彼女が聖女だったころ②
結論から言うと、ラース解放は上手くいかなかった。
アナスタシアの運命を読み解く力は強大だ。相手を問わず、正解へと導く案内役の力は戦いの場においても強く効果を発揮する。が、しかし、戦場で戦士達の士気を維持し、目まぐるしい状況変化に逐次指示を出す指揮官としての能力はまったくの別だ。
無論、遠征部隊――【黒炎払い】の隊長は別にいた。
しかし、アナスタシアの指示との衝突は避けられず、上手くはいかなかった。
悪しき運命が目に見えているアナスタシアと、現場で目に見えるものだけを判断する戦士達。この二種の命令は酷く戦士達を困惑させた。神殿では彼女の発言力は絶対であり、指示通りに従わない者はいなかっただけに、アナスタシアは辛かった。
その先に向かえば死ぬ。と、そう言って誰も指示に従ってくれない。死に行く者を止める事が出来ないのはあまりに苦痛だった。
だが、そもそも死ぬ運命を変えるのはあまりにも困難だ。
ラースには死の運命が多すぎる。
ラース解放のため、存在すると言われている【憤怒の残火】を追い求め、【黒炎砂漠】を進む程に、黒炎の火力は跳ね上がる。熱は体力を奪い、その昏い炎は目を焼いて、心身を焦がした。
なんとか協力をとりつけたダヴィネの【黒睡帯】を装備しても、限界というものはある。
先に進む程に死の脅威が間近へと迫る。そのたびにアナスタシアは回避を叫び、それに振り回されて戦士達は右往左往した。結果、ミスや失敗、行進の頓挫も起こり、隊長と衝突し、戦士達は摩耗し続けた。何人もの戦士が死を避けられずに死んでいった。
そのたびにアナスタシアは自分の無力を嘆いたが、戦士らの目は冷ややかだった。
「お前の所為だ!!!」
そして、何度目かの解放作戦の最中
黒炎砂漠のただ中、戦士の一人がアナスタシアへと叫んだ。
彼は身体の一部を黒炎に焼かれ、呪われ、絶望し、そして怒り狂っていた。その怒りの全てはアナスタシアへと向けられていた。あまりの怒りに周りの戦士達は彼を止めることも出来なかった。
「お前なんだよ!お前がいなけりゃ、俺たちはこんな所に来なかったんだ!!!」
「な、なにを……!」
あまりにも明確な敵意に、アナスタシアは酷く困惑した。コレまで感謝や尊敬の視線を向けられる事は多くあったが、ここまで明確な敵意を向けられる経験は彼女の人生になかったからだ。
ここまで幾つかの衝突が起こったときも、彼女はどこかたかを括っていた所があった。
だって、彼等のために自分はこんな所に脚を運んであげたのだから。と、
だから理解できない。そんな恩知らずの態度を向けられる理不尽を彼女は経験したことが無かった。だが、激昂した戦士は言葉を続ける。
「俺たちはお前の道連れでこんな所に連れてこられたんだよ!!お前が行くって言わなきゃ俺たちはこんな所に来る必要無かったんだ!」
「そ、それは、違うわ!貴方たちが無謀な戦いに赴くと言ったから、私が!!」
あまりに理不尽な物言いに、アナスタシアも反論する。彼女からすれば言いがかりも甚だしい。そんな風に言われる筋合いは無かった。自分の覚悟や責任感の全てに唾をかけられたみたいで、彼女は彼女で激昂した。
しかしその一方で冷静な彼女が心の内にいて、囁く。
どうして、彼以外の戦士達も、自分をあんなにも冷たい目で見てくるのだろう。
「本当におめでたいなアンタは。まだ気付いて無かったのかよ!!」
呪われた戦士は、アナスタシアの言葉にせせら笑った。
「ラースの解放遠征計画がなんでいきなり組まれたと思ってんだ?今日までずっと放置してた癖にいきなりだ!理由は!?金にもならねえことをセインの神官どもがやるわけねえだろ!!」
衛星都市セインの神殿の”強突く張り”をアナスタシアは知ることは無かった。
常に自分に向かって笑みを浮かべる従者達、神官達がその裏で彼女という運命の力を望む者達から金をせしめ、搾り取り、そして私腹を肥やしていたことなど知る由も無かった。
「だったら、なんで……」
「アンタを棄てるためだよ!!!」
戦士は黒く呪われた指を真っ直ぐにアナスタシアに突きつける。彼女は目を見開いた。
「邪魔になったのさ!!アンタの力は十分すぎるくらいの幸運をセインの神官どもにもたらしたが、度が過ぎた!!歪な幸運は歪な不幸を生んだ!!セインでどんだけのヒトに理不尽な失脚と破綻が起こったかアンタ知ってるか!?」
アナスタシアは知らなかった。
