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衛星都市アルト④


 この衛星都市における書物は希少な都市民の娯楽であり、他都市へと流す交易品である。


 が、いくら紙の生産ができるといっても、その白紙に筆を走らせる人間がいない限り本になる事はない。という事で、このアルトでは多くの者が執筆活動にいそしんでいる。趣味の範疇の者から都市を跨ぐほどの売れっ子の作家、果ては魔導書の執筆を行う腕利きの魔術師たちまでいる。


 そういった人々のための道具魔具の類の製法も磨かれてゆき、アルトは良質な紙類を各都市に流通させる産業都市となるとともに、様々なジャンルの作家たちがあらゆる種類の本を書き上げ出版する、本生誕のるつぼと化していた。


 事前の手続きさえ行えばだれでも売り手として参加可能な“本市”は、都市外のヒト向けの観光地ではない。そもそも都市の外から流れてくる人は今の世界はそう多くはない。本市は自身が書き上げた本を製本化し、販売することも許される。そこは自らの書いた本を販売する絶好の機会でもあった。


 ジャンルを問わずして様々な名作傑作を出してきたアルトで認められることはこの大陸に認められることに等しく、故に物書きにとってこの本市は一つの勝負の場でもあった。都市アルトの民にとって本市は、他の都市にとっての迷宮にも等しいくらいの重要な場所であった。


「はーやく帰りたいなあ……」


 尤も、当然だが、誰しもがその場で勝負に出ているわけでもない。

 少女の名はミンネという。この都市の民の只人の小柄な眼鏡をかけた少女だった。


「どーして懲りもせず本なんて出すのよー……どうせ売れないのに」


 彼女は本市の一角で露店を開いていた。尤もやってることは座敷を敷いて、両親が作った少量の本を並べるだけなのだが。彼女の両親は普段は本の製本作業、その装丁作業を請け負う商売をしている。

 規模としては小さいが、丁寧でセンスが良く、何より依頼者の意見をよく聞いてくれる店としてアルトでもそれなりに名の通った店舗で、本市の際は自分たちが作った子供向けの絵本を自分で作り、少量であるが出品しているのだった。


 ところがその日は急な仕事が入り、彼女が代役として店番を頼まれたのだ。


「……」


 様々な人が目の前を通る。この国で一番活気のある場所であるのだから当然と言えば当然だ。が、ミンネは特に声を出して宣伝することもしなかった。

 正直言って、自分の両親の本を売るなんて、恥ずかしかった。両親の仕事をほめる人はいるし、自分だって2人の仕事に誇らしさがないわけじゃない。だけど、2人の出す絵本は正直好きではなかった。というか、気恥ずかしかった。出来が悪いというわけではない。ちゃんと話の要所は押さえてるとは思う。


 が、自分含めて、この都市の民たちは誰もかれも目が肥え切っている。ちょっと出来がいい、程度では誰もかれも見飽きているのだ。そんなのだから、両親の絵本もそうそう売れたことはない。彼女が店番をしたことがあることは何度かあるが、その中で売れたのは精々2、3冊だった。


 しかし両親は嬉しそうに仕事の合間、隙を見つければ本市に自分らの本を出す。娘からすれば懲りもせずに。


「まー仕事サボれるからいーけど……」


 他の都市民の例にもれず彼女も本は好きだ。名作と呼ばれる作品は網羅している。故に彼女にもまた、両親の絵本の稚拙な処は嫌でも理解できてしまう。

 と、そんなわけで彼女はやる気もなくダラダラと店番を続けていた。自分が買っておいた冒険譚の小説シリーズの新作を読みふけりながら。


「もし」

「ヒャア?!」


 都市の若き騎士隊長と粗暴ながらも明るい魅力にあふれる女騎士とが仄かな恋の芽生えの場面で、少しニタニタしながら読んでいた彼女は、不意に声をかけられて素っ頓狂な声をあげた。

