大浴場の地獄と極楽②
「やっぱそうなのか…!」
エシェルは泣いた。
「よく視線がお胸に彷徨うので」
シズクが無自覚に煽った。
《にーたんおっぱいまじんね》
「ねえ恋バナ?これ恋バナかな?」
ディズとアカネは楽しそうだ。少なくとも恋バナではないとリーネは突っ込みたかったが口を挟むことでこのなかに巻き込まれるのだけは避けたかった。
「え、なんすかこの空気。なんでウーガの女王様お通夜みたいな顔してんすか」
そこにやってきた【白の蟒蛇】のラビィンが天の助けのように思えた。
普段の彼女は喧しい上に割と脊髄反射でモノを言うのでリーネはそこまで好きでは無かったが、この場においては本当に助かる。どうぞ空気をかき回してくれ。
「ラビィンは、どうやって大きくなったんだ。胸」
「揉まれりゃでかくなるっすよ!」
「そうなの?」
「バカみたいな迷信に縋るのは止めなさい」
ダメだった、やっぱバカだった。バカは嫌いだ。
「そういう現実的で無い事でキャンキャン言っても仕方ないでしょ。落ち着きなさい」
リーネは諦めて、自分で彼女を何とか落ち着かせる方針に切り替えた、
「彼にどう見られたいか興味ないけど、もっとやれる事なんて他に色々とあるでしょう。世の中にどうして化粧品や装飾品、ファッションが商売として成立すると思うわけ?」
相手に良く思われたいと、そう願う者は世に大勢居ると言うことだ。そしてその為の技術もあれば商品もある。鍛錬だってあるのだ。胡乱な話に飛びつくよりも前にやるべき事は山ほど存在している。
「手近な所でも化粧でもなんでも、まずは練習してみなさいよ」
「化粧は……私あんまり上手じゃない」
「なら練習すれば良いでしょ。分からないなら知ってるヒトに教えて貰いなさい」
「知ってるヒト……」
彼女はそう言うと、そっと自分の後ろを見る。
「……」
離れて湯船に浸かっている、カルカラがそこに居た。彼女は、最初からずっと居る。エシェルと共に大浴場に来たのだから当然だ。しかしここまで会話には参加せず、ずっと後ろの方で黙っているばかりだ。
「カルカラは、上手に化粧してくれる。それ以外にも色々、良くしてくれる」
「なら、彼女に教わりなさいよ」
「…………」
しかしエシェルは黙ってしまった。
理由はリーネもわかっている。カルカラの事情はリーネも知っている。エシェルを裏切り、邪教に通じた。それ自体エシェルの為であったとしても、背信は背信だった。
その事をエシェルは怒っている訳ではないだろう。で、なければカルカラが今も彼女の側で彼女を助けようとするのを拒むはずだ。
「カルカラ、私から話しかけたら返事してくれるのだけど、全然自分から話してくれなくて……」
この事に怒り、そして許せずにいるのはカルカラ自身だ。だから、エシェルの為に尽くす事はしても、彼女と今更保護者面して仲良くしようなんて、とてもでは無いけど思えないのだろう。
勿論、化粧の事も頼めば真摯に教えてくれるのはそうだろうが、そう言う問題ではない、というのは流石にリーネも理解できた。
「気まずいなら、仲直りしなさいよ」
「……その」
「その?」
「仲直りって、どうすればいいの?」
「どうすればって、そんなの……」
リーネは説明しようとして、止まった。
彼女が求めているのは、至極単純に言ってしまえば友人との仲直りの方法だ。リーネは困った。自分の人生に友人がいた経験がほぼなかった。ケンカした友人との仲直りの仕方の引き出しなど彼女のなかには一つも無かった。
「……シズク、分かる?」
「申し訳ありません。あまりよくわかりません。ディズ様は?」
「私も友達出来たこと殆ど無いなあ。だから今皆とお風呂に入れて楽しい」
《ボッチばっかね?》
地獄か此処は。リーネは改めて思った。
「え?は?何すか?仲直りしたいんすか?」
沈黙を破ったのは、ラビィンだった。
絶妙な気まずい沈黙に陥ったその場の空気を一切読まず、彼女はずんずんと湯船の中を前進していく。そして隅っこの方でずっと浸かっていたカルカラに何やら話をすると、そのまま彼女の腕をひっつかんでずんずんと戻ってきた。
「……!………!!」
カルカラは何やら抵抗している様子だが、流石冒険者と言うべきか。精霊の力無しで、素の力比べと成れば冒険者として直接戦闘を行うラビィンに敵う道理は無く、
「はい、どーぞ」
そう言って、エシェルの前にカルカラを放り投げた。水しぶきが飛び散り、エシェルとカルカラは正面から向き合う。
「……」
エシェルは沈黙した。
「……」
カルカラも沈黙した。
やっぱ地獄だ。とリーネは思った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一方 男湯
