死後に襲爵の儀に出るため王都に向かう途中、挨拶をしたブライヒレーダー辺境伯は先代であった。

 ブライヒブルクに帰る商隊に同行し、当時はまだ同じく若く山越えに慣れたクラウスと共に先代に挨拶をし、王都行きの魔導飛行船の便が出るまで屋敷に泊めて貰ったのだ。


 少しは費用が浮いたが、往復の魔導飛行船の料金が二人分に、王都での滞在費と。

 本当は一人で行きたかったのだが、さすがに貧乏騎士でも一人での王都行きは躊躇われ、その分費用は高くついた。


 それでも父が先に病死していたので、一刻も早く襲爵の儀を受けないといけなかったのだ。

 鎧や剣が入った箱を重そうに担ぐクラウスは、私が全ての経費を負担するのを見て申し訳なさそうにしていた。


 普通、従者がそんな事など気にするはずがない。

 それほどうちが貧乏だという事だ。


 ただ、私が生理的に合わないと思っているクラウスのそういう視線を見ると、バカにされたようで腹が立ってしまったのも事実だ。

 

 クラウスは優秀ではあるが、私とは反りが合わない。

 一番最初に強く認識したのは、この時であろう。


 ブライヒレーダー辺境伯家の重臣達も、私を見てバカにしたような視線を向けていた。


 仕方が無いと言えばそれまでだが、やはり頭に来るものである。

 

 ただ、そんな気に食わない連中も先代ごと魔の森で戦死している。

 うちも大打撃であったが、ただ一つ溜飲が下がったのも事実かもしれなかった。


「バカな跡取りの暴走を抑えられず、無能な先代ですよ」


「ええとまあ……。あの立地では、私でも似たような結果になったかなと……。ヴェンデリンさんでもないと」


 今代のブライヒレーダー辺境伯は、若いながらも先代ほど傲慢な人物ではないようだ。

 こんな、無能な隠居ジジイに気を使うくらいなのだから。


「お気遣いは無用です。私は、ヴェンデリンに継がせるという決断が出来なかった。無能な元当主なのですから」


「それをすると、それはそれで反発が多そうな気もしますが……」


「他の兄達。出来ればエーリッヒですか。あいつに継がせていれば、ヴェンデリンを上手く使ったでしょうね。愚痴は止めましょう」


「そうですね」


 もう既に実現不能な仮定の話は止めて、実は私がブライヒレーダー辺境伯に呼び出されたのは、ヴェンデリンの父親として大切な事を決めなければいけないからであった。


 今までなら、いきなりブライヒレーダー辺境伯に呼び出されても僅か一日でブライヒブルクに辿り着く事など不可能であった。


 それが今では、私が移り住んだパウルの新領地も合わせて定期的に来る魔道飛行船に乗ればすぐに到着するのだから。

 高山病の危険と、野生動物やワイバーンの襲撃に備えながら大リーグ山脈を越える必要がなくなったのだ。


 領地の開発も、ヴェンデリンの魔法のおかげで順調に進んでいる。

 パウルは元警備隊の同僚達やその知己を呼び寄せて家臣団を形成し、クルトの事件に連座してバウマイスター騎士爵領にいられなくなった領民達も受け入れ、今では人口が二百人を超えている。


 クルトの死から僅か二ヶ月ほどで、驚異的なスピードと言えよう。

 

「問題は、『あてがい女』の件ですよね?」


「まあ、そういうわけです」


 あまり良い風習とはいえないが、『あてがい女』とは貴族の跡取りなどが結婚をする前に、そういう事を教える女の事である。

 教えないで失敗してしまい、その結果子供が出来ないと大変なので、王族、貴族、商人、大豪農などの跡取りにそういう女を宛がうのだ。

 大抵は跡取り長男だけにあてがうが、経済的に余裕があると次男や三男にもあてがう家もあった。


 この辺は、ケースバイケースとも言える。


 ただ、その選定条件は厳しい。

 目の前にいるブライヒレーダー辺境伯に相談しても、彼も思案に耽るくらいの問題なのだ。


 まず、商売女は駄目である。

 病気の問題があるからだ。

 性根に問題がある女もいるので、その関係を大々的に世間に吹聴したり、最悪それをネタに強請る可能性もあった。


 次に、素人でも欲の深い女や口が軽い女も駄目だ。

 どうせ領内で噂になって知られてしまうが、公式には妾でもないので、後で結婚した妻達と対立などされたら目も当てられない。

 男の方が初めての女なので妙に気に入ってしまい、強引に妾にしようとすると、奥の序列が乱れて争いの原因になる事もあった。


 女自身が野心を抱いて、男を誑かす案件も決して少なくは無かったのだ。


「領民で未亡人とかいませんか?」


「いるにはいますが、あの事件の係累の妻とかですよ」


 ヴェンデリンを暗殺しようとしたクルトの共犯の元妻達なので、さすがにあてがうわけにもいかなかった。


「私は男なので相談には乗りますが、うちで紹介するのは厳しいですね」


 昔のバウマイスター騎士領の跡取りなら、ブライヒレーダー辺境伯もすぐに推薦してくれたはずだ。

 だが、今のヴェンデリンの影響力を考えると、下手な『あてがい女』を紹介してその女が余計な事をすれば、非難を受けるのはブライヒレーダー辺境伯になってしまう。


 彼も、余計なリスクは取りたくないであろう。


 かと言って、私にもそう当てがあるわけでもないのだ。

 何しろ今の私は、ただの隠居ジジイなのだから。


「本とかを渡してお茶を濁しません?」


 子供全員に『あてがい女』など不可能なので、大抵次男以降はそういう本を見て予習する。

 妻になる女性側も、嫁入り前にそういう本を母親から見せられて学習するのだ。


「大変に個人的な話で恐縮ですけど、アルトゥルさんはどうでした?」


「特定の『あてがい女』はいませんでしたよ」


 私が若い頃には、領内の南部出身の女性達は性に奔放だった。

 人妻なのに、平気で浮気をするのだ。

 しかも、女性からの誘いを断ると失礼に当たるとかで、私も随分と相手をしたものだ。


 もっとも、司祭であるマイスター殿に知られて、その風習は一気に廃れてしまったのだが。

 あの頃の私は、まあ若気の至りという奴であろうか?


