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真なるバベルと天賢王②


 それは一瞬の出来事だった。


「少しはマシになったと思ったのですがね、未熟者」

「……やあ本当に、相変わらず強いね」

《んにゃああ……》


 ウルの目の前でディズが地面にたたき伏せられ、剣となったアカネが転がっている。そしてディズを【天剣のユーリ】が足蹴にしている。


 何故こんな有様になっているのか、目の前でその様子を見ていたはずのウルもよく分からなかった。


 ユーリが引き抜き構え、ディズがアカネを引っ掴むようにして剣に形を変えさせて同じく構えた。間もなく二人が消え、幾重もの金属の重なる音が連続して鳴り響き、そしてこうなっていた。


「精々、自らの立場を弁えるとよいです。七天の末席として貴方が何をしようと興味ありませんが、王の手を煩わせることは断じて赦さない」

「次からは気をつけるよ。本当にありがとう、ユーリ」

「貴方の感謝は安いんですよ。ディズ」


 そう言って罵りながら彼女はディズの上から退いた。剣を戻すと、そのまま彼女は周囲をじろりと観察し、そしてウルの方へとやってきた。


「貴方が【歩ム者】のウルですか。」

「……お初にお目に掛かります。【天剣のユーリ】様」

「貴方が本当にウーガを解放したのですか?まだ子供ではないですか」


 自分よりも低身長で愛らしい彼女から言い放たれたその言葉に、色んな感想が渦巻いたが、しかしそれを迂闊に口にした瞬間剣が閃くことがわかっていたのでウルは全力で口を閉じた。背後でロックが何か言いたげだったので黙れと念を送った。


「貴方にも忠告しておきます。我らが王、太陽神の代行者、【天賢王】アルノルド・シンラ・プロミネンス様の責務は重い。この世に溢れた悪竜とその下僕どもを封じるため、世の秩序を維持するために彼が払う労力は我々凡俗には計り知れない」

「はい、承知しております」

「故にあの方の手を煩わせるものは誰であろうと決して許さない」

「はい、承知し――」

「なのでこのような意味不明な玩具を持ち込んで不必要にあの方の仕事を増やした貴方を許しません」


 詰んだじゃねえか。と、ウルはディズに視線をやったが、彼女は両手を軽く挙げた。お手上げと言うことらしい。勘弁して欲しい。

 剣は抜かれていないはずだ。まっすぐに睨んでいるだけだ。しかし、まるで剣が心臓に突きつけられているような異様な圧迫感があった。ウルは冷や汗が噴き出すのを感じた。


「本来ならば、磔刑もやむなしの重罪です……が」


 しかし不意に、その圧迫感は消え失せる。


「ウーガにて、邪教徒どもに捕らえられた無辜の者達。彼らを救う一助となった功績に免じ、許します。次は無いと思いなさい」


 そう言ってウルに背を向けた。ウルはへたり込みたくなるのを抑えるのに必死だった。


「本日、天賢王に謁見予定の者は付いてきなさい。【真なるバベル】へと移送します」


 そして嵐は過ぎ去った――――と、言いたいが、嵐はまだ全く終わっていないし、むしろ始まってもいない。まだ準備段階でしかない。これから彼女に嵐の中心部へと誘われるかと思うと、ウルは滅茶苦茶に気が重かった。


「……うん。相変わらず剣を抜くの早いけど、今日は大分機嫌が良いね」

「うそぉ!?」


 そしてディズの指摘に耳を疑った。

 機嫌が良い、というのは間違ってでも挨拶と同時に剣を引き抜いて、同僚をボコ殴りにするような状態ではない。絶対違う。


「ほら、耳ぴこぴこしてるでしょ。アレ機嫌が良いんだよ」

「ウッソだろ……」

「クラウランの協力で、ヨーグの被害者を助ける目処が付いたのが効いたね。グラドルの不正問題で助けを求めてる人々の事、気に懸けていたみたいだったから」

「それは、じゃあディズの功績じゃないか」

「私に対しては素直になれないんだよ。ツンデレだからね」


 ツンがあまりにも強すぎやしないか?

 と、言いたかったが、開幕地面に顔を付ける羽目になった彼女の機嫌が良かったので、ウルは何も言わないことにした。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 プラウディアに用意された護送用馬車は、王城への護送用のものであるからか、豪華絢爛な作りだった。太陽と、それに連なる四元の精霊達の紋様が刻まれたそれは、神の居城へと乗り手を運ぶに相応しい威風があった。

