古参と新参
ウル宅、屋上
「んんー夜風が気持ちいいなあ。スロウスじゃ、風なんてろくに吹かねえからよ」
「深い穴底の都市なんて、ガスが溜まって死んだりしないのか」
「勿論、浄化の遺物が設置してあるさ。ガスの中で生きられない奴ら用に、だがな」
外に出たブラックは気持ちよさそうに伸びをして、柵にもたれかかる。そこから見える光景は他の都市と比べればまだ見通しは良い。通常の都市は、特に住宅街は高層の建築が多いものだ。安全で、しかも住まう場所から景観を楽しむ余裕がある場所なんてウーガくらいだろう。
だからウルも、それなりにこの場所の景観を気に入っているのだが、残念ながら今現在は闖入者がいて、景色を楽しむ気にもなれなかった。
「なんの用か知らないが。互いに酒をしこたま飲んだんだ。日を改めた方が良いと思うが?」
「名無しのお前があれしきの酒で酔うわけないだろ?」
「名無し?」
「なんだ知らねえのか。名無しは大なり小なり酒に酔いにくい。精霊との関わりが薄いから、【酒の精霊バッカス】にも嫌われるんだよ」
そういえば、子供の頃からウルの周りには酒が強い者が多かった。冒険者連中にもそう言う者が多かった。酒を飲み慣れているから、というのは勿論あったのだろうが、そう言う理由もあるというのは初耳だった。
「ま、すぐに酔えないからコスパ悪い上、臓器が強くなるわけでも無いからバカ飲みしたら身体壊すし、なあんにも良いことねえがな!」
「別に酔っ払うのが好きって訳でもないし、構わないが」
自身の体質のどうでも良い謎の一つが解けたが、別に何が変わるというわけでも無かった。こんな話をしにきただけなら、やはりさっさと帰って欲しいのだが、ブラックの話はまだ続くようだ。
「最も、お前さんが酔いにくい理由は他にもある」
「他?」
「精霊に嫌われる身に覚えがあるだろ?」
ブラックの視線は、ウルの右腕、黒睡帯の巻かれた竜の呪いに向けられた。反射的に腕を隠す。基本的に、竜の呪いは忌み嫌われる遺物。まして今のウルの右腕は大罪都市の王、シンラをも殺した呪いを秘めていることが判明した。
あまりに目立つため、隠せるものではないが、しかしわざわざひけらかすものでも無い。まして目の前の男になどには。
「警戒すんなって。言っておくが今の俺は悪巧みをしに来たわけじゃねえ。珍しくな」
「じゃあ何の用だよ」
「アドバイスしにきたのさ。先輩としてのな」
「先輩?黄金級の先達としてってか?」
「そっちじゃねえよ。コッチだ」
ブラックは不意に左腕を持ち上げる。そして裾を捲った、その下は獣人特有の真っ黒な毛並み――ではなく、
「【竜化現象】の先達のアドバイスだ。聞く価値はあるぜ?」
黒く歪な、竜の鱗に覆われていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ウルは、屋上の扉を閉めて背中を預ける。どうも他人にあまり聞かれたい話ではなく、そして腰を据えて聞かなければならない話もであるらしい。
ブラックはウルの様子を見て笑い、腕を戻し、語り始めた。
「前提として、【竜化】は呪いじゃねえ」
「……ディズは、呪いと」
「前例が超少ねえからな。【勇者】もそう診断するだろうさ」
実際、ディズも前例が少なすぎて判断が出来ないとは言っていた。彼女でも判断に困る未知の症状であると。だからこそ、【黒睡帯】でまるごと覆う形で対処したのだ。
「だが、竜に関しちゃ俺の方に一日の長がある」
「その点では、ディズも異存はないだろうけども、じゃあなんでこんな腕になってんだ俺は」
「竜の【自己保全機能】だよ。お前が器に選ばれたんだ」
ウルは理解するのに暫く時間が掛かった。
「それは、どういう意味だ……?」
「お前、大罪竜を殺しただろ。ほんの一部であっても」
問われ、ウルは思い出す。ディズの手助けをするため、結果としてウルは大罪竜の討伐の一役を買った。竜を完全に殺しきることは叶わなかったが、その肉体を貫き、焼き、首を落とした。それは確かだ。
「竜は、自身の活動が停止する際、機能保全のために機能の一部を適当な器に譲渡する。これは竜の本能のようなもんだ」
ウルの問いを無視して、ブラックは説明を続ける。
