天魔裁判⑤ 甘言
ブラックの発言は、場の空気を一瞬にして凍らせた。
先ほどまでの議論も、それなりに強烈な飛び道具が飛び交うものだったが、いきなりその議論からかけ離れた提案は、全員の思考を停止させた。
「ちょっと待ちなさい!何を言い出すんです!!」
最初に再起動したのはグローリアだ、机を両手で叩き、ブラックを威圧するようにして睨み付ける。が、彼には全く効いていないらしい。激昂するグローリアを不思議そうな顔で見つめている。
「おいおいどうしたよグロー。そんな感情爆発させたらまた泣いちまうぜ?」
「その悪癖はもう克服しました!じゃなくて、今の提案は何なのと聞いているんです!」
「ウーガの売買提案だが?」
ブラックは立ち上がる。2メートル超の男が立ち上がるだけで、中々に威圧感と迫力があった。
「簡単な話さ。どうもウーガはとんでもねえ価値のあるものだが、問題も抱えてる。いろんな条件が必要で、しがらみもある。しかも下手すりゃ【天魔】の奴にタダで取られちまおうとしてる。こいつは厄介だ」
じゃあ、売っちまえばいい。
ブラックは笑う。犬歯が覗く、人懐っこい笑みに見える。同時に、全てを食い殺すような凄惨な笑みにも見えた。
「面倒な案件を手放して対価を得る。単純だろ?」
「そんなことできるわけが無い!」
「何故?」
「歪でも此処は衛星都市です!!天賢王を盟主とする大連盟!!主星の分身!神と精霊達に祈りを捧ぐための儀式の場!売買など、そのような事許されるわけが無い!」
それを奪おうとしているお前らが言うな、という話ではあったが、グローリアの言葉は確かに正しかった。ウーガという存在がそう容易く売買できるものではないだろうというのは、この場に居る全員の共通認識だ。
「いいや、許されるね」
しかし、ブラックは否定する。歩き出し、グローリアの前に立つ。森人の中でも身長の低いグローリアは、真上から見下され、畏れるようにのけ反った。
「気づいていないなら教えてやるがな、グロー。この【竜吞ウーガ】は【神殿】を必要としていない。つまり祈りを集められる構造になっていない」
「――――は?」
「単純に言っちまうと、此処はそもそも衛星都市たり得ないのさ」
場がざわめいた。とくに天陽騎士達はぎょっとした表情になって周囲を見渡し、あるいはブラックを睨み付ける。だがブラックは気にしない。
「神殿に、神に、精霊に祈りを捧げる最も強靭な原動力は、彼らの庇護無くば生きてはいけないという強迫観念だ。都市の外では生きていけないと、そう思ってるから皆は真剣に祈って、神と精霊はそれに応える」
無論、信仰、神と精霊の教えからの純粋なる信仰心も存在するが、教えを真っ直ぐに受け止め、自分とは全く違う高位の存在に感謝を捧ぐだけの意識の高さを保てる者は、そんなには多くはない。
死にたくないから、必要であるから、というのはやはり、どうしようも無く大きい。
「だが、なら此処はどうだ?ウル坊。お前さんはこのウーガが完成してからの2ヶ月、神官もろくにいないウーガで、不自由したことがあったか?」
「……」
ウルは返事をしなかった。だが、当たっていた。
此処に2ヶ月間居住していたウルは当然理解していた。ウーガで生活するにあたり、神殿、精霊の力は全く必要としていないということに。故にブラックの指摘には驚かなかった。
巨大な使い魔としての特性上、魔物は寄りつかないので結界も要らない。
都市全体の運行のための魔力は、大地と一体化する事で時間をかければ回収が出来る。
生産性は低いが必要であれば移動も可能、交易も非常に容易い。
神と、精霊の力に依存していない。在ればより豊かにもなろうが、必須ではない。
ジャインから【穿孔王国スロウス】の話を聞いたときは驚いたものだ。神と精霊に依存しない独立した国、なんてものが此処以外にもあるだなんて、と。
「通常、衛星都市は人口をコントロールし、祈りを増やし、精霊に捧ぐ力の総量を増やすためにある。が、しかし、此処では逆の現象が起こる。時間経過と共にヒトは精霊への感謝と祈りを忘れ、力は弱まっていく」
故に、此処は衛星都市ではない。それに上っ面だけ似せた別の何かだ。
「この司令塔を神殿の様式にしてソレっぽく見せちゃいるが、ハリボテだぜこれ。誰を誤魔化すつもりだったのかは知らないが、設計者は相当性格が悪いな」
ウルの隣でエシェルは表情を隠し、しかし机の下で両手を強く握った。
この都市を生み出したのは邪教徒のヨーグであり、それを依頼したのは恐らくエイスーラだ。結果生まれたこの場所は、しかし、神官に依存しない都市だった。
