名も無き孤児院と不愛想な先代②
大罪都市プラウディア”名も無き孤児院”
一応、遙か昔建設された当初には孤児院にも名前があったらしい。が、経年とともに徐々に忘れられ、また、神殿内の土地管理役員以外、その名をあえて呼称する者もおらず、その名は失われた。また、この孤児院に住まう子供達は名無しの冒険者達の遺児である事も多く、結果、”名も無き孤児院”という蔑称が落ち着いてしまったのである。
神殿、【真なるバベル】の地下の【螺旋図書館】に死蔵されている都市管理の書類の山を漁れば、名前の一つも出てくるかも知れないが、わざわざそれを探すような物好きは存在しない。管理者である神官も無口でそれを口にすることもなく、結局誰も知らずじまいだ。
その孤児院の中でも一層に古びた客間の前で、ウル達は招かれ、茶を出されていた。一同はその出された茶を、何故か訝しげに睨んでいた。その中で、シズクが声を上げる。
「ウル様。これはなんでしょう」
「お茶だ」
「極彩色ですね」
「ああ。カラフルで綺麗だろ」
「お茶に対する感想ではありませんね?」
コップの中の液体は、ウルの言うとおりカラフルだった。魔術薬の類いでもここまで派手な色をする事は無いだろう。すると横からディズがウルの説明を付け足した。
「シズク、これを飲む時は感性のスイッチを切ってから、鼻をつまんで、一気に飲み干すんだよ?固形物が喉に引っかかったら当たりだね」
「なにが当たるのでしょう」
「虫だね」
「虫」
シズクはお茶の中身を覗こうとしたが、液体は強い粘性を維持しているのか一切の透明性が無かった。ウルとアカネは悲痛な表情で座っている。何事にもあまり動じないディズさえも自らの迂闊さを呪うような苦々しい顔だ。
「……まだ客に出してたのか。茶を名乗る謎の液体X」
「コレ出てくるの忘れてた。いや、記憶から消していたかな……?」
《じーちゃんわたしこれきらいー!!》
自分用に小さなカップに用意されていた茶を前に、妖精姿のアカネが我が儘を言った。
好意で出して貰った物に対する反応として問題なので普段なら注意するところだが、この時ばかりはウルもその意見に同意した。アカネどころか、これを好きだと宣う者はそれこそザイン以外いないだろう。
対面に座るザインは叫ぶアカネを睨み、言う
「我が儘を抜かすな。しっかりとのめ」
《わがままってじげんじゃないのよー!?》
「精霊憑きのお前の体調も整う特別製だ。元気になる」
《なるけどもー!!》
アカネの抗議は全く通じなかった。その隣で、シズクはウルに尋ねる
「アカネ様も飲まれるのですか?」
「そもそも、アカネが飲料から魔力を獲得できると調べたのがじいさんでな。飲める奴を煎じている。で、これがアカネにも人体にも効く」
この孤児院に暮らす子供達は、名無しであっても滞在費を免除して貰える。が、治療費などは別である。病気や怪我は割と致命的になりかねないという現実があった。
だが、この茶を飲む子供達が病気になることは無かった。一度プラウディアで呪い系の魔術が入り交じった凶悪な感染病が流行し、癒者達が死に物狂いで都市中を駆け回らなければならない事があったのだが、この孤児院は一切無事だった。
恐ろしく、効果覿面の素晴らしい予防薬と言える。
口の中が地獄になるという欠点を除けば
「商家の都市民の子供が、強盗にあって孤児になって流れてきたことがあってな。まあ、甘やかされて育ったらしくてトラブルを起こしまくってた」
「あら」
「そしたら三食これになって一日で大人しくなった。」
「一撃必殺ですね?」
「ああ、必殺だ……」
ウルは大きく溜息をつき、コップを握った。アカネはぎょっとウルを見た。
《にーたんしぬよ!?》
「ウル様死ぬのですか?」
「……あれから10年だ。今飲んでみたら平気って事もあるかもしれん」
子供の頃の方が味覚は敏感であり、年を取ると味覚が鈍くなるので薬や酒の苦みが平気になる。と、聞いたことがある。子供の頃恐怖に戦いていた代物が今見てみたらなんだたいしたことないじゃ無いかと、そういう事は起こるかも知れない。いや、そうであってくれ。と、ウルは心中で祈った。
思い出話に花咲かすにしても目の前のジジイはこれを飲み干さなければテコでも動かないというツラをしている。なら、面倒ごとは早々に済ますべきだ。
「………いただきます――――!」
「言い忘れたが、最近新たな薬効のある薬草を追加で煎じている。効果は絶大だ」
ウルがコップを呷ると同時にザインは補足した。ウルは飲み干したポーズで制止し、暫くした後に、そのまま前のめりにテーブルに突っ伏した。
「死にましたね?」
《にーたあああん!!?》
「尊い犠牲だったね……」
動かなくなったウルの背中をディズはさすり黙祷した。そして自分の目の前に鎮座する液体に向き合う。
「元々凶悪だったのに何故か年々強化されてるんだよねえこの液体X……どうせ強化するなら味の方を強化して欲しいんだけど」
