彼女が迷宮へと挑むこととなった経緯
其処は透き通るような静寂と深淵なる魔の力に満ちていた。
神聖なる場所、白を基準とした巨大なる神殿。穢れの一切ない魔力に満たされ、そこに立ち入る者を静かに威圧していた。
そんな神殿の中心に、二人の人間が存在していた。
一人は神殿の中央、光注ぐ場所で静かに祈りを捧げる少女。小柄だが、その緩やかに波打つ銀髪に隠れた彼女の顔は美しく、そして色香があった。体つきも成熟した女性のものに見えるが、その顔にわずかに幼さを残していた。
両手を組み、一心不乱に祈りをささげ続けるその姿は敬虔なる信仰者そのものだ
もう一方は、神殿の奥地で彼女の祈りを見守る50代半ばの男だ。身体は病的に細く、かけられた眼鏡の奥の瞳は険しかった。
彼は静かに祭壇の前から降り、少女の前に立った。
「―――時は来た」
男は、その目の奥と同じ厳めしい声で、少女に語りかける。静かに降り注ぐ彼の声を聴き、少女は静かに立ち上がる。
「万事は尽くした。私たちが持ちうる全てを、君に注いだ。後は君次第だ」
「はい」
少女はその言葉を正面から受け止める。決してその美しさを揺らがせず。
「事が始まれば、最早私たちは君に何もしてやれない。君は一人だ」
「はい」
「過酷な運命に立ち向かわねばならない。君には多くの敵が襲いかかる。味方は少ない」
「はい」
「――――――――許して欲しい」
その最後の言葉は、思わず漏れ出たようなかすれた声だった。途端、先ほどまで厳めしくしていた顔を、男は崩す。堪えきれぬ、というように、苦痛に満ちた表情で、顔を手で覆った。
「許して欲しい……許してくれ。済まない。御免なさい……!私たちは……!!」
悲鳴のような声が漏れ出す。頭を掻きむしるようにして絞り出される懺悔の言葉は、しかし途中で途切れる。対面していた少女が、男の身体を包むようにしてそっと抱きしめた。
「良いのですよ。どうか、お任せ下さい」
その声音はあまりに優しく、胸に飛び込んでくるような音色だった。苦悶に満ちていた男は、その言葉一つで、僅かに安らぎを取り戻していく。力が抜けたようにその場にへたり込んだ。
「私の命を賭けて、貴方たちを救いましょう」
男の額を少女は優しく撫で、そして微笑むと、振り返った。彼女の眼前、静謐なる神殿の中心には、大きく巨大な、輝く扉があった。
「参ります」
その言葉と共に、少女の姿は扉の奥へかき消えていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「どっかの誰かが突然やってきてカッコ良く妹と俺を助けちゃくれねーかな……」
ウルは起こるとは全く信じていない奇跡を口にして、その妄想じみた願望を口にした。その現実味の無さに苦い笑いが零れた。
一体どこの誰が助けてくれるというのだ。
家族は妹、アカネだけだ。他に身内などいない。
此処に入る前、”精霊達”には散々祈り続けたが、助けてくれるかと言えば、正直怪しい。何せ名無しだ。精霊達との繋がり薄いが故の名無し。都市に不要とされたが故の名無し。
要は、彼にとって何時ものように何時もの如く、自分で何とかするしかないのだ。
「腹減った……」
ろくな食事を与えられず、というのは、正直なところ言えば普段とあまり変わりが無いので、この空腹も何時ものことだが、労働時間、魔物の討伐と魔石の発掘を行った上でのこの単独での探索はキツイものがある。
そもそも普段の労働はもっぱら、魔物達を討伐隊に誘導する”囮”だ。単純に疲労の濃度が違う。
疲労の理由を考え続けると余計に疲れる気がして、ウルは首を振った。今は目の前に集中しよう。
現在ウルがいるのは問題の小規模迷宮の第二層、
オーソドックスな【地下迷宮型】であり、階段を下るようにして降りていく迷宮だ。変動もせず、迷宮の形も固定。最終層、地下一層の最奥へと続くルートも既に開拓済みで有り、ウルにはその道順の地図も渡されている為、迷うことはない。
問題は、降りるに従って魔物の数が明らかに増えてきた事である。
先ほどはギリギリ、現在の貧弱な装備のウルにも対処可能な小鬼であったが、それ以上の対処不能な魔物もちらほらと見えている。そのたびウルはルートを外れ、気配を隠し、必死にやり過ごしながら地を這うようにして前進していた。
このまま先に進んだとして、主とやらは倒せるのか?