 何だこの野郎という恥ずかしさと怒りが湧き上がったが、そもそも自分が店番しているのだと気づき、そしてようやく自分に声をかけてきた女が客であることに気が付いた。


「い、いらっしゃ……ヘア?!」


 そして、その客の常識はずれな美しさに更に奇声が出た。

 綺麗な女性だった。流れる銀の髪、ローブの上からでもくっきりとわかる、女の身でも思わず視線を奪われる抜群のプロポーション。ペットなのだろう金紅の色をした不思議な猫が彼女のそばによりそっている。

 現実感があまりにない。それこそミンネの好きな恋愛小説のお姫様がそのまま出てきたような人で、同性であるにもかかわらず動悸が激しくなった。


 こっちの挙動不審に対して、彼女は特に気にもせず、男達を一瞬で魅了するような微笑みを浮かべ静かにこちらの商品を指さす。


「小さな子に読み聞かせるような絵本は置いてありますか?」

「あ、はい。えっと、ど、どうぞ」


 もともと子供用に向けて両親が作成した絵本である。言われるがままに差し出して、こんな人に両親の本を渡していいのだろうか、と彼女が手に取った後に思った。絵本にしてももっといいものはあるのに。


「まあ、素敵な絵柄ですね。文字の勉強にもなりそうです」


 しかし彼女はそんなこちらの懸念などまるで気にしてはいないらしい。


「お姉さんは、冒険者の方ですか?」

「ええ、そうですね」


 アッサリと彼女は肯定する。冒険者、とてもそうは見えなかった。彼女のように容姿端麗という言葉でも足りぬ美女が、何ゆえにそんな事をするのだろう。ひょっとしてあれだろうか。他の男の仲間たちをこき使う姫という奴なんだろうか。と、本で得た偏った知識であらぬ妄想をミンネは膨らませるが、当たり前だが目の前の客は彼女の失礼な妄想に気づくわけもなかった。

 しばらく試読を続けた彼女は、手に取っていた一冊をすっとこちらに差し出す。返却かな?と思ったが、彼女はニッコリと微笑み


「おいくらでしょうか?」


 まさかの購入希望だった。


「あ、は、はい……銅貨10枚で、す……」

「承知しました」


 自費出版故の割高な金額をあっさりと支払い、彼女は嬉しそうに微笑む。両親の絵本の何をそんなに気に入ったのかミンネにはイマイチ理解できなかった。もっと画力がある本もあるのだが。


 しかし商品を受け取った彼女はとてもうれしそうにしている。彼女が欲しかった、わけではないのだろう。ひょっとしたら兄弟とか、知り合いの子供に読み聞かせるのかもしれない。その姿を想像してみるとやはり、全然冒険者らしからぬものだった。どっちかというと精霊たちに仕える神官たちという風情だ。


 まあ、姫とは言わんが後方支援とかそういう事を生業としているのかもしれない。


 こんな穏やかそうな人なのだ。きっとそうだ。と、ミンネは勝手に納得する。こんな穏やかで優しそうな美人が魔物と殺し合うなんて想像もできないし―――


「それと、遠距離から魔物を殲滅できるような強力な魔導書などあります?」


 どうやら後方でのんびりする人ではないらしかった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 幸いにして、というべきなのか何なのか、ミンネの両親の仕事は魔導書にも通じていた。装丁の仕事、とはなにも、一般的な書籍だけでない。魔導書の類の仕事も彼女の両親は請け負っているのだ。