「しているぞ」
ザインの言葉に、ディズは目を見開く。
「……本当?」
「ああ。子供達があまりにも喧しいものだったから、どうしても飲めないという子供には味付けしてやっている」
そう言って彼は何やら錬金術で使うようなガラス瓶に詰められた液体をディズの目の前にあるカラフルなお茶にぽたりと垂らした。どれだけ控え目に見てもやってることは妖しげな魔術実験である。
間もなくして液体から青紫の煙が湧き上がった。
「毒ガスですか?」
「流石にそれは無いでしょ」
「安心しろ。10秒後に無害化する」
「本当に毒ガスでしたね?」
シズクは感心したように声を上げた。ディズとアカネは沈痛な表情に戻った。
《わたしたちなにをのむん……?》
「わかんないなあ……本当に分からない。神薬亜種みたいな効能もあるってんで錬金術師が彼に教えを乞うたんだけど、再現できずに帰ってったよ」
「表面上の現象や反応ばかりを見ているから、絶妙な魔草の機微が掴めんのだ奴らは」
「職人技と言う奴ですね?」
「そんな大層なものでは無い。来た奴らの根性がなかったのだ。100杯飲んで諦めた」
「凄く頑張ったのは頑張ったみたいだね……」
シズクが暢気に彼の技術を褒めているが、ディズとアカネの目の前の液体が減ってくれるわけではなかった。煙が収まった液体を前に、ディズはコップを握りしめ、身がまえた。
《いくのディズ!?》
「私だって七天の末席だ。命を惜しんでなにが太陽神の代行者か」
「誇りを賭けた戦いですね?」
シズクが感心した声をあげる。ディズもウルと同じく一気に呷った。
「ちなみに今回は酸味と甘みと苦味をたした」
《ゲロ?》
ディズは停止した。数秒後、ウルと同じくテーブルに突っ伏した。世界最高の力を持つ天賢王のしもべ、勇者は陥落した。
《ディズー!!!》
「死にましたね?」
子供を育むためにある孤児院に死体が増えた。
残されたアカネはうろうろと、おろおろとディズとウルの間を飛び回る。が、よくみると、めざとく窓の位置をちらちらと確認していた。逃走しようとしているらしい。
が、それを察してなのかは不明だが、ザインがアカネを睨み、そして言った。
「アカネ、お前肥えたな」
《んにゃあ!?》
アカネが飛び跳ねた。
肥える、などという言葉を、変幻自在に自分の姿を変えられるアカネに対して当てはめるべき言葉であるのかは分からなかったが、アカネの反応は言葉にするなら「何故分かった」である。
《わ、わたしかんけいないしー!おっきくもちいさくもなれるのよ!》
「魂が肥えている。正体を知って問題ない者が増えて、甘やかされているな」
これまた図星である。アカネの正体を知る者は今はそこそこ居る。少なくとも【歩ム者】に所属しているギルド員は隠すことも出来ないと言うことで、エシェル含めて全員知っている。
【白の蟒蛇】やウーガに暮らす【名無し】や【従者】相手には”特殊な使い魔”として一応誤魔化しているが、ジャインはある程度事情を察していることだろう。面倒だから自分から首を突っ込もうとはしないだけだ。
そんな訳で彼女を認知する者は多くなり、アカネは割とそこそこの人数から可愛がられている。暁の大鷲が来たときなど、【白の蟒蛇】の魔術師部隊の女性達からジュースをごちそうして貰っているところをシズクは目撃している。
「魂の贅肉は肉体に影響を及ぼす。今はまだだが、その内動きが鈍くなるぞ」
《うぐぅ!!》
「さっさと飲め、痩せる」
「飲めば痩せるのです?」
「痩せる」
美容に悩む女性を騙す悪徳商人のような文句をザインは真顔でのたまった。アカネはカップを持ちながら震え、そして目を見開くと、一気に小さなカップを呷った。
「継続して摂取し、適切に運動を続ければ痩せる」
《…………》
妖精の姿で宙を浮かんでいたアカネは墜落し、形を失って粘魔の様な姿になって机に広がって死んだ。
「皆殺しですね?」
「お前も飲め」
「そうですね、いただきます」
シズクは頷き、そのままコップをすっと呷った。一息に飲み干した後、小さく頷いて、納得したように笑みを浮かべた。
「これは、大変です」
そして笑顔のまま机に突っ伏して、4人とも死んだ。
「大げさな奴らだ」
ザインはそう言って自分にも淹れた茶を飲み干す。そしてそのまま平然と立ち上がると、うち捨てられたコップを回収し、片付けるのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
改めて、名無しの孤児院 客間にて
「…………魔力の過剰摂取で慢性的に続いていた成長痛が消えた」
「私も同じですね。全身を巡る魔力の流れも良くなりました」
「……ラストにかき回されてから残ってた痛みが消えた。あらゆる回復薬試したのに」
《からだかるーい……》
蘇生を果たしたウル達は、各々自らの体調の改善に驚愕していた。
