螺旋図書館の天魔と鏡⑤
――カルカラ
――はい、エシェル様
かつての、カーラーレイ家でのエシェルとの思い出を振り返るとき、カルカラは何時も苦々しい気持ちで胸が一杯になった。無邪気にも自分を頼り縋る彼女の首を、いつでも搔き切る準備をしている自分に嫌気がさしていたからだ。
しかし最近はそれが少しマシになっている。裏切る必要が無くなって、彼女と和解できたからだろう。勝手な話だと思うし、例えどれだけエシェルが許しても、自分を決して許してはならないと分かっている。
ただ、昔の彼女との思い出に、汚らわしい想いを抱かずに済むのだけは、良かった。
――ねえ、見てこれ、ドレスよ
この日はなんだっただろうか。何時も通りカーラーレイの兄弟達に面白半分で石を投げられて逃げ回って、広い広いカーラーレイの屋敷の中の一室に潜り込んだ時だっただろうか。物置の様な部屋だった。
そこに押し込まれていたドレスは子供用にあつらえた代物だった。恐らくはエシェルの妹達のもので、1度か2度着た後に使わなくなったのだろう。放置されていたそのドレスを、彼女は広げてみせる。
決して口にはしないが、その目は羨ましそうだ。
今彼女が着ているボロの服は痛々しい。とてもではないが、都市で最も高位の家の長女が身に纏うようなものでは無い。ドレスなんて、彼女はもう随分と着ていないのだ。
――エシェル様。着てみましょう
だからカルカラは、彼女の願いを酌むようにそっと提案した。
――……いいの?
――誰も、気づいたりはしませんよ。
部屋は随分と埃っぽい。使用人達も此処は殆ど立ち入らないのだろう。そんなところに押し込まれていた古くさいドレスなんて、彼女が着たところで誰も気づくはずが無かった。
勿論、カルカラはその事は言わずに、楽しみにしているエシェルが着替えるのを手伝ってやった。彼女のために用意されたものでは勿論無いから、所々サイズが合わなかったが、カルカラはドレスと一緒に放置されていたリボンやアクセサリーでそれらを誤魔化して、綺麗にしてやった。
――すごい!カルカラ、すごいわ!
――お似合いですよ。エシェル様。
エシェルが飛び跳ねて喜ぶのを、カルカラは微笑み賞賛する。この時ばかりはカルカラも心から喜んだ。この大きな屋敷で彼女がこうして大喜びできる一時は、本当に貴重だったからだ。
エシェルはくるくると回り、踊る。白色のドレスと、身に纏ったアクセサリーがキラキラと反射する。カルカラはそれを微笑み眺め続け――――ふと、気づく。
鏡だ。鏡がある。
この物置には鏡があった。大きな鏡だ。でも不思議だった。カーラーレイの屋敷に鏡なんてものは無い。鏡は邪霊の象徴だ。だからエシェルが生まれるよりも以前から、この屋敷には鏡なんて存在していない。目に付くところに放置しようものなら、それを放置した使用人達の首が飛ぶ。使用人達にすら所持は許されていない。
だというのに、何故こんな所に鏡があるのだろう。
カルカラの疑問を余所に、エシェルは跳んで跳ねて、踊る。陽の光が窓から差し込み、エシェルを輝かせ、鏡に映る彼女に反射する。
大きな姿見の鏡に映るエシェルは、当たり前だが、彼女と同じように踊る。全く同じ動きで、だが、一点だけ様子が違う。
黒い。彼女は黒いドレスを身に纏っていた。
真っ黒なドレス。顔を覆うベール。薄らと見えるその顔は確かにエシェルだ。身に纏うドレスだけがおかしい。目の錯覚だろうか。
――ねえ、みてくれた?カルカラ
――……ええ、勿論ですよ。エシェルさ……
エシェルがコチラに微笑みかける。一瞬ぼおっとなっていたカルカラは思わず彼女に笑いかけて、そして彼女の真後ろの鏡に、最後に視線が向かった。
エシェルは此方に向かって微笑みかけている。鏡はその後ろだ。当然、カルカラの視点から鏡に映るのは自分と、エシェルの背中の筈だった。
だが、鏡に映っている黒いドレスを身に纏ったエシェルはコチラを向いている。
カルカラが声も出せずに目を見開く。鏡のエシェルは、本物のエシェルと同じように微笑んでいた。だが、違う、彼女の笑みはあんなにも妖しくは無い。見ているだけで、吸い込まれてしまいそうな目で、こっちを見たりはしない。
そして鏡の彼女は、本物の彼女を無視して、カルカラに向かって、言った。
――ちょうだい?
