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焦牢の日常と新人の囚人②


 地上に出るにあたり、アナスタシアから幾つかの忠告を受けた。


「外に出るとき、注意してください。黒炎には、視線を向けないで。見たらすぐに逸らして。長く見れば、呪われます」

「【黒睡帯】は外さない方が良い?」

「それで視界が、しっかりと、確保できるのなら」


 改めてスーアから預かった【黒睡帯】を装着し、周囲を見渡してみるが、特に視界が悪くなることは無かった。以前の眼帯と同様に、殆ど視界を阻害されなかった。違和感がなさすぎて、装着していることを忘れるほどだ。


「……見えるの、ですか?ハッキリと?」

「見えるな。普段と変わりない」

「……だとしたら、気をつけてください」

「盗られる?」

「はい」


 アナスタシアの他にも、似たような者をつけている者は沢山居る。【黒睡帯】は此処では珍しくない代物ではあるのだが、品の出来は違うらしい。


「ダヴィネさんの工房は、凄いですが、乱造された粗悪品も、あります」

「完全に視界が見えるなら、貴重と。了解。忠告感謝する」


 ウルの黒睡帯は右腕にも巻かれている。この二つは安全な場所以外では決して外さないようにしようと決めた。

 その他、幾つかの注意点をアナスタシアから受け、そして地上への階段へとすすむ。


「地下牢の周辺は、【黒炎鬼】は()()()出ませんが、注意して、ください」

「倒せない?」

「倒せますが、一度炎を浴びれば、呪われます」

「治療法は?」


 アナスタシアは首を横に振った。ウルはなるほど、と納得する。


「とりあえずは、逃げの一手か」

「鬼の撃退は、黒炎払いが一手に担っています。そうでないなら、近付くべきではない」

「戦闘職は最下層の仕事、と」


 アナスタシアから得た情報を頭に入れながら、階段を進んでいく。徐々に気温の高まりを感じる。スーアに外を見せて貰ったときと同じだ。ウルは背中に背負った竜牙槍を軽く握る。いつでも取り出せるように。


 そして、外に出る。【地下牢】その地上部分だ。


「…………熱いな」


 【本塔】から外を見たときは、遠くから眺めるばかりだったが今は違う。黒炎が燃えさかる砂漠の中心。黒炎が吐き出す熱は想像以上だった。少なくとも地下牢の出口周辺には黒炎は存在していないにもかかわらず、熱い。ジッとしてるだけで汗が噴き出す。


「装備が、ないなら、むりはしてはいけません。何も無しで動き回ったら、すぐに倒れる」

「装備を手に入れる方法は?」

「ダヴィネさん」

「あの王さまが全ての命綱と」


 少なくとも今は、彼に言われた仕事は必ずこなす必要があると言うことのようだ。


「こちらです」


 ウルはアナスタシアについていく。砂漠の砂は、脚を取られた。配給された靴が足首の上まで覆うようになっていた理由が分かったが、それでも慣れるのには苦労しそうだった。

 視界の彼方此方には倒壊した高層建築物が見える。滅んだラースの建築物の数々だろう。この辺りは、かつての大罪都市ラースではなく、その衛星都市であったらしいのだが、どのみち見る影は無かった。

 かつては精霊信仰の聖地と言われていた、という話もウルには昔話だ。


 見てみると、全てが砂地のようになっているわけではなかった。かつては多くのヒトや馬車が行き交っていたであろう大通りの残滓のような石道を進み、途中で逸れて、倒壊した建造物の間を進み、そしてボロボロになった階段を上っていく。すると、不意に開けた場所に出た。


「……おお」

「……ここなら、まだ、魔草も取れる、かもしれないです」


 その場所は、ひょっとしたら元は公園だったのかも知れない。かなり広い場所だった。そしてそこにはちらちらと多様な植物が生息しているのが見えた。肌で感じる黒炎の熱の強さも弱い。此処は避暑地なのだろう。