エイスーラがもし生きていたら、決して認めはしなかっただろう。エイスーラは大地の精霊に対して強い自信と誇りを持っていた。その力が、ウーガでは削がれる事になるなどと絶対に認めない。だからヨーグは“誤魔化した”のだ。
もし彼がそれに気づかずウーガを運用し始めたとして、その先どうなっていただろうか。
驚異的なウーガの力が、それを振るうエイスーラ自身に依存していない。
その事に、住まう者達が気づいて、大地の精霊に祈るのを止めたなら――
ウルは、考えるのをやめた。その先の想像が恐ろしくなったからだ。
【台無しのヨーグ】と呼ばれた女の一端を、この期に及んでまだ思い知る羽目になった。
「だから、な。此処は本質的に衛星都市じゃねえんだわ。お前らも散々言っていただろ?ウーガは“使い魔”だってな。まさしくだよ。此処は巨大な使い魔以上でも以下でもねえ」
「そんな、だ、だとしても!」
「なんなら天賢王、アルノルドの奴に確認とるかい?あの真面目ちゃん“要らず”って言うと思うがね。なあ、【勇者】」
振られると、ディズは大きく溜息をついたあと、頷いた。
「……そうだね。あの方はそういうヒトだ」
「だったら、障害は無いはずだ。ただ、ちょっと大きな使い魔を売るだけの話さ。だろ?」
ラクレツィアに視線が向かう。先ほどから目をつむり、沈黙を続けていたラクレツィアは、目を開くとブラックを見つめ、尋ねた。
「ちなみに、幾らほどの金を出すつもりなのですか?」
「ラクレツィアさん!!?」
「そ・う・だ・なあ……」
グローリアの悲鳴のような声を無視して、ブラックは指をなにやら折って計算をし出す。絶対に手指で数えられる数式の域を超えている筈だが、暫くするとブラックは頷いた。
「金貨300万枚くらいかな?まあ、物理的には無いから相当の品を幾つか手形代わりにする事になるだろうが」
再び全員が黙った。挙げられた数字が途方もなさ過ぎて理解を拒んだのだ。
《…………ディズ、金貨300万枚って金貨何枚って意味だっけ》
《アカネが3000人買えるね》
《わたしおやすいな?》
黄金級になるくらいまで出世すれば、アカネを買いもどせるくらいには金が稼げるようになる、というのがウルの冒険者になった始まりではあったが、そんな次元ではない。いや、流石にブラックが黄金級であるからこれだけ稼げてるとも思えない。絶対にこの男がおかしいだけだ。
「これくらいありゃ、グラドルがウーガ動乱の一件で被った損害を補って、更に上回るだけの補填が出来るはずだ。いい話だと思うぜ?」
問われ、ラクレツィアは暫く沈黙する。そして顔を上げると、小さく微笑んだ。
「そうね、悪くない話だわ」
「なっ!!?」
「若干、足下を見られている気がしないでも無いですけれどね。グラドルの現状を考えると、それくらいが妥当かしら」
ラクレツィアの言葉に、最も動揺していたのはグローリアだ。それはそうだろう。彼女はグラドルからウーガを接収するために此処まで来たのだ。ところが此処に来て、持ち主が代わろうとしている。より厄介な相手に。
「……良いのですか?もし、貴方がウーガを買い上げたとして、その後我々がウーガを回収すれば、貴方は破格の大金を支払ってそれを失うことになります」
抵抗するように、エクスタインがそう告げる。しかしブラックはまるで気にする様子はなかった。
「なに心配すんなよ。俺には頼りになる仲間が沢山いる。今日お前さん達が挙げていたウーガの管理能力、ちゃあんとあるぜ。勿論心配なら、ウチに来て今日みたいに裁判してくれても構わないさ」
当然、その言葉に良かった。と、笑う者はいなかった。全員ブラックを恐ろしいバケモノを見るような面構えで睨んでいる。ブラックはそんな視線を一身に受けても何処吹く風だ。彼はラクレツィアへと視線を向ける。彼女は笑みを浮かべ、頷いた。
「でも、お断りさせていただくわ」
「あれぇ!?」
突然のはしご外しにブラックはすっ転びそうになった。
突き放してきたラクレツィアにびっくりしてるブラックを少しだけ面白そうに眺め、笑いながらも、だって、とラクレツィアは前置いて、語り始めた。
「そもそも、曲がりなりにも都市運営の過程で建造した代物を、お金を出されたからと言ってぽんと売り払えるわけ無いでしょ?」
「グラドルの混乱に乗じて神殿の権力完全掌握とかしなかったのかよラクリー」
そんなわけ無いでしょ。とラクレツィアは一蹴する。
カーラーレイ一族の大半は全滅した。とはいえ生き残りはまだいるのだ。加えてラクレツィアの派閥も、あくまでカーラーレイ一族と敵対していた集団の集まりではあるが、彼等が綺麗に結束しているかと言われれば否である。まだまだグラドルに混乱の種は多い。