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螺旋図書館 地下73階奥 元大聖堂
「――――っ!!!!」
カルカラは目を覚ました。
何か、恐ろしい夢を見た気がする。酷い汗をかいていた。大きく息を吐く。埃っぽい場所で寝ていたせいか喉も痛い。水が飲みたかった。
「ほお、真っ先に目を覚ましたのはお前だったか」
だが、そんな不快感も、自分を見下ろすようにして観察する【天魔】グレーレを見て吹っ飛んでしまった。彼女は血は一気に沸騰し、跳ねるようして起き上がった。
「貴様!!」
「貴様とは無礼な女だ。折角魔力枯渇を起こしていたお前を助けてやったというのに」
尤も、そこまで追い詰めた原因も俺であるがな!
と、グレーレは笑う。カルカラは睨むことを止めなかった。誇張でもなんでもなく、普通に殺されかかって怒らない方がおかしいというものだ。
「何故こんな真似をしたのですか!エシェル様は無事なのですか!」
「お前の後ろで寝ているぞ」
言われ、驚き振り返る。するとそこには確かにエシェルが地面に倒れ伏していた。その隣にはエクスタインも寝ている。どうやら3人は綺麗にならんで寝かされていたらしい。
「エシェル様!」
「…………ん……」
カルカラが声をかけると、エシェルは少し身悶えするが、しかし起きなかった。だが意識を失っているとかではなく、熟睡しているだけのように見える。怪我も無い。隣のエクスタインも息をしている。全員無事だ。
「まあ、運が良かったなあ。特にお前とエクスタインは魔力枯渇で死ぬ寸前だった。精々俺に感謝すると良い」
「……あの呪王蜘蛛も貴方が倒したと?」
絶対に感謝などするものか、と、睨みながらカルカラは確認する。あの時、自分たちは完全に詰んでいた。助かった理由があるとしたら七天のグレーレか、あるいは――
「俺が?まさか!そんな真似を何故しなければならない!」
「……では何が」
「見てみろ」
グレーレが自身の背後を指さした。カルカラは身体を起こして、ゆっくりと彼の後ろを確認する。
「この呪王蜘蛛は長いこと此処で主をやっていたものだからな。ほぼ受肉していたため、死体は残っている」
「……………………」
そして、戦き、よろめいた。
呪王蜘蛛は死んでいた。だが、その死骸の痕跡はただ事では無かった。
切断されていた、とかならばまだ納得も行く死に様だろう。だが、これはそうではない。その身体は何故か縦横無尽に”抉り取られていた”。尋常でなく鋭利な爪を持った巨人が、呪王蜘蛛の身体を刮いだような、珍妙なる死骸だった。
当然、何故こんなことになったか、普通ならば分かりようも無いが、カルカラには覚えがあった。
エイスーラとの戦いの折、エシェルが引き起こした鏡の精霊の顕現の時に起こした力。暴走していた精霊が引き起こした【簒奪】の力だ。身体の一部がそっくりそのまま無くなり悶えるエイスーラの姿、それとそっくりだった。つまり
「……これを……エシェル様が?」
「ああ、見事なものだったぞ?お前達が一方的に殺されかかった呪王蜘蛛を、見事に蹂躙した。尤も、当人は全く覚えてはいないだろうがな」