 中にはウルが知った植物も幾つかある。ダヴィネの言うように色や形が違うものも沢山在ったが、ザインから受けた知識で確認できる範囲だった。ウルは一先ず安堵する。


「ちなみに、いつくらいに戻れば?」

「決まりは、無いですが、陽が沈むまでに、ダヴィネさんに、報告した方がいいです」

「理由は?」

「夕食後は、あの人は仕事しません。お酒飲んでます。仕事の報告しても、殴られます」

「酒あんの此処!?」

「ダヴィネさんが、好きなので、黒剣に、仕入れさせてます」

「まさに王様だな……」


 ウルは半ば呆れながらも採取を開始した。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 【廃聖女】アナスタシア


 彼女にとって、ウルという少年の第一の印象は、地獄に落ちた事を理解できていない、可哀想な子供だった。

 囚人達の大抵は、此処に来た瞬間深く絶望する。自分はもう、帰ることが出来ない所まで来てしまったのだと理解して、絶望して、淀み腐った目をするようになる。

 だが、ウルという少年は違った。目つきは元からかあまり良くないが、その目の奥には強い意思があった。この期に及んで尚、まだまだ絶望に身を浸していない輝きがあったのだ。


 きっとそれは、無知と慢心だ。アナスタシアはそう思った。


「……ここなら、まだ、魔草も取れる、かもしれないです」


 そんな愚かしい少年を、自分の狩り場に案内してしまったのは気の迷いだろう。


 もっと適当な場所はある。植物は自生しているが黒炎の魔物も出る。黒炎そのものも近いような危険な場所。そういう所を教えて、自分は去ってしまえば良かった。

 普通は、こんなことはしない。囚人達は協力なんてない。利用し合う事はあっても、基本的に助け合いなんて無いのだ。罪人咎人追放者、此処の住民の心は淀み腐って、黒炎で煤けている。善意を誰もが喰いものにしてる。


 なのにこうした。


 子供といっていい年齢の少年に絆されたのか。それとも彼が懐かしい、ラース解放などという目標を口にしたからか。あるいは自分の中の聖女の残滓がまだ残っていたからなのか。


「…………どちらでも、よいです」


 どうせもう後が無いなら、彼にこの場所を譲っても構わないだろう。

 アナスタシアはゆっくりと近くの岩場に腰をかける。疲れていた。最近は身体を動かすのにも一苦労があった。まるで老女のようだった。


 ――昔の【黒炎】の傷が広がってる。もう長くはねえ


 灰都ラースに住み込んでいる医者は既にアナスタシアの症状に見切りを付けていた。

 そうだろうな、と、アナスタシアは特に驚かなかった。医者の腕はそんなによくないが、その診察は正確なところだろう。

 彼女は自分の命が、魂が摩耗していることに自覚的だった。最近、眠りが深い。悪夢ばかり見るのに、その眠りから起き上がることが出来ないのだ。

 【黒炎】が、自分の身体に纏わり付いた呪いの炎が、魂を薪に燃えているのだ。


 その内に何も感じなくなって、そして最後は燃え尽きて、呪いそのものになる。


 分かっている。だから誰も彼女には近付かなくなった。昔は良いように自分を嬲って悦んでいた男達も遠巻きに見るばかりだ。それすらも、彼女は気にしなくなってしまった。別に、どうだって良いのだ。

 だから、最後にこの自分の安全な職場を、少年に教えることが出来たのは、ひょっとしたら最後に【運命の精霊】が授けてくれた、償いの場なのかもしれない。

 そんなことを思いながら、彼女は目を瞑った。


 黒睡帯で隠して、瞼で目を更に閉じても、瞼の裏には【黒炎】があった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 何時もの黒い炎の夢、そしてその中から現れる憤怒の悪竜


 逃れたくても、目を覚ましたくても絶対に出来ない悪夢に何度も焼かれ、苦しんで、そうしてアナスタシアは目を覚ました。


「…………ん」


 顔を上げる。深い眠りだった。最近はいつもこんな感じだった。眠りばかり深くなる。それが黒炎の末期症状だった。

 食べられる野草集めが今彼女が出来る唯一の仕事だったが、今日はソレすらもやらなかった。こうなると、その内食事も出されなくなるだろうと予想できたが、それも、あまり辛いとも思えなかった。


