竜吞ウーガ 平穏の2か月③
ふかふかのベッドを、財布も気にせずに堪能するのはウルの夢の一つだった。
名無しのウルに都市永住権はなく、故にベッドとは縁が遠い。野宿で硬い土の上、冷え切った地面から逃れるように工夫して薄い毛布にくるまって眠るか、狭く臭く窮屈な安宿のベッドで寝泊まりするのは不幸ではなく日常だった。
冒険者となり、金回りがよくなってからは随分と向上したが、結局、借宿が基本なのは変わりない。良いベッドに寝る時は、それ相応に金が掛かっているということで、心地よさにすぐに眠りにつくものの、胸にしこりのようなものがあるのは否めなかった。
だから、なんの後腐れも無く、自分の所有物として、寝心地の良いベッドで眠りにつく、というのはウルにとって叶えたい夢の一つだ。そして叶わないと諦めていた夢でもある。
その夢が、図らずも、叶うこととなった。
「……すげえよく寝た」
日が高く昇りきった朝にウルは目を覚ました。
普段、【瞑想】により深く短く眠り、日が昇るよりも早く目覚めて訓練に打ち込む日々を思えば酷い寝坊である。ベッドの寝心地は最高だった。元々、ウーガの住居区画の殆どは、カーラーレイ一族と、彼らに選ばれし従僕達のみが住まうことを許された場所であるからして、備え付けの家具も超一流のものばかり、ウルは人生で最高の寝心地をウーガに来てから味わっていた。
熟睡からの、スッキリとした覚醒と共にウルは身体を起こす。窓外では朝日が差し込んでいる。どこから紛れ込んだのか、小鳥の囀りが聞こえてくる。雲にも届くような巨大な魔獣すらも焼き殺すウーガの懐に潜り込むなど、怖い物知らずだなとウルは笑った。
「…………ん」
同じベッドで寝ていたエシェルは少し、寒そうにしていたので毛布をかけてやり、ウルは静かにベッドから這い出した。机に置いてあった水差しから水を注ぎ口に含む。この水差しも金の掛かった代物らしく、注いだ水は驚くほど冷めたく、心地よかった。
窓に近づき、そっと開く。外気の風が心地よい。恐るべき陰謀と共に生み出されたこの要塞都市は、しかしその経歴とはそぐわぬほどに、美しかった。
最高級のベッドに守られた心地の良い目覚め。
美しい朝日に照らされた優美な街並み。
ベッドには親しい女性までいる。
これでケチをつけたら石を投げられるような、完璧な朝だ。
ウルはそう確信した。自身の夢が今、一つ叶っていることを理解した。その上で
「……過分だな」
満たされた幸福のただ中、ウルは苦々しい感想を一つ漏らした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ウーガの内部で、一先ずウルが自身の住処と定めた場所は、ウーガの西側に位置する3階建ての一軒家だ。
一軒家、というのがまず結構、贅沢な話ではある。土地の限られる現在において、自分だけの住居を構えるのは神官の特権だ。都市民でも、所謂高層建築に何人もの家族がまとまって住まうのが普通で、まして名無しがそこに暮らすなど夢のまた夢の話だろう。
その夢の住居の階段を一歩一歩踏みしめて、ウルはリビングに降りてきた。
何故か既に良い匂いが漂い始めている。覗くと、なじみの絶世の美少女がにこやかに料理をしていた。
「あら、ウル様、おはようございます」
「おはよう……エシェルもエシェルだが、お前はお前で気づけばヒトの家にいるよな」
「あら、いけませんでしたか?」
「メシが美味そうだし良いよ」
常識と照らし合わせるよりも食欲が勝った。そもそも彼女がウルの家を我が家のように利用するのは今日に始まった話ではなく、1Fリビングではウル以外の私物が日に日に増えている。
尤も、私物の持ち主はシズクに限らないが。
「おはようウル」
「お前もいんのかよリーネ。おはよう」
少し眠たげに、机でシズクの朝食を用意し待機する小人、リーネが挨拶を寄越す。私物という点では彼女のものが一番多い。自分の住処もウーガ内に用意している筈なのに、何故かウルの家で白王陣の研究をしたがるからだ。
「集会場みたいになってんな。ウチ」
