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出口求め彷徨う憤怒


 ボルドーにとって、“運命の聖女”は悍ましき仇敵だった。


 もっと言うなら、運命の聖女を独占した者ども、こそがボルドーにとって憎むべき敵だった。聖女の力を独占し、自らに都合の良い運命だけを選び、他の悪しき運命を全て、自分以外の誰かに押しつけてきた外道達。

 衛星都市セインの天陽騎士だったボルドーは彼等をなんとか正そうとした。精霊の力を悪用した外道働きなど、神殿の醜聞でしかない。神殿と精霊の剣として、法と都市の番人である騎士団とも協力し彼等を止めようとした。


 だが失敗した。


 何もかも上手くいかなかった。ある時は事故に遭い、ある時は協力者が暗殺され、ある時は不正の現場が忽然と隠された。証拠を見つけたと思ってもそれはすぐに無為となった。まさしく運命に操られるかのように、自分たちにとって不都合な事が次々に起こった。


 そして、気がつけばボルドーは失脚し、罪をなすり付けられていた。


 運命の精霊の悪用、それによる騎士団や天陽騎士の謀殺が罪の内容だ。

 その罪状を嘲笑う表情で突きつけてきたドローナの顔を、ボルドーは生涯忘れないだろう。【黒炎払い】の部下達の前では冷静に振る舞っているが、当時の事を思い出すだけでボルドーは発狂しそうになる。


 だから、聖女と共に此処に捨てられたとき、せめて聖女は殺してやろうと思った。


 疑いもせずあの外道どもに利用されて踊らされて、沢山の仲間達を貶めて来た全ての元凶。挙げ句の果てに外道達に使い捨てにされた聖女を殺す。それこそがドローナ達の目論見であろうと言うことが理解できていても、ボルドーの憎悪はあまりにも根深かった。


 ――皆様を助けます。なんとしてでも


 対面した聖女は幼かった。

 化粧をして、いかにも神々しい美しい衣装を身に纏っていても、拭えぬ幼さがあった。共に死地に向かうことに恐怖し、騙されたことにも気付かないほど無知で、そうなってしまったとしてやむを得ないほどに、子供だった。


 ボルドーは彼女を憎悪していた。怒り狂っていた。

 しかし騙されただけの哀れな子供にそれを叩きつけられる程、彼は歪でも無かった


 出会い頭、彼は柄まで伸びた手を止めた。彼女を斬り殺すことを止めた。

 憎悪と怒り、正しさと良心、それらが全て中途半端に宙ぶらりんになって、彼は全てを諦めた。恨みを晴らすことも、正しきに向かうことも諦めて、ただ目の前をこなすことに終始する生きた屍と化した。

 その後ラースで、【黒炎払い】が崩壊しても、聖女が呪われても、彼は何もしなかった。ただただ、副隊長として隊長の後を継ぎ、淡々と自分の責務をこなすに留まり続けた。


 だが、彼の内側には未だ、燃えたぎるような怒りが残っていた。


「俺を手伝え、ボルドー」


 そして転機は訪れた。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 【黒炎払い】本拠地。


「……ウルか」


 ボルドーは一人、本拠地で自分の武具の整備をしていた。それは毎日の習慣だ。天陽騎士団のときから使っていた騎士剣は、しかし今は殆ど使わない。メインの武器は【竜殺し】だからだ。それでも機械的に彼は整備を続けていた。 

 その最中だ。ウルがやって来たのは。


「なんと言った?」

「俺を手伝えと言った。ボルドー。4層の【番兵】を殺すぞ」

「馬鹿を言うな」


 ボルドーは手を止めて、ゆっくりと彼の言葉を否定した。


「なにが馬鹿なんだ」

「お前の言ったことがだ。【番兵】を殺す?何の意味がある」


 ボルドーは椅子に座ったまま彼に向き直った、椅子に座ってもそれほど彼は大きくは感じない。ただの子供のように見える。


「黒炎の呪いがどれほど恐ろしいか、おぞましいかをお前はこの数日で理解したはずだ。防ぐ手段は限られ、一度喰らえば拭うことも出来ない悪意の塊。」

「何度も聞いた。ガザとレイに死ぬほど言われた。」

「ならば、何故やる」

「此処を出るため」

「何故出る」


 ボルドーは問う。


「外に待っているという仲間のためか?お前を貶めたという外の悪党どもへの復讐か?哀れなる廃聖女アナスタシアへの哀れみか?自分ならば出来るという驕り故か?」

「違うな」


 威圧的なボルドーの問いに対してウルは動じることは無かった。地上では常に黒睡帯で隠される彼の目を見ると、静かな目をしていた。優しい眼ではない。静かで、強固で、明瞭な、意思の炎があった。しかるべき時に、全てを焼き尽くすために、力を蓄えていた。