 しかし、此処は何処だろう。と、顔を上げると、少年の背中が見えた。彼はアナスタシアが起きたことに気がついたのか振り返る。


「目を覚ましたのか。ずっと寝てたからそのまま死ぬかと思ったぞ」


 此処は、昨日案内した彼の部屋らしい。つまり、彼が運んできてくれたのだ。

 それは、ありがたいことであったが、しかし彼女は首を横に振った。


「……あの、私に、あまり触れない方、が良いですよ。黒炎の呪いが」

「帯で巻かれたところは触れないようにしたが、しかし接触で感染するのか?黒炎」

「……”発火”する前の状態なら、可能性はかなり低い、です」

「じゃあいいか」


 アッサリとそう返される。もうこちらに興味を無くしたのか前を向いて何やら作業を続けた。彼の横には採取した薬草魔草の類いが集められて、種類ごとに小さな小皿のようなものに別けられていた。

 いや、それだけではない。昨日は何も無い部屋だったのに、気がつけば幾つも物が増えていた。すり鉢、ぼろい鍋、熱の魔法陣の類、魔法薬用のガラス瓶まであった。

 何事に対しても心が動かなくなっていたアナスタシアだったが、少しばかり驚いた。


「……道具はどこから?」

「”親切な奴ら”が譲ってくれたよ」


 ウルはアナスタシアの方を向かずに言い放つ。

 勿論、此処に”親切な奴ら”なんて存在しない。此処は牢獄で、犯罪者と追放者の集まりだ。彼等は自分と違って、子供にだって容赦はしないだろう。真っ先に食い物にするはずだ。ほぼ一日目で、道具類が揃ってるのはおかしかった。


「また持ってきてくれるって言ってよ。ありがたいことだ。」

「そんな、こと……」

「ガキィ!どこにいやがる!!!」


 と、言ってる間に、通路の奥からか声が聞こえてくる。荒っぽい囚人達の声だった。それも複数人。ガンガンと音を鳴らしているから、なにか道具のような者を持ってきているのだろう。


「あ、あの……」

「ああ、来たのか。」


 ウルは、そう言うと、近付いてくるであろう囚人達の方角へと視線を向けないまま、足下のロープをぐいっと引いた。すると、


「ぎゃあ!!!?」

「いで、いでえ!!?げほ!!がへえ!?」


 悲鳴がした。連続で響いた。声と音だけだが、恐らく男達が地面に転がって悶え苦しんでいる。アナスタシアは原因であろうウルに尋ねた。


「……なにを、したのです」

「たいしたもんじゃない。あそこで自生していた野草の中に、軽い辛草も幾つかあったから、粉にして、詰め込んで、通路に仕掛けて、今炸裂させただけ」

「…………何故、仕掛けたのです?」

「襲撃があったら大変だからだなあ」


 何故、襲撃があると思ったのだろう。と、思っていると、ウルのトラップをくぐりぬけたのか、男が目を真っ赤にして鼻水と涙を垂れ流しながらやって来た。


「クソガキぃ!!なんて真似しやが――」

「【咆吼】」

「ぎゃあああああああ!!!?」


 爆発音がした。ウルがいつの間にか竜牙槍を持って通路にぶっぱなした。アナスタシアは流石に言葉を失った。竜牙槍を少年が持ち込んできたのは知っていたが、それを平然と、一瞬の躊躇も無くヒトに向けてぶっ放す者は流石にこの焦牢の中にもあまりにいない。


「本当に変形時のラグがほぼねえや。とんでもないもんくれたもんだ」


 ウルは立ち上がると、手に持っていたすり鉢をアナスタシアの方へと放った。戸惑うアナスタシアにウルは申し訳なさそうな顔で小さく頭を下げた


「済まない、ソレ少しの間擦っておいてくれないか。それ、継続してないと汁が固まってダメになるんだ」

「……いいですけど、貴方は、どうするんです?」

「へし折ってくる」

「何を?」

「心」


 そうして、アナスタシアがすり鉢をすりおろしている間、囚人の男達の悲鳴と絶叫がずっと響き続けた。

 アナスタシアは思った。

 少なくともウルは、可哀想な子供、ではないらしいと。

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