「半ばギルドハウスのような扱いね」
【歩ム者】のメンバーが集結していた。コレもそれほど珍しい光景ではない。
リーネの言うとおり、ウル宅の1Fは半ば、【歩ム者】のメンバー達が集う会議室のようになっている。最初、ウーガの中で沢山あった住宅施設の内、話し合う機会も多かろうと広いリビングがある場所を選んだのだが、予想が正しかったのか、あるいはその選択が原因か、公私問わずウルの家にメンバーが集結するようになっていた。
別にそこまでその事に不満があるわけではない。ないが、
「……出来れば、自分だけのプライベート空間も欲しいんだがなあ」
夢の新居を得た途端、別のものが欲しくなるのはヒトの業と言えるかもしれない。
「秘密基地とか?」
「良い響き」
「別荘とか」
「高位の神官しか許されないという、伝説の…?」
「今なら選びたい放題じゃない?」
「ウーガの扱いが決まらない内から迂闊に次々に手を出すのはなあ」
「邪魔者がいない今の間に出来る限り確保しておくのは手だがな」
と、大きなテーブルの中心に、手早く皿が並べられスープが注がれていく。それをしている人物を見て、ウルは半ば呆れた笑みを浮かべた。
「アンタまでいんのかジャイン」
縦にも横にも大きな男、【白の蟒蛇】のジャインは、何故か似合わないエプロン姿でシズクの料理を手伝っていた。ウルの指摘に対し、ジャインはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「シズクに誘われたんだよ。ウーガについての話し合いがあるとか。めんどくせえ」
「その割にエプロンしてウキウキ料理してるの気のせいか?」
ウルが指摘すると、ジャインが少し黙った。そしてぶすっとした面構えのまま頷く。
「家庭菜園楽しい」
「聞いてないが」
「自分で作った作物を自分で料理して絶品だったときの幸福感がヤバい」
「しっかりしろ銀級冒険者」
ジャインの夢、目標は誰にも危ぶまれず、定住できる自分の土地、マイホームを獲得する事だった。ウーガの今後の先行きは不透明とはいえ、ウル以上に、ウーガ内でその夢を叶えた事の感動は大きかったらしい。
結果、若干タガが外れている。ちょっと前まで自分のお気に入りの家具調達にドはまりしていたが、今は庭の家庭菜園がお気に入りらしい。隣の家でよくラビィンと一緒に土を弄っている光景がそこにはあった。
銀級冒険者というより引退してヒマと土地を持て余した神官の老後である。
「お前もやれ、ウル」
「今のところ不定期に家を空ける時間が多すぎてそんなヒマ無い」
「留守の間俺が手入れしてやる」
「自分の趣味に引き込むのに熱心すぎる」
そんなことを言っている間に浮遊魔術で浮かんだ皿に盛られた料理がごとごとと並んでいく。中には簡単に見目良くなるよう削られた魔石があるが、それは恐らくロックの朝食だろう。どうせほいほいと口に放り込むだけだろうに、律儀なものだった。
「ロック様にも連絡を行いましたので間もなく来られます。エシェル様は?」
「まだ上で寝てる」
「起こしてきますね」
「あー……頼む」
するりと上に上がっていくシズクを見守り、ウルは息を吐いて、机に額を付けた。
騒がしい。だがそれが心地よくもある朝の食卓だった。
これまた、自分の家を持ったことのないウルにとって夢の一つであった。
「…………過分だ」
誰にも聞こえないくらい小さな呟きをウルは繰り返した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
和やか、というにはいささか騒がしい朝食を終えたウル達は、茶を煎れ人心地ついていた。平和そのものであるが、こんなにのんびりできたのも久々だった。とはいえ、またすぐに新たなる仕事がやってくる。しかも次に来る仕事は大仕事だ。
「……次のグラドルとの会合、三日後だったよな」
「ええ、場所はこの場所で、グラドルから移動要塞【白帝馬】でやってくるそうですよ。今回はシンラも一緒に」