『何たるふしだらな風習! その行為を神に向かって堂々と口に出来るのですか?』


 当時から老人であったマイスター殿は普段は温和であったが、この時ばかりは烈火の如く怒り、村人達も怯えてしまったほどだ。


 クラウスの奴は、そんな私を非難めいた目で見ていたようだが、なら代わって欲しかったとも当時は思ったものだ。

 人が領内の融和のためにどれだけ苦労しているのか知ってる癖に、本当に嫌な男であった。


「私には普通にいましたね」


 跡取りであった兄が病弱で、予備扱いの自分にもそういう女が宛がわれたそうだ。


「とある小身の陪臣の娘でして。若くして夫を亡くして未亡人だったのです」


 そういう事を教えるので、当然経験がある女性が選ばれる。

 更に旦那がいると話がややこしくなるので、必ず未亡人が選ばれるのだ。


「私の結婚と同時に関係は終わって、迷惑料的な物を払って終わりですね」


 その女性は、今はとある老齢な陪臣の後妻になっているそうだ。

 勿論、その陪臣共々言い含められているので大人しくしているらしい。

 大人しくさせられるという点で、私はブライヒレーダー辺境伯家が羨ましかった。


「クルトさんは?」


「そういう余裕がなく……」


 狭い孤立した領地なので、そういう女をあてがうと問題が表面化しやすい。 

 なので、本を渡してお茶を濁していたのだ。


 思えば、そういう部分も含めてクルトがおかしくなった原因なのかもしれない。

 自分は貴族家の跡取りなのに、なぜ他の家の跡取りと待遇が違うのかと。

 まさかとは思うが、それが原因ではないと百%断言できない辛さがあった。


「アルトゥルさん自身に準備して欲しいところですね。ただ……」


「バウマイスター伯爵家周りは避けたい……」


 新興伯爵家で新規の家臣ばかり大量にいるので、そこの縁から決めるとトラブルが発生する可能性があるからだ。

 下手にどこかの貴族家と縁がある女だと、新興のバウマイスター伯爵家相手なのでそれをネタに出しゃばる可能性が高い。


 家臣団の形成が終わっていないので、その縁で重臣に成り上がる可能性があるのだ。

 お気に入りの妾になって子を産み、その子を強引に跡取りにして外戚として力を振るう。

 

 良くある話だが、その手の危険性は避けるべきであろう。 


「困りましたね……」


「ええ……」


 懲罰的な意味を込めて、先日の共犯者の妻達でも良いかなと思ったのだが、よくよく考えると年齢が釣り合わなかった。

 あの連中は若くてもクルトと同年代だったので、その妻達はみんな三十歳超え。

 こう言うと失礼だが、三十歳超えの大年増を押し付けて、ヴェンデリンが女に興味を無くしても意味が無いのだから。


「ヴェンデリンさんは、まだ十五歳ですしね」


 最高でも二十代で、それなりに器量も無いと『あてがい女』など付ける意味が無いのだ。

 本当に、面倒な慣習だと思ってしまう。


「うちのブランタークのツテで……。止めときましょう……」


「あのお抱え魔法使い殿ですか?」


「究極の独身主義者なので、商売女しか紹介できない可能性が……」


 確かに、それは止めた方が良いと私も思う。


「領民の中でか……」


 とはいえ、既にヘルマンが当主になっているバウマイスター騎士爵領内のツテは使えない。

 あの領地は、もうヘルマンの物なのだから。


「今、ふと思ったのですが、あの方はどうなのです?」


 ブライヒレーダー辺境伯殿は、ある人物の名を挙げていた。

 確かに、あの人物ならば条件に合致する。 

 ただ、本人がそれを受け入れるかという問題があった。

 何しろ、あんな事件があったばかりなのだから。


「本人に聞いてみたら如何です? 『案ずるよりも、産むが易し』と言うでしょう?」


「そうですな」


 結局、それが駄目なら本でも渡すかという結論に至り、私はブライヒブルクで家族にお土産などを購入してからパウルの領地に戻るのであった。





「私がですか?」


「この時期に、こういう事を頼むのは悪いとは思うのだが……」




 パウルの領地へと戻った私は、妻や孫達にお土産を渡してから、その人物を密かに人気の無い場所に呼び出していた。

 その時に、妻は嫌な顔をした。

 私が隠居をしてここに引っ越す時にレイラを連れて来なかったので、今度は彼女に手を出すのではと思っているようなのだ。


 確かに女は嫌いではないが、さすがにその辺の部分は弁えているつもりだ。

 レイラの件だって役得ではあったと思うが、バウマイスター騎士爵領の安定した統治のために冷静な判断して決定したのだから。


 間違いなく、レイラの方もそういう風に思っていたと思う。

 ちゃんとクラウスの跡取りとなる息子達を産んでくれたが、それは彼女の中では仕事であったのだと。

 現に当時から、本屋敷に住めなくても何の不満も漏らさなかったのだから。


 子作りのためにだけ顔を合わせるくらいで、ちょうど良かったのであろう。

 それでも、彼女はちゃんと仕事をしたのだ。

 隠居した私に付いて来なくても、特に不満はなかった。


 レイラの事はそれで良いのだ。

 

 問題は妻だ。

 五十歳の半ばを超えたジジイに、余計な心配をして欲しくない。

 今の私は孫達に弓や剣などを教え、空いている時間に開発の手伝いや、狩猟や採集による食料の確保などを行っている。

 

 あとは、五十の手習いで漢字や計算なども習っていた。

 教師役は妻であったが、今にして思えば彼女にこういう仕事をやらせておけば良かったようにも思える。


 領主の時は、いつも精一杯で気が付かなかったのだ。

 あとは、当時のバウマイスター騎士爵領では、保守的な領民達の反発であろうか?