厳しいだろう。というのがウルのおおよその予想である。現状武器は随分と痛んだ長槍が一本(しかも一度折れて自分の服のボロ布で補修)正直心許なさ過ぎる。
小規模迷宮で、魔物も最下級、”第十三位”の小鬼くらいしかせいぜい出てこない。だが、主となればまた話は違う、かもしれない。そもそも主というのをウルはこれまで見たことがないので分からない。
己の迷宮に対する知識の無さを悔やんだ。”名無し”はその職業選択の幅の無さから冒険者を志す者も多い、が、ウルは忌避していた為に(ろくでなしの親父が冒険者としてウルと妹を振り回したので)迷宮の詳細には詳しくなかった。
が、悔いても今更であり、知識が増えるわけでも無い。
せめて警戒して、腹をくくるしかない。
「……あった」
地下3層へと続く階段を発見し、ウルは足を踏み入れる。世界中に突如として発生した迷宮、ヒトの手を一切解さず生まれた超常的な建造物は、しかしこうしてヒトが利用する目的であるかのように通路が舗装され、階段まで用意されていることも多い。
まるでヒトを地下深くに招くことが目的のようだった。
ウルは生唾を飲み込み、階段を降り続ける。
階段が途切れる。三層に到達した。同時に、此処がこの小迷宮の終点だった。
三層は他の層のように通路が幾つも枝分かれするような迷路にはなっていなかった。少し通路を進んだ先に大きな広間が有る。最奥の広間は随分とボロく、柱がへし折れていたり、砕けたりしていた。広間全体を覆う魔力の光、魔光以外の光源はない。近くに燭台の跡があるのみだ。
人が利用していた形跡、しかもそれほど劣化していない。ひょっとしたらこの迷宮は”天然型”ではなく、既にある建造物を使った”浸食型”で、まだ浸食されてから時間が経って無いのかもしれない、とウルはぼんやりと思った
そしてその中心にウルが目的とするところの”核”が存在した。
「……アレか」
魔物からとれる青紫の輝き、しかし小鬼からとれたようなものとは明らかに違った、煌煌とした輝きを放った二回りも大きな結晶が広間の中心で浮遊している。
【真核魔石】と呼ばれるそれを、ウルは獲得しなければならない。
だが、宝の前には必ずそれを守る番人がいるものだ。
「
真っ黒な毛並み、突き出た鼻横から伸びる禍々しい牙、何よりも縦にも横にも広い巨体
迷宮知識の薄いウルでも、都市に生息する魔物で在るため、存在は知っていた。
魔物に存在する十三階級の内、この猪は十二級、小鬼の一つ上であり、たった一つでもその脅威は大きく跳ね上がる。戦い方は単純明快、凄まじい重量の巨体が突撃する。ただそれだけであり、しかしまともにそれをくらえば人体は”弾ける”
都市外にて時々見かけるものと比べ、更に一回り大きいように見えるのは恐怖故の錯覚か、あるいは主として特別な力を保っているからなのか、ウルには判断できなかった。
この存在を掻い潜り、あるいは撃破し、あの【真核魔石】を手に入れなければならない。
「……無理では?」
ウルは率直に感想を述べた。
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