そんな中「面倒くさいからウーガ売っ払いました」などとラクレツィアが決めようものなら、折角なんとか表面上であれ落ち着きを取り戻した努力が全部パーだ。
「それに、貴方にこのウーガを明け渡したら、きっと碌な事に使わないもの。この世界でトップクラスの危険人物相手に、金に目が眩むほど、私、倫理観を失ってはいないのよ」
「ええー?俺そんな悪い奴に見えるか?」
「見えますね。全体的に色、黒いですし」
「マジかよ。今度もうちょっと明るい色の服着ようかねえ」
ブラックはがっくりと肩を下ろす。つい先ほどまで、彼の独擅場のような空気にこの場の全てが飲み込まれようとしていたが、その空気はアッサリと霧散した。ウルは冷や汗を拭った。
あのまま、ラクレツィアがグラドルをブラックに売り払ってしまうと、ウル達もそのまま追い出される可能性が高かった。無論、ラクレツィアならウル達に相応の報酬は用意するだろうが、流石にここまで頑張ってきて、それを全部不意にされるのは気分もよろしくはなかった。
「ちーくしょー。折角ウーガ使って世界一周の旅やってやろうと思ったんだがなあ」
だが、それ以上に、このブラックという男にウーガが明け渡されるのは非常に良くない予感がしたのだ。ラクレツィアの発言を拾うわけではないが、この男から放たれる得体の知れない気配は、確かに不吉だ。なにをしでかそうとするか、わかったものではない。
ウルがそう思っていると、わざとらしいまでに項垂れたブラックは顔を上げる。そしてウルを見た。
「ま、しゃーねー。だったらお前らがやっぱ頑張るしかねえな。ウル坊」
「ウル坊ってなんだ」
「語感がいいだろ?ウル坊。頑張れやウル坊」
そう言って彼は椅子に戻った。机に足をかけ、椅子をゆらし、先ほどまでの会話が無かったかのようにのんびりと、窓の外を眺め始めた。
この場にいる全員、疲労に肩を少し落とした。非常に疲れた。そして、結局、話は元に戻ってしまった――――
「…………ん?」
ウルは気づいた。先ほどまでとは話が少しだけ、そして決定的に変わっていると。
「……此処が衛星都市として不適格なら、ただの使い魔の運用なら、どの国に所属した魔術師が混じろうと問題にならないのでは?」
天秤が揺らいだ。
【審判の精霊】の天秤は平等に、議論の言葉の重さを計る。それをエンヴィー騎士団に利用されようとも、その能力そのものは決して褪せない。絶対に平等だ。
故に、ウルが誰に向けたわけでも無い独り言のような言葉でも、それが【審判】が正しいとしたならば、天秤は動く。
「………」
ウルは目の前で落ちかけた天秤を前に、ぎょっと片眉をつり上げて、そしてブラックを見た。彼はウルを見て笑っている。楽しそうだ。感謝すべきなのかも知れないがウルは殴りたくなった。
同時に、議論者達が動いた。膠着が唐突に解かれたのだ。
「確かに、貴方の言うとおりかもしれませんね。ウルさん」
ラクレツィアはウルの言葉に同意する。状況の目まぐるしい変化の中、常に余裕を崩さなかった彼女だが、今の彼女は少しだけ、苦い顔をしていた。
だが、同じくグローリア達の表情は冴えない。隣のエクスタインも、少し表情が硬くなっていた。だが、彼もまた、口を開き反論に転じた。
「此処が衛星都市ではないから【歩ム者】が管理しても問題ないと?」
「【審判】はそう判断したようですよ?」
「天秤は降りきってはいませんよ」
実際、ウルの目の前、テーブルに皿を叩きつけるギリギリで天秤は停止している。まだ足りていない。不適格であると天秤は告げている。
「たとえ、此処が都市たり得ないのが事実であっても、支配階層である神官は必須です。その彼等がラストの神官の存在に頷くわけが無い」
「いえ、そもそも、都市と同じように管理しようという考えが、間違いなのでは?」
エクスタインの言葉に口を挟んだのは、ラクレツィアではない。エシェルでもなく、勿論ウルでもない。
「ウーガの、ウーガによる、ウーガのための統治の形が必要。違いますか?」
シズクだ。
彼女はフードを取り払い、その美貌を晒した。混迷する会議の中であっても褪せぬ美しさは、どれほどに注意を払おうとも視線を奪い、強制的に会議の中心へと変えさせた。
「最後の話し合いをいたしましょう」
シズクは軽やかに笑う。その宣告の通り、この会議の最後の話し合いが始まった。
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