陽喰らいの儀⑱ 絶望の中にあって尚
【真なるバベル】作戦本部
「スーア様発見!!竜の表層から発見できました!!!」
「なに!?」
「けど!!けど……!!!大量の竜の肉がスーア様の身体を覆ってウルを襲って!!」
常に冷静なる報告を心がけよ。そう言い聞かせている情報班は、しかし明らかに混乱していた。顔面蒼白で、泣くような顔で叫んだ。
「スーア様が!!操られています!!!」
ビクトールはその報告に、すぐに返事をしようとして、声が出なくて一歩後ろによろけた。指揮官としての矜持でうずくまることだけは避けたが、出来ることなら地面に倒れ伏してしまいたいような絶望感に襲われていた。
「……………最悪の目、を、超えてきた、か」
ビクトールが想定した最悪、それがスーアの死亡だった。スーアが死ねば、戦力は大幅に削り取られる。戦線を維持するのが極めて困難になり、かなりの犠牲者が出る。過去の陽喰らいの儀の中でも相当に危険な状況に陥るであろう、最悪の出目だ。
だが、スーアが、天祈が竜に操られるのは、最悪を凌駕する。過去類を見ない未曽有の地獄だ。
戦線維持が困難になるのではなく、世界が終わる。
「灰色竜!!間もなく防壁に到達します!!!危険です!!!!」
ビクトールが横目に見る。全長数十メートルはあろう巨大な灰色の竜が至近に迫る。バベルが揺れる。防壁に接近する。あれが全力で踏みこんでくれば、騎士団の防壁部隊でもどこまで耐えられるか分からない。
戦場を変え、撤退する。
天賢王を引き連れ、バベルの内部に引き下がり、戦線を下げなければ全てが終わる。
指揮官として様々な指示が頭を巡る。だが、まずは、何よりも先に
「ウル!即座に撤退しろ!!!!」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
《撤退しろ!!!!!》
指輪から響く声をウルは聞いていた。
「あー………――――あー………――――』
ウルの目の前にはスーアがいる。
白く小柄な美しい只人の姿をしていたスーアは今、赤黒い竜の肉に身体を食いつかれ、巻き付かれ、ぐったりと動かない。意識があるように思えないような声を漏らしている。
その周りには精霊の光が明滅を繰り返している。精霊の力だ。酷く不安定で怪しげな動きをしているが、間もなくしてジッと、目の前のウルへと向く。明確な敵意を感じた。
『GYAAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!!』
足下の竜の嘲笑う声がやけに響いた。黒竜はまだ健在だ。未来視の魔眼すら潰れていない。既に飛翔は始まり、竜は徐々に高度を上昇させていた。天陽結界の外に逃げるつもりなのだろう。
「………」
そしてウルの竜牙槍は砕けた。スーアが一撫でするだけで粉砕である。長年、などと言えるほどの付き合いではないが、冒険者を始めてからずっとウルを支えていた愛用の武器は粉々になって落ちていった。
絶望、という言葉がこれほどまでにしっくりくる状況は無いだろう。
《早くそこから離れろ!!死ぬぞ!!》
通信が響く。ひたすらに繰り返す。通信の向こう側からも何か大きな地響きと破壊音が聞こえてくる。状況は待ったなしなのだろう。だからウルは静かに返答した。
「断る」
《何!?》
ウルは通信は切る。情報を断つのは馬鹿なことだと分かっていたが、ここから先、ほんの少しでも集中力が削がれる事は避けたかった。
『死ぬ気カの?』
ロックが言う。ウルはガラクタになった竜牙槍の柄を投げ捨て、ロックの【悪霊剣】を利き手で握り返した。
「死にたくないから行く。今此処が、最後の好機だ」
それを聞くと、ロックは笑った。ロックがウルの全身に纏わり付く。魔銀と骨の鎧がウルを強く強く守った。
『勝負所を見極めたっちゅーならもう何も言わん。つきあったるわ、カカ!』
ウルは頷き、深く身構えた。最後に自分もろとも死ぬ可能性が高いシズクに振り返らずに声をかけた。
「シズク」
「どうぞ。この命、預けます」
ウルは頷いて、竜の身体を蹴った。
黒い竜の身体を駆ける。向かう先は当然、眼前で拘束されたスーアだ。
だが、竜の手に落ちたスーアは、当然反撃に来る。
「…………あー』
スーアが指でウルを指さす。すると怪しげに瞬く光の一つから火球が生まれる。一つではなく、幾つも幾つも、天を覆い尽くさんばかりの炎の球は揺らめき、周り、ウルを囲んだ。
『GYAHAHAHAHAHAHAHHAAAAAAAAAAAAAA!!!』
竜が嗤う。高笑いが響く。無謀にも逃げ時を失した愚か者を嘲笑う。間もなくして空を覆うような炎の球は全てウルへと直進し、爆裂した。竜の身体の上は炎の海になる。ウルはその炎に飲まれ、身体を激しく焼かれ――
「――――温いぞ!!!」
『カカカカカ-!!!!』
そのまま、更に深く突撃した。
ウルと背中のシズクをロックが骨で覆い、守る。焼き焦げた骨は剥げ落ちる。炎から身を守りながら一直線だった。そして爆炎の影に隠れたスーアの眼前まで迫ると剣を振りかぶる。そしてスーアを捕らえる肉根を切り裂いた。
『GYAAAAAAAAAAAAAAAAA!!?!』
竜が悲鳴を上げる。痛み、と言うよりも驚きだろう。どう見ても、誰が見ても弱々しい、自分の身体をちょろちょろと動き回るだけの虫が反撃してきたのだから。