グラドルとの話し合いが再び迫っている。それも今回はグラドルの新たなるシンラが視察にやってくる。これまで、ウーガを調べるべく魔術師や下位の神官がやってくる事はあったが、シンラ直々に来るのは今回が初めてだ。
となると、出迎えの準備でも忙しくなるのは確実だった。それを理解しているのか、エシェルはぺたりと机に顔を付ける。
「…………嫌だなあ」
「机に顔へばりつけてると、跡が付くわよ。エシェル」
「……うん」
それをリーネが窘めた。エシェルは黙って顔を上げる。
意外にも、というべきか、この二か月の間にリーネとエシェルは親しくなっていた。年齢も種族も何もかも違うし、背丈も年齢も官位もエシェルの方が上のはずなのだが、二人のやり取りはリーネの方が姉のようにも見える。
どうあれ、カルカラやウル以外にもよりかかれる相手がエシェルに増えるのは良い傾向だった。
「まあ、なんにせよ三日後だ。時間はそんなに無いが、今から焦っても仕方ない。少しずつ準備を進めていって――――」
「ゆーびんのお届けっすー!」
そこに、【白の蟒蛇】のラビィンが飛び込んできた。
「いきなりどうしたバカ」
「あ、なんすかリモモじゃないっすか。うめーっすね」
食卓を共にしていたジャインの頭痛をこらえるような声をあげる。ラビィンは家に侵入するや否や、机に置かれていた果物を猛烈な勢いでつまみ始めた。
「妖怪かてめーは」とジャインが彼女の頭を叩き、止める。
「恥をまき散らすのやめろタコ」
「しゃーねえじゃないっすか特急便だったんすから」
ラビィンは反省した様子も見せずに手紙を二通机の上にさしだす。ウルは首を傾げた。
「手紙……いや、どうやって届けられたんだ?これ」
「でけー鳥が2羽、司令塔の入り口を飛び回ってたんで、絞めて朝飯にしようかなーって思ってたら、手紙がくっついていたっす」
手紙を取り外すと用が済んだ、というように速やかにウーガから離れていったらしい。移動要塞として周囲の魔物たちを威圧するウーガを恐れず仕事をこなすところから、優秀な使い魔なのは間違いなかった。手渡された二通の手紙も、手触りから良い質の紙を使ってると分かる。
問題は、どこからの手紙か、ということになるが――
「2通……どことどこからなの?」
「……一通は【七天】の一人、【天魔】からだ」
「ディズ様ではないのですね」
七天の魔術師、通称【天魔のグレーレ】。天賢王の杖とも呼ばれる男。
この世で最も偉大なる魔術師と名が知れ渡っている男だ。ウルは各地を転々としている途中、一度だけグレーレの魔術を目撃したことがある。と言っても、そもそも初見の時はそれが魔術とは思えなかった。
大罪都市エンヴィーで、何かしらの事故があったのだろう。暴走して街のど真ん中に飛び出した巨大な魔導機械に対して、彼は魔術を発動させていた。が、詠唱もしない。魔法陣も描かない。ただ、その場に立っているだけで、幾多の閃光が迸り、機械は瞬時にこま切れになった。
アレがなんだったのか、ウルは当時わからなかったし、今もわかっていない。どう考えても通常の魔術のルールから外れていた。つまるところ、バケモノなのだ。
「空を駆る移動要塞を生み出したっつー話でも有名な超天才だな。で、もう一通は?」
ジャインに問われ、しかしウルは暫く返答しなかった。手紙に書かれている差出人の名を見つめ、眉をひそめている。その沈黙に全員が不思議そうに黙っていると、ウルはゆっくりと綴られた名称を告げた。
「……【穿孔王国スロウス】、【ブラック】からの手紙だ」
「――はあ!?」
ジャインは咄嗟に、ウルの持った手紙を奪いその差出人を確認した。ウルの言葉に偽りない。確かにそこにはその名が刻まれていた。
しかしそれでもにわかには信じがたい名を前に、ジャインは叫んだ。
「このバケモノまだ生きてたのか?!」
バケモノとバケモノからの手紙。
新たなる騒動の前触れであることを、この場にいる全員が否応なく理解したのだった。
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