前へ次へ
253/707

陽喰らいの儀⑳ 蹂躙


 灰色竜は愚鈍だった。


 灰色の竜に難しく考えるだけの思考能力は与えられていなかった。必要では無かったからだ。与えられた能は莫大な質量と、それを突き動かすだけの力と魔力のみだ。それでもって主人である虚栄から与えられた命令は、ひたすらに蹂躙しろという単純なもの。


 だから灰色竜に敵の区別なんてものはつかない。


 どんな攻撃でも跳ね返す。なにが迫ろうとも叩き潰す。なにが在ろうとも踏み潰す。


 例えそれが、竜の肉をも穿ち殺すことに特化している【竜殺し】に出会ったとしても、灰色竜は気にしない。竜殺しは分厚い肉をも抉るが、しかし、心の臓へは到達しない。無数に肉体に竜殺しが突き刺さっても尚、その単純明快な暴力装置は止まることは無い、


 どんな攻撃でも跳ね返す。なにが迫ろうとも叩き潰す。なにが在ろうとも踏み――


「【愚星】」


 潰す、筈だった。

 足に違和感があった。

 固くは無い。力を込めれば何時ものようにすり潰せると、そう思った。なのに違和感が消えなかった。何かがずっと足下に触れ続けている。それどころか、自分の莫大な力を、質量を、持ち上げようとしている。


 いや、違う。コレは違う。


 重く、()()()()()()()()()()()()()()()()

 主に与えられた全てが、”台無し”になっていく。主に与えられた筈のものが、絶対に失ってはならないはずの大事なものが、消えて無くなっていく。


「どうしたデカブツ、ちゃんと来いよ」


 そして黒い男が前に立った。

 真っ黒い男。獣人の男。他の、ここまで灰色竜が踏み潰してきた者達と何も変わらないただのヒトだ。その筈なのに竜はそれと相対した瞬間から嫌悪が止まらなくなった。


 灰色竜は愚鈍だ。それは天賢王を踏み潰す。その目的を果たすためだけに生み出された生物だからだ。


「来ないなら」


 だが、廃されたはずの機能が、竜の内側から蘇る。


「こっちから喰っちまーうぞー?」


 生き残るための生存本能。

 そこから呼び覚まされる、忌避感が竜を支配した。愚直に進ませ続けていた大木のような足が、最早一歩も進まなくなっていた。目の前の真っ黒な男へと向かって、前進することを魂が拒絶していた。


「【愚星混沌】」


 真っ黒な男が闇を膨らませる。溢れ出た暗黒は、身じろぎ出来ずにいた竜の身体を足下から飲み込み、その全てを破壊し尽くしていく。

 消える。無くなる。全てが終わる。その恐怖に竜は悲鳴と断末魔の入り交じったような、情けのない声を上げた。


「良い声で啼けるじゃあねえかッハハハハアハハハハハハッハハ!!!!!!」


 それを魔王は嗤い続ける。惨たらしい蹂躙劇は止まらなかった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




『OOOOOOOOOONNNNNNNNNNNNNNNNNNN!!!!!』


 灰色竜の咆吼が響く。

 それまでの地の底から響き威圧するような鳴き声ではない。ひたすら破壊され、蹂躙され、悶え苦しむ断末魔だ。続く血肉が弾けるような音と共に竜が倒れる姿を目撃したイカザは、状況のおおよそを理解した。


「魔王がその気になったか」


 自身と同じ黄金級のブラック。彼に真っ当な道徳や倫理観、使命感等は期待できない。彼が今回の【陽喰らい】に絡んでいるのは知っていたが、ビクトールも誰も彼を戦力として加えなかったのはその為だ。故に幸運。望外の助けだった。

 故にイカザは、残る力の全てを黒竜に集中できる。


「後一発……」


 【神鳴宿し】のブーストは長くない。傷も深い。全力を後一撃、放てるかどうかといった所だった。彼女は空で暴れ狂う黒竜を睨む。青竜に集中していた故に黒竜が今どのような状況下にあるのか彼女は理解していない。