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
ウル、ロック、ジャイン、エクスタイン、ブラック
五名は焼き石の蒸気風呂にたむろしていた。むせ返るような熱気のなか、全員が腕を組み、汗を流していた。耐えられるギリギリの熱に、体中から汗と共に疲れが抜けていく感覚に、蒸し風呂の利用者達はただ耐え続けた。
そしてその心地よい苦行が終わると、汗を流し、水風呂に身体を沈める。
蒸し風呂で上昇した体温が水風呂で一気に冷やされ、身体の筋肉が一気に緊張する。だが、力を抜いて、ゆっくりと浸かっていると徐々に温度に慣れ始める。
そうして暫く水浴をした後身体が冷え切ってしまう前に水風呂から出た5人は、大浴場の外気浴フロアに向かい、用意されているベンチに身体を預ける。
そよそよとした風が肌を撫でる。身体の芯に残った蒸し風呂の熱が、水風呂で緊張した身体をじんわりとほぐししていく。その心地よさを全員が味わっていた。
外の青空を眺めながら、ウルはぽつりと呟いた。
「……極楽だ」
その言葉に、その場に居た全員、沈黙のまま肯定した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…………いや、マジで何してんすか?」
沈黙を再び破ったのはやはりラビィンである。この沈黙状況を作り出した彼女は、他人事のようにその膠着状態に困惑していた。
「アンタの所為でしょが……」
「いや、さっさと謝りゃいいじゃないっすか」
「何をどう謝れって言ってんのアンタ」
「えー?ハブって御免なさい?」
やはりバカだこの女とリーネは強く確信した。
「……」
「……あの」
「……」
エシェルは、なんとか口を開く。と、カルカラは沈黙したままだ。
エシェルは酷く気まずそうで、カルカラは石のように表情は硬い。感情は表に出していないようだが、明らかに気まずそうだ。
「私、あの、私」
「…………」
「……」
「……」
黙った。会話は途切れた。終わった、と、リーネは思った。
「だぁー!!面倒くさいっすね!!なんなんすか!?」
「だからアンタの所為でしょが……!!」
「いや、仲良くなりたいなら腹割って話すしかないっすよ?」
ラビィンが言う事は、バカだが真理でもあった。その点は確かに反論の余地は無い。
関係を改善したいのなら、状況を動かしたいのなら、気まずかろうがたどたどしかろうが動くしか無い。何もしないまま起こるのは不変か劣化であって改善ではない。
「私にそんな価値はありません」
と、そこでようやくカルカラが口を開く。
「カルカラ」
「私は卑しい女です。そして罪深くもある。エイスーラが消えたとしても、この事実は変わるわけではない。貴方と親しくするには不適格だ」
カルカラの声は小さいが、頑なだった。
「違う、カルカラ!それは私が!」
「幸いにして、今の貴方の周りには多くのヒトがいる。私に拘る必要なんて皆無だ。私以外の方達と関係を築いてください。その方がきっと、貴方のためです」
そう言って、カルカラは再びエシェルから距離を取る。
エシェルは泣きそうな顔になるが、カルカラの意思は全く揺らぐ様子はない。徹底的な拒絶だった。エシェルのことを大事に思い、自身を嫌うが故の拒絶なのだろう。
傍から見るとその関係はもどかしく、なんといったらいいか――
「面倒くせえこと考えてるっすねえー」
「……やめなさいって」
一瞬同意しそうになった自分をリーネはなんとか抑えた。
「っつーか資格ってなんすか?そんなもん要らんでしょ」
すると、流石に耐えきれなくなったのか、カルカラはラビィンを睨んだ。
「貴方は関係ないです」
「じゃあなんすか、私とウーガの女王様は友達になってもいいってことっすかね」
「ええ、私よりはマシでしょう」
「私、昔殺し屋やってたけど」
その場の空気がまた凍った。ラビィン自身はまるで気にする様子もない。
「流石に子供の時分だったから、そんなしょっちゅう駆り出されなかったけど、20人以上は殺した。勿論盗賊とか、犯罪者とかじゃない連中」
幽徊都市。
追放され【名無し】となった者達による闇ギルド。ジャインや彼女がその出身であることは、彼ら【白の蟒蛇】と協力関係になった際に明かされている。しかし、実際その当人から事実を明かされるのは、生々しさが違った。
「勿論大義とか、誰かのためとかじゃない。お金のため。それもクソみたいな大人達のお金のため」
ラビィンは笑った。いままでのお気楽な笑みとは違った、笑っているような怒っているような、諦めているような笑いで、それを向けられたカルカラはそれを恐れるように退いた。
「ねえ、私友達になっていいの?」
「……それは」
そう言われて、カルカラは俯いた。そして同時に、ラビィンはニッコリと、先ほどまでの脳天気に見える笑みを浮かべた。同時に勝ち誇ったように声を上げる。