「俺が、俺のためにやると決めただけだ」

「…………若いな。とても真似できん」


 ボルドーは目を細める。あまりにもまぶしい無鉄砲っぷりだった。数十年前の若い自分でも持っていなかったような輝きだ。


「悪いが俺に、お前の無茶に付き合うだけの気力もやる気も残っていない。無茶をするなら一人でするのだな」


 勘弁してくれ。と、そう言うようにボルドーは腰掛けに深く寄りかかる。それだけで身体が軋み、痛む。黒炎の呪いとは関係なく、単純に彼の身体は老い衰えていた。こんな老いぼれた男を誘うなど、無駄なことを――


「ぬかせよボルドー」

「……何?」


 ――そう口にするよりも早く、ウルはボルドーを強い眼光で睨みつけた。


「そんなつもりないだろお前」

「何を根拠に抜かしているのだ。新人が」


 ボルドーは少し苛立つ。ウルの確信に満ちた表情が少し腹が立った。彼が【黒炎払い】に所属してまだ一ヶ月も経過していない。ガザとはよく絡んでいるようだが、ボルドーとは数える程しか喋っていない。

 そのウルが一体ボルドーの何を知っているというのか。


「根拠はある」

「何?」


 彼は確信したように言う。


「アンタの仲間が、【黒炎払い】という組織そのものがその証拠だ」




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 ウルにとって【黒炎払い】という組織の存在は望外の幸運だった。


 「ラース解放」という荒唐無稽と思えるような目標を立てたのは、ソレ以外の手が無かったからだ。外にいる仲間達が自分を助け出してくれることを祈る方が、まだよっぽど現実的だろう。だが、客観的に考えると、そのルートはそう簡単ではない。

 で、あれば、地下で自分が出来ることは全てしなければならない。そういう確信があったからこそ、この目標を立てた。


 しかし、厳しいとは思っていた。冒険者として培ってきた濃厚な経験から得た洞察力が、楽観的なウルの希望を否定し続けていた。竜が残した呪いの炎を掻い潜って迷宮攻略など困難の極みだ。何の手立ても無く立ち向かえる相手ではない、と。

 だから【黒炎払い】に属する前に入念な準備を進めていたのだ。最悪、自分一人で困難に立ち向かわなければならないと思ったからだ。


 だが――


「【黒炎払い】に入って驚いたよ。ダヴィネの様子から、幾らか頼りになる集団だとは思っていたが、想像以上だった」


 黒炎の対処法、処理の仕方

 黒炎鬼の生態、その討伐方法、注意点について

 装備の充実、細やかな管理に整備

 地上部の拠点作成にそこに安全に到達するためにルート作成

 【黒炎払い】内部での組織的な統制、鍛錬、弱兵とそうでない者の区分と役割分担


 それら全てが高度にまとまっていた。ダヴィネが人員補充で送った下っ端達はたいしたことが無い者も多かったが、それでも長く此処でやっていた連中は相応のモノになっていた。

 そして、アナスタシアと共に此処に送られ、今日まで生き残った連中は、黒炎のエキスパートと言えるだけの技術と経験を身につけていた。それは並大抵のことではない。

 アナスタシアから聞いた限り、【黒炎払い】は政争に負けてアナスタシアを廃棄するために用意された人身御供のようなものだ。集団としてのまとまりなど期待できる筈もない。10年の間に崩壊してしまったとしてもおかしくは無かったはずだ。

 だが、そうはならなかった。それどころか研鑽と経験を積み続けた。


「少なくとも、なにもかも諦めた奴が出来る所業じゃない。並ならぬ執念が必要な筈だ」

「…………」

「率いたのはアンタだボルド-」


 枯れ木のように細い、髭もボサボサに伸びた年老いた戦士。しかしその彼が此処までの困難を成した。その執念がどこから来たのかはウルには掴みかねた。ただ、これだけはハッキリとしている。