カルカラが振り返っても、エシェルはやはり眠ったままだ。目を覚ます気配も無い。むにゃむにゃと、コチラの気もしらないようで、何か寝言を呟きながら、笑ってすらいる。
「……彼女の力を見るために、こんな真似をしたのですか」
「あの年まで殺されず、自滅もしない邪霊の愛し子など中々お目にかかれない。興味深かったが、想定以上だったぞ。よくぞアレを生かしたな監視役よ」
本心から感心したような物言いに殺意がわいたが、殺そうとしたところで、この男に襲いかかった魔物達と同様に四散するだけだろう。怒りを押さえるのに苦労した。
「まあ、そう怒るな。俺も不本意ながら此処の管理者なのだ。それなりの労力を払って保管している禁書をタダでくれてやるわけにもいかんのだよ」
そう言って彼はカルカラに一冊の本を投げて寄越す。表紙も何もかも真っ黒な本だった。触れた瞬間に魔力を帯びているのは分かったので、魔本の類いなのは間違いなかったが、一見してなんの情報も読み取れなかった。
「これは……」
「邪霊に付いての知識をまとめた研究書類にして、邪霊そのものの力を利用するための魔導具よ。作成者は邪霊の力を扱えず自滅し死んだがな」
「つまり欠陥品ではないですか」
「過ぎた精霊の力の抑制の機能は保証してやろう。尤も、彼女の力を抑えるには不足かもしれんがな!カハハ!」
こんなもんいるか、とグレーレの顔面に投げつけようとも思ったが、確かにコレは今のエシェルには必要なものだった。不本意ながらも、カルカラはそれを手放す訳にはいかなかった。
そしてもう一つ腹立たしいことに、目の前の男は、カルカラよりも遙かに邪霊に対して理解しているという点。ならば、
「報酬、というのなら、もう一ついただいても?」
「ほう?なんだ」
「エシェル様……【鏡の精霊】は、何故ここまで強大なのですか」
この目の前の無残な呪王蜘蛛の死骸で確信に至った。
やはり、エシェルの力はおかしい。精霊の力がヒトの常識を越えるのは常だが、エシェルのそれは精霊の常識すらも越えている。こんなデタラメな力を、神殿との繋がりもないのに苦も無く発動できるわけがない。
何かあるはずだ。そして、それが何なのかを知らないまま、彼女に力を振るわせ続けるのはあまりにも危険だった。
「ふむ?まあ折角だ。答えてやろう……が、理由は複合的だぞ?」
「複合的?」
「【邪霊】の問題と、【鏡の精霊】、【エシェル・レーネ・ラーレイ】の問題が混じり合っている。中々希有な事例だなあ?」
「一つ一つ話してやろう」と、グレーレはコツコツと地面を鳴らしながら古びた大聖堂を闊歩する。一見してそれは魔術の教官の姿にも見えた。
「まずは【邪霊】だ。前提知識として貴様は邪霊をどう認識している?」
「神殿に邪悪とされた精霊の総称」
「なんだその配慮したような物言いは?貴様も神官の端くれなら理解しているだろう?」
「……」
「”人類に不都合な精霊の総称”だ!悪だのなんだのと、あくまでも人類側の勝手な都合よ!」
カルカラは沈黙で肯定した。彼の言うことは正しい。
同時に、何故この男が神殿から蛇蝎の如く嫌われるのか分かった。神殿の中ではタブーとされ、容易に口に出せば天陽騎士に引っ捕らえられるような事を平然と宣うからだ。