運命の精霊の力を使った運命の操作は相手を幸運にする。だが、過ぎた運命の操作は、しわ寄せを起こす。巻き込まれるのはそれ以外の誰かだ。運命の聖女とそれに”たかる”者達、彼女らを中心とした幸福の渦は、周囲を破壊し続けた。
やり過ぎたのだ。セイン以外の都市国からもその状況は咎められ始めた。
セインの神官達もそれに気がついた。その対策を考え、そしてすぐに思いついた。
なんてことはない。それは普段からしていることの延長だ。セインからほど近いラース領の【焦牢】と協力して、今まで行っていた”不要な人材の廃棄”を行う。
運命の聖女を相手に。
しかし、そうなるとお膳立てが必要だ。流石に、いままで聖女と崇めていた相手をいきなりポイ捨てするのは問題になる。既に他の都市国からも見咎められ始めている状況でそれは不味い。
なら、お膳立てを用意しよう。”廃棄”が”聖なる遠征”となるように。
その為の人材はある。自分たちが失脚させ、いいなりになるしかない哀れな者達を山ほどに、神官達は抱えていた。
「お前を棄てる為に俺たちが用意された!!お前の所為なんだよ!!」
「そんな、こと……」
「だったら【黒剣】どもに聞いてみるか!?今すぐここから出してくれって!!!奴らは鼻で笑うだろうがな!!もう俺たちはここから出ることもできねえんだよ!!!」
アナスタシアは、何か反論しようとした。だが言葉は出てこなかった。
心臓が痛いくらいに鳴っていた。戦士の言葉を妄言だと、笑ってやることが出来なかった。狂乱の戦士の言葉は、いままで見ないようにしてきたものを強引に、叩きつけるように見せつけた。
過去の記憶、ドローナ達の笑みが思い浮かぶ。従者や神官達の笑みが、その裏に隠れた嘲笑がハッキリと見えた。彼女はそれに気付かないほどに愚かでは無かった。
ただ、気付くのがあまりにも遅かった。
「お前の所為だ!!お前の……!!」
戦士の手が迫った。呪われた真っ黒に焦げた手、亡者のものと大差ないその手が迫る。アナスタシアは動けなかった。避けることも払うことも出来ず、黒い手は真っ直ぐに彼女の胸を突いて、そして
「あ」
小さな声を上げて、ふらりと彼女の身体は揺れた。彼女の後ろにはつい先程、焼き尽くされて今なお黒々と燃え続ける、狂乱の戦士の友がいた。真っ黒な身体の彼の炎に、彼女は巻き込まれた。
「ああ、ああ!!!あああああ!!!!!!!」
悲鳴を上げる。手を伸ばす。戦士達は此方を見ている。
侮蔑と恐怖、憤怒と嫌悪の視線。助けようという意思はそこには一つも存在しなかった。
「あ――――――」
自分は間違えた。
聖女でもなんでもない、大人に利用された馬鹿な子供だったのだ。
アナスタシアはそう理解して、自嘲して、黒い炎に飲み込まれた。
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「……それで?その後は?」
アナスタシアの、過去を聞いたウルは尋ねると、アナスタシアは首を横に振った。
「後はもう、何も無いです。私は、何も、出来なくなった」
身体が呪われて、マトモに動く事も出来なくなった彼女は、【黒炎払い】に付き合う事も出来なくなった。しかし、身体がもし動かせたとしても、彼女は何もする気にはならなかっただろう。
更に追い打ちをかけるように救いがなかったのは、彼女を黒炎に突き落とした戦士が、自らの所業に絶望し、自殺した事だろうか。アナスタシアは、彼に謝罪する事すら、出来なかったのだ。
地獄に地獄が重なって、真っ黒な運命を見るのがもう耐えられず、彼女は運命の目を抉った。
次第、呪いが広がって、近付く者すら居なくなって、彼女は一人地下牢で徘徊する呪いの末期患者の一人となった。ずるずると地下牢を這い回り、僅かな仕事で食いつなぐ彼女に対する嘲笑すらもそのうち消えて、ただの風景になった。
「以上、です」
今の時間はもうとっくに深夜だろう。長く話していた気がする。黒炎の呪いが喉も蝕んで、喋るのも遅くなっていたから、随分と時間をとってしまった。しかしその間、ウルは黙って彼女の話を聞き続けてくれていた。
それがありがたくて、申し訳なくて、アナスタシアは小さく頭を下げた。
「嫌な話、つき合わせて、ごめんなさい」
「別に、話を聞くくらいなんともない」
それはないだろう。とアナスタシアは思った。ウルの表情に変化はないが、辛そうだ。
