対策会議②
【穿孔王国スロウス】 かつての名を【大罪都市スロウス】。
イスラリア大陸北部、かつては、他の大罪都市と同じく、大罪迷宮を封じるための都市として存在していたこの場所が、名前を変えることとなったきっかけは二つの大きな“事変”による。
一つ目は100年前に起きた【大罪竜スロウス】の活性化。
二つ目は50年前に起きた【大罪竜スロウス】の再封印だ。
どちらも【大罪竜スロウス】に深く関わる案件である。
まず100年前、【大罪竜スロウス】が活性化した。それまで迷宮の内部にのみ留まっていた腐食、不死化の呪いが、魔物を介さず迷宮の外にあふれ出したのだ。結果、大罪迷宮スロウスを封じるように建設されていた大罪都市は全てが不死者の蔓延る地獄と化した。
それだけでも陰惨な悲劇だったが、しかしその不死者の領域が、年月をかけて少しずつ広がり続けている事が判明してから、大罪竜スロウスは世界存亡を握る脅威と化した。
そして50年前、その地の中心、大罪迷宮の全てが腐り、空いた【穿孔】に突入し、スロウスを再び封じた英雄がいた。その男は、竜討伐の驚くべき偉業を成し遂げた。更に【天賢王】に連なる【大連盟】から独立した国を、あろうことかスロウスを封じた地に生み出した。
ブラックと呼ばれる名無しの獣人。
名無し達からの人望を集めたその男は、故に【王】と呼ばれる事となった。
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「俺もガキの頃、1度だけ見たことがある。獣人で真っ黒な毛並みだったからブラックって呼ばれてて、すげえ慕われてるオッサンだった」
何度も宥め、ようやくジャインが【スロウス】の解説のために口を開いた。
スロウスの認識が全体で浅かったため、結果としてその古い成り立ちから語る羽目になったためか、ジャインは最初怠そうであったものの、徐々に舌もなめらかになっていった。
「何年前だそれ」
「20……いや30年前?」
「しっかりしろオッサン」
「黙れガキ」
ジャインから振り回される拳を避けながら、ウルははて?と疑問に思う。
「……その、2、30年前で既にオッサンだったんだよな?」
「獣人って事を差し引いても髭もじゃオッサンだったよ。やけにオーラあったけどよ」
「それから数十年経った訳で、獣人だろ……もう大分高齢では?」
「だから言ったろ。まだ生きてたのかよって」
そもそも、あんな所で生活してる時点で頭おかしいんだよ。と、ジャインは言う。
かつて【大罪竜スロウス】によって不死者の大地となった地域。そしてかつて【大罪迷宮】だったものの全てが腐り果ててひたすらに深い穴になってしまった竜の住処。その奥底に50年前、当時、最も強いと名高かった冒険者ブラックは単独突入した。
数日が経ち、一月が経っても、彼は戻らなかった。大穴に挑んだ他の冒険者達と同じく、ブラックも帰らぬ人となってしまったと、誰もが諦めたその時、スロウスは突然、活動を停止させたのだ。
彼が命を賭して、スロウスを止めたのだと、全員が確信した。
帰らぬ英雄の悲劇と栄光を謳う吟遊詩人も現れた。
冒険者ギルドは今は亡きブラックを黄金級の冒険者と認めた。
神殿は、彼にシンラ相当の官位を与え、その偉業を褒め称えた。
世界が彼の偉業を讃え、同時に彼の死亡を信じて疑わなかった――――が、
「英雄の葬儀が大々的に行われた後、這い出たらしいんだよ。このバケモノ」
『……本物が、かの?』
「あんたと同じ不死者じゃないかと疑われたが、マジモンの当人だったらしい……で、殉職っつってギルドや神殿が与えていた名誉と報酬を全部かっ攫った」
「……えげつないわね」
ブラックの生還は、まさに奇跡であり、名無し達はおろか都市民達、果ては神殿の中にすら彼を英雄視する者は絶えなかった。結果、死んでいるのならば問題ないと、神殿が迂闊にも与えた様々な名目上だけの栄誉を取り下げることもままならなくなったのだ。