「”創造者”はこの世界を生み出すとき、真に危険な精霊は廃棄した。精霊達の住まう【星海】から爪弾きにした。根源的な負の思念もまた、奈落へと棄てられるように仕込んだ」
が、しかし、
「神の整備は不完全だったなあ。かつての【理想郷時代】から迷宮の出現で世は乱れた。人類全体に余裕がなくなり、新たなる”不都合な精霊”が生まれた。それらが邪霊だ」
神、太陽神、ゼウラディアを”不完全”と断じる不敬を平然と宣ったグレーレは、尚も続ける。
「膨張の精霊の例のように、可能であれば思想の矯正も行うが、それも難しい場合は精霊の住処である【星海】から管理者である【天祈】が追放し、神官達にはそれらの精霊への祈りを禁じる」
「……私が知りたいのはエシェル様の件なのですが」
「まあ聞け!折角興が乗ってきたのだ!」
カルカラの抗議をあっさりと退け、グレーレは言葉を続けた。
「【星海】から弾かれた邪霊達は、神殿の魔力供給も断たれる。直接祈っても貰えなくなる。必然、弱体化してその果てに【卵】になるか、僅かな信仰者達からの祈りを糧に細々と生きるかになるわけだが――――さて、【鏡の精霊】だ」
じろりと、グレーレは倒れているエシェルへと視線を送る。カルカラは彼女を庇うように間に入った。その姿をグレーレは嗤った。
「【鏡の精霊】は通常の邪霊とは異なる。何故か分かるか?」
カルカラへと問う。この男の授業の真似事に応じるのは業腹だったが、しかし答えなければ話は進まないだろう。そして、カルカラは既に答えがわかっていた。
鏡の精霊の特殊な状況は、誰の目にも明らかだからだ。
「……【簒奪】の悪名の件ですね」
「そうとも。優秀な生徒で嬉しいなあ?」
後から付け足された迷信により、歪んでしまった精霊。
鏡の精霊は特別だとグレーレは言う。
「元々鏡の精霊は邪霊ではなかった。当然であるがな?そもそも鏡は単なる無機物だ。それが後から、【簒奪】という悪徳が神官達の手で付け足された希有な事例よ!」
通常であれば、妖しげな迷信が都市に蔓延すればすぐさま神殿が矯正する。それも神殿の一つの役割だからだ。しかし鏡はその矯正がきかなかった。その神殿自身が、よりにもよって「太陽を盗む」という畏れを強固な恐怖にしてしまったのだから。
「しかも鏡は日用品だ。既に広まりすぎていた。通常の邪霊のように”不要”として忘れるにはあまりにも生活に結びついていた。神殿内だけ排除しても、むしろ逆効果だった」
神殿から一掃したとて、都市内に偏在する鏡の存在を、神官達は忘れることも出来ずに畏れ続けた。むしろ遠ざけたことで、実体をぼやけさせ、結果、迷信を加速させた。
「カーラーレイ一族から鏡の寵愛者が生まれるのも、ある意味必然だったなあ」
「……なんですって?」
「寵愛者が生まれるより以前から、第一位であるカーラーレイ一族は鏡の事を過剰に恐れたのだろう。恐れ、戦き、嫌悪する。第一位の恐怖が結実したのがあの娘よ」
カルカラは、頭の奥に血が上っていくのを感じた。グレーレへの怒りではない。既に自業自得で死に絶えた、カーラーレイ一族に対してのものだ。
彼らは散々にエシェルを嬲って罵った。些細な不幸が起これば彼女が生きている所為だとわめき散らした。だが、そもそも彼女が鏡の精霊に寵愛されたのは、彼らが過剰に鏡を恐れた結果でしか無い?全て身から出た錆であると?
