陽喰らいの儀⑲ 彼の者
【天空庭園】
【神鳴女帝】イカザは一人、黒竜、灰色竜に次ぐ第三の竜との戦いを続けていた。その姿形は竜、というよりも虫に見える。鎌を持った蟷螂のそれに近い。上半身を持ち上げ鋭い刃の伸びた両腕を構え、残る四つ足で地面を這う。その全長は2メートルほど。
ハッキリ言って大きくは無い。下手すると通常の魔物と比べても小さいくらいだ。
だが、そんな小柄な竜に対して、イカザは全神経を集中させていた。本来、他の冒険者達を率いる役割も背負う必要があるのだが、それを完全に放棄して竜に集中している。
そうしなければ、全員死ぬと彼女は理解していた。
『――――K』
ギョロギョロと、無機質で大きな目が此方を見る。やはり虫か、あるいは爬虫類のような目玉だった。此方を見ているのか見ていないのかも分からない。生物であればある程度読み取れる呼吸や意思と言った物が皆無だった。
そしてその状態から
「………!!!」
ほぼ一切の拍子無く、刃が飛ぶ。イカザはそれを寸前で回避する。掠った髪が散る。凄腕の土人でも生み出せないような恐るべき切れ味の刃。首でも、腕でも、脚でも、その全てを容易く両断する二本の剣。それがこの竜の武装の全てだった。
同時にそれだけで、並みの戦士では太刀打ちも出来ぬほどの脅威だった。
「…………」
この竜をイカザが確認する前、熟練の冒険者が5人ほどなんの抵抗もなく殺された所を目撃した瞬間、彼女は仲間達に自分から離れるよう指示を出した。
以後、イカザは一言も言葉を発しない。その全神経を竜に注いでいる。
『――――K』
「――――」
目が、再びギョロギョロと動き出す。
だが、それはフェイクだ。あるいはイカザでは感知できない何かを見ているのかも知れないが、通常の目の動きと同じような情報はそこから読み取れない。視線とは全く関係ない場所に刃が飛ぶこともあるし、あるいは目を動かし続けながら連続で刃を振り回すこともある。
その全てが即死級の一撃である。
「――――!」
『K』
逆に、コチラの攻撃は防がれる。
イカザの剣は単純な斬撃ではない。魔剣であり、雷の魔力を秘め、対象を焼き切る。金属の盾すらも溶かす熱量がそこには込められている。だが、竜には防がれる。刃が通らない。熱で真っ白に燃えながらも、竜の刃は砕けない。
固く、速く、そして強い。
黒竜や灰色竜がそれぞれに厄介な性質を複合的に保有していたのに対して、この青竜の性質は恐ろしくシンプルだった。だからこそ手に負えない。数で抵抗するという手段が取れない。
「…………」
倒す策は存在する。この竜は強さを極めるため、手札を大幅に削っている。故に、青竜が持っていない手札を出し続ければ勝てるのだ。
例えば超々遠距離からの攻撃。
例えば超広範囲全てに対する魔術の爆撃。
例えば毒か、麻痺か、搦め手の類い。
勝ち筋はある。この竜は強いが、弱点はとても多い。問題となるのは、今すぐそれを用意することができない点。そして今、時間が無いという点。
《灰色竜防壁に到達!!!庭園に出ている者は至急急行を願います!!!》
《黒竜が更に高く飛翔しています!!間もなく天陽結界から出ようとしています!!》
イカザの指にはまる黄金級の証である黄金の指輪から、悲鳴のような救援要請が聞こえてくる。イカザは一切竜に意識を外さないまま、頭でその状況を理解していた。
救援を呼ぶことは困難だ。つまり、竜は自分が殺すしか無い。
「…………――――」
安全策は取れない。無理を通すしか無い。最悪何処かが”欠けた”とて、駆ける足と剣を振るう手が残っているならそれで良し。イカザは腹をくくった。
「【神鳴宿し】」
バチリと、彼女の剣が音を鳴らす。同時に迸った雷が、イカザの身体を駆け巡る。一見すれば自爆にも見える保有者を襲った雷は、しかしイカザの姿を変容させる。
黒と金色の髪も、皮膚も、何もかもが白く燃えるように輝く。それは雷が彼女の表面を巡っているだとか、そう言った次元では無かった。彼女自身が雷そのものとなっていた。
『K』
青竜は、それを前にしても変わらない。ただただ無機質に相手の首を落とすべく、両剣を身がまえる。
少しの間、同時に二体の怪物は動いた。雷鳴のような轟音の一振りと、風切り音すら聞こえない無音の殺戮の二振り。それらは一瞬で交差し、そして結果を残した。
『 K――――』
轟音の一振りは、青竜の左腕の刃を断ち切り、同時にその首をたたき落とした。金属よりも頑強だった刃と首は、イカザの一振りで焼き切れ、真っ赤に燃えて溶け落ちていた。
「――――」
だが、逆の右腕から振られた竜の剣をイカザは対処できなかった。全身に付与された雷の魔力は刃を胴に到達する前に溶かしきったが、その前に身体を庇った左腕をたたき落としていた。
血が噴き出す。左手を失った。その事実を確認し、竜が砕けて消えていく結果に満足する。この危険極まる竜を討てた事を思えば、軽い犠牲だった。
回復薬をぶちまけてひとまずの止血をしながら、イカザは急ぎ視線を巡らせる。今すぐに対処が必要な場所は何処か。
