リーネの事情②
「……身体が痛いわ」
リーネはゆっくりとベッドから身体を起こす。
身体は痛かった。
しかしそれは魔物に攻撃を受けた名誉の傷とかではない。ひたすら魔物から逃げ回り続けたための筋肉痛である。ついでに転げ回り、地面に擦れて出来た擦り傷のせいでもある。
迷宮探索時は、細々とした魔物の討伐は一緒に行うので、その際出てきた魔石から得られる報酬はわざわざウルから分けられていた(まともに仕事をこなせていないとリーネは断ろうとしたが、断固としてウルは押しつけてきた)ので、回復薬くらい買う余裕はある。が、それは避けておいた。実家の祖母からの仕送り含め、彼女は貯金できるお金は全て貯金している。先を見据えて、だ。
先を、即ち冒険者になった後のことを考え、彼女はお金を貯めていた。
ラウターラの冒険者志望者に対する制限制度については、昨晩帰ってきてから彼女は知った。メダルがやかましい声で高々と勝利宣言でもするかのように彼女にそう教えてきたのだから知らないわけがなかった。
が、それでも彼女の決意は揺らがない。冒険者になる。それが彼女の最大の目標だ。もしもこの学園の在籍が許されないというのなら、退学も視野に入れる。都市民権だって棄てる。それほどの不退転の決意だった。
無論、家を捨てるというのは、決して愉快なことではないのだが。
「……へいきよ」
寝間着から制服に着替え、軽く髪を整え身支度し、寮を出る。本日も学園の授業を受けるためだ。単位取得後も望めば期間内は授業をとることは許される。
レイラインの魔術、術式構築、魔法陣形成の技術と効率向上にも役立つところが多い此処の授業を受ける機会をみすみす見逃すつもりは彼女にはなかった。たとえ残り短い期間だろうと――
「あら、リーネ様。お久しぶりでございますね」
と、学園へと向かう途中、校舎へと続く中庭にて、美しい女と遭遇した。誰だったか、と思い返す必要はなかった。息をのむような美しい銀髪、端麗な容姿、同性でも思わず目が行く起伏ある身体、冒険者として一時的に入学を果たした女、シズクだ。
「……久しぶりね、私の事覚えていたのね」
「ええ、もちろんです。最初のころ、親切にしてくださいましたから」
「私の親切、無下にされた気がするけど?」
このシズクという少女、冒険者としての転入生であり、最初は授業についていくこともままならないだろう。と、密かに生徒達は小馬鹿にしていた。事実、彼女の魔術の知識はひどく初歩的であり、初日から数日間は授業をまともに受けることすら出来てはいなかった。
が、その数日の間に、彼女は驚くべき速度でこの学園の知識と技術を吸収していった。
1を聞き、10を知る。天賦の才があると誰もが気がついた。多くの教室の教授達が彼女に声をかけているのをみている。そして彼女は既にメダル……“ラスタニア一派”に取り入り、色々と融通をしてもらっている、らしい。リーネはその辺りの事情はそれほど詳しくはない。友人は殆どいないし、忙しいからだ。
「……上手くやってるみたいでなによりだわ」
「はい、ありがとうございます」
一応、出会ったときに少し気をかけた間柄である。このまま無視するのも感じが悪いために言葉を続ける。なんだか皮肉を投げつけているような感じになってしまったが、シズクは気にしていないのかニコニコと感謝を告げた。
正直言えば、彼女のことが出会ったときからあまり得意ではなかった。なんというか、何を考えているのかよく分からない。もうこのまま「それじゃ」と会話を切って先に教室に行ってしまうか、とリーネが思い始めた時だった。
「リーネ様は冒険者としての活動はどうでしょうか?」
「え?」
予想外の言葉がシズクから投げられる。彼女には自分の目標を口にしていないはずだが。
「知り合いから、そのように聞いておりましたので」
ああ、メダルから聞いたのか、と、リーネは納得する。どうせあの男のことだ。嬉々としてリーネがいかに愚かしいかを長々とシズクに向かって語ったのだろう。リーネはフンと鼻を鳴らした。
「絶好調よ。悪かったわね」
「まあ、大変よろしいでございますね」
シズクは大変に嬉しそうだった。リーネは再び肩すかしを食らった。
「同業者が増えるというのは心強い事ですね」
「……貴方、冒険者辞めるつもりはないの?」
少し驚いた。彼女の学園での立ち居振る舞い、メダルへの取り入り方を見ると、冒険者を辞め、学園に本入学する気マンマンに思えていたし、実際彼女どころか、メダルや教授達だってそう思っていたのだろうから。
しかし彼女はさも当然というようにすました顔で、ハイ、と頷く。
「私にとってこの学園は冒険者の活動としての糧でございますから」
そう断言した。みじんも揺らぐことのない声音だった。リーネはこのとき初めて、正体不明だったシズクの本質の一端に触れたと思った。