淡々と、まるで報告書でも読み上げる学者のように。
「普通は魔物や同種の竜に対してコレを行う。ヒトに対してそれを行うケースはほぼない。竜からすればヒトは殺戮の対象だ。殺す相手に自分の一部を保管しようなんて思わないだろ?」
だから、竜を殺せるような実力者、黄金級や歴代の七天でも竜化するケースは例外を除いてほぼない。と、ブラックは笑う。
ウルは、今語られた情報を飲み込む。何を言っているのか全く分からない、というわけではない。が、頭がぐらぐらしてくる。理解しがたいスケールの話の当事者に自分がなっていることが信じられなかった。他人の話を聞いているような気がしてくる。
が、ウルの右腕が歪なのはまぎれもない現実だ。
「……すげえ俺の運が悪くてこんな風になったのはわかった。で、そうなると、どうなるって言うんだ」
「竜の器に選ばれたということは、その竜の代わりに、その役割を託されたということだ。悪感情を喰らう器。勿論肉体もその役割を担う為に変化しつづけていく」
ブラックはウルを指さし、楽しそうに言った。
「お前はいずれ竜に至る」
「こぉーっわ」
ウルからすれば全く楽しい話ではない。呪いではないという言葉に少し希望を持てた気がしたが、コレではまだ呪われていたといわれたときのほうがマシだった。
「ッハハハ、死にそうな顔するなよ。笑っちまうだろ」
「アンタの性格は本当に最悪だ」
「大丈夫だって安心しろよ」
ゲラゲラとヒトの絶望面を指さして笑うブラックはシンプルに最悪だった。自身がいずれ世界の敵になる、などという情報の何処に安心できる要素があるのだとキレたかった。だが、ブラックは笑い続け、そしてこう言った。
「お前の妹だって楽しくやってるだろ?」
「…………なんだって?」
その言葉の意味をウルは問い直すが、ブラックは笑うだけだった。答える気は無いらしい。
「何も悪い事ばかりじゃないんだぜ?頑丈になるし、体の治りも早くなる。そもそも魔物を殺して、魔力を喰らうこと自体、バケモノに成るための行程だ。それがより特殊になるだけさ」
「そんな風に割り切れるもんじゃないとおもうんだがな……」
「竜化を止めたきゃ、その【黒睡帯】をキッチリ絞めておくんだな。直接の魔力吸収はある程度抑えられる。最適解は肉体の魔力吸収も抑えることだが……無理だろ?」
「……今は冒険者を止められない」
「難儀なことだな。同情するぜ」
ブラックは再び大笑いする。本当に最悪な性格をしている。
「助言どうも。結局自身が今後逃げようが無いひどい目に遭うってのがわかっただけだったが、腹はくくれたよ」
「もっと感謝しても良いんだぞ?」
「……それで、俺をからかって満足したか?それなら今日はお開きだが」
「おいおい落ち着け、もう一つある」
「まだあるのか」
もう既に大分いっぱいになっているというのに、これ以上情報を詰め込まれれば胃の中に詰まった肴を全部戻しそうだ。酔いもすっかり消え去ってしまった。早く終わらせてしまいたい。
「シズクちゃん。あの銀色はお前の女か?」
「契約上、そうなるな」
「契約?」
「口約束だよ」
大罪迷宮グリードで、ウルの意思を完全に無視した独断を赦して貰うため、シズクが交わした契約。数ヶ月経って、とっくにそれ以上の貢献はしているとウルは確信しているが、彼女はそれを今でも頑なに守っている。
その関係を除けば、ウルとシズクの関係は冒険者ギルドの訓練所時代からの同期であり、それ以降ずっと組んできた相方だ。それ以上でも以下でも無い。
「じゃあ、頼みがあるんだがよ」
「なんだよ」
「あの女くれ」
「断るが」
即座の拒否に、ブラックは噛みついた。
「なんでだよ!」
「人身売買だが???」
拒否しないヤツは倫理観がおかしい。最近色々とあったが、他人の命をほいほい明け渡すほどウルはとち狂ってもいない。
「えーその方が良いと思うけどなあお互いに」
「人身売買の提案をお見合いみたいな言い方で進められても困るんだが」
「だってお前ほら、アレだぜ?」
ブラックは笑う。笑って、ウルの肩に手を置いて、そして囁いた。
「あの女、どう考えてもお前の手には負えないだろ?」
ウルはブラックを見る。彼は笑っている。巫山戯た笑いではない。コチラの心中を覗き見ているかのような、嘲笑だった。