そして彼女は、天賢王の居るべき場所を守る防壁部隊に、灰色竜が突撃をかます様を目撃した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
真なるバベル。作戦本部
『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOONNNNN』
「防壁部隊!!死守だ!!!」
ビクトールは指示を繰り返しながらも、憎々しげに防壁部隊を踏み潰そうとする超巨大なる竜、灰色の竜を睨み付けていた。
黒竜は魔眼を駆使した搦め手で冒険者達を翻弄した。青竜は圧倒的な対人能力で最大戦力の一つを完全に抑えてきた。では灰色竜の持つ性質は何か。
巨大、かつ頑強
青竜よりも遙かに増してシンプルな印象を受ける。そして単に大きいだけならそれほどまでの脅威では無かった。特に冒険者などは、自分より遙かに大きな魔物との戦いというものには慣れている。倒し方も理解していたし、その類いの魔物が出たときの備えも万全だった。
だが、灰色竜にはそのことごとくが通じなかった。もっと言うならば、最初は通じるが、二度とは通じなくなる。”克服される”のだ。
「【嫉妬】……いや、【色欲】か……!!?」
燃やせば皮膚は硬くなり、刺せば厚くなる。壊守の魔術で相手を弱めれば頑強の魔術が重ねられる。神官達の力で全身を焼き払っても皮膚を捨てて即座に再生し、竜殺しで脚を貫き縫い合わせれば、新たな脚をはやして古い脚を捨てる。
あらゆる攻撃が、ゆっくりと、確実に対処される。そして進撃を止められない。
防壁の前、天賢王の目前まで手を拱いていた訳ではない。本当に、ただただ、止められなかったのだ。
此処に居る者達が死力を尽くして維持した戦線を、ごり押しの一点突破で破壊されるのはあまりにも無体な話だった。しかもその脅威は今尚続いている。
「うおおお!!!死んでも止めろおおお!!!」
騎士達は雄叫びを上げ、血を滲ませながら盾を握りしめ続ける。
意思と魔力に応じて強まる盾の防壁が更に輝く。あらゆる魔物の侵攻を退けるであろうその輝きは、しかしゆっくりと、竜の足に踏み潰されようとしている。
『OOOOOONNNNNNN』
数十メートルはあろう灰色竜の動きは実にゆっくりだ。そもそも防壁の破壊を目論むような様子は見えない。竜はただただ歩いている。天賢王の方角へとゆっくりと。それだけで騎士達の決死の守りは踏み潰されようとしているのだ。
「限界ならば防壁は自立させ逃げろ!戦線を下げろ!!!」
命を賭した騎士達の守りも、竜には障害にすらなっていない。ビクトールは悔しさに歯を食いしばりながらも指示を出す。このままでは無駄死にだ。
だが、もう間に合わない。竜の無慈悲な進撃に防壁は崩れ、そして――
「スペックでごり押しっつーのは見世物としちゃあんまり面白くはねえなあ。単調で」
低く、重い声がする。
竜の地響きがいつの間にか消えていた。盾ごと防壁が押しつぶされ、ミンチになる寸前だった騎士達が呆然としている。彼等が竜達を抑えたわけではない。彼等もまた呆然と、自分らの上で、竜の足を支える”モノ”を見上げていた。
「芸磨いて出直してこいよ、デブ」
男がいた。
全身真っ黒な男。大柄の獣人、しかし見た目よりもずっと大きく見えるのは気のせいだろうか。毛皮のコートの衣嚢に両手を突っ込んだまま笑うその男は、自分を踏み潰そうとする巨岩のような大足を、顔についた埃を払うかのような軽い動作で、その場から弾き飛ばした。
『OOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!???』
「なあんだ。ちゃんとなっさけねえ笑える声出せるんじゃねえか。最初からそうしろよ」
竜の転倒と共に激しい揺れが起こる。真なるバベルそのものが激しく揺れ動く。その振動に作戦本部にいる誰もが身動き一つ取れなくなる中、彼等の視線はただ一点、無様にすっころんだ竜を宙から見下ろしゲラゲラと笑う黒い男に注がれた。
「…………王だ」
誰かがぽつりと口にした。それを皮切りに冒険者達、名無し達の中で伝播していく。彼等は熱に浮かされるようにして叫びだした。
「王!!」「キング!!」「ブラック!!」「我らが名無しの王よ!!」「あんたが来てくれるなら100人力だ!!!」「居るならさっさと手伝いに来いよクソッタレ!!!」「サボってんじゃねえぞボケェ!!!」
口々に彼を讃える声、あるいは罵声が幾つも重なる。全員が思い思いに彼へと叫び、統一性の無い騒音となった。しかしやがてそれは無数にある彼の名の中からたった一つの”呼び名”に収束する。
「邪悪なり!!偉大なり!!最悪なる我らが【魔王】!!!!」
口々に重ねられる自身への歓声と憎悪を聞いて、ブラックは笑った。
「観客もお待ちかねだ。出来る限り無様にイケよ?トカゲちゃん」
一方的な蹂躙者から、【魔王】の獲物に一瞬で変わった哀れなる竜の命運は尽きた。
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