 今では、その手の連中はヘルマンによって意図的に隠居させられて力を失っている。

 

 このパウルの領地は、まだ開発が始まったばかりで常に人手が不足している。

 なので、妻などの女性が書類仕事を手伝ってもあまり問題視されていなかった。

 

 これも、時代の流れなのであろうか?


 話を戻すが、父親としてバウマイスター伯爵になったヴェンデリンに『あてがい女』を付けなければいけない。

 しかも、妻や他の女性達にあまり知られないようにコッソリと行う必要があるのだ。


 どうせ隠し切れないが、あまり堂々と頼むのもおかしいので、こういう風に密かに候補者を呼び出す羽目になってる。

 大貴族だと、信頼できる陪臣などが勝手にやってくれるのであろうが、生憎と今の我が家では不可能であった。


「夫を亡くしたばかりなのに、こういう事を頼むのはすまないと思う……」


 私がヴェンデリンの『あてがい女』になるように頼んでいたのは、自爆したクルトの妻であったアマーリエであった。

 彼女は、かなり条件合致するのだ。


 まず、クルトの元妻で子供も二人いるので経験者である。

 未亡人で騒ぐ旦那もいないし、暗殺未遂事件の主犯であるクルトの妻であるが、他の共犯達の妻と違って彼女は貴族である。

 もし周囲に知られても、亡くなった夫の代わりにヴェンデリンへの罪滅ぼしをしているという風に受け取られるので得であった。


 年齢も二十七歳で、しかも彼女は童顔で若く見えるので大年増には見えない。

 それほど美人ではないが、可愛らしいタイプでヴェンデリンとも仲が良かった。

 彼女も本を良く読む人間なので、ヴェンデリンと趣味も合っている。


 彼女なら、最適だと思うのだ。


「はい。お引き受けします」


 意外にも、彼女はすんなりと私の要請を受け入れていた。

 安堵していると、彼女はその理由を話し始める。


「お義父様には申し訳ないのですが、当然打算はあります」


「当然だな」


 彼女には、クルトとの間に残された二人の息子達がいる。

 ヴェンデリンの甥にあたり、成人後には彼女の実家であるマインバッハの姓を継いで領地を分与される予定であった。


 ただ、その約束が確実に履行されるかと聞かれると、私もすぐに首を縦に振れなかった。

 ヴェンデリンには、これからも妻が増えていくと思う。  

 

 あいつがどんなに断っても、全くゼロになど出来ない。 

 なぜなら、それが貴族社会という物だからだ。


 当然、子供が沢山生まれるであろう。 

 そして彼らは妻の身分によって分家を立てたり、まだ未開発の土地が多い領地を分与されたりするはずだ。

 もし自分の子供達を優先した結果、甥達に領地を分与するのが惜しくなったとしたら?


 酷い話だが、その時点で大貴族になっているヴェンデリンに苦情を言っても無駄であろう。


 だからこそ、彼女は自分の身を差し出して孫達の未来を確実な物にするのだと。

 ヴェンデンにも立場がある以上、そういう関係になった女性の願いを無下にする可能性は低くなる。


 打算と言えば打算だが、そこには母親としての優しさもあったわけだ。


「すまない。苦労をかける」


 うちに嫁いだばかりに、彼女には苦労のかけっ放しだ。

 まさか、貴族の娘が藁で縄を編むなど思いもしなかったであろうし、食生活は貧しいし、我が息子ながら夫のクルトは駄目な男であった。


 もう手に入れたも同然の爵位と領地を失い、弟への暗殺を企んで逆に始末されるなど、私としても庇いようがなかったからだ。

 

 更に、あいつの死後に私が密かに後始末をした問題もある。

 普通なら問題にもならないのだが、あいつがバカな事をしたせいで余計に評価を落とす事になっていた。


「ヴェンデリン様が、いつお渡りになられるかはわかりませんが……」


 それは、私でスケジュールを調整しないと駄目であろう。

 あまり妻にも大っぴらに言えないし、パウルには伝えておく必要があるが、彼の妻にもなるべく最初は伝えたくない。


 どうせ暫くすればバレるが、最初は騒動は少ない方が良いであろう。


「心の準備だけはしておいてくれ」


「わかりました」


 私は義娘にそれを伝えると、急ぎ準備を始めるのであった。





『というわけなのだ』


「はあ……」


 今日も今日とて俺が土木工事に勤しんでいると、突然魔導携帯通信機の呼び出しアラームが鳴った。

 急いで出るとなんと父からで、隠密にとても重要な要件があるそうだ。


 ただ、俺にはその重要な要件とやらが思い付かなかった。


 父はもう引退していて、パウル兄さんの領地で開発の手伝いをしているくらいだ。

 一部にしか渡していない魔導携帯通信機であったが、実は父には渡していない。


 パウル兄さんには渡していたので、多分彼の物を借りて連絡をしているはずだ。

 となると、パウル兄さんも承知している案件という事になるのか?