「言っている意味が分からないが」
「分からないわけ無いだろう。お前だって理解してるはずだ。アレは異物だ」
アレ、と指すのは勿論、シズクだろう。ヒトではなく、何か得体の知れない存在であるように、ブラックは彼女を指摘した。
「容姿もそうだ。能力もそうだ。性格もそうだ。普通は、彼処まで常識から外れる事なんて絶対にあり得ない。あの女はおかしいんだよ――」
普通の、お前と違ってな。
ウルも反論しない。彼の言うことは正しい。確かに彼女は異常だ。自分とは違う。
並外れて優れている、というのではない。それならばおそらくディズの方が当てはまる。彼女は恐るべき実力者だが、その全てが地続きで、努力の果てに身につけたのだと近くで見ていればわかるのだ。
だが、シズクは違う。そういうものではない。もっと別の何かだった。
「……それで、おかしいならどうだって言うんだ?」
「狂うぞ」
「何が」
「お前の運命が狂う。あの女の運命に巻き込まれる」
運命。
そんな不確かな言葉をブラックが使うのは何か冗談にも聞こえたが、口の両端はつり上がっているというのに、ブラックの目は何一つとして笑ってはいなかった。
「邪霊信仰の巫女、竜に対する特攻術式……そういう表面的な話じゃねえ。もっと根源的な話だ。このままだとお前、あの女の運命に引き千切られるぞ」
「……」
「既に半ば、そうなってる。今お前が立ってる場所をみろルーキー。数ヶ月前ただの【名無し】だったお前は今、何をしている?」
ウルは今、邪教が生み出した前代未聞の移動都市の上に立っている。世界を揺るがすような驚くべき事変の中心地にウルは居る。あり得ないような話で、そして実際あり得ない事なのだ。
普通、どれだけ幸運でも、不幸でも、こんな事にはならない。
では何故こうなったか?様々な理由がある。多くの要因と、選択と決断をウルはしてきた。それらは全てウル自身が選んできたという確信はある。だが、その選択をするより前、その選択を強いられる岐路の前に立っていたのは――シズクだ。
「今はまだ立っていられている。だが、この先はどうだ?断言するが、あの女の運命はこんな所では終わらない。その先に、お前は無事でいられるか?」
ウルはここの所ずっと思っていた。
過分だと。
幸いである事を重みに感じていたというだけの話ではない。もっと漠然と、今のウルを取り巻く全てを支えきれないと感じていた。どこかでいずれ破綻する。そんな予感があったのだ。
それが今、ハッキリと言語化された。されてしまった。
「さっきも言ったぜ。これは互いのためだ。あの女だってお前がズタズタになって死ぬことを望むわけじゃ無いだろう?お前だって死にたくは無いはずだ」
「……」
「手放しとけよ。精霊憑きの妹との幸せを望むにしても、あの女は重すぎる」
憎たらしい程に、彼の言葉は優しかった。ウルを真摯に気遣ってくれているのだと、そう錯覚してしまうほどに。そして何より、その気遣いが邪悪な目論見であったとしても、彼の語る言葉は一定の真実をついているのもまた事実だった。
故に、ウルは安易には言葉を返さず、瞑目し、言葉を選んだ。
ブラックの手を振り払い、彼と向き合い、その言葉を口にする。
「断る」
「死ぬぞお前」
「侮るなよ。コッチはとっくに腹に決めている」
ウルは両足を踏みしめ、ブラックを睨んだ。コレは戦いであると理解した。
この場所で腰がひけて逃げ出した瞬間、全てを失いかねない岐路であると確信した。
「あの女の所為で自分が死んだって構わないと?」
「あの女の所為?巫山戯るなよ」
闇夜のなか、真っ黒な毛並みを靡かせるブラックの姿は、実像よりもずっと大きく見える。それはウル自身が抱えた畏れや不安の具現に思えた。故に、絶対に退くわけにはいかなかった。
「何故、俺の運命の責任をシズクにくれてやらなきゃならない」
彼女と契約を交わしたとき、これはウル自身が決めたことだった。
「俺が死ぬのは俺の選択と決断で、俺の責任だ」
妹を救うのも、シズクに手を差し出すのも、全ては己のエゴであると。
「全ては俺のものだ」
だからこそ、後悔はしない。今更この道を躊躇わない。彼女のことを畏れない。その果てに死んだとして、あるいは死ぬより苦しい定めがあったとして、そうなることを選んだのは自身である事から目を背けたりは断じてしない。