 故に、この出店には両親の手作りの絵本のほか、彼女の両親が仕事の一端を担った魔導書も一緒に並んでいる。常連となった魔術師たちから何冊か売り物として


「ええと、攻撃系の魔術はありますが、お姉さん、魔術師ですよね。それなら別の魔導書の方が良いですよ」

「そうなのですか?」

「んー……具体的にどのような魔術が欲しいんです?自動発動型とか?」

「自動発動」


 説明に対していちいちピンと来ていない、と絶世の美少女は首を傾げた。ミンネは普段店番をしている時と同じ調子で両親の商品を解説する。


「えーっと……魔導書は、当たり前ですが、その中身によって効果が変わります。発動方法も様々で、書いてある呪文を読み上げたり、魔力を注いで効果を発揮したり」


 普通の本だって、本という種類だから全部おんなじ、なんて訳がない。書いてある内容が違えばそれぞれは全くの別物だ。

 ミンネの両親の手掛ける魔導書の魔術は凡庸なものが多いが、種類は豊富だ。様々なものがあるし、魔力効率も良いから消耗も抑えられる。だが、


「ウチにあるのは大体、魔術が苦手なヒトとか、悠長に魔術の準備をしているヒマがない人のためのものが多いんですよね……つまり、その補助にリソースが多く割かれてます」

「ある程度魔術が得意なら、無用の長物だと?」


 ミンネは頷いた。


「この魔導書なんかは、魔術の詠唱を代用する代わりに、魔力の消費は多くなりますし、ヘタクソな詠唱よりも時間がかかったりします。用途をちゃんと絞らないと、持ち腐れになっちゃうかなって」

「なるほど、攻撃魔術は、自分で覚えた方が良いかもしれませんね……それ以外、魔導書ならではの商品などはあるのでしょうか?」


 ミンネは唸る。少し面倒な要求だったが、しかし、その手の商品の要求はないわけではなかった。彼女のように、自分の能力では手の届かない部分の補完を望む魔術師はいるし、そういう魔術師用のややニッチな魔術効果を封じた魔導書というものも一応売ってはいる。


「これなんかは体からあふれる微量の魔力を受け取って自動発動する魔導書です。効果は小さな幸運の加護……本当に小さな幸運ですが」

「小さな、では足りませんね…本が少し大きすぎるのが旅に向きません」

「旅をされてるんですか?」

「まだ、始めたばかりでありますが、この大陸をぐるりと回る予定であります」


 目と鼻の先に大罪都市グリードという、多くの冒険者が遠方から集うであろう冒険者の聖地があるというのに、もの好きなんだなあ、とのんきに思った。そして再び悩む。さてどうするか。

 これでも、いずれは両親の後を継ぐ事を望んでいる。この都市の一員の根っからの本好きだ。本を望む相手をがっかりさせては沽券にかかわるというものだ。さて、どうするか。

 グリードが近いためか、冒険者用の魔導書は店でも扱っているし専門店では更に多い。だが、それらの多くは迷宮で利用するようなものだ。旅で使うもの、となるとさて……


「じゃあ、これなんてどうでしょう?【新雪の足跡】って本なのですけど」

「これは……本には“何も書かれていませんね?”しかも2ページだけ?」


 そう、この魔導書は中身は何も書かれていない。白紙のページが僅か2ページ。他の魔導書などは術式や魔法陣が刻まれている者が殆どだったが、これにはない。


「魔力消費は殆どありません。大気の魔力と所持者から漏れる魔力をついばむ程度で。それで、効果は……」


 そう言って“足跡”の表紙を触れながら、起動するために魔力を注ぐ。すると


「……まあ」


 ぼんやりと、絵が浮かび上がった。絵、というには単調ではあった。単純な線で描かれたそれは、一見すれば子供の落書きのようにしか見えなかったが、よくみればそれはこの周辺の“地図”であるとわかった。


「こんな感じで、自分の知覚できる範囲を地図化していくんです」


 特に迷宮探索においては便利な魔導書、だとミンネは思う。しかし割と人気が無い。というのも、ここ等近辺の冒険者はたいてい、グリードを根城としている事がおおい。そしてそのグリードはたびたび地形が変わるが故に地図を作ることは無意味に終わる。この魔導書でも同様であり、磁力石による出口の方角確認による探索が主流となるため、“足跡”は売れることはなかった。

 が、これからグリードを離れていく、という冒険者なら話は別だ。これからの旅路の助けにはなるかもしれない。


 すると目の前の美女はその魔導書を手に取った、そしてしげしげと眺めたのち、眼をつむり口を開けて、


「――――」


 声を放った。正確にはそれは歌だった。小さく、しかし鋭く耳を通る旋律、ほんの数秒間だけの、しかしそれが紛れもないメロディだったと近くでそれを聞いたミンネに直感させる美しい音だった。

 そして彼女は眼を開き、そして目の前に広げた“足跡”の魔導書を再び確認し、そしてニッコリと微笑んだ。


「これ、いただきます」


 どのようなものであれ、魔導書である以上相応の額(銀貨10枚)をあっさりと支払う彼女はやはり冒険者だった。




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