 その要件とやらの詳しい内容を聞くと、直接顔を合わせて話をしたいそうだ。

 

「エリーゼ、今日は屋敷に戻らないかも」


『わかりました』


 話は聞かないと駄目だと思い、土木工事を終えた俺はエリーゼに魔導携帯通信機で連絡を入れてから、パウル兄さんの領地へと魔法で飛ぶ。


 パウル兄さんの領地はまだ開発途上ではあるが、領内は活気に満ち溢れていた。

 警備隊で知り合った人達などで家臣団を形成し、パトロールや取り締まりで知っていたスラムの住民などを連れて来て農地などを耕させていたのだ。


 家屋や道などの整備も続いていて、領内の中心部では屋敷の建設も急ピッチで進んでいる。

 今はレンブラント男爵が移築した古い家で政務などを行っているのでそこに顔を出すと、父とパウル兄さんが待っていた。


「良く来たな」


「あの……。どのような用件で?」


「ええとだなぁ……。パウル」


「はあ……。お茶とかいらないから外に出てろ。ドアの外で盗み聞きする奴がいないようにな。お前達は、漏らしたらわかっているな?」


 パウル兄さんは書斎から使用人達を出すと、彼らに入り口で盗み聞きがないか見張っていろと命じていた。

 どうやら、とても重要な話のようだ。


「外部に漏れると大変なのですね?」


「そうだな。知る人は少ない方が良い」


 父の表情は神妙なままであり、よほど大切な話らしい。


「それで、その内容とは?」


「ヴェンデリンは大貴族になった。それも、広大な領地を持つ伯爵様だ」


「はあ」


「大貴族になるとだな。特に大切な事がある。わかるか?」


「円滑に領地を治める事ですか?」


「それは勿論大切だ。だが、その前に子を成して次代以降も家を存続させる必要があるわけだ」


「エリーゼ達がいますけど」


 父の発言を聞き、俺は彼が側室を押し込むのではないかと思ってしまう。


「いや。誤解を与えたようだが、側室とかそういう話ではないのだ。結婚をするにあたり、無事に子を成せるようにだな……」


 どうにも父の話が要領を得ないので首を傾げていると、横で見ていたパウル兄さんが助け舟を出す。


「簡単に言うと、ヴェルが童貞のままじゃ拙いと。そういうわけだ」


「女でも買いに行けと?」


 父や兄から言われて女を買いに行くというのも嫌だし、ブランタークさんやエルでもあるまいし、今の俺には難しい事であった。

 それに、この体が童貞だが、前世では多数とは言わないが経験が皆無というわけでもない。


 余計な心配とは思うが、まさかそれを教えるわけにもいかないので、どう断ろうかと思案に耽ってしまう。


「さすがに、伯爵様に女買いを勧められないのは私にでもわかっているぞ」


「では、本で学習しろとか?」


 そういえば、実家の書斎にはそういう本も存在していた。 

 表紙が見えないように本棚の奥に横にして隠してあったのだが、俺からするとイラストが微妙過ぎて見る気がしなかったのを覚えている。


 日本がその手の分野では最強だという事を、改めて思い知らされた瞬間であった。


「いや、そういう時のための『あてがい女』である」


 何となくではあるが、言葉面で大体意味が想像できてしまう。

 要は、結婚前にそういう女性を相手にして経験値を稼げという事なのであろう。


「初めて聞く言葉ですね」


「うちは、貴族でも最下級だったからな」


 パウル兄さんが説明してくれるが、『あてがい女』とは貴族家などの嫡男に未亡人などを宛がう慣習なのだそうだ。

 経験のある女に、経験の無い男の相手をして貰う。


 ただし、その嫡男が結婚するまでに極秘裏にだ。

 完全に秘密にするのは不可能であったが、なるべくその存在を結婚する妻達などに見せないようにする。


 期間限定の、妾のような物であると思われる。


「はあ、経験のある女性にですか……」


「未亡人などが多いな」


 旦那がいると面倒だし、経験の無い女をあてがっても意味が無いわけで、自然と未亡人が務める事が多くなったと思われる。


「(しかし……)」


 ここは、ブライヒブルクや王都ではない。

 経験のある未亡人という括りだと、とんでもないおばさんが現れる可能性を考慮しないといけない。

 思えば、前世で新入社員の頃、会社の上司に飲み会の帰りに風俗に連れて行って貰った事がある。

 その某上司氏によると、大変にサービスが良い美熟女が多く在籍していて評判のお店らしい。

 別にEDでもないし、普通に興味があったのでワクワクしながら相手の女性を待っていると、そこに俺の母親よりも年上のピグモンが現れた。


 何という、孔明の罠!

 俺はこの店に案内した上司氏に、心の中で呪詛の言葉を吐く羽目になる。


 何とか何もしないで誤魔化そうとしたが、ピグモンはえらく職務に忠実だった。

 結局、同期入社した綺麗な女性社員を思い出しながら事を終えたのだが、その時から俺は信用などしなくなった。


 熟女とか未亡人が素晴らしいのは、あくまでも創作物の中だけなのだと。


「(父は、親切で言っているんだろうな……)」


 多分、『あてがい女』がいないような貴族家の跡取りというのは、一段低く見られてしまうのであろう。

 ましてや、今の俺は伯爵である。


 父は俺が恥をかかないように、そういう女性を準備したのだと。


 その点は感謝しているのだが、かなりの確率でピグモンなのはいただけなかった。 

 

「(俺、勃つのかね?)それで、その女性とはどんな人なのですか?」


「年齢は、ヴェンデリンの一回り上だな」


 どうやら、熟女という名のおばあさんは避けられたようだ。

 だが、現物を見るまでは全く油断はできなかった。


「年齢的に言うと、アマーリエ義姉さんくらいですか」


「そのアマーリエだ」


「えっ?」


「一番条件に適合したのがアマーリエでな。本人も了承した」


 俺に女を教える人が、兄の未亡人という現実。 

 半分冗談で聞いたのに、まさかその人が『あてがい女』であると聞かされ、俺はその場で絶句してしまうのであった。





「パウル兄さん」


「すまん! この件では、俺も手助けが出来ないんだ」


 いきなり呼び出されて父の元に行ってみれば、俺に女を教える女性を付けると言われ、その人は俺の義姉だった。

 まさか他の人に相談するわけにもいかず、更にもう結婚まで時間がないので、今日から相手をさせるからという話になっていた。


 何とか阻止したいところだが、エリーゼに相談するのは不可能であり、まずは携帯魔導通信機を渡しているローデリヒに聞くと。


 『その件では、拙者には手が……。完全に父親の領分なのです』と見事に見捨てられてしまう。

 加えて、『奥様達には内緒にしておきますので』というフォローがあったが、なぜか何もありがたくなかった。


 次に、ブランタークさんに聞いてみると。


 『向こうが無料で用意してくれてんだ。ありがたくやっとけ。まあ、無料ほど高い物はないとも言うがな。その未亡人に誑かされるなよ』という、完全に他人事なアドバイスを貰ってしまう。