 中も広い。拡張魔術も勿論施されているのだろうが、単純に作りが良いのだろう。十人以上が乗り込んで尚、手狭に感じない心地の良さだった。

 ウル達は現在、その馬車に運ばれてプラウディアの領内を移動中だ。

 此処はまだ都市の外だが、【天陽結界】の内側ではある。当然魔物の気配は無く、馬車の窓からはのどかな光景が続いていた。

 しかしその光景を眺める余裕は無かった。


「事前、人数を絞るように伝えていましたが?」

「ゴメンってユーリ。これでも絞ったんだよ」


 天剣ユーリの小言に勇者ディズはなんども謝った。

 確かに馬車に乗り込んだ人数は些かに多かった。


「申し訳ありません。ディズ様のお世話係として、同行しないわけにはいきませんので」


 まず勇者ディズ、彼女のお付きのジェナがいる。


「貴方は構わないですよ。ジェナ。精々うだつの上がらない主の世話をなさい。ですが」


 そう言って彼女はその隣り、ウル達、【歩ム者】を睨む。

 正確に言うと、ウルとエシェル、そして二人に同行する形で来たシズクを睨んでいる。


「ギルド長と、カーラーレイ一族の生き残りについてはまあよいです。貴方は何ですか?」


 追求の言葉も、探るような視線も冷たく、鋭かった。【天剣】と【天賢王】から与えられた名の通り、彼女の一挙手一投足が刃のようだった。しかし、相対するシズクは笑みを崩さず、ユーリに頭を下げる。


「シズクと申します。【歩ム者】のギルド長補佐として働かさせていただいています」

「来訪者の人数が増えればそれだけ守護を担う天陽騎士らの人員と労力は増します。貴方はどうしても必要なのですか」

「ウーガの構成手順、現在の状態、レイライン様の【白王陣】の影響など、様々な説明補足を行う為です。どうかご理解くださいまし」


 本来であればリーネも来て貰った方が良かったのだが、人数を絞ることを考慮し、総合的にウーガを見回り、全てに等しく関与し【白王陣】への理解も一定以上有るシズクが選出された。

 ”と、言うことにしている”。

 彼女にはもう一つ、此処に立つ理由がある。それ故に、白王陣の有用性を天賢王の前で説くと意気込んでいたリーネを説き伏せて、代わりに此処に居る。


「……まあよいです。余計なことは口にしないよう、問われたことのみを答えなさい」


 ユーリは忠告を告げる。


()()()()()()()()()()

「は?」


 シズクの次の言葉に、一転して空気が凍り付いた。同時に、瞬く間に抜き去られた剣がシズクの首の前に突き出される。切っ先が僅かに喉に触れている。このまま僅かでも前に突き出せば、馬車の中が鮮血に染まるだろう。

 シズクは、その状態でも尚、笑みを絶やさず、殺意を向けてくるユーリに微笑みかけている。ユーリは、直接その殺意が向けられていないウルですらも圧し潰れてしまいそうなくらいの圧を放ちながら、シズクに詰問する。


「王の手間を増やす者は許さないと言ったはずですが」

「私にも使命がございます。その為、この機会を逃すわけにもいかないのです」

「”邪霊の巫女の嘆願”など、くだらない真似に時間を取らせろと」


 事前に、シズクの事情は聞いていたのだろう。ユーリの言葉は鋭く的確だ。

 シズクが此処に立つ理由は、まさにそれだ。彼女が最初からウルに提示した目的。邪霊として忌み嫌われた自身が信仰する精霊の名誉回復。天賢王と直接相まみえるこのタイミングは、その絶好の機会だ。見逃す理由は彼女には無かった。

 そんなシズクの使命をユーリはくだらないと切って捨てる。だが、シズクはそれでも尚、微動だにしなかった。


「はい。どうかよろしくお願い致します」

「殺します」

「全てが終わった後であれば、どうぞ」


 空気は完全に凍り付いていた。ウルは何とか彼女の助命を嘆願しようとも思ったが、情けないことに指一本動かせず、声も発すことが出来ない。

 【天剣】のユーリの殺意は本物だ。半端な脅しでも何でも無く、必要であれば馬車の中を血の海にするだろう。一体何がその一押しになるか分からない状況で、対面する両者以外はマトモに動ける者は”一人を除いて”居なかった。


《シズクいじめたげんなよー!》


 それを打ち破ったのは、この馬車の最後の乗客である、アカネだった。


「アカネ……!」


 心の中で悲鳴を上げながら、彼女を回収しようとするウルだったが、アカネはふらふらと【天剣】のユーリの前に飛ぶと、ぺしぺしと彼女の鼻を叩いた。ウルは死にそうな気分になった。隣りに座るエシェルなどウルの手をものすごい力で握っている。気持ちはとても分かる。


「……勇者からの報告にあった、精霊憑きの少女ですね」

 

 鼻をぺしぺしされ続けているユーリは、アカネをジッと見つめる。そして暫くした後、その剣をゆっくりと収めた。


「世界の理の一端たる彼女に感謝なさい。ですが、王に不敬を働こうものならばその首を落としますのでそのつもりで」

「ありがとうございます。アカネ様も、本当にありがとうございました」

《いいってことよー》


 絶対零度のようになっていた空気が元に戻った。ウルは隣りに居るエシェルと共に小さく深く息をついた。心臓が確実に縮んだ。


「皆様、プラウディアが見えて参りました」


 空気を切り替えるためだろうか。ジェナが不意に窓の景観を指して言う。

 自然と、全員の視線が外へと向けられる。整備された路面を走る馬車の窓から、プラウディアの光景が見える。高く、美しく真っ白な防壁。大罪都市としての形状は他の都市と変わらない。だが一点、他の都市に見られないものがこの都市の外からも眺める事ができた。


 それこそが、プラウディアの中心地、天賢王が在る高き城。

 【真なるバベル】。これからウル達が向かう場所である。



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