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陽喰らいの儀㉗ 地獄の子守


「ウールーだーーーーーーーーー♥♥♥♥♥♥♥♥」


 果たしてこれはどういう状況でなにがどうなってる???


 状況を全く理解できないまま、ウルはひたすらにぐりぐりと頭をくっつけてくるエシェルの頭をなで続けた。何故こんなことをしているかと言えば、彼女の周囲に恐ろしく巨大で禍々しい無数の鏡が凄まじい輝きを放ちながらグルグルと巡りウルを睨んでいるからだ。


 エシェルの精神状態が全く分からんが、機嫌損ねたら死ぬ。


「もっと撫でて!!!」

「よおーし任せろー…………ロック、鎧が勝手に距離取るな」


 頭を撫でるとニッコニコになったエシェルによしよしと頷きながらも、そっと半壊した状態を解除してちょっと距離を取ろうとしているロックをウルは脇で挟んだ。この状況下で逃げられても心底困る。


『ワシ、らぶらぶカップルのでぇとのお邪魔虫になりとうないしのう』

「でえとってのはこんな緊張感があるものなのか……!?」

「吊り橋効果じゃの?」

「もう状況的に崖に落ちてる」


 吊り橋から落ちるどころか世界が崩壊しようとしているのだ。こんな緊張感がある場面はそうそう無いだろう。お陰でウルはドキドキしっぱなしだ。そろそろ心臓が潰れる。


「エシェル、エシェル、お前大丈夫か?」

「ちゅーして!!!」

「ちゅーっすかあ……」

『してやったらどうじゃダーリン』

「絶賛世界崩壊の危機なんだが今」


 流石に少し離れた場所で絶賛命を散らす覚悟でパイセン達が闘ってる状況でエシェルと”おたのしみ”するほどの度胸はウルにはない。罪悪感で心が砕ける。

 わしわしと頭を撫でながら、本当にどうしたものかと視線を彷徨わせると、不意にシズクがエシェルの背後に回り込んでいることに気がついた。


 シズクはそっと口に人差し指を当て、ウルに黙るように指示する。そしてそのままとても慎重に、音も無く、ゆっくりと手を伸ばす。そして、


「■」


 対竜術式を起動させ―――――――ようとした。


「―――なあに?それ」


 次の瞬間、エシェルがぐるりと首を回してシズクを見た。

 ウルは息を飲んだ。先程まであまりにも幼い子供のような言動だったのに、再び豹変した。感情の色を一切感じない。喜びも悲しみも怒りも無い、無彩色の声。臓腑に直接落ちてくるような、重い音。

 背中の黒い翼が獣の尾のように高く伸びて、逆立つ。彼女を抱えているウルは、翼に撫でられて寒気がした。ウルもこれが、あの虚飾の翼なのはわかっている。決して、正気の失った少女の背についていていいものではない。


「ねえ、なにをしようとしたの?」

「いいえ、なにも?」


 正面から問われるシズクは微笑みを浮かべたままだ。しかしウルは彼女が額にうっすらと汗をかいているのを見た。緊張している。幾多の賞金首と相対してきた彼女が、どのような状態でもどこかに余裕を持ち続けていた彼女が、明らかに余裕がない。

 周囲を旋回していた鏡が、シズクを見定める。彼女がそのまま術を詠唱しようとすれば、その瞬間彼女をまるごと消し去ってしまう鏡が、彼女を中心に回る。シズクは伸ばした指先を、僅かたりとも動かせずにいる。蛇に睨まれた蛙という言葉があまりにもしっくりきた。


 だが、ウルには彼女を助けることができない。


 エシェルの状態は全く分からないが、彼女が、完全にエシェルでなくなっているわけではないというのは分かっている。そしてそうなると、彼女の精神の重石となっているのは、自分だ。彼女が今、このおぞましい翼を振るわないのも、周囲を旋回する禍々しき鏡から力を放たないのも、自分がいるからだ。驕る訳でもなく事実そうなのだ。

 その自分がこの場からどの方角に動こうとも、バランスが崩れる。そうなれば、彼女が何をしでかすか、予想もできない。そしてそれを止める手段もない。

 だから、この場で動けるのは――


『――――カカ』


 ロックだけだ。

 ロックはウルの鎧の状態を保ったまま、体の一部を極めて細く、薄い糸のように形を変えて、エシェルを探っている。ウルもシズクもロックも、全員互いに合図をせずとも、今しなければならないことは分かっていた。