 要するに、あまり気にしないで『やれ!』という事らしい。

 ある意味、チョイ悪オヤジなあの人らしくはある。


『まだだ! こういう時には!』


 ここ一番で、困った時のエーリッヒ兄さんである。

 彼ならば、何とか上手くかわす手を考えてくれるかもしれない。

 そう思い、最後の望みを繋いで連絡を入れてみたのだが……。


『あてがいの女性は、絶対に断っては駄目だよ』


 エーリッヒ兄さんからの優しくも強い忠告により、俺は全ての退路を断たれてしまう。


『隠居したとはいえ、父上は元家長としての責任でアマーリエ義姉さんに頭を下げたのだから』


 『あてがい女』は、家を残すために父親が跡取り息子に与える一番格式が高いプレゼントとされるそうだ。

 その割には秘密にしようとするのだが、家長が仕切って連れて来るのでそういう扱いになるらしい。


 更に言えば、どこの家でもそう簡単に用意できる物でもない。

 貴族家でも下級だと準備しない事も多いし、商人などでは大規模でないと準備できない。

 財力やコネを使い、時には大失敗しつつも跡取りにそういう女性をあてがう。


『適当に選んで渡しているように見えるけど、父上は人選で苦労をしていると思うし』


 それを断るのは、大変失礼に当たるそうだ。


『あのエーリッヒ兄さんも?』


『実は、義父がね』


 父ではなく、ルートガーさんがそういう女性をあてがってくれたそうだ。

 やはり未亡人でモンジェラ子爵のツテらしいが、密かに当主同士でそういうお願を融通し合うという事は、双方に信頼関係がある証拠でもあるそうだ。


 童貞喪失の相手を知られているのだ。

 貴族同士にとって、これほどの信頼関係も無いとも言える。

 

『ミリヤムには内緒だよ』


『同じ男として、それは勿論』


 薄々勘付かれてはいるであろうが、それを口にしてはいけない。

 そういうルールになってるらしい。


『気持ちはわかるけどね。ヴェルとクルト兄さんの関係を考えると。でも、周囲の貴族達は別に変だとは思わないし』


 実兄の元奥さんなので倫理的な問題を感じてしまうのだが、この世界では特におかしいと思う人はいないそうだ。

 その一族で一番力のある俺が、夫を亡くした兄嫁の面倒を見る。

 これは当たり前の事であったし、この世界はそんなに甘くは無い。

 ただ世話になるだけではなく、出来る事はちゃんとしないと『もう養い切れない』と言われて追い出されても文句は言えないのだと。


『アマーリエ義姉さんはパウル兄さんの領地で暮らしているけど、ヴェルが大分援助しているよね?』


『はい』


 いくらとは言えないが、パウル兄さんへの援助に混ぜているのは事実だ。


『甥達は、成人後に領地を分与される。そうだよね?』


『はい』


『アマーリエ義姉さんとしても心配なんじゃないかな? そんなムシの良い話って、まずないもの』

 

 他の大貴族家だと、アマーリエ義姉さんのような立場の人はほぼ不遇な人生になるそうだ。


『長男の不祥事で本家の跡取りが末弟にチェンジしたけど、長男の幼い子供達が残っている、その末弟からすると、残された長男の子供達は邪魔だよね?』


 自分の子供の相続を邪魔する存在なのだ。

 下手をすると、病死や事故死などに見せかけて殺される事もあった。


『うちはその可能性は無いけど、甥達に無事に領地が分与されるかはヴェルにかかっている。でも、別に約束を反故にしても何の問題にもならないから』


 将来その約束を反故にする頃には、俺の力は圧倒的に大きくなっている。

 いくらアマーリエ義姉さんが文句を言っても、誰も聞いてはくれないであろうとエーリッヒ兄さんは断言していた。


『俺は……』


『ヴェルはそんな事はしないと思うけど、万が一という事もある。アマーリエ義姉さんとしては保障が欲しいよね?』


 俺とそういう関係になっておけば、ある種の弱みを握った事になり、無事に甥達に領地が分与されるであろうと。


『アマーリエ義姉さんは、子供達のために。ヴェルは、女性を教えて貰って役得だと思う。このくらいの方が、お互いに考え過ぎないで良いと思うんだ』


『なるほど……』


 そういう関係になるのだから、せめて少しはアマーリエ義姉さんの事を女性としてなどと考えると、正直気が重かったのだ。

 向こうもそうであろうし、ならばお互いに打算があった方が楽で良い。


 なるほど、さすがはエーリッヒ兄さん。

 イケメンなのは昔からだが、人生相談においてもその才能を発揮していた。


『あと、ヴェルも嫌いじゃないでしょう?』


『勿論』


 そこは、全男性共通の事実だと思われる。


『なら、気軽に遊ぶくらいで良いんだよ』


『わかりました。ありがとうございます』


 さすがはエーリッヒ兄さんだと思い通信を切るのだが、まさか彼にもそういう経験があるとは思わなかった。

 『やはり、イケメンは得か?』などと考えていると、隣で通信を聞いていたパウル兄さんがなぜか肩を落としていた。


「パウル兄さん?」


「俺、そういう女性をあてがわれなかったなぁ……」


「パウル兄さんは、いきなり貴族になったから」


「前にさ。ヘルムートが言っていたんだよね。ヴィレムさんからそういう女性を斡旋されたって」


 あの家にも世襲可能な職務があるので、子供が生まれないという悪夢を避けるべく、ヘルムート兄さんにそういう女性をあてがったようだ。


「ヴェルも、エーリッヒも、ヘルムートも羨ましいなぁ……」


「代わりましょうか?」


「代わってどうするよ?」


 パウル兄さんが羨ましそうな顔をするが、同じ男としては物凄く理解できてしまう。


「などと、羨ましがっている場合ではなかった。この小屋だけどな。新しく建てたけど、まだ使わないんだ」


 まだ仮とはいえ、領主の屋敷でそういう事をするわけにもいかない。

 そこで、将来夜間に警備を行う者達の休憩所にすべく領地の端に建てたこの小屋を暫く貸してくれるそうだ。

 

