戦いの後
冒険者と騎士団の手によって、悪しき島喰亀の襲撃犯たちは討たれた。
アルトの都市民はこの朗報に安堵し、昂っていた怒りを鎮め、被害者たちを悼んだ。
運ばれるはずだった多量の物資食料、都市運営のための莫大な魔力資源、島喰亀の信頼の損失、そして何より、失われた多くの命。無事の解決、とは間違っても言えない結果ではあった。多くの傷が残り、得る物のなにもない事件だった。
しかし、魔の蔓延るこの世界に生きる者達は、凶事に対する耐性は持ち合わせていた。嘆き悲しんでも、それを引きずることはしなかった。故に、都市民達は死者を悼む一方で、事件の立役者たる騎士団と冒険者たちを讃えた。
しかし、真に讃えられるべき事件の立役者の名を、アルトの民が語ることはなかった。
「あーいいよ別にーどうでもー。あんまり騒がないでって言ってるしね」
その立役者、死霊術師を討った張本人であるディズは、宿の最高級の部屋で丸一日と半ぶりに目を覚まし、事情を聴くとのんびりとそう言った。
「正直、ディズを差し置いて、褒められるって居心地が悪いんだが」
「他の【七天】差し置いて私が英雄視されると、ちょっとめんどくさいんだよね」
「【七天】ね……」
大連盟の盟主国、【大罪都市プラウディア】にして【神殿】のトップ、【天賢王】。
その彼自身も所属する、【神殿】最強の戦力【七天】。
ディズがその一端である【勇者】を担っている。その説明を受けた時、ウルが真っ先に思ったのが
「なんでそんな女が金貸ししてんの……」
「魔具集めに丁度良くってさ、この仕事」
指輪持ちでもない彼女が騎士団や冒険者ギルドとの交渉を極めてスムーズに行えたのはそのこともあったかららしい。勿論、彼女自身の圧倒的な手際の良さがあってこそのものでもあったのだろうが、なんとも凄まじい話だった。
「……で、なんで都合が悪いんだよ。英雄扱いもなにも、英雄だろお前」
「でもほら、君、【勇者】である私のこと、あまり知らなかったでしょ?」
「それは……まあ」
【七天】自体は、ウルも知っていた。
言うまでも無く、この世界で最も偉大なる【天賢王】や、その腹心の部下にして最強の剣士と名高い【天剣】、森人にして恐るべき魔術師である【天魔】など、有名な七天達の活躍はウルも冒険者になる前から時々耳にしていたし、知っていた。
だが、確かに【勇者】の名前は殆ど知らなかった。そもそも知っていたら、彼女の名前を聞いたとき、多少はピンと来たかも知れない。
「他の七天達と比べて、私は下っ端だからね。“一番弱いし”、だから下手に有名になりすぎると、バランスが悪い。めんどくさい」
「下っ端ねえ……」
その割に女はべらせてだらけているけど、とはウルも口にはしなかった。
「ディズ様、反対側の耳もお掃除しますね」
「あまり動かないで、癒しの香油を塗ったげるから」
シズクは寝転んだディズを耳かきで掃除をしながら甲斐甲斐しく世話を焼いている。
ぶっちゃけ彼女の奉仕気質はいつも通りだが、もう一人、今回の事件で救出されたラックバードのローズもまた、シズクにならうようにディズの世話を焼いていた。ベッドに寝転がるディズに自分の店の商品を使用している。未だ激闘の影響で熱を持つ彼女の身体に癒しの香油を甲斐甲斐しく塗り込んでいた。
シズクが目を覚ます少し前に執事を伴って見舞いに来たローズは、タイミングよく目を覚ましたディズに、真っ先に頭を下げ、礼を告げた。
「貴女のおかげで助かりました。そして、今までの無礼、謝罪いたします」
島喰亀での彼女のつっかかりようから一転したその心変わりにはウルも驚いた。救出時、色々あったらしい。ディズはその感謝と謝罪に寝ぼけ眼で、少しだけ困った顔になりながら、
「灼炎剣、返せないよ?」
「いいの。貴女こそが私にとって“灼炎剣そのもの”」
彼女が何をもってその結論に至ったのかは勿論ウルにはわからない。ディズもまたあまりよくわかってはいないらしい。が、結果として和解は成った。
ちなみに島喰亀でディズに救出の依頼をした執事のルーバスは(アルトに帰還時、彼女と再会した時は泣いて喜んでいた)、主の様子を見て目を真ん丸にして驚いていた。が、どこか険が抜けたような笑みを浮かべる自分の主を嬉しそうに受け入れた。
ともあれ、二人の関係はこんな感じで落ち着いた。らしい。
「まー好意はありがたく受け取っとくよ。流石に疲れたしね」
そう言って、ディズは今回の事件の功労者と知る宿屋から差し入れされた果実を口にしながらだらけている。どこかの貴人のような扱いである。【七天】の一人であることを考えれば事実としてそういう立場なのかもしれないが。
「しっかし、そんならディズはこれまでもずっとあんな戦いをしてたのか」
「まあね」
ディズは当たり前のように頷いた。あんな、各都市国を揺るがすような大事件が、彼女にとってはまあ、日常であるらしい。
「本当はもっとちゃんとした武具を用意してから闘うんだけど、今はどれも調整中でね。結果として、アカネに手伝ってもらった……けど、まあ、今回は流石に無茶させたね」
そう言ってディズは、自分の懐から何かを取り出した。