そうなることを見越して、隠れ潜んでいたのではないか、と彼を糾弾する者もいたが、しかし彼が【大罪竜スロウス】の侵攻を止めたのは紛れもない事実であった事から批判は続かず、彼は神殿からも認められた希代の英雄にして、冒険者の頂点の黄金級となった。
「ブラックって名無しの英雄がいるって話は昔から同じ名無しに聞いちゃいたけど、そんな無茶苦茶だったとは……」
名無しであるウルも、彼の存在そのものは知っていた。父の同僚、冒険者崩れから、まるで我が事のように語られる英雄の話。正直、おとぎ話の類いと思っていたウルにとっても、届いた手紙の名は衝撃だった。
だが、どうも、聞く限り、彼の常識外れっぷりは予想の斜め上を行っているらしい。
「で、このオッサンが、手に入れた財産、名声好き勝手に振り回して、“大罪都市スロウス跡地”に空いたでけえ穴の底に、オッサンを慕う連中と一緒にぶっ建てたのが【穿孔王国スロウス】だ。……ハッキリ言うが、此処も滅茶苦茶やべえ」
「名無し達が最後に流れ着く楽園って俺は聞いてたが……そんなにか?」
大量の不死者達と腐敗した有毒ガスを乗り越えたその先にある名無し達が暮らす楽園、ウルにブラックのことを話していた老人はそう語った。老いた自分ではもう拝む事も出来ないと嘆いてもいた。
その老人に限らず、その楽園の前に立ち塞がる困難、不死者達の群がる荒野を乗り越えられる者はそうおらず、実態を知る者は少なくともウルの回りにはいなかった。たどり着くだけでも容易くはなく、それがスロウスの伝説に拍車をかけていた。
では実態はどのようなものか。それを知っているジャインがそれを語る。
「確かに楽園と言えば楽園だ。何せ、あそこは大連盟、天賢王の管理から外れた唯一無二の独立国だ。名無しの滞在費もあそこでは掛からん。名無し達は1度許可を貰えば、自由にあの国で暮らしていける。咎める神官もいやしない」
「…………どうやって国として成り立たせてるんだ?というか、どうやって生活してるんだ?そこの住民は」
天賢王の大連盟に加入しない。
言葉にすると容易いがそれは太陽の結界を授かれないということだ。
神官達は存在しない。
つまり精霊達の力も借りられない。生産都市で、精霊の力を借り、食料を生み出せない。
都市の外で生きる、というのは基本的に困難極まるのだ。そうでないなら、名無しの者達は滞在費を払ってでも都市の中に潜り込もうとはせず、外の世界で気ままに暮らしている。できないから この世界はこうなっているのだ。
いくらブラックという人物が規格外であろうと、国という以上は、住まう住民がいなければ成り立たない。ブラック以外の人物も規格外などと言うことはあるまいし、何をどうすればそんなことができるのかわからなかった。
「別に、難しい話じゃない。太陽の結界がないなら、代わる結界を魔術で組めば良い。精霊の力が無いのなら、頼らず自らの力で生活すれば良い」
元より、大連盟に加入している都市にしたって、万事を太陽の結界と、精霊達の力に任せているわけではない。そうでないからこそ、冒険者達による魔石の採掘は必要なのだ。彼らから金を支払って魔石を購入し、その魔石で、足らない分の都市管理を賄っている。
理屈としては確かに、太陽神、そして精霊の力の代用という発想はある。だが、しかし、
「それが簡単にできたら苦労は無いだろ?そりゃアンタが一番分かっているはずだ」
安住の地を求め、必死に戦っていたジャインならば、それがどれほどの無茶か分かっているはずだ。もし簡単に都市の外で生きていけるなら、彼は必死に金を稼いで都市の土地を買おうなどと考えなかったはずなのだから。
「ところが、ブラックって男はそれをやってのけた」
「……どうやって?」