「最低限の物しか置いていないけどな。最悪、ベッドがあれば大丈夫だし」


 ここを密会の場所に指定するそうだ。

 なお、この情報を知っているのは父とパウル兄さんと一部の家臣達だけ。

 どうせじきにバレるが、今は緘口令を敷いているそうだ。


「もう暗くなったし、もう少ししたらアマーリエ義姉さんも来ると思う。では、頑張れというのも変か?」


 そう言いながら、パウル兄さんが小屋から出ていく。

 一人残された俺は、緊張しながら彼女を待つのであった。





「(ヴェル君とねぇ……)」


 私の名前は、アマーリエ・フォン・ベンノ・バウマイスター。

 つい二ヶ月ほど前に、夫を亡くした未亡人です。

 とはいえ、夫は病死や事故死ではありません。


 貴族である実の弟を殺そうとして自滅したのです。


 詳しい説明は省きますが、そのせいで私は暗殺未遂犯の妻、子供達は暗殺未遂犯の子となってしまいました。


 普通ならば、私も子供達も死ぬまで肩身が狭い思いをしなければいけないのですが、幸いにして夫の弟さんの援助によってあまり不自由もなく生活しています。


 私の夫に暗殺されかけた弟本人が、暗殺未遂犯の妻と子を養っている。

 世間では、剛毅で懐が大きい人だと思われていました。

 更に、子供達には将来領地が分与されるそうです。


 とてつもない幸運だとは思いますが、同時にどこか不安も感じています。

 もし将来、その約束が反故にされたら?


 夫の弟であるヴェンデリン君はそういう人ではないと思うのですが、どこか心配でもあるのです。


 ですが、彼は本当にえらくなりました。


 彼と初めて会ったのは、私が夫に嫁いだ十八歳の時。

 まだ小さくて可愛らしい子供なのに、彼は魔法で狩猟や採集を行い、貧しい実家の食卓に貢献していました。


 お義父様やお義母様は、その才能が領内で争いを生むという理由で彼の行動に不干渉を貫き、彼自身も十二歳になると領外に出てしまいます。


 その時の彼の表情は、晴れ晴れとしていました。

 夫からすると、彼は自分の家督を奪う敵という認識だったのでしょうが、彼からするとあの領地は重荷でしかなかった。

 そういう事だったのだと思います。


 そして、一年もしない内に竜を二匹も討伐。

 魔法使いとして不動の地位を築き、独自に爵位まで得ました。


 夫はまた不安を再燃させたようですが、それはある意味正しかったと思います。

 彼の意思は別にして、王都の大貴族達がその力を利用しないはずがないのだから。


 予想通りに彼は実家に戻り、魔の森で依頼を受けたり、未開地の開発を始めました。

 その成果に領民達は喜び、彼を新しい領主にと望むようになり、凡庸な跡取りでしかない夫は次第に追い詰められます。


 可哀想とは思いましたが、これも貴族の宿命ですし、夫にはまだいくらでも生き残れる手段がありました。

 どうせ開発できないのだから、未開地を分与するようにとお義父様に進言する。


 そうすれば、王国の思惑である未開地の開発を彼に任せるという考えに賛同したと理解されて潰される心配もありませんし、バウマイスター騎士爵領への援助も行って貰えるはず。


 ですが、夫はそれを選択できませんでした。

 自分は長男であり、未開地の権利は王国が認めたもの。

 だから、未開地も含めて全て自前で開発をして爵位を上げるのだと。


 そして、それに弟である彼が協力して当然であると言って、既に双方の関係は敵対関係になっていました。


 出来れば私も忠告はしたかったのですが、この領地では女が男に助言など、出しゃばりにも程があると言われてしまうだけ。


 私は、毎日彼を罵りながら荒れ狂う夫から距離を置く事しか出来なかったのです。


 そのせいもあってでしょうか?

 私は、彼を夫の仇だとは思えなかったのです。


 そもそも、最初に暗殺を企んだのは夫の方だったのですから。


「まさか、こういう事になるとは……」


「私も意外だったわ」


 お義父様に言われて新築されたばかりの小屋へと向かうと、そこには彼が待っていました。

 そう久しぶりでもないのですが、やはり正式に伯爵様になった事実は大きいようです。

 責任が増えた分、大人びて見えるようになっていたのですから。


「ええと……。アマーリエ義姉さんは……」


「その話は止めましょう。堂々巡りだと思うから」


 正当防衛とはいえ、自分の夫を殺した男という話なのでしょうが、それは既に過去の事でもう考えるだけ無駄なのですから。


「それにね。あの人は、この方面では誠実でもなかったし」


 新婚当初は妻として大切にして貰っていたと思うけど、二人の子供を産むと、次第に女としては見られなくなっていたと思う。

 特にこの二~三年ほどは、新しい愛人に夢中であったのだから。


「愛人? そんな話は……」


 初耳だったようで、彼は驚きの表情を隠せないでいました。


「言えるわけがないでしょう。お義父様が、事件後に密かに後始末をしたくらいだから」


 『貴族には、複数の妻が必要だ!』という理念に基づき。

 これがただの女好きだったのか、本当に貴族とはそういう物だと思っていたのでしょうか?