「お呼びじゃねえんだよ。すっこんでろロートル」
無意識の奥底にあった不安は晴れた。
対峙していたブラックは、得体の知れない雰囲気を不意に解いた。そして、堰を切ったように笑い出した。
「ハッハハハハッ!いやあ面白いなあウル坊」
「俺は面白くねえよブラック」
「俺は面白い。いやいや、さっき言ったこと、訂正するわ」
「さっき?」
なんのこっちゃと首を傾げるウルを、ブラックは愉快そうに指さした。
「お前普通じゃないわ」
「……滅茶苦茶失礼なことを言われている気がする」
「全く、俺としたことが野暮なこと言っちまったもんだ。こんな奴ら下手に介入するより、外から突っついていた方が絶対面白い!」
やはり、無礼極まることを言われている気がする。
ウルが睨んでいると、察したのかブラックはまた笑ってる。
「悪い悪い。じゃあサービスだ。何か聞きてえ事があるなら言ってみろよ。なんだって良い。答えられる内容なら答えてやる」
何なら3サイズでもいいぜ。とブラックは両手を広げた。
本当に3サイズ聞いてこの会話をお開きにしてやろうかとも思ったが、ここまで彼の会話劇に我慢して付き合ったのだ。此処まで来たなら、何かを得たいと欲張ってもバチはあたるまい。
しかしそうすると何を尋ねるか、ウルは少し考える。ヘタにスケールが大きいことを質問しても、曖昧な答えが返るだけで、なんの利益にもならない気がする。さりとて、折角この得体の知れぬ男に質問できるというのに、小規模な事を尋ねても意味が無い。
そうやって考えて考えて、ふと思いついた。
「現実的な問題として、この【竜吞ウーガ】をグラドルは、俺達は、保持できると思うか?アンタの私見を尋ねたい」
その問いを、ブラックは予想していたのだろうか。驚くこともせず、悩むことも無く、一言で彼は断じた。
「――――無理だな」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ウル宅 寝室
「…………疲れた」
ウルは、肩をがっくりと落とした。飲み会をしただけなのに、何故にこんなにも疲れ果てなければならないのだろうか。
「もう、今日はさっさと寝よ――」
「ウル様」
「うぉあ!!?」
魔灯も点いていない寝室の影から突如として飛んできた自分以外の声にウルは飛び上がった。が、よくよく聞けば、聞き覚えのある声だ。
「シ、ズクか?」
「はい」
「何なんだ。他人の家に不法侵入することが今の流行なのか…?」
嫌な流行だ。とウルは呻くが、シズクは反応が無かった。何なんだと思っていると、彼女はウルの手をそっと握る。ウルが彼女の挙動に首を傾げていると、シズクが一歩近付いた。
「ウル様」
「なんだ」
尋ねるが、返事が無かった。距離が近いだけである。表情から読み取れるかとも思ったが、まったくの無表情で、全く読み取れない……と、思ったが、その何もかも削げ落ちた様な表情には覚えがあった。
先ほどまで誰と話していたか、彼女の表情、そして手を掴んで離さない縋るようなその仕草、ウルはそれらを踏まえ、疲れ果てた頭を回して、言葉を作った。
「……別に、ブラックにお前を明け渡す気は無いぞ」
「そうですか」
「そうだよ」
「そうですか……」
シズクはゆっくりと顔を俯かせて、黙った。おそらく安心したものと思われる。
何時からこの家に侵入し、どこからブラックの存在を察知し、何時からウルのことを黙って待っていたのか。色々と突っ込みたいことはあるが、要は不安であったらしい。取り繕った聖女の面が外れて、素が出るほどに。
今の彼女はおそらく安堵している。が、しかしまだ手を離してくれる様子はない。
「シズク、俺は今日は疲れた」
「はい」
「眠りたいんだが」
「はい」
手を離してくれる様子はない。
「寝るか……」
「はい」
ベッドに潜り込むと、シズクはついてきたので、ウルはそのまま黙って寝た。背中から暖かい温もりがくっついてきたが、あまりにも疲労していた所為だろう。間もなく眠りに落ちた。
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