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螺旋図書館の天魔と鏡④


 【呪王蜘蛛】

 階級は第六級、数メートルに及ぶほどに長い13の足は自在に蠢き、その巨体でありながらも壁も天井も自在に這い回る。獲物を砕く顎は凶悪であり、貫かれた獲物を両断するほどに鋭い。更には消化液を口から吐き出し、鎧をも溶かす。

 だが何よりも凶悪なのは彼女が用いる蜘蛛の糸だ。縄張りとする部屋一面に張り巡らされた蜘蛛の糸は、呪いの術を帯びており、触れるだけでその者の魔力を奪い、弱らせ、ついには指一つ動かせない状態にして捕らえる。


 巣から引きずり出してしまいさえすれば、的が大きく動きも鈍重のため、それほどの脅威では無くなる。だが、もしも彼女が待ち構える縄張りに足を踏み入れてしまったならば、銀級であれども不覚を取る。

 自分たちが未熟で、そして少数であったならば、決して踏みこむことなかれ。


 女王の可愛い子供の朝食に、志願したいというのなら別だが



                      【名も無き冒険者達の警句集】より抜粋




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 エクスタインは、自らの経験と直感、その場の状況から即座に理解した。


『ZYAAAAAAAAAAAA!!!』


 これは死ぬと。


「逃げろ!!!」 


 エクスタインは前衛として即座に指示を出した。上司のグレーレの命令を完全に無視した指示であったが、死ぬと分かっていて死地に留まる程に彼は上司に盲目ではない。特にグレーレは、こう言った”試し”で必ずしも命を保証してくれるタイプではない。

 ”不幸な事故”が起きたケースを彼は知っている。自分の身は守らなくてはならない。

 だが、


「っが!?」

「つまらない真似はするな。エクスタイン」


 戻ろうとした矢先、”出口にはじき返された”。

 見れば結界が張られている。誰の仕業か、などと勿論考える必要は無い。


「グレーレ!!冗談が過ぎます!!!」

「冗談など嫌いだ。時間の無駄であるからな」


 グレーレの笑い声がする。だがどこに居るのかは分からない。俯瞰の魔眼であっても彼の居場所はつかめなかった。不可視の魔術か、あるいはもっと高度の魔術か、どのみち彼が本気で隠れれば見つけられる者など同じ【七天】でもそうはいない。

 つまり戦うしか無い。


『ZIIIIIIIIIIIIIAAAAAAAAAAAAA!!』

「【岩石の精霊(ガルディン)】!!」


 呪王蜘蛛が毒液を吹き出す。同時にカルカラが岩石の壁を生み出した。岩の壁は毒液を受け止め、エクスタイン達を守る盾となった。が、


「と、溶けてる…!?」

「どういう胃液ですか!!」


 ドロドロと形を崩していく石の壁にエシェルは絶句し、カルカラは悲鳴を上げながらその場から離脱する。


「足下に気をつけて!蜘蛛の巣を踏んだら魔力が食われます!!」


 エクスタインは指示を出しながら雷の魔術で地面を焼き払っていく。だが、これが何処まで効果があるか不明だ。そもそも此処に来るまでも相応に消耗している、こんな垂れ流すように魔術を放ち続ければ魔力が確実に枯渇してしまう。


「体力の余裕も無い!短期決戦で行きましょう!!」


 というよりも、それしか手段は無い。

 万全の状態で動ける時間は、残り僅かだ。短期決戦に挑まなければ、万に一つの勝ち目も無くなる。エクスタインは天井を見上げる。


『ZIIIIII……』


 女王は未だ天井にて蠢いていた。動く様子はない。当然だろう。獲物達は地面を這い回るばかりだ。この自分のいる天井までたどり着くための手段もないのなら、わざわざ降りてやる理由など無い。

 屋上から毒液と、呪いの糸をまき散らし、弱らせ、なにもできなくなってから仕留める。彼女の常勝の戦術を変える理由など無い。

 で、あれば不意は打てる。


「カルカラさん!合図でお願いします!!エシェルさんは盾を!!」


 エクスタインは剣を握りしめ、深く腰を下ろした。その意図を察したのかカルカラは握りこぶしを作って額に当て、残る自らの力を振り絞るようにして祈った。


「……こちらももう限界です。これで決めて下さい」

「だ、大丈夫だ!やれる!!」


 エクスタインは頷き、【呪王蜘蛛】を凝視する。向こうは向こうでコチラを観察しているのだろうか。十つの目をジッと向けて、まるで石像の様に動きを止めている。

 奇妙な静寂の間、そして次の瞬間に、臀部を下に向け、そして呪いの糸をエクスタインへと向けて放出した。


「今です!!」

「【岩石の精霊(ガルディン)】!」

「【鏡の精霊(ミラルフィーネ)】!!」


 瞬間、エクスタインの足場が動き、彼を上にのせた石柱が一気に浮上した。同時に、吐き出された蜘蛛の糸の前に鏡が出現し、糸を反射する。


『ZYI!?』


 呪王蜘蛛が自らの呪いの糸で魔力を奪われることは無い。だが、攻撃を防げるだけでも十分だった。エクスタインは剣を構え、そして前体と腹の間、肉の細くなった場所に狙いを定めた。