 領内にある、貧しい農家の娘を密かに囲っていたのは事実でした。

 夫はその存在を隠しているつもりでしたが、当然お義父様にはバレていて。

 まあ、この手の話題はすぐに噂になるので隠せるはずもないのですが。

 何でも、正式に領主になったら妾にすると言っていたそうです。


「悪い事ではないんですけど……」


「そうね……」


 それならせめて、私達に隠す事なく自分の才覚だけでそういう女性を囲って欲しかったのものです。

 ちなみにその女性は、事件後にある程度の慰謝料兼口止め料を貰って領外へと嫁いでいきました。


 お義父様が、内密に処理したのです。

 幸いにして子供は出来ていなかったので、それだけが唯一の救いだったと思います。


「二人も子供がいるのにあまり経験豊富じゃないから少し心配だけど、短い間だよろしくね」


「はは……。よろしくお願いします」


 二人でぎこちない挨拶をしてから、私達は抱き合ってそういう関係になりました。

 

 ヴェンデリン君の婚約者達の事を考えると少し後ろめたい気持ちもありつつ、実はまだ私も女なのだと思って安心も出来た。


 子供達の件もあるし、彼が結婚するまではこの関係を楽しんでも良いかと思ったのです。


 ところが、私や義父様の予想とは少しズレが出てきたような気がします。

 彼が、妙に私を大切に扱うのです。


「アマーリエ義姉さん。色々とすいませんね」


「パウル様。お気遣いは無用ですよ」


 ヴェンデリン君とそういう関係になってから一ヶ月ほど。

 密会のあった翌朝に小屋の掃除をしていると、ここの領主であるパウル様が一人で姿を見せて声をかけてきました。


 密会を行なう小屋には、パウル様の命令で一切の立ち入りが禁止され、普段は鍵がかかっています。

 掃除などの管理は私の仕事で、鍵を持っているのは私とヴェンデリン様とパウル様だけ。


 他にも魔導携帯通信機も渡されていて、彼が来る時には事前に連絡が入る仕組みになっています。

 期間限定のあてがい女に高価な魔道具をとも思うのですが、これは将来的には子供達に渡される予定の物なので問題は無いとの事です。


「私は、かなり楽しんでいますから」


「凡庸だけど、親父の言う事は真面目に聞く。俺は、クルト兄貴の事をそういう風にイメージしていたんだけどなぁ……」


 パウル様も、夫が私を放置して他の若い女を愛人にしていたとは思わなかったのでしょう。


「ですから、私は久しぶりに女なのだと実感できて嬉しいのです」


「アマーリエ義姉さんがそう言うのならいいか。しかし、この小屋は凄いね……」


 最初はベッドくらいしかなかったのですが、今ではかなり豪勢になっていました。


『ベッドを交換しましょう。クッションとシーツと枕とかも。一番必要な物ですから』


 ヴェンデリン君は若いのに、婚約者が複数いても式を挙げるまでは彼女達に手が出せません。

 かといって、そういうお店にも行けない身分ですし。

 その結果、かなりの頻度で私の元に来るようになり、そうなると小屋の状態に不満があるようで、次々と中の家具や備品を追加し始めます。


『高そうなベッドね』


『貰い物だから気にしないでください』


『貰い物か……』


 こんな豪勢なベッド。

 私は見た事がありませんでした。

 バウマイスター家やうちの実家では、まず購入できないほどの高級品なのですから。

 クッションやシーツなどの寝具類も全て最高級品で、洗濯などにも気を使ってしまいます。


『部屋が寂しいですね』


 続けて、カーペット、壁紙、カーテンなども追加され、小屋は外見とは違って中身は豪勢になってきました。


『アマーリエ義姉さん。この小屋って一応風呂があるんですね』


『水汲みが面倒だけどね』


『浴槽が狭いし、汚い……』


 別に備え付けてある浴槽は新しい大きな物に変えられ、それに合わせてタイルなども張られます。


『さすがに、浴室の内装はなぁ……。壁紙くらいは張れるけど』


 ところがヴェンデリン様は、王都から風呂とついでにトイレの内装を行なう職人を魔法で連れて来たのです。


『何日かかる?』


『この広さなら、二日もあれば十分でさぁ』


『朝晩に王都に送り届けてあげるから、室内でこっそりと作業をしてくれ。日当は、相場の十倍出すから』


『へい! 綺麗に仕上げてみせますぜ』


 魔法で自由に移動できるので、王都から職人を呼び寄せて浴槽とトイレなどの改装を行なわせていました。


『あのヴェンデリン様?』


『この職人さんなら大丈夫ですよ。そういう職人さんですから』


 貴族や金持ちが、ちょっと家族などに知られたくない妾宅などの改装を高値で引き受ける代わりに、口が堅くて秘密を守ってくれる。 

 彼はそういう職人さんのようです。


「だから、この小屋って内装が素晴らしいのか。うちの新築中の屋敷よりも内装が豪勢な気がする」


 パウル様は、ヴェンデリン様がその財力に任せて改装した小屋の内装に少し顔を引き攣らせていました。


「綺麗な箪笥ですね……」


「ええと……」


 ヴェンデリン様は、私にアクセサリーや衣装などを良くプレゼントしてくれるようになりました。


『王都まで買い物に行きましょう』


『ヴェンデリン様は、お顔が……』


『大丈夫ですよ』


 下着も、綺麗な物を着けていた方が良いそうで。

 王都の高級店に、魔法で買い物に連れて行って貰いました。

 生まれて初めての、子供の頃から憧れていた王都は、本当ならば高い魔道飛行船の運賃を払わないと行けませんが、ヴェンデリン様なら魔法で一瞬で到着してしまう。


『この指輪を付けてください。変装用の魔道具です』


 大物貴族などがお忍びで出かける時に使う変装用の魔道具を使って、私を色々な場所に連れて行ってくれました。

 

『エリーゼ様達に悪いような……』


『俺は、土木工事で忙しいから』


 ヴェンデリン様は、週に五回は夕方から就寝するくらいの時間まで私を連れてデートをしたり、あの小屋で密会を重ねていました。

 