魔眼がぎょろぎょろと蠢く。自分の身体の上に立つ虫を見定めるのは苦労があるのだろう。天空で酷く身体をひしゃげて、無理矢理ウルを魔眼の範疇に収めようとする。ウルの上空に長い胴が回り込んでくる。側面に付いた魔眼がウルを睨む。
「 ■ 」
それをシズクが止める。ほんの一瞬の硬直。即座に竜は動き出す。が、すでに魔眼の視線の先にウルはいない。スーアの背後に回り込み、その足下の肉を刺して、刺して、何度も突き刺す。
「 あっ――ああー………あ』
スーアの身体が揺れる。ウルはそれを見て更に強く剣を差し込んでいく。
竜の咆吼が激しく聞こえる。怒りに満ち満ちて空に木霊する。だが、それでも一切ウルはその手を止めなかった。執拗に同じ場所を、スーアを捕らえる肉を切り裂く。切り裂く。切り裂く。その動きは魔物を討つ冒険者というよりも商品の解体を行う肉屋の作業だった。
「あああ-ーーー――』
スーアが再びウルを指さす。再び彼女の周りの光の内、一つが明滅を開始する。だが、
「遅え!!!」
ウルは今さっき切り開いた竜の血肉、その破片を掴むと、怪しげに輝く光に向かって投擲する。光はその瞬間ギョッとしたように激しく輝くと、そのまま不意に離れる。
精霊は竜嫌いだ。ディズが言っていた。ウルも体験した。竜の血を浴びるだけで、途端に精霊は機能不全に陥る。敵対者として距離を離して相対するなら兎も角、血肉飛び交うこんな場所でスーアを操ろうが、正常に機能するはずが無い。
「やっぱハッタリだろクソトカゲ!!!!!」
ウルは確信をもって叫んだ。
スーアを、竜はろくに操れていない。巨人が小さな小さな人形を指先でつまんで動かそうと試みているような程度にしか扱えていない。まして精霊の力など、竜が使える訳が無い。精霊達の竜への忌避感をウルはよく知っている。
そもそも本当にスーアを自在に操れるなら、もっと早くコチラを絶望させるのに最適のタイミングはあったのにそうしなかった。
なのに、まるで盾にするようにして未来視の魔眼の前に出したのは――
「その場しのぎの悪あがきだ!!!」
そうせざるを得なかっただけに過ぎない。人質を前に晒して危機から逃れようとするなど三下以下だ。その馬脚を露わしたことにも気付かず悦に浸って笑う相手に、尻尾を巻いて逃げてやる道理は無い。
「悪あがきならこっちも得意だ!最後まで付き合ってやるよ!!!」
ウルは剣を再びふり下ろし、血飛沫を浴びた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
真なるバベル 中央
「…………」
現在、スーアを失い、玉座にて天賢王アルノルドは一人、大罪迷宮プラウディアを支え続けていた。両の手を前に突き出す姿勢をこの戦いが始まってからずっと、一切微動だにせず続けている。何時も通りの無表情だが、額には薄らと汗が浮かんでいる。
突き出した腕にも血管が浮き出し、小さく血が噴き出している。いかに彼がプラウディアを支えるために努力を続けているか分かろうものだが、彼はそれを顔には全く出さない。問われればそれに答えるが、そうでないならただ黙々と、己の役割に準じていた。
「な?面白いだろ?」
そんな彼に語りかける男が一人居た。その玉座の裏側で、地面に座り込み、ニヤニヤと笑うその男。真っ黒な毛並みの、見るだけで威圧感を与えてくる男。【歩ム者】達をこの戦いに誘ったブラックだった。
彼は背中越しに天賢王へと話しかける。まるで友人に話しかけるように
「なんの謂われも無く、ただただ一本線がキレてる。物見遊山で邪教のオモチャを見て回ったら、おもしれーもんを見つけたもんだよ」
「…………そのお前のお気に入り、下手するとこのまま死ぬぞ」
「その時はその時だろ?惜しいとは思うがね。ところで、」
ブラックは立ち上がり、振り返る。血塗れになりながらプラウディアを支える天賢王を見下ろして、やはり楽しそうに笑った。
「ソッチは大丈夫か?久々にちょっと死にそうじゃねえか?賢者様」
「そう思うなら手伝ったらどうだ」
「俺が?お前を?冗談だろ?」
ゲラゲラゲラとブラックは笑う。あまりにも不敬な態度だったが、玉座の周囲を守る天陽騎士達は彼の暴挙を気にしない。と言うよりもまるっきり彼の存在そのものに気付いている様子はなかった。
そして天賢王は天賢王で、ブラックのその態度を気にすることは無かった。
しかし、その代わり、姿勢を変えぬまま、ブラックへと眼を細めて、小さく呟いた。
「残念だ。お前の【提案】に乗ろうと決めた矢先にイスラリアが滅ぶとはな」
「…………ほーん?」
不意にブラックが笑いを止める。しゃがみ、落下するプラウディアを見据える天賢王を興味深そうにのぞき込んだ。
「本気かよ?とっくに諦めたと思っていたがな?それともその場しのぎの交渉か?」
「馬の前に人参を吊り下げることを交渉と言うならそうだろうな」
「言うねえ。誰かの悪い影響を受けたか?兄弟」
「だとしたらお前だな」
ブラックはまた笑った。そして立ち上がり大きく伸びをした。
「見学しているだけでもヒマだしな。虚飾の作った不細工なオモチャと遊ぶとするかね。給料弾めよ?愚かな賢者様」
「精々働け、賢しい愚王」
そう言って、ブラックはその場から消える。すると周囲の天陽騎士達は不意に目を覚ました様に周囲を見渡す。彼の傷を看護する神官達が慌てて王の周りに再び集い始めた。
天賢王は気にすること無く、自らの責務の遂行を続けるのだった。
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