全員の体調はすこぶる良い。ウルなど、先ほど冒険者ギルドでイカザに倒されたときに身体の芯に残った鈍痛すら消えて無くなっている。凄まじき効能だった。
「たまに一度飲むだけでは効果はたかが知れている。定期的に飲め」
コップを片付け、戻ってきたザインはしわがれた声でそう言う。実際そうした方が良いだろうというのは今し方体験した回復効果を見れば明らかではあった。が、その場の全員、わかったと頷かないのは、やはり意識が消し飛ぶほどの地獄の味わい故である。
「プラウディアに戻る機会、少なくて……」
「ならば煎じ方を教える。プラウディア近郊でなくとも様々な魔草で代用は可能だ」
「……プラウディアの錬金術師でも再現は無理だったんでしょ?」
「長年の薬効の体感と、その経験に基づく選別が足りないだけだ。特にウルとディズ、お前達には幼い頃、薬草の選別技術を仕込んでいる。すぐに身につく」
ウルとディズは沈黙しお通夜の面構えになった。アカネも同様である。
唯一平然としているシズクは、彼の言葉にふと気づく。
「では、此処の孤児院の皆さんは、薬草を探しに?」
「ああ、プラウディア周辺は都市の外でも魔物は出ない。都市外のすぐ近くの林で採取させている。日が沈む前には戻るだろう」
「保護者などはついて行かないのです?」
「年長者がそれを担う。そもそも、いずれは此処を出て、都市の外を放浪していかねばならない名無しの子供らだ。この程度の使い、1人で出来ねば困る」
きっぱりとザインは言い切る。言葉は厳しかったが、子供達の将来を見据えた配慮だった。昔からそこら辺は変わらない。
「……都市外で旅してて、なにが食べられて、なにが食べられないか、見分けが付く付かないじゃ命に関わるからな」
ウルは溜息をついて顔を上げる。目の前の、幼少期の育ての親である老人に改めて向き直り、頭を下げた。
「まあ、今更だが久しぶりだ。じいさん。元気そうで何よりだ」
「コチラのセリフだ。まさか冒険者になるとはな」
「不本意だよ」
ウルが苦笑いする。ザインはウルの顔を見て察したように溜息をついた。
「ならばアカネ関係か。ウガンは死んだか」
「怪我と病気でぽっくり。しかもアカネを担保に借金してそれをディズが買った」
「買ったね」
《かわれたー》
借金の担保に売り飛ばされた妹と兄、買い取った女が同じ椅子に座っている。珍妙な状況であったがザインは眉一つ動かさなかった。
「どうせ死体も騎士団に処理されて葬儀もしていないのだろう。共同墓で送ってやる」
「要らないって」
「お前の母親も同じ場所で眠っている。気が向いたら挨拶しておけ」
《かーちゃん?》
「……気が向いたらな」
ザインの言葉にウルは不承不承頷いた。死んだ両親への挨拶を強要しないあたりは、この老人らしいと言えばらしかった。此処に流れ着く子供達は、親から愛情を受けていたとは限らないと理解しているのだ。
「それで、他に要件はあるのか」
「うっかりアンタがくたばるか孤児院がくたばるかしちゃいないかって様子見に来ただけだよ。というか此処本当に大丈夫なのか?」
《ちょーぼろぼろよ?》
アカネがウルの言葉に追撃する。実際孤児院のボロボロ加減はウルが此処を出たときよりも増して更に酷くなっている。今ウルがいる客間もどこからか隙間風が漏れているのか若干寒い。今にも崩壊しそうだ。
「金なら在る。必要ないから使っていないだけだ」
「嘘つけ」
金があるならもう少しこの幽霊屋敷を何とかするはずだろう。
と、ウルが即座に否定する。が、
「いや、それが嘘でも無いんだよね」
そのウルの言葉に横からディズが否定した。
「知ってるのか、ディズ。いや、明らかに何か知ってる感じだったけども」
此処に来てからのディズの言動は、ウルと同じかそれ以上にザインの事を知っている様子だった。ウルも別に、この孤児院に滞在こそしていたがずっとではなかった。途中で離れたこともあったし、10年前プラウディアを出て以降に彼女が入れ違いで此処の世話になり始めた、なんて可能性も確かにある。
が、後の七天の勇者が孤児院の世話に?という疑問もあった。
ディズは、ウルのそんな疑問に答えるように、ザインへと恭しく礼をした。
「お久しぶりです先代。ご壮健でなにより」
「お前とは1年と半年ぶりか。ディズ。相も変わらず未熟な”魔断ち”をふるっているらしいな。鍛錬が足りぬ」
「精進します」
ディズの礼に、ザインは鋭く短く叱責する。ディズはそれに反論することなく頷いた。
それを傍で聞いていたウルは、彼らの会話の意味を理解できず暫く硬直していたが、飲み込みきると、大きく首を傾げた。
「…………んん?」
【勇者】から先代と呼ばれた育ての親は、ディズの一礼を下らなそうに見つめていた。
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