それでは、あまりにも彼女が不憫だ。
「どれだけ神が悪意を奈落に棄てようとも、全てとはいかない。そうして零れた悪意が鏡を不必要に強くした――しかも、それだけならばよかったものを」
「……まだ、なにかあると、いうのですか?」
問うが、グレーレは肩を竦めるのみだった。
「カハハ!!すまんなあ、”ソレ”に関しては俺も検証が足りん。確証が無い情報を賢しらに口にする性分ではないのだ」
「貴様……」
あまりに好き放題に舌を回すグレーレに殺意が沸いた。が、当人はまるで悪びれる様子はない。
「口が悪いなあ!まあそもそも本来であれば官位を持つお前に敬意を払わなければならないのは俺であるはずだから、悪いのは俺か!!カハハ!!」
「……もう、どうでも良いです」
カルカラは溜息をついて、がっくりと地面にしゃがみ込んだ。
疲れた。情報として受け止めるにはあまりにも重かった。エシェルのためと分かっていたから耐えられたが、出来れば今聞いた話こそスッカリ忘れてしまいたい気分だった。
結局、手に入った魔導書以外は、得られたのは不安だけだ。エシェルが無事だったことだけが救いだが、後は早く帰りたかった。
「お話、感謝します。それで、私達はどのようにして戻れば?」
「心配せずとも帰してやろう。要件は済んだ」
カツン、とグレーレの足音が響く。するとカルカラ達の周りに白い輝きが集まり、間もなくしてカルカラの視界も白く染まっていく。転移が始まろうとしていた。
「最後に聞いておこうか。」
輝きの中、グレーレの声が届く。無視してもいいか、とも思ったが、カルカラは溜息を一つ吐き出して、聞き直した。
「何ですか」
「お前自身はどうするのだ?」
光の中、グレーレの視線が真っ直ぐにカルカラを貫いた。全てを見透かしている目だ。あらゆるものを観察し、自身の好奇心という怪物のエサを探す目だった。
「その娘、何れは”多くの神官が信じるように”大いなる厄災と成る可能性を秘めている。本人の望む望むまいに関わらず。そして、そこに至れば」
そうすれば、もう、戻らない
「【真なる邪霊の愛し子】の誕生よ。その時、お前はどうするつもりだ?」
「彼女が望むのなら、それを手伝いますが、それが何か?」
カルカラは、その好奇心の目を真っ直ぐに見つめ返し、答えた。彼の話の多くに振り回され、混乱を強いられたが、しかしその一点だけは何も変わらない。故に答えに迷うことは無かった。
彼女の望みを助け、幸せに導く。この身は、その為だけに存在している。
カルカラの答えをどう思ったのか、確認するヒマは無かった。間もなくしてカルカラ達の身体は転移の魔術に飲み込まれ、視界からグレーレの姿はかき消えた。だが、最後に彼の言葉だけが、カルカラの耳に届いた。
「では、【陽喰らいの儀】は乗り越えねばなるまいな。存分に俺を楽しませてくれ。」
お断りだ。と、いうカルカラの悪態は虚無に消えた。
かくして、地下空間から、エシェルとカルカラは姿を消した。
残されているのはグレーレと、そしてもう一人
「さて……」
グレーレは地面に転がり目を瞑るエクスタインをのぞき込み、そして口を開いた。
「起きていただろう。エクスタイン」
「……グレーレさん。あまり危険なことはなさらないでください。」
言われ、エクスタインは身体を起こした。
顔色は良くない。先の戦いで限界ギリギリまで追い詰められ、更に魔力切れを起こしたのも本当なのだから、当然だった。意識を失っていたのも事実だ。
ただ目を覚ましたが、カルカラよりも更に先だったというだけの事である。
「ウーガがこの先どのようになろうと、彼女たちの存在は必要になる。失うわけには行かないと分かっているんですか?」
「わからんな。あのデカイ使い魔には興味をそそられん訳でもないが、優先度は低い。貴様らが献上するというのなら見てやるが、邪霊の愛し子の方がよほど興味深い」
「お陰でこっちは必死だ」
エクスタインは大きく溜息をつく。その彼の様子を見てグレーレはせせら笑った。
「これでエンヴィー中央工房の連中が躓いたとて、お前は嬉しいのだろう?」
「そう簡単じゃ無いって事は理解してほしいものですがね」
「魔術の探求以上に重要とも思えんが」
「上司が部下の仕事への理解がなくて辛いなー!」
「カハハ!!」