不動の、恐ろしいまでの決意。
なんだかふわふわとした笑みを浮かべているのに、その奥底に恐ろしく根深い何かが彼女を貫いている。少し怖かった。だが、同時に、少しだけ、親しみを覚えた。
まあ、もし同じ冒険者となるのなら、親しくなるに越したことはない、かもしれない。
「……あら?鳥さんでしょうか?」
と、そこで、シズクが空を見上げる。植林された木々の合間を縫って、真っ青な一羽の鳥が飛来してきた。まっすぐに此方へと。それが使い魔であり、更に言えば自分の家の使い魔であることにリーネは気がついた。
「ルー?」
名を呼ぶと、羽ばたき、そしてリーネの指先に着地する。美しい青の鳥、祖母の使い魔であり、実家にいた頃はよくかわいがっていた。指で少しだけなでるようにすると指にすり寄ってくる仕草は相変わらずだ。
さて、そんな使い魔がなんの用なのだろう?と見ると、彼女は足に手紙をくくりつけている。ほどき、そして中身を、確認する、と、
「――――」
ぐらりと、視界が揺らいだ気がした。書かれていた文面に心臓が早鳴り、恐怖が身体を締め付けた。
祖母が、危篤であると書かれた手紙。
祖母の体調が思わしくないことは知っている。やりとりで送られてくる手紙の文字も年々揺らぎが多くなっていたのを知っている。知っていて、まだ先だと目をそらしていた現実がやってきたのだ。
「リーネ様」
ふらっと、揺らいだ足を、背中からシズクが支えてくれる。彼女の静かに此方を伺い、心配するような顔つきに、少しだけ心が平静に戻ったのを感じた。
「あまり、よろしくない内容のお手紙だったのですね?」
「……家族が、危篤だと」
「お家は近くに?」
「え、ええ……中央区からは外れるから、離れてはいるけれど」
「では急ぎ、戻られると良いでしょう。教授には私から連絡いたします」
ハッキリとそう言われて、リーネは頷く。小さくありがとうと口にすると、震え、もつれそうになる足を叱咤しながら、制服のまま、急ぎ学園の外へとかけだしていった。
「おばあちゃん……」
その言葉にどのような思いが込められたのか、自分自身も分からなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
シズクは、リーネが急ぎ学園から飛び出していくのを見送りながらも、背後から複数の人の気配が来ているのを感じた。クスクスと、小さな嘲りと悪意。メダルの取り巻き達。いつも通り、学園に行く途中、リーネを見つけてちょっかいをかける気なのだろう。
とはいえ流石に今は迷惑だ。
迷惑でない時なんてないのだが、限度というものがある。
「【水よ唄え、捕らえよ/鎮■】」
シズクは素早く、正確に魔術を唱える。間もなく背後からリーネへと飛んでいった泥の魔術を、シズクの魔術が迎撃する。ターゲットを襲おうとする泥の塊を透き通るような小さな水の弾丸が絡め取る。僅かに勢いが削がれ、リーネに当たる前に失速し、落下した。
その結果にシズクは少し首を傾げる。
「……片方しか術式が成立しない。見よう見まねでは難しいですね」
小さくひとりごちて、振り返ると、メダルの取り巻き達がぞろぞろとシズクを取り囲む。ターゲットはリーネからシズクへと移ったらしい。彼女たちのウチ一人が威圧的に声をあげた。
「何邪魔をしてるのよ」
「いけませんよ。リーネ様はお急ぎの用があるそうなので」
「何で私達があの女気遣わなきゃいけないのよ。というか、あの女の味方する気?」
「いけませんか?」とシズクは首をかしげる。すると取り巻き達は嘲笑った。
「あんな冒険者冒険者連呼してるイカレ女の味方するとか貴方正気?ああ、そういえば貴方も冒険者なんだっけ?だったら仕方ないかしら?」
お似合いよね!と、嘲り声が澄み切った朝の空に不愉快に降り注ぐ。彼女たちはどこか嬉しそうだ。それもそうだろう。転入してからあっという間にメダルに気に入られた目の上のたんこぶに弱みが出来たのだから。
これでメダルからの寵愛を取り戻せる。と、彼女たちは鼻息を荒くした。
「せいぜい覚悟しておくのね。メダル様、裏切り者には厳しいのよ?」
「まあ、そうなのですね」
困りました。と、シズクは本当に困り顔でため息をついた。謝罪と懇願でもしてくるのだろう、と、彼女たちは思っていた。裸に剥いて土下座でもさせてやろうか、とも思っていた。
だが、シズクは、そんな数から増長した悪意に対して、にっこりと微笑みを浮かべた。
「それでは仕方ありませんね――――口封じをしませんと」
え?と間抜けな声を上げた少女達の眼前で、氷よりも冷たい白銀の魔力がバチリと音を立てた。
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