『今日は、工事先で夕食を済ませると言ってあるから』


 と言って、王都の高級レストランに連れて行ってくれたり。


『この下着は、少し派手ではないですか?』


『そんな事はないですよ』

  

 エリーゼ様達には悪いなと思うほど、色々と買って貰えたりと。

 数年前ならあり得ない生活なのですが、これも期間限定の泡沫の夢。

 ヴェンデリン様が結婚するまでの事だと考えて、私はその幸せに身を任せました。


「あいつ。よほどストレスが溜まっているのかね?」


「かもしれません」


 小屋にいる時はそういう事もしますが、軽食やお菓子を食べたりお茶を飲みながら話をしたり、買い物した下着や服などを私が着るのを嬉しそうに見ていたり、一緒にお風呂に入ったり。

 まるで、姉というか母親のように甘えてくる事が多かったのです。

 

「子供の頃はえらく大人びた子だったけど、今になってバランスが取れている? しかし、週に五回とか嫁達にバレないのかね? ああ、家臣達がみんな誤魔化すのか」


「ローデリヒ様なら、上手く誤魔化してしまうのでは?」


「あいつは優秀だからな。でも、ヴェルがここに多く来ると助かる」

 

 アリバイ工作も兼ねて、領内の土木工事を恐ろしい速度で前倒しして行なうので、パウル様からすれば大助かりなのは事実でした。


「あと、カールとオスカーが継ぐ領地にも既に基礎工事が入っているな」


 私の子供達が継ぐ予定の領地は、ここの隣。

 今は無人の草原ですが、既にヴェンデリン様が魔法で整地や区画整理などを始めています。

 実は来年から、実家であるマインバッハ家に家臣や人手を出して貰い、開発を開始する事が決定していました。

 長男のカールが成人したのと同時に、ある程度は開発が終わっているようにというヴェンデリン様の配慮なのです。

 次男のオスカーは従士長として分家を創設する事になっていて、お義父様も出来る限りの協力は惜しまないと約束してくださいました。


「何か、アマーリエ義姉さんを利用してるようで悪いけど。しかし、あいつ。物凄くアマーリエ義姉さんを気に入ったみたいだな」


「でも、私は結構嬉しいですよ。女として求められていますから」


「あいつ。結婚後も関係を続けたりして」


「それは絶対に駄目ですよ」


 あくまでも、ヴェンデリン様が結婚するまでの関係であり、関係をずるずると延ばしては双方にとって良くない事ばかり起こるからです。


「あの人の死で、私の女としての人生は終わったと思った。でも、この半年ほどでまた女に戻れた。この思い出を糧に、あとはマインバッハ騎士爵家を裏から支えます。上手くやれば、準男爵家くらいまでにはなれるでしょうし」


「そこまで思い詰めなくてもいいと思うけど」


「それに、ヴェンデリン様の婚約者達を侮ってはいけませんよ。女性の勘は鋭い物なのですから。期間限定なら、エリーゼ様などは気に入らないとは思っても目を瞑ってくださるでしょうし」


「そういうのは、俺にはなぁ。妻の考えている事とか良くわからないし。しかも、もう少ししたら側室でしょう。俺には、少ししんどいわ」


「駄目ですよ。パウル様は今をときめくバウマイスター閥の一員なのですから」


「弟の七光りだけどね」


 まだ、ヴェンデリン様の結婚までには時間がある。

 私はタイムリミットまでの時間を、出来る限り女として生きて行こうと決意するのでした。


 亡くなった夫や、子供達には悪いと思いつつ。





「ふーーーん。アマーリエ義姉さんが、ヴェルのあてがい女にねぇ」


「貴族としては、悪くない人選でしょう? ヘルムート兄さん」


 ちょうどその頃、王都のとある酒場でヘルムートとエーリッヒがヴェンデリンのあてがい女について話をしていた。


「クルトの兄貴の不始末をその嫁が償うわけか」


「あまり公にはされていないけど、過去にはそういう人選も多かったそうだから」


「貴族的にはわかるけど、感情的にはどうなのかね? ヴェルの奴、ちゃんと出来ればいいけどな」


「ああ。それについては心配ないですよ」


「どうしてだ? エーリッヒ」


「あてがい女はですね。私もヘルムート兄さんもそうだったでしょう? 内密の仕事だけど、それには報いますからという話が出る」


「俺の時もそうだったな。義父の知人で同じ森林警備をしている貴族の陪臣の未亡人ってやつ」


 密猟者を捕らえる時に戦傷死してしまい、まだ子供が幼くて仕事ができないので、その間の生活費を補填する条件でヘルムートのあてがい女になった。

 ヘルムートは、義父からそういう風に聞いていた。


「エーリッヒもそうか?」


「私の場合も同じような感じですね」


 モーリッツ子爵の陪臣で若くして病死してしまった者がいて、その残された若い未亡人が相手であった。

 やはり子供が幼かったので、その子が成人するまで家計の面倒を見るという約束であったと。


「一種の救済制度でもありますからね」


 秘密を守ってくれれば、それなりの金を口止め料として支払う。 

 未亡人なので、残された子供達にためにほぼ百%約束を守ってくれるのだ。


「そう言って、男の罪悪感を減らすと」


「みんな。そんな物でしょう。最初は、結婚する奥さんに悪いとか考えて」


「確かに考えた」


 二人とも既に婚約者がいたので、まずはそれを思い浮かべてしまった。


「次にその人の事情を聞いて、これを断るのはもっと悪いと思ってしまう」


「思った。思った」


 ここで拒否をすると、その女性と子供達の生活に関わるからだ。


「でも、みんな男ですからね。女性とそういう事が出来ると思うと、本能では大喜びであると。ヴェルも男ですから」


 そんなわけで受け入れるわけだが、そういう事が嫌いな男はいないというわけだ。


「言えてる。俺もそうだった」


「私もそうですよ」


 エーリッヒが語った真理にヘルムートは大笑いをし、二人は暫く酒を飲みながら楽しく話を続けるのであった。

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