自分の組織を飼っている【七天】に対しても、エクスタインは言葉を選ばなかった。グレーレも彼の態度を気にする様子はない。エクスタインの直接の上司であるグローリアがその光景を見れば目をひんむくだろう。
だが、二人の関係はこのような状態だった。幸か不幸か、出会ったときから妙に馬が合ってしまったのだ。
「で、狸寝入りをしてまであの女の話を聞けた成果はあったのか?」
「彼女の話を聞いたのは、エンヴィーとは関係ありませんよ。あくまで個人的好奇心です」
「ほう、真面目くさった男が珍しい。それで、見たいものは見れたのか?」
聞かれると、エクスタインは楽しそうに、少しだけ寂しそうに笑った。
「友人の周りに、昔と変わらずおかしな人材が集まっていることは分かりましたかね」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大罪都市プラウディア バベル通り
「全く……とんだ図書巡りになりました」
カルカラはエシェルを背負いながら、帰路についていた。
既に夕暮れ時で、都市民達も一日の勤めを果たした太陽に祈りを捧げ、帰路についている。カルカラも彼らと同じように太陽神に祈りを捧げ、プラウディアにとっている宿に向かっていた。
眠っている彼女を運んでいると昔を思い出す。泣き疲れて眠った彼女を良くベッドまで運んでいた。これまた、あまり碌な思い出ではないが、大事な記憶だった。
「カルカラ……」
「エシェル様、起きましたか?」
言っている間に、彼女は目を覚ました。カルカラは彼女を降ろして、無事を確認しようとしたものの、エシェルは背中からカルカラの身体を強く抱きしめた。
「エシェル様?」
問うが返事は無い。カルカラにしがみつく彼女の力は少し強い。その仕草にも覚えがあった。苦しみに耐えているのだ。そして、そうする理由もカルカラは察した。
「……私、危ないのかな」
「……話を聞いていました?」
「最後だけ」
肝心の部分は聞かずに済んだようだ。しかし一番不穏な部分は耳にしてしまったらしい。転移の間際に何故【天魔】があのような質問をしたのか疑問だったが、おそらくエシェルが目を覚ましたことに気づいていたのだろう。
本当に死ぬほどタチが悪い男だった。
「私のやるべき事は変わりません。ずっと貴方の隣りに居るつもりです」
「うん……」
エシェルは背中で頷くのを感じる。だが、やはり辛そうだ。カルカラは言葉を探した。中々に
「……ただこれは、あまり根拠の無い話ですが」
「うん?」
イマイチ要領を得ない切り出しに、エシェルが不思議そうにする。それを口にしてるカルカラも、正直これがちゃんとした慰めになっているのかイマイチ自信が無かった。
ただ、今彼女が一番欲しているものをカルカラは分かっていた。
「貴方が大きく道を踏み外したとしても、孤独になることはないと思います」
たった二人で、周りが敵だらけの中をただ食いしばって耐え続けるだけだった時を、彼女は思い出している。自分が周囲にとっての異物になって、排斥されるのが怖いだろう。
だけど、きっとそうはならない。
「……それはどうして?」
「貴方よりもずっと、道を大幅に踏み外して突き進みそうなヒトが周りに沢山居ますから」
「ええ……」
幸か不幸か、今彼女が居る場所は、彼女に負けず劣らずの異端者ばかりだ。もしも彼女が【邪霊の愛し子】そのものになるとしても、そうなる事態になったとき、道を踏み外すのが彼女だけとは全く思えない。
”あの男”は、エシェルがもしも足を踏み外して奈落へと落ちたなら、躊躇無く自分も奈落へと飛び降りる。そう言う男だ。
だからこそ、エシェルは彼に懐いたのだ。
「……酷い話だな」
「ええ、全く」
「でもそうか……そうかあ……」
「ええ、そうです」
本当に酷い話だった。だけどそれがなによりも彼女の救いになる。エシェルは最後にもう一度カルカラを抱きしめると、その背中から飛び退いて自分の足で立ち上がった。
「カルカラ。もう約束の日まで時間はないけど、少しでも精霊の力を操る練習したい」
「ええ、勿論。貴方の望む通りに。エシェル様」
二人は並び、帰路に就く。その姿は仲の良い姉妹の様だった
評価 ブックマーク いいねがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!
今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!