「やる気あるんだろ。だったら手伝ってくれボルドー」

「…………俺が未練がましいのは認めよう」


 と、ボルドーは立ち上がる。ウルと比べても更に一回り大きなボルドーはとても年寄りに見えない。その体つきも分厚い。鍛え上げられているものだと分かる。その彼が立ち上がり見下ろしてくると圧が凄まじかった。


「だが、ここまで積み上げたもの、お前の無謀に貸してやれと?」


 先程までの、年老いた、疲れ果てた男の振る舞いから様子が変わったのをウルは感じ取った。まるで魔物と相対したときのような用心深い視線が、皺の奥からウルを射貫いてくる。


「この数日でお前の能力はおおよそ理解した。遠近共に対応した優秀な冒険者ではあるのだろう。判断力もあるし慎重でもある。なによりも黒炎に逃げ出さない覚悟がある」


 だが、と彼は切る。


「銀級には届かない程度だ。我々の中でも突出しているわけでもない。お前は“そこそこ優秀な戦士”でしかない。」

「ごもっとも。俺も自分はその程度だと思ってる」

「俺の10年の妄執を、そんなお前に託して良いのか?」


 10年、と言う言葉は重かった。


「俺たちが、どれだけ惨めだったか分かるか?」


 ウルは返事をしなかった。だがボルドーは続ける。淡々と。黒炎鬼を冷徹に討つ指示を出す歴戦の隊長と変わらないように見える。

 表面上だけは。皺の刻まれた顔の奧に覗く感情は混沌としていた


「私欲しか考えないクズどもに負けて、なすすべ無く仲間達も殺されて、その罪を擦られて、無知蒙昧どもから石を投げつけられて、犯罪者どもの掃きだめに捨てられた」


 ガザもレイも、話している最中であっても【焦牢】の外で会った者達とは違った陰が時折覗かせるのをウルは知っていた。だが、こうしてそれを語るボルドーの陰は他の者達のそれと比べてもとびきりに、濃い。


「聖女に恨みをぶつけようともしたが、半端な良心がそれを拒んだ。聖女が壊れる様を救いも殺しもせず、結果、俺が何をする間もなく彼女は終わった」


 ボルドーは笑う。喉から零れるように嘲笑う。アナスタシアへと向けたものでは無いだろう。誰であろう自分自身に向けた嘲笑だった。


「そんな無様な有様で、尚も憎悪は消えなかった。出口を失った憤怒が俺を焼いた。その苦しさから逃れるように【黒炎払い】を研ぎ続けた」


 何処に向ければ良いか、どう使えば良いかも分からない不完全燃焼の凝縮。 

 【黒炎払い】という集団の本質を、ウルはようやく理解できた。

 奇しくも彼等を焼いた【黒炎】と同じ、呪いと怒りの炎そのものだ。だが、焼くべきものを焼くことも出来ず、燃え尽きる機会すら失い彷徨う炎だ。そしてそれは今も燻っている。


「お前はそんな俺たちを使うという。その資格と覚悟があるのか」


 ウルの両肩を掴み問うボルドーは、その象徴だった。

 憎悪揺らめく目を向けられて、問われている。彼の意図をウルは理解した。

 ウルを脅してるわけでもない。ウルを正そうとする意味も無い。これは確認だった。使い途を失った力の行き先を問うている。自分ではもう先に進むことの出来なくなってしまった真っ黒な力の塊が、出口を求めている。


 お前がその答えなのか。

 お前が、ひたすらに耐え忍び、待ち続けた転機なのかと問うている。


 誘導は容易い、とウルは感じた。


 彼等には時間も無い。黒炎の呪いは彼等をも焼いている。ボルドーの妄念によって形作られたこの集団は後数年もすれば崩壊する。何処にたどり着くことも無く燃え尽きる事だけは、彼も避けたいはずだから。


 ――”黒炎払い”の皆が此処に居るのは、全部、私の所為、なんです。

 ――だから毎晩祈ってるのか?

 ――ボロボロでも、運命の寵愛は、あるから、少しでも、良い運命に、向かえるように


 しかし、ウルは彼等を都合良く使うつもりはなかった。故に、


「資格は知らん。示せるのは覚悟だけだ。俺にはそれくらいしか無いからな」


 故に、ただ真っ直ぐに、彼の目を見て応えた。


「ならばそれを見せろ。俺たちを使え」




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




攻略十三日目


「…………さて、行くか」

「ああ」


 ウルとボルドー率いる【黒炎払い】は第四層障壁前、【黒炎人形】に対峙した。





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