 が、あそこで仲間達が戦い、奮闘していることだけは分かっていた。故に


「征くか」


 彼女は跳んだ。

 


              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 



 黒竜 頭部周辺


「だああああああああああ!かってえ!!」


 ウルは未だに【七天スーア】の発掘、もとい救出作業を続けていた。

 竜の血肉はひたすらに固く、しかも幾重にもスーアを結んでいる。幾つもスーアを結んでいる肉の拘束の一つを千切るだけでも容易ではなかった。

 全力で剣を叩き下ろし、また全力で叩き下ろす。何度も繰り返してようやく一つちぎり取る。そしてまたそれを繰り返す。手が痛くなってきた。籠手の中がヌルヌルするのは恐らく皮がむけたかマメが潰れたかだ。ウルは痛みを忘れるためにヤケクソ気味に叫んだ。


「頑強で助かるなあ!この魔剣は!!!」

『ぜってーこういう使い方じゃないんだがのう!』

「うるせえ畜生!!シズク!竜は?!」

「硬直そろそろ解けます!」


 シズクが少し疲労を滲ませながら言う。彼女の”対竜術式”とやらは強力であるが、永続ではない。そうであったなら最高だったが、動きを止める、あるいは鈍らせるのはほんの数秒である。その後再び発動するのに休憩と詠唱、そして発動と時間が掛かる。

 つまり竜はもう動く。そして竜が攻撃に転じればウルは死ぬ。


『GAAAAAAAAA!!!!』

「白王符!!!」


 リーネから預かっていた最後の切り札を惜しげも無く放り投げる。なんの魔術が込められているものだったかを確認する事もしなかったが、周辺を破壊するモノであるのは間違いない。


『GAAAAAAAAA!!!!』


 証拠に竜が動いた。ウルが符を投げつけた先にある自身の未来視の魔眼を守る為だ。魔眼は瞬く間に輝き、未来視周辺を爆破する。ウルは爆風に煽られるが、ダメージは負わなかった。

 本来、竜が振り回す魔眼の破壊と比べ、明らかに火力が小さい。当然と言えば当然のことだ。今ウルが居る場所は竜の身体の上で、未来視の魔眼のすぐ近くで、スーアのすぐ側だ。火力を上げすぎればウルは一瞬で殺せるのだろうが、引き換えに魔眼も消し飛ばしてしまっては意味が無い。


 上も下も右も左もわからない空の上の竜の身体。ウルも吹っ飛ばされないように必死だが、やりづらいのはウルだけではないらしい。


「やること半端だなあ!助かるよクソトカゲ!!」


 苦し紛れ、とウルが見抜いたのは間違っていなかった。その確信をもってウルは更に斬り付ける。スーアの身体を縛る肉が丁度半分ほどまで抉れ、その小さな身体がグラグラと揺れ始める。

 順調だった。ここまで邪悪なる黒竜がウルの手の平で踊っていると言っても過言ではないだろう。ここまでウルの思い通りに動いていた――――此処までは


「ウル様」


 天空を泳ぐ黒竜の身体、魔眼を差し向けるためにウル達の立つ頭頂部付近をぐるぐると蠢いていた下半身を観察していたシズクが小さく呼びかけてきた。

 その声音の緊張から、彼女がこれから言うことのおおよそを理解したウルは、しかしそれでもスーアを発掘し続けた。


『とうとう痺れを切らしたカの?』


 竜の状況を確認したロックもそう呟く。

 ウルの背中の魔眼の輝きが強くなる。だが、先ほどの白王符で誘導したようなレベルの力ではない。まだ魔眼が発動していないのにウルの背中が焼けるように熱い。ウルの首に幾つも掛かった多種多様な護符類がひび割れ、次々に壊れ始める。


 ロックの言うとおり、竜が痺れを切らした。

 ウルと、そしてスーアを消し飛ばすつもりだ。


「……まあ、粘れた方か。」

「……あー……』


 竜の最優先事項はスーアの排除だ。

 その為に捕らえ、逃げ出した。その上でこうしてスーアを捕らえているところを見ると、”あわよくば”スーアを更に利用し操ろうとしていたのだろう。だから殺そうとしなかった。その周りにちょろちょろする(ウル)を殺すのに全力を出せなかった。