「はいアウトー。そこはダメって即答しなきゃダメっすよー」
そう言って、カルカラの背中を引っぱたいて、再びエシェルの前に引きずりだす。
「自分自身のこと嫌いなのはわかったっすけど、もっともらしい言い訳付けてんじゃないっすよ鬱陶しい。意地張って相手が傷ついたら本末転倒にもほどがあるでしょ」
「…………!」
カルカラは何か言おうとしたが、何も言い返す事は出来なかった。
そしてエシェルは、カルカラの手を取り握りしめる。次は手放すまい、逃がすまいと言うように、力強く。
「カ、カルカラ」
「……はい」
「私、その、あの、色々化粧とか、綺麗になってみたくて……」
「……私以外でも」
「カルカラに教わりたいんだ、私……」
言うべきを、エシェルは言った。たどたどしいが、それは間違いなく彼女の願いだった。
カルカラは暫く沈黙する。黙ったままだが表情には様々な感情が渦巻いていた。だが、間もなくして、不意にエシェルの髪に触れた。
「……髪が少し、痛んでますね。獣人は毛立ちが強くて癖がある。只人と同じ香油の類いを使っても、上手く馴染まない」
「そうなの、か」
「幸い、元はカーラーレイ一族のための大浴場。それ用の香油類は常備してあるはず。使ってみましょう。使い方も教えます」
「うん……うん……!」
カルカラの提案に、エシェルは何度も頷いた。
瞳が潤んでいるのは、浴場の蒸気の所為ではないだろう。
「いえーい一件落着っすねえ!」
「……ラビィン」
「ん?なんすか?」
「貴方のこと誤解していたわ。空気が読めないバカじゃなくて空気が読めるバカなのね」
「バカが消えてない!?」
誤解していたし、感心したし、感謝もしたが、それを言うのも癪なのでリーネは黙った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大浴場入り口
「……はあ、良い湯だった。サッパリだ」
ウルはポカポカとした身体で伸びをする。まだ残る熱で少し汗をかいたが、それを風が撫でるのが気持ちよかった。エクスタインも同じように目を細める。
「今日は涼しいしね。夏ももうすぐ終わりかな、【秋の精霊アウタム】の季節だ」
「これ以上寒くなると湯冷めしそうだけど」
「冬は極端に短いから、大丈夫だとは思うけどね」
「……ところで」
と、ウルが視線を彷徨わせる先、大浴場のすぐ外に、人集りが出来る出店が一つあった。商魂たくましい名無しの一人が、大浴場が開かれる日に必ず開く店であり、販売されている商品というのは、
「……美味い」
『ッカー!!最高じゃの!!』
「っしゃあ!もう一杯だ!!」
よく冷えたエールである。ジャイン、ロック、ブラックは既に一杯やっている。
「エールって苦いから嫌いなんだが、風呂上がりにああいうの見ると美味そうだよな」
「……行きたいの?ウル」
「仕事在るんだがなあ、まだ。鍛錬もある」
「……まあ、君殆ど酔わないし」
「よしそうしよう」
「まだ全部言っていないんだけど?!」
ふらふらと出店にウルは吸い込まれるように歩いて行って、エクスタインはそれを呆れながら付いていった。
「ウル!」
「ん?」
が、その途中で呼び止められた。ウルは振り返ると、見慣れた女性陣が立っている。大浴場に入ったのはウル達と同タイミングだ。別にそれ自体はおかしくもなかった。
が、珍しく、と言うべきか、アカネがコッチに飛びついてこない。ディズの上で大人しく黙っている。そして代わりにエシェルがウルの前に立っていた。
「そっちも上がったか。サッパリとしたみたいでよろしいことで……」
「……」
彼女は無言で何も言わない。だが、何やら訴えるようにウルを見上げている。ウルは首を傾げ、ふと、彼女から心地の良い、瑞々しい香りがする事に気がついた。そして改めて彼女の姿を見て、言葉を考え指摘する。
「何か付けたのか。良い香りがするな。髪も艶々してて、良いと思うぞ」
「……本当か?」
「おべっかを使う理由が無い」
エシェルは顔を赤くして、嬉しそうに笑った。そしてそのまま後ろのカルカラに少し興奮したように抱きついた。カルカラは戸惑いながらも、大浴場に入ったときと比べて、少し解れたような顔で彼女を受け止めていた。
良い流れがあったらしい。と、ウルが察していると、彼の隣りにリーネが近付き、口を開いた。
「ウル」
「なんだ」
「100点を上げるわ」
「なんて?」
「後ムカつくからキックもあげる」
「なんで!?」
「うるさいわねおっぱい魔人」
小人の身長から繰り出されるローキックがウルの向こう脛を強かに打った。
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