彼は良い子だと理解している。何気ない所作で、常にこちらを気遣ってくれている。露悪的な事を言うが、優しさを隠し切れていない。そんな少年に聞かせるにはあまりにも耳障りの悪い話だった。
申し訳ないと思う。だが、それでも喋らずには居られなかった。
自分の罪を、愚かしさを、誰かに告白せずにはいられなかった。自分の愚行を、誰かに伝えずにはいられなかった。
「私の、懺悔に、付き合わせて、ごめんなさい」
「構わないって言った。悪く思うなら謝るのを止めろ」
アナスタシアは頷いて、そうした。だけどまだ伝えなければならないことがあった。
「ウルくん、私、貴方を手伝い、たいの」
「既に色々と仕事はして貰ってるが」
「そうじゃ、なくて、お礼をしたい」
「話を聞いたお礼?」
アナスタシアは首を横に振った。
「貴方は、私を、ヒトとして、扱ってくれているから」
崇めるべき聖女でもなければ、愚かしい女でもなく、憐れましい廃人でもない。
ただアナスタシアという一個人として見て、接して、話してくれている。
当たり前のことだったが、彼女が運命の精霊に愛されてからというものの、本当にそうしてくれるヒトは居なかった。そうしてくれたのは彼が初めてなのかも知れない。だから、こんな風に自分の過去を彼に明かしてしまったのだろうか。
つまり、彼に甘えたのだ。でもそれだけではダメだ。だから
「仕事じゃなくて、貴方にちゃんと、協力したいって、思ってます。それを言いたくて」
「……無理して欲しいわけじゃ無いが」
「分かって、ます。出来る範囲で、貴方を手伝う。ダメですか?」
それを聞いて、ウルは小さく溜息をついて、こちらを睨んだ。
「俺の目的、分かってるか」
「ラースの、解放」
ウルは頷いた。
「【焦烏】の監視がある以上脱走は無理。俺の容疑は容易くは晴れないだろう。外の仲間の助けを待ってたら何年かかるかもわからん。俺自身動くしかない」
【焦牢】の【地下牢】で唯一の刑務が【ラースの解放】である。
ダヴィネが取り仕切って様々な仕事を囚人達に与えているが、結局はそこに収束する。形骸化し、誰もが本格的に取りかかっていないが、囚人達がやるべき唯一無二の業務がソレであり、それが成されない限り誰一人外に出ることは出来ない。
裏を返せば、ラースを解放できれば、【黒剣騎士団】は対応せざるを得ない。刑務を終えた者は解放されなければならない。
「その為に俺は動く。アンタにとっちゃ最悪の思い出に挑む。良いのか」
「はい」
アナスタシアは頷いた。
「ラース解放の、一助になれるなら、尚のこと、です。少しでも、償いたいから」
「……償いとか、そういう自罰的な物言い止めて欲しいんだがね」
「でも」
「でもじゃない。悪いのはアンタを嵌めた連中であって、アンタじゃない」
ウルからの強い怒りを感じ取って、アナスタシアはまた小さく笑った。
本当に優しい子供だった。自分の過去に強く怒りを示してくれる彼の態度は、あまりにも真っ直ぐで、みているだけで涙が出そうだった。
それでも自分を罰し、呪う事は止めないだろう。これはもう魂にまで染みついた己の罪だ。拭うことは出来ないし、そうするつもりもない。残された少ない命の限りを償いに徹すると彼女自身が決めていた。
だけど今後は彼の前ではそれを出さないでおこうと決めた。
「ありがとう、ウルくん。大丈夫、です」
ウルは疑わしげな目で此方を見る。だが諦めたのか溜息をついた。そして小さく呟く。
「ま、あんたの話を聞いたお陰で楽しみが一つ増えた」
「楽し、み?」
自分の鬱々とした話に喜びの要素なんて一つもないように思えた。
だが彼は歯を剥き出しに、獰猛に笑った。
「俺やアンタを嵌めた奴らが、ラースが解放されたと聞いたらどんな馬鹿ヅラ下げるか、見物だって話だ」
「それは――――」
無理だ。とか、楽観的すぎる。とか、いろいろな否定の言葉が頭の中に浮かんでは消えていった。そして彼の言葉を少しだけ想像して、アナスタシアは笑った。
多分生まれて初めて、少しだけ悪い顔で、笑った。
「それは、とても、楽しそうですね」
「だろ?」
こうして、ウルとアナスタシアは、主従関係でもなく、同僚でもなく、正しく仲間となった。
どうしようもない地獄の底に棄てられた聖女が、生まれて初めて得た、仲間だった。
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