 ウルがここまで好き放題出来ていたのは、竜の”あわよくば”があったからに過ぎない。


『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』


 だが、それは無くなった。


 もういい。殺す。


 竜の咆吼がそう語っている。


「……シズク、竜の停止出来る?」

「あと一分はください」

「こうなるともう、死ぬしかねえんだよなあ。俺は」


 半ば無理矢理自分をハイにしてあらゆるリスクを無視してスーア救出に動いていたウルは、不意に冷静になった。自分にかけていたドーピングは解けた。恐怖と痛みで手が竦むのを恐れて逸らしていた現実に目を向ける。

 所詮、竜の身体を這う小さな虫。その殺意の全てが本気で向けられたら、ウル達は死ぬしか無い。抵抗する手段は無い。そもそもここまで竜の目を逸らすために手札は殆ど全て切った。


『逃げるカ?』

「逃げられると思うか?」


 竜の視線、殺意は明らかにウル達に集中している。絶対に逃がすまいという敵意を込められている。逃げられはすまい。転移の巻物などを使おうにもその前に消し炭にされる。


「つまり――――続行だ」

「ああー……』


 ウルは再びスーアに纏わり付く肉を斬り付ける。悲鳴のようなか細い声が大きくなる。既にスーアが竜に操られ、コチラに反撃する事はなくなっていた。恐らく大部分のリンクが切れたからだろう。それを更に続ける。


『今度こそ死ぬ気かの?』

「いや、死にたくない。死にたくないが俺にはもうこれ以外手は無い。だから」


 そう、この状況でウルが出来る手は本当に限られる。何も出来なくなった者が出来るたった一つの選択肢。それは


「他の人に任せる」

「【細断!!!】」


 ベグードの斬撃が竜の身体を引き裂いた。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




『GYAAAAAAAAA!?』


 竜が天空で身もだえる。

 ベグードの剣撃は正確無比に竜の魔眼の幾つかを破壊していた。竜の魔眼は露骨に周囲の警戒を無視して、自分の頭部付近に居るウルに集中していたのだから、その隙を付くのは容易かった。

 魔眼の一つたりとも警戒し周囲を見渡すこともしなければ、未来視による回避も無かった。ウル達に対してよっぽど腹が煮えたぎっていたのだろう。


 しかし、正直竜の気持ちもベグードは分かった。


「何を考えてるんだあのバカは!!」


 ベグードは思わず叫んでいた。

 竜の未来視の魔眼の破壊を託す事に対しての後ろめたさなど何処かへ吹っ飛んだ。

 騎士団長からの指示を無視した独断専行、更にスーアの直接救出に単独で動き出す命を省みないどころか捨てるような行動。頭のネジがねじ切れているどころではない。


 緊張とプレッシャーで頭がおかしくなったのか!?そうであったならまだマシだが――


《あーパイセンか。助かったありがとう》


 指輪から飛んできた通信魔術に、ベグードは反射的に叫んだ。


「今!すぐ!そこから離れろ!!!!!死ぬぞ!!!!」

《断る》

「巫山戯るなバカ!!!」


 ベグードと共に風の精霊の加護で空を飛んでいるベグードの部下達は世にも珍しいものを見た。ベグードがここまで声を荒げてブチ切れている所は見たことが無い。


《此処が勝負所だ。これを逃がしたら竜は二度とへばりつかせてくれやしないだろう。天祈サマが殺される。そしたら俺たちは死ぬ》

「だったら竜から狙われて生き残る策はあるのか!!?」

《無い》

「な――――」

《なので、申し訳ない。()()()()()


 通信が切れた。ベグードはあまりの事だったのか一瞬黙った。そして大きくを息を吸って、そして叫んだ。


「こっちに全部投げたぞあのばかあああああああああ!!!!!」

評価 ブックマーク いいねがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!

今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!

前へ次へ目次