それえは紅と金の入り交じった“球体”だ。奇妙な金属の球体だ。それがアカネだった。
アカネは身体を休めるときは様々な形をとる。ここまでシンプルな形になるのはあまり見覚えが無いが、別に珍しくもない。だが、砦の戦いが終わって以降、長期間一度たりとも目覚めずこのまま、というのは覚えが無かった。
「……大丈夫なんだろうな」
「人を殺すような顔しないでよ。大丈夫だよ、彼女とのつながりは感じるし」
ディズの言う感覚はピンと来ないが、しかしディズがこういう時下手な嘘をつくような女では無いというのはウルも理解していた。元々、アカネの特性については身内であるウルにも分からないことが多すぎるのだ。
ディズを信じるしか無い。ウルは球体となったアカネをそっと撫でた。
「ゆっくり休めよ、アカネ」
《――――》
優しく球体を撫でてやると、鈴のような音が響く。わずかながら意識があるのか、あるいは単なる寝言なのかはウルにはわからなかったが、暖かな気持ちになった。
「無茶をさせた以上、少しは休ませないとな。仕方ないか」
「アカネのありがたみがわかったか」
「面倒で困るよ」
「血も涙もないなこの女」
「代用品は手持ちにはないのですか?」
「アカネくらいの武具防具はちゃんと用意しているよ……ただ、ね」
ディズはしばしの間、アカネを抱き枕のように抱えながらベッドの上で寝転がった。そしてしばし考えこみ、よし、と立ち上がる。
「所用を済ませたら、すぐにアルトを発とうか」
「主の命令には従うが、理由は?」
「大罪都市ラストで私の装備を回収する。もう少し周囲の地域の様子を見ながら動くつもりだったけど、向こうから飛び込んでくれたおかげでこの地域のデッカイトラブルが解消された」
「されたなら、少しはゆっくりすればよいのに」
休みがない、と嘆き悲しんでいたというのに、えらい急ぎようだった。
「トラブルが休んでくれるなら、私も休めるんだけどねえ……ローズ」
「なに」
「“太陽を喰らう蛇の紋章”をあの死霊術師はしていたんだね」
その質問に、不快な記憶を呼び戻そうとしているのか、彼女はわずかに額にしわを寄せながら、考え込む。そして、
「そうね……でも、あれ、今思えば蛇というよりも……」
竜
その言葉を口にして、ウルはギクリとした。ウルがディズと“暴食の竜”の戦いを見たのは僅かな時だった。しかしそれでもあの存在感は覚えている。真っ黒で、いびつで、胸の中がひっかきまわされるようなひび割れた笑い声を放った、翼の生えたバケモノの事は。いずれウル達が討たねばならない目標、しかし今はとてもかなう気はしない。どころか、近づくことすら嫌悪感を覚えた。
太陽、ゼウラディアを喰らう蛇のエンブレムを持った死霊術師、呼び出した竜。
不吉な印象を覚えないわけにはいかなかった。
「竜の信奉者が元気になり始めた。“いろいろ起こりそうだ”」
竜の信奉者、という不吉なる言葉を放つ彼女の声はまるで予言であり、うすら寒い信憑性があった。
「……ちょいと待て」
「うん?」
「よもやこれから先も今回みたいなトラブルが起こるのか?」
「起こるかもしれない。起こらないかもしれない」
「その場合、ディズはそれに首を突っ込むのか?」
「“とてつもなく危険な問題”でない限り、基本的に現地の人間に任せるスタンスだよ」
「“とてつもなく危険”の場合は?」
「突っ込む」
「俺達はどうなる」
ディズは美しく微笑んだ。
「頑張り給え護衛諸君」
ウルは沈黙し、そして一呼吸おいて叫んだ。
「詐欺だ……!」
自分たちにとって都合の良い条件だと思ったのに、その護衛対象が都市規模災害のトラブルに首を突っ込んでいく狂戦士なのは詐欺だ。そんな話は当然のように契約の時には聞いていない。
「ウソは言ってないもの。護衛の依頼をしただけ」
「畜生め」
そもそも彼女から依頼された時、考え無しに飛びついた時点でウルが阿呆だったというだけの話だが、それにしたってあんまりだ。冒険者ギルドの間を通さない美味しい話には最大の注意を払わなければならないという事をウルは学んだ。学ぶのが遅すぎたが。
「ま、当たり前だけど出来ない事をさせるつもりは私にもないよ。冒険者ギルドの指輪持ちを無駄死にさせたとあっちゃ、私の仕事にも差し支えあるからね」
「だからあの時逃がそうとしたのか」
「ムリだと思ったからね、結果を見ればそれは私の見誤りだったわけだけど。褒めてあげよう」
手招きしてくる彼女に近づくと頭を撫でられた。子供か俺は、と顔を引こうとすると、その前に両手で頬をひっつかまれた。
「なにふる」
「いや、つくづく面白い拾いものをしたなって。正確には面白い成長をした、というべきかもしれないけれど」
こんな凡人の何を面白がっているのか、とウルは不思議でならなかったが、彼女は楽しそうだ。そして、何を思ったのだろうか。そのまま彼女はウルの頭を抱えるようにして抱き寄せて、ウルにしか聞こえないくらいに小さな声で、囁いた。
「私に勝ってね。ウル」
彼女の言葉を、ウルはこの時は全く理解できてはいなかった。
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