「神と精霊に依存せざるを得ない原因は幾つもある。伝統、信仰、支配、だがそういったしがらみを抜きに考えた場合、最もシンプルな理由は“エネルギー不足”だ」
魔力は万能のエネルギー源だが、その収集効率は良いとは言えない。迷宮の魔物からの直接的な採取、大気や地面からの収集だけでは、神と精霊の欠落を補うにはとても足りない。
ならば、どうするか。それを上回るエネルギー源を獲得すれば良い。
ジャインは半ば楽しそうに、半ば呆れるように顔を歪め、語る。
「大罪竜スロウスの資源活用だ」
「………………は?」
ウルは耳を疑う羽目になった。
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「ブラックが目を付けたのは、スロウスが腐らせた腐敗物が生み出した有毒ガスだ」
生き物を腐らせ、不死者として、それを媒介として更に広まる。
あまりにも恐ろしい特性を秘め、【黒炎】に並ぶ禁忌として神殿が伝聞すら封じ、誰しもが近寄ることすら恐れ戦いた、【腐眠】を、あろうことか有効利用したのがブラックだ。
「どうもコイツが、僅かな魔術加工で、既存の燃料を遙かに上回る高効率な代物に代わると気がついたらしい」
「……それ、加工して大丈夫なのか?」
「ああ、一歩間違えれば周辺の全てを腐らせて、それを媒介に増殖し続ける【無限腐敗】のリスクを呑みさえすれば、大丈夫だ」
「そんな厄の塊みたいな代物を、利用しようなんてよく思ったな」
真理の探究者と呼ばれる魔術師達でも、大罪竜とそれにまつわる呪いには決して近づかない。誰であろう、この世界を支配する神殿が、竜とそれにまつわる物を禁忌としたのだ。討伐などの目的でも無し、うっかりと近付いて、都市追放にされるリスクを思えば、好んで近付こうなどと考える者は少数派だ。
そのリスクがなかったとしても、竜の呪いが巻き起こす災厄を思えば、やはり近付く者はいない。いたとしても、その末路は呪われて死ぬか、呪いの一部となっているか、世界に仇なす邪教徒に変貌している事だろう。
だが、その男は竜そのものを退け、
竜の呪いの中心地に国を建て
挙げ句竜の呪いを活用した。
異常の一言に尽きる。
「どうやって気づいたんだ。竜の呪いの活用法なんて」
「知らねえ。そもそもスロウスを封じたのも、実は最初からそれが狙いだなんて噂もあるくらいだ」
「んな馬鹿な」
「バカなんだよ」
それがない、とはウルも言い切れなかった。色々と規格外な人物であるのは十二分に伝わった。そして、随分と狡猾であるということも。
「で、ブラックはスロウスが腐敗させた物質を再利用し、燃焼資源を大量に生み出し、それを活用した魔導機を大量に運用した。更に【穿孔】を防壁の代わりにして効率よく結界を編み、防衛を完成させた」
そうして、【穿孔王国スロウス】は成立した。
王国の存在は当然、神殿は【禁忌】として、竜の存在と同じく表立って話すことすら許さなかった。ウル達一行、特にエシェルやリーネがスロウスの存在をあまり知らなかったのはその為だ。
だが、名無し達の間ではその存在はまことしやかに囁かれた。神殿もない、名無し達のための楽園がある、と。
だがどうにも、楽園というには危うすぎるらしい。
「ちなみに神殿がない所為か、【スロウス】はギャンブル、ドラッグ、なんでもござれの末法世界だ。邪教徒の住処もあるんじゃねえかなんて噂まである」
『ほほーんちょっとおもしろそうじゃの』
「ふざけんなやめろよ不良ジジイ」
今は亡きクソ親父が行こうなどと言い出さなくて本当に良かったとウルは安堵した。
少なくともアカネを連れていけるような場所ではない。
「そんでブラックって男は世界でなんらかの問題や災難が起こるたびに、スロウスから這い出てきて、ふらりとちょっかいをかけていく。黄金級として世界の危機を救ったり、竜を討ったりもするらしいが、神殿がぶち切れるような真似を何度もしてるって噂もある」