 精霊の力を抑え込むための魔導書。紆余曲折を経てグレーレから手に入れたというそれを、起動させるためだ。


 今のエシェルの姿は、最後に見た彼女の姿からはかけ離れている。が、しかし、あの魔導書を手放してはいないはずなのだ。ウーガを離れる際、彼女が自分の胸元に何重にも縛って、決して落としたりしてしまわないようにと張り切っているのをウルは見た。

 エシェルがこの姿になって正気を失った時、わざわざ今着ている服を脱いでドレスに着替える、なんていうまどろっこしい手段をとったとは思えない。なら、今の黒いドレスの恰好は、ミラルフィーネの力によって引き起こされた現象に過ぎない。


 つまり、魔導書はウル達の目に映らなくなっただけで、あるはずなのだ。


 と、いうよりもあってくれなければ困る。なければその時点でウル達は詰みだ。


 それを、探る。


《本部、聞こえるか。増援部隊を絶対に俺の傍に近づけるな。絶対にだ》


 声を出さずに、ウルは必死に本部へと連絡を取る。

 絶対に自分たち以外の誰かを近づけるわけにはいかなかった。エシェルの姿を見られるのが不味いというのもあるが、それ以上にこの均衡が崩れるのは不味すぎる。何がきっかけで、エシェルの気が逸れてしまうのかわからない。


「ねえ、シズク、あなたの持ってるチカラ、なあに?」

「私の、ですか?」

「それ、ヘンよ?なあに、それ」


 エシェルは問う。シズクは、額から流れる汗をぬぐうこともせず、微笑みを浮かべたまま答えた。


「私が信奉する精霊の復権の為に、私の同志たちが与えてくれた力―――」

()


 カクン、と、エシェルの首が落ちた。


「アハハ」


 鏡が、力を増す。旋回速度が加速する。鏡そのものが増加する。最早それは牢獄だった。内を映し、外に出ることを許さない邪悪なる牢獄だ。


「嘘、嘘、大嘘つき!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」


 均衡が、崩れた。


 シズクを睨み続けていた鏡の輝きが跳ね上がる。鏡の中に、悍ましい瞳が無数に浮き上がる。それが竜の目であることはすぐにわかった。黒竜との戦いで、散々に見せつけられ、命を狙われ続けたものと同種のものだ。彼女が何故そんなものを持っているのかは、今はどうでもいい。

 問題は、魔眼の全てがシズクを睨んでいるということだ。


 つまり、シズクが消し飛ぶ。死ぬ。ウルはそれを理解した。故に、


「エシェル―――!」

「な――――――――――――んにゃあ!?」


 思いっきり、全力で、お望み通りのちゅーをした。

 抱き寄せて、抱きしめて、全力で。決死の思いで愛を注ぐ。半端は出来ない。全身全霊のアイラブユーだ。胸が高鳴るがこれは絶対に興奮からではない。死の間際に迫る緊張感だ。この心臓に氷の針がぶっささりまくったような感覚で恋仲が深まるなどと言い出した奴は本当の馬鹿だなとウルは現実逃避気味に思った。


「~~~~~~~♥♥♥♥♥」


 幸いにして、エシェルの気は一瞬逸れている。獣人特有の尾がぶんぶん振られている。

 わんわんみたいで可愛いね???とこれまた現実逃避気味に思いながらも、祈った。あとはもう、仲間に頼るほかない。そして―――


『カカ!!!見つけたぞ!!!!』


 ロックがエシェルの懐から魔導書を取り出し、


「【■■■■!!!】」


 シズクが即座に対竜術式をその魔導書に叩き込んだ。


「―――――――…………」


 次の瞬間、かくんと、先程まで興奮状態だったエシェルが身体の動きを止めた。力が抜けて、空中でずり落ちそうになる彼女の身体を慌ててウルは支え、そして顔を覗き見る。


「……エシェル?」

「むにゃ……」

『寝たの?』


 同時に、彼女の周囲を旋回していた鏡も、彼女の背中から伸びていた翼もまるで幻だったかのように溶けて消えていく。彼女の黒いドレスも溶けて、ウーガで彼女と別れたときの格好に戻っていた。


「「…………ふ、ぅぅぅぅうう………!」」


 ウルとシズクは、エシェルを挟んで互いに互いを支えるようにして脱力した。互いに汗が酷かった。かつてないレベルの緊張だった。


『地獄みたいな子守じゃったのう?』


ロックの端的な表現が、あまりにも的を射ていた。

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