「我が守護精霊フィーネリアンよ。我が蛮勇を見守りたまえ……!!」


 藁にも縋る思いで精霊への祈りを捧げ、そして一気にせり上がる石柱の上で踏みこみ、全霊でもって彼は剣を振るった


「ッッシャアア!」

『ZYYYYYYYYAAAAAAAAAA!!??』


 【呪王蜘蛛】の肉を引き裂いた、青紫の血が噴き出す。全く予期せぬ反撃に【呪王蜘蛛】は身悶え、その幾つもの足をばたつかせ、そしてバランスを崩した。


「落ちる……!」


 勝った。彼は一瞬そう思った。あの巨体、大怪我を負った状態で無防備に高所から落下すれば、身体は間違いなく破壊される。と、そう思った。


『ZYAAAA!!!!』


 呪王蜘蛛が、何も無い空中で、その巨体をピタリと停止させるまでは。


「な……!!」


 何故、と考えるまでも無い事に気がつく。呪王蜘蛛が何に支えられるかなどわかりきっている。この部屋の、至る所に張り巡らされている、彼女自身の糸だ。

 呪いの蜘蛛の糸は、恐ろしい効力を秘めると同時に、驚くほどに強靭でもあった。その巨体が放り出されても、支えきってしまうほどに。更に、


「傷口すらも、塞ぐ…!?」


 エクスタインが切りつけた胴からの出血が収まっている。半透明の糸が傷口に重なって、流れ出るのを押さえ込み始めている。エクスタインの決死の一撃は、無慈悲に守られてしまった。

 しかも、空中に、彼女を支えきるほどの蜘蛛の糸が巡らされていた、ということはだ。


「僕も……か……!」


 一気に力が抜ける。自分の中の魔力が一気に枯渇していくのを感じた。見れば、体中に半透明の糸が纏わり付いている。一気に部屋の中を突っ切ったのだから当然だった。エクスタインは膝をついた。

 身体が動かない。カルカラの力も尽きたのか、足下の石柱が崩れていく。だが、エクスタインは落下しなかった。自分の身体は、既に蜘蛛の巣に捕らえられていたのだ。


『ZIIIIIII……』


 【呪王蜘蛛】は、傷に暫く悶えていた。そして身体を、自身を傷つけた忌々しい獲物へと向ける。が、獲物が、既に身じろぎも取れず、自分の巣に掛かっているのを確認すると、すぐさま狙いを、足下の残る二匹の獲物に変える。

 女王は油断しない。自分を傷つけた忌々しい敵を今すぐにでも食い殺したい欲求はあるが、何をしてくるかも分からない敵を残して、無力化された獲物に飛びつく油断は起こさない。


 驚くほどに賢しく、油断ならない。エクスタインはまだ動く舌で必死に叫んだ。


「……!グレーレさん!お願いです!!これ以上は本当に死んでしまう!!救助を!」


 返事はない。分かっていた。戦いの最初に告げたように冗談を嫌う。彼はそう言う男だ。


「二人とも、逃げてください…!!」


 最後にそれだけを必死に叫び、エクスタインは意識を失った



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 地上に居たカルカラ達もまた、窮地だった。


「カ、カルカラ!だ、大丈夫か!!」

「……エシェル様」


 心配そうなエシェルの声を、カルカラは殆ど聞けていない。魔力の枯渇が起きていた。身体が明らかに重い。蜘蛛の糸に気づかずに触れていたか、あるいは単純に精霊の力を使いすぎたのかも知れない。身体が全く動こうとはしなかった。

 だが、脅威は徐々に迫る。猶予はなかった。


「今から、逃げ道を、作ります。安全なところで、隠れていてください。ウル達が、見つけてくれるはず」


 そう言って震える手を押さえ、再び両手を組み、祈りを開始する。これ以上、魔力を祈りに捧げ精霊の加護を行使すればおそらくだが命も危うい。しかし、エシェルだけは守らなければ――


「やめろ!カルカラ!!もう無理だ!!」


 だがその祈りをエシェルが払う。それだけでカルカラはぐらりと身体のバランスを崩して転んだ。やはりもう限界だったのだ。


「私が、やる!!」


 エシェルはそんなカルカラの身体を支え、上空で牙をならし、狙いを定めている呪王蜘蛛を睨み付けた。両の手を合わせ、握りしめるようにして祈りを捧ぐ。


「え、エシェル様……!」


 エシェルの周囲に魔力が渦巻く。魔術の類いではない。彼女の祈りに彼女の宿した力が鳴動する。それだけで周囲がざわめいていた。まだ何も彼女は力を発露していないにも関わらず。


 やはり、おかしい。こんなこと、あり得ない!


 だが、それを止めるほどの体力はカルカラにはなかった。


『ZYAAAAAAAAA!!!』


 その異常に、呪王蜘蛛も気づいたのだろう。肥大化した腹を向け、呪いの糸を吐き出す。触れるだけで終わる呪いの糸が雨のように大量に降り注ぐ。最早逃げ場などなかった。

 だが、その時は既に、エシェルもまた準備を完了させていた。


「【ミラルフィーネ!!】」


 叫んだ。


 何かがひび割れる音が響き渡った。

 カルカラが意識を失う直前、彼女の目に映ったのは、あの平原でも目撃した黒のドレスを纏った鏡の精霊、それがエシェルに覆い被さる姿だった。


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