「……そんなオッサンが、此処に来ると」
ウルは思った。滅茶苦茶来てほしくねえと。
『そもそも手紙にはなんて書かれてたんかの』
「……………三日後遊びに行きますだと」
『友達かの?』
「身に覚えがねえ」
こんな友達はご免だった。
「グラドルは知ってるの?」
「グラドルに聞いてみたら蛙が潰れたみてえな声をあげてたから多分知らん。エンヴィー側も同じだろう。向こうには教えてやってねえけど」
通信魔術でブラックの名前をあげた瞬間、受け手の従者の反応は酷かった。その後バタバタとした音声の後「改めて返答する」旨の通信を最後に連絡は途絶えた。今は返事待ちである。
「なら、拒否すればいいんじゃ…?」
「拒否るとして、何処に手紙出すんだ…?通信魔具の符丁も分からん。郵送ギルドに手紙依頼して送っても三日以上かかる……っつーか届けてもらえるかすら分からん」
ある意味当然とも言えるエシェルの提案に、ウルも同意したかったが、そもそも物理的な手段がなかった。此処に手紙を運んできたという鳥の使い魔なら、返信もできるかもしれないが、手紙をラビィンに渡すだけ渡して速攻で飛び立ってしまったのだから、元々向こうは返信を待つつもりはないらしい。
「まあ、連絡手段があっても恐らくは拒絶しないだろうけどな。グラドルも」
「……その心は?」
ジャインは送られてきたブラックの手紙を指さした。
「書面で拒絶したところで、コイツは来る」
「わあ」
「拒絶を突破されてかき回されるくらいなら、受け入れて聞き流す方がマシだ」
「災害の対処法かなんかか?」
どうも手紙が送られた時点で来るのは確定したらしい。真っ白な質の良い紙にしたためられた手紙が呪いの一品のように思えてきた。
「……それじゃあ、そもそもこの人何が目的なの?」
「逆に聞くが予想つくと思うか?」
「……わからないけど」
「正解。サッパリわからん。エンヴィーの方が遙かにわかりやすい」
エンヴィー騎士団はウーガを目的としているのが明確だ。厄介ではあるが、コチラがどう備えなければならないかは分かりやすい。対して、ブラックは何を目的としているのか、今のところ何も見えてこない。
「……ウーガの会合に割り込もうってんだからウーガ狙いだとは思う……んだが」
「それもどうでしょうか?」
わずかなりともとっかかりを作ろうとしたウルだが、それをシズクが否定する。
「話を聞く限り、この方は、名誉も、資金も、地位も手にしていらっしゃいます。ウーガの価値は計り知れませんが、それほどまでウーガにそそられているように思えません」
「断言気味に言うじゃねえか」
ジャインは少し疑わしそうにシズクを睨むが、ウルは黙って彼女の話を聞いた。こういうときの彼女の洞察力は鋭い。
「狡猾な方であるようですが、リスクを度外視してるところから、刹那主義の傾向が見えます。そういう方は、小手先の謀略は好まないでしょう。つまり――」
そう言って、シズクは机に置いてある手紙を手に取る。ひらりと捲り、書いてある文面を広げてみせる。
「――書いてある通りの可能性があります」
「遊びに来ます……と?」
その場にいる全員「そんな馬鹿な」とは言わなかった。妙に生々しい真実味が、シズクの言葉には込められていた。彼を唯一知るジャインすら、腑に落ちた顔をしているほどだ。いままでの話し合いの中でおぼろげにあったブラックの輪郭が、妙にハッキリとした。
「……じゃあ……遊びに来たら……どうする?」
「遊んでもらうしかありません。疲れて帰るまで」
「……そぉ……っかあ……」
そして、最も真実味のある推論から導き出された